『上総守が行く!』

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カテゴリ:旅、旅、旅/いろいろな旅( 120 )


2014年 03月 22日

『高野山甲午歳注連縄』

盟友 松柏木さんのブログを開いたところ、切り絵がアップロードされていた。
お絵描き、版画、そして、切り絵の世界へと彼の芸術心はどんどんと広がっているようだ。
切り絵といえば、高野山で見た紙製の注連縄が頭に浮かぶ。
松柏木さんの切り絵のコラボとして高野山の紙製注連縄について綴ってみたい。

昨年11月下旬、高野山を訪ねた。
そのとき、紙で作った注連縄があることを知った。
白い紙で作った三枚の注連縄。
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何故、藁を編んだものではなく、紙で作っているのか、その訳も知った。
高野山では米が取れない。
米が取れないので、藁がない。
藁がないので、注連縄が作れない。
注連縄の代わりに白い紙を貼っている。
白い紙は一枚だけ貼られているところもあるし、写真のように、白い紙が三枚貼られているところもある。
右から、「寿」、「宝珠」、「干支/巳」となっている。
左端の白い紙の、「干支/巳」をアップで。
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年が明け、2月初め、再び、高野山を訪ねた。
その目的は幾つかあったが、そのひとつは紙で作った注連縄の「干支/午」を見ることであった。
白い紙で作った三枚の注連縄。
遠目には、昨年11月と変わりはないが...。
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近寄って見てみると...。
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右から、「壽」、「宝珠」、これらは昨年と変わりないが、左端は今年の干支の「午」に。
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参道で見た注連縄の外、昼餉を摂った食堂ではこんな注連縄も見た。
参道では「宝珠」、食堂では「宝船」。
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参道では三頭、食堂では一頭、しかもモダンな感じで。
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来年、再来年と高野山詣でを重ね、毎年、新たまる干支の注連縄を見続けて行きたいものだ。
高野山詣でが叶わないときは、松柏木さんに干支の切り絵を拵えてもらおう。

フォト:2013年11月30日、2014年2月1日
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by kazusanokami | 2014-03-22 19:15 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(0)
2013年 07月 08日

『越知谷に遊ぶ/植物写真家&鳥博士』(下)

今冬、雪の中を歩いた林道を散策する。
植物写真家 松柏木さんの撮影姿。
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松柏木さんの作品はこういう撮影姿から生まれるのである。
もし、植物写真家 埴 沙萌さんに弟子入りを申し込んだら、即、オーケーの返事となるだろう。

煙る稜線。
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湧き上がる雲。
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雨模様も結構楽しめる。
最近、雨模様でも、晴れていたらよかったのに、とは思わなくなって来た。
斯様な思いをするようになったのはそんなに前ではない。
齢を重ねたせいなのであろうか...。

草すべり台。
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「新田ふるさと村」には何度も来ているので、リサーチ済みと思っていたが、この草すべり台は初見であった。
今冬の、雪の「プチ別荘遊び」のときに知っていたら...と残念がるのは、そり滑りが得意な松ちゃんであった。

探鳥も「プチ別荘遊び」の楽しみのひとつだ。
ログコテージの木製デッキで椅子に座っていると鳥の声が聞こえる。
チュピ、チュピと可愛い声で鳴く鳥がいる。
名前はわからない(調べ中)が、その声の主は、多分、この鳥だろう。
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森の中から、ゲー、ゲーという声が聞こえる。
鳥の名は分からない。
越知川沿いを散策中に、梢から数羽、飛び立つ鳥がいた。
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鳥博士曰く、カケスではないかと。
鳥博士は iPod を取り出し、鳥の声図鑑で確かめてみる。
ゲー、ゲーと鳴く鳥は、やはり、カケスであった。
小生はスマホでカケスを検索してみる。
カケスの写真を参照する。
飛び立った鳥の姿とよく似ている。
カケスと断定する。
併せて、ウィキペディア「カケス」を参照。
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「ジェー、ジェー」としわがれた声で鳴く。
英語名の『Jay』はこの鳴き声に由来する。
また、他の鳥の鳴き声や物音を真似するのが巧く、林業のチェーンソーや枝打ち、木を倒す時の作業音を「ジェージェー」の間奏を入れつつ再現することもある。
飼い鳥として人に慣れたものは人語の真似までする。
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これを読んで、思わず、「ジェ、ジェ、ジェ」と叫んでしまった。
ジェー、ジェーというよりも、ちょっとかすれたゲー、ゲーに近いと思うのだが、鳥の声の表現はなかなか難しい。

冒頭で述べた通り、ここ、兵庫県神崎郡神河町は、NHK朝の連ドラ「あまちゃん」のヒロイン、天野アキ役を演じる能年玲奈ちゃんの出身地である。
カケスの鳴き声の表現「ジェー、ジェー」に、朝の連ドラ風に、ジェ、ジェ、ジェと驚いたことで、上手く〆が出来た。

杉ん子くんに、ホタルによろしく伝えておいて頂戴と頼み置き、越知谷をあとにした。
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フォト:2013年7月3日、4日

(完)
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by kazusanokami | 2013-07-08 23:58 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(4)
2013年 07月 07日

『越知谷に遊ぶ/ほたる舞ロード』(上)

「今、越知谷はホタルの季節です」。
関西の盟友、松柏木さんからそんな知らせがあった。
二泊三日の越知谷プチ別荘遊びに出掛けた。

新田ふるさと村。
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新田ふるさと村は、兵庫県神崎郡神河町、千ケ峰の麓、標高500メートル、越知川の清流がそばを流れる、アウトドア施設。
新田ふるさと村のログコテージで過ごすことを仲間内では「プチ別荘遊び」と呼んでいる。
プチ別荘遊びは、昨年の秋、暮れ、今冬、そして、今回で四度目となる。
余談ながら、ここ、兵庫県神崎郡神河町は、NHK朝の連ドラ「あまちゃん」のヒロイン、天野アキ役を演じる能年玲奈ちゃんの出身地である。
「能年」は本名である。
珍しい苗字だ。
その由来を調べてみた。
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「能年」という名字は山陽地方に点在している。
さて、その由来だが、中世に兵庫県姫路市にあった南畝村だろうとみている。
というのも、この南畝村、「のうねん」と読むのだ。
「南畝」で「のうねん」は難読のため、読み方に従って「能年」という漢字をあてたものだろう。
江戸時代には姫路の城下町に組み込まれて「のうねん」という地名は消失していることから、この名字のルーツはかなり古いことになる。
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苗字は地名に由来する、そのセオリー通りの答えであった。
因みに、「能年(のうねん、のうとし)」の苗字は、全国順位60,108位、全国人数おおよそ30人とのことである。
実家が神河町のどの辺りにあるのか、町役場に聞けば分かることだろうが、そこまでミーハーではない(ホントは、ちょいと訪ねてみたい気持ち、無きにしも非ずだが...)。
余談が過ぎた。
話を戻そう。

ログコテージに到着。
「上総さん、ハンモック、ハンモック!」。
「ほんなら、ちょっと、ハンモックで遊ばせてもらいましょか」。
ハンモックでサボる人。
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夕餉のBBQの火起こしで忙しくしている人、をハンモックに揺られながら眺める。
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ホタルは、日の暮れた夜8時頃から現れるとのことだ。
ゆるりとBBQで夕餉を摂る。

夜8時。
越知川沿いを歩く。
真っ暗である。
懐中電灯が頼りである。
見えた!あちらに数匹、こちらに数匹。
乱舞というほどではないが、雨が降ったり、風が吹くとホタルは出ないとのことなので、ラッキーと言えるだろう。
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=備考=
これは「ホタルの乱舞」です。
越知川のホタルではありません。
越知谷に向う途中、某所の案内図に貼られていた、某川のホタルの写真です。

二日目の夜も越知川に出掛けた。
連日、雨が降ったり止んだりの天気だが、幸いにも、初日、二日目ともホタル狩りの時刻には雨は止んでくれたいた。
二日目は雲間から星空さえ見えていた。
ホタルが一直線に並んで同時点滅。
ホタルが一直線に並んで時差点滅。
直線から三角形になったり、いろんな形を描いて飛ぶ。
こうして、ホタルをゆっくりと眺めていると、何とも不思議な昆虫だなあと改めて思う。
ホタルの語源、由来を調べてみた。
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「ほたり・ほたれ(火垂)」、「ほてり・ほてれ(火照)」、「ひたる(火足)」、「ほたる(火立る」」、「ほしたる(星垂る)」など諸説ある。
これらの説はホタルの特徴である「光」を基本に考えられており、「ほ」を「火」の母音交換形とする点でも一致していることから、ホタルの「ホ」については「火」と考えて間違いないであろう。
因みに、「星」の「ほ」も「火」が語源と考えられている。
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語源、由来を調べながら、野坂昭如の「火垂るの墓」を思い起した。
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この標識はこれまで何度も見て来ている。
しかし、標識に書かれている「ほたる舞ロード」は、今回初めて意識して眺めた文字であった。

フォト:2013年7月2日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-07-07 23:58 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(0)
2012年 12月 07日

『越知谷の夕暮れ』

12月2日から三泊四日で越知谷を訪れた。
8月、10月と夏、秋に続いての、初冬の越知谷である。
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越知川沿い、名水喫茶「わんかし」で珈琲を飲む。
地元の老婆の話に耳を傾ける。
話題は、ここら辺りに住む人たちの生活の様子、そして、冬の雪の様子についてだ。
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午後3時半、まだ、前方の山全体に日が差していたが、午後4時10分、前方の山の頂に僅かに日が差しているだけであった。
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越知谷の、初冬の夕暮れは早い。
そして、冬本番ともなれば、日の照る日が珍しいということになるそうだ。

フォト:2012年12月4日
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by kazusanokami | 2012-12-07 23:58 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(2)
2012年 11月 29日

『カズ公の秋の股旅日記/鞆の浦の巻』 am-44

沼名前神社を離れようとしたとき、神社の入口近くにある小松禅寺前で面白い看板に出くわした。
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「おーい、ちょっと、これ、見てみ」と某殿さまに声を掛けたが、聞こたのか、聞こえなかったのか、すたこら、先に行ってしまった。

瑞雲山安国寺(別称、備後安国寺)。
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安国寺は各地に同名の寺院が存在する。
南北朝時代、足利尊氏、直義兄弟が日本各地に建立した安国寺とそれ以前から存在した安国寺がある。
説明書きによると、この備後安国寺は足利尊氏により安国寺に改称されたとある。
安国寺と言えば、毛利氏の外交僧として羽秀吉との交渉窓口となった安国寺恵瓊を思い出す。
安国寺恵瓊の「安国寺」は、安芸安国寺(正式名/新日山不動院安国寺/広島市)の寺の名が由来であり、鞆の備後安国寺とは無関係である。
備後安国寺を拝観した際は頭の中がごちゃまぜになっていたが、ブログを綴るに当って整理が出来、すっきりした。

安国寺をもって鞆の浦の散策を終え、町歩きをしながら、鞆の浦バス停に向った。
「あっ、『うだつ』や!」。
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『うだつ』は脇町(徳島県)が有名だが、何処で見ても情緒がある。

「図書文房具 桂園堂」。
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いつの頃から掲げられているのであろうか。
「圖」の旧字体をはじめ、何とも味わい深い。
図書文房具より店の名が小さく書かれてあるのが奥床しい。

先ほど、寺町で見た「神農湯」に続き、またまた、琺瑯看板だ!
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あっ、神社だっ!
沼名前神社に続き、狛犬コレクションだ!
寄り道は毎度のことながら、なかなか、バス停まで覚束ない。

小烏神社。
「こがらす神社」、名前もなかなかよい!
一の鳥居。
扁額は「小烏大明神」。
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狛犬一対、阿形(右、奥)、吽形(左、手前)。
ここでも、四肢で立つ型を見た。
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二の鳥居。
狛犬と共に、散歩中の、本物の犬が登場!
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扁額は、勿論、「小烏大明神」。
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狛犬、阿形。
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狛犬、吽形。
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更に、裏口で狛犬一対、発見!
狛犬、阿形。
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狛犬、吽形。
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小烏神社の謂れについて調べてみた。
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室町時代後期に鍛冶を業とする人々が氏神として祀ったのが起源と言われている。
祭神は小烏大神と天目一箇神(あめのまひとつのかみ)となっている。
天目一箇神(あめのまひとつのかみ)は、日本神話に登場する製鉄・鍛冶の神である。
この小烏神社は、元々、鞆港周辺で業をなしていた鍛冶工を、福島正則の時代に、この地に集め、鍛冶屋町を作った。
昔の錨や船釘などから現代は伸鉄などに作るものは変わったが、現在もこの地区は鍛冶町と言い、その氏神として小烏神社は発展してきた。
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小烏大明神とは?
調べてみたが、よくは分からない。
因みに、小烏神社は、福岡県、香川県、京都府などにも散見される。
沼名前神社と同様、小烏神社にても、三対の狛犬をコレクションすることが出来た。

「約5時間の鞆の浦のご案内でした」と案内役の安芸守殿。
「いろんなところを案内して戴き、有難う御座いました5時間で鞆の浦を極めることが出来たのは、安芸守殿の案内があればこそでした。感謝、感謝です」。

最後を飾る風景として、この旧家を眺め、鞆の浦の散策を終えた。
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鞆の浦バス停からJR福山駅前行きのバスにのり、帰途に就いた。
尾道、しまなみ海道、弓削島、豊島、鞆の浦と、台風襲来をものともせず、愉しんだ三日間の旅であった。
さあ、翌10月1日からは、二泊三日の「越知谷プチ別荘あそび」である。
まだまだ続く「カズ公の秋の股旅」なのであった。

「鞆の浦 潮目の如く 空晴れて」 霹靂火

フォト:2012年9月30日

(第一部/完)
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by kazusanokami | 2012-11-29 20:55 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(0)
2012年 11月 29日

『カズ公の秋の股旅日記/鞆の浦の巻』 am-43

寺々を巡り、次は神社である。
狛犬コレクションだ!

沼名前神社。
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「ぬなくま神社」。
なかなか難しい読みの神社だ。
この辺りは、沼隈半島であり、沼隈郡と称していたこともあるが、「沼隈」は「ぬまくま」であり、「ぬなくま」とは音が異なる。
「沼隈」と「沼名前」は何らかの関係があるのか否かは今後の課題だ。
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堂々たる神社だ。
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随身門をくぐり、社殿に向う。
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さあ、狛犬コレクションの開始だ!
いつも通り、正面、斜め、横からなど、撮り過ぎるくらいにカメラの収める。
何れ、綴る「狛犬に関わる考察」ではこれらの写真を多用したいが、本ブログではハイライト的にアップロードしておこう。
狛犬、阿形。
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狛犬、吽形。
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ここ、沼名前神社の狛犬は、何れ綴る「狛犬に関わる考察」で相当に力(りき)の入るであろう、スタイリッシュな狛犬である。

社殿脇に鎮座する、末社の狛犬。
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四肢で立つ狛犬は、今年8月、讃岐で初めて見たので、珍しい型と思ったが、その後、大宰府天満宮、尾道/艮神社などでも見ることとなり、然程、珍しいものではなくなって来たが、この種の狛犬は関西では主流の型のひとつであることが分かって来た。

境内を散策していたところ、別の石段脇に鎮座する狛犬に遭遇した。
これも四肢で立つ狛犬である。
狛犬、阿形。
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狛犬、吽形。
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大きさ、丸っこさから、特筆に値する、四肢で立つ狛犬である。

狛犬コレクションは、都合3対。
狛犬くんたちと大いに遊んだ。
境内からの風景も愉しんだ。
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彼方の山は、仙酔島と思われる。

先ほどの寺々のある一角から少し離れたところにある、安国寺(備後安国寺)に向う。

フォト:2012年9月30日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-11-29 15:48 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(0)
2012年 11月 29日

『カズ公の秋の股旅日記/鞆の浦の巻』 am-42

医王寺を下り、多くの寺の集まった一角を散策する。
台風は何処あたりか?
空はすっかり晴れ渡っている。
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案内役の安芸守殿の話によると、一時は二十数寺あったとのことだが、今でも十数寺あるとのことであった。
訪れた寺は、円福寺、福禅寺(対潮楼)、医王寺、安国寺(別称、備後安国寺)、その他にも安国寺(別称、備後安国寺)をはじめ、数々の寺が町の一角に集まって、寺町を構成している。
あと付けで、鞆の寺院一覧を電脳網で参照したところ、17の寺があり、前述の寺のほか、阿弥陀寺、顕政寺、小松寺、正法寺、地蔵院、慈徳院、静観寺、浄泉寺、善行寺、大観寺、南禅坊、明円寺、法宣寺があった。
鞆は寺の町でもあることがよく分かった。

町歩きをしながら、歴史も。
山中鹿之助首塚。
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ささやき橋。
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「山中鹿之助首塚」と「ささやき橋」の解説。
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琺瑯看板、大好きなもののひとつである。
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石畳の通りを走る、自転車おじさん/その1。
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石畳の通りを走る、自転車おじさん/その2。
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のどかである。

フォト:2012年9月30日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-11-29 14:09 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(0)
2012年 11月 29日

『カズ公の秋の股旅日記/鞆の浦の巻』 am-41

坂道を上り、医王寺に向う。

桃林山慈眼院医王寺。
仁王門をくぐる。
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石段の先に鳥居が見える。
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神社に鳥居がある、それは普通の光景だ。
寺に鳥居は奇異に感じるが、これも、時々、見る光景だ。
これは、寺と神社の関係が歴史的にいろいろあるためだ。

境内の高台から鞆の浦を眺望する。
絶景!である。
有難いことに、絶景を眺め始めたそのとき、時宜を得たかのように、降り続いていた雨が上がり、明るいさが出て来て、絶景に華を添えたのであった。
案内役の安芸守殿は晴れ男!なのだ。
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先ほど、港に掲示されていた「鞆の港」の解説を読んだ。
潮目のことが触れられていた。
その潮目とは別物かもしれないが、海面に現れた、見事な潮目模様が見て取れた。
やっぱり、絶景!である。

絶景のあとは、医王寺についてベンキョーだ。
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絶景を大いに愉しんだ。
鳥居をくぐり、下山する。
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先ほど、触れた、寺と鳥居のことにつき、少々、余談を。
鳥居に刻まれた文字を見たところ、「奉〇鳥居〇〇愛宕山大権現講中」、「元文〇〇丁巳〇〇三月吉日」とあった。
愛宕権現について紐解いて見ると次の通りであった。
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愛宕権現は、山城国愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする。
神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、愛宕山白雲寺から勧請されて全国の愛宕社で祀られた。
1868年(慶応4年)の神仏分離令による廃仏毀釈によって、修験道に基づく愛宕権現は廃された。
1870年(明治3年)天台宗・真言宗両義の白雲寺も廃寺に追い込まれ、愛宕神社(京都府京都市右京区)に強制的に改組された。
少数だが、廃仏毀釈を乗り越えて、現在でも愛宕権現を祀る寺院は存続している。
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ついでと言っては何だが、しばしば、訪れる東京の愛宕神社についても紐解いてみた。
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1603年(慶長8年)、徳川家康の命により創建。
徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請し、別当寺である円福寺に祀ったことからはじまる。
明治の廃仏毀釈により円福寺が廃寺となった後は、勝軍地蔵菩薩は近くの真福寺に移されたが、関東大震災で焼失した。
総本社は京都の愛宕神社である。
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医王寺の鳥居ひとつで、随分とベンキョーさせて貰った。

空はすっかり晴れ上がった。
坂道を下り、安国寺、沼名前神社方面に向う。

フォト:2012年9月30日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-11-29 12:01 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(0)
2012年 11月 29日

『カズ公の秋の股旅日記/鞆の浦の巻』 am-40

港をあとにして、医王寺へ向う。
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鞆の町は路地の町。
路地の風情を楽しみながら、本通りを進む。
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福山西警察署/鞆交番。
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本家醸造元ミツボシ保命酒。
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「安政2年(1855年)当時、藩が発行する酒造株を得て、清酒業で業を起こしました。明治に入り、初代岡本亀太郎の時代に、徐々に保命酒業に転業し、保命酒の醸造販売の基礎を築き現在に至ります。日本古来の酒文化を大事にし伝統を今に伝えております。」(株式会社岡本亀太郎本店ホームページ抜粋)
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この「塔」は何処かで見たことがある。
そうだ!鞆の浦観光の冒頭で、鞆城址から鞆の浦の全景を眺めたときに見えていた塔だ。

ショートカットして、秘密(???)の細道を通る。
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鞆出身の安芸守殿ならではの案内だ。

医王寺へ続く坂道に出る。
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平賀源内生祠。
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生祠(せいし)とは、生存中に神として祀ることである。
蘭学者、平賀源内(1728-1780、享保13年-安永8年)は、讃岐国寒川郡志度浦(現・香川県さぬき市志度)の生まれ。
長崎で学んだ帰り、鞆の浦の溝川家に立ち寄った。
その時、ここで陶土を発見し、オランダや中国の陶法を取り入れた源内焼の製法を伝えた。
溝川家がこの祠を祀ったのは1764年(宝暦14年)ということから、平賀源内の生祠と認められるとのことである。

平賀源内ゆかりの地はあちらこちらで見られる。
例えば、隅田川左岸をポタリングしていると、清洲橋から少し下った江東区清澄一丁目に「平賀源内電気実験の地」の碑がある。
エレキテル(摩擦起電器)の実験で有名な平賀源内は、現在の江東区清澄一丁目の自宅でこの実験をしばしば行って人々に見せたとされる。

盟友、大給守殿から「国許近くに平賀というところがあります。平賀源内の祖はここから出ているのです」との薀蓄があった。
平賀氏は讃岐高松藩の足軽身分の家だが、元々は、信濃国佐久郡の豪族で、戦国時代、平賀玄信の代に、甲斐の武田信虎、晴信(のちの信玄)父子に滅ぼされ、奥州の白石に移り、伊達氏に仕え、白石姓に改めた。
伊達氏は、1614年(慶長19年)、伊達政宗の庶長子、秀宗が10万石で伊予に入封したことに伴い、平賀氏(白石氏)は四国へ下り、後に、讃岐で帰農したという。

余談ながら、"Tyrell"ブランドのjitensha メーカーである有限会社アイヴ エモーションは香川県さぬき市に所在する会社で、トラス構造を駆使した、ユニークな jitenshaを製造している。
そのユニークな発想は、志度(現・さぬき市)出身の平賀源内に相通じるところがあるのかもしれない。

平賀源内の生祠(写真を撮り損ねたので、某サイトから引用したものです)。
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更に坂道を上り、医王寺の仁王門をくぐる。
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フォト:2012年9月30日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-11-29 09:43 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(2)
2012年 11月 28日

『カズ公の秋の股旅日記/鞆の浦の巻』 am-39

美味しい昼餉を頂戴した潮待ち茶屋から、港に向う。
いりこ屋、船具店、保命酒屋などに寄り道しながら、鞆港に到着。
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右手の蔵は、「大蔵」に設けられた「いろは丸展示館」。
鞆の町では、この蔵は「大蔵」と呼ばれているとのこと。
「大蔵」にカメラを向けているオレンジ色の御仁は、摂津守殿のようだ。
何を撮っているのか?
それは、これであろう!
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今回は「大蔵」の中を見学しなかったが、いろは丸衝突事件に関わる引き揚げ物や坂本龍馬の隠れ部屋などが展示されているとのことだ。

常夜燈。
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常夜燈に刻まれた文字は「金毘羅大権現」。
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前日の、豊島での海上タクシーの操舵室の神棚以来の「こんぴらさん」だ。
「こんぴらさん」は kazusayome の実家近く。
ここ暫らく、参拝はご無沙汰となっているが、いつも、本宮までは786段マイナス1段=785段、奥の院までは1365段、ひょっとしたら、これが最後かもと思いながら石段を上っている。
本宮まで786段マイナス1段=785段の意味は、786段は「悩む」に通じるとのことで、途中で下りを1段、設けて785段とし、「悩む」を避けるように石段は造られているとのことである。
昔々、初めて「こんぴらさん」にお参りしたとき、団体さんのガイドさんがそう説明していたことが今も記憶に残っている。
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「鞆の港」を一読する。
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瀬戸内の中央に位置する鞆は、内海の潮の干満の分岐線にあたる。
内海を航行する多くの船は、この潮に乗っての航法であったので、「潮待ち」をここ鞆で行った。
こうしたことが、多くの伝説を生み、万葉に歌われ、中世から近世にかけて歴史上の舞台として度々登場したゆえんである。
明治以降、鉄道の開通、汽船の就航等により「潮待ち」をする船もなくなったが、今日もなお、当時の港の活況を察知しうる港湾施設が良く残っている。
沖に突出する波止、ここにある常夜燈、雁木という階段状の船つき場、港に面しての豪商や回船問屋とその土蔵等々、江戸時代の港町、鞆の繁栄ぶりを示すものである。
この船着場は、文化8年(1811)に築かれたもので、雁木、常夜燈(安政6年、1859年再建)はいずれも花崗岩製である。
なお、この船着場に臨む建物は、背後の保命酒屋、旧中村家(県史跡鞆七郷落遺跡)に関連するものである。
福山市教育委員会
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誠に分かり易い解説である。
鞆が内海の干満の分岐線にあたるとは知らなかった。
大変、ベンキョーになった。

鞆の港に関わる解説の隣りには、こんなポスターが。
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「筝曲大演奏会」のポスターには、宮城会角田社中や宮城会吉田社中などの名が見える。
宮城道雄ゆかりの地、筝が盛んなのであろう。
もう一つのポスターには、「ふくやまアート・ウォーク2012 鞆の浦 de ART 朝鮮通信使なう。」の文字のほか、BINGO と KOREA の文字が大書されている。
BINGOは、ゲームのビンゴではない。
備後国のBINGOである。
鞆も含む福山のあたりは、その昔、備後国であったが、諸般の事情で、広島県に属している。
備後灘の呼称はそのまま残っている。
よって、この日の案内役、「安芸守」殿は、「備後守」と呼ぶべきかと。
それが、まさに、ビンゴ!であろう。

港をあとにして、医王寺に向う。

フォト:2012年9月30日

(つづく
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by kazusanokami | 2012-11-28 12:31 | 旅、旅、旅/いろいろな旅 | Comments(0)