『上総守が行く!』

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カテゴリ:湘南鎌倉ポタリング( 91 )


2014年 06月 23日

『鎌倉紫陽花めぐり&鯵祭』

6月14日(土曜)、晴れ。
午前8時、北鎌倉駅集合。
ドラポタ鎌倉ポタリングは、4月に続いて、今年、二度目の企画だ。
出馬は、伊豆守殿、武衛殿、南国守殿の三名。
大給守殿は参勤交代で国許にて草刈り、上総は定期検診にて、この二人は不出馬。
今回の企画は南国守殿によるもの。
題して、「鎌倉紫陽花めぐり&鯵祭」。
「紫陽花」は、当然のことながら、花のアジサイ。
「鯵祭」は、鎌倉ポタでの昼餉は逗子・小坪漁港のゆうき食堂を常としており、ゆうき食堂のアジの刺身定食と紫陽花を引っ掛けての南国守流の洒落、「鯵祭(あじさい)」なのである。
ルート設定において、2年前の経験から、紫陽花の有名どころである明月院や成就院は花の数より人の数の方が多いよと、不出馬ながら外野席からアドバイス。
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2年前、2012年6月の、名月院の様子を思い出して。
朝8時前、開門前から長蛇の列。
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8時半、開門。
境内中央路は大混雑。
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(フォト:2012年6月23日/2012年6月25日付ブログより抜粋)
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14日当日のケータイ実況中継はなかった。
電子飛脚便でのレポートがあるだろうと思い、待つも、15日、16日とそれも届かず。
ドラポタの世話役としては、月々のポタの日程調整や企画調整をやって来ており、不出馬であっても、ポタの様子を承知しておく必要がある。
6月17日、「鎌倉紫陽花巡り&鯵祭参加者殿 14日のポタに関わるレポートが全くないのは寂しい限り。実況中継あるいは事後報告はドラポタの法度であります。上総」の旨、電子飛脚便を遣わした。

小一時間後、南国守殿から電子飛脚便が遣わされた。
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ご家老殿
大給守殿

大変失礼いたし候
14日のポタ報告

8時に北鎌倉集合
愛馬を担いでいざ円覚寺へ、
開門早々の為人目もまばら、早朝の古寺は何となく風勢があり、ほほを伝う風もさわやか、
円覚寺の紫陽花はこれからという感じでまだ3~4分咲、若い外人グループに若いお坊さんの
英語での解説風景が観光鎌倉の原風景か、、、

円覚寺をあとに、明月院に向うも、北鎌倉駅から延々と続く人並みに、そく計画変更、東慶寺へ、、、
こちらは人でもそれほどでもなく、門をくぐってすぐ左サイドに今までみたこともない白い形の変わった、
長細い馬の鼻先だけを切ったような紫陽花が、家族連れが足を止めてついカメラをむけていた、
その向こうの小池に紫色の花を広げた菖蒲が、「いずれ、アヤメかカキツバタ、はたまた菖蒲か?」
ここに上総殿がいればきちんと見分けたあとに口上が、、、
木漏れ日こぼれる参道をゆっくり上っていくと、苔むす岩肌にちいさな可憐な紫の花が、これが岩たばこの
花か、、さらに、殆ど人影のない参道を進むと、200年以上の樹齢の杉木立に囲まれた中に厚い杉苔が
蒸した墓石がそこそこに、、、鶯の鳴き声が読経にも聞こえてきそうな想幻(幻想ではない)な雰囲気に酔いながら、
東慶寺をあとに、鎌倉街道を一路長谷寺に、、、

日本人の特性か、有名紫陽花寺院をどこもすごい人で、紫陽花の名所とすれが明月院が東の横綱なら
長谷寺は西の横綱、紫陽花散策路は整理券を発行、われわれも30分待ち、やっと入場できたかと思えば
紫陽花より人のお尻が目の前に、、、それでもなんと紫陽花の種類の多さよ、、、
人息に翻弄されて足早に長谷寺をでて、近くの光則寺へ、この寺を訪問してなにより良かったのは、
長谷寺で見られなかった、真っ赤な花びらのようなガクをつけたクレナイという名の紫陽花、
これがクレナイかと皆感心、、、
光則寺のあとは鎌倉で一番古いといわれる御霊神社を訪問、踏切の所に江ノ電と紫陽花のコラボを撮ろうと
多くの観光客がカメラを構えて、、、
御霊神社の後に本日最後の成就院へ、、、
ここは明月院、長谷寺を紫陽花の横綱とすれば、大関クラスか、、、
紫陽花参道は人だかり、、、
紫陽花見物もそこそこに、われらドラポタ班は一路小坪の鰺祭へ、、、

海岸沿いの道路を海風を切って快調にはしる南国馬、
快調すぎて、小坪に入る小道をわすれ、逗子に進む長いトンネルと通過、
追走した武衛馬が声をかけた時はすでに相当逗子側へ、
伊豆の守と相談、これから小坪に引き返すにはあの長いトンネルを登り返さなければ、、、
武衛どのの後のスケジュールの都合もあり、このまま逗子へ行き、そこで新店開拓と決定、
逗子駅に到着後、なんとなく食堂のありそうな商店街を歩いていくと、
すぐ左側に良さそうな海鮮食堂が、、、
良しここにしようとの判断が大当たり、、、
武衛殿が鰺たたき定食(新鮮な鯵のたたき、味噌汁、御新香、こぶの佃煮、納豆 1000円)
伊豆殿が生シラス定食(小坪港から仕入れた新鮮な生シラス、味噌汁、お新香、昆布佃煮、納豆 1000円)
南国が鰺刺身定食(新鮮な鰺の刺身 + 同上 1000円)
これに生ビールとアジフライ
どれも美味しく皆満足、満足、、、

というわけで天候にも恵まれ、紫陽花詣でも満喫、小坪をパスするハプニングがあったものの
逗子の海鮮食堂は大当たり、、、と満足ポタでした。

南国
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これに対し、次の通り返信。
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南国守殿
早速のポタ報告、忝く候。
某も筆は早いつもりながら、南国殿も相当の早書きに御座りまするのう。
鎌倉、紫陽花の有名どころの様子、よーく分かり申し候。
特記すべきは「人息に翻弄されて足早に長谷寺をでて、近くの光則寺へ、この寺を訪問してなにより良かったのは、長谷寺で見られなかった、真っ赤な花びらのようなガクをつけたクレナイという名の紫陽花、 これがクレナイかと皆感心、、、」。
某、ブログに綴りし通り、赤い紫陽花を追い求めおり、大変興味深きものと思い候。
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(フォト:2013年6月10日、屋敷前庭にて)
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紅のガクアジサイも見てみたきものに候。

西から東へ材木座海岸を直進すると、あの恐ろしき隧道へ入り込むのは自然の成り行き。
トンネルを抜けるとそこは逗子の海岸だった、、、。
引き返さなかったのは危険回避で大正解かと。
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2008年2月の、逗子・鎌倉一人ポタを思い出して。
逗子から鎌倉へ抜ける「伊勢山隧道」は往来激しく、小径車ではちょいと怖い感じで、幅の狭い歩道を<押し>にて通り抜けた。
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(フォト:2008年2月16日/2008年4月28日付ブログより抜粋)
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逗子商店筋にて鯵祭成立、ご同慶の至りに候。

ドラポタ五周年記念で、いずれ綴る「ドラポタの歴史」の参考とさせて戴く所存に候。
大儀に御座りました。
上総
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6月19日、南国守殿より更に電子飛脚便が遣わされた。
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ご家老殿
方々

アルチューハイマーの脳裏にかすかに残ったメモリーから短歌を少し、、、、

”あじさいに、浮かびし君の、面影を、思い出させし、鎌倉古刹”
”うぐいすの、読経ひびく、東慶寺、苔むす岩に、紫の花”
”五月晴れ、行きかう人の、長谷寺に、群れなすあじさい、我をわするる”
”あじさいの、花の種類は、多けれど、クレナイ勝る、光則寺庭(てい)”
”薫風を、切り裂き走る、材木座、ついぞわするる、小坪への道”
”行くべきか、戻るべきかや、梅雨空に、逗子の神様、行くべしという”
”逗子駅の、海鮮食堂、大当たり、あじさい(鰺祭)めぐり、これにて終了”

南国
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これに対し、次の通り返信。
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南国守殿
南国麻呂(みなみのくにまろ)殿
写し)方々
短歌を詠む南国守殿、ノーアルタカハツメカクスにおじゃりまするな。
ひとつひとつを拝見し、過日の鎌倉歩駄日記に沿い、上手いこと詠みおりたなと感心いたし居りましたところ、「ついぞわするる 小坪への道」で抱腹絶倒。
本年秋のドラポタ藩創設五周年記念ドラポタ大賞俳句短歌の部の候補に挙げることと致しませう。
併せて、南国麻呂(みなみのくにまろ)の名を捻り出しました故、和歌短歌を詠まれる際には、南国守の名と共にお使い戴ければ幸甚におじゃりまする。
ドラポタ大賞選考委員長 上総守霹靂火
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前回の鎌倉ポタ時にはカメラ携行でありた伊豆守殿は今回はカメラ不携行にて写真はなき旨、一報あり。
武衛殿は城勤め多忙にて週末に一句捻ることにしたいとの一報あり。
6月23日、武衛殿より電子飛脚便が遣わされた。
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上総守殿
方々
土日と国許に帰省し、天気の良かった土曜日に草刈りが終わりホッとしました。
風呂に入り、ビール片手に、鎌倉ポタを振り返りつつ。

円覚寺
万緑の中に舎利殿時重ぬ

東慶寺
ありがたし苔むす墓に眠る人
梅雨晴れのなか岩たばこ可憐なり

長谷寺
梅雨のころ花も団子も長谷の寺

光則寺
梅雨晴れになお土の牢湿りたり

御霊神社
紫陽花もひときわ古し権五郎社

成就院
紫陽花の緑豊かに由比ガ浜
紫陽花の峠、遥かに由比ガ浜

逗子
梅雨晴れにペダル軽やか逗子・・葉山

武衛
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紫陽花と並んで6月の花、東慶寺のイワタバコ、光則寺の「土の牢」が語る歴史、御霊神社の鎌倉権五郎景政の伝説、成就院からの眺望などなど、鎌倉は幾度めぐってもよき処である。

梅雨晴れに 紫陽花喰らう 龍の群れ  霹靂火

南国守殿と武衛殿からの電子飛脚便に、自身で撮った過去の写真を織り混ぜてブログを綴ってみた。
南国守殿と武衛殿からの電子飛脚便に感謝申し上げる。

フォト#1、2、3:2012年6月23日、明月院にて
フォト#4:2013年6月10日、屋敷前庭にて
フォト#5:2008年2月18日、逗子・鎌倉ポタリングにて
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by kazusanokami | 2014-06-23 17:41 | 湘南鎌倉ポタリング
2014年 04月 22日

『鎌倉、春のポタリング/大崎公園からの眺望』 sk-8

披露山公園から急坂を下る。
「披露山公園入口」まで「下りま専科」を愉しむことも出来るが、途中で左折。
披露山庭園住宅が建ち並ぶ別荘地の中を通り抜け、大崎公園へと向う。
別荘地の真ん中を貫く道は広く、緩やかな下り坂である。
緩やかな坂を下り切るとT字路となる。
大崎公園へ通じる細い坂道へと進む。
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「この付近の標高は約46.5m」の表示がある。
先ほどの披露山展望台では92.5mだったので、半分下って来たことになる。
坂道を数十メートル上り、「大崎公園」へ至る。
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左手、東の方角に疲労山公園が見える。
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高射砲砲座跡の展望台もよく見える。
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遊歩道を歩く。
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右手に、逗子マリーナとリゾート・マンション群、そして、相模湾に浮かぶ江ノ島が見える。
海に突き出した岬だけあって、先ほどの披露山展望台よりもより近くに見える。
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ゆうき食堂は写っていないが、右端をもう少し行ったところにある。
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桜と逗子湾。
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泉鏡花文学碑。
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ウサギをかたどった碑に俳句が刻まれている。
「秋の雲 尾上のすすき 見ゆるなり 鏡花」。
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泉鏡花は明治39年から数年間逗子に住み、その時期に「春昼」、「春昼後刻」、「婦系図」等の作品を発表したとのことで、逗子ゆかりの人なのだ。
何故、碑がウサギをかたどったものなのか調べてみた。
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泉鏡花は明治年(1873年)生まれで、干支は酉。
円に配した十二支の、酉の向いは卯。
これを「向い干支」といい、置物などを集めると出世するといわれている。
鏡花は母親から水晶の御守りを贈られ、晩年までウサギのコレクションを続けたとのこと。
鏡花は文学界一の兎蒐集家なのである。
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小生の干支は子、子の向い干支は午。
午を集めねばならないところながら、集めているのは龍とペンギン。
干支でいうなら辰と酉だ。
向い干支からちょっとずれてしまっているのだが、今更、コレクションを変える訳にはいかない。

遊歩道を戻る。
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今一度、相模湾を眺める。
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細道を下り、先ほどのT字路に出る。
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「来たのと同じように戻ると、別荘地の中は上り坂になりますけど」。
「左へ行けば、ショートカットで小坪漁港に出ると思うんですけど」。
「あちらにいる男性に聞いてみましょう」。
大給守さんが男性に尋ねに行く。
「左へ行って直ぐにガレージあり。その手前の角の細い道を行くと小坪漁港とのこと。流石、別荘地。ここら辺りの人は物言いに品がありますねえ」。

細道、いや、細い、細い道を下る。
普通の民家の間を通る、人がすれ違える程度の細い急な坂道だ。
ブレーキを掛けているのだが、タイヤが滑ってスルスルと勝手に下ってしまう。
そうこうしているうちに見慣れた道へ出た。
小坪漁港交差点から50mばかり離れたところへ出た。
このショートカットの道、一言でいえば、漁村の島で見られるような細い道である。
次回、大崎公園や披露山公園に行く場合はこの道を使った方が楽かもしれない。
同じ<押し>でも距離が短いから...。

小坪漁港で「海抜約3.2メートル」の標識を眺める。
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大給守さんは1月の東海道ポタのときと同様に歯医者のアポイントがあるという。
今からJR鎌倉駅まで走って、丁度よい時間だ。
1月は歯医者のあと反省会に加わったが、今回は反省会はなしとした。
新機軸もあった、盛りだくさんな「鎌倉、春のポタリング」であった。

フォト:2014年4月5日

(完)
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by kazusanokami | 2014-04-22 23:58 | 湘南鎌倉ポタリング
2014年 04月 22日

『鎌倉、春のポタリング/披露山公園からの眺望』 sk-7

新機軸!「披露山公園」。
昨年末、こんなことがあった。
盟友 信濃守殿から写真添付で「披露山からの眺めです」との電子飛脚便が遣わされた。
写真は江ノ島を遠望する風景であった。
馴染みのない名でである「披露山」をヤッホー!マップで調べてみた。
何と、いつも昼餉御用達の逗子・小坪漁港「ゆうき食堂」の直ぐ近くではないか!
更に、ヤッホー!マップを眺めていると、披露山公園の西の海に近いところに、「大崎公園」なるものもある。
鎌倉ポタリング(正確には鎌倉+逗子ポタリング)の新機軸として「披露山公園」と「大崎公園」を加えたのであった。

ゆうき食堂で昼餉を摂ったあと、披露山公園へと向った。
地図を見ると小坪漁港からの秘密の近道(???)があると思えたが、オーソドックスに地図にある「披露山公園入口」を目指した。
「披露山公園入口」からは上り坂だ。
「披露山」と山がつく限り、上り坂であることは予測はしていたが、結構、きつい上り坂だ。
はっきり言って、激坂だ。
自ら選んだ立ち寄り先だ。
諦める訳にはいかない。
途中から<押し>で頂上を目指す。
<押し>は昨年秋のしまなみ海道で村上水軍の居城、能島を眺望出来るカレイ山展望台以来、得意のパターンとなっている。

ようやく到着!
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案内板に目を通す。
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披露山は逗子市の西側に位置する高さ100mほどの台地です。
ここからは、東に逗子湾、北西には相模湾に浮かぶ江ノ島、背後に富士山や伊豆箱根連山、南には伊豆大島を望む素晴らしい景勝地となっています。
披露(ヒロ)の名は「ひらきあらわず」という、めでたいこと、良いことを公表する意味があり、鎌倉時代、将軍に献上物を披露した所、あるいは、献上の品物を披露する役人が住んでいた所ともいわれています。
披露山公園は昭和33年(1958年)6月7日に開園しました。
敷地面積5.8ha、公園の広場は第二次世界大戦時に海軍の高射砲陣地があったところで、三つの高射砲砲座(直径12m)と監視所の地下室が残されていました。
これらを利用して、砲座を展望台と円型花壇および猿舎に、監視所跡にはレストハウス等を設けていまs。
駐車場内には、終生、逗子で過ごした「憲政の神様」と言われた政治家、尾崎行雄の記念碑があり、「人生の本舞台は常に将来にあり」と刻まれています。
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高射砲砲座跡に建てられた展望台。
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「展望台の内側に砲座の跡が残っていますね」。
「映画『ナバロンの要塞』を思い出しますね。ナバロンの要塞は二門の巨砲だけど」。
どうしても頭は映画のことに向いてしまう。

展望台に上る。
入口に「標高約92.5m」の表示がある。
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「確か、ゆうき食堂の辺りは海抜3メートルくらいやったですねえ」。
「激坂であったことがよく分かりますねえ。一気に90メートル近く上った訳ですから」。

展望台からの眺め。
久しぶりに『遠・中・近三段手法』にて。
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眼下は別荘地である披露山庭園住宅、その向こうは逗子マリーナとリゾート・マンション群。
広がる海は相模湾。
中央に江ノ島、その右手奥に富士山。
霞んでいて富士の姿は見えないが、心眼で何となく富士の稜線が見える。
右手の波だっている辺りは手前から稲村ガ崎、七里ケ浜、腰越。
更に、片瀬、鵠沼、辻堂海岸とつづく。
大磯あたりも見えているんじゃないかと思うくらいだ。
見事な景色だ。
ポタリングしたことのある海岸線をこうやって遠くから眺めるのもなかなか愉しいことだ。

上から失礼しまーす/ 「ドラポタ三人衆之図」。
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上から失礼しまーす/ 「披露山観桜図」。
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上から失礼しまーす/ 「億萬邸之図」。
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展望台を下り、逗子湾の眺望を。
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右手、後ほど訪ねる、大崎公園。
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左手、葉山マリーナ。
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舟あそび。
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相模湾の風景、逗子湾の風景、いいものを見せて貰った。
激坂を上って来た甲斐があった。
いいところを教えてくれた信濃守殿に感謝だ。

フォト:2014年4月5日

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-04-22 17:26 | 湘南鎌倉ポタリング
2014年 04月 22日

『鎌倉、春のポタリング/ゆうき食堂刺身二点盛り』 sk-6

昼餉は、恒例の逗子・小坪漁港「ゆうき食堂」。
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注文の品は恒例の「刺身の二点盛り定食」。
刺身はいろんな組み合わせで二点がチョイス出来る。
この日、チョイスしたのは鯵と炙り鮪。
刺身二点盛り定食は、刺身のほかに、納豆、温泉たまご、お椀、漬物、そして、どんぶり飯と盛りだくさん。
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大給さんチョイスの「生しらす」も捨て難い。
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刺身二点盛り定食は以前は1000円だったが、消費税増税のためか、1100円になっていた。
計算上は便乗値上げの感なきにしもあらずだが、細かいことは言うまい。
因みに、最近、嗜好が変わったのか、どうも生魚がいけない。
ゆうき食堂の軒下には「支那そば」の文字もあるし、品書きにもラーメンとあり、次回はそれを食すつもりだが、しらけるかな?

フォト:2014年4月5日

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-04-22 09:47 | 湘南鎌倉ポタリング
2014年 04月 21日

『鎌倉、春のポタリング/永福寺跡』 sk-5

「12時を回っておりまする。小坪漁港『ゆうき食堂』へ参りませう」。
瑞泉寺から逗子・小坪漁港「ゆうき食堂」へ向う途中、「永福寺(ようふくじ)跡」をちらっと横目で見る。
何やら工事をしているようである。
昨年4月に訪ねた頃からどのように変わっているのか”視察”することにした。

昨年4月13日の様子(2013年4月26日付ブログ『卯月、鎌倉に遊ぶ/永福寺跡』より抜粋)。
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今回、2014年4月5日の様子。
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昨年と今回、どちらも南西の位置から眺めている。
写真手前から、阿弥陀堂、二階堂、薬師堂の礎盤となる。
昨年と今回の様子を見比べると;
丸柱の礎石建ての礎盤が見事に復元されている様子に変わりはない。
礎盤の周囲は昨年よりも更に整備されている。
阿弥陀堂の礎盤の脇から前方にかけて新たに整地がなされている。
これは阿弥陀堂から続く建屋の礎盤と思われる。
復元想像CG。
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伽藍そのものが復原されるのかどうかは不明ながら、少なくとも伽藍の礎盤と大きな池は整えられるのであろうと思われる。

永福寺跡について、詳しくは2013年4月26日付ブログ『卯月、鎌倉に遊ぶ/永福寺跡』をご覧いただくとして、今一度、ここで簡単に綴っておこう。
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国指定跡 永福寺跡(昭和42年6月19日指定)
永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なきさまに感激した平泉の二階堂大長寿院を模して建久3年(1192年)、工事に着手しました。
鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年(1981年)から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を配した庭園の跡を確認しました。
堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られました。
市では昭和42年(1967年)度から土地の買収を行っており、今後は史跡公園としての整備事業を進めていく予定です。
平成24年(2012年)3月  
鎌倉市教育委員会
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彼方の紅葉ケ谷をアップで。
谷全体が桜色に染まっている。
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この日、上空に寒気が居り、天気は不安定との予報通り、晴天ながら上空の一部は暗くなっているという妙な天気の中、その分、桜が上手く彩ってくれている。

フォト:2014年4月5日(フォト#1:2013年4月13日)

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-04-21 18:03 | 湘南鎌倉ポタリング
2014年 04月 21日

『鎌倉、春のポタリング/紅葉ケ谷鶯啼傾聴』 sk-4

瑞泉寺。
春先の鶯は「ホー、ホケキョ」の「ホー」が短い。
それでも、紅葉ケ谷(もみじがやつ)ではその声が谷に響き、これを聴くのが毎年の愉しみなのである。
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伊豆守殿の「石段」。
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上総の「石段」。
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大給守殿の「石段」。
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不覚にも気づかぬうちに正面上段からばっさりと斬られちまった!

芭蕉の句。
「野ざらし紀行/奈良に出る道のほど」での一句だ。
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「大給守殿、お覚悟の程を!」、「後ろからとは卑怯なり!」。

花々。
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「紅葉ケ谷越しに富士が見えるので御座るが...」。
「何処に?」。
「あのV字の辺りで御座るが、今日は霞んでおるので見えませぬな」。
「いや、いや、見えまするぞ。心眼にて...」。
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昨2013年4月25日付ブログ『卯月、鎌倉に遊ぶ/瑞泉寺』 を読み返してみると、「建長寺から、鶴岡八幡宮を抜け、瑞泉寺へ。道すがら、ウグイスの声が聞こえる。紅葉ケ谷に向う序奏でもある」、「瑞泉寺。ウグイスの声を聴きながら、石段を上る」というような書き出しで、「紅葉ケ谷鶯啼傾聴図」と題した写真も掲載されている。
昨年、瑞泉寺を訪れたのは4月13日で、今回より1週間ほど遅いだけであるが、昨年の写真を見ると木々の緑が随分と濃い。
4月の初旬から中旬にかけての変化がよく分かる。

フォト:2014年4月5日(フォト#1、#2:伊豆守殿提供、フォト#4:大給守殿提供)

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-04-21 09:17 | 湘南鎌倉ポタリング
2014年 04月 20日

『鎌倉、春のポタリング/鶴岡八幡宮流鏑馬馬場』 sk-3

建長寺から巨福呂坂を上る、そして、下る。
いつもなら、下り坂は快調に下れるのだが、春の観光シーズンで車が列をなしており、その脇をゆるゆると通り過ぎる。
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場に入り、東へと抜ける。
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(この写真は大給守さんからの提供。具体的に何とは申しませんが、シャッター・チャンスを逃すまいという大給さんの思いがよく伝わっています)

参道を横切る。
参道を横切る際、本宮を見上げ、心の中で一礼。
「旗上弁財天社の白の幟旗がたなびいておりまするなあ」と右手を眺めながら参道の東側を通り過ぎる。
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参道の正面から入るとガードマンさんに自転車は禁止と咎められる。
東西に抜ける流鏑馬馬場も乗ったままではガードマンさんにジロリと睨まれたことがある。
東西に抜ける流鏑馬馬場では<押し>なら大丈夫。
事実、今回も2人のガードマンさんに出遭ったが、睨まれもせず、咎められもせずであった。

今日の jitensha @鶴岡八幡宮流鏑馬馬場東詰。
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源頼朝の墓や荏柄天神社、鎌倉宮を通り過ぎ、紅葉ケ谷の春の鶯の声を楽しみにしながら瑞泉寺へと向う。
あとで分かったことだが、伊豆守さんはドラポタでの鎌倉は今回が初めてとのことであった。
であれば、鶴岡八幡宮や源頼朝の墓、荏柄天神社、鎌倉宮に立ち寄ってもよかったのだが...。

フォト:2014年4月5日(フォト#1、#2:大給守殿提供、フォト#3:伊豆守殿提供)

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-04-20 18:12 | 湘南鎌倉ポタリング
2014年 04月 20日

『鎌倉、春のポタリング/建長寺回春院墓参』 sk-2

建長寺。
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去年の4月、建長寺を訪れた際、こんなことがあった。
建長寺境内の一番奥にある塔頭、回春院を訪ね、唐門の辺りまで戻って来たとき、造園の職人さんとあれこれ会話を交わした。
その中で、「回春院の大島渚さんのお墓へ行って来ましたか?小山明子さんと回春院の住職さんが知り合いで、回春院にお墓をつくったようです」との話があった。
不覚にも大島渚監督の墓所が回春院であるとは知らなかった。
もう一度、回春院まで戻ろうかと思うも、結構、距離があるので、次の機会にとした。
ということで、大島渚監督の墓参は1年越しとなった次第だ。

三門をぬける伊豆守さんと武衛さん。
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大給守さんから送られて来た写真の中に、同じく、三門をぬける伊豆守さんと武衛さんの場面があった。
その写真がこれ。
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『期せずして一致!』と題し、二枚組みにしてもよさそうな写真である。
或いは、『不思議』と題してもよい写真である。
何故なら、大給守さんは小生の後ろから撮っているはずなので、写真には小生の後ろ姿が入っていてもおかしくないのだが、不思議なことに、その姿がないからだ。
角度が微妙に違うのかな?

方丈の裏手あたり。
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椿の花が一輪、野の道に落ちている風情は里山のようでもある。

回春院がみえてくる。
その手前の左側に墓地の入り口がある。
入り口に「大島渚墓所 NAGISA OSHIMA MEMORIAL STONE」の案内板が立っている。
監督の墓所はほかの墓とは設えを異にしている。
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墓石というよりも墓碑と呼ぶ方が相応しい設えである。
大きな石の台座には「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない 大島渚」と刻まれている。
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台座の下の銘板には「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない 歌 明石海人 書 大島渚」とある。
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台座の上に置かれた石には貝殻が残っている。
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海から引き上げられた石のようである。
歌とこの石が呼応するように設えられているのであろう。
台座の下を更に見ると「小山明子 2005年10月30日」と刻まれている。
監督が亡くなったのは2013年1月15日なので、これは生前に設えられたものということになる。
「大島渚って本名ですか?」。
「本名ですよ」。
「ペンネームのようなものかと思ったもんで」。
「スマホ、持ってますんで、名前の由来を検索してみましょう」。
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岡山県玉野市生まれ。
父方は長崎県対馬、先祖は対馬藩士。母親は広島県呉市の出身。
父親は農林省の水産学者。仕事の関係で瀬戸内海を転々としカニやエビの研究をしていた。
"渚"という名前もそこから付けられている。
6歳の時、農林省の水産試験場の場長をしていた父が死去し、母の実家のある京都市に移住。
(ウィキペディア)
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このブログを綴りながら、この歌を詠んだ明石海人のことやこの歌のことを調べていた中で、監督がこの歌を座右の銘にしていたことを知った。
この歌が監督の座右の銘であったことが何となく分かるような気がした。
合掌。

回春院への石段を上がる。
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桜の花に彩られた回春院。
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池を眺める。
(フォト:伊豆守殿提供)
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去年は気づかなかったが、池の奥に小さな棚田が見える。
里山の趣きに誘われて奥まで足を運んでみた。
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棚田から戻って来たところ、大給さん、伊豆さん、武衛さんと見知らぬ男性二人が談笑中であった。
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途中から加わったので、黙って会話に耳を傾ける。
昔、この辺りは湿地だったという。
田んぼも広がっていたという。
その名残りで、今も僅かではあるが米作りをしているという。
3年前に泥を浚い、池を整えたという。
山と樹木の維持は大変であるという。
池を含め、整備を続けているので、建長寺の参拝客や観光客が、ここ、回春院まで足をのばしてくれることを期待していると。
(池のことを調べてみたところ、池の名は「大覚池」。大亀が棲んでいたという伝説があるとのことだ。我々的には、人影が少なく、閑静な方がよいのだが...)
裏山には、やぐら群があるという。
(調べてみたところ、「朱垂木(しゅだるき)やぐら群」と呼ばれ、約50穴ほどのやぐらがあるとのことである)
寒さの厳しい幽谷ではあっても、春は必ず巡って来るというのが院号「回春院」の由来とのことである。
(回春院のことを調べてみたところ、山号は「幽谷山」。山号と院号が上手く呼応している)
で、会話の調子から、一人は回春院のご住職、もう一人は林業に携わる青年、車もこの青年のものであると分かった。

来た道を戻る。
観音像を桜に映える。
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三門の脇を通り抜ける。
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「人にはそれぞれに役割がある。この三門の柱のように」と説く声が聞こえてくる。

フォト:2014年4月5日(フォト3:大給守殿提供、フォト#12:伊豆守殿提供)

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-04-20 01:06 | 湘南鎌倉ポタリング
2014年 04月 18日

『鎌倉、春のポタリング/円覚寺仏殿天井画』 sk-1

4月5日、鎌倉ポタリングに出掛けた。
ドラポタでは、年に2、3回の鎌倉ポタリングを行っている。
春は紅葉ケ谷(もみじがやつ)に響く鶯の啼き始めの声を聞く会、夏は本格的に啼く鶯の声を聞く会、秋は紅葉狩りである。
今回は、紅葉ケ谷に響く鶯の啼き始めの声と、多分に上総の趣味に偏った、円覚寺仏殿/「雲龍図」、建長寺回春院/大島渚墓参、いつも昼餉を摂る小坪漁港ゆうき食堂近くの披露山公園&大崎公園/相模湾の眺望を加えさせて貰った。

集合場所のJR北鎌倉駅に少し早く着いた。
円覚寺側の臨時改札口の外で桜の花を眺めながら皆の到着を待つ。
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大給守さん、伊豆守さん、到着に続いて、武衛さんも到着。
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円覚寺。
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桜を愛でる。
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本日の本命、仏殿天井画「雲龍図」。
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円覚寺は何度か訪れているが、仏殿は外から眺めるだけで、不覚にもその天井画を見損ねており、昨年暮れ、円覚寺通の大給守さんが教えてくれたのであった。
仏殿の天井画から床に目を落とすと、床に置かれた「雲龍図(天井画) 前田青邨画伯監修 守屋多々志画伯作」の札が目に入った。
「円覚寺の雲龍図は前田青邨の作かと思っていたんですけど、監修となっていますね」。
「監修って、どういう意味なんでしょうかね」。
「はて...?さて...?」。
「弟子を指導したということですかね」。
まあ、それはそれとして、鎌倉における天井画の<龍コレクション>は、建長寺法堂、東慶寺鐘楼、そして、この円覚寺仏殿と、三つ、揃った。
鎌倉には未だこの他に、常楽寺仏殿の天井画「雲龍図」(狩野雪信)があるという。
常楽寺は大船寄りにあり、我らのいつものコースから外れているが、次回の立ち寄り先に加えるつもりである。

円覚寺の若い緑を愛でる。
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「上総さんの趣味は映画。小津安二郎と木下恵介の墓にご案内しましょう」と円覚寺通の大給さん。
「墓参り、大好き!是非!」と上総。
小津安二郎の墓。
墓というよりに墓碑といった方がよいかもしれない。
刻まれた文字、「無」が印象的である。
お酒がいっぱい供えられている。
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木下恵介の墓。
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こちらのお供えは Volvic が一本だけ。
「小津安二郎は何と言っても『東京物語』。英国映画協会が発表した『映画監督が選ぶベスト映画』の第1位やしね」、「木下恵介は『二十四の瞳』」、「日本初の長編カラー映画『カルメン故郷に帰る』もあります」、「『喜びも悲しみも幾歳月』もあります」と賑やか。
後ほど、建長寺回春院での大島渚の墓参も控えており、この日は松竹の名監督三人(正確には大島渚は作風が合わず松竹を退社し、独立するのだが)の墓参と相成った次第である。
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フォト:2014年4月5日

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-04-18 23:57 | 湘南鎌倉ポタリング
2013年 04月 29日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/御霊神社』 au-11

光則寺から、江ノ電の線路沿いを走り、御霊神社へと向う。

御霊神社。
昨年6月、一人ポタで御霊神社を訪れた。
昨年6月30日付のブログで、そのときのことを綴った。
そのブログに対し、武衛殿より「吾妻鏡」を愛読書とする武衛殿らしい、嬉しい書き込みを頂戴した。
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予て注目していた『暫』の鎌倉権五郎大庭景政を見つけ、感動!
義家の家来として、後三年の役の秋田・金沢柵における剛毅な活躍、絵巻物が目に浮かびました。
記憶では、確か、常陸・上総辺りで亡くなった。
今も地名の残る相模大庭氏の祖で、子孫の大庭景親は石橋山で頼朝を危うく討取る迄追詰めました。
その大庭もその後御家人に!
草生期の武士団は離合集散を繰返していた代表選手の感じ。
余談ですが、歌舞伎の鎌倉権五郎と並んで、狂言では閻魔大王を従え地獄から天国に向った『朝比奈』三郎義秀がいます。
和田合戦で滅ぼされた筈が生き延びて朝比奈切通し同様各地に怪力伝説があり、こちらも面白い。
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斯様な書き込みを頂戴したこともあり、武衛殿と、今一度、御霊神社を訪れたいと思っていたので、今回、訪ねることにした次第だ。

御霊神社に到着。
御霊神社のことは、昨年6月30日付ブログで縷々綴っているので、神社に纏わるあれこれは割愛するが、この神社の独特なこととして、神社の目の前を江ノ電が走っており、鳥居のすぐそばに踏切があることだ。
それもあって、観光客が大勢訪れる。
昨年の6月は、踏切に警備員さんが出る程に人出が多かったが、今回は然程の人出ではなかった。
「自転車はここに止めるといいですよ」と声を掛けて来たおじさんがいた。
このおじさん、子供の頃から御霊神社前の踏切近くに住むという。
踏切を通過する江ノ電の写真の撮り方について、講釈を拝聴する。
その講釈はひとことで言うなら「電車の頭が鳥居の真ん中に来たとき、一番美しい通過写真を撮ることが出来る」ということであった。
自分なりに解釈すると、鳥居は笠木、島木、額束、貫、柱で構成されており、先頭車両の頭が額束に掛かる直前ということである。
鎌倉発藤沢行き、藤沢発鎌倉行き、鎌倉発藤沢行きの、三本の電車の通過する風景を連写で撮った。
三本とも先頭車両の頭が鳥居の真ん中辺りに掛かっている写真は撮れたのが、最初の二本は先頭車両の頭が額束に被ってしまった。
三本目の、鎌倉発藤沢行きは、先頭車両の頭と最後尾の何れも、額束に被ることなく、通過するシーンが上手く撮れた。
三本目の通過シーン連写28枚の中から6枚をピックアップしてアップロードしておこう。
1)鎌倉発藤沢行きが近づいて来る。
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2)先頭車両が現れる。
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"踏切写真おじさん"の助言通り、先頭車両の頭が鳥居の真ん中を通り過ぎるシーンが上手く撮れた。
しかも、額束のちょっと手前の理想的なところで。

3)一両目と二両目の連結部分が通り過ぎる。
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4)二両目と三両目の連結部分が通り過ぎる。
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5)三両目と四両目の連結部分が通り過ぎる。
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6)四両目、最後尾の車両が通り過ぎる。
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先頭車両と同様、額束に被ることなく、撮れた。
しかも、白いシャツの車掌さんの後ろ姿も上手く入っている。

「上手く撮れましたか?」と"踏切写真おじさん"。
液晶ビューで撮れ加減をチェック。
「これ、これ、鳥居の真ん中を通り過ぎるところ。これがベストです。私が言う通りに上手く撮れましたね」とお褒めの言葉(???)を頂戴した。
自分自身としては、オールド・ファッションなボディ・カラーの、緑色の車両が先頭となり、且つ、藤沢発鎌倉行き(即ち、左から現れ、右へ去って行く)シーンを撮りたかったのだが、その車両編成が来るまでずっと待たなければならないので、次回の楽しみとした。
"踏切写真おじさん"のお陰で、御霊神社の新たな楽しみ方が増えた。

今回の鎌倉ポタリングは、紅葉ガ谷瑞泉寺のウグイスの鳴き声を聴くことを必須として、あとは、何も決めずに出掛けたのだが、誠に楽しい鎌倉ポタリングが仕上がった。
5月が過ぎ、6月ともなれば、ウグイスの啼き方は絶好調となるはず。
その頃の鎌倉が、また、楽しみだ。

フォト:2013年4月13日

(完)
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by kazusanokami | 2013-04-29 12:41 | 湘南鎌倉ポタリング