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『上総守が行く!』

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2012年 08月 11日

『柳田國男ゆかりの地を訪ねて/利根町編』 yk-1

利根川左岸サイクリングロードを走る都度、栄橋近く、利根町役場の脇に立てられた「民俗学の父 柳田國男 第二のふるさと 利根町」と大書された看板を見て来た。
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「さて?第二のふるさととは?」と思いながら月日が過ぎた。

2010年11月、「ハリポタ藩/秋の大遠征」で渥美半島を巡った。
伊良湖岬で♪名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ♪の浜辺を見聞した。
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柳田國男は、東京帝国大学2年だった1898年(明治31年)の夏、伊良湖岬に滞在していた折に、岬に流れ着いた椰子の実を見た。
その話を島崎藤村に話したところ、藤村はそれをヒントに、「椰子の実」と題し、詩を綴った。
1936年(昭和11年)、日本放送協会大阪中央放送局で放送中だった『国民歌謡』の担当者が作曲家の大中寅二に藤村の詩「椰子の実」に曲を付すよう依頼し、歌曲「椰子の実」が生まれたのであった。

伊良湖岬から戻った後、早速、「柳田國男 第二のふるさと」を訪ねた。
ポタリング・コースは手賀沼北岸~手賀川左岸~布佐~栄橋~利根町。
走り慣れたコースである。

そして、2年の時を経て、つい先日、民俗学に造詣の深い、盟友 松柏木殿との会話の中で、柳田國男とその長兄、鼎のことが、再び、話題になった。
それを機会として、昨10日、再び、利根町を訪ねた。
ポタリング・コースは、2年前と同じルートであったことは申すまでもなきことかと。

前置きが長くなった。
「柳田國男ゆかりの地を訪ねて」と題し、利根町での見聞を、写真を交え、ここに綴ってみたい。

明治20年(1887年)初秋、イナサ(海からの風)に吹かれ、一日何百という船の白帆が利根川を上ってゆく姿を、あきもせず見つめながら、胸を熱くする一人の少年がいました。
少年の名は松岡國男、13歳、半月ほど前、生まれ故郷の兵庫県神東郡田原村辻川(現神崎郡福崎町)の両親のもとを離れ、この利根川河畔の布川(ふかわ)にやって来たのでした。
そこには一番上の兄、鼎が医院を開いていました。
この兄のもとで二年余を過ごすことになりますが、この間、國男は自由に野山をかけめぐり、また、小川家の蔵書を思う存分読ませて貰うなどさまざまな体験をしました。
その生活の中で抱いた夢がやがて実を結び、昭和24年(1949年)の民俗学会創立、昭和26年(1951年)の文化勲章受賞となってゆきます。
昭和37年(1962年)、88歳でなくなるまでの、その生涯の学問には、この布川での生活体験がつねにひとつの底流となっていました。
(利根町教育委員会・編 『少年柳田國男』より抜粋)
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柳田國男記念公苑(茨城県北相馬郡利根町布川)。
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柳田國男記念公苑は、旧利根町役場跡地に國男が少年時代を過ごした旧小川家を復元したものである。
小川家は、長兄、鼎が離れを借りて、医院を開いていた家である。
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管理人さんに見学の旨を伝え、門をくぐった。
國男少年と同様に、神秘体験が出来るだろうか。
そうしたことを思いながら、苑内を巡った。

フォト:伊良湖岬/2010年11月6日、利根町/2010年11月27日

(つづく)

by kazusanokami | 2012-08-11 08:56 | 柳田國男ゆかりの地を訪ねて


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