『上総守が行く!』

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2009年 10月 09日

『伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/常陸国上平柳村編』 im-14

間宮林蔵記念館で、展示物を拝見。
写真撮影は禁止、幾つかをメモしました。
帰路、記念館の入り口で良き小冊子を見つけました。
「児童用」と小さく、表紙に書かれた、「間宮林蔵物語」。
何でも欲しがる小生、館長さんに「これ、子供さん用のものながら...」とお願いし、一冊、頂戴しました。
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早速、生家の軒下でカメラに収めました。
伊奈町(現・つくばみらい市)は顕彰事業として記念館を建設。
入館料無料、加えて、こうした立派な小冊子も作り、これも無料。
無料だからよいというものではありませんが、文化を大切にする、郷土の偉人に敬意を持って接する/接して貰うなど、伊奈町の気持ちが伝わって来て、好感が持てます。

記念館の入り口には、こんなものも。
小生、こういうものも好きなんです。
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生家の近くには、こんな看板も。
「科学博」とは、1985年の「筑波科学万博」のことのよう。
大イベントで、林蔵さんも一役、かったようです。
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左、生家。
林蔵さんは、子供の頃、こんなところを走り回って遊んでいたのかも...。
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「上平柳」、しっかりと昔の地名を継承しています。
後方は、籾殻の山。
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水神宮。
小貝川沿いを走っていると、このような水神宮を時折、見掛けます。
暴れ川、小貝川を守っているのでしょう。
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林蔵さんは、幼少の頃、こうしたところでを過ごしたんだ、と思いながら、上平柳村をあとにしました。

第12話で、「記念館前の間宮林蔵立像の台座に刻まれた『...幼少より才気煥発...』の言葉は、小生が抱いていた疑問に対する答えのヒントになっています。詳しくは、後述で...。」と書きました。

これについて、少し長くなりますが、ここで記します。

間宮林蔵は農民の出でありながら、何故、幕府に重用され、下役人ながら武士となったのか。
これが小生の最大の疑問でしたが、間宮林蔵記念館の展示物を眺め、おおよそのことが判りました。

先ず、判ったことは、間宮林蔵には武士の血が流れているということでした。

間宮林蔵の祖先、間宮隼人は小田原北条氏に仕えた武将、間宮豊前守康俊の末子で、豊臣勢との小田原の合戦で敗れた後、ここ、常陸国上平柳村に逃れ、土着帰農。林蔵は隼人から数えて、八代目である。

次に判ったことは、林蔵は子供の頃から神童と言われていたということでした。

遊びの中、竹竿を持ち、木の高さ、川の深さ、道の長さなどを測っていたそうです(どこにそんな資料が残っているのかは不明ながら...)。

14歳の頃には、数理の天才と言われ、隣村の中平柳村の海老原塾で算盤を習い、師の説く「二一天作の五」(10÷2=5)を即座に理解したとのこと。

15歳のとき、林蔵の家から約2km近く下流の小貝川の堰止め工事が難航している状況を見、優れた創意を示して工事の進捗に貢献し、幕府の役人を驚かせ、林蔵が江戸に出る機縁となったとのこと。

どのような優れた創意を示したかは、記念館の展示では触れられていませんでしたが、才気溢れる15歳の少年、否、武士であれば元服の齢、才気溢れる若者であったのでしょう。

因みに、記念館に置かれたいた子供向けの小冊子「間宮林蔵物語」では、「家は農家でしたが、箍(たが)も作っていました」とあり、また、竹籠を利用した築堤の様子が描かれたりしていますので、竹籠や土嚢の大きさや量などを寸時のうちに計算したのかもしれません。
(後刻、訪れた「岡堰中の島」での説明書きで、「間宮林蔵と岡堰/少年間宮林蔵が築留工法によって、その才能が認められ...」と述べられていました。)

同じく、15歳のとき、「隣村、狸渕の名主、飯沼甚兵衛の養子となる」と記念館の展示には書かれていますが、その理由は触れられていませんでした。

小貝川の堰の普請で、幕府の役人に重用され、江戸に出る際、格を上げるため、名主の子となったのかもしれません。

因みに、隣村の「狸渕」は、小生が、先ほど、小貝川に架かる稲豊橋を渡り、右折した辺りです。

小生の疑問が解けたところで、次は、林蔵さんの人生の、大きなターニング・ポイントとなった「岡堰」です。

フォト:2009年9月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-10-09 20:07 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(2)
Commented by imba_potter at 2009-10-13 21:50 x
小さい頃の林蔵さんが今でも現れそうな風景ですね。自分が育った場所もこの様な景色でしたので、格別な懐かしさを感じます。
Commented by kazusanokami at 2009-10-14 06:31
印旛歩駄守殿 
昨夕、みちのく行脚より帰館申し候。
林蔵さんの育ったところをこの目で見て、「現場主義」を実行致し候。
みちのく行脚で感じたこと、それは、日本の原風景は未だあちらこちらに残り居る事に候。
勿論、常陸国上平柳村も...。


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