人気ブログランキング | 話題のタグを見る

『上総守が行く!』

kazusanokm.exblog.jp
ブログトップ
2014年 04月 24日

『太田道灌ゆかりの地を訪ねて/鎌倉の巻/英勝寺』

2年前、「太田道灌ゆかりの地を訪ねて」と銘打ち、都内をポタリングした。
そのときのことを「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/江戸の巻」と題し、2012年7月22日から28日にかけて全七話の連載でブログに綴った。
今月7日、「皇居乾通り一般公開」で普段は見ることの出来ない「道灌濠」を見たので、4月23日付で「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/江戸の巻/皇居、道灌濠」を綴った。
これを綴りながら、そういえば、鎌倉の太田道灌ゆかりの地、英勝寺を訪ねたこともあったが、「太田道灌ゆかりの地を訪ねて」シリーズとしてはアップロードしていないなと思い、以前、綴ったブログを紐解いてみたところ、2012年12月27日付『ちょいと遅めの鎌倉紅葉狩り/英勝寺、太田道灌』に縷々綴られていた。
流行り(???)のコピペでここに貼り付けておこう。
丸々そのままの転載だが、自前の書き物だから問題はなかろう。

quote
鎌倉五山のひとつ、北条政子と源実朝ゆかりの地、寿福寺から、太田道灌ゆかりの地、英勝寺へと向う。
向うといっても、寿福寺とは然程離れては居らず、ほぼ、隣り合わせの距離である。

浄土宗東光山英勝寺。
「太田道灌邸舊蹟」の碑。
『太田道灌ゆかりの地を訪ねて/鎌倉の巻/英勝寺』_a0104495_120276.jpg
------------------------------------
此ノ地ハ武略文藻兼備ヘ忝クモ武蔵野は萱原の野と聞きしかとかかる言葉の花もあるかなテフ叡感ニサエ預リタル道灌太田持資ガ江戸築城前ノ邸址ナリ
寛永十一年今ノ英勝寺ト為ル
其ノ創立者水戸藩祖頼房ノ准母英勝院ハ道灌ノ嫡流太田康資ノ女ナルヨリ晩年将軍家光ヨリ特ニ此ノ地ヲ授リテ之ニ住スルニ至レルナリ
孤鞍雨ヲ衝イテ茅茨を叩ク少女為ニ遣ル花一枝ノ詩趣アル逸話ハ道灌ガ壮年猶此ニ在リシ日ニ於テ演ゼラレシ所ノモノナリ
大正十三年三月建之 鎌倉町青年會
--------------------------------------
刻まれた碑文は文節の区切りがないが、読み下し易くするために筆者が勝手に文節を区切ったことを申し添えておきたい。
大正13年(1921)年に刻まれた碑文であるが、少々、難解である。
上総流に読み下してみた。
--------------------------------------
この地は、軍略と文才を兼ね備え、「武蔵野は 萱原(かやはら)の野と聞きしかど かかる言葉の花もあるかな」と天皇からもお誉めの言葉に預かる程の人であった道灌、太田持資(幼名/鶴千代、諱/持資(もちすけ)、資長(すけなが)、法名/道灌)が、江戸城を築く前に住んでいた屋敷跡である。
寛永11年(1634年)に、現在の英勝寺となった。
英勝寺は、水戸藩の祖、徳川頼房の乳母であった英勝院によって建てられた。
その英勝院は、道灌の子孫である太田康資(やすすけ)の娘で、晩年、徳川家光から特にこの地を授り、ここに住んでいたのである。
太田道灌が一人で馬に乗り、雨の中を駈け、萱葺きの人家の前で雨具を乞うと、少女が山吹の花一枝を差し出したという故事は、この場所に住んでいた頃の逸話である。
---------------------------------------
大好きな(???)ウィキペディアを紐解くと「徳川家康の側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めた。家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建した」とある。
「太田道灌邸舊蹟」の碑文がぐっと分かり易くなった。

太田家について、少し触れておきたい。
関東管領上杉氏は、幾多の変遷を辿り、山内上杉家・犬懸上杉家・宅間上杉家・扇谷上杉家に分かれた。
扇谷上杉家の家宰(家老)の職にあったのが太田道灌ならびにその父祖であり、その居をこの地に構えていたのである。
碑には「山吹の里」伝説も刻まれているが、その伝説は各地にある。
それについては、既に、マイ・ブログの2012年7月27日付「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/江戸の巻」第6話で触れたこともあるので、ここでは割愛したい。
なお、同7月28日付第7話の末尾に「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/岩槻の巻」近日公開!と、随分と張り切った予告をしているが、6月8日に"取材"した「岩槻の巻」は未だ手付かずとなっている。
今回の鎌倉、そして、何れ、訪れる伊勢原の道灌まつりなどと共に岩槻の巻も綴ってみたい。
フォト:2012年12月23日
unquote

尚書きで「同7月28日付第7話の末尾に「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/岩槻の巻」近日公開!と、随分と張り切った予告をしているが、6月8日に"取材"した「岩槻の巻」は未だ手付かずとなっている。今回の鎌倉、そして、何れ、訪れる伊勢原の道灌まつりなどと共に岩槻の巻も綴ってみたい」と記している。
鎌倉はこのブログで一先ず終わった。
伊勢原の道灌まつりはまだ訪れていない。
岩槻はタイミングを失し、お蔵入りのままとなっている。
丁度、今、太田道灌ゆかりの花、山吹の咲く季節でもある。
蔵出しで「岩槻の巻」を綴ってみることにしよう。

(鎌倉の巻/英勝寺《完》)

by kazusanokami | 2014-04-24 00:24 | 太田道灌ゆかりの地を訪ねて


<< 『太田道灌ゆかりの地を訪ねて/...      『太田道灌ゆかりの地を訪ねて/... >>