『上総守が行く!』

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カテゴリ:北総の旅( 12 )


2009年 11月 11日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-12

第9話の「ゴール間近の飯野竜神橋」に話を戻して...。

「今日の jitenshaをもう1枚撮りませう」と、上総のカメラにて。
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「では、印旛殿と上総殿にて」と、大給守殿。
印旛守殿&上総、満足の笑顔の図。
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「では、大給殿と上総殿にて」と、印旛守殿。
大給守殿&上総、満足の笑顔の図。
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「では、印旛殿と大給殿にて」と、上総。
印旛守殿&大給守殿、満足の笑顔の図。
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こうやって、並べてみると、フォトの撮り方は三人三様、風車の写り具合が異なりまする...。

三人揃って、満足の笑顔の図。
円谷プロダクションの特撮、合成技術には、ちょいと、劣るも...。
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義兄弟の盃は後日開催の"反省会"と相成るも、カメラを盃に、義兄弟に...。

大給守殿の急遽参戦、日向守殿のドタキャン、上総の遅刻など有るも、楽しき、秋ポタに御座った。

大給守殿は、御屋敷/印旛沼ふるさと広場間も含め、約150kmと走り屋の面目躍如、
印旛守殿は、御屋敷/印旛沼ふるさと広場間も含め、約50kmと鼻歌ポタの面目躍如、
上総は、駐車場(「歴博」)/印旛沼ふるさと広場間も含め、同じく、約50kmと鼻歌ポタの面目躍如、
に御座った。

フォト:2009年10月31日
フォト提供:印旛守殿、大給守殿
フォト合成:上総

(完)
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by kazusanokami | 2009-11-11 21:56 | 北総の旅 | Comments(3)
2009年 11月 10日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-11

ポタ当日の夜、大給守殿から、数葉のフォトと共に、電子飛脚便が遣わされ候。
そして、ポタの翌日、印旛守殿から、同じく、数葉のフォトと共に、電子飛脚便が遣わされ候。

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 の番外編として、頂戴したフォトに上総流コメントを添え、掲載申し上げ候。

大給守殿の激写フォトは前第10話にて、続いて、この第11話では印旛守殿の激写フォトを...。

その前に、印旛守殿の横顔(プロフィール)を。

印旛守殿、その名の通り、印旛沼の畔に居を構えられる御仁に候。

一ヶ月に、一、二度、電子飛脚便(e-mail)を取り交わす間柄に候。
数ヶ月に、一度、一献傾ける間柄に候。

昨年のことで御座ったか、印旛守殿、お孫さんの自転車の”伴走”ならぬ、”伴歩”を為さり居り候。
“伴歩”だけでは、ということで、小径自転車を購われ、お孫さんと並走為されおり候。

此れを耳にした上総、何れ、我等とポタを、とお誘い申し上げ候。

その頃、頂戴した電子飛脚便には「今日、午後からぶらぶらと佐倉の武家屋敷から歴博、印旛沼東岸を走り、16時頃、戻りました。平日は人も自転車も少なく、枯葉の散る音が聞こえそうな、静寂の武家屋敷の木立の中をゆっくり走ってきました。サイクルコンピューターを着けて、走行状態を見ながらの走り、また、変わった意味でポタの楽しみが増えしました」と綴られ居り候。

「枯葉の散る音が聞こえそうな、静寂の武家屋敷の木立の中を」と、何と誠素晴らしき表現をなさる御仁かと、上総、大いに感激致し候。

本年1月、日向守殿と上総、JR成田線安食駅~長門川沿い~北印旛沼~西印旛沼~新川沿い~花見川沿い~幕張海岸のコースをポタの途中、佐倉ふれあい広場/風車前にて、印旛守殿と落ち合い、印旛守殿の案内にて、佐倉城址や武家屋敷などをポタリング。

そのポタの後、頂戴した電子飛脚便では、「先日のポタリング楽しく参加させていただきました。僅かな時間のご一緒でしたが、本当に楽しくペダルを踏むことが出来ました。感謝、感謝です!!!まめな上総さんの事ですから、と思い、翌朝、ブログを開きました。やはり、有りました。その一から、楽しく拝見しました。こまめによく書かれますね、安食から北印旛、双子橋から竜神橋、風車の下での出会いから、京成電車に沿って、一路、佐倉城址、佐倉武家屋敷...。貴兄の写真が素晴らしい。いつも感心仕切り、惹かれます。それと自分の車上の姿、嬉しいですね!!!船戸大橋で別れるまで、本当に楽しいポタでした。あの後、厳しい向かい風、花見川・幕張までのポタの状況、如何でしたか?目標貫徹、奮闘された姿、またまた、ブログが楽しみです!!!」

斯様に、いつも、我がブログ「上総守が行く!」を楽しんで下さる御仁に候。

その後も、「トライアスロンで手賀沼を泳ぐ光景のフォト、環境・自然を『創る心』、『愛する心』、『触れ楽しむ心』、『観る心』の大切さを感じました。トライアスロンを応援される、心嬉しいお便りでした」、更に、「日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルについて、先日、貴兄より情報いただいた三菱1号館へ行ってきました。団塊の世代で一杯でした。(中略)煉瓦造りのシックで重量感、歴史とその価値観、荘厳さなど、肌に感じ、思うには、数百数十年の歳月を風雨に耐え(人為的に破壊された多くの資産ありました)、それを経て、今、感動を受けるわけで、『今、1号館』も此れから長い時を経過して、ですね。素晴らしい技術の遺産継承です。大切にしたいですね!!!そのあと、皇居お濠沿いを竹橋まで散策、『ゴーギャン展』を鑑賞、久しぶりに都心の半日過ごしてまいりました。(中略)今日は、気持ち良い青空の下、稲刈り最中の田圃に沿ってちょっとポタして来ました」、更に、更に、「『伊能忠敬・間宮林蔵...』のシリーズ、相変わらずきめの細かい『拘り』のブログでした。自然体で、偶然、見つけたネタを貴兄の旺盛な探究心、観察力、表現力で捉え、見せていただく、嬉しいですね!」など、数々の電子飛脚便を頂戴致し居り候。

素直な(???)上総、お褒めに預かると、100%、その気になっちまうもんで、益々、ブログに力が入っちまうんでさぁ(照れちまって、武家言葉と町人言葉がミックスになっちまうんでさぁ)。

然様なときを経て、1月の「佐倉のたび」以来、今回、「北総のたび」をご一緒することと相成った次第に候。

では、印旛守殿の激写、二葉を。

大給守殿&上総、帰路の北印旛沼CRを走る。
走りながら、「上総殿、立派なお尻で御座りまするな」と印旛守殿。
「立派でっしゃろ」と上総。(なんで、ここだけ、関西弁やねん!)
言葉だけと思いきや、激写されていること、尻、否、知りませなんだ!(「尻」と「知り」の駄洒落だす)
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拡大、切り抜きにて。(注:フォト加工は編者にて)
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帰路、双子橋を渡る、大給守殿&上総の図。
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ポタの楽しさが、見事に表現されておりまする。
走る姿、橋、、鉄柵、街灯などが織り成す構図も見事で、今回の「北総のたび/フォト・コンテスト」の最優秀作品ではないかと...。

フォト:2009年10月31日
フォト提供:印旛守殿

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-11-10 22:15 | 北総の旅 | Comments(1)
2009年 11月 10日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-10

ポタ当日の夜、大給守殿から、数葉のフォトと共に、電子飛脚便が遣わされ候。
そして、ポタの翌日、印旛守殿から、同じく、数葉のフォトと共に、電子飛脚便が遣わされ候。

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 の番外編として、頂戴したフォトに上総流コメントを添え、掲載申し上げ候。

先ず、大給守殿、激写フォトから。

談笑中のおばちゃんたち/双子公園(???)にて。
上総、遅刻にてお待たせするも、こうして、写真遊び(???)をなさりながら、お待ちを戴いていたことが分かり、一安心。
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龍角寺塔址前にて。
写真は撮り慣れおるも、撮られることは滅多になく、恥ずかしげな上総。
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房総のむら/商家の家並みにて。
後ろ姿には自信のある上総。
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房総のむら/商家、総屋(ふさや)前にて。
仲良く談笑しながら歩く、申年生まれ(ですよね)の兄者と子年生まれの弟者。
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フォト:2009年10月31日
フォト提供:大給守殿

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-11-10 22:13 | 北総の旅 | Comments(0)
2009年 11月 07日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-9

ゴールの「佐倉ふるさと広場/オランダ風車"リーフデ"」を目指し、「房総のむら」を出立。

酒直水門(さかなおすいもん)。
龍の蒐集を趣味とする上総、先ず、龍の図が、次に、注意書きの文字が、目に入り候。
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字が薄く、よく読めぬも、目を凝らし、推測も含め、判読。
「印旛沼の水位を確保する水門で 揚排水機場がある。長門川及び印旛沼の魚の交通路となる魚道や船のまま沼へ出入りができる運河もあり、自然のあるがままに姿が活かしているめずらしい水門」。

なるほど!注意書きの「水門より上下250m 魚釣り禁止」の意味がよく分かり申し候。

余談ながら、「さかなお」と打ち込み、文字変換すると、「酒直」ではなく、「魚尾」となり、水門、魚道の話にぴったりで、笑っちまったで候。

「大給殿、旧型なるも、某の愛馬、ベデワンにて、bd-1の試し乗りなされては如何でせうや」。
「然様でござるな」。
大給守殿、bd-1、試し乗りの図。
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此の試乗にて、大給守殿の愛馬第二号はbd-1で、決まりでせう。

北印旛沼沿いを快走する、印旛守殿と大給守殿。
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「ペリカンの姿が見えまするぞ」と、地元の御老体の声。
いつぞや、印旛歩駄守殿のブログ「印旛沼ポタリング日記」にて、此のペリカンの事が触れら居りたことを思い出し候。
コンデジのズームでは、此れが精一杯!の図。
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北印旛沼と西印旛沼を結ぶ、印旛捷水路に差し掛かり候。
此処は渓谷の如き風情にて、上総、得意の片手カメラで...。
往路は印旛守殿、大給守殿の走る姿を後ろから撮るも、帰路は前から。
左手はハンドル、右手のカメラを後ろに向け、シャッターを切るも、ありゃー、オイラの耳と白髪混じりが写っちまったで候(編者注:お見苦しいフォトながら、掲載します)。
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頭のてっぺんを三脚代わりにして、シャッターを切るも、ありゃー、殿様方が写っておらぬぅ~!
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それでは、もう一回。
撮れたぁ~!
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更に、もう一回。
完璧ぃ~!
勿論、大給守殿の馬具装束も、完璧ぃ~!
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(編者注:写真右下、ちらっと写っているのは、上総のdeuter製背嚢)

西印旛沼、午後の風景。
曇り空も楽しめ候。
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今日のjitensha/ゴール間近の飯野竜神橋にて。
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ゴ~ル!
お疲れ様でしたぁ~、に候。
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フォト:2009年10月31日

(つづく/ゴールしましたが、まだ、続きがあるんです)
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by kazusanokami | 2009-11-07 09:31 | 北総の旅 | Comments(4)
2009年 11月 05日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-8

「房総のむら」/商家の家並み、武家屋敷に続き、農家へ。

農家のエリアには、「上総の農家」、「下総の農家」、「安房の農家」、「水車小屋」、「農村歌舞伎舞台」などが有り申し候。

我等は「上総の農家」を訪れ申し候。
「上総の農家」は、大網白浜町に、江戸時代末期に建てられた、中二階の母屋を持つ、名主の農家を再現したものに候。
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「上総の農家」に向かう途中、赤く色付いた、ホオキギ(箒木)が。
ホオキギ(箒木)、別名、ホウキグサ(箒草)、コキア。
実は、畑のキャビアと称される、秋田県特産の、"とんぶり"。
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コキアは上総の好きな植物のひとつに候。
国営ひたち海浜公園内にある、みはらしの丘は、秋ともなれば、丘全体が、色付いたコキアで真っ赤に染まり候。

「上総の農家」。
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「コキアを運ぶ人」.。
その左手、赤い背嚢を担ぎ、談笑中(と思われる)の御仁が印旛守殿。
右手、一眼レフを構えている、青装束の御仁が大給守殿。
何故か、歩きながら...。
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軒先にくっついている、夏の名残、蝉の抜け殻を眺めながら、夏の農家の風情に思いを馳せ、「房総のむら」を出立申し候。

フォト:2009年10月31日
(つづく)
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by kazusanokami | 2009-11-05 22:22 | 北総の旅 | Comments(4)
2009年 11月 05日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-7

「房総のむら」/上総の農家を訪ねる前に、ちょっと、斯様な話を綴ってみたく候。

昨11月4日付け、第六話をご覧になり、「大給守殿の申されているところを具体的に聞き忘れ候事にて、帰宅後、調べたところ、昔の街道沿いの佇まいを残す、長野県佐久市、旧中仙道望月宿と芦田宿の間、茂田井(もたい)と思われ候」」旨に反応なされた、大給守殿より、今朝ほど、「件名:おそれ入りました」との電子飛脚便(e-mail)が遣わされ候。

此の電子飛脚便に纏わる話を綴る前に、大給守殿の横顔((プロフィール)などを。

nks藩 o.m.殿、本年5月、GIANT DEFY3を購われ候。
6月、o.m.殿、日向守殿ならびに上総にて、jitensha 談義をすべく、八重洲の鰻やにて懇談。

その際、命名好きの上総、「o.m.殿に、何か、よき名を考えねば。佐久のご出身ゆえ、”佐久の鯉太郎”と申す訳には参りませぬが...」と、此れまでに上総が授けた(???)数々の名の由来や命名の手法などを縷々申し上げ候。

o.m.殿、即座に、これこれしかじかにて、大給守(おぎゅうのかみ)で如何で御座ろうや、と自ら命名なされ候。

命名遊びの基本である「由来」が明らかであり、即、良き名が決まり候。

上総、御酒を少々聞こし召し過ぎて、その由来をしかと記憶に留め損ね候事にて、調べ事好きの癖が頭をもたげ、調べ申し候。

翌日、大給守殿からの礼状を頂戴し、其れに対する上総の返信が電子飛脚便保存箱に残り居り事にて、其れを引用致す事にて、由来を申し述べたく候。

quote

大給守殿
6/19付貴信、拝受致し候。
昨夕のjitensha談義、大いに盛り上がり候事、恭悦至極に存じ候。
更に、大給殿の話題、”歴史徘徊病”の某、大いに興味深く拝聴致し候。
昨夕、大給殿につき、あらましはお聞きするも、某なりに調べ申し候。
・大給 恒(おぎゅう ゆずる)、旧名 松平乗謨(まつだいら のりかた)。
・三河奥殿藩第八代藩主、のち、信濃田野口藩(龍岡藩)藩主。
・三河奥殿藩の飛び地の所領であった信濃佐久の田野口に移り、新たに龍岡城を築城。
・幕末の老中、のちに明治新政府の要職に就く。
・日本赤十字社の前身である博愛社を創設。
・龍岡城は、五芒星形の西洋式城郭。龍岡五稜郭、桔梗城とも呼ばれる。
「大給守(おぎゅうのかみ)」、由来も明らかで素晴らしき名と存じ候。
次回、日向守殿の企画によるポタリングにて、小径車をご披露申し上げたく候。
上総 拝

unquote

大給守殿の横顔等は以上の通りにて、冒頭の、大給守殿から遣わされ候処の、「件名:おそれ入りました」の旨の電子飛脚便に話を戻しませう。

11月5日付大給守殿電子飛脚便は次の通りに候。
(編者注:大給守殿の許可なく転載、且つ、原文を”候文もどき”に変換致し居り候事、ご容赦願いたく候)

quote

上総守殿
11月4日付ブログ、拝見申し上げ侯。 
お察しの通り、正に、某(それがし)の生まれ在所は、佐久市望月(旧望月町望月)に候。
「たそがれ清兵衛」のオープンセットも、旧望月町茂田井の中仙道の街道に沿った田んぼの中に作られ侯。
果し合いに向かうシーンは、茂田井の造り酒屋が2軒並んでいる場所で撮影され申し候。
春日温泉、酒など、山間(やまあい)の良い町にて、是非、おいでいただき度。
Ogyu-yomeの実家は佐久市太田部なる処にて、田野口藩の所領である旧田口村と境界を接し居り候事にて、大給名を使い居り候。
大給拝

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此れに対する上総の返信は次の通りに候。

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大給守殿
11/5付貴信、拝受申し上げ候。
貴信に加え、今朝程のケータイ糸電話で、「望月」、「馬の産地」、「天皇への献上馬」、「紀貫之」とお聞きし、更に、以下の通り、ベンキョー致し候。

・「逢坂(あふさか)の関の清水(しみず)に影見えて今や引くらん(引くらむ)望月の駒」(拾遺和歌集)

・「望月」は信濃の馬の産地の名であるが、同時に満月をも言い、清水に映る「影」とは馬の影であると共に月の光でもある。

・佐久市春日温泉馬事公苑/望月の牧/平安時代、このあたりは官営の牧場が置かれ、中秋の名月に行われる「駒引きの儀」に天皇に献上するための馬を飼育していた。望月産の馬は名馬の誉れ高く、紀貫之も 「逢坂の関の清水に影見えて今や引くらん望月の駒」と詠んでいる。 

御言葉に甘え、貴殿がBD-1を”月斗”(註)なされた暁には、「大給守殿愛馬第二号月斗記念ポタ」と題し、上総ほか諸侯を内従えての、望月への凱旋の旅と参りませう。
(註)
”月斗”=getの意。
ハリポタ藩漢字当て嵌め造語遊びによる、2007年、稍々山城守呑々殿作の造語。
今回は、”望月”との掛詞でもある。

*********************
"歴史徘徊病"に、益々、磨きが掛かり居る上総

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印旛守殿ならびに大給守殿の横顔(プロフィール)は、完結時と思い候得共、偶々、今朝、大給守殿より「望月」につき、電子飛脚便を頂戴した事でも有り、此処に、大給守殿の横顔を紹介と相成り候。

印旛守殿とご一緒するのは、今回、二度目にて、一度目のポタ、「印旛沼、佐倉武家屋敷、検見川浜の旅」、第五話、六話、七話(本年1月12日、13日付)にて登場なされ居り候。
横顔の紹介は、完結時に、改めて、致したく候。

では、「房総のむら」/上総の農家へ参りませう。

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-11-05 22:21 | 北総の旅 | Comments(0)
2009年 11月 04日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-6

「房総のむら」/商家の家並みから武家屋敷へ。

武家屋敷という言葉を聞くと、上総守を名乗り、朋輩にも○○守と名付け、候文(もどき)、武家言葉(もどき)で遊び居る、某(それがし)の血が騒ぎに騒ぎ候。

武家屋敷と申せば、最近、武家屋敷づいて居りまする。
10月10日は角館の武家屋敷へ、そして、10月17日は松江の武家屋敷へ...。

商家の家並みから武家屋敷へ向かう道すがら、「某の実家のそばに、活動写真『たそがれ清兵衛』の清兵衛宅のオープンセットが、今は取り壊されているも、暫らく有り申した。清兵衛が藩士を討ち果たしに参るときの道も、街道筋に御座る」と大給守殿。

「然様で御座るか。それは、是非、見てみたいものに御座る。清兵衛が藩士と戦った場面が撮られたのは、角館の武家屋敷、松本家の由に御座る」と上総。

大給守殿の申されているところを具体的に聞き忘れ候事にて、帰宅後、調べたところ、昔の街道沿いの佇まいを残す、長野県佐久市、旧中仙道望月宿と芦田宿の間、茂田井(もたい)と思われ候。

武家屋敷。
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「甲冑試着は武家屋敷で体験できます」と有り申し候。
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2007年11月、ハリポタ藩「しまなみ海道ポタ」にて、大島/村上水軍博物館を訪れた際、皆で大騒ぎしながら、鎧兜を試着したことを思い出し候。

「房総のむら」/武家屋敷では、時間の都合上、且つ、皆、"大人"に御座ったゆえ、試着は見送り候(「皆、"大人"じゃと?印旛守殿、大給守殿の御二人は然もあらんが、上総は痩せ我慢して居ったんだろう!?」との声がハリポタ藩諸侯から聞こえそう...)。

能書き。
ご興味のある方は、目を凝らして、どうぞ、ご覧くだされ。
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武家屋敷から、先ほど、通った大木戸の洋館と総屋(ふさや)を遠目に眺めながら、「上総の農家」へ。
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フォト:2009年10月31日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-11-04 22:36 | 北総の旅 | Comments(4)
2009年 11月 03日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-5

「房総のむら」/商家の家並み。

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通りの、向かって左手前から、総屋(ふさや/総合案内所)、あまはや(菓子)、山辺園(お茶)、葛飾堂(本・瓦版)、平群屋(へぐりや/紙)、安房屋(畳)、永柄屋(ながらや/木工)、夷隅屋(いすみや/鍛冶)。
通りの、向かって右手前から、かどや(めし)、いんば(そば)、くるり(小間物)、上総屋(呉服)、火の見櫓、下総屋(酒、燃料)、佐倉堂(くすり)、かとりや(川魚)、すゑや(瀬戸物)。

房総に因み、上手く店の名を付けたものに候。

最近、習練を重ねている"技法"、地面からのローアングルの図。
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映画「用心棒」で、桑畑三十郎(三船敏郎)と新田の卯之助(仲代達矢)の決闘シーンを彷彿とさせる、良き出来映え(???)。

総屋(ふさや)。
屋根は、上総の好きな、銅張り。
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懸崖づくりの菊と、駕籠。
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「この菊はの技法は?」と上総。
「懸崖づくりに御座る。手の込んだものに御座る」と印旛守殿。
「実家に、木製の引き戸の付いた、乗り物が御座りまする」と大給守殿。
「其れは、"お宝鑑定団"ものに御座りまするな。一度、拝見致したいものに御座りまするな」と上総。

お茶の山辺園。
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くすりの佐倉堂。
ここにも龍が...。
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店先には、こんなものも...。
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鍛冶屋の夷隅屋。
幾つかの商家では、伝統的な技術を体験することが出来申し候。
右は鍛冶屋の主、真ん中は伝統的技術を体験中の観光客...。
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商家の家並みを振り返り、見る、通りの図。
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濠に架かる橋を渡り、次は武家屋敷へ...。
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フォト:2009年10月31日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-11-03 21:10 | 北総の旅 | Comments(4)
2009年 11月 03日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-4

北総台地も秋模様。
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「印旛守殿、大給守殿、『房総のむら』に入りませうか。木戸銭は三百文に御座りまする」。
「入りませう。入りませう」。

「房総のむら」大木戸入り口へ向かい候。

大木戸入り口近くの洋館。
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今回は訪れぬも、「房総のむら」には、もうひとつ、「旧学習院初等科正堂」の洋館が在り申し侯。

大木戸入り口の看板。
今は斯様な企画が催され居り候。
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企画「龍女建立」の文字に続く、龍の図。
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龍角寺の小冊子に、龍の絵と共に、「薬師如来坐像宮殿の天井に龍を意匠とする極彩色の絵が描かれている。雲により三つに絶たれたかのように表されており、まさに龍角寺の龍伝説を彷彿とさせる絵様となている」と記され居り候。

看板に描かれた龍の図は、その天井絵を模写したものに候。
看板の絵とは申せ、見事な絵に候。(プリントかな?...)

フォト:2009年10月31日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-11-03 07:13 | 北総の旅 | Comments(0)
2009年 11月 02日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-3

「龍の伝説」。
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それは、それは遠い昔のお話じゃ。下総(しもうさ)の国の印旛沼(いんばぬま)の地方では、雨が一粒も降らず、来る日も、来る日もお日様がギラギラと照りつけていたそうな。

「ああ、いつまで、この日照りは続くんじゃろう。このままでは、わしらの食い物も尽きてしまうわ」 
「あしたこそはなあ、雨が降んねえかなあ」

村人たちの願いもむなしく、日照りは続き、飢えで死んでしまう者も、出て来る始末じゃった。

このことを知った天皇は、釈明(しゃくめい)というお坊さんに雨乞(あまご)いの祭りをやって、雨を降らせるよう命じたそうな。

早速、釈明は印旛沼に船を漕ぎ出して、沼の真ん中で、“海龍王経”(かいりゅうおうきょう)などを読み続けて、龍神様(りゅうじんさま)に、お祈りをした。それは、それは、命がけのお祈りだったそうな。

一日、二日、三日と、釈明の声は絶えることなく沼のあたりに響き渡ったそうな。
すると、どうでしょう。三日目の夕方、ちょうどお日様が地面にかくれる頃のことじゃった。
「ザザザザーッ」
ものすごい波の音とともに、沼の中から龍神様が現れたのじゃった。 やがて天に舞い上がり、暮れゆく空の中に姿を消したそうな。

と、その時じゃった。 
突然、真黒な雲が地面から、もくもくと舞い上がって、いなずまと雷鳴の中で渦巻きが起こったそうな。
「ポツリ、ポツリ」
天から大粒の雨が落ちてきましたと。だんだん雨は激しくなって、一日二日と降り続いた。

今まで、ひび割れしていた田んぼも、枯れ草同様の畑の作物も、生き返ったと。

「助かった。助かった」
「ありがたいことだ。ありがたいことだ」
村人たちは、天にも昇る思いで、手を合わせ、読経(どきょう)したそうな。

七日目。その日は特にすごい雷光(らいこう)と雷鳴(らいめい)の日じゃった。
「ぴかっ」
「ズズーン。バリバリバリッ」
天も地もふっ飛ぶような雷鳴が、とどろき渡ったそうな。

「ああっ。龍の体が・・・・・・」
村人たちは、一瞬、凍りついたように立ちどまった。三つに裂けた龍の姿を見たのじゃった。

私たちを救ってくれた龍・・・・・・。 村人たちは三つに裂かれた龍の体を捜しに に出かけたそうな。
すると、二本の角のついた頭は安食(あじき)に、腹は本埜(もとの)に、尾は大寺(おおでら)に落ちていたのが見つかった。

「おらたちの身代わりになってくれた龍よォー」
「わしらの神様じゃー」

変わり果てた龍を見つけた人々は、それぞれの地で供養することにしたのじゃった。

頭部は、石の唐櫃(からびつ)に納めて龍角寺(りゅうかくじ)の堂前に埋めた。腹は、本埜の地蔵堂に納めた。尾は、大寺の寺に納めたそうな。

龍角寺(りゅうかくじ)、龍腹寺(りゅうふくじ)、龍尾寺(りゅうびじ)とそれぞれ寺の名前なったと。

(房総の民話/匝瑳市ホームページより)

この民話で、第2話の駄句、「龍の眼に柿の実そまる角(つの)の寺」がお分かり戴けたかと存じ候。

フォト:2009年10月31日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-11-02 06:51 | 北総の旅 | Comments(4)