「伊能忠敬さんの墓参りに付き合って貰えますか」、「うん!「行きましょう」。
伊能忠敬旧宅から数キロ離れた、伊能家菩提寺である観福寺へと向う。
観福寺。
山門と桜。
伊能忠敬墓と桜(観音堂の屋根の辺りにうっすらと)。
「こちらの墓は遺髪と爪が埋葬されているそうです。本当の墓は東上野の源空寺にあります。伊能忠敬の遺言で、生涯、師と仰いだ高橋至時(よしとき)の隣に建てられています。高橋至時はシーボルト事件に関わった高橋景保のお父さん。高橋至時、伊能忠敬、高橋景保が『大日本沿海輿地全図三人頭』。東上野の源空寺へは、また次の機会に案内します」。
本堂。
山門(内側)と桜。
2009年9月23日、同地を訪ねたときのことを綴った同年10月22日付ブログ『伊能忠敬敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/下総国佐原村編』(第21話) を紐解いてみた。
「モミジの多い、お寺。秋が深まれば、美しい紅葉を見ることが出来るお寺かと。紅葉の頃に、再訪を思いながら、観福寺を後にした」とある。
以来、紅葉の季節には訪れていないが、今回、桜の頃に訪れることが出来た。
因みに、伊能忠敬さんの墓参りは、2010年1月に、盟友、大給守さんと佐原を訪ねたときの墓参も含め、これで三度目となった。
「さて、佐原はこれで終わりですが、香取神宮にお参りしましょうか」。
「うん!そうしましょう」。
「では、香取神宮に参拝し、そのあと、利根川の畔にある津宮の鳥居を訪ねましょう」。
更に続けて、「利根川の舟運に携わる人たちは舟から津宮の鳥居に向って拝めば、香取神宮に参拝したのと同じということだそうです」と講釈を垂れる。
フォト:2014年3月29日
(つづく)