『上総守が行く!』

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カテゴリ:青梅の旅( 13 )


2010年 08月 31日

『青梅散策/原題と邦題』


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いつぞや、呑々守殿と「最近の洋画の邦題は原題をカタカナに置き直すような安直な題名が多過ぎる。例えば、パイレーツ・オブ・カリビアン。配給会社の怠慢かな。『カリブの海賊』というよりも『パイレーツ・オブ・カリビアン』の方が今様なのかもしれないが...。因みに、昔、『カリブの海賊』という映画を見たような気もする...」というような話をしたことがある。

先般、久し振りの青梅散策で、懐かしい映画の看板の数々を眺めた。

冒頭の掲載フォトに見える通り、「終着駅」の原題は"Terminal Station"である("Stazione Termini"のイタリア語の原題もある)。
今であれば、邦題は「ターミナル・ステーション」となるのかもしれないが、やはり、「終着駅」の方が雰囲気がある。
それは、名画として「終着駅」という題名が聞きなれたものになっているということからだけではないだろう。

青梅市内を散策しながら、映画の看板に書かれた原題を見ていくと、「大いなる西部」は"The Big Country"、「失われた伝説」は
"The Legend of the Lost"、原題を尊重しながら上手く邦題を付けたものだと感心するばかり。

「哀愁」の看板もあった。
原題は"Waterloo Bridge"。
この橋はロンドンにある橋だ。
今なら邦題は「ウォータールー・ブリッジ」と付けられるところであろうが、「哀愁」は原題とは全く懸け離れた邦題なるも、この題名なら日本人の琴線に触れること、間違いなしである。
配給会社の苦労が偲ばれる。

「橋」で思い出す映画に、「戦場にかける橋」もある。
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この映画の看板は、今回の青梅散策では見掛けなかったが、2年前に見た看板がこれだ。
原題は"The Bridge on the River Kwai"。
「クワイ河の橋」、或いは、「クワイ河にかかる橋」では迫力がない。
映画のストーリーを加味し、且つ、原題を尊重した、よき邦題だ。

話は反れるが、サイモン&ガーファンクルの名曲「明日に架ける橋」(原題"Bridge over Troubled Water")も見事な邦題だ。
この邦題を考えた人は映画「戦場にかける橋」をヒントにしたのかもしれない。
なお、映画では平仮名で「かける」、歌では漢字で「架ける」となっている。

筆者の好きな映画のひとつにアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」(原題"Plein Soleil")がある。
これはパトリシア・ハイスミスの小説「才人リプリー」(原題"The Talented Mr. Ripley")を映画化したもので、1960年の作だ。
近年では、同じ原作で、1999年のマット・デイモン主演「リプリー」(原題""The Talented Mr. Ripley"")がある。
原作は同じながら、映画の結末は全く異なり、「太陽がいっぱい」の衝撃的なラストシーンからして、「太陽がいっぱい」が好きだ。
おっと、本ブログは映画評論ではなく、「原題と邦題」であった。
「太陽がいっぱい」の原題"Plein Soreil"は、直訳すれば「いっぱいの太陽」。
それをひっくり返し、「太陽がいっぱい」と名付けた邦題も絶妙である。

イアン・フレミングのスパイ小説を原作とする「007シリーズ」の邦題には面白い歴史がある。
シリーズ第1作の原題は"Dr. No"だが、邦題は「007は殺しの番号」であった。
原題通り、邦題が「ドクター・ノオ」であったなら題名を見ただけでは何のことか分からなかったであろうが、邦題の「007は殺しの番号」は、ショーン・コネリー扮する英国情報部員ジェームズ・ボンドが「007」のコードネームを持ち、殺人許可証を与えられていることを見事に表している。
シリーズ第二作の原題は"From Russia with Love"だが、邦題は「007 危機一発」であった。
「危機一発」の「発」は「髪」であろうとの物議を醸したこともあったが、「危機一髪」より「危機一発」の方が「007」の雰囲気をよく出しているように思え、これも配給会社の苦労、工夫が偲ばれる。
因みに、後年、第一作と第二作がリバイバル公開されたときには、「007 ドクター・ノウ」、「007 ロシアより愛をこめて」と、原題に準じたものとなった。
これは、「007 ゴールドフィンガー」(原題"Goldfinger")、 「007 サンダーボール作戦」(原題"Thunderball")、「007は二度死ぬ 」(原題"You Only Live Twice")、 「007 ダイヤモンドは永遠に」(原題"Diamonds Are Forever" ) など、シリーズを重ねるに従って、この映画の知名度が上がったことによるものだろう。

シルベスター・スタローン主演の「ランボー・シリーズ」の題名にも面白い逸話がある。
第一作の原題は"First Blood"だが、邦題は「ランボー」であった。
後に米国側では第一作の題名を"RAMBO: First Blood"に改めたとのことで、第二作以降も"RAMBO:First Blood Part II"(邦題「ランボー 怒りの脱出」)、"RAMBO III"(邦題「ランボー 怒りのアフガン」)と原題は"RAMBO"を使っている。
因みに、第三作から20年後の2008年に作られた「ランボー 最後の戦場」の原題は"RAMBO"で、第一作の邦題「ランボー」に"先祖返り"している。
日本の配給会社が考えた邦題が本家に大きく影響を及ぼしたことととなる。

冒頭、邦題「パイレーツ・オブ・カリビアン」は配給会社の怠慢と言ったが、では、あのミュージカル映画の名作「サウンド・オブ・ミュージック」も原題をカタカナで置き直したものであり、これも配給会社の怠慢かと仰る御仁もおられよう。
邦題が「音楽の響き」、「歌の響き」、或いは、「ドレミの歌」では気分が出ないし、「トラップ家物語」ではミュージカルっぽくない。
日本語の抑揚のない言い方ではなく、英語風に抑揚をつけて「サウンド・オブ・ミュージック」を声に出して言ってみると、やはり、原題をカタカタに置き直した邦題が最良ということとなろう。

映画を観るのも楽しい、洋画の原題と邦題を見比べるのも楽しい、映画ってホントにいいですね。

フォト:2010年8月21日/2008年10月25日
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by kazusanokami | 2010-08-31 22:55 | 青梅の旅
2010年 08月 28日

『青梅散策/ふたつの"鉄道員"』

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JR青梅駅のコレクション。
1956年作と1999年作の、ふたつの「鉄道員」。

フォト:2010年8月21日
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by kazusanokami | 2010-08-28 01:06 | 青梅の旅
2010年 08月 26日

『青梅散策/総天然色』

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「総天然色」。
誰が考えた言葉かは不詳なるも、この言葉には、何とも懐かしい響きがある。
その昔、映画はモノクロが普通で、カラーは正月映画や超大作に使われ、「総天然色」の言葉と相俟って、カラー作品は、殊の外、豪華に思えたものだ。

長らく、ポスターには「総天然色」の言葉が使われていたが、1960年代後半か70年代に入ってからであろうか、「カラー作品」という書き方に変わり、そのうちに、カラーが当たり前という時代になり、ポスターには何も書かれなくなった。

今や、映画はカラーが主流の時代ではあるが、作り手の意図を表現する手法として、モノクロ、あるいは、場合によってはパートカラーが選択されることもある。

因みに、幼き頃、子供の口では「総天然色」は言い難かったのか、「天然色」あるいは「色つき」と言っていたように記憶する。

フォト:2010年8月21日
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by kazusanokami | 2010-08-26 23:37 | 青梅の旅
2010年 08月 23日

『青梅散策/となりの...』

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喫茶室「となりのレトロ」、この町の茶房に相応しい、グッド・ネーミングだ。
しゃがんでいるのは、トトロかと思うも、開店準備をしている娘さんだった。
向かいの建物に掲げられた映画の看板が茶房の窓に映る。
ヒチコックの名作「鳥」と、フィギュア・スケートの高橋大輔選手の演技で、今もそのテーマ音楽が流れるイタリア映画の名作「道」だ。

フォト:2010年8月21日
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by kazusanokami | 2010-08-23 21:33 | 青梅の旅
2010年 08月 23日

『青梅散策』

8月21日、青梅を訪れた。
2008年の秋に訪れて以来のことである。
映画の看板を眺めながら、二年前のことが蘇る。
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町の雰囲気は何も変わっていない。
しかし、「ローマの休日」は「哀愁」に、「キリマンジャロの雪」は「リオ・ブラボー」に、そして、「丹下左膳」の看板は何処かへ。
ひょっとしたら、秋津街道の角に掲げられていた「丹下左膳」がそれかもしれない。
こうした「間違い探し」ならぬ「入れ替え探し」をするのも、この町の楽しみ方のひとつかもしれない。

フォト:2010年8月21日/2008年10月25日
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by kazusanokami | 2010-08-23 00:32 | 青梅の旅
2008年 12月 06日

『青梅/映画看板街道の旅/その八』

「青梅/映画看板街道」を歩いて、そして、それをブログに掲載しながら、まだ、小学生までの幼かった頃に観た映画のこと、中学・高校生の頃に観た映画のこと、そして、大学生の頃に見た映画のこと、映画館のこと、映画に纏わる話などが、走馬灯の如く、頭の中を巡りました。

邦画の話は、いつか、次の機会のこととし、ここでは洋画について綴り、本章を終えたいと思います。

私の育ったaks市にあった洋画の二番館”白鳥座”は、今思えば、地方都市における文化の発信地ではなかったかと。

時折、隣町の”大都会”、kb市内の映画館にも通い、また、後年、大学に入学後は、花の都の映画館で映画三昧の日々もありましたが、高校時代までに観た洋画の殆どは、この”白鳥座”だったと言っても過言ではありません。

このブログの最終章で「野ばら」のことを述べようと思っておりました矢先に、12月3日付けでseascope_points5殿より「初めて見た洋画は、『野ばら』。記憶にある一番古い洋画は、『十戒』、チャールトンヘストンです」とのコメントを頂戴しました。

「野ばら」。
文部省特選。
学校から見に行きました。
映画館は、勿論、”白鳥座”。
映画が終わって、映画館から出て来たみんなは、ウィーン合唱団の気分。
声変わりするまで、ボーイソプラノで、ラジオ放送にも出た小生は、本当にウィーン合唱団に入団したい気分でした。

学校と言えば、時折、講堂で映画会がありました。
チャンバラ映画と同様に、岩場に波が砕ける、あの東映の最初の出だしで始まる”東映児童映画”でした。
記憶にあるのは「野口英世物語」。
囲炉裏に落ちた英世少年が火傷をするシーンは今でも鮮明に覚えています。

学校の映画会では、”東映児童映画”に加え、岩波映画製作の科学映画もありました。

また、夏になると、近所の広場での映画会もありました。
スクリーンは、両側にポールを立て、布を張り渡したものでした。
風が吹くと、画面が揺れて、それはそれで楽しいものでした。
ここで、どんな映画が上映されたかは記憶に残っていません。
それくらいに、幕が揺れるのが楽しかったのでしょう。

チャールトン・へストン。
史劇が似合う、大画面が似合う俳優さんでした。
「十戒」、「ベンハー」、「北京の55日」、「偉大な生涯の物語」、「猿の惑星」などなど数え上げたらキリがありません。

大画面と言えば、シネマスコープ、70mm以外にシネラマがありました。
シネラマは三分割で撮影したものを三つの映写機でスクリーンに映し出すもの。
大阪のOS劇場へ家族で観にいったことがありました。
第一作目は「これがシネラマだ!」。
最初、モノクロのスタンダード画面の映画が暫く続いたあと、「これがシネラマだ!」というように、ドーンと大画面に。
画面の真ん中下に司会者らしき人が写し出されていましたが、この人を本当の人だと、暫くの間、思っていました。
当時は、オコチャマ。仕方ないですよね。

第二作目も観ました。
観光映画のようなものだったと記憶。
川下りの場面、シネラマは立体感があるので、船酔い気分になったりしました。

後年、万博などでマルチ画面がしばしば使われましたが、シネラマその他マルチ画面の映画は、劇映画に使われることなく、実験的なものに終わった感ありです。

男優、チャールトン・へストンの名が出ましたので、女優さんの話もせねばなりませんね。

女優と言えば、やはり、オードリー・ヘップバーン。
「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」、そして、「昼下がりの情事」など、1950年代の作品が、60年代半ばに、リバイバル上映されました。

「麗しのサブリナ」は、kb市内の”元映”(元町映画劇場の略)で、御典医殿と一緒に観たとの記憶があります。

1960年代も、「ティファニーで朝食を」など、ヘップバーンの主演映画が数多く作られましたが、私は、余り、興味はなく、唯一、観たのは「マイ・フェア・レディ」だけでした。

ヘップバーンは、やはり、「ローマの休日」と「麗しのサブリナ」が最も素晴らしいのでは...。
その次が「マイ・フェア・レディ」かと...。

「マイ・フェア・レディ」の名を出した以上、必ず出さねばならないミュージカル映画がありますね。

そうです!
それは、「サウンド・オブ・ミュージック」!

このミュージカルは、舞台でのものは観たことがありませんが、ストーリー、歌とも本当によく出来たミュージカルです。
私にとっては、十代の頃、映画で観た「マイ・フェア・レディー」と「サウンド・オブ・ミュージック」、そして、後年(1992年)、ロンドンのMajesty's Theatreで観た「オペラ座の怪人」が三大ミュージカルです。

因みに、「サウンド・オブ・ミュージック」の主演、ジュリー・アンドリュースを”西洋の美空ひばり”と称した友人がいます。
”東洋のナポリ”とか、”和製ジェームス・ディーン”などの言葉がありますが、何やら西洋が勝っているような言い方とも思えます。
”西洋の美空ひばり”とは、上手く言ったものだと感心しました。

話は尽きませんが、そろそろ、〆に入らねばなりませんね。

多摩川サイクリング・ロードを羽村から走ることがそもそもの目的で、折角だから、青梅の映画の看板も観てみようと、ちょっと立ち寄る程度の気持ちでした。

しかし、これは、青梅の町興しに携わっておられる方々、そして、看板絵師 板観さんに対し、全く礼を欠いたことだと、この「青梅/映画看板街道の旅」をブログに掲載しながら、思いました。

映画の看板を観て、映画そのものは勿論、、映画以外のこともいろいろと記憶が甦りました。
「青梅のみなさん、有難う」と申し上げたい気持ちでいっぱいです。

映画看板街道の旅を終え、青梅駅の改札から地下コンコースを歩きながら、往路のときと同じことを考えました。

それは、地下コンコースの映画の看板六つのうち、四つは「鉄道員」(伊)、「鉄道員」(日)、「終着駅」、「旅路」で、これらは駅や鉄道に因んだものながら、残りのふたつが、何故、ミスマッチな(と申しては失礼ながら)「怪傑黒頭巾」と「ティファニーで朝食を」なんだろうということでした。

本当の答えは分かりませんが、私はこう思うのです。
青梅駅の駅長さんは、私と同様、大友柳太郎とオードリー・ヘップバーンが好きだったんだ、と...。

第1話~第8話、全フォト:2008年10月25日

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 (完)
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by kazusanokami | 2008-12-06 08:53 | 青梅の旅
2008年 12月 03日

『青梅/映画看板街道の旅/その七』

まさに「映画看板街道」!
総てを掲載出来ませんが、邦画に続き、洋画を特集して一挙公開!

まだ、小学校低学年の頃、親父と観ました。
橋に向かって走ってくる機関車、橋に爆薬を仕掛けようとする人が交互に現れるシーンにドキドキしたことが思い出されます。
音楽は、当時知った題名は「クワイ河マーチ」。
後年、中学時代に知った題名は「ボギー大佐」。
更に、後年、ロンドン駐在中に知ったことは、「ボギー」はゴルフのボギーだということでした。
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ジャン・ギャバン。
我々の世代は、アラン・ドロンと競演した「地下室のメロディ」。
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「ローマの休日」。
半世紀を経ても、何時、観ても、楽しめる映画です。
ロンドン駐在中、家族とイタリア旅行をする際、この映画のビデオ・テープを日本から取り寄せ、”予習”してから旅行に出掛けました。
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ワイズミュラーの「ターザン」。
彼はオリンピックの水泳選手であったと親父から教えて貰いました。
いろんな俳優がターザンを演じました。
あの「アー、アー、アー」の雄叫びも、演じる俳優によって異なっていました。
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「眼下の敵」。
これはお袋と一緒に観た記憶があります。
まだ、小学生でしたから、一人では映画に行けず、せがんだのでしょう。
海中に投げ込まれる爆雷、その破裂で揺れる潜水艦。
自分も潜水艦の中にいるようで、怖かった記憶があります。
潜水艦映画で他に記憶のあるのは、「潜水艦浮上せず」。
数人しか乗れない脱出装置に誰が乗るかの、艦内での人間同士の葛藤を描いた映画だったと記憶します。
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「明日に向かって撃て」。
この映画は、映画看板街道の中では、比較的、新しい映画。
大学生になってから、高田馬場、新宿、池袋あたりの名画座通いをする中で観た映画のひとつです。
最近の洋画は、原題をそのまま片仮名にする傾向がありますが、昔は、上手い邦題を付けていました。
「明日に向かって撃て」も、そのひとつではないかと...。
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映画の看板というよりも、壁画のような感じの絵。
この絵は骨董屋さんの建物の壁だったかな...。
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チャップリンとマリリン・モンローの組み合わせ。
これもまた一興。
「街の灯」。
右下を見ると「酒井家」と書かれています。
酒井=堺(正章)の洒落かな...。
「百万長者と結婚する方法」。
ガラス戸と映画看板の下段には「○下進歯科」と書かれています。
やはり、お医者さんは儲かるということですかな...。
となれば、青梅は相当に洒落の上手い(洒落のきつい?)人たちの集まった町です。
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さて、これにて完結と考えていましたが、名残り惜しく、もう1話だけ連載としたく...。

(つづく)
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by kazusanokami | 2008-12-03 23:28 | 青梅の旅
2008年 12月 02日

『青梅/映画看板街道の旅/その六』

まさに「映画看板街道」!
総てを掲載出来ませんが、邦画特集として一挙公開!

ラジオを聴くだけでも楽しかったのに、映画になった嬉しさは、今でもしっかり覚えています。
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アップで!「総天然色」で!
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近々、金城 武、仲村トオル主演による「K-20」と題された映画が公開されます。
「K-20」って?そうです、怪人二十面相です!
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瓦屋根の家が白鷺城に見えて来ます。
これも”仕掛け”か!?
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三船敏郎、仲代達矢主演「用心棒」、彼らの先輩、田村三兄弟の父、阪東妻三郎主演「丹下左膳」、更に洋画の「ヘッドライト」、チャップリン風も、と盛りだくさんの家!
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大河内傳次郎主演「丹下左膳」。
我々の時代の丹下左膳は、阪妻でも大河内傳次郎でもなく、映画では大友柳太郎、テレビでは丹波哲郎でした。
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「丹下左膳」の看板は、とんかつの「もりたや」さんでした。
これには”仕掛け”はないようです。
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溝口健二監督、京マチ子、田中絹代主演「雨月物語」。
1953年の作品ですから、私はまだ小学校へ上る前の映画。
近年はDVDの時代ですから、リマスター版で観ることが出来ます。
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昔は、どの家庭にもクーラーなんていうものはありませんでした。
夏は、湯涼みがてら、映画館へ行くということもありました。

或る年の夏の夜、親父と兄貴と私の三人で映画を観に行きました。
映画は、「四谷怪談」。
映画が終わり、家へ帰ると、「子供が、夜、映画なんか観てはいけません」とお袋に随分叱られました。
新聞の折込ちらしの裏に「これからは、夜、映画に行きません」と誓約書を書かされました。
親父と兄貴はどうしていたのかは記憶にありません。

また、或る年の夏の夜、映画を観に行きました。
そのときは、親父とお袋と私の三人でした。
映画は、「無法松の一生」と「ちゃっきり金太」の二本立てでした。
三船敏郎演じるところの松五郎が「ぼん」という度に、私自身が「ぼん」のような気分になったことを思い出します。
「ちゃっきり金太」は三木のり平さんが軽妙に演じるスリの喜劇だったと思います。
この映画を観に行ったとき、何故、兄貴と妹はいなかったのかは、記憶にありません。

お袋が叱ったのは、夜、映画に行ったからと長らく思っていましたが、本当は「夜、子供が四谷怪談など見たら便所に行けないでしょう」ということだったのかもしれません。

そうであれば、夜、湯涼みがてら、「無法松の一生」、「ちゃっきり金太」を見に行ったことに合点がいきます。

(つづく)
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by kazusanokami | 2008-12-02 06:59 | 青梅の旅
2008年 12月 01日

『青梅/映画館版街道の旅/その五』

「第三の男」。
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「第一の男」はベデワンの御仁(自ら、そう申すのも変ですが...)。
「第二の男」は赤ジャージーの御仁。
そして、「第三の男」は、板観さん描く、正真正銘の「第三の男」!

私の育ったaks市には、国道沿いに西から、「aks松竹」、「aks銀座(東宝系)」、「aks東映」、洋画専門の二番館「白鳥座」、角を曲がって「aks平和」(大映系)、少し離れて「本町日活」、更に、aks川の河口近くに邦画の三番館「明劇」と、大手五社+アルファの映画館がありました。

お袋と兄妹、私の四人は子供向け映画、親父は別の映画館で観るということもありました。
我々の映画が先に終わって、親父のいる映画館、洋画専門の「白鳥座」に行くと、切符のもぎり嬢が「中に入っても良いですよ」と言ってくれました。

中に入ると丁度、親父が観ている映画のラスト・シーンあたり。
お袋と兄妹、私の四人で観た映画が何だったかは全く記憶にありませんが、親父が観ていた映画は、この「第三の男」であったことを鮮明に覚えています。

親父は映画好きで、結構、子供連れで映画に行く人でしたが、この映画はひとりでじっくり観たかったのでしょう。

(つづく)
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by kazusanokami | 2008-12-01 20:36 | 青梅の旅
2008年 11月 30日

『青梅/映画看板街道の旅/その四』

映画の看板は、ちょっと、ひとやすみして、青梅の様子について...。
青梅駅の改札を出ると目に飛び込んでくるもの、それは、このキャラクター像!
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実は、逆立ちをしているのです。
お客を迎える駅の玄関で逆立ちとは...。
これが赤塚ギャグの真骨頂かもしれませんね。
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今夏、逝去された赤塚不二夫さんと青梅市の関係、それは「青梅赤塚不二夫会館」のHPを参照しますと、昭和をテーマに町興しをしている青梅市の”昭和の元気の象徴”として2003年に会館がオープンしたとのこと。
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「薬局」。
右から左への書き方、字体、そして、板壁の造作、まさにレトロです。
勿論、現役の薬屋さんです。
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「キネマ通り」、響きのよい言葉です。
嵐寛十郎主演「鞍馬天狗」、美空ひばり主演「悲しき口笛」の看板が「キネマ通り」を盛り立てています。
電柱の広告、今様の”デジカメプリント”はご愛嬌...。
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映画の看板は抜きのページにしようと思いましたが、やはり、青梅です。
入っちゃうんです、映画の看板が...。
東宝作品、三船敏郎、仲代達矢競演の「用心棒」。
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歯医者さんの看板。
青梅の人たちの遊び心がよく現れていると思いませんか。
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映画の看板からちょいと脱線しましたが、ふたたび、映画の看板に戻ります。

(つづく)
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by kazusanokami | 2008-11-30 22:04 | 青梅の旅