芝川サイクリングロードを走る。
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芝川。
地理的には;
埼玉県桶川市末広を発する流れと桶川市小針領家を発する湧水が芝川の源流とされ、この2本の流れが上尾市本町の一本杉橋の北側で合流し、東南に流れる。
さいたま市の見沼田圃を流れ、川口市に入り青木水門で芝川と新芝川(芝川放水路)に分かれる。
川口市南端の領家水門で新芝川と再合流し、芝川水門で荒川(荒川放水路)に注ぐ。
歴史的には:
さいたま市東部に存在した沼地である見沼に注ぎ、見沼から流れ出て荒川に注いでいた川が芝川の原形である。
江戸時代のはじめに、関東郡代の伊奈忠次によって溜井(ため池)に改修されていた見沼が、1727年に干拓されて見沼田圃(見沼たんぼ、さいたま市見沼区、緑区)になると、排水路として見沼田圃の最も低いところが開削されて、現在の芝川の河道がつくられた。
更に、その下流も改修されて、芝川は江戸と干拓地を繋ぐ通船路としても用いられた。
別名、悪水、見沼中悪水路といわれたが、ここでの悪水は汚い水の意ではなく農業用水でない水という意である。
近代には、荒川放水路掘削に関連して下流に手が加えられ、1965年に新芝川(芝川放水路)が作られた。現在、新芝川を芝川の本流としているため、青木水門から先の芝川は「旧芝川」と呼ばれている。
(出典:ウィキペディア)
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数年前の小貝川ポタでベンキョーした関東郡代の伊奈忠次の名がここでも登場した。
伊奈忠次が関わった見沼も訪ねることとなっている。
江戸と干拓地を繋ぐ通船路も訪ねることとなっている。
書物で知ったことをこの目で見る。
これ、楽しみなことである。
今日の jitensha@芝川マリーナ&オオカンザクラ。
川沿いであってもマリーナとはこれ如何に、なーんちゃって。
「キューポタ、撮りました」と大給守さん。
「外環が見えて来ましたね」。
「証拠写真、撮っておきましょう」。
何の証拠写真かは分からないが...。
四輪を運転中に車窓から自転車道が見えることがあり、そんなことも四輪を運転しているときの楽しみであるが、外環(東京外環状自動車道路)は防音壁を覆われており、車窓から芝川CRは見えない、つまらない(???)道路である。
在家橋で芝川CRから外れ、川口盆栽村へと向う。
フォト:2014年3月22日(フォト#1、#3/大給守殿提供)
(つづく)