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『上総守が行く!』

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2010年 12月 10日

『上総の昼餉散歩/二人の幕臣』

昼餉時、時折、仕官先の江戸屋敷近くを散歩する。
昼餉を済ませ、ぶらっと、駿河台方面へ。
以前、ポタリングの途中、大久保彦左衛門の屋敷跡の標識をちらっと見たような記憶があり、そこに立ち寄ってみたいと思うも、その場所が定かではない。

ビルの谷間に鎮座する、大田姫稲荷神社の境内にいた御老体に尋ねてみた。
「この近くに、大久保彦左衛門の屋敷跡があったと思うのですが、何処でしょうか」。
「お尋ねの場所は、大久保彦左衛門の屋敷跡ですか、それとも、小栗上野介の生誕地ですか」。
「えっ、小栗上野介ゆかりの地もあるんですか。私、小栗上野介も、大いに興味があるのです。造船に携わっていたこともあるものでして」。

大田姫稲荷神社。
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大久保彦左衛門屋敷跡/杏雲堂病院脇。
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大久保彦左衛門は、「天下のご意見番」や「大久保彦左衛門と一心太助の物語」などで有名だが、これは歌舞伎や講談から生まれた逸話で、事実ではないようだ。
しかし、面倒見のよい人であったのは事実のようだ。

小栗上野介、生誕の地/YMCA脇。
『上総の昼餉散歩/二人の幕臣』_a0104495_22171141.jpg
小栗上野介は、大政奉還に反対し、大政奉還後も薩長への主戦論を唱え、1868年(慶応4年)、薩長軍に捕えられ、斬首となった。
一方、ここに記されている通り、明治維新以降の礎を築いた人物でもある。
我が敬愛する作家、司馬遼太郎さんは小栗上野介を「明治の父」と...。

江戸時代初期の幕臣、そして、江戸時代末期の幕臣、この二人に関わる歴史探訪の昼餉散歩となった。

それにしても、大久保彦左衛門に関わる話をしたのに、境内の御老体の口から、何故、小栗上野介の話が出たのだろうか。
小生の顔に「歴史好き」とでも書いてあったのだろうか...。

フォト:2010年11月30日

by kazusanokami | 2010-12-10 23:18 | 上総の昼餉散歩


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