『上総守が行く!』

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カテゴリ:几号水準点探索( 62 )


2013年 04月 18日

「続続続続々・几号水準点探索ポタ/落穂拾いの巻/三田・綱坂」 zzzzz-6

大京町から、次の立ち寄り先、三田/綱坂へと向う。
外苑西通りを南下、神宮外苑、青山墓地、六本木、麻布十番、一の橋、二の橋、日向坂、綱坂のルートを辿る。

神宮外苑/芽吹く、公孫樹並木。
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青山墓地/葉桜の、桜並木。
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二の橋交差点。
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二の橋交差点を左折し、日向坂を上る。
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「日向坂」を上り切り、直進すると、三田一丁目へと下る「綱の手引き坂」、その途中、綱町三井倶楽部の角を右折すると「綱坂」である。

3月2日の探索ポタでは、「綱坂を上った三叉路右手前歩道上」の几号水準点を見付けることは出来なかった。
その顛末は、3月26日付「続続々・几号水準点探索ポタ」第1話で綴った通りだ。

綱坂と綱の手引き坂が交わる三叉路から、綱坂を見る。
写真右は、綱町三井倶楽部。
電脳網資料、そして、港区役所へと問い合わせ結果によれば、几号水準点は、写真左の角の歩道上にあることになっている。
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歩道上を舐めるように見てみたが、前回同様、「不」の刻印らしきものは見当たらない。
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やはり、舗装の改修があった際、撤去されてしまったと考えるのが妥当のようである。

再度の訪問記念(???)と「不」の刻印の代わりに、ホワイト・コンクリートに残った足跡をカメラに収めた。
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綱坂をあとに、赤羽橋、芝を抜け、朝、スタートした千代田線大手町駅へと向う。
途中、東京タワーを眺めながら。
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増上寺の前を通り過ぎる。
「灌佛會(花まつり)」の立て札が目に入る。
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そうか、今日は4月8日、お釈迦様の誕生日なんだ、と思いながら、境内へ。
本殿の前に花御堂が設えれている。
甘茶が満たされた灌仏桶に誕生仏が安置されている。
小生も誕生仏に甘茶を掛け、安寧を祈る。
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1月26日から3月16日の間、5回に亘る几号水準点探索ポタで、43ヶ所+番外2ヶ所の都合45ヶ所を巡った。
そのとき、発見が叶わなかった4ヶ所について、今回、「落穂拾いの巻」と題し、巡ってみた。
大給守殿のその後の再探索で発見された2ヶ所は難なくクリア、桜田門は改修工事中で次回の楽しみに、綱坂は不明のままという結果であった。
今回も含め、都合6日間の探索ポタの総走行距離は196kmであった。
これからも、都内ポタリングの際には、あそこにひっそりと几号水準点があるんだなと「不」の形を想像しながら、走ることになろう。
都内ポタの楽しみがまた増えた。

フォト:2013年4月8日

(完)
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by kazusanokami | 2013-04-18 07:06 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 17日

「続続続続々・几号水準点探索ポタ/落穂拾いの巻/大京町」 zzzzz-5

市谷見附東から大京町路傍の几号水準点へと向う。
途中、四谷大木戸跡に寄り道して。

大京町路傍の几号水準点の発見に至る経緯はこうだ。
2月10日の探索ポタでは、「大京町路傍」の几号水準点を見付けることは出来なかった。
その顛末は、2月19日付「続・几号水準点探索ポタリング」 第4話で綴った通りだ。
その後、3月4日、大給守殿から、写真と共に、ケータイ電子飛脚便が遣わされた。
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上総守殿 
本日、西新宿に所用あり、帰りに千駄ヶ谷駅下車、外苑西通りに出て、高速、JRのガードをくぐると、すぐ左手に創価国際友好会館の大きな建物、小路をはさんで左手は新宿御苑。
小路を入って左手民家横に、独立標、上面に不鮮明なるも几号水準点が確認できました。
新宿区と渋谷区の境界線上にありました。
写真の小路の白線の左側に見えるのがそれです。
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大給
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前回、2月10日の探索時の様子は次のようなことだった。
電脳網資料では「外苑西通り、創価学会北側路地入る 独立標石上面にあり」と記されている。
この界隈には創価学会施設が多数ある。
その中で、外苑西通り沿いにある施設として、"創価学会新宿文化会館"を特定した。
その北、20mくらいのところに路地があり、そこに几号水準点があるものと推定した。
しかし、「不」の刻印を見つけることは出来なかった。
大京町の交番所で訊ねたところ、外苑西通りの創価学会の施設は"新宿文化会館"しかないとのことだった。
創価学会新宿文化会館から出て来た若者にも訊ねたが、外苑西通りにはこの会館以外に関係施設はないとのことであった。
再び、北側の路地を探してみたが、見つからなかった。

その後、大給殿が発見して分かったことは;
・電脳網資料にある創価学会とは"創価国際友好会館"であったこと。
・この辺りは新宿区と渋谷区の境界となっており、"創価国際友好会館"は渋谷区に在り、新宿区の大京町交番では分からなかったということ(交番なんだから、他区であっても、境界近くにある施設くらいは知っておいて欲しいなあとの思いあり)
・"創価学会新宿文化会館"から出て来た若者は"創価国際友好会館"の存在を知らなかったということ。
こう綴ったからと言って、発見出来なかったことを交番や若者のせいにするつもりはない。
発見出来なかったのは、あくまで、自らの事前調査がプアであったということである。

市谷見附東と同様に、大給殿のお陰で、今回は、2月10日の探索のときとは気分が全く異なり、余裕綽々である。
余裕綽々だから、そして、大給守殿へ敬意を表して、「不」の刻印へのアプローチはドラマチック(???)に行わなければならない。

四谷四丁目交差点から外苑西通りを南下する。
JR中央線の高架が見えて来る。
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大給殿の情報に従い、Yahoo! map で事前にこの辺りの詳細地図を見て来た。
北から走って来たので、北から記述すると次の通りだ。
外苑西通りの東側沿いは、新宿御苑、小路、福島ビル、創価国際友好会館、そして、小路の並びとなっており、その南側はJR中央線高架、首都高速4号新宿線高架となっている。
JR中央線高架の手前北側が新宿区と渋谷区の境目である。
写真右が福島ビルだ。
その手前の乗用車の頭が見えている小路の路傍に几号水準点がある。

小路を入る。
小路の左側の、住宅玄関の石段脇に据えられた几号水準点の独立標石が目に入る。
(写真左、住宅玄関の石段と独立標石/写真右、茶色い柵は新宿御苑南端)
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独立標石の上面を見る。
大給殿のレポートの通り、不鮮明ではあるが、「不」の刻印が見てとれる。
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不鮮明な上に、道路側から見ると「不」の刻印は逆さまになっており、ぱっと見、几号水準点と見定めるのは難しい状態だ。
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道路側から見た、逆さまの「不」の刻印を超アップで。
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何故、逆さまになっているのか?
ひょっとしたら、この独立標石の据付をした人は、几号水準点の意味を知らなかったのかもしれない。
いや、そうではなく、これを据え付けた人は渋谷区の人で、渋谷区側から見て据え付けたのかもしれない。
いや、そうではなく、我ら、探索家(?)の目を欺くために、わざと逆さまにしたかもしれない。

そんなことを思いながら、几号水準点の独立標石を眺めていたところ、その脇に、もうひとつ、小さな独立標石があることに気付いた。
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「道界 新宿区」と刻まれている。
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「道界」とは何ぞや?
何かと何かの境目を記すものであることは想像がつくが、「道界 新宿区」で電脳検索してみた。
新宿区役所のホームページが現れた。
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道路との境界:
一般的に道路との境界という場合、新宿区が管理する道路区域との境界及び道路の敷地とそれに接する土地との間の所有権境界という二つの意味があります。
道路区域との境界:
敷地の前面の特別区道について、新宿区が道路管理者としてどこまで管理しているのかを示すものです。
新宿区では、昭和51年度から計画的に道路区域を確認する事業を実施しています。
(以下略)
土地所有権の境界:
新宿区が管理する特別区道の敷地には、国(主に国土交通省)・東京都・新宿区が所有しているもの、また、個人が所有しているものがあります。
(以下略)
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何れにせよ、大京町のこの几号水準点の独立標石と「道界 新宿区」の標石がペアで並んでいる限り、几号水準点の独立標石は安泰だと思った。

その存在が路傍という最も難しい場所にある几号水準点を発見した大給殿に感謝しながら、次の立ち寄り先、三田/綱坂へと向う。

フォト#1、#2:2013年3月4日、大給守殿提供
フォト#3~#9:2013年4月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-17 09:35 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 16日

「続続続続々・几号水準点探索ポタ/落穂拾いの巻/市谷見附東から大京町へ」  zzzzz-4

市ヶ谷/新見附橋南詰歩道上のの几号水準点をあとにして、次の立ち寄り先、外苑西通り/大京町路傍の几号水準点へと向う。

四ツ谷方面へ外堀通りを走る。
外堀通り沿いの「史跡 江戸城外濠跡(市谷濠地区」の説明板で、外濠の歴史をベンキョーする。
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こうして、説明書きを読むと、当時の土木技術が如何に素晴らしかったかが窺い知れる。
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この「江戸城外堀と周辺地形」の図を眺めながら、都内ポタを随分と重ねており、訪れたところは多々あるが、訪ねきれていないところもあるなあと思うのであった。
図にある「牛込門跡」と「赤坂門跡」は3月2日に訪れた。
「虎ノ門南側石垣」と「常磐橋門跡」は、普段は気付かずに通り過ぎているのであろう。
次回、意識して探してみたい。

外堀通りを走り、四谷見附から新宿通りに入り、西進する。
四谷四丁目交差点を左折し、外苑西通りに入らねばならないところではあるが、交差点を通り過ぎ、交差点角の史跡へ寄り道する。

「水道碑記」。
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「都史跡 四谷大木戸跡」。
(写真右は「水道碑記」の裏面である)
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「玉川上水水番所跡」、「水道碑記」、「四谷大木戸跡」説明書きに目を通す。
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玉川上水水番所跡
玉川上水は、多摩川の羽根村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市内へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。
水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には、次のような高札が立っていた。
   定
 一、此上水道において魚を取水をあび
   ちり芥捨べからず 何にても物あらひ申間敷
   竝両側三間通に在来候並木下草
   其外草刈取申間敷候事
 右之通相背輩あらば可為曲事者也
  元文四巳未年十二月  奉行

筆者注:
年号「元文」は、享保の後、寛保の前で、1736年から1740年までの期間を指す。
この時代の天皇は桜町天皇、江戸幕府将軍は徳川吉宗。
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水道碑記(すいどうのいしぶみのき)
玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ460センチ、幅230センチ。
上部の篆字は徳川家達、撰文は肝付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に780字、裏面に130字が陰刻されている。
碑の表面には明治18年の年記が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治28年(1895年)完成したものである(裏面銘文)
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四谷大木戸跡碑
四谷大木戸跡碑(この説明板の裏側にある)は、昭和34年11月地下鉄丸の内線の工事で出土した玉川上水の石樋を利用して造られた記念碑である。
実際の大木戸の位置は、ここより約80メートル東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。

平成24年6月
新宿区教育委員会
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玉川上水には大いに興味がある。
羽村堰は多摩川サイクリングロードの起点で、何度か訪れたことがある。
堰の近くに建立されている玉川兄弟の銅像を眺めたこともある。
また、JR東小金井駅から西武線玉川上水駅の間の、玉川上水沿いを走ったこともある。
そんなこともあり、玉川上水の全ルートを調べたこともあり、そのとき、玉川上水の終点が旧四谷大木戸地点であることを知ったのであった。
因みに、現在、この史跡の隣りは、東京都水道局新宿営業所となっている。
偶然かどうかは知らないが、粋な計らいである。

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史跡から四谷交差点に向かい、外苑西通りを南下し、大京町路傍の几号水準点へと向う。

フォト:2013年4月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-16 10:24 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 12日

「続続続続々・几号水準点探索ポタ/落穂拾いの巻/市谷見附東」 zzzzz-3

「落穂拾いポタ」。
桜田門から、途中、寄り道をしながら、次の立ち寄り先、市ヶ谷見附東へと向う。

市ヶ谷見附東路上の几号水準点の発見に至る経緯はこうだ。
2月10日の探索ポタでは、「市ヶ谷見附東、歩道上」の几号水準点を見付けることは出来なかった。
その顛末は、2月19日付「続・几号水準点探索ポタリング」 第6話で綴った通りだ。
その後、3月26日、大給守殿から、写真と共に、ケータイ電子飛脚便が遣わされた。
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上総守殿
只今、九段に所用があって、市ヶ谷駅から飯田橋駅に向かって、桜並木を移動中です。
偶然、彼の場所にて、歩道に目を落とすと、あるではありませんか。
信号機柱の左下がそれです。
市ヶ谷御門は解決しました。
遠回りの甲斐ありです。
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大給
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前回、見付けることが出来なかった原因は、電脳網資料の「JR市ヶ谷駅と飯田橋駅中間の橋のたもとのトイレ入り口前歩道に埋め込み」の「トイレ」に拘ったことだ。
トイレは既に撤去されていて、トイレがないから、目印がないと短絡し、その周辺の歩道をしっかりと見なかったためだ。
だが、後日、大給殿の執念が実を結んだのであった。

大給殿のお陰で、今回は、2月10日の探索のときとは気分が全く異なり、余裕綽々である。
余裕綽々だから、そして、大給守殿へ敬意を表して、「不」の刻印へのアプローチはドラマチック(???)に行わなければならない。
先ず、市ヶ谷見附に立ち、そこから新宿通りを東へ進み、新見附橋の袂へ、そして、新見附橋を渡り、「市ヶ谷見附東の歩道」に至ることにした。

市谷見附交差点。
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正面、市ヶ谷橋。
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市ヶ谷橋北詰から、市ヶ谷橋を眺める(写真、右/JR市ヶ谷駅)。
市ヶ谷橋の手前は新宿区、向こう側は千代田区。
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市ヶ谷橋方面から新見附橋を遠望。
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新見附橋交差点。
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正面、新見附橋。
新見附橋の手前は新宿区、向こう側は千代田区。
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新見附橋北詰。
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新見附橋を渡る。
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新見附橋を渡り切ると右手に小さな公園。
入り口の銘板には「東京市 外濠公園」と文字が右から左に刻まれている。
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公園の入り口から、ほんの数メートル、進むと、路上に「不」の独立標石あり。
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アップで。
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横断歩道を渡り、反対側から眺める。
大給殿提供の写真では、濠の桜並木が満開、上総撮影の写真では、葉桜に。
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再び、横断歩道を渡り、車道側から「不」の刻印を眺める。
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満足!
大給殿に感謝!

市ヶ谷見附東から、次の立ち寄り先、大京町へと向う。

フォト#1~3:大給守殿提供、2013年3月26日
フォト#4~13:2013年4月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-12 22:23 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 12日

「続続続続々・几号水準点探索ポタ/落穂拾いの巻/桜田門から市谷見附東へ」  zzzzz-2

「落穂拾いポタ」。
桜田門から、次の立ち寄り先、市ヶ谷見附東へと向った。

日比谷公園へ、ちょっと、寄り道。
心字池。
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心字池の畔に設えられた「亀石」に刻まれた几号水準点の見たのは、真冬の1月であったが、今や、4月、池の畔の木立はすっかり芽吹いている。

虎ノ門を抜け、赤坂見附の交差点に至る。
交差点を右折し、三宅坂に向えば、石垣に几号水準点が刻まれた赤坂見附跡だが、今回は直進する。
交差点の角にハナミズキが咲いている。
首都高速4号新宿線の向こうに、赤坂見附の景観を形作っていた旧・赤坂プリンスの姿が僅かに見える。
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解体工事が進み、あと10偕程度を残すのみとなっている。
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弁慶橋を渡る。
弁慶橋の袂からの、大好きな風景をカメラに収める。
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紀尾井町の通りを八重桜が飾る。
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紀尾井町のパナソニック。
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紀尾井坂を上る。
ソフィア通りを走る。
ソフィア通り脇の土手は、遅咲きの山桜、そして、芽吹く紫陽花の緑が眩しい。
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四ツ谷から市ヶ谷に向う遊歩道を走る。
遊歩道脇では、山吹が咲き誇っている。
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山吹と言えば、太田道灌。
昨年4月に「太田道灌ゆかりの地を訪ねて/江戸の巻」と題し、ポタリング。
これはアップロードした。
続いて、6月に「岩槻の巻」と題し、ポタリング。
これは、まだ、アップロードしておらず、今年、丁度、山吹の季節になったことでもあり、蔵出しでアップロードしようと思いながら、山吹を眺めた。

市ヶ谷橋に至る。
いよいよ、大給守殿のその後の探索により発見された「市ヶ谷見附東」の几号水準点も近い。

フォト:2013年4月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-12 07:12 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 12日

「続続続続々・几号水準点探索ポタ/落穂拾いの巻/桜田門」 zzzzz-1

1月26日から3月16日の間、5回に亘る几号水準点探索ポタで、43ヶ所+番外2ヶ所の都合45ヶ所を巡った。
そのうち、次の4ヶ所で「不」の刻印を発見することが出来なかった。
・第1回探索ポタ(1月26日):桜田門(2013年2月11日付ブログ掲載)
・第2回探索ポタ(2月10日):大京町路傍(2013年2月19日付ブログ掲載)
・第2回探索ポタ(3月10日):市谷見附東路上(2013年2月19日付ブログ掲載)
・第4回探索ポタ(3月 2日):三田/綱坂(2013年3月26日付ブログ掲載)
その後、大給守殿の執念の単独探索により、大京町路傍と市谷見附東路上の「不」の刻印が発見された。

この大給守殿の発見を以て、几号水準点探索ポタのブログ最終回としようと思うも、日頃から《現場主義》を唱えている上総、大給殿の発見レポートを参考にしながら、「落穂拾いの巻」と題し、今一度、これら4ヶ所を巡ってみることとした。

4月8日、几号水準点探索、第六弾/落穂拾いポタに出掛けた。

桜田門。
前回、訪れたときは改修工事中であった。
完工は3月末と記憶するが、念のため、電脳網で検索してみた。
昨年夏の入札公告で「後期:契約時から平成25年3月末まで」となっていた。
既に4月、工事は終わっている、これで「不」の刻印を見ることが出来ると、張り切って桜田門に向った。
ところが、何と、前回は覆いがされていなかった高麗門までが覆いで姿を隠しているではないか。
(写真正面/高麗門、右/櫓渡門)
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高麗門は外側の門である。
几号水準点は、内側の門、櫓渡門の石垣に刻まれている。
櫓渡門は如何なっているかと、急ぎ、高麗門をくぐった。
櫓渡門は引き続き工事中であった。
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改修工事は松井建設の手で行われている。
これについては、2月11日付『几号水準点探索ポタリング』第12話で、縷々、綴っているので、それをご参照願いたい。

完工時期はいつなのだろうかと、櫓渡門の工事現場の掲示を見る。
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工期は6月末までとなっている。
痛み具合が激しく、工期を延長したのかもしれない。
「今週の工事予定」として、工事の内容が記されている(写真、下端)。
工事の様子の写真も掲示されている。
ハイライトとして3葉だけだが、参考としてアップロードしておこう。
ジャッキアップ。
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柱のシロアリ被害。
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軒裏モルタル解体。
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電脳網資料によれば、几号水準点は「桜田門内側の門の内側右側石垣下部側面にあり」と記されている。
工事現場に貼られた櫓渡門の写真を眺めながら、この辺りにあるのだろうなと想像する。
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アップで。
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改修工事が終われば、再び、このような姿を現すこととなろう。
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そんなことを思いながら、覆い姿の櫓渡門を眺める。
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再び、桜田門を訪れることを楽しみにしながら、次の立ち寄り先、市ヶ谷見附東へと向う。

フォト:2013年4月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-12 02:01 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 06日

「続続続々・几号水準点探索ポタ/赤羽北・諏訪神社」 zzzz-8

北千住から赤羽北の諏訪神社へ。
地図の見方が甘く、少々、いや、随分と遠回りをして、諏訪神社に到着。
几号水準点探索ポタは、几号水準点そのものの探索ポタではあるが、その前に、先ず、几号水準点が存在する社寺、路傍などを探し当てるポタでもある。
よって、遠回りも探索の過程のひとつなのである。

諏訪神社。
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電脳網資料では、ここ、諏訪神社の几号水準点は「その他の几号ほか」のカテゴリーでリストされており、午前の上野公園/摺鉢山仮水準点と同様に、番外の水準点である。
電脳網資料では「板橋区 諏訪神社内独立標石/神社境内」としか記されておらず、境内の何処にあるのか、具体的には分からない記述となっている。
さあ、最後の探索の開始だ!
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「不」の刻印が刻まれていそうなところを探す。
しかし、見当たらない。
自力で探し出すことが大事だ。
更に探す。
しかし、見当たらない。
執念の、几号水準点探索総元締めの大給殿も自力発見を諦め、社務所で聞いてみようとしたところ、何と、社殿と社務所の間にそれらしきものが。
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発見!
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しっかりと、説明書きも添えられている。
目を通す。
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なるほど!
我々がこれまで探索して来た、明治初期のものではなく、昭和5年に設けられたものであった。
これで、電脳網資料では「その他の几号ほか」のカテゴリーでリストされている意味が理解出来た。

几号水準点、正面の「不」の刻印から逆時計回りで、標石を見ていく。
正面/「不」と「B.M.1」。
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二面/「昭和五年」。
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三面/「内務省」。
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四面/「荒川」。
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説明書きでは、「荒川筋に15ヶ所(うち2ヶ所は入間川筋に設置)の水準点の一つです」とある。
明治の几号水準点に続き、昭和の几号水準点の所在地を調べ、これを探索するのも面白いだろう。
几号水準点は奥が深い。

几号水準点探索ポタもこれで最終となった。
これで〆ればよいのだが、几号水準点探索ポタは狛犬コレクションのポタでもあった。
諏訪神社の狛犬を登場させておこう。
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狛犬/阿形。
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狛犬/吽形。
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この狛犬の特徴は、阿形、吽形の両方ともが「玉」の上に前肢を置いているということである。
「玉」の上に前肢を置いている狛犬は珍しくはない。
しかし、これまで見て来た「玉」や「子連れ」の狛犬は、「玉」と「子連れ」、或いは、「子連れ」と「子連れ」の組み合わせが多く、「玉」と「玉」は珍しいというのが小生の見解だ。

「玉」に前肢を置いたところをアップで。
狛犬/阿形、左前肢を「玉」の上に。
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狛犬/吽形、右前肢を「玉」の上に。
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ここで、諏訪神社の由緒を掲載しておこう。
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几号水準点探索ポタ、最終回を記念して、"今日の jitensha "。
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「お疲れさまでした」、「反省会は何処にて?」、「赤羽駅前にて」。
赤羽北から赤羽駅へと向う。
駅の直ぐ前の、吉田類的な赤ちょうちん「まるよし」にて反省会。
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こうして、五度に亘る几号水準点探索ポタは、全て、無事、終了したのであった。
誠に結構なテーマであった。
このテーマを編み出した大給守殿に感謝、感謝である。
で、更に、大給守殿に感謝せねばならないことがある。
それは、5回に亘る几号水準点探索ポタで、43ヶ所+番外2ヶ所の都合45ヶ所を巡ったうち、次の4ヶ所で「不」の刻印を発見することが出来なかったが、その後、大給守殿の執念の単独探索により大京町路傍と市谷見附東路上の「不」の刻印を発見したことである。
・第1回探索ポタ(1月26日):桜田門(2013年2月11日付ブログ掲載)
・第2回探索ポタ(2月10日):大京町路傍(2013年2月19日付ブログ掲載)
・第2回探索ポタ(3月10日):市谷見附東路上(2013年2月19日付ブログ掲載)
・第4回探索ポタ(3月 2日):三田/綱坂(2013年3月26日付ブログ掲載)
大給守殿、執念の単独探索の件も含め、これら未発見4ヶ所に関わる後日談は、更に続く続編で綴ることとしたい。

フォト:2013年3月16日

(完)
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by kazusanokami | 2013-04-06 02:38 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 05日

「続続続々・几号水準点探索ポタ/北千住から赤羽北へ」 zzzz-7

北千住/氷川神社から、荒川CRを走り、次の立ち寄り先、赤羽北/諏訪神社へと向う。
荒川CRを走るのは、昨年6月の「千住界隈&都電の旅」以来のことである。

荒川CRに入り、暫らく走ったとき、「忘れ物、忘れ物、背嚢、忘れちゃいました。さっきの氷川神社の石柱台座に」と南国殿。
「忘れ物防止対策はお互いの気遣いで、と思い居るも、気付かず申し訳なし」と上総。
南国殿、急ぎ、氷川神社へ。
その間、大給殿と上総は上総は荒川CRで待つ。
上総が大給殿に、西国ハリポタ藩諸氏の数々の忘れ物事件と、その反省において、今は互助の精神で互いに注意をするということとなっているなど語りながら。
小一時間後、無事、背嚢をピックアップ出来た南国殿が戻り、再び、荒川CRを走り始める。

対岸に、埼玉のマンハッタン、川口が見え始めた。
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南国殿の背には、しっかりと背嚢が担がれている。

旧岩淵水門(赤水門)が見えて来た。
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「ちょっと、岩淵水門の公園に立ち寄りませう」と上総。
旧岩淵水門(赤水門)を渡り、中之島水門公園から、埼玉のマンハッタン、川口の風景を眺めるのは、2008年の春、秋ケ瀬公園から河口付近まで荒川CRを走って以来、5年振りのことであった。

中之島水門公園/青野正作のオブジェ『月を射る』。
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土手の上のサイクリングロードに戻り、旧岩淵水門(赤水門)を眺める。
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岩淵水門(いわぶちすいもん)とは。
東京都北区志茂において現在の荒川と隅田川とを仕切る水門。
かつて「荒川放水路」と呼ばれた人工河川を現在は荒川と呼び、かつての荒川を「隅田川」と呼ぶ。
この水門は、これらの分岐点にある。
1924年(大正13年)竣工の旧水門(赤水門)(運用終了)と1982年(昭和57年)竣工の新水門(青水門)(運用中)の2つが存在する。
旧水門は、新水門完成に伴って、その役割を終え、取り壊されることになったが、地元の人などから惜しまれ、保存されることになった。
のちに、土木建築物としての価値が高いと再評価され、1995年(平成7年)には産業考古学会によって推薦産業遺産に、1999年(平成11年)には東京都選定歴史的建造物に指定された。
(筆者注:新水門(青水門)は写真に写っていないが、旧水門(赤水門)の少し下流に設けられている)

荒川右岸CRを暫らく走ると、工事中の立て札。
荒川土手沿いの一般道を走る。
東北本線の高架をくぐる。
東北・上越・長野新幹線+埼京線の高架をくぐる。
そこから南下すれば、赤羽北の諏訪神社というのが地図上での理解。
ところが、広域地図を参照していたので、「南下すれば直ぐ」の目論見は外れた。
クロネコヤマトのおにいさんに道を尋ねる。
東北・上越・長野新幹線+埼京線の高架沿いを行くと、埼京線北赤羽駅があると。
道は異なるが、元、来た方角へ逆戻り。
浮間舟渡駅を経て、北赤羽駅に至る。
そこから高架を離れて、少し、南へ下り、漸く、赤羽北/諏訪神社に到着した。
岩淵水門から南西に走っていれば、2kmくらいで諏訪神社だったのに、随分と遠回りしたものだ。
しかし、荒川土手の大補強工事の様子を見たり、浮間舟渡な小粋な名の土地を走ることが出来た。
道を間違うと、徒歩の場合は大変だが、jitensha の場合は、それもまた楽し、である。
反省すべきは、広域地図ではおおよそのルート確認に留め、必ず、拡大図で詳細を確認することであった。

岩淵水門を出発したのが午後3時50分、彼是、小一時間後の午後4時35分、漸く、赤羽北/諏訪神社に到着!
五回を重ねた几号水準点探索ポタ、最後の「不」の刻印、探索の場所である。
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電脳網資料では、ここ、諏訪神社の几号水準点は「その他の几号ほか」のカテゴリーでリストされており、午前の上野公園/摺鉢山仮水準点と同様に、番外の水準点である。
電脳網資料では「板橋区 諏訪神社内独立標石/神社境内」としか記されておらず、境内の何処にあるのか、具体的には分からない記述となっている。
さあ、最後の探索の開始だ!

フォト:2013年3月16日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-05 10:47 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 04日

「続続続々・几号水準点探索ポタ/浅草から南千住へ」 zzzz-6

鳥越神社から赤羽北/諏訪神社へと向う。
赤羽方面へはいろんなルートがあるが、鳥越神社から浅草へ出て、隅田川沿いを走り、南千住、北千住を経由し、荒川右岸CRを走り、赤羽北へ向うルートをとることは、事前に決定済みだ。
それにはふたつの理由がある。
ひとつは、極力、一般道を走らず、隅田川右岸CRや荒川右岸CRを利用して、"楽チン"な走りとすること、もうひとつは、几号水準点探索ポタ第三弾に不出馬であった大給守殿に、第三弾で探索済みの、浅草から北千住の間にある几号水準点をご覧戴こうということであった。

鳥越神社から北上、浅草通りを東へ走り、駒形橋に至る。
「大給殿、以前、行きましたっけ? 勝海舟の銅像に。探索第三弾のとき、伊豆殿と南国殿をご案内したんですよ」。
「いや、行っていません。行ってみませう」。
いつもは吾妻橋を渡ることが多いが、この日は駒形橋を渡り、隅田川左岸へ。
駒形橋から、吾妻橋と"アサヒビールの金斗雲"、そして、東京スカイツリーを眺める。
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「アサヒビールの金斗雲」と言ったが、「炎のオブジェ」が正式名称、アサヒビールの燃える心を象徴しているとのことである。

勝海舟像へご案内。
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「建立の記」の全文は3月10日付「続々・几号水準点探索ポタ」第3話をご参照願いたい。

墨堤での花見も近い。
その頃には長蛇の列が出来る「延命寺の桜もち」へご案内。
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鎌倉ポタで浄妙寺を訪れた際、浄妙寺、道成寺、道明寺、延命寺の"インテリ漫才"があったことから、ここにお連れした次第だ。
で、「延命寺の桜もち」だけでは片落ちだ。
「言問団子」にもご案内。
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桜橋を渡り、再び、隅田川右岸へ。
隅田川沿いの一般道を北上する。
今戸教育館前の、そして、橋場/伊勢金前の几号水準点の独立標石にご案内する。

更に進み、南千住に。
円通寺の「百くあんのん」碑に刻まれた几号水準点にご案内する。
前回は上野から移設された「黒門」をゆっくりと見た。
今回は「彰義隊士の墓」の墓参をさせていただいた。
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同じく南千住の素盞雄神社の鳥居に刻まれた几号水準点にご案内。
境内は春いっぱい。
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社殿に飾られた雛人形。
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社殿回廊に飾られた雛人形。
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社殿の向かいに設えられたテント内に飾られた雛人形。
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神楽殿に飾られた雛人形。
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奥の細道 矢立初め俳句大会。
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「奥の細道ゆかりの地を訪ねて」の一環として、立て看板をカメラに収めた。
第三弾を挙行したのが2月16日、それから一ケ月を経て、同じ場所であっても新たな発見。
だから、ポタは止められない。

日光街道を走り、千住新橋の手前を西へ折れ、千住大川町/氷川神社へと向う。
氷川神社の「紙すきの碑」に刻まれた几号水準点にご案内。

「大給殿、これにて第三弾で巡った『不』の刻印は完了です。富岡八幡宮と洲崎神社はご自身でよろしく」と伝え、再び、この日の几号水準点探索ポタに戻ることとした。

北千住/氷川神社から、荒川CRを経て、次の立ち寄り先、赤羽北/諏訪神社へと向う。

フォト:2013年3月16日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-04 07:06 | 几号水準点探索 | Comments(2)
2013年 04月 03日

「続続続々・几号水準点探索ポタ/鳥越神社」 zzzz-5

上野公園から浅草通りを走り、途中から南下、蔵前橋通り沿いの鳥越神社へと向う。

鳥越神社。
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電脳網資料によれば、几号水準点は「西側鳥居にあり」と記されている。
この鳥居は南門、西側へ回る。

西側鳥居。
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左右の鳥居を注視する。
左側の柱に「不」の刻印あり。
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「しっかりと刻まれていますね」と大給殿。
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境内に入る。
社殿。
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狛犬コレクション。
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阿形。
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吽形。
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帰宅後、鳥越神社の由緒を調べてみた。
白雉2年(651年)、日本武尊が東国平定の折にこの地に滞在したことを偲び、村民(平安後期まで白鳥村と呼ばれた)が日本武尊を祭神として奉祀し、白鳥神社と称したのが始まるとされる。
前九年の役の折、源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て、浅瀬を知り、大川(隅田川)を渡ることができたことを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。
例大祭(鳥越祭り)に出る千貫神輿は都内最大級を誇る。

次の立ち寄り先、赤羽北/諏訪神社へと向う。

フォト:2013年3月16日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-03 21:35 | 几号水準点探索 | Comments(2)