『上総守が行く!』

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カテゴリ:燧灘ポタリング( 6 )


2009年 05月 19日

『燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅』 si-6

一宮海浜公園。
潮干狩り風景。
遠くに見える島は、伊吹島。
いりこ(煮干し)とちりめんじゃこで有名です。
燧灘は瀬戸内海の中では島の少ない海域です。
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"Royal Ace"号のサドルが低いので、調整のため、観音寺市内の自転車屋さんへ。
こんな自転車が飾られていました。
チューブラー、クランクには"DURA ACE"の文字、シングルギア...。
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観音寺といえば、琴弾浜の砂浜に描かれた寛永通宝。
今回は、そのフォトはありませんが、マンホールの蓋で...。
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おにぎりの形をした山々、讃岐独特の景色です。
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道路標識での距離からすると片道27km、往復で54kmと推定。
帰館後、JR時刻表を参照したところ、25kmとなっており、往復で50km。
この日のポタは、54kmでカウントすることにしました。

翌5月3日、讃岐朝日山の頂上へ。
前日訪れた川之江を、遠く彼方の湾曲した海岸線の先に眺めることが出来ました。
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フォト:2009年5月2日、5月3日

(完)
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by kazusanokami | 2009-05-19 20:16 | 燧灘ポタリング | Comments(2)
2009年 05月 19日

『燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅』 si-5

城を下り、来た道を辿り、帰途に。

働く人。
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造船所を見るとカメラを向けたくなります。
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「歓迎 よう来てくれたなぁ」。
「よう、来たやろ」。
讃岐に戻って来ました。
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同好の士。
当方はママチャリにて、先方は同好の士とは思っておられないでしょうが...。
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直進は観音寺、高松方面。
高架橋を渡って右手方向は琴平へ。
我々は直進です。
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燧灘、そして、その向こうに荘内半島を臨む。
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(つづく)
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by kazusanokami | 2009-05-19 06:35 | 燧灘ポタリング | Comments(2)
2009年 05月 18日

『燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅』 si-4

「上総殿、そろそろ昼餉を」。
「然様ですな。あちらに"城山公園"との標識。弁当を購い、公園で食しまするか」。

「そこの御女中、ちと、ものをお尋ね致すが、この辺りに弁当屋かコンビニは御座りませぬか」。
「弁当屋もコンビニも御座りませぬが、お弁当なら、駅のkioskか駅前の食堂に」。
「忝い」。

再び、商店街を通り、駅前の食堂で幕の内弁当を購い、城山公園へ。

上り坂がきつかった!
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ほぼ、頂上近くで「城への近道」の標識に誘惑され、そこで駐輪し、階段を上がり、ズルを(但し、ズルをしたのは上総のみです)。
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城を眺めながら、幕の内弁当を頂戴しましt。
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川之江城。
南北朝時代(1337年/延元2年)、土肥義昌が、元々、仏堂のあった山に築城したことにより、「仏殿城」と称された城。
南北朝時代以降、幾多の戦乱に巻き込まれたが、豊臣秀吉の四国平定の後、廃城。
城の一部は松山城の築城に使われたとも言われている。
以来、築城されることはなかったが、旧・川之江市制30周年記念事業として、1986年に復元された。

北の眺め、燧灘。
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西の眺め、製紙工場。
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南の眺め、四国山脈。
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東の眺め、遠く、荘内半島。
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(つづく)
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by kazusanokami | 2009-05-18 22:05 | 燧灘ポタリング | Comments(2)
2009年 05月 18日

『燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅』 si-3

駅前商店街はアーケードから信号機がぶら下がっていました。
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川之江の自転車屋さん。
駅前の商店街は定休日なのか、殆どの店はシャッターが降りていましたが、自転車屋さんはオープン。
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自転車屋の親爺さんと暫し会話。
「これ、面白いので、写真を撮らせて貰います」。
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「昔の後輪ブレーキは、どのようになっていましたっけ?先日、自転車仲間の間で話題になったもので...」。
「こんな風でした」と、わざわざ、店の奥にあった整備済みの中古自転車を店先に出して来てくれました。
「そうそう、こんな風でした」。
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「仕事中にお邪魔しました。有難うございました」。

そろそろ、昼餉を摂らねば...。

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-05-18 06:43 | 燧灘ポタリング | Comments(2)
2009年 05月 17日

『燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅』 si-2

国境。
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四国中央市。
以前から、この名は承知しており、”四国中央”とは偉く頑張った名だなと思っていました。
今回、調べてみたところ、「2004年、川之江市、伊予三島市などが合併して生まれた市。将来、道州制が導入された場合の道庁所在地ないし州都となることを目指し、命名された」とのこと。

製紙工場の煙を吐く煙突が見えて来ました。
川之江に近づいて来ました。
この辺りは、山が迫り、予讃線、国道11号線、海岸線が平行しています。
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純信堂/四国中央市川之江町塩谷にて。
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よさこい節で唄われる「土佐の高知の播磨屋橋で、坊さん、簪、買うを見た」の坊さんが純信。
幕末期、土佐・竹林寺の脇坊妙高寺の僧、純信は鋳掛屋の娘お馬に懸想し、播磨屋橋で花簪を買い与えたことが世間に広まり、二人は駆け落ちするも、追っ手に捕らえられ、純信は関所破りの罪で土佐を追放され、当地、川之江で寺子屋を開き、余生を過ごしたと云われる。
その純信を供養する堂庵が純信堂。

JR川之江駅に到着!
今日のjitensha、パート2。
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「柴田の最中」を購入。
これにて、讃岐守殿と上総の目的は達成。

フォトは撮り損ねましたが、「柴田の最中」につき、後日、調べてみました。
JR川之江駅前の商店街を少し歩いたところにある「白貴堂柴田○治商店」という和菓子屋さんの最中。
創業は安永年間(1772年~1781年)の老舗。
地元では"柴田の最中"と呼ばれるほどに、最中が有名な店。
(筆者注:讃岐守殿も"柴田の最中"と呼んでおり、地元、伊豫のみならず、讃岐でも有名のよう)
伊豫にある店ながら、「土佐藩山内家御用菓子司」であったとのこと。
土佐藩は、参勤交代の際、川之江から船で大阪へ向かっていたとのこと。
その船待ちの際、この最中が時の藩主山内豊雍(とよちか)のお気に入りとなり、以後、同家御用菓子司となったとのこと。

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-05-17 08:20 | 燧灘ポタリング | Comments(2)
2009年 05月 16日

『燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅』 si-1

5月2日朝、讃岐守殿と共に屋敷を出立。
行程は、讃岐の国境を越え、伊豫国東端の町、川之江まで。

「唯、走るだけも楽しゅう御座るが、何か目的があれば、更に楽しゅう御座る」と上総。
「川之江と申せば、"柴田の最中"。某はこの最中を買いに参るということで」と讃岐守殿。
「某は自転車で伊豫国を訪れたという足跡を。さすれば、今回の諸国漫遊で、四国においては、土佐国を除く三国を訪れたことにも相成りまする」と上総。

右手に七宝山などの山並みを眺めながら田畑や住宅地の中の道を走ります。
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「かなくま餅」/観音寺、財田川沿い。
上総、ご贔屓の讃岐うどん店です(店の名は「餅」ですが)。
餅や赤飯は朝6時から、讃岐うどんは朝10時オープンです。
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琴平の造り酒屋丸尾本店の「悦凱陣」特約店、"おおにし酒みせ"/観音寺市黒町にて。
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観音寺市の町外れ辺りから国道11号線に。
後は国道をひたすら走るだけ。

肥料専門店/観音寺市豊浜町にて。
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今日のjitensha/豊浜八幡神社にて。
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左から"Royal Ace"号/讃岐守殿、"sanukiyome"号/上総。
昨年5月の赤穂/坂越ポタ、同6月の古都奈良ポタ以来の三段内装ママチャリポタです。

明治2年、この豊浜八幡神社から、宮島の厳島神社の木造大鳥居建造のため、本柱に使われる楠の大木が寄進されたとのこと。
奥に見える銅像は当地出身の第68・69代内閣総理大臣大平正芳像。

今回のポタを何と称しようかと考えながら走っていたところ、” ドライブイン燧灘”の看板が目に入りました。
“燧灘”、いい響きです。
「燧灘ポタ/讃岐国から伊豫国へ、ちょっとだけ越境の旅」と名付けることとしました。

「燧灘(ひうちなだ)」の名の由来を調べてみました。
「瀬戸内海中央部、香川県の荘内半島と愛媛県高縄半島の間を占める海域で、四国側を指す。沿岸地域から火打石が産出したことからこの名がついた」。

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-05-16 11:21 | 燧灘ポタリング | Comments(5)