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2012年 05月 25日
『古寺巡礼/鎌倉ポタ2012』 kp-5
「鎌倉のウグイスは瑞泉寺に限りまするなあ」。
「然様、然様、昨年同様、見事な声。次は、指南書のコースへ」。
「地図によれば、若宮大路、鎌倉警察署を左へ」。
若宮大路へ向かう。

「鶴岡八幡宮は如何致しまするか」。
「パスしても罰はあたらんでせう」。
「イチョウが気になりまする。やはり、寄ってみませう」。
「では、イチョウの様子を。そして、狛犬に関わる考察も」。

鶴岡八幡宮。
賑やか!
子銀杏。
順調に育っている。

狛犬。
先ず、阿形の狛犬。
阿形については、これといって特徴はない。
強いて申せば、口の開き方と前足の形がカワユイ感じだ。
一方、吽形の狛犬は、相当に個性的だ。
「ゴジラ系」と考察しておこう。

上総、狛犬考察之図/大給殿撮影。
このフォト、「大給殿、上総考察之図」でもある。

舞殿での結婚式。
観光客、みんなに見られちゃう訳だが、みんなから祝福を受けるということでもある。

「鶴岡八幡宮、石段下の狛犬は、社殿の大きさに比べると相当に小ぶりである」などと考察しながら、若宮大路二の鳥居に差し掛かる。
「ちょっと、お待ちを。鶴岡八幡宮の狛犬に関わる考察、第二弾を」。


フォト:2012年5月19日

(つづく)

# by kazusanokami | 2012-05-25 08:21 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 24日
『古寺巡礼/鎌倉ポタ2012』 kp-4
瑞泉寺。
閑かである。
ウグイスの声が聞こえる。
境内を散策する。
本堂裏の庭園を眺める。
夢窓疎石の作庭によるものである。
新緑と岩肌の色の対比が目を愉しませてくれる。

ウグイスの声が聞こえる。
瑞泉寺に至るまでにも、ウグイス声は聞こえていたが、昨年と同様に、瑞泉寺で聞くウグイスの声は、また、格別である。
瑞泉寺は、紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる谷戸(やと)に位置している。
「谷戸(やと)」とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形である。
谷戸(やと)、谷(や、やと)、谷津(やつ)、谷地(やち)、谷那(やな)など地方によって呼び方は異なる。
鎌倉付近では「やつ」と呼ばれているようだ。
「梅に鴬」という言葉がある。
取り合わせのよいことの例えだ。
「紅葉に鶯」はおかしいが、「紅葉ヶ谷に鴬」ならよいのではないだろうか。
谷戸(やと)と称される紅葉ヶ谷の地形がウグイスの鳴き声をよく響かせているように思われるからだ。
声は聞こえど姿は見えずで、ウグイスの姿を撮ることは叶わず。
その姿に代え、うぐいす色をひとつ、カメラに収めた。


フォト:2012年5月19日

(つづく)

# by kazusanokami | 2012-05-24 18:01 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 23日
『古寺巡礼/鎌倉ポタ2012』 kp-3
今回の「古寺巡礼/鎌倉ポタ」のコースは、指南書「湘南鎌倉自転車散歩」(山と渓谷社)P.28~32の「漁師町路地裏探検」を参考に、我らのオリジナル・コースをプラスするというのが大給殿の企画であった。
上総は、テレビ東京「空から日本を見てみよう/鎌倉編」の録画を引っ張り出し、空からヴァーチャル・ポタをしてみた。
その中で、くもじいが「あれはなんじゃ?」と空から舞い降りて、大きく映し出されたのが、日本三大天神のひとつ、荏柄天神社の「絵筆塚」であった。

荏柄天神社。
社殿脇の高台に「絵筆塚」を発見!
これ、これ、これじゃ(くもじい風)。
説明書きには「かっぱ筆塚・絵筆塚」とある。
「手前に佇むにが、かっぱ筆塚」とあるが、場所がよくわからない。
植木の手入れをしていた職人さんに「かっぱ筆塚」の場所を問うた。
「あの石です」と。
石に刻まれた河童を見るのは、小川芋銭が描いた、牛久沼の河童の碑以来かもしれない。
河童コレクションに、「かっぱ筆塚」と「絵筆塚」が新たに加わった。

荏柄天神社の説明書きによれば、「関東を中心に各地に分社をもち、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社です」とある。
一方、別の資料を参照すると、「日本三大天神とは、大宰府天満宮、北野天満宮、防府天満宮の3ヶ所をもって日本三天神と称する。 異説として、防府天満宮を外して、大阪天満宮、小平潟天満宮等を入れる場合もある」とあり、荏柄天神社の名はない。
日本三大何某というものはなかなか難しいものである。
いずれにせよ、湯島天満宮や亀戸天神社は日本三大天神には含まれないのである。
いっそ、日本五大天神とか七大天神にした方が菅公さんに喜ばれるかもしれない。

午前10時の祝詞を終えた宮司さんが社殿から現れた。
石段を下り、次は、瑞泉寺に向うことにした。


フォト:2012年5月19日

(つづく)

# by kazusanokami | 2012-05-23 23:32 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 22日
『古寺巡礼/鎌倉ポタ2012』 kp-2
「浄智寺に寄ってみましょうか」。
「初めて訪ねる寺ですね」。

東慶寺の直ぐ南隣り、浄智寺を訪れた。
境内を散策する。
「曇華殿」の額を掲げた建物がある。
仏殿である。
屋根を見上げたところ、この通り。
「曇華殿」というよりも「晴草殿」であった(罰当たりなことをいうて、すみません)。

子安観音。
隧道を抜ける。
奥の洞窟に鎮座する布袋さん。
鎌倉江ノ島七福神のひとつとのこと。
布袋さんって、指をさした、こんな姿だったかなあ...。
因みに、浄智寺の本尊は、阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の三世仏。

境内はやたらと標識が多い。
こんな標識も。
「逆でもよろしければどうぞ」というのが、何ともおかしい。

浄智寺から建長寺の前を通り、鎌倉に向かう。
建長寺の山門を眺めながら、「鎌倉五山って、何処何処でしたっけ」。
「去年、建長寺や円覚寺を訪れた際に覚えたんですけど、忘れましたね」。
帰館後、復習。
鎌倉五山とは、建長寺(第一位)、円覚寺(第二位)、寿福寺(第三位)、浄智寺(第四位)、浄妙寺(第五位)。
寿福寺と浄妙寺はまだ訪れたことがない。
訪れないと覚えない。

フォト:2012年5月19日

# by kazusanokami | 2012-05-22 23:45 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 21日
『古寺巡礼/鎌倉ポタ2012』 kp-1
ゴールデンウィークの頃、盟友、大給守殿から「旧志賀村、現在の佐久市志賀にある、神津家屋敷、別名『赤壁』は、県下でも屈指の豪農であった家です。志賀高原の開発や長野電鉄の創設者、神津牧場の開発者を輩出。銀行の設立など明治期の企業設立に出資。島崎藤村の在諸中から、パトロンとなり、『破壊』などの出版にも出資したのは、当時の当主。」とのメッセージと共に、『赤壁』の写真が送られて来た。
その後、大給守殿より、「東慶寺の鐘楼は、『赤壁』の神津猛が、志賀の持ち山の木を伐って、寄進し、建立されたものです。鐘楼の天井画は龍。東慶寺の住職、禅忠が描いいたそうです。大正10年頃のことと思われます。円覚寺管長は、しばしば、志賀の『赤壁』を訪れております。末寺の東慶寺の禅忠も老師の待者として佐久へ来ています。戦前、赤壁では、毎年、座禅会が催され、円覚寺管長が来ており、30回をかぞえています」のメッセージと共に、「古寺巡礼/鎌倉ポタリング」の企画が到来した。

5月19日、古寺巡礼/鎌倉ポタリング。
信州佐久と鎌倉との関わりの考察として、先ず、東慶寺を訪れたのであった。
拝観料を支払う際、窓口の婦人に、鐘楼は神津家の寄進によるものであることを話題にしたところ、そのことはご存知ではなかったが、鐘楼を除いて、全て、関東大震災の被害に遭ったとのことであった。
鐘楼が寄進されたのは大正10年頃、関東大震災は大正12年。
鐘楼は、関東大震災が起こった頃、まだ、真新しかったことが伺える。
以来、約90年を経て、天井画の龍はやや色褪せてはいるが、眼はしっかりと。

境内を巡る。
新緑が眩しい。


フォト:
『赤壁』/2012年5月3日、大給守殿提供
東慶寺鐘楼、天井画/2012年5月19日

(つづく)

# by kazusanokami | 2012-05-21 17:23 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 18日
『九十度左手、酒場放浪記之図』

この日に限り、寅さんは脇役、主役は「新華」、そして、「90度左手、酒場放浪記の店」。

フォト:2012年5月16日

# by kazusanokami | 2012-05-18 23:36 | 風景 | Comments(7)
2012年 05月 18日
『寅さん風ポタリング』
ここんところ、暫らくのポタリングは、特段の宛てや企画もなく、ぶらっと出掛けることが多い。
この日も、ぶらっと出掛けた。
利根川CRから利根運河CRを走りながら、久し振りに江戸川CRを遡上し、関宿まで行ってみるかと、ふと、思った。
しかし、北の風、北西の風、西の風といったところであろうか、少々、強い向かい風であった。
利根運河/江戸川合流地点に到達するも、向かい風はかなわないなあ、と軟弱な考え。
江戸川CRを遡上しての関宿行きは、即、脚下し、江戸川CRを下ることにした。
いつも、左岸CRばかりを走っているので、趣向を変え、流山橋を渡り、右岸CRを走った。
常磐線江戸川橋梁、葛飾大橋、そして、その向こうに、金町浄水場の取水塔が見えて来た。
いつもは土手の上から眺める風景も、河川敷からの目線だと、また、別の趣きがある。

柴又帝釈天にお参りし、jitensha を押しながら参道を歩き、京成柴又駅へと向かった。
駅前広場で、寅さんの像を眺めながら、しばらく、休憩。
「カズ公、おめえさんのポタリングとやらは、おいらの旅とよく似ているようだなあ」と、寅さんから声を掛けられたような気がした。

JR金町駅から輪行にて帰館。
宛てもなくぶらぶらする、文字通りのポタリング、42.65kmの旅であった。

フォト:2012年5月16日

# by kazusanokami | 2012-05-18 06:20 | ポタリング | Comments(6)
2012年 05月 17日
『ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~ 』 tw-6
江戸・東京、パリ、大阪と巡った。
我々の世代の「ザ・タワー」は、やっぱり、東京タワーだ!
東京タワー。
1958年(昭和33年)、完成。
設計者は「塔博士」の内藤多仲。
第3話で綴った浅草/凌雲閣の時代は錦絵であったが、時代は大きく変わり、東京タワーの時代は写真、映画、テレビなど映像の時代である。

小生が初めて東京タワーを眺め、そして、上ったのは、1963年(昭和38年)、中学3年の修学旅行のときであった。
当時の修学旅行は、箱根、鎌倉、東京であった。
修学旅行専用列車「きぼう号」での旅であった。

『ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~ 』での展示物はかなりの数。
その中に、「たそがれの東京タワー」と題された大映映画のポスターがあった。
フランク永井が歌っていた歌の題名でもあると。
小生は、この映画と歌についての記憶は皆無である。
大映映画「大怪獣ガメラ」(1965年)の映像も流れていた。
流れていた映像は、勿論、ガメラが東京タワーを破壊するシーン。
しかし、この映像には違和感を覚えた。
何故なら、怪獣映画で東京タワーが初登場となった映画となれば、東宝映画「モスラ」(1961年)であろう。
モスラの幼虫が東京タワーに繭を作り、東京タワーが途中から折れてしまう、あの超有名なシーンを忘れてはならない。
モスラはガメラの大先輩なのである。

『ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~ 』は『東京スカイツリー完成記念特別展』と銘打たれているが、東京スカイツリーは殆ど出て来ず、最後のコーナーでの、タワーの高さ比べ程度での登場であった。
誠に奥ゆかしく、好ましい登場の仕方であった。

こうして、「ザ・タワー」を綴っている最中、ふたつの嬉しいことがあった。
そのひとつは、kazusayomeが何処からか、東京タワーの夕方5時からの招待券をゲットしていたこと、そして、もうひとつは、子供たちから、はとバスツアー「湾岸ナイトとスカイツリー」がプレゼントされたことであった。
『ザ・タワー ~都市と塔のものがたり~ 』での展示を思い起こしながら、今度は、本物の「ザ・タワー」を楽しんでみたく思っている。


フォト:2012年4月30日、ポスター『ザ・タワー』からの抜粋ほか

(完)

# by kazusanokami | 2012-05-17 18:23 | 東京スカイツリー | Comments(4)
2012年 05月 16日
『たけとりものがたり』
紅龍山東海寺、通称、布施弁天は、小高い岡の上に鎮座している。
その脇道を jitenshaで走っていたところ、岡の法面の竹林に生えている、一本の竹に目を惹かれた。
カメラを構えていたところ、二人連れの老婦人が通り掛かった。
カメラの邪魔になってはいかんと思われたのであろう、立ち止まられた。
「どうぞ、先にお進みください」。
「何を撮られているのですか」。
「剥がれかけた竹の皮が面白いので、こいつを何とか料理できないものかと」。
「プロのカメラマンさんでいらっしゃいますか」。
一ヶ月前なら、「いえ、いえ、写真好きの、一介のサラリーマンです」と応えるところながら、5月からは隠居の身、応えは「いえ、いえ、写真が好きなだけです」であった。
「あの、皮が剥がれかかった竹は今年のものでしょうか」。
「今年、生えた若竹ですね。上の方はまだ皮がついたままになっていますから」。
二人連れの老婦人は去っていった。

そうこう会話をしている最中、横手の、垣根を挟んでの日本庭園の中で「あっちへ飛んだぞ」との男性の声が。
若竹をカメラに収めたあと、この男性Birderさんと垣根越しに会話。
「何を追いかけておられますか」。
「フクロウです」。
「この辺りはフクロウが多いんですか」。
「いや、多くはありません。時々、見るくらいです」。
「今、朝の10時。フクロウは明るいときでも飛ぶんですか」。
「さっき、あっちの木にいたんですが、カラスが悪さをしたようで、逃げたんですよ」。
このBirderさん、岡の法面のクスノキの枝の方をしきりと見ているので、小生も目を凝らして見るも見えず。
「双眼鏡、持っていますが、使われますか」。
「ええ、ええ、貸してください」。
Birderさん、小生の双眼鏡でクスノキの枝を眺めながら、「いませんね。布施弁天の社の向こうの方へ飛んで行ったかもしれませんね」と。
そうこうしているうちに、もう一人のBirderさんが現れた。
「どこかへ行ってしまいましたね」と最初のBirderさん。
「そうですか。さっき、撮ったの、見ます?」と、もう一人のBirderさん。
見せてください、の声を聞く間もなく、液晶ビューで写真を繰り始め、「これ、これ、これです」と拡大までして、ご披露。
「フクロウの目、かわいいですね。こっちを見ているようですね」。
「警戒して、こっちを見ているのかもしれませんね」。
この辺りは、しばしば、ポタリングする場所だが、フクロウがいるとは知らなかった。
また、愉しみが増えた。

話題が竹からフクロウになってしまった。
このブログの標題は「たけとりものがたり」。
竹が縁でフクロウを知ったという「竹撮り物語」である。
若竹はこんな風に料理してみた。


フォト:2012年5月16日

# by kazusanokami | 2012-05-16 23:58 | エッセイ | Comments(2)
2012年 05月 15日
『P & Pの風景』

手賀沼南岸CRを走り出した途端、キジの声。
ポピーの花陰にキジの姿。
「おいらの顔のレッドも素晴らしいが、ポピーの淡い色も捨て難いなあ...」。
Poppy & Pheasant、《P & P》の風景であった。

フォト:2012年5月10日

# by kazusanokami | 2012-05-15 18:32 | | Comments(6)


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