平川橋の袂、「太田道灌追慕之碑」から不忍通り「道灌山下」標識を目指し、走る。
「道灌山下」。
都内ポタリングで、幾度もこの標識を見ている。
道灌山というのは不忍通りの左右どちらにあるのだろう?とおぼろげに思いながらも、調べることもなく、月日が過ぎた。
ひとつの標識を見ても、"太田道灌目線"であるかないかで大きく違うのである。
冒頭に綴った通りの調べごとの中で、地図で確認した。
道灌山下交差点を右折し、尾竹橋通りを西日暮里駅方面に向かう。
西日暮里駅の西側で右折し、線路沿いの細い道に入る。
その途端、急な上り坂。
坂を上り切ったところでマップを見る。
道灌山(西日暮里公園)。
「道灌山」/安藤広重「江戸百景」。
その昔、道灌山から荒川や遠く、筑波山の風景を楽しんだとのこと。
「道灌山虫聴き」/尾形月耕「大日本名所図絵 」。
その昔、道灌山は虫聴きの名所であったとのこと。
特に松虫が多かったとのこと。
道灌山のほか、真崎(南千住、白鬚橋の袂)、隅田川東岸(牛島神社あたり)、三河島周辺(荒木田の原あたり)、麻布広尾の原などが虫聴きの名所であったとのこと。
これらの場所はポタリングで通過したことがあるが、虫聴きの名所であるとは知らなかった。
次回、これらの辺りを走るときが楽しみだ。
公園内には数々の図絵や説明書きがある。
説明書きの中で、盛りだくさんのことながらシンプルに書かれているものをひとつだけアップロードしておこう。
道灌山の地名の由来は、大田道灌がこの地に出城をつくったことのほか、新堀(日暮里)の土豪、関道灌が屋敷を構えたとの説もあるとのこと。
日暮里の地名の由来は、この辺りの台地が「ひぐらしの里」と呼ばれ、「新堀」に「日暮里」の文字をあてたといわれているとのこと。
長らくの城勤めの中、登城・下城の途上で日暮里は幾度となく通過しており、日暮里の地名の由来は何だろう?と思い続けていたが、ここで長らくの疑問が解け、すっきりした。
しかも、見事な当て字である。感心した。
この辺りにある三つの寺は、それぞれ、雪見寺、月見寺、花見寺の別名を持っていることは事前の調べで承知はしていたが、こうして実際に道灌山を訪れ、江戸の人々がこの地で楽しんだ様子を想像すると、寺に洒落た別名を付けたことも頷けるのであった。
道灌山から諏訪台通りを南へ進む。
フォト:2012年4月21日
(つづく)