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『上総守が行く!』

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2009年 05月 18日

『燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅』 si-4

「上総殿、そろそろ昼餉を」。
「然様ですな。あちらに"城山公園"との標識。弁当を購い、公園で食しまするか」。

「そこの御女中、ちと、ものをお尋ね致すが、この辺りに弁当屋かコンビニは御座りませぬか」。
「弁当屋もコンビニも御座りませぬが、お弁当なら、駅のkioskか駅前の食堂に」。
「忝い」。

再び、商店街を通り、駅前の食堂で幕の内弁当を購い、城山公園へ。

上り坂がきつかった!
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ほぼ、頂上近くで「城への近道」の標識に誘惑され、そこで駐輪し、階段を上がり、ズルを(但し、ズルをしたのは上総のみです)。
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城を眺めながら、幕の内弁当を頂戴しましt。
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『燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅』 si-4_a0104495_17142288.jpg

川之江城。
南北朝時代(1337年/延元2年)、土肥義昌が、元々、仏堂のあった山に築城したことにより、「仏殿城」と称された城。
南北朝時代以降、幾多の戦乱に巻き込まれたが、豊臣秀吉の四国平定の後、廃城。
城の一部は松山城の築城に使われたとも言われている。
以来、築城されることはなかったが、旧・川之江市制30周年記念事業として、1986年に復元された。

北の眺め、燧灘。
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西の眺め、製紙工場。
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南の眺め、四国山脈。
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東の眺め、遠く、荘内半島。
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(つづく)

by kazusanokami | 2009-05-18 22:05 | 燧灘ポタリング


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