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『上総守が行く!』

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2009年 07月 29日

『都内ビル日陰ポタ/慈眼寺』 mp-5

染井霊園脇を走り、慈眼寺(じげんじ)に到着しました。
『都内ビル日陰ポタ/慈眼寺』 mp-5_a0104495_2017116.jpg
『都内ビル日陰ポタ/慈眼寺』 mp-5_a0104495_20172752.jpg

慈眼寺の墓地の入り口の案内書きには、当寺に墓のある著名な人物のあらましが書かれていました。
先ほど、染井霊園の案内板で見た谷崎潤一郎については書かれていませんでしたが、新たに斉藤鶴磯なる人物の名が出て来ました。
『都内ビル日陰ポタ/慈眼寺』 mp-5_a0104495_20181083.jpg

墓地内を暫く歩くと、芥川龍之介の墓の場所を矢印で示す札が立てられていました。
芥川龍之介の墓前で合掌。
芥川比呂志、也寸志の名も墓誌に刻まれていました。合掌。

更に奥へ歩くと司馬江漢や斉藤鶴磯の墓の場所を示す札も立てられていました。

さて、小林平八郎の墓は?と思うも、その場所を示す札は見当たりません。
墓地内をぐるっと回り、墓に刻まれた名前をひとつずつ見ていきました。
墓を示す立て札はありませんでしたが、谷崎潤一郎の墓を見つけました。合掌。

しかし、幾ら探しても、小林平八郎の墓は見当たりません。
寺に向かい、受付の人に尋ねたところ、「司馬江漢の右隣」と教えて貰えました。

再び、墓地へ。
ありました!! 先ほど、墓地内は"予習"済みでしたので、当然ですが...。
『都内ビル日陰ポタ/慈眼寺』 mp-5_a0104495_20182391.jpg

「小林平八郎平央通霊廟」と刻まれていました。合掌。

「央通(ひさみち)」は、吉良上野介義央が「義央(よしひさ)」の一文字を取り、小林平八郎に与えた名と言われており、これは理解出来ますが、「央通」の前の「平」と読み取れ文字の意味がよく分かりません。

暑さのため、この「平」と思われる文字の意味するところを推測する集中力もなく、また、いつもは墓の側面や背面の文字を書き取ったりしますが、その気力もありませんでした。

今回は墓の場所が分かっただけでも有難いこと、この「平」は後日の“宿題”とし、慈眼寺を後にしました。

小林平八郎については、既に訪ねた吉良家菩提寺/華蔵寺(愛知県幡豆郡吉良町)、清水一学の墓/円融寺(同)、吉良家江戸菩提寺/功運寺(東京都中野区上高田)、吉良義周の墓/法華寺(長野県諏訪市)や何度も訪れた本所松坂町吉良邸跡(東京都墨田区両国)などと共に「赤穂浪士討ち入り凱旋の旅/番外編/吉良家ゆかりの地を訪ねて」の中で何れ綴ってみたいと思っています。

フォト:2009年7月25日

(つづく)

by kazusanokami | 2009-07-29 20:45 | 都内ポタリング


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