泉岳寺をあとにして、一路、反省会の場、神田「升亀」へ。
一路、神田へと思ったが、矢張り、寄り道がしたくなる。
芝大神宮に立ち寄る。
ここには「め組」の狛犬が鎮座している。
赤穂浪士とは無関係なるも、浅野内匠頭は江戸の防火に熱心であったと云われている。
一説には、浪士たちの討入装束は火事装束であったとも云われている。
それは人目に付いたときのカモフラージュであったとも云われている。
小生も《火事装束説》派である。
新橋・新正堂への立ち寄りも外せない。
新正堂で、先ず、頂戴せねばならないものは、勿論、彼の有名な"切腹最中"!
忠臣蔵に因む”切腹最中”に加え、曲垣平九郎の逸話に因む”出世の石段”など、工夫を凝らして命名された、数々の和菓子がある。
この店の店主殿はなかなかのアイデア・マンなのである。
この日のフォトは、"切腹最中"としたいところながら、故人となった中村勘三郎さんを偲んで、"仮名手本忠臣蔵十二段味こよみ"と致そう。
浅野内匠頭切腹の場、陸奥一関藩田村右京太夫屋敷はここら辺り一帯。
以前、道路脇で見られた「浅野内匠頭終焉之碑」は、現在、道路工事中にて、東京都が預かり中。
その田村邸の庭には、嘗て、大きなお化け銀杏があった。
その後、切り倒され、その跡に「田村銀杏稲荷大明神」が祀られた。
この大明神は道路工事の脇に鎮座していたのだが、今回、訪れた際には何処かへ...。
余談ながら、今年、イタリア人写真家フェリーチェ・ベアトが幕末の頃に愛宕山から撮影した江戸市中のパノラマ写真を見る機会が二度もあった。
そのパノラマ写真に、田村邸のお化け銀杏が写っており、大いに感激したのであった。
新正堂で見た、播州赤穂の義士祭ポスター。
2001年から2003年に亘り、三度、開催された「赤穂義士三百年祭」で、3年連続、三度、赤穂を訪れたことが思い出される。
三度の「三百年祭」とは、元禄14年(1701年)3月14日、浅野内匠頭切腹から300年、元禄15年(1702年)12月14日、赤穂浪士吉良邸討ち入りから300年、元禄16年(1703年)2月4日、赤穂浪士四十六名の切腹から300年ということである。
落ち葉が舞散る、初冬の日比谷公園内を通り抜け、日比谷通りをひた走り、神田へ。
神田「升亀」。
討入凱旋の旅の反省会に、午前、本所松坂町にてカニちゃんこを食した後、東芝対燦鳥闘珠観戦に馳せ参じた武衛殿がそのお仲間、美作守殿、伊勢守殿、信濃伊那守殿を伴って乱入(???)。
討入凱旋組+闘球応援組で「升亀」の宴は大いに盛り上がったのであった。
フォト:2012年12月8日
フォト#1、#5/大給守殿提供
参考文献(?):
自著「赤穂浪士討ち入り凱旋の旅」(2000年版)
・本編
・番外編
自著「赤穂浪士討ち入り凱旋の旅/コースガイド」(2010年版)
・討入凱旋の巻
・お預け四家の巻
・瑤泉院ゆかりの地の巻
・寺坂吉右衛門ゆかりの地の巻
(完)