2009年 10月 09日
間宮林蔵記念館で、展示物を拝見。 写真撮影は禁止、幾つかをメモしました。 帰路、記念館の入り口で良き小冊子を見つけました。 「児童用」と小さく、表紙に書かれた、「間宮林蔵物語」。 何でも欲しがる小生、館長さんに「これ、子供さん用のものながら...」とお願いし、一冊、頂戴しました。 伊奈町(現・つくばみらい市)は顕彰事業として記念館を建設。 入館料無料、加えて、こうした立派な小冊子も作り、これも無料。 無料だからよいというものではありませんが、文化を大切にする、郷土の偉人に敬意を持って接する/接して貰うなど、伊奈町の気持ちが伝わって来て、好感が持てます。 記念館の入り口には、こんなものも。 小生、こういうものも好きなんです。 生家の近くには、こんな看板も。 「科学博」とは、1985年の「筑波科学万博」のことのよう。 大イベントで、林蔵さんも一役、かったようです。 左、生家。 林蔵さんは、子供の頃、こんなところを走り回って遊んでいたのかも...。 「上平柳」、しっかりと昔の地名を継承しています。 後方は、籾殻の山。 水神宮。 小貝川沿いを走っていると、このような水神宮を時折、見掛けます。 暴れ川、小貝川を守っているのでしょう。 林蔵さんは、幼少の頃、こうしたところでを過ごしたんだ、と思いながら、上平柳村をあとにしました。 第12話で、「記念館前の間宮林蔵立像の台座に刻まれた『...幼少より才気煥発...』の言葉は、小生が抱いていた疑問に対する答えのヒントになっています。詳しくは、後述で...。」と書きました。 これについて、少し長くなりますが、ここで記します。 間宮林蔵は農民の出でありながら、何故、幕府に重用され、下役人ながら武士となったのか。 これが小生の最大の疑問でしたが、間宮林蔵記念館の展示物を眺め、おおよそのことが判りました。 先ず、判ったことは、間宮林蔵には武士の血が流れているということでした。 間宮林蔵の祖先、間宮隼人は小田原北条氏に仕えた武将、間宮豊前守康俊の末子で、豊臣勢との小田原の合戦で敗れた後、ここ、常陸国上平柳村に逃れ、土着帰農。林蔵は隼人から数えて、八代目である。 次に判ったことは、林蔵は子供の頃から神童と言われていたということでした。 遊びの中、竹竿を持ち、木の高さ、川の深さ、道の長さなどを測っていたそうです(どこにそんな資料が残っているのかは不明ながら...)。 14歳の頃には、数理の天才と言われ、隣村の中平柳村の海老原塾で算盤を習い、師の説く「二一天作の五」(10÷2=5)を即座に理解したとのこと。 15歳のとき、林蔵の家から約2km近く下流の小貝川の堰止め工事が難航している状況を見、優れた創意を示して工事の進捗に貢献し、幕府の役人を驚かせ、林蔵が江戸に出る機縁となったとのこと。 どのような優れた創意を示したかは、記念館の展示では触れられていませんでしたが、才気溢れる15歳の少年、否、武士であれば元服の齢、才気溢れる若者であったのでしょう。 因みに、記念館に置かれたいた子供向けの小冊子「間宮林蔵物語」では、「家は農家でしたが、箍(たが)も作っていました」とあり、また、竹籠を利用した築堤の様子が描かれたりしていますので、竹籠や土嚢の大きさや量などを寸時のうちに計算したのかもしれません。 (後刻、訪れた「岡堰中の島」での説明書きで、「間宮林蔵と岡堰/少年間宮林蔵が築留工法によって、その才能が認められ...」と述べられていました。) 同じく、15歳のとき、「隣村、狸渕の名主、飯沼甚兵衛の養子となる」と記念館の展示には書かれていますが、その理由は触れられていませんでした。 小貝川の堰の普請で、幕府の役人に重用され、江戸に出る際、格を上げるため、名主の子となったのかもしれません。 因みに、隣村の「狸渕」は、小生が、先ほど、小貝川に架かる稲豊橋を渡り、右折した辺りです。 小生の疑問が解けたところで、次は、林蔵さんの人生の、大きなターニング・ポイントとなった「岡堰」です。 フォト:2009年9月22日 (つづく)
by kazusanokami
| 2009-10-09 20:07
| 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
全体 百日紅 花 富士山 笠間焼 鳥 虫 映画 風景 ヒト 旅、旅、旅/いろいろな旅 名所旧跡 jitensha カメラ 河童 ペンギン 飲み物 音楽 港 エピソード トンボ 蓮、睡蓮 しまなみ海道2007 食 江戸川ポタリング 赤穂浪士討入凱旋の旅 湘南鎌倉ポタリング Vietnam 橋梁 荒川ポタリング 植木市 片鉄ロマン街道ポタリング 坂越ポタリング 奈良ポタリング(2008年、2010年) トルコの旅 花鳥風月 都内ポタリング 牛久ポタリング リバー&ウォーターフロント カウパレード 多摩川ポタリング 青梅の旅 或る町kb つくば りんりんロード うなぎ ポタリング 或る町ykhm 本埜村”白鳥の郷”ポタ 印旛沼、佐倉、検見川浜の旅 霞ヶ浦ポタリング チーズ・フォンデュ・ポタ 京都ポタリング 三浦半島ポタリング 玉川上水・多摩湖自転車道 燧灘ポタリング 生野ポタ 小貝川ポタ J. コンドルゆかりの地を訪ねて 手賀沼 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング 南房総の旅 北総の旅 琵琶湖ヴァーチャル・ポタ 琵琶湖周遊 カワセミ 八重山諸島ポタリング トリ、撮り三昧ポタ 灘五郷酒蔵めぐり 吉備路ポタ 東京スカイツリー 伊豆大島ポタ 伝説 松江の旅 上総の昼餉散歩 秋の"野点"ポタ2010 西国の旅2010 坂東太郎下流の旅 箱根越え/NOVOLTA大作戦 龍野ポタリング 龍 deep sympathy NZ 紀行 宇治に遊ぶ 京都・伏見ポタリング 大阪・堺ポタリング 下野国ポタポタリング はにわ街道を行く 大江戸大周遊 エッセイ 渥美半島、伊勢参り&神島ポタ 鷹の爪日記 能登のたび 秋の"野点"ポタ2011 しまなみ海道2011 赤穂浪士討入凱旋の旅 或る町 aks 心象風景 北条鉄道沿線ポタリング 世田谷寺社めぐり 赤穂浪士討入凱旋の旅<番外編> 花見2012 ばるびぞん村 北印旛沼CR復旧工事状況報告 太田道灌ゆかりの地を訪ねて 柳田國男ゆかりの地を訪ねて 夏の股旅日記2012 秋の股旅日記2012 几号水準点探索 カヤック談義 天空ポタ/究極の下りま専科2013 しまなみ海道2013 将門の郷ポタリング 彩の国ポタリング 未分類 以前の記事
2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 フォロー中のブログ
maruchanchiの... 気分は、四十路ミセスの自... 摂津守参上! モノクロとロクロクの日々 印旛沼ポタリング日記 里山巡り maruchanchiの... 龍人鳥の徒然フォト日記 パコのサンチャゴ巡礼日記 上総守が行く!(二代目) メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
流山(12)
千住界隈(10) 龍(6) 奥の細道(5) シンガポール(4) コンスタブルの里(3) 本因坊秀策囲碁記念館(3) 鳥(2) オリンピック(2) 隅田川(2) 狛犬(2) 睡蓮(2) 藕糸蓮(2) ホテイアオイ(2) キューピッド(2) 東京駅丸の内駅舎(2) 三社祭(1) オオタカ(1) カワセミ(1) セピア色(1) その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||