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『上総守が行く!』

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2012年 10月 29日

『カズ公の秋の股旅日記/尾道の巻』 am-18

9月29日(土)。
この日から一泊二日の「ハリポタ五周年記念/秋の大遠征/しまなみ海道ポタ」。
集合時間の10時には、まだまだ、時間がある。
旅籠の窓から尾道水道を眺める。
曇りだ。
まだ、台風襲来の予兆はない。
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旅籠の前の、住吉浜へ朝サンに出掛ける。
住吉神社に参拝。
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手水鉢と龍、その向こうに尾道水道と向島。
いい風景だ。
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手水鉢に「角 鰯屋 佐助 弥助 惣兵衛...」と寄進者の名が刻まれている。
「角」の意味は不明ながら、「鰯屋」は肥料の干鰯を扱っていたのであろう。

神社を囲む石塀には、数多の奉納者の名が刻まれている。
南面には、讃州室木 三宅半兵衛、壹州郷之浦 〇〇、唐津呼子 内海屋鉄之助の名が見える。
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西面には、越後糸魚川 寺崎四五エ門、越后青海 渡辺貞エ門などの名が見える。
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この住吉神社について紐解いてみると、「元文5年(1740年)に尾道の町奉行に着任した平山角左衛門は、翌年の寛保元年(1741年)に住吉浜を築造し、尾道発展の基礎を築いた。その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移し、港の守護神とした」とある。
平山角左衛門は、当然のことながら、浅野家本家、芸州浅野藩の家臣である。
奉納者の国許を見ると、讃岐、壱岐、唐津、越後など全国津々浦々。
尾道が北前船で大いに栄えたことが窺える。

嘗ては、住吉浜には雁木が設けられていた。
今は、雁木を模して造られた石段となっている。
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堤防に尾道の数々の歴史が刻まれている。
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「尾道港(住吉浜)」。
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「玉浦絵巻」。
玉浦(ぎょくほ、たまのうら)」は、千光寺にある「玉の岩」の伝承に由来する尾道の雅名である。
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玉浦絵巻は、足利尊氏、足利義満、朝鮮使節、遣明船、北前船、文人尾道、富籤、明治維新、西南戦争、山陽鉄道、太平洋戦争、未来と続く。
その中の一部をアップロードしておこう。
碑文は、入船裕二なる人物によるものである。
「北前船」。
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「山陽鉄道」。
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当時の鉄道敷設の困難さは、海、町、国道、鉄道、山と、今、見る狭隘な地形から想像に難くない。

「太平洋戦争」。
歴史を語る上で、この戦争のことは絶対に外すことは出来ない。
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「未来」。
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瀬戸内の十字路。
なるほど!
東西に瀬戸内海、南北にしまなみ海道。
新しい海道のお陰で、我らは大いに遊べるのである。
平和である。
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朝サンで歴史のベンキョー、こういう散歩は大好きである。
ほとんど、歩いていないので、散歩と言えるかどうかは疑問ながら...。

フォト:2012年9月29日

(つづく)

by kazusanokami | 2012-10-29 23:58 | 旅、旅、旅/いろいろな旅


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