『上総守が行く!』

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2009年 10月 17日

『伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/下総国岡村編』  im-18

=補遺=
10月16日付第17話を以て、「下総国岡村編」を終え、「下総国佐原編」へ、と思うも、10月15日付第16話と10月16日付第17話で触れたことにつき、知りたきことがありましたので、本日(10月17日)、ポタリングも兼ねて、再び、岡堰中の島と岡堰水神岬公園を訪れました。

知りたきこととは、前回(9月22日)、しっかりと見なかった、岡堰中の島の「堰水普沃土潤」の碑と岡堰水神岬公園の「岡堰築堤記碑」は、どのようなことで建立されたのかということでした。

岡堰中の島橋を渡り切る手前で、先ず、目に入るのは「間宮林蔵立像」の背中。
前回(9月22日)は気付きませんでしたが、立像の台座に、何やら、碑文が刻まれているようでした。
林蔵先生に「一ヶ月振りですね」と挨拶し、台座の側面に嵌め込まれた碑文を読んでみました。
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反射で字がよく読めぬことと、お見苦しくも上総が写っておりまする故、光の具合の良い角度で、もう一枚。
これ、何処かで見ましたね。
そうです、間宮林蔵記念館前のものと同じです。
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次に、疑問の「堰水普沃土潤」の碑」へ。
碑の表面。
「堰水普沃土潤」の文字の下に、「建設次官山本三郎」と刻まれています。
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碑の裏面。
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「岡堰改築記念之碑」とあり、続いて、「本堰は、寛永七年、徳川三代将軍家光が下総国相馬二万石の開拓を計るため、時の郡代伊奈半十郎忠治に命じ...(中略)。本改築は、昭和八年、小貝川改修工事の起工に伴い、計画され、...(中略)、洗堰は昭和二十八年十一月着工、同三十五年三月竣工...(中略)。可動堰設計施工は、建設技官山本三郎、武田甚吉、......の諸氏が当たり、幾多の困難を克服して工事に専心、又は、協力し、早期完成に尽力されたその功績をしのび、後世において本堰の運用により肥沃なる耕地の繁栄を願い茲に記念碑を建立する。
昭和三十五年四月 小貝川工事事務所長 建設技官 家原俊二 撰文」とありました。

「堰水普沃土潤」の碑による顕彰がよく分かりました。
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岡堰中の島をあとにし、岡堰水神岬公園へ。
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前回、「岡堰築造記碑」の難解な文字に気を取られ、碑文は全く見ていませんでした。
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碑文は約600文字。
全文を書き写すのは諦め、前段の少しだけ、書き取りました。
「正二位勲等公爵徳川家達(篆)額」
「下総国相馬郡岡村有一水白日小貝川寛永中幕府命土木吏伊奈半十郎忠治築堤防横断之又引鄰郡...(略)大正八年十月」

疑問はほぼ解けました。

小貝川CR、利根川左岸CRを走り、秋のポタ。
ススキとセイタカアワダチソウの競合というか、棲み分けというか、ススキ色と黄色の秋景色を楽しみました。
走行距離53.2km。

今日の jitensha 。
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フォト:2009年10月17日

(「下総国岡村編」補遺/完、「下総国佐原編」に続く)
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by kazusanokami | 2009-10-17 23:08 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(4)
Commented by imba_potter at 2009-10-18 20:53 x
岡堰の遺構や林蔵さんの像とmerckx(ここ重要です)号のツーショット、格好いいです。しかし、いささかの疑問も残すことなく探求し尽す、上総守殿の研究姿勢には敬服いたします。
Commented by kazusanokami at 2009-10-18 21:28
印旛歩駄守殿 
殆どビョーキかと自ら悟り居り申し候。
煉瓦にjitenshaのツーショット、よく似合うといつも思い居り候。
林蔵殿にjitenshaを貸して差し上げたいとの思いを込めて、に候。
Commented at 2011-01-24 00:47 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kazusanokami at 2011-01-24 23:37
鍵コメさん
娘さんと検索されながら、小生のブログにヒット戴き、更に感謝の意を頂戴し、ブログ冥利に尽きます。
jitenshaで走っておりますと、しばしば、石碑に出遭うことがあります。
小生の最も近しい人が生い立ちから今に至るまでのことを書き綴ったものがあり、その中に南方の戦地から復員したとき、日本の地を踏んだのが浦賀であったと綴られていました。
三浦半島をjitenshaで走った際、偶々、浦賀で出遭った石碑の碑文を読み、まさに、彼が苦難の末に帰還した地がここであったということが分かり、感慨深いものがありました。
碑は何気なく建っていても、また、有名、無名に拘らず、後世に語り伝える、それぞれに意味のあるものだなと、そのとき、改めて思いました。
この川、この堰は、小生の大好きなjitenshaコースのひとつです。
次回、ここを訪れた際には、貴殿の思いも重ね合わせ、この碑の前に立ち、偉業を讃えたく思っております。
そして、いつの日か、是非、この地を訪れられんことを祈りながら...。


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