『上総守が行く!』

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2014年 06月 25日

『二代目上総守襲名御披露』

長らく、マイ・ブログ『上総守が行く!』をご愛顧を賜って参りましたが、新たに二代目を開設し、掲載を続けることと致しました。

二代目のブログ名およびURLは次の通りです。
ブログ名:「上総守が行く!(二代目)」
URL:http://kazusankm2.exblog.jp/

二代目は、こちらをポチッ!
「上総守が行く!(二代目)」

思い起せば、初代『上総守が行く!』を2007年の夏に開設以来、数多の記事を掲載して参りましたが、エキサイトブログのアクセス解析をみますと約7年間で80,000回超(PCのみ)もの訪問をいただいております。
昔も今も、絶えず、訪問のある記事としましては、例えば、「ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」の第14話「護国寺墓所」(2009年8月12日付)や「ドラポタ藩/印旛沼"野点"ポタ」の第3話「白藤養魚」(2010年11月29日付)があります。
白藤養魚さんには、この翌年も鰻の白焼きを買いに行っており、その際、「白藤養魚のことをブログに載せてくださっている方ですか」と声を掛けられたことが思い出されます。
「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」の第18話「岡堰」では、或る方からこのブログを見て親御さんがどのような仕事をしていたかを知ることが出来て有難かったとの書き込みを頂戴したことがあります。
ブログには思いも寄らぬ<効用>があるんだと認識したこともありました。
ブログの<効用>と言えば、数年前、久方ぶりに会った先輩から「上総くん、自転車とブログという、いい趣味を見つけたね。自分は足腰が弱り、旅に行けないけれど、君のブログで旅をしているんだよ」との言葉を頂戴したこともありました。
ブログを続けることが出来ているのは、この先輩の言葉に拠るところ、大であります。
旅と言えば、ホテル・旅行の口コミサイト「トリップアドバイザー」から同サイトに「八重山諸島ポタ」の第70話「小浜島を巡る/シュガーロード」(2010年7月21日付)を掲載させて欲しいとのリクエストがあり、掲載されたこともありました。

初代『上総守が行く!』をご愛顧賜りましたこと、心より御礼申し上げます。
『上総守が行く!』は二代目が襲名することと相成りますが、初代の『上総守が行く!』も閉じることなく、オープンし続けますので、初代、二代目とも今後もご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げます。

2014年6月30日
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# by kazusanokami | 2014-06-25 21:41 | Comments(8)
2014年 06月 23日

『鎌倉紫陽花めぐり&鯵祭』

6月14日(土曜)、晴れ。
午前8時、北鎌倉駅集合。
ドラポタ鎌倉ポタリングは、4月に続いて、今年、二度目の企画だ。
出馬は、伊豆守殿、武衛殿、南国守殿の三名。
大給守殿は参勤交代で国許にて草刈り、上総は定期検診にて、この二人は不出馬。
今回の企画は南国守殿によるもの。
題して、「鎌倉紫陽花めぐり&鯵祭」。
「紫陽花」は、当然のことながら、花のアジサイ。
「鯵祭」は、鎌倉ポタでの昼餉は逗子・小坪漁港のゆうき食堂を常としており、ゆうき食堂のアジの刺身定食と紫陽花を引っ掛けての南国守流の洒落、「鯵祭(あじさい)」なのである。
ルート設定において、2年前の経験から、紫陽花の有名どころである明月院や成就院は花の数より人の数の方が多いよと、不出馬ながら外野席からアドバイス。
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2年前、2012年6月の、名月院の様子を思い出して。
朝8時前、開門前から長蛇の列。
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8時半、開門。
境内中央路は大混雑。
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(フォト:2012年6月23日/2012年6月25日付ブログより抜粋)
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14日当日のケータイ実況中継はなかった。
電子飛脚便でのレポートがあるだろうと思い、待つも、15日、16日とそれも届かず。
ドラポタの世話役としては、月々のポタの日程調整や企画調整をやって来ており、不出馬であっても、ポタの様子を承知しておく必要がある。
6月17日、「鎌倉紫陽花巡り&鯵祭参加者殿 14日のポタに関わるレポートが全くないのは寂しい限り。実況中継あるいは事後報告はドラポタの法度であります。上総」の旨、電子飛脚便を遣わした。

小一時間後、南国守殿から電子飛脚便が遣わされた。
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ご家老殿
大給守殿

大変失礼いたし候
14日のポタ報告

8時に北鎌倉集合
愛馬を担いでいざ円覚寺へ、
開門早々の為人目もまばら、早朝の古寺は何となく風勢があり、ほほを伝う風もさわやか、
円覚寺の紫陽花はこれからという感じでまだ3~4分咲、若い外人グループに若いお坊さんの
英語での解説風景が観光鎌倉の原風景か、、、

円覚寺をあとに、明月院に向うも、北鎌倉駅から延々と続く人並みに、そく計画変更、東慶寺へ、、、
こちらは人でもそれほどでもなく、門をくぐってすぐ左サイドに今までみたこともない白い形の変わった、
長細い馬の鼻先だけを切ったような紫陽花が、家族連れが足を止めてついカメラをむけていた、
その向こうの小池に紫色の花を広げた菖蒲が、「いずれ、アヤメかカキツバタ、はたまた菖蒲か?」
ここに上総殿がいればきちんと見分けたあとに口上が、、、
木漏れ日こぼれる参道をゆっくり上っていくと、苔むす岩肌にちいさな可憐な紫の花が、これが岩たばこの
花か、、さらに、殆ど人影のない参道を進むと、200年以上の樹齢の杉木立に囲まれた中に厚い杉苔が
蒸した墓石がそこそこに、、、鶯の鳴き声が読経にも聞こえてきそうな想幻(幻想ではない)な雰囲気に酔いながら、
東慶寺をあとに、鎌倉街道を一路長谷寺に、、、

日本人の特性か、有名紫陽花寺院をどこもすごい人で、紫陽花の名所とすれが明月院が東の横綱なら
長谷寺は西の横綱、紫陽花散策路は整理券を発行、われわれも30分待ち、やっと入場できたかと思えば
紫陽花より人のお尻が目の前に、、、それでもなんと紫陽花の種類の多さよ、、、
人息に翻弄されて足早に長谷寺をでて、近くの光則寺へ、この寺を訪問してなにより良かったのは、
長谷寺で見られなかった、真っ赤な花びらのようなガクをつけたクレナイという名の紫陽花、
これがクレナイかと皆感心、、、
光則寺のあとは鎌倉で一番古いといわれる御霊神社を訪問、踏切の所に江ノ電と紫陽花のコラボを撮ろうと
多くの観光客がカメラを構えて、、、
御霊神社の後に本日最後の成就院へ、、、
ここは明月院、長谷寺を紫陽花の横綱とすれば、大関クラスか、、、
紫陽花参道は人だかり、、、
紫陽花見物もそこそこに、われらドラポタ班は一路小坪の鰺祭へ、、、

海岸沿いの道路を海風を切って快調にはしる南国馬、
快調すぎて、小坪に入る小道をわすれ、逗子に進む長いトンネルと通過、
追走した武衛馬が声をかけた時はすでに相当逗子側へ、
伊豆の守と相談、これから小坪に引き返すにはあの長いトンネルを登り返さなければ、、、
武衛どのの後のスケジュールの都合もあり、このまま逗子へ行き、そこで新店開拓と決定、
逗子駅に到着後、なんとなく食堂のありそうな商店街を歩いていくと、
すぐ左側に良さそうな海鮮食堂が、、、
良しここにしようとの判断が大当たり、、、
武衛殿が鰺たたき定食(新鮮な鯵のたたき、味噌汁、御新香、こぶの佃煮、納豆 1000円)
伊豆殿が生シラス定食(小坪港から仕入れた新鮮な生シラス、味噌汁、お新香、昆布佃煮、納豆 1000円)
南国が鰺刺身定食(新鮮な鰺の刺身 + 同上 1000円)
これに生ビールとアジフライ
どれも美味しく皆満足、満足、、、

というわけで天候にも恵まれ、紫陽花詣でも満喫、小坪をパスするハプニングがあったものの
逗子の海鮮食堂は大当たり、、、と満足ポタでした。

南国
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これに対し、次の通り返信。
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南国守殿
早速のポタ報告、忝く候。
某も筆は早いつもりながら、南国殿も相当の早書きに御座りまするのう。
鎌倉、紫陽花の有名どころの様子、よーく分かり申し候。
特記すべきは「人息に翻弄されて足早に長谷寺をでて、近くの光則寺へ、この寺を訪問してなにより良かったのは、長谷寺で見られなかった、真っ赤な花びらのようなガクをつけたクレナイという名の紫陽花、 これがクレナイかと皆感心、、、」。
某、ブログに綴りし通り、赤い紫陽花を追い求めおり、大変興味深きものと思い候。
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(フォト:2013年6月10日、屋敷前庭にて)
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紅のガクアジサイも見てみたきものに候。

西から東へ材木座海岸を直進すると、あの恐ろしき隧道へ入り込むのは自然の成り行き。
トンネルを抜けるとそこは逗子の海岸だった、、、。
引き返さなかったのは危険回避で大正解かと。
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2008年2月の、逗子・鎌倉一人ポタを思い出して。
逗子から鎌倉へ抜ける「伊勢山隧道」は往来激しく、小径車ではちょいと怖い感じで、幅の狭い歩道を<押し>にて通り抜けた。
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(フォト:2008年2月16日/2008年4月28日付ブログより抜粋)
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逗子商店筋にて鯵祭成立、ご同慶の至りに候。

ドラポタ五周年記念で、いずれ綴る「ドラポタの歴史」の参考とさせて戴く所存に候。
大儀に御座りました。
上総
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6月19日、南国守殿より更に電子飛脚便が遣わされた。
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ご家老殿
方々

アルチューハイマーの脳裏にかすかに残ったメモリーから短歌を少し、、、、

”あじさいに、浮かびし君の、面影を、思い出させし、鎌倉古刹”
”うぐいすの、読経ひびく、東慶寺、苔むす岩に、紫の花”
”五月晴れ、行きかう人の、長谷寺に、群れなすあじさい、我をわするる”
”あじさいの、花の種類は、多けれど、クレナイ勝る、光則寺庭(てい)”
”薫風を、切り裂き走る、材木座、ついぞわするる、小坪への道”
”行くべきか、戻るべきかや、梅雨空に、逗子の神様、行くべしという”
”逗子駅の、海鮮食堂、大当たり、あじさい(鰺祭)めぐり、これにて終了”

南国
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これに対し、次の通り返信。
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南国守殿
南国麻呂(みなみのくにまろ)殿
写し)方々
短歌を詠む南国守殿、ノーアルタカハツメカクスにおじゃりまするな。
ひとつひとつを拝見し、過日の鎌倉歩駄日記に沿い、上手いこと詠みおりたなと感心いたし居りましたところ、「ついぞわするる 小坪への道」で抱腹絶倒。
本年秋のドラポタ藩創設五周年記念ドラポタ大賞俳句短歌の部の候補に挙げることと致しませう。
併せて、南国麻呂(みなみのくにまろ)の名を捻り出しました故、和歌短歌を詠まれる際には、南国守の名と共にお使い戴ければ幸甚におじゃりまする。
ドラポタ大賞選考委員長 上総守霹靂火
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前回の鎌倉ポタ時にはカメラ携行でありた伊豆守殿は今回はカメラ不携行にて写真はなき旨、一報あり。
武衛殿は城勤め多忙にて週末に一句捻ることにしたいとの一報あり。
6月23日、武衛殿より電子飛脚便が遣わされた。
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上総守殿
方々
土日と国許に帰省し、天気の良かった土曜日に草刈りが終わりホッとしました。
風呂に入り、ビール片手に、鎌倉ポタを振り返りつつ。

円覚寺
万緑の中に舎利殿時重ぬ

東慶寺
ありがたし苔むす墓に眠る人
梅雨晴れのなか岩たばこ可憐なり

長谷寺
梅雨のころ花も団子も長谷の寺

光則寺
梅雨晴れになお土の牢湿りたり

御霊神社
紫陽花もひときわ古し権五郎社

成就院
紫陽花の緑豊かに由比ガ浜
紫陽花の峠、遥かに由比ガ浜

逗子
梅雨晴れにペダル軽やか逗子・・葉山

武衛
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紫陽花と並んで6月の花、東慶寺のイワタバコ、光則寺の「土の牢」が語る歴史、御霊神社の鎌倉権五郎景政の伝説、成就院からの眺望などなど、鎌倉は幾度めぐってもよき処である。

梅雨晴れに 紫陽花喰らう 龍の群れ  霹靂火

南国守殿と武衛殿からの電子飛脚便に、自身で撮った過去の写真を織り混ぜてブログを綴ってみた。
南国守殿と武衛殿からの電子飛脚便に感謝申し上げる。

フォト#1、2、3:2012年6月23日、明月院にて
フォト#4:2013年6月10日、屋敷前庭にて
フォト#5:2008年2月18日、逗子・鎌倉ポタリングにて
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# by kazusanokami | 2014-06-23 17:41 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2014年 06月 17日

『デンチューで御座るぞ!』

手賀沼周遊の途中、ベンチで休憩。
何気なく前方の鉄塔を眺める。
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「デンチューで御座るぞ」の台詞が頭に浮かぶ。
左のシルバー色の鉄塔が吉良上野介、右の紅白の鉄塔が浅野内匠頭。
頭の中にはいつも大好きな「忠臣蔵」や「赤穂浪士」のことが...。
ビョーキなんだろうと思う。

フォト:2014年6月15日、手賀沼南岸にて
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# by kazusanokami | 2014-06-17 06:59 | 赤穂浪士討入凱旋の旅<番外編> | Comments(0)
2014年 06月 13日

『伝説/八咫烏』

"2014 FIFA ワールド・カップ 本大会"がブラジルで始まった。
今回で20回目、節目の記念大会だ。
昨秋、熊野三山をめぐり、八咫烏(やたがらす)に出会った。
熊野三山ゆかりの八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークでもある。
ザック・ジャパンのメンバー23名の活躍を祈念しながら、ここに八咫烏のことを綴ってみたい。
なお、熊野三山の参拝には順序はないといわれており、熊野速玉大社(新宮)、熊野那智大社、熊野本宮大社の順に参拝したので、参拝順で記していくこととしたい。

熊野速玉大社、熊野那智大社、熊野本宮大社の八咫烏はそれぞれに絵柄が違う。
熊野速玉大社の八咫烏。
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熊野那智大社の八咫烏。
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熊野本宮大社の八咫烏。
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日本サッカー協会シンボルマークの八咫烏と日本代表エンブレムの八咫烏。
(bing.com/images 「日本サッカー協会シンボルマークの画像」より借用)
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日本サッカー協会のシンボルマークと日本代表エンブレムのデザインは、熊野那智大社の八咫烏に近いといえるだろう。

八咫烏の由来。
熊野本宮大社で見た由来をここに引用しておきたい。
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八咫烏(由来)
熊野では八咫烏を神の使者と言われています。
三本足とは熊野三党(宇井・鈴木・榎本)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(素盞鳴尊)の御神徳である「智・仁・勇」、又、「天・地・人」の意をあらわしています。
烏は一般に不吉の鳥とされてきているが、方角を知るので未知の地へ行く道案内や遠隔地へ送る使者の役目をする鳥とされており、熊野の地へ神武天皇御東征の砌、天皇が奥深い熊野の山野に迷い給うた時、八咫烏が御導き申し上げたという意があります。
又、歴史上の一端より触れて述べれば、源平合戦の折、那須与一出身地(栃木県)烏山城は烏が金の紙幣(神のお告げ)をこの地にもたらしたので築城したといわれています。
次に世界各国の一部を記せば、
◎スカンジナビア
オジンの神の肩に止まった烏が二羽、一つは思考、一つは記憶と名づけて毎朝二羽の烏を放って、世界中のことを報告させたといわれている。
◎古代ギリシャ
烏はアポロの神の標識。
◎ツリンキート族
火を最初にもってきて、光を人にあたえたのは烏であると伝えられている。
又、最近、スポーツのサッカーが青少年、若い人々に人気を博している。
日本サッカー協会のマークは八咫烏です(明治時代にサッカーが日本に始まった。この頃から使用されているそうです)。
サッカー協会のマークに使用された意味は、考えるに、目的とする相手チームのゴールをはずすことなく、きちんととらえて納めるという意ではないでしょうか。
尚、右の意より,当大社では今も尚変わらず、
◎人の道開きの開運、人生、目的達成
◎現在地~目的地の間,無事に到達する意・海上安全・交通安全(車・二輪車等)旅行安全・通学安全の守護として仰がれています。
*八咫烏のお祭りに関わる祭典
毎年1月7日、夕闇深き時刻(午後5時)に厳修斎行される(年始め牛王刷り初め)があり、当社の年中行事の中でも中心となるお祭りです。
熊野本宮大社社務所
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ツリンキート族に関わる記述がある。
ツリンキート族とは?
調べてみた。
「トリンギット、或いは、クリンギットとも呼ばれるインディアン部族の一つで、アラスカ、カナダの先住民族。一族の象徴は大カラスで、ワタリガラスの伝説を有している」とのことであった。

「年始め牛王刷り初め」との記述がある。
熊野牛王符(くまのごおうふ)と呼ばれる御札のことである。
一枚ものの和紙の上に墨と木版で手刷りされ、朱印を押したもの。
墨刷りの絵柄は多くの烏が配列されたものとなっており、これは「烏文字」とのこと。
熊野三山の各大社ごとに図柄(正確には、鳥文字の配列)は異なるとのこと。
熊野速玉大社と熊野本宮大社の御札は鳥文字で「熊野山宝印」と記されており、熊野那智大社の御札は鳥文字で「那智瀧宝印」と記されているとのこと。
熊野速玉大社で熊野牛王符を頂戴した。
罰が当たってはいけないので、その写真の掲載は控えたい。
(ご覧になりたい方は電脳網で「熊野牛王符」にて検索するとその写真が現れるのでそれをご覧いただきたい)

熊野本宮大社で見た八咫烏の由来の中で、日本サッカー協会のシンボルマークのことが少し触れられている。
もう少し詳しいことが知りたく、日本サッカー協会のホームページを開いてみた。
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JFA旗に描かれた三本足の烏は、日の神=太陽を表しています。光が輝いて四方八方を照らし、球を押さえているのは私たち日本のサッカー界を統制・指導することを意味しています。
准南子(えなんじ)という中国の古典や芸文類聚五経正義という本に、太陽の中に三本足の烏がいると書かれています。
また、日本神話にも、神武天皇御東征の際に、タカミムスビ(日本神話の神)によって三足烏が神武天皇の元に遣わされ、熊野から大和への道案内をしたと言われています。
JFA旗の黄色は公正を、青は青春を表し、はつらつとした青春の意気に包まれた日本サッカー協会の公正の気宇を表現しています。
このシンボルマークは、東京高等師範学校の内野台嶺(JFA理事)ら当時の協会役員らが発案し、彫刻家の日名子実三氏がデザイン化。
1931年(昭和6年)年6月3日に理事会で正式に採用することが決まりました。
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近代サッカーを日本に紹介した中村覚之助が熊野出身であることから熊野三山ゆかりの八咫烏がシンボルとして選ばれたとの説もあるが、日本サッカー協会のホームページではそこまでは触れられていない。
また、平安時代に蹴鞠の名人で「蹴聖」とまで呼ばれた藤原成道は、その技の向上を祈願するため、何度も熊野詣をしたと伝えられているとのにて、これが日本サッカー協会のシンボルマークとして八咫烏が採用された理由であるなら相当に面白いのだが、これも日本サッカー協会のホームページでは触れられていない。

八咫烏と日本サッカー協会の関わりについてはこれくらいにして、ザック・ジャパンの活躍を祈念しながら熊野三山を写真でめぐってみよう。

熊野速玉大社。
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熊野那智大社。
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熊野本宮大社。
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熊野本宮大社の境内で出遭った、真っ黒なポストに止まる八咫烏。
八咫烏がブラジルから朗報を運んで来てくれるだろう。

=補遺=
「八咫鳥」は「「やたがらす」とも「やあたがらす」とも呼ばれる。
ここでは「やたがらす」と読む/呼ぶ。
因みに、広辞苑を紐解くと次の通りである。
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【咫・尺(あた)】
上代の長さの単位。手のひらの下端から中指の先端までの長さ。一説に、親指と中指とを開いた長さ。
古事記(上)「八尺(やあた」。
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【八咫(やあた)】
(アタは上代の長さの単位で、手のひらの下端から中指の先端までの長さ。一説に、親指と中指とを開いた長さ)
8倍のあた。また、長いこと。
古事記(上)「八尺を訓みて八咫という」。
----------------------------------------
【八咫(やた)】
(ヤアタの約。咫(あた)は上代の長さの単位)
長いこと。また、巨大なこと。
古事記(中)「八咫烏(やたがらす)」。
神代紀(上)「八咫鑑(やたのかがみ)」。
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これで全てがすっきりした。
そして、また、カシコクなった。

フォト:2013年11月29日、30日
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# by kazusanokami | 2014-06-13 07:27 | 伝説 | Comments(0)
2014年 06月 03日

『早慶戦同窓会』

5月初旬、長らく幹事を務めてくれているKSくんから早慶戦同窓会の案内があった。
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恒例の同窓会を、以下の通り行います。
*日時=5月31日(土曜日)
*場所=神宮球場(ライト側外野席 ヤクルトタフマンの広告看板の下あたり)
早慶戦を観戦して、そのあとで信濃町駅の「ジョン万次郎」で一杯やります。
今年の早慶戦は優勝がかかった試合になりそうです。
野球に間に合わない場合は飲み会からの参加でも結構です。
お会いするのを楽しみにしています。
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5月下旬、別の私的集まりである「大放談会」でのこと。
「今週末、早慶戦に行くことになってます」。
三つ年上、立大出身の備前守殿曰く「早慶、どちらも優勝が掛かってますね。早稲田、大丈夫です。ピッチャーの有原がいますから」と嬉しい言葉。

5月31日、晴れ。
朝のニュースで「今日、国立競技場は56年の歴史の幕を閉じます」とのアナウンスと共に、前日のブルーインパルスの予行演習の模様が映し出された。
早慶戦同窓会の前に国立競技場を"取材"しておこうと思い、少し、早めに出掛けた。
国立競技場の"取材"は、1月18日、2月23日に続いて、今年三度目だ。
外苑西通り沿いに足が自然と向く。
今一度、"TOKYO 1964"のエンブレムと金メダリストの名が刻まれた壁を見ておきたいからだ。
国立競技場、最後の日を示すかの如く、カメラを向けている人が多い。
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国立競技場の周辺には、胸に"SAYONARA 国立競技場 FOR THE FUTURE"と染め抜かれたTシャツを着た人がいっぱい歩いている。
お別れイベントのリハーサル中なのであろうか、競技場の中から谷村新司の「昴」が聞こえてくる。
♪さらば 昴よ♪を♪さらば 聖地よ♪と言いたいのであろう。

このよちよち歩きの赤ちゃんは2020年の東京オリンピックの頃には小学生だ。
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見慣れた案内図。
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新しい国立競技場は高さ70mにもなり、景観を壊すのではないかとの意見もある。
そもそも、これだけの施設を僅か56年の寿命で建て替えること自体がおかしいともいえよう。
斯様なことでは、昭和の歴史ある建造物は残らないであろう。
だが、新しい競技場が出来てしまえば、新たな名所となるのである。
複雑な気持ちである。

代々木門。
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表札「国立霞ヶ丘競技場」。
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「国立競技場」、更に縮めて「国立」と呼んだりしているが、正式には「国立霞ヶ丘競技場」なのである。

高さ70メートルじゃ、これほど近くから見上げることは出来ないであろう。
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はためく"SAYONARA 国立競技場 FOR THE FUTURE"の旗。
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道々で出会った人たちが着ていたTシャツにも染め抜かれていたデザインである。

神宮球場。
一般外野席の入場券を購う。
16番ゲートから入る。
「タフマン」の広告看板の前あたりの席を見渡す。
幹事KSくんの姿、発見!
「ご無沙汰っ!」と声を掛け、隣りの席に座る。
HMFくん、HMKも姿を現す。

「早稲田スポーツ」。
右下の広告がちょっと気になる。
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先日、備前守殿よりイチオシを貰った有原投手。
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ナマの、有原投手。
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「我々の時代に優勝したこと、あったっけ?」とHMFくん。
「2年の秋に優勝したと思うんだけど」と上総。
「実は、こんなものがあって」とバッグから扇子を出して来た。
「これは、お宝鑑定団ものやね。記念に一枚、撮っておきましょう」。
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「1969 秋 W-K戦」とある。
「1969年といえば、2年のとき。やっぱり、2年生、1969年の秋に優勝しているのかも。この扇子はそのときの記念品かも」。
「横山隆一の『フクちゃん』の図柄がこれまた懐かしいね」。
フクちゃんは、着物に下駄、大学帽という姿で早稲田大学のマスコットキャラクター。
今もそうなのだろうか。

5回裏、早稲田は慶応・加藤拓也投手の暴投で1点、先制。
内野学生応援席、外野学生応援席とも「紺碧の空」の大合唱。
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ところが、7回表、慶応、校歌斉唱のあと、竹内惇選手がライト側早稲田の応援席に2ランホームランで逆転。

7階裏、早稲田、逆転を期して、校歌斉唱。
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握りこぶしを高く翳して。
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7回裏、早稲田の攻撃は有原くんから。
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ところが、「バッター有原くんに代わり、三倉健くん」のアナウンスメント。
備前守殿イチオシ、小生も大いに期待しておった有原投手はベンチに下がってしまった。
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残りのイニングで、ランナー2塁のチャンスもあったのだが...。
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第1回戦は、早稲田、惜敗。
「明日は頑張れ!」とタフマンの看板を見上げる。
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信濃町駅の「ジョン万次郎」で一献。
勝っても負けても(正確には「負けても」だけだが)、仲間と飲むビールは旨いっ!
国立競技場、神宮球場、旧友と、三つの懐かしさを愉しんだ1日であった。

蛇足の感ありだが、記録として6月1日のことも綴っておこう。
夜、第2回戦の速報を見る。
早稲田、6対7でまたまた惜敗。
我が母校は第2回戦、第3回戦に勝てば優勝であったが、第2回戦も惜敗し、早慶の勝ち点はいずれも4ながら、勝率で慶応が上回り、2014年春季は慶応の優勝となったのであった。

毎回、幹事を務めてくれているKSくんに感謝の意を込めて、このブログを綴る次第である。
そして、今回、出席できなかった仲間への近況報告がてら、このブログを綴る次第である。

フォト:2014年5月31日
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# by kazusanokami | 2014-06-03 18:26 | エピソード | Comments(0)
2014年 05月 31日

『利根川・手賀沼大周回路ポタリング』

マイ・ブログ『上総守が行く!』の画像容量がそろそろいっぱいになりつつある。
エキサイトブログ・アドバンスに入会し、会費を払えば、無制限に使用できるようになるが、ここは、気分一新、新たに『上総守が行く!(二代目)』(仮称)を立ち上げる思いに至った。
そんなことを思う中、初代『上総守が行く!』のアップロード第1号は如何なる記事であったろうかとマイ・ブログを紐解いてみた。
2007年8月19日付で「布施弁天参拝」と題し、布施弁天の近くの池の結実し漏斗状になった睡蓮に止まるトンボの写真をアップロードしていた。
今日は5月30日、睡蓮が咲き始めているかもしれないと思い、愛馬”還暦創輪号”を駆って布施弁天とその近くの池へと向った。

布施弁天。
初代『上総守が行く!』を綴る中、数多くの神社仏閣を訪れている。
その中で、ここ、紅龍山東海寺、通称布施弁天は最も多く参拝している寺のひとつであり、何度もブログで触れた寺でもある。
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季節の記録、モクレンの若い実。
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睡蓮池。
朝9時半、睡蓮の花を愛でるには丁度よい時刻だ。
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あけぼの山農業公園。
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初代『上総守が行く!』のロゴ画像(画面右上)は、この公園の風車を背景にした愛馬"ベデワン・ホワイト"である。
あけぼの山農業公園は愛すべき公園なのである。

利根川左岸サイクリングロード。
布施弁天の近くまで来れば、利根川サイクリングロードを走ってみようということになる。
直近では右岸を上流方面へ走ったので、今回は左岸を下流方面へ走ることにし、新大利根橋を渡る。
利根川左岸CRは出来上がっているにも拘らず、長い間、新大利根橋東詰のゲートが閉じられていた時期があり、下流方面から走って来たときに出口がなく、愛馬を担ぎ上げ、ゲートの上から道路側に下ろしたことがある。
そんなことを初代『上総守が行く!』で綴ったことがある。
そんなことを思い出しながら、利根川左岸CRを走る。
河川敷に白く点々と見えるものがある。
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刈り取った草を巻き、白いビニールで覆った家畜用の牧草である。
これを我が家では<コロン>という。
20数年前、英国に滞在していた頃、こうした光景をしばしば目にすることがあり、子供たちは江崎グリコの菓子<コロン>に似ていることから、そう呼んでいたのである。
白い<コロン>は無造作に置かれているが、ひとつの「絵」になっている。
いい風景に遭遇した。

大利根橋(国道6号、水戸街道)と常磐線利根川橋梁をくぐると「海から85km」地点となる。
この「海から85km」地点から小貝川河口近くに至る間に<利根川シュガーロード>がある。
2010年1月、八重山諸島を旅した際、小浜島でシュガーロードを走った。
道の両脇がサトウキビ畑の道だ。
利根川左岸のこの道は両脇にススキが背高く生えており、サトウキビ畑によく似ている。
で、小生が勝手に<利根川シュガーロード>と名付けたのである。
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愛馬”還暦創輪号”と共に。
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まだ、5月下旬、サトウキビ、いや、ススキはまだ背高くはなっておらず、<シュガーロード>の風景となるのはこれからである。
<利根川シュガーロード>に彩を添える若い野草。
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ひとつ、余談を。
初代『上総守が行く!』では連載が結構多かった。
中でも2010年の「八重山諸島ポタ」は全88話の連載で、我が連載史上、最長のものとなった。
シュガーロードの話題を綴った第70話「八重山諸島ポタ/小浜島を巡る」は旅行口コミサイトのトリップアドバイザーから掲載したいとの要請があり、快諾し、そのサイトに掲載されたこともあった。

<利根川シュガーロード>を走り、「海から79km」地点で大きく左折し、小貝川の最下流に架かる戸田井橋(茨城県道11号取手東線)を渡る。
橋の上から小貝川の河口方面を眺める。
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小貝川河口。
栃木県那須烏山市を源流とし、100km超を流れて来た小貝川はここで利根川と合流するのである。
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小貝川沿いのサイクリングロードは幾度も走った大好きなコースで、幾度かブログで綴ったことがある。
このコースの途中には、間宮林蔵の生家や林蔵が出世の糸口を掴んだ岡堰があり、これに触発されて「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」と題し、これらを巡り、2009年に全24話の連載を綴ったことが思い出される。

「海から77km」の標識を過ぎると利根町役場(茨城県北相馬郡)が見えて来る。
利根町役場前の大きな立て看板「民俗学の父 柳田國男 第二のふるさと 利根町」。
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「柳田國男ゆかりの地を訪ねて」と題し、2012年に「利根町編」全11話を、2013年に「福崎町編」全14話をブログに綴ったことが思い出される。

栄橋を渡り、再び、利根川右岸へ。
布佐の町を通り抜け、手賀川サイクリングロードに至る。
オオヨシキリの声や揚げヒバリの声で賑やか。
季節の記録、麦秋。
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手賀沼南岸を走る。
手賀沼サイクリングロードは我がホームコース。
手賀沼はブログの中で最も多く話題にした場所かもしれない。
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ハス群生地。
季節の記録、ハスの若葉が出揃い始めている。
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若葉とその影。
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手賀大橋から手賀沼を眺める。
兄弟ブログ『龍人鳥の徒然フォト日記』のロゴ画像にこの手賀大橋から眺望を採用しており、大好きな風景である。
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河童の像。
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2011年の「京都・伏見ポタ」の際、伏見の黄桜ギャラリーの展示物の中に、河童が登場する「いなざき獅子舞 千葉・印西市 和泉鳥見神社」なるものがあった。
調べてみたところ、千葉県印西市には幾つかの鳥見神社があり、全てを巡った。
勿論、和泉鳥見神社の「いなざき獅子舞」もその時期を調べ、"取材"に行った。
獅子舞いの踊り、河童の踊りを堪能した。
殊に河童の舞いは奇祭ともいうべきものであった。
「鳥見神社」シリーズとして、ブログに綴ろうと思いながら、膨大な資料と写真を整理しきれず、お蔵に入ったままとなっている。
このほかにも、アップロードのタイミングを失したりして、お蔵入りになってしまったものが幾つかある。
二代目『上総守が行く!』がこれらを受け継ぎ、いずれ、アップロードする機会もあろうかと思う。

利根川と手賀沼を組み合わせた「利根川・手賀沼大周回路ポタリング」、これまでの思い出ばなしも織り混ぜての40km超の走りであった。

フォト:2014年5月30日
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# by kazusanokami | 2014-05-31 23:58 | ポタリング | Comments(2)
2014年 05月 30日

『潮来笠第三番 ♪♪♪ここは関宿♪♪♪ ポタリング』(下)

利根川右岸CRを遡り、関宿に到着。
帰路は江戸川CRを走って帰館することに。
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関宿を出発した途端、強い向かい風。
江戸川CRではよくあるパターン。
走りながら、<向かい風ものともせずコース>と<向い風途中ギブアップ軟弱コース>のふたつが頭を過ぎる。
向い風ものともせずコースから順に列挙すると;
コースその1:新葛飾橋(国道6号、水戸街道)まで走り、JR金町駅から輪行
コースその2:樋野口まで走り、JR松戸駅から輪行
コースその3:利根運河合流地点まで走り、利根運河CR経由、利根川右岸CR、全行程自走
コースその4:利根運河合流地点まで走り、利根運河CR経由、東武野田線運河駅から輪行
コースその5:東武野田線江戸川橋梁まで走り、東武野田線川間駅から輪行

走りながら、あの辺りが往路走った利根川右岸や、と分かる目印が目に入った。
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往路、利根川の河川敷でネットをぐるぐる巻きにされた鉄塔を目にした。
塗装工事をやっているのであった。
江戸川CRを走りながら、このネットを巻いた鉄塔が見えたのであった。
アップで。
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ネットを巻いていなかったら、タダの鉄塔で目印にはならなかったであろう。
利根川と江戸川を繋ぐ利根運河CRを走ったことは幾度もあるので、江戸川と利根川の間の距離がおおよそどれ位かは分かっているが、こうして江戸川の土手から眺めるとその距離が実感できる。

江戸川から利根川方向に並ぶ鉄塔。
四本目のネットを巻いた鉄塔の辺りが利根川河川敷である。
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映画「鉄塔 武蔵野線」(銀林みのる原作、1997年公開)は名作だったなあと思いながら、鉄塔を眺める。
「鉄塔 武蔵野線」は小学生の少年が送電線の鉄塔を探訪しながらその源流を辿っていく物語。
主人公の少年を演じているのは子役時代の伊藤淳史。
名演である。

「白一点」を眺める。
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最近、川沿いのサイクリングロードで、このような幅広の舗装路をしばしば見掛ける。
東日本大震災後の修復あるいは震災対策の改修なのであろう。
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広~い視界。
こういう風景が好きだ。
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関宿滑空場。
(手前の舗装路は一般道で、滑走路ではありません。滑走路は反対側の河川敷です)
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往路、利根川の河川敷では模型飛行機の「ヒコちゃん」を見た。
こちらはホンモノの「ヒコちゃん」。
利根川河川敷も江戸川河川敷も「ヒコちゃん」のメッカである。

東武野田線江戸川橋梁。
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相変わらず、向かい風で、ジュディ・オング状態。
鉄橋を見て、即、軟弱コースに傾く。
江戸川左岸CRから外れ、東武野田線川間駅から輪行にて帰館。

利根川コースでの関宿へのアプローチが叶ったことで、橋幸夫が唄う「潮来笠」の三番が成立。
♪♪♪
旅空夜空で いまさら知った
女の胸の 底の底
ここは関宿 大利根川へ
人にかくして 流す花
だってヨー あの娘川下潮来笠
♪♪♪

このポタリングで、三橋美智也や橋幸夫が登場した。
若い頃、歌謡曲には全く興味はなく、もっぱら、洋楽(当時は「洋楽」と言っていた)であった。
しかし、齢を重ね、場面、場面で頭に浮かぶ歌は、やっぱり、歌謡曲なのである。
そんなことで、『潮来笠第三番 ♪♪♪ここは関宿♪♪♪ ポタリング』と題して綴った次第である。
因みに、橋幸夫のデビュー曲「潮来笠」は、昭和35年(1960年)の大ヒット曲。
小生、12歳のときである。

今回の話題は利根川と江戸川の分岐点である関宿なので、最初、『利根川東遷ポタシング』と題して綴ってみようと思ったが、お堅いものより柔らかいものの方がよりと思い、「潮来笠」に因んだ標題とした。
ということではあるが、利根川東遷も捨て難いので、最後に駄句を一句。

大利根や 東遷の跡 走り抜け  霹靂火/江戸時代の土木技術は大したものです。

フォト:2014年5月24日

(完)
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# by kazusanokami | 2014-05-30 06:17 | 坂東太郎下流の旅 | Comments(0)
2014年 05月 29日

『潮来笠第三番 ♪♪♪ここは関宿♪♪♪ ポタリング』(中)

「海から120.0kmです」地点に至る。
右手に境大橋、左手に関宿城博物館が見えて来た。
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この「海から120.0kmです」の標識は貴重である。
何故なら、「海から〇〇km」の標識で[「です」調の標識を見たのはこれが二度目だったからである。
初めて「です」調の標識を見たのは、先月末、見沼代用水ポタの際、利根大堰(武蔵大橋)近くの標識「海から154.0kmです」であった。
そのときのことを5月24日付ブログで次の通り綴っている。
-------------------------
小生は利根川右岸(一部、時々、左岸)サイクリングロードを利根大橋や新利根大橋を起点に下流方面や上流方面を走っている。
下流は銚子まで、上流は下総利根大橋南詰(千葉県野田市木間ヶ瀬)まで走ったことがあるが、このサイクリングロードで「です」調の標識を見たのは、記憶の限りでは、これが初めてだ。
この「海から154.0kmです」の標識は、サイクリングロード部門の珍百景かもしれない。
-------------------------

"関宿城"をズーム・アップ。
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境大橋西詰、県道17号線を横切り、関宿城博物館方面へと向う。
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関宿城博物館が近くに見えて来る。
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関宿といえば、江戸川サイクリングロードのイメージが強い。
何故なら、関宿は江戸川サイクリングロードの起点だからである。
江戸川CRは幾度か走っているが、利根川右岸CRから関宿へのアプローチは今回が初めて。
ということで、利根川右岸から関宿城博物館を眺めるのも今回が初めて。
なかなか結構な眺めである。

右手奥に橋が見える。
ズームアップしてみる。
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建設中の圏央道の架橋である。
先月末の見沼代用水ポタの際、建設中の圏央道の高架を見た。
先々月末の坂東太郎下流の旅/佐原ポタの際、建設中の圏央道の橋を見た。
圏央道は開通済み区間もあれば、建設中区間もあるが、工事は着々と進んでいるようである。
で、圏央道とは何ぞや?分かっているようで分かっていなかったので、圏央道のHPを紐解いてみた。
--------------------------
圏央道(首都圏中央連絡自動車道)は、都心から半径およそ40km~60kmの位置に計画された、延長約300kmの高規格幹線道路です。
圏央道は、横浜、厚木、八王子、川越、つくば、成田、木更津などの都市を連絡し、東京湾アクアライン、東京外かく環状道路などと一体となって首都圏の広域的な幹線道路網を形成する首都圏3環状道路の、一番外側に位置する環状道路です。
---------------------------

更に進む。
「です」調標識、三つ目を発見!
「海から121.0kmです」と木立の間に見える「関宿城」のツーショット。
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「城」とのツーショットだから、「海から三十里に御座りまする」という標識の方がよいかも、などと余計なことを考えたりして...。

"城下"で昼餉を摂りながら、利根大堰へ向うか、それとも、今日はここまでとするか思案。
思案の結果、久しぶりに江戸川を下って帰館することにした。
江戸川CRスタート地点、「海から59.5km」標識。
利根川方面を眺める。
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江戸川方面を眺める。
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関宿を出発する。

フォト:2014年5月24日

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-05-29 07:08 | 坂東太郎下流の旅 | Comments(0)
2014年 05月 28日

『潮来笠第三番 ♪♪♪ここは関宿♪♪♪ ポタリング』(上)

5月24日(土曜)、晴れ。
ここ暫らく手賀沼での鳥見が続いたので、利根運河へ鳥見に行ってみようとぶらりと出掛けた。
新大利根橋南詰から利根川右岸CRに入る。
田植の終わった水田、緑の麦畑を眺めながら走る。
ヒバリの声、オオヨシキリの声、ウグイスの声、そして、カッコウの声を聞きながら走る。
利根川右岸CRと利根運河CRの分岐点に至る。
ふと、先月末の見沼代用水ポタリングの際、利根大堰(武蔵大橋)で見た「海から154.0kmです」の「です調」標識のことが頭に浮かんだ。
利根運河での鳥見は止めて、このまま利根川右岸CRを走り、関宿まで、出来れば、利根大堰まで行ってみることにした。

利根運河を渡る。
ゴルフ場脇の利根川右岸CRを走る。
クラブハウスのところで利根川右岸CRは途切れる。
県道7号線を走る。
福田郵便局交差点で右折する。
時々、芽吹橋、或いは、その先の下総利根大橋までは走ることがあるので、サイクリングロードから外れたこの辺りの道も迷わずに走れるのだ。

福田第一小学校前を通過する。
運動会をやっている。
ちょいと jitensha を止めて、運動会を眺める。
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ちょうど、低学年の玉入れが終わったところだ。
少子化の現れか、子供の数が随分と少ない。
と思った瞬間、「玉入れの続きをします。おじいさん、おばあさんも加わってください」とのアナウンスが流れる。
「おとうさん、おかあさん」ではなく、「おじいさん、おばあさん」と言うところが面白い。
「おじいさん、おばあさん」のあとに「おとうさん、おかあさん」もあるのかもしれない。
子供が少ない分、競技は早く終わってしまうので、両親、祖父母を加えての”時間稼ぎ”なのかもしれない。
そんなことを思いつつ、再び、走り始める。

野田市スポーツ公園に至る。
ここから、再び、利根川右岸CRとなる。
「海から100km」の標識を眺めながら走る。
因みに、この日、利根川右岸CRをスタートした地点、新大利根橋南詰は「海から91km」である。

「海から104km」の芽吹橋に至る。
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県道3号線、芽吹橋南詰を横切り、更に走る。
jitensha を止めて、暫し、「ヒコちゃんグループ」を眺める。
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利根川河川敷では、模型飛行機に興じる大人たちをよく見掛ける。
パラソルを等間隔に立てているのが何とも面白い。
手前の舗装路は滑走路ではなく、時折、ダンプカーが走る河川管理用の道。
ヒコちゃんたちの飛行場は奥の草地である。

上空を猛禽類が舞っている。
翼の様子からしてトビのようだ。
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♪夕焼け空がまっかっか とんびがくるりと輪をかいた ホーイのホイ♪と口ずさみながらペダルを漕ぐ。
「夕焼けとんび」は、三橋美智也、昭和33年(1958年)の大ヒット曲。
小生、10歳のときである。

「海から111km」。
ぞろ目も好きだが、同じ数字が三つ並んでいるのも好きだ。
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下総利根大橋が見えて来た。
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下総利根大橋をくぐる。
下総利根大橋は「海から112km」地点である。
利根川は、下流方面は河口の銚子まで、上流はこの下総利根大橋まで走ったことがある。
ここからが未踏の地(大袈裟か!?)なのである。
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未踏の地をどんどん進む。
進行方向へ向け、頭上近くを二羽の鳥が通り過ぎ、前方の路面に舞い降りた。
スズメのようでスズメでない。
jitensha を止めて、背嚢からカメラを取り出す。
前方から自転車が近づいて来る。
急いで撮らなければ、その自転車に驚いて鳥は飛び去ってしまうだろう。
急ぎ、レンズのキャップを外し、構え、シャッターを切る。
左手の一羽をパチリ、パチリ。
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右のもう一羽をパチリ。
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二羽を一緒にパチリ。
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もうひとつ、パチリ。
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二羽の鳥は前方から来た自転車に驚いて飛び去った。
自転車に乗った若者は、自分の走る姿を撮ってくれたんだと勘違いしたのか、こちらを向いてニコッとして通り過ぎて行った(キモチ、ワルゥー)。
二羽の鳥はヒバリであった。
上空でピピピ、ピピピとさえずる揚げヒバリにはよく出遭う。
上空から急降下して舞い降りるヒバリにも時々出遭う。
しかし、サイクリングロードの路面で、しかも、二羽一緒というのは初めてのことである。
慌てて撮ったので写りはイマイチながら、ヒバリちゃんたち、有難う、と礼を言っておこう。

フォト:2014年5月24日

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-05-28 05:27 | 坂東太郎下流の旅 | Comments(0)
2014年 05月 25日

『手賀沼&印旛沼ツイン・レイク・ポタリング』

5月7日(火曜)、晴れ。
ゴールデン・ウィーク明け。
といっても、隠居の身には毎日がゴールデン・ウィークのようなものだ(シルバー・ウィークかな?)。
手賀沼&印旛沼ツイン・レイク(ス)・ポタリングに出掛けた。
手賀沼から印旛沼へと、ふたつの湖沼をめぐるポタリングを「ツイン・レイク(ス)・ポタリング(Twin Lakes Pottering)」と名付けたのはいつの頃であったろうか。
走りなれたコースなので、カメラは封印。
ひたすら、薫風を味わいながらの走りに専念。
手賀沼北岸CR、手賀川左/右岸CR、利根川右岸CRと各CRを走りつないで行く。
このコースは殆ど一般道を走ることはなく、ストレスはゼロに近い。
道中、田植えが終わったばかりの水田の水の反射が清々しさを増す。
印旛水門で利根川右岸CRを離れ、北印旛沼CRへと向う。

北印旛沼。
封印していたカメラを取り出し、"記念写真"を一枚。
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北印旛沼と西印旛沼をつなぐ印旛捷水路を走り抜ける。
ここはちょっとした渓谷。
ウグイスの声が響く。
捷水路南端に架かる双子橋から西印旛沼を眺める。
双子橋東詰のラーメン店で昼餉を摂る。
店主殿が窓から我が愛馬ベデワン・ホワイトを見たのか、「可愛い自転車ですね」と。
思わず、スズキの軽四輪"ラパン ショコラ(Lapin Chocolat)"のCMのフレーズ、「可愛いでしょ。ショコラっていうんです」といいそうになった。
駐輪の横木は鉄パイプ製が多いが、このラーメン店の店先の駐輪用横木は木製で、西部劇でよく見られる酒場の前で馬を繋ぐ横木のイメージ。
我が愛馬は小径なので、横木にぶら提げるよりは馬の手綱と同様にチェーン・ケーブルを横木に巻いて。
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印旛沼公園の風車はパスして、走って来た道を戻ることに。
双子橋を渡り、捷水路を経由して、西印旛沼CRを走る。
吉高の揚排水機場近くにに差し掛かる。
往路、姿が見えなかったペリカンのかん太くんがいた。
健在で何より!
安食駅から輪行しようかなと思いつつ、結局、利根川右岸CRまで走ってしまった。
引き続き、薫風微風である。
このまま、自走で帰ることにした。

往路、利根川とその河川敷の清々しい風景を眺めたが、カメラは封印していたので、何も撮らず。
帰路、やっぱり、と思い、数枚を撮る。
河川敷に広がる緑の牧草地。
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河川敷に広がる水田。
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走って来た利根川右岸CR、満々と水が張られた水田、満々と水を湛え、ゆったりと流れる利根川、そして、西に傾く太陽を背に我が影。
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木下(きおろし)で利根川右岸CRから外れ、手賀川左岸CR、手賀沼北岸/南岸CRを経由して、帰館。
走行距離84.61kmの手賀沼&印旛沼ツイン・レイク(ス)・ポタリングであった。
80km超えの一人ポタは久しぶりのことであった。

フォト:2014年5月7日
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# by kazusanokami | 2014-05-25 05:23 | ポタリング | Comments(0)