2009年 10月 15日
新岡堰を渡り、小貝川右岸へ。 小貝川右岸のこの辺りは、古くは「山王村」となっている資料もありますが、併合に併合を重ねているので、念のため、取手市埋蔵文化財センターに電話で確認したところ、江戸時代は下総国相馬郡岡村、その後、明治になり、相馬郡は南と北に分離され、南相馬郡は千葉県に、北相馬群は茨城県に編入となり、茨城県北相馬郡岡村は併合を重ね、茨城県北相馬郡山王村、北相馬郡藤代町、そして、現在は取手市岡となっている由。 これで、「岡堰」の名の由来がよく分かりました。 岡堰中の島橋。 岡堰中の島橋を渡ると、間宮林蔵立像や岡堰の説明書き、旧岡堰の遺構などが目に入って来ました。 新岡堰を背に、そして、やや上流の、旧岡堰のあった辺りに向いて立っている、間宮林蔵像。 立像の脇の碑、「間宮倫宗先生發祥地」。 国土交通省下館河川事務所による説明書き。 岡堰の昔の絵図。 薄くて見辛いですが、手前の土手から中の島の間に堰が、そして、中の島から対岸の間にも堰があります。 川は上流から大きく蛇行しています。 説明書きには、「人」について次のように記されています。 =伊奈忠治と岡堰= 江戸時代、関東郡代となった伊奈忠治は小貝川の改修工事を行いました。 小貝川の改修工事は、利根川を銚子に付け替える東遷事業の一環として行われたものでしたが、小貝川は鬼怒川と切り離されることで、川筋が一定となり、寛永7年(1630年)には岡堰が設けられました。 萱と竹を使った「伊奈流」は苦労の末につくられた独特の工法で、昭和初期まで人々は堤防や堰の決壊時に、この伝統的な工法で危機を乗り切ってきました。 伊奈忠治は、流域の水源として、小貝川に次々と堰を築造しました。 岡堰上流の谷和原に「福岡堰」、下流に「豊田堰」を築造し、江戸初期に完成させたこれらの堰は「関東三大堰」と呼ばれています。 =間宮林蔵と岡堰= 間宮林蔵は、小貝川沿いの伊奈町(現つくばみらい市)が生んだ偉人です。 少年間宮林蔵は築溜工法によってその才能が認められ、偉大な測量探検家として成長していった、その原点は岡堰にあると語り継がれています。 また、説明書きには、「歴史」について次のように記されています。 =明治期の岡堰= 明治31年(1898年)、洪水により損壊した翌年、十二連のレンガ堰とレンガ洗堰に増改築され、様式工法により近代化した岡堰として生まれ変わりました。 完成したレンガ堰は、有効幅員1.8メートル(十二連)のレンガ堰枠と有効幅員5.6メートル(四連)の洗堰の威容と美観は見事で「関東花見記」のトップに載る景観でした。 =昭和期の岡堰= 昭和の岡堰の大改修は、昭和12年(1937年)に着手し、太平洋戦争の終わった翌年の昭和21年(1946年)、コンクリート可動堰に生まれ変わりました。 可動堰は、長さ63メートル、幅13メートルの引上扉式で、扉は鋼製。洗堰の長さは100メートル、幅19メートルの越流固定式でした。この越流堤を流れる水は白滝のような流れで、素晴らしい流れだったそうです。 =現代の岡堰= 昭和の大改修から50年を経た昭和55年(1980年)、前面可動堰に改築されることとなりました。可動堰の長さは300メートル、管理橋、魚道などの設計が完成、昭和58年(1983年)10月着工、平成8年(1996年)に現在の岡堰が竣工しました。 公園内には、説明書きに照らすと、「明治期の岡堰」や「昭和期の岡堰」の遺構と思われる建造物が”展示”されており、これらの遺構も岡堰の今昔を語っていました。 レンガ造りの遺構。 説明書きでは「昭和三十五年三月竣工」には触れられていませんが、岡堰の遺構のひとつと思われます。 昭和期の遺構と思われます。 現在の岡堰。 岡堰の設計に携わった技師たちを顕彰する碑(のようです)。 岡堰中の島から上流方面を眺める。 緑地に見えるところは、増水時の遊水地になるのでしょう。 左手向こうの木立のあるところが、岡堰水神岬公園。 銅像や碑、「人」や「歴史」がコンパクトに記された説明書き、堰の遺構などが整えられた、岡堰中の島は、長い歴史の中で堰に携わって来た人たちに敬意を表している気持ちがよく表れた場所でした。 間宮林蔵の人生の、大きなターニング・ポイントとなった「岡堰」、印象深い歴史探訪でした。 岡堰中の島をあとにして、岡堰水神岬公園へ向かいました。 フォト:2009年9月22日 (つづく)
by kazusanokami
| 2009-10-15 20:55
| 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング
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