2009年 10月 16日

『伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/下総国岡村編』  im-17

岡堰中の島から少し上流方面に向かい、岡堰水神岬公園へ。

岡堰水神岬公園。
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公園入り口の説明書き。
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説明書きは、次の通り記されています。
『岡堰にある100mの突堤。小貝川を堰して満々と湛えた中に青松の影をうつした岬は岡堰の添景として離し難い。岡堰は寛永7年(1630年)、関東郡代伊奈半十郎忠治によって造われ、上流の福岡堰、下流の豊田堰と共に関東三大堰のひとつである。古くは、この岬は中州など共に水流をじぐざぐにし、堤防を護る役をしていたという。岬の中に水神宮が祭られている。岡堰用水組合では、水神宮のお祭りと共に上州榛名神社へ代参を立てたことが江戸時代の記録に残っている。山岳信仰の通有性はあるにしても、特に榛名山を選んだのは、山を水源と仰ぐ心であろう。水は二万石の命である。』

水神神社と碑。
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水神神社。
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碑。
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碑の表に大きく刻まれた文字は、「岡堰○○○碑」と読み取れます
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後日、取手市埋蔵文化財センターに電話にて刻まれた文字を確認したところ、「岡堰築造記碑」とのことでした。

岡堰水神岬公園から桜の木越しに新・岡堰を眺める。
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第17話で触れた「関東郡代 伊奈忠治」の名は、ここ、岡堰水神岬公園入り口の説明書きにも記されており、ここで、伊奈忠治について、少し触れてみます。

江戸時代、幕府の直轄領を支配する代官が置かれ、郡代と呼ばれていました。
伊奈家は、代々、関東郡代の職にあり、伊奈忠治は、初代忠次、二代目忠政に続く三代目。
伊奈家は、元々、信州の出で、伊奈の姓は長野県の伊奈(現・伊那)が由来との由。
また、茨城県筑波郡伊奈町(現・つくばみらい市)の地名の伊奈は伊奈家が由来との由(埼玉県北安立郡伊奈町も同様の由)。
岡堰の辺りは、江戸時代、幕府の直轄領(所謂、天領)で「相馬領」と呼ばれていました。
前述の説明書きの中の「水は二万石の命である」は、「相馬領二万石」の意と思われます。

前述の説明書きにある「関東三大堰」、上流の「福岡堰」は本年6月7日のポタリングで、また、下流の「豊田堰」は9月5日と13日のポタリングで訪れました。
これら、ふたつの堰については、本年6月22日付、9月10日付、9月16日付でブログに掲載済みです。

岡堰水神岬を離れ、少し上流から新・岡堰を眺める。
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更に、上流方面に向け、走る。
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専称寺、生家/記念館、岡堰などの、間宮林蔵ゆかりの地を巡り、更に、江戸時代後期の間宮林蔵に先駆け、江戸時代初めにも、伊奈半十郎忠治なる偉人がいたことも知り、有意義な歴史徘徊となりました。

歴史徘徊の後、小貝川~利根川~手賀川~手賀沼とポタを楽しみ、帰館。

フォト:2009年9月22日

(「岡村編」/完、「佐原村編」に続く)
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by kazusanokami | 2009-10-16 22:05 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(2)
Commented by imba_potter at 2009-10-16 23:14 x
なるほど、信州と常陸の繋がり、その様に古くからの事だったんですね。不思議な事に、昔は結構人々の往来が盛んだったんだなと感じる事がよくあります。房総でも、四国に起源を持つ古民家があったり、そんな時間の流れを遡って思いを巡らせるのはとても楽しいですね。
Commented by kazusanokami at 2009-10-17 07:48
印旛歩駄守殿 
伊奈忠治なる人物は某の頭の中には居り申さぬ御仁にて、大いに興味を感じ候。
徳川家康が関八州の管理を任せた、伊奈忠次なる人物は相当に有能であったと推察。
その三代目忠治も初代忠次に劣らず、有能であったと推察。
地名に名を残して居る事が、有能さの証しと存じ候。
伊奈家の事、地名の事、またまた、ベンキョー出来、嬉しき限りに候。
四国に起源を持つ、房総の古民家、調べ事の癖が頭をもたげて参りまする。


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