沈下橋、小目沼橋を渡り、小貝川左岸CRを走る。
再び、稲豊橋に至る。
「大給殿、ここからは『間宮林蔵ゆかりの地を訪ねての巻』に御座る」。
小貝川左岸CRを外れ、畑の中の道を走る。
「斯様な細道は、先達がおられなければ分かりませぬな。有難きことかな」と大給殿。
「大給殿、ここが間宮家の菩提寺、専称寺に御座る。これが、顕彰碑『間宮先生埋骨之處』。その裏にあるのが、間宮林蔵の墓と両親の墓。間宮林蔵は、蝦夷へ出立する前に、自ら墓を建立したとのこと。林蔵さんの蝦夷へ出立する前の心の中は如何許りかであったかと」。
昨年10月7日~17日付ブログ「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/常陸国上平柳編、下総国岡村編」にて山ほどフォトを掲載しておりますことにて、今回、上総はフォトを控えました。
「次は間宮林蔵生家と記念館に御座る」。
記念館にて、間宮林蔵の偉業をゆるりと拝見。
いつも気になること、それは「シーボルト事件」...。
記念館入り口には、つくばみらい市伊奈中学校などの生徒さんの研究成果が貼られていました。
「上総殿、間宮林蔵立像を撮りたくも、逆光に御座る」。
「大丈夫で御座る。岡堰にこれと全く同じ立像が御座ることにて、それを撮られるとよろしかろう」。
再び、小貝川左岸CRを走ろうとするも、護岸工事中にて住宅地を迂回して、岡堰に至る。
「大給殿、岡堰も福岡堰と同様に満々と水を湛えておりまする」。
「岡堰の間宮林蔵立像は光の具合もよろしいようで」と大給殿、立像をカメラに。
「大給殿、あちらに見える水神岬に行ってみましょう。福岡堰の花見に続く、花見その二に御座れば」。
水神岬より岡堰を臨む。
「上総殿、桜の花が」。
「何処に?梅では?」。
「あそこに一輪、ここに一輪」。
「ほんに。大給殿は目がよろしゅう御座るのう。これで『花見下見ポタ』が『花見ポタ』になり申した。よう御座った、よう御座った」。
フォト:2010年3月27日
フォト#1/大給守殿提供
(つづく)