2013年 04月 26日
瑞泉寺から市街地へ戻る途中、武衛殿曰く「瑞泉寺の近くに、ようふくじ、という寺の跡があったはずなんです」。 「ようふくじ?」。 「永福寺と書きます。頼朝が建立した寺と言われています」。 「そう言えば、瑞泉寺へ向う途中、大きな空き地の前に、町の角々でよく見る鎌倉町青年會の石碑がありましたね」。 「永福寺舊蹟」/鎌倉町青年會。 永福寺舊蹟永福寺 世ニ二階堂ト稱ス 今ニ二階堂ナル地名アルハ是ガタメナリ 文治五年賴朝奥州ヨリ凱旋スルヤ彼ノ地大長壽院ノ二階堂ニ擬シテ之ヲ建立ス 輪奐荘厳洵ニ無雙ノ大伽藍タリキト云フ 享徳年間関東管領ノ没落セル頃ヨリ後全ク頽廃ス 大正九年三月建之 鎌倉町青年會 ------------------------------------ 「二階堂の地名の由来は、永福寺のことやったんですね」と由来好きの上総、納得。 瑞泉寺を訪れる際は、いつも、鶴岡八幡宮から東へ向かい、荏柄天神社、鎌倉宮を抜けていくのだが、鶴岡八幡宮の東から瑞泉寺にかけての住所は「鎌倉市二階堂」なのである。 今回も同じ道を走り、瑞泉寺へ向う道すがら、「二階堂という地名はこの辺りに二階建ての寺があったからとのことのよう。寺の名は思い出せませんが」と話していたところであったので、瑞泉寺の帰りに、即、答えが出てスッキリ! 流石、「吾妻鏡」を愛読書とし、源頼朝の別名である「武衛」をハンドルネームとする武衛殿、よくぞ、永福寺跡のことに気付いてくれた。 感謝、感謝! 「国指定史跡 永福寺跡」/鎌倉市教育委員会。 国指定跡 永福寺跡(昭和42年6月19日指定) 永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なきさまに感激した平泉の二階堂大長寿院を模して建久3年(1192年)、工事に着手しました。 鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を配した庭園の跡を確認しました。 堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られました。 市では昭和42年度から土地の買収を行っており、今後は史跡公園としての整備事業を進めていく予定です。 平成13年10月 鎌倉市教育委員会 ----------------------------------------- 「昔の人は祟りを恐れて、こうした寺院を建立し、鎮魂したということですね」と武衛殿。 菅原道真然り、平将門然り、崇徳上皇然り。 説明板近くのテニスコートに沿って高台へ行ける道があるという。 里山の未舗装といった感じの道を走る。 高台へ上る道に至る。 jitensha を止め、徒歩で上る。 高台から永福寺跡を眺める。 我々は南西の位置に居る。 写真手前から、阿弥陀堂、二階堂、薬師堂となる。 大きな池は写真右手に広がる空き地にあったということになる。 空き地の道沿いに加え、高台にも説明書きがある。 説明書きに添えられた復元図と復元工事中の光景を見比べる大給殿と武衛殿。 国指定跡 永福寺跡(昭和41年6月14日指定) 永福寺は源頼朝が建立した三大寺院の一つです。 奥州平定(文治5年(1189年))で犠牲となった源義経や藤原泰衡らの霊を供養するため、奥州の地で検分した中尊寺大長寿院二階大堂や毛越寺などを模した壮大な寺で、建久5年(1194年)に中心伽藍が完成したと伝えられています。 中心伽藍は二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の三堂で、それぞれに各三人の有力御家人を奉行として置き、京都から招いた庭師に造らせた庭園は広い苑地に自然石を配した見事なもので、往時には鎌倉きっての名勝地とうたわれていました。 13世紀の中頃、大規模な改修が行われ、鎌倉時代の後半に何度か焼失したものの再建されましたが、鎌倉幕府滅亡後も鎌倉公方の足利氏によっで保護されました。 しかし、応永12年(1405年)の火災による焼失以後は再建が行われず、江戸時代の初め頃には廃寺となってしまいました。 発掘調査により、前面に池を配し、阿弥陀堂・二階堂・薬師堂が一直線で廊でつながり、翼廊というL字形の廊を配した南北130mに及ぶ中心伽藍が発見されました。 堂の配置は独特のもので、池に配された庭石の規模も非常に大きく、鎌倉幕府の独創性と権威を表す寺として注目されています。 永福寺跡は、今後、史跡公園として整備し、公開していく予定です。 鎌倉市教育委員会 ----------------------------------------- 説明書きに添えられた復元図(画像作成:湘南工科大学 長澤研究室)をアップで。 瑞泉寺は復元図の右手のずっと奥の紅葉ケ谷に位置している。 因みに、電脳網で「永福寺 復元図」で検索してみたところ、鎌倉市と湘南工科大学との協働による「『国指定史跡永福寺跡』のコンピュータグラフィクによる復元」なるサイトが現れた。 カラーによる復元図である。 往時の様子が十分に偲ばれる、立派な復元図である。 「説明書きが三つもあり、よくベンキョー出来ました」。 「大正時代の、鎌倉町青年會の石碑は簡潔な記述。各所でこの石碑を見ます。当時の鎌倉町青年會はいい仕事をしていますね」。 「鎌倉市は永福寺跡に随分と力を入れていますね」。 「土地の買収は大変のよう。空き地にはまだ一軒、家が残っているようだし」。 「史跡公園が出来ると人が集まる。人が集まるのはいいのですが、混み合うのは嫌ですね。この辺りは観光客は少なく、静かなので」。 「永福寺は源頼朝が建立した三大寺院の一つとありますが、残り二つは何処なんでしょうね」。 「調べておきましょう」。 こうやってブログを綴りながら気になったことが一つある。 それは鎌倉市教育委員会の説明板にある「国指定」の年月日だ。 道沿いの説明板では「昭和42年6月19日指定」、高台の説明板では「昭和41年6月14日指定」となっており、1年食い違っており、月は6月で同じだが、日は数日異なっている。 調べてみたところ、鎌倉市のHPでは、国指定のことに触れられているが、その年月日は書かれておらず、「市では昭和42年(1967年)からこの土地の公有地化を進めており」との記述がある。 国の指定がなされ、公有地化が始まったと考えるのが妥当であろうから、国指定は「昭和41年6月14日」と考えておこう。 些細なことと思う一方、斯様なことが気になる性質なので仕方がない。 年月日を間違えるということは、説明書きの内容にも間違いがあるのではないかとの疑いも出て来ようから、教育委員会さん、しっかり、よろしく、と申しておきたい。 高台から「今日の jitensha」。 集合場所で『今日の jitensha』を撮ることが恒例となっているのだが、北鎌倉駅で撮り忘れた。 そのことを大給殿に伝えたところ、高台から撮った写真がちゃんとありますよ、とのことで頂戴した写真である。 抜かりのない大給殿に感謝! 何も知らずにいつも素通りしていた永福寺跡に立ち寄ることが出来たのは、武衛殿のお陰。 「吾妻鏡」を愛読書とする武衛殿は、鎌倉ポタリングに欠かせない存在なのだ。 武衛殿に感謝! 後日、武衛殿から「源頼朝が建立した三大寺院は、鶴岡八幡宮、永福寺、勝長寿院。勝長寿院は大御堂の名前で記憶されていて、永福寺跡から至近に遺跡あり」との電子飛脚便が遣わされた。 鶴岡八幡宮は現在は神社であるが、元々は神宮寺として創建され、明治時代初めの廃仏毀釈により神社になったものだ。 また、鎌倉には勝長寿院を偲ばせる「大御堂」の地名もある。 次回は大正時代に鎌倉町青年會が設けた「大御堂」の石碑を探しにいきたいと思っている。 フォト:2013年4月13日 フォト#7:大給守殿提供 (つづく)
by kazusanokami
| 2013-04-26 23:58
| 湘南鎌倉ポタリング
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