次は「上総の十八番」、赤穂浪士ゆかりの地である。
承教寺周辺から二本榎通りを走り、赤穂浪士お預け四家のひとつ、旧細川邸跡へ。
旧細川邸跡。
昨年12月18日の「赤穂浪士討入凱旋の旅」+「お預け四家の旅」から、一ヶ月余での再訪である。
いつもは、泉岳寺から高輪高校横の細道を抜け、細い急坂を上り、旧細川邸跡に向うのだが、今回はその逆で、細い急坂を下り、細道を抜け、泉岳寺へ。
今回のポタは、都内の坂道巡りもその一環だが、この細い急坂の名は知らない。
泉岳寺。
昨年12月18日の「赤穂浪士討入凱旋の旅」+「お預け四家の旅」から、一ヶ月余での再訪である。
浅野内匠頭の命日である3月14日の頃、そして、討ち入りの12月14日の頃は、参拝客、観光客で大いに賑わう境内も、この日は人影もまばらで、静か。
人出の多いときには撮ることの叶わぬ、"地べた写真"を撮る。
梅を愛で、大石内蔵助像を見上げる。
次にここを訪れるのは、浪士たちの命日である2月4日の頃であろうかと思いながら、泉岳寺をあとにし、伊皿子坂を上る。
フォト:2011年1月23日
(つづく)