中程から左の、都心の風景をズームアップ。
"東京天空塔"のみならず、兄貴分の"東京電波塔"の姿も見える。
1月8日、国立歴史民俗博物館(佐倉市)で開催中の企画展示「写真の記録-写真資料を考える-」を観た。
第一章から第七章までの構成。
第一章 広がる風景-江戸・東京の街並み-の冒頭は、幕末に来日したイタリア人写真家フェリーチェ・ベアトが撮影した「愛宕山から見た江戸の街並み」(1863年)のパノラマ写真であった。
「江戸の街の広がりと共に大名屋敷の内部まで分かる貴重な写真である」と解説されていた。
陸奥国一関藩田村家上屋敷と"化け銀杏"も写っていた。
田村家上屋敷は、播州赤穂藩浅野内匠頭が、松の廊下事件の後、切腹した、終焉の地である。
小生の趣味のひとつである"忠臣蔵"の余談であるが...。
愛宕山は、数々の歴史や逸話を残している。
その中のひとつとして、「勝海舟、西郷隆盛会談の場」がある。
江戸城明け渡しについて、行き詰まり状態にあった勝海舟と西郷隆盛の二人は家康公ゆかりの地、愛宕山に上り、江戸の町を見渡した。どちらが言い出すでもなく、江戸の町を戦火で焼失させるは忍びない、とし、山を下り、その後、三田の薩摩屋敷にて両人、会見し、江戸城無血開城に至ったのであった。
フェリーチェ・ベアトが撮影した場所と写真、そして、その数年後の無血開城の歴史と、愛宕山ならぬ、我が天守からの、都心の風景とが重なり合うのであった。
フォト:2011年12月25日 16:07、16:08