『上総守が行く!』

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カテゴリ:カメラ( 11 )


2012年 05月 03日

『マグナム・フォト/コンタクトシート』

少々、旧聞ながら、「マグナム・フォト」について、触れてみたく。

3月某日、関西の盟友、六々守殿から「銀座リコーフォトギャラリーでマグナム・フォトの写真展があります。是非!」と、お奨めがあった。
4月下旬、銀座リコーフォトギャラリー《RING CUBE》に足を運んだ。
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「マグナム・フォト創設65周年記念写真展/マグナム・コンタクトシート」。
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エレベーターで9階へ。
そして、螺旋階段で1段下がり、8階の展示室へ。

マグナム・フォトは、1947年、ロバート・キャパ(ハンガリー人)の発案で、アンリ・カルティエ=ブレッソン(フランス人)、ジョージ・ロジャー(イギリス人)、デビッド・シーモア(ポーランド人)らが創設した、会員が出資して運営する写真家の集団である。
「マグナム」の名は、シャンペンの大瓶に由来するといわれている。

主催者、リコーフォトギャラリーの、本写真展に関する冒頭の言葉。
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アンリ・カルティエ=ブレッソン、エリオット・アーウィットを始めとする偉大な写真家、そして、ジョナス・ベンディクセンら、近年、活躍が目覚しい写真家たち68名による作品をコンタクトシートと共に展示。
各写真家が、あるイメージをどのように構築し、どのように最高の一枚を選び出したかが、コンタクトシートに記録され、写真家独自のアプローチが明らかになる。
コンタクトシートを介して、最終的に選ばれた作品を閲覧すると、写真集と共に歩き、彼らの目を通して見るような舞台裏の感覚を与えてくれる。
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館内は撮影禁止。
写真を言葉で綴るのは難しいことだが、幾つかの作品について触れてみたい。

マグナム・フォトの発案者、ロバート・キャパの展示作品は「D-Day/ノルマンディ フランス/1944年6月」であった。

デビッド・シーモア/ナポリ イタリア/1948年
標題はメモし損ねたが、少女の顔、手には何かを縫っているような写真。
「48-25-7」(1948年7月25日の意味であろう)と書かれたコンタクトシートで、10ショットが見られる。
その中のひとつが赤いペンで四角くマークされている。
シーモアは10ショットの中でこれを選んだのである。

ワーナー・ビショップ/明治神宮御苑/東京 日本/1951年
雪の神宮御苑に二人の人影が写った写真。
コンタクトシートでは12ショットが見られる。
その中のひとつが赤いペンで四角くマークされていた。

ルネ・プリ/チェ・ゲバラ/バハマ キューバ/1963年
コンタクトシートでは36ショットが見られる。
「KODAK TRI X PAN 」の文字も焼付けられている。
36ショットをひとつずつ見る。
選ばれた写真を見てしまっているので、そう思うということもあるかもしれないが、選ばれた写真とそうでないものを見比べていくと、その違いが分かるような気がする。
ポイント、それは、ゲバラの目線ではないだろうか。

デビッド・ハーン/ビートルズ/ロンドン イギリス/1964年
コンタクトシートでは28ショットが見られる。
コンタクトシートには、「HUD64-014」、「00154」、「KODAK TRI-X PAN FILM」の文字もある。
スタジオでの、ビートルズの様子が撮られている。
コンタクトシート28枚の中でマークの付されたものに「MAR 05」の文字も見られる。
1964年3月5日に撮影されたものであろうか。
ビートルズがレコードデビューしたのは1962年のことであるから、デビュー間もない頃の写真である。
左からジョン・レノン、ポール・マッカトニー、ジョージ・ハリソン、ジョンとポールの間の、少し、奥にリンゴ・スターという並びの写真となっている。
何故、この写真が選ばれたのか、それは手前に四人が描く三角形、その背後にスタジオの広い空間という構図からではないかと想像する。
そうしたことにも増して、当時、皆、若かったことが、今、インパクトとなっている。


ピーター・マロー/マーガレット・サッチャー/ブラックプール イギリス/1981年
コンタクトシートでは42枚ショットが見られる。
コンタクトシートには「81-24-02 2/3」の文字もある。
1982年2月24日に撮影されたものと思われる。
「2/3」とあるので、「1/3」と「3/3」もあるのであろう。
であれば、42ショット以上があるということになる。
コンタクトシートにマークされた写真は、サッチャーさんが少し上を見上げた顔となっている。
サッチャーさんの首相在任期間は1979年から1990年までなので、首相に就任して間もない頃の写真である。

主催者、リコーフォトギャラリーの、本写真展に関するクロージングの言葉。
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当初、彼らはあまりコンタクトシートの重要性にこだわっていなかった。
しかし、次第に自分が押したシャッターの軌跡でもあるコンタクトシートの意義に気付くようになった。
コンタクトシートは、まさに、写真家の目が何を見て何に反応し、それをどのような角度から捉えたのかを時間軸で表わす、紛れもない真実の記録だからだ。
デジタル時代の到来により、フィルムを用いたコンタクトシートは作業道具というよりは、むしろ、クリエイティブなインスピレーションの元として使用されることが多くなった。
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マグナム・フォトの大家とは比べ物にはならないが、コンタクトシートを見ながら、小生の写真ノートのことを考えた。
小生は、ノートに写真番号とそれに対応するシーンを整理している。
同じシーンを何枚も撮っているときもある。
コンタクトシート(デジタルではサムネイルか保存ファイル)にマークする代わりに、ノートにマークをしている。
このノートはブログ編集の際にも大いに役立っている。
小生のコンタクトシートは、このノートなのである。

「マグナム・フォト/コンタクトシート」を見ながら、1枚の写真の裏には、随分、多くの意味が含まれていることを再認識した。

フォト:2012年4月20日
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by kazusanokami | 2012-05-03 23:53 | カメラ
2012年 03月 24日

『風景の記録-写真資料を考える-』 rh-2

第五章 風景を記録する-石井實と「地理写真」-

本展で展示している資料のうち、戦後の写真の多くは、「石井實フォトライブラリー」(本館蔵)のものです。
これは地理教師の石井實(1926~2007)が、60年以上にわたって撮り続けた写真です。
一枚一枚には撮影日と撮影場所が記録されており、風景の資料であると同時に貴重な歴史資料ともなっています。
(企画展示のリーフレットより)

石井實氏は、小学校、高校、大学で地理の先生を務めた人物。
地理学的に意義のある自然景観や文化景観などを写真で記録し、それを「地理写真」と名付けたとのこと。

彼が撮影した各地の写真は、幾冊もの、コンタクトプリント撮影帖の形で整理されていた。
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これらのコンタクトプリントは能登のよう。
一昨年の秋、能登を旅したことでもあり、
コンタクトプリントされて風景は勿論のこと、KONIPAN SS や SAKURA FILM の印字が印象的。

石井實先生が使用したカメラが展示されていた。
konica 35mm用カメラ、1949年(昭和24年)製。
Made in occupied Japanと刻印されていた。
戦後、間もない、困難な時期であっても、先生は写真を撮り続けていたのである。

何気ない風景、しかし、地理の先生の目から見れば、崖の形状であったり、川の形状であったり、いろんなことを学術的に見ることが出来るのであろう。
そして、リーフレットにある通り、風景の資料であると同時に歴史資料にも。

何気ない風景から何かを読み取る、そして、カメラに収める、そういう姿勢で、jitenshaを走らせながら写真を撮っていることは正しいと思った。

フォト:2012年1月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-03-24 23:53 | カメラ
2012年 03月 23日

『風景の記録-写真資料を考える-』 rh-1

「風景の記録-写真資料を考える-」。
国立歴史民俗博物館(佐倉市)にて、2011年11月8日から2012年1月15日まで開催されていた、平成23年度企画展示。
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七つのコーナーと、東日本大震災によせての特設コーナーで構成されていた。

第一章 広がる風景-江戸・東京の街並み-
第二章 くらしの風景I-点描 東京の街-
第三章 旅の記録と写真
第四章 府県写真帖に残された風景
第五章 風景を記録する-石井實と「地理写真」-
第六章 変わる風景-長崎の風景史-
第七章 くらしの風景II-東京の山村 奥多摩-
特設コーナー 風景の記録と記憶-東日本大震災によせて-

本ブログでは、第一章、第五章と特設コーナーについて綴ってみたく。
なお、館内および指定された場所での撮影は禁止であったので、本ブログでの掲載写真は看板等のものを流用することとしたい。。

第一章 広がる風景-江戸・東京の街並み-

風景は広がりを持っています。
それを広がりとして記録することで、日々の暮らしの舞台となった風景画がもつ様々な側面や、通常は被写体にならないような風景でもくまなく記録することができます。
第一章では、幕末から明治・大正までに撮られたパノラマ写真や空中写真などを通して、世界有数の大都市である江戸・東京の街並みの風景が広がりとしていかに記録されてきたかを考えます。
(企画展示のリーフレットより)

「愛宕山から見た江戸の街並み」(1863年8月撮影、長崎大学付属図書館蔵)。
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幕末に来日したイタリア人写真家フェリーチェ・ベアトが愛宕山から撮影した江戸のパノラマ写真であった。

このパノラマ写真に関する解説は次の通りであった。
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あたご山の山頂から東方に向けて北は虎ノ門付近から南は増上寺付近までを写す。
江戸の街の広がりと共に、大名屋敷の内部までわかる貴重な写真である。
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=備考=
もう一枚のパノラマ写真は「あたご山の山頂から北方に向けては西は溜池・日枝神社付近から東は虎ノ門付近までを写す。左の長い表長屋が肥前国佐賀藩鍋島家中屋敷。右の遠景に江戸城が見える」であった。

このパノラマ写真を眺めながら、忠臣蔵、赤穂浪士を趣味とする小生にとり、誠に興味深い風景を見て取ることが出来た。
それは、パノラマ写真の真ん中あたりで、ひときわ、高く写っている大樹。
陸奥国一関藩田村家上屋敷内の銀杏の大木で、「お化け銀杏」と称されているものである。
田村家上屋敷は、あの「松の廊下事件」で吉良上野介に斬り付け、切腹した、浅野内匠頭の終焉の地でもある。

この「お化け銀杏」は関東大震災で焼失し、その跡に「田村銀杏稲荷大明神」の社(やしろ)が祀られた。
その社は空襲で焼けたとのことだが、その後、再建された社が数年前まであった。
その後、環状2号線の工事が始まり、今は、この社を見ることは出来なくなっているが...。
因みに、「切腹最中」でお馴染みの、新橋・新正堂の店内に、この「お化け銀杏」の写真が掲げられていたやに記憶する。

パノラマ写真の意義は「通常は被写体にならないような風景までもくまなく記録すること。一方、一枚の写真に記録された風景をより適切に理解するためには、その風景写真の断片にある風景を知ることも欠かせない」とあった。
《その風景写真の断片にある風景を知ることも欠かせない》、合点のいく言葉だ。
写真には撮影者の意図したことと、それ以外のことも写っていることがあり、写真を見る際、写真からいろいろ読み取る楽しさがある。
それは自ら撮影した写真であっても、である。
自ら写したものであっても、意外なものが写っていることもある。

3月6日から5月6日まで、東京都写真美術館にて「J. ポール・ゲティ美術館展/フェリーチェ・ベアトの東洋」が開催されている。
同館のホームページを見ると、「フェリーチェ・ベアト 愛宕山からみた江戸のパノラマ」(1863年-64年 鶏卵紙 東京都写真美術館蔵)と添え書きされた、パノラマ写真が掲載されている。
「J. ポール・ゲティ美術館展/フェリーチェ・ベアトの東洋」で、このパノラマ写真が展示されているのかどうかは分からないがが、同館を訪れ、今一度、ゆっくりと、フェリーチェ・ベアトが撮影した写真を鑑賞してみたく思っている。

フォト:2012年1月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-03-23 23:58 | カメラ
2012年 02月 28日

『3/11 キッズ フォト ジャーナル』

東日本大震災から1年が経とうとしています。

昨27日、「3/11 キッズ フォト ジャーナル写真展/東北の子供たちが撮影した『希望』」に足を運びました。
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岩手、宮城、福島の小中学生が撮影した写真展です。

被災の様子、仮設住宅の風景、お年寄りの顔、子供たちの笑顔、働く人たちの風景、建設中の新校舎の風景...。
子供たちの感性で撮った写真、ファインダーを覗きながら、《希望》に向って。
子供たちには希望を抱いてもらわねばなりません。
しかし、写真の中には、胸の痛む風景も。

「ふるさとの山道」。
ぼくと親友の斗治くんのふるさとの山道です。放射能が高いいわきから広島に引っ越した斗治くんとまた会える日を楽しみに待っています、とのコメントが添えられていました。
里山の、何気ない道の風景ですが、そこに込められた思いは、厳しい現実と、友と会える日を待つ《希望》でありましょう。

「帰れない我が家」。
この先700メートルのところに3月まで住んでいた家があります。上から撮れば、家が写るかもしれないと思って電柱にのぼって撮影しました、とのコメントが添えられていました。
道に置かれた柵と立入禁止の札、そして、その脇に電柱がある風景。
家が直ぐそばにありながら、そこへ帰れないもどかしさ、そして、電柱に上ることは《希望》への道か。
いや、それを希望というには、この子供さんにとっては酷なことでありましょう。

地震と津波は自然災害であったとしても、原発事故は人災と思わざるを得ません。
撮影するときの子供たちの心中は察するに余りあるものがあります。

震災がなければ、子供たちはカメラを手にすることはなかったかもしれません。
震災は不幸なことながら、これをきっかけに写真を撮ることを楽しんで欲しいと願うばかりです。
そして、彼らの中から写真家やジャーナリストを志す人が何れ出て来ることでしょう。

写真展では、写真集「3/11 キッズ フォト ジャーナル」(講談社)のサンプルが置かれていました。
「この本の印税の一部は3/11 キッズ フォト ジャーナルを含めた《RESTART JAPAN》の活動支援に当てられます」との掲示がありました。
早速、本日、書店で、この写真集を買い求めました。
写真好きのおっちゃんから子供たちへの僅かばかりの応援の気持ちを込めて。
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写真展は、銀座ソニービル1階エントランスホールにて、2月29日まで開催されています。

フォト:2012年2月27日、28日
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by kazusanokami | 2012-02-28 23:58 | カメラ
2012年 02月 10日

『ジム・ブランデンバーグ写真展/A TRIBUTE TO NATURE』 jb-2

第一話では、ジム・ブランデンバーグの言葉について、綴ってみました。

第二話では、本写真展の作品について、綴ってみたく。。

39の作品を、ひとつずつ、ゆっくりと鑑賞しました。
自分なりに気に入った写真を選んでみました。

「わき上がる嵐雲とハクチョウ」(ミネソタ州)。
旧本埜村"白鳥の郷"に通っていることもあって、この写真に惹かれました。
そして、構図が気に入りました。
画面の右上に、右方向に向って、3羽のハクチョウが飛翔する姿。
3羽とも、羽の広げ方が全く同じで、美しい。
画面の右上、右方向へ、ということは、飛ぶ方向には余白はなく、《寸詰まり》。
しかし、《寸詰まりに》に見えないところがプロのなせる技なのでありましょう。

「朝日に映えるカルナックの列石」。
本写真展で、動物の写っていない、唯一の、風景写真。
昨年12月、上野の森美術館「森仁志のあゆみ展」にて、森仁志の描いた「カルナック」を鑑賞したこともあって。
そして、この目で見たことのある、イギリスの「ストーン・ヘンジ」も、同じ、巨石遺構でありながら、全く雰囲気のことなる「カルナック」の風景に圧倒されて。

「秋のシチメンチョウ」。
作品に添えられた《アメリカ建国の父の一人、ベンジャミン・フランクリンは、ハクトウワシではなく、シチメンチョウを国鳥にしようと主張した》との、ジムさんの言葉に、思わず、笑みが。
国鳥がシチメンチョウなら、アメリカは、もう少し、大人しかったかもしれません。
この逸話を読みながら、バーボン・ウィスキー「ワイルドターキー」のラベルが目に浮んだりもして。

「ナミビア砂漠のオリックス」。
第一話の冒頭に掲載した、リーフレットの表紙の写真です。
どのような写真かは説明不要かと思いますが、左右の陰影、オリックスの姿とその影、そして、手前から続く、その足跡...。
まさに、プロの写真ですね。
目の高さからして、低空飛行の飛行機から撮ったのかな? であれば、爆音でオリックスは逃げてしまうだろうし、パラグライダーから撮ったのだろうか?とか、あれこれ考え、楽しんで...。

「ルーキー池のハシグロアビ」(ミネソタ州)。
構図が気に入りました。
画面を4分割に。
左下にハシグロアビの姿が。
ハシグロアビを中心に小さな波が輪を描いて。
右上に3本の細い杭が。
その影が3本、手前に。小さな波を受けて、細かく揺れて。
時折、手賀沼印旛沼で、水鳥と杭の風景を撮ることも。
そうしたことをイメージしながら鑑賞しました。

「金色に輝くハシグロアビ」(ジャッド湖、ミネソタ州)。
構図は、両方の羽を広げて、大きく羽ばたくアビを背中側から。
その向こうには、明るい光が。アビの羽先が透けて見えるくらいに...。
写真のみならず、「アメリカの鳥類の中で、アビは最も古い種であり、7000万年前の間、ほとんど変化していない」の旨、種の進化についての言葉もあり。
写真を撮る者は、いろんなことを知っていなければならないのであります。
写真に限らず、で、ありますが...。
どんな鳥なのか、更に知りたく、ハシグロアビをネットで検索してみました。
「ナショナル ジオグラフィック 公式日本語サイト」に、大家の写真とは趣きを異にした、雛を連れたハシグロアビの大判フォトが現われました。

「流氷を渡り歩き獲物を探すホッキョクオオカミ」。
ジム・ブランデンバーグは"オオカミの写真家"とも言われています。
幾つか、展示されているオオカミの作品の中で、"お気に入り"となったのがこの写真です。
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極寒の地、北極圏で、カメラを構えて、じっと待つ。
ホッキョクオオカミが現れる。
宙を飛んでいる姿を捉える。
これこそ、《見させる》写真、プロの写真、かと。
その、宙を飛んでいる姿をアップで。
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ついでに、と申しては何ですが、看板下段の、バイソンと凍える平原の風景もアップで。
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館内は撮影禁止。 受付で「写真展の外側を撮ってもいいでしょうか」と尋ねたところ、「館内の写真が写らないように、入り口の看板だけなら結構です」と了解を得て、撮ったのが、これら3葉の写真です。

これらの"お気に入り"の中で、殊に、「わき上がる嵐雲とハクチョウ」と「ルーキー池のハシグロアビ」が、画風として、"お気に入り"となりました。
これら2作品は、動物写真という感じではなく、鳥と風景が一体となっており、小生が手賀沼で撮る画風と似ているということで。
大家に対し、僭越な申し様ではありますが...。

帰路、新宿ミラノ座にて、映画「ハンター」を鑑賞。
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或るバイオ・テクノロジー企業の依頼を受けたハンターが、絶滅したと言われるタスマニア・タイガー(フクロオオカミ)の生体サンプルを採取するために、タスマニアへ。
動機は今様の不純なことながら、絶滅種を題材にした、サスペンス仕立ての、オーストラリア映画。
結構な作りの映画で、主演のウィレム・デフォーも好演。
タスマニア・タイガーの姿やタスマニアの自然も楽しめる、見方によっては、動物映画とも言える作品でしょう。

この日は、動物の映像三昧の1日でありました。

フォト:2012年2月5日

(完)
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by kazusanokami | 2012-02-10 23:58 | カメラ
2012年 02月 10日

『ジム・ブランデンバーグ写真展/A TRIBUTE TO NATURE』 jb-1

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新宿/KONICA MINOLTA PLAZAで開催中の特別企画 『ジム・ブランデンバーグ写真展/A TRIBUTE TO NATURE』に足を運びました。
これは、"ハリマ・フィールドワーク・クラブ"の松柏木殿から、是非!と薦めのあった写真展でありました。

本写真展に寄せられた、ジム・ブランデンバーグの言葉。
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35年間、世界の辺境を旅して異国の地を巡りながら、「ナショナル ジオグラフィック」をはじめとする各誌に写真を提供してきました。
これらの土地には1台のシンプルなカメラさえあれば、誰にでも優れた作品が撮れるのではないかと思われるような圧倒的で力強さに溢れた光景がありました。

幸いにも私は国際的な出版社の支援により惜しみない資金と優れた機材、最高の撮影環境に恵まれました。

本展の作品は今回の展示のために日本の主催者によって独自に選ばれたものですが、驚いたことに、その半数が私の所有地内、もしくは自宅から歩いて30分以内の場所で撮影されたものでした。
私はミネソタ州内の3カ所に生活の拠点を置いています。
辺りを散歩するときは大抵カメラ1台と2つのレンズ(広角および手持ち可能な範囲で焦点距離が長い望遠の2点)のみを持って出掛けます。
今回の展示作品で三脚を用いて撮影されたものは7点だけでした。

このことは私の撮影スタイルをよく表しています。
そればかりではなく、被写体を理解し、被写体と特別な関係性を築くことが、撮影者にとっていかに重要であるかを物語っています。
私は自らが愛するこの人里離れた土地で、豊かな景観に恵まれて暮らしています。
これは実に幸せなことといえるでしょう。
しかし自らの身近な場所に被写体を追い求める熱意さえあれば、誰もが、本展の作品に見られるような視覚世界の豊かさに触れることができるものと思います。
加えて言うならば、日本は写真家にとって大変魅力的で文化的にもまた自然界においても、世界で有数の被写体に恵まれた国であるように感じています。

ジム・ブランデンバーグ
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大家の言葉は琴線に触れることばかり。

「これらの土地には1台のシンプルなカメラさえあれば、誰にでも優れた作品が撮れるのではないかと思われるような圧倒的で力強さに溢れた光景がありました」。
然り!
撮ってみたいという衝動に駆られる被写体に遭遇することがあります。
そうした被写体を見付けるのは、自分の感性、と思うこともあります。

「本展の作品は今回の展示のために日本の主催者によって独自に選ばれたものですが、驚いたことに、その半数が私の所有地内、もしくは自宅から歩いて30分以内の場所で撮影されたものでした...」。

生活拠点は、大家とは異にしますが、小生も自宅近辺や近郊をカメラを持って、jitenshaで。
手賀沼や印旛沼、利根川や利根運河、北新田、柏ふるさと公園...。

「辺りを散歩するときは大抵カメラ1台と2つのレンズ(広角および手持ち可能な範囲で焦点距離が長い望遠の2点)のみを持って出掛けます。今回の展示作品で三脚を用いて撮影されたものは7点だけでした」。

然り!
小生は、TAMRON AF 18-270mm(35mm換算 27-400mm)1本を携えて。
勿論、三脚は不携行。
jitensha ということもあって。

「私は自らが愛するこの人里離れた土地で、豊かな景観に恵まれて暮らしています。これは実に幸せなことといえるでしょう」。

「ジムさん、私も自らが愛する手賀沼近くで、豊かな景観に恵まれて暮らしています」、そして「jitensha で、ちょっと、足を延ばし、近郊へ遠出も。幸せなことです」と語り掛けたいですね。

「自らの身近な場所に被写体を追い求める熱意さえあれば、誰もが、本展の作品に見られるような視覚世界の豊かさに触れることができるものと思います」。

然り!
カメラを携行しているときと そうでないときでは、目に入るものが全く違うのです。

「加えて言うならば、日本は写真家にとって大変魅力的で文化的にもまた自然界においても、世界で有数の被写体に恵まれた国であるように感じています」。

ジムさんと一緒に、カメラを携え、jitensha で走ってみたいものですね。
それは叶わぬこととしても、これからは、いつも、ジムさんと一緒に、という気持ちで...。

続いて、39の作品をゆるりと鑑賞。
それらについては、第二話で。

フォト:2012年2月5日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-02-10 23:57 | カメラ
2010年 04月 29日

『東京都写真美術館』

昨年12月のハリポタ藩関東遠征時、御典医殿、六々守殿と共に「東京都写真美術館」へ。
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先般、図書館でこんな本を見付けました。
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「写真の歴史入門/第一部 『誕生』 新たな視覚のはじまり」
三井圭司著、東京都写真美術館監修
2005年、新潮社発行

東京都写真美術館開館10周年を記念して刊行された書籍。
カメラ・オブスクラに始まり、ダイレクト・プロセス/ダゲレオタイプ、人工着色、ネガ・ポジ・プロセス/カロタイプ等々、写真の歴史を仔細に亘って解説。
同館のコレクションである1800年代からの数々の写真を交えながらの解説は、誠に興味深い内容でした。

これを読みながら、カメラ好きであった親爺のことを思い出しました。
親爺は、カラーフィルムが売り出された頃、直ぐにこれに飛び付きました。
撮影済みのフィルムを富士フィルムのラボに送る(当時は町の写真屋さんでは現像が出来なかった)と、1枚ずつマウントを施したポジとなって返送されて来ました。
2枚のマウントが差し込めるスライドを映写機に装着し、カチャッ、カチャッと動かしながら、1枚を映写する都度、1枚を入れ替えてのスライド・ショーでした。
手動でのこの作業は子供の"仕事"でした。
"仕事"というよりも「僕がやるんだ」と兄弟での獲り合いであったかもしれません。
映写機、スライド、マウンテッド・フィルムを携え、お袋の里へ赴き、祖母にスライド・ショーで写真を見せたことも思い出されます。
その後、かなりの時を経て、カラープリントが普及し、今や、デジタルの世界に。
幼き頃のカラーフィルムが斯様なものであったということも、今や歴史に。
それを間近に体験させてくれた親爺に感謝です。

「写真は時間を切り取る」と長らく思っていた小生、この本を読み、「写真が超えることのできるものは『時』だけではない。遥かな『距離』さえも、悠々と超えることができる」との著者の言葉が心に残りました。

フォト:2009年12月15日、2010年4月29日
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by kazusanokami | 2010-04-29 23:23 | カメラ
2009年 10月 31日

『SHOJI UEDA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY』 Part IV

植田正治の作品に興味を持つようになったのは、次のようなことからでした。

2008年5月、小豆島を訪れたました。
「二十四の瞳映画村」で撮った数枚を、「二十四の瞳」と題し、同年7月25日付にてブログに掲載しました。

我が友、六々守殿より、有難くも、「上総守殿 3枚目、窓からの海の眺め、いいです。ちょっと植田正治風の写真の感じです。瀬戸内の、窓や露地からの海の眺めを撮ってみたいな」との書き込みを頂戴しました。

これを受けて、次のような遣り取りがありました。

「六々守殿 植田正治風ですって!? 穴があったら入りとう御座りまする」。

「上総守殿 植田正治の砂丘での写真こんなポーズをとった写真がたくさんあります。まさに、写ってる人たちが、それぞれポーズをとってるようでおもしろいです」。

「六々守殿 砂丘での写真、『植田正治写真美術館』のサイトで鑑賞しました。独特の感覚ですね」。

植田正治先生の手前、誠に僭越なことながら、2008年ライブラリーからその写真を取り出し、再び、ここに、掲載させて戴きます。

当時はカラーでしたが、これも僭越なことながら、今回は植田正治先生風にモノクロ化してみました。
オリジナルを弄ることは邪道であることを省みず...。

なお、撮影当時、植田正治先生の作品は全く頭の中にはなく、六々守殿の書き込みで、初めて、先生風だなと知った次第であることを申し添えます。

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六々守殿、mauyome殿ならびに御典医殿のお誘いのお陰で、植田正治の作品に、直に、この目で触れることが出来ました。
本当に良きところへお連れ下さいました。
ここに、改めて感謝申し上げます。

フォト:2008年5月4日

<完>
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by kazusanokami | 2009-10-31 07:38 | カメラ
2009年 10月 30日

『SHOJI UEDA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY』 Part III

「植田正治写真美術館」を訪れて、印象深い風景を、先ず、Part I と Part II で掲載しました。

ここで、「植田正治写真美術館」について、少し触れてみたく思います。

「植田正治写真美術館/Shoji Ueda Museum of Photography」、シンプルにして、内容の濃い美術館。
館内の大きなガラス窓を通して、伯耆富士と親しみを持って呼ばれる、大山の姿が一望出来る。
この風景も美術館に展示された作品のひとつの如し。
コンクリートの打ちっ放しからして、安藤忠雄の設計かと思いきや、調べてみると、島根県出身の建築家、高松神の設計。
伯耆富士の姿までをも取り込む造りに、この建築家の拘りが伺われます。
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流石、美術館です!入場券がお洒落です。
美術館の外観は、入場券に描かれた絵で分かる通り、四つのブロックが並んだような形。
これは、植田正治の作品、「少女四態」(1935年)をモチーフにしているとのことです。
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山陰らしさを思わせる曇り空ながら、夕暮れ時、西の空は明るくなって来ました。
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館内のショップで購った、二冊の本。
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館内のショップには、数多の写真集や書籍がありましたが、一冊目、帯に書かれた「アマチュア写真家諸君!この人を見よ」の言葉に惹かれ、先ず、これを購入。
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次に、今年5月に白河の関を訪れ、また、つい、先日、「みちのく行脚」で、紅葉、温泉、奥の細道三昧をしたことでもあり、同じく、帯に書かれた「芭蕉が300年待っていた写真家植田正治と歩きつつ詠む俳人黒田杏子の『おくのほそ道』」の言葉に惹かれ、これも購入。
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植田正治の作品に興味を持った、その理由などについては、Part IVで語りたく思っています。

フォト:2009年10月24日、10月30日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-10-30 23:11 | カメラ
2009年 10月 28日

『SHOJI UEDA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY』 Part II

Museum being accompanied by Mt. Daisen
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Photographs taken on 24th October, 2009
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by kazusanokami | 2009-10-28 22:07 | カメラ