言問橋とスカイツリー。
言問橋西詰からの眺め。
言問橋西詰からの眺めは、スカイツリーが橋のほぼ真正面に見え、いつも楽しみにしている風景だ。
2年前はこんな風景だった。
(2010年5月15日撮影)
言問橋を過ぎ、西詰下流側からの眺め。
東武花川戸鉄橋(写真、右)とスカイツリー。
「すみだ川」の標識を見ながらいつも思うことがある。
「すみだ川」は「隅田川」と書く。
「すみだ区」は「墨田区」と書く。
隅田川の堤を「墨堤」と称す。
隅田川の東を「墨東」と称す(古くは、「墨」は「濹」であった)。
何故、「隅田」や「墨田」があるのだろうと、いつも、疑問に思っていた。
墨田区のホームページを開いてみると、「墨田区の名称由来」として、次のような記述があった。
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墨田区は、昭和22年(1947年)3月15日に、北部区域の向島区と南部区域の本所区が一つになって誕生しました。
そのときに、新しい区の名前として「墨田区」と名付けられました。
それは、昔から広く人々に親しまれてきた隅田川堤の通称“墨堤”の呼び名の「墨」からと、“隅田川”の名の「田」からの2字を選んで名付けられたものです.
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更に調べてみると、地名として、「すみだ」は、隅田や墨田の他に、角田、住田とも書かれていたそうである。
また、「すだ」とも言われ、須田、州田と書かれていたそうである。
「すみだ川」も、隅田川の他、墨田川、角田川、住田川、須田川、洲田川とも書かれていたそうである。
区の名前は、昔からある地名の「墨田」ではなく、「墨東」の「墨」と「隅田川」の「田」の合成であることが判った。
「すみだ川」は、隅田川や墨田川などの他、いろんな漢字があったことは判ったが、然らば、何故、「墨田川」ではなく、「隅田川」が最後に残ったのだろうという疑問は未だ解けてはいない。
因みに、江戸時代、隅田川は大川と称されていたと理解していたが、大川は吾妻橋から下流だけを称する名であった、という文献もある。
川の名ひとつ、取っても、その名の由来はなかなか複雑である。
「すみだ川」の標識ひとつから、いろんなことが判った。
フォト:2012年6月10日
(つづく)