カテゴリ:伊豆大島ポタ( 17 )


2010年 06月 06日

『伊豆大島ポタ』 io-17

ホテルのマイクロバスで岡田港に向かう。
岡田港の待合室で16:30発の帰路便を待つ。

一便前の、14:15発東京行き客船と熱海行きジェット船。
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岡田港のパーキング。
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このビニール合羽、先程、元町港で雨中を走る若者がなびかせていたもののよう。
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ホテルのバス輪行組。
第一話で述べた通り、数多くの同好の士と遭遇したが、小径車は我ら三名のみであった。
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14:15発東京行き客船と熱海行きジェット船。
このジェット船が熱海から岡田港に戻り、我等の乗る東京行きになるとのことだ。
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待ち時間は2時間強、ビールを飲みながら待つ。
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上総はビールに続いて、ソフトクリームを食べながら待つ。
大給殿は売店を「御神火焼酎」を買い求める。
最近、めっきり酒に弱くなった上総はビールとソフトクリームで十分と、無粋ながら、焼酎はご辞退する。
大給殿と伊豆殿は焼酎で小宴を続ける。
上総はビールの酔いで、しばし、高鼾(???)の午睡。
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帰路便のjitenshaの置き場所を確保するため、早めに、乗船場に並ぶ。
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大きな荷物を持った釣り人、多数。早めに並んで良かった。

前日、朝餉を摂った漁船溜り。
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16:30発東京行きジェット船「セブンアイランド愛」。
ちょいと遅れて熱海から戻り、着桟。
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東海汽船は"セブンアイランド愛"、"セブンアイランド虹"、"セブンアイランド夢"の3隻のJetfoilを保有している。
これら3隻は、嘗て、大阪/高松間に就航していた"ジェット7"、ドーバー(英国)/オステンド(ベルギー)間に就航していた"P. Clementine"と"P. Stephanie"である。
上総は、20年前、彼の地に住まいし頃、ドーバー/オステンド間で"P. Clementine"と"P. Stephanie"に乗ったことがある。
今回、乗った伊豆大島発東京行きは"セブンアイランド愛"。
もし、この"セブンアイランド愛"が"P. Clementine"か、"P. Stephanie"であれば、国内外で同じものに乗ったことになる。
Jetfoilに詳しい知人に問うたところ、「"愛"は"ジェット7"、"虹"は"P. Clementine"、"夢"は"P. Stephanie"です。従いまして、ドーバー/オステンド以来の再会にはなりませんでしたね」との答えであった。
次回の再会が楽しみである。

岡田港から約1時間半で竹芝桟橋に到着。

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伊豆大島は、三原山の噴火で形成された島、激坂、急坂も含め、アップダウン多々あり、走り応えのあるポタであった。

次回、伊豆大島を訪れた際には、岡田港~大島公園~激坂の途中から「あじさいレインボーライン」~三原山山頂~「三原山登山道路」(もしくは「御神火スカイライン」)~元町港のコースを走ってみたいものだ。

フォト:2010年5月23日

(完)
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by kazusanokami | 2010-06-06 18:30 | 伊豆大島ポタ | Comments(4)
2010年 06月 06日

『伊豆大島ポタ』 io-16

5月23日、朝4時に目が覚める。
早速、温泉に。

部屋に戻ると、「上総さん、外の様子は?」と大給殿、伊豆殿。
「雨が降り始めております」と上総。

朝餉を摂る。

三原山は煙っている。
三原山行きは中止とする。

伊豆大島には発着港が岡田港と元町港の二つあり、東海汽船は毎朝、何れの港を発着港とするか決めるのである。
我等が乗船する午後4時半発の東京行きジェット船の出発港を東海汽船に電話で確認する。
岡田港である、と。

我等は元町港から岡田港に移動せねばならない。
元町港から岡田港まで約10km、jitenshaで雨中を走るもよし、バス輪行もよし。

朝餉後、大給殿はぶらりと外へ。

外から戻って来た大給殿曰く、「大島バス案内所に立ち寄り、岡田港行きのバスを確認して来ました。14:05元町港発のバスは、途中のバス停には止まらないので、輪行はオーケーと」。
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「それは結構なことです」と喜んでいたところ、ホテルの部屋の電話が鳴った。
「大島バスの営業所から、岡田行きのバスは輪行できないとの連絡がありました。13:30発でホテルのマイクロバスを出しますので、それにお乗り下さい」とのホテルのフロントからの電話であった。

何故、大島バスの営業所は我等がホテル赤門に投宿していることが分かったのであろうか。
大給殿曰く、「営業所はホテルから細道を通って大通りに出た直ぐのところ。某が細道を戻っていくのを見ていたのかもしれません」と。
或いは、大島バス営業所はあちらこちらのホテルに輪行不可の旨を電話で伝えたのかもしれない。

何れにせよ、観光地にしては、大島バスはサービス不足、一方、ホテル赤門はサービス満点。
捨てる神あれば、拾う神あり。有難いことである。

帰路の予定が定まったので、ホテルで傘を借り、「伊豆大島火山博物館」へ。

空を見上げる。
前日の天気とは打って変わって...。
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「伊豆大島火山博物館」。
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立派な博物館である。
三原山のあれこれ、国内外の火山のあれこれをベンキョーした。
火山の脅威を知る地元の人たちが三原山を「御神火」と呼ぶのも頷ける。

展示品のひとつとして、前日、ポタの途中で見たバウムクーヘンに再び出会った。
「千波地層切断面」に液体ガラスを注入して切り取ったサンプルが壁一杯に展示されたいた。

火山地底探検を体験できるシミュレーター・カプセルはご愛嬌なるも子供は喜ぶであろう。

カブ・スカウトの少年少女たちにリーダーが、展示物を前にして、プレート・テクニクスなど、あれこれを解説していた。
伊豆諸島は太平洋プレートとフィリピン海プレートがぶつかりあっている位置にあり、プレートが潜り込む辺りはマグマが上昇し易く、火山が多いとの説明は地元の子供たちにとって郷土を知る意味で大いに勉強になったであろう。

館内は撮影禁止ながら、記念撮影の場所が設けられていた。
記念写真を。
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港近くに戻り、昼餉を摂る。
握りの「べっこう寿司」と丼の「べっこう丼」がある。
「べっこう丼」を食す。
べっこう寿司やべっこう丼はブダイなど白身の魚を「しまとんがらし醤油」に漬けたもので、所謂「ヅケ」である。
確かに、白身が鼈甲色になっている。

椿油、干物、岩のり、「御神火焼酎」、「島とんがらし醤油」など、各々、お好みのものを土産に購う。
上総は「島とんがらし醤油」と「生の椿油」を購う。
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「島とうがらし」は八重山諸島ポタ以来、凝っているもの。
椿油は、種を蒸してから搾油精製する製法と生の種を潰して搾油精製する製法があるそうだ。
「生の椿油」は後者の製法である。
因みに、原料の種は大島産ヤブツバキである。
島とんがらし醤油漬けのべっこう寿司やべっこう丼を見て、"生の椿油"ならぬ"生唾"ゴクリと駄洒落のひとつも出る組み合わせの土産であった。

元町港近くで見掛けた、雨中を走る同好の士たち。
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岡田港に向かっているのであろう...。

フォト:2010年5月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-06-06 09:53 | 伊豆大島ポタ | Comments(4)
2010年 06月 06日

『伊豆大島ポタ』 io-15

16:40、港近くの「ホテル赤門」に到着。

今日のjitensha@「史跡 鎮西八郎為朝館之跡」前。
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「赤門」。
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「源為朝」。
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弓の名手、鎮西八郎とも称される源為朝は、崇徳上皇と後白河天皇が地位をめぐり争った保元の乱で、父為義と共に崇徳上皇方に属して戦ったが敗れ、伊豆大島へ流される。しかし、伊豆大島においても、国司に従わず、伊豆諸島を支配したため、追討を受け、自害した。
5月初旬、香川県五色台の白峯寺(四国霊場第81番札所)を訪れた。保元の乱の後、讃岐に流され、同地で没した崇徳上皇の陵墓近くに建立された頓証寺が、この白峯寺になったといわれている。
この5月は、讃岐と伊豆大島で保元の乱の歴史に触れた月となった。

「こんにちは。予約していた上総一行です。折り畳み自転車なんですが、何処に置けばよいでしょうか」。
「ようこそお越し下さいました。自転車は、玄関の中、そこの空いているところに、折り畳まずに、そのままどうぞ」。
自転車を嫌がる風もなく、ホテルの主人から感じのよい返事。
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「浜の湯」の露天風呂に続き、「ホテル赤門」の内湯に入る。
内湯の名は「御神火温泉 為朝之湯」。
露天風呂は適温、内風呂は熱い。
湯を水で埋めたいが、蛇口はない。
掛け湯を何度もし、次に脚だけ浸けて、次に瞬間的に全身浸かり、次に我慢しながらゆるりと浸かる。
こんなに熱い湯は久し振りだ。

「夕食の準備が出来ました」と案内あり。
「さあ、ビールだ、ビールだ」。
いつものことながら、ポタの後のビールは美味い!
「ビールの次は、お酒?それとも焼酎?」。
「焼酎にしましょう」。

旅籠のお女中を呼び、「焼酎をボトルでお願いします。どんな焼酎がありますか」。
「地のもので『御神火焼酎』があります。麦と芋があります」。
「御神火焼酎とは、なかなか良き名。麦でお願いします」。

「今日は自転車でどちらを走られましたか」と旅籠のお女中。
「岡田港から時計回りで一周。正確には、元町港と岡田港の間はまだ走っていませんが」。
「先程、サンセットパームラインの『夕日の丘あかはげ(赤禿)』まで走りました」。
「ああ、『あかっぱげ』ですね」。
「『あかはげ』ではなく、『あかっぱげ』というんですか。何故、赤禿という名なのでしょうか」。
「あの辺りに赤い石があるからなんですよ」。
「そういえば、さっき、赤禿で、青い空に赤い崖の写真を撮ったなあ」。

「明日はバスで三原山山頂まで自転車を持って行き、山頂から自転車で下る計画。しかし、天気予報では雨のよう」。
「下から見て三原山が煙っていたら、山頂では何も見えません。そのときはお止めになった方がよろしいでしょう」。

伊豆大島ポタの企画段階で、三原山行きのバス輪行につき、大島バスに確認したところ、「輪行袋に入っておればOKですが、乗客が多い場合には、お断りすることがあります」とのことであった。
そうしたことと、翌朝の天候次第で三原山行きを決めようというのが夕餉の宴での評定であった。

この日の走行距離54.73km。
お疲れ様...。

フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-06-06 00:36 | 伊豆大島ポタ | Comments(2)
2010年 06月 05日

『伊豆大島ポタ』 io-14

「サンセットパームライン」を走る。
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パノラマガイド。
左手に伊豆諸島、正面に伊豆半島、右手に富士山を見ることが出来る。
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走る、走る...。
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坂を上る...。
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坂を上りきると「夕日の丘赤禿」の標識が。
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青い空に赤い崖...。
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「夕日の丘赤禿」の向こうは、二段構えの下り坂。
ということは、更に走ると、帰路は二段構えの上り坂となる。
上り坂は、これまでの坂、坂、激坂でもう十分。早く温泉に入りたい。
「サンセットパームライン」の名の通り、ここから夕日を眺めてみたいが、日の入りは午後6時半過ぎ。早く温泉に入りたい。

「花より団子、夕日より温泉。ここから戻り、浜の湯に入りましょう」。

三原山を一望する、帰路の下り坂。
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伊豆守殿と大給守殿は一気に坂を下り、遥か向こうに。

「ぶらぁーり 大島」。
先程の「夕日の丘赤禿」からは、こんな風に夕日が見えるようだ。
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こういう地名を見ると、カメラに収めたくなる。
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「浜の湯」に入る。
「浜の湯」は水着着用の混浴露天風呂。
海を眺めながら、そして、心地よい風を感じながら、ゆるりと浸かる。
「嗚呼、早くビールが飲みたい!」。

「浜の湯」を出る。
少し走って、また、「浜の湯」に戻る。
温泉の手前にあるチケット売り場のおばちゃんが「忘れ物ですか」と。
「はい、忘れ物です。写真を撮るの忘れました」。
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水着着用とはいえ、温泉の中を撮るのは憚れる。外からのみ撮る。
温泉の中はこんな感じ。ポスターのフォトで。
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フォト:2010年5月22日

(つづく)-
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by kazusanokami | 2010-06-05 19:43 | 伊豆大島ポタ | Comments(2)
2010年 06月 05日

『伊豆大島ポタ』 io-13

間瀬定八の墓参を終え、再び、大島一周道路に。
交差点角の店で「サンセットパームライン」への道を尋ねる。

「サンセットパームライン」の起点近くにある「長根浜公園」で休憩。
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ここに、後程、入るつもりの露天風呂「浜の湯」がある。
「浜の湯」の先に、不思議な石像があった。
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近寄ってみた。
ゴジラの石像であった。
ゴジラファンの上総、大いに喜ぶ。
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説明書きに「SFX」とあるが、それはずっと後のことで、長らくは着ぐるみであった。
また、「昭和20年」とあるが、これは「昭和29年」の誤記であろう。

子供の頃、昭和29年(1954年)製作の「ゴジラ」を見た。
これがゴジラ映画のシリーズ第一作である。
今も、時折、DVDでこの映画を見ることがある。
初代ゴジラは、それはもう、おどろおどろしき形相である。

三原山と関わりのあるゴジラ映画は、説明書きにも触れられている通り、二作ある。
1984年(昭和59年)の第16作「ゴジラ」と1989年(平成元年)の第17作「ゴジラ対ビオランテ」である。

第16作は、ゴジラ誕生30周年記念作品。
三原山を人工的に噴火させ、ゴジラを三原山に誘導し、火口に落とすという作戦であった。
余談ながら、デビュー間もない頃の沢口靖子が出演していた。

第17作は、ゴジラが三原山の火口内で再び活動を始めるというもの。
残念ながら、この第17作を見ていない。
DeAGASTINIが発売している「東宝特撮DVDコレクション」で何れ発売されるであろうそれを購入し、見てみたい。

赤穂浪士とゴジラを一緒にしては罰当たりとなるが、間瀬定八の墓に続き、ゴジラの石像もと、立て続けに、この伊豆大島で趣味に関わるものに遭遇し、予期せぬ楽しさを味わった。

フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-06-05 01:01 | 伊豆大島ポタ | Comments(2)
2010年 06月 04日

『伊豆大島ポタ』 io-12

アップダウンを繰り返しながら、14:15、元町港に至る。
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翌日は三原山山頂行きを予定するも、天気予報では雨。
ひょっとしたら、三原山行きは中止とするかもしれない。
記念に(???)、三原山山頂に向かうルートの一つである「御神火スカイライン」の標識をカメラに収める。
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三原山は標高758m、この「御神火スカイライン」は4.6km、地図を見るとかなり蛇行した道である。
このルートで山頂までjitenshaで上るとなれば相当にハードだろう。
jitenshaで上るとなれば、やはり、ガイドブックお奨めの比較的緩やかな「三原山登山道路」かもしれないと思いながらも、距離の長い坂は嫌だなあと自問自答。

伊豆守殿のカメラのメモリーが不調で、元町港で文具店、写真店、電気店などに立ち寄るも、何れもメモリーは置いていなかった。

最後に立ち寄った電気店の名は『御神火テレビ楽器』。
「店の名はなななか良い名前ですね」、「昔、兄弟で三原山で店をやっていたのですが、そこから分かれて電気店を。ということで『御神火』という名を使っています」。
「先程、メモリーを探して、あちらこちらの店を訪ねましたが、品物はありませんでした。メモリーに限らず、いろんなもので、島の皆さんはどうされているんでしょうか」、「クニに行ったときに、いろんなものを買い求めて来ます。島の生活はそのようなものです」。
上総の耳には、『クニ』、即ち、『国』と聞こえた。東京のことを島では『国』というのかもしれない。
物が豊富な時代ではあるが、電気屋さんとの会話で、島の人たちの生活の様子を垣間見た気がした。

この日の投宿は元町港の旅籠。
まだ投宿するには時間的に早いので、元町港から野田浜までの「サンセットパームライン」を走ることにする。

大島一周道路の元町港交差点に差し掛かると、「上総さん、赤穂義士の遺児...という標識がありますよ」と伊豆殿。
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「討入の後、浪士の子供は幕府の咎めを受け、流罪に。その後、浪士は忠臣として賞賛され、咎めを受けた子供たちは赦免になったのですが、そのお墓がここにあるとは。間瀬定八とあるので、間瀬久太夫の子供でしょう」と能書きを垂れながら、「伊豆大島で『赤穂浪士討入凱旋の旅』<番外編>が出来るとは思いもしませんでした!伊豆さん、よくぞ、標識を見つけてくれました!」と、忠臣蔵、赤穂浪士を趣味とする上総、大いに喜ぶ。

大島一周道路を外れ、坂道を上る。
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大島町霊園元町墓地の一画に、間瀬久太夫の遺児、間瀬定八の墓があった。
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1703年(元禄16年)4月27日、赤穂義士の間瀬久太夫、吉田忠左衛門、中村勘助、村松喜兵衛の遺児、間瀬定八、吉田伝内、中村忠三郎、村松右衛門の4名は連座の罪でが伊豆大島に流罪となる。間瀬久太夫の次男定八(流島当時、20歳)は、1705年(宝永2年)4月27日、22歳の若さで大島で病死。1706年(宝永3年)8月に赦免許可証が届き遺児3人は江戸へ戻ることができたが、定八は配所の土となって今も大島に眠っている。

「大石内蔵助の三男、大三郎は後に本家芸州浅野藩に仕官が叶うも、定八のような境遇の遺児も...」と墓前で上総は思うのであった。合掌。

上総が訪ねた赤穂浪士ゆかりの地の中に、月照寺(兵庫県明石市)がある。
この寺に、間瀬久太夫に纏わる「八房梅(やつふさのうめ)霊樹」なるものがある。
これは「元禄15年(1702年)、赤穂浪士大石良雄、間瀬久太夫の両人、当山へ参拝し、素願の成就を祈り、大石氏は墨絵鍾馗の図を描きて奉納。間瀬氏は持参の梅の鉢植え八ツ房を移植して祈願の印となした。この梅は紅梅で、ひとつの花から七、八個の実を結ぶので、八ツ房の梅と称され、多くの人々に親しまれている。現在は三代目である」というものである。

間瀬久太夫は、長男孫九郎と共に、見事、素願を成就したのである。合掌。

もし、事前に「サンセットパームライン」の入り口をしっかりと調べていたら、大島一周道路のもっと手前から別の道に入り、サンセットパームラインへ向い、「赤穂義士遺児 間瀬定八の墓」の標識を見ることはなかったかもしれない。
しっかり、道を調べていなかったことが幸いした。

フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-06-04 20:54 | 伊豆大島ポタ | Comments(2)
2010年 06月 03日

『伊豆大島ポタ』 io-11

「バウムクーヘン」。
13:30、大いに楽しみにしていた奇観に至る。
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道路建設の際に現れた、長さ1kmに亘る大地層。
三原山噴火、一万五千年の軌跡、火山灰とスコリア(黒い軽石をスコリアというそうだ)が織り成す縞模様の「千波地層切断面」である。
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バウムクーヘン、そして、その上空を見上げると青空にうろこ雲...
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振り向いて、今一度、一万五千年の軌跡、大地層の奇観を眺める。
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フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-06-03 23:20 | 伊豆大島ポタ | Comments(6)
2010年 06月 03日

『伊豆大島ポタ』 io-10

12:50、波浮港を発つ。
断崖もあれば、浜辺もある。
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「富士山が見えます」、「富士山はこっちの方角かなあ? まっ、写真を撮っておきましょう」。
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しばらく走ると、「パノラマガイド」があった。
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「さっきのは、富士山ではありませんでしたね」、「利島でしたね」、「全くの方角違いでした。利島を富士山に見間違えたなんて、ブログには書かないでくださいね」、「さて、どうしますかね。面白い話だし。名前は出さずに...」。

フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-06-03 21:00 | 伊豆大島ポタ | Comments(4)
2010年 06月 02日

『伊豆大島ポタ』 io-9

先程の見晴し台で「アンコ椿は恋の花」の碑を見た。
歌の先輩となる、野口雨情作詞、中山晋平作曲の「波浮の港」の碑も見ておかなければ、片落ちである。
港屋旅館の少し先にある「波浮の港」の碑に立ち寄る。

「波浮の港」碑。
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「波浮の港」は1923年(大正12年)の作品。
「磯の鵜の鳥ゃ日暮れにゃ帰る...」、碑に刻まれた詩文は森繁久弥の筆によるもの。
大正から昭和初期に流行った歌ながら、子供の頃、藤原義江が歌うこの歌を耳にしたことが遠い記憶の中にある。

タイル張りの島地図で、朝から走って来た道を辿ってみる。
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岡田港から大島一周道路に出る急坂は地図で見るとこんな感じだ。
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大島公園からの、あの長さ5.5km、標高差300mの激坂は地図で見るとこんな感じだ。
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小さな通りに戻り、寿司「西川」で昼餉を摂る。
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地魚の握り。
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もう一皿(?)。
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建物は大正か昭和初期に建てられたもののようだ。
昔のカメラ、昔のラヂオ、昔の電話、昔のテレビ(カラーテレビ内臓)、どれもが懐かしさを感じさせる。

フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-06-02 23:06 | 伊豆大島ポタ | Comments(6)
2010年 06月 01日

『伊豆大島ポタ』 io-8

波浮港見晴し台から、電話で教えられた通り、坂を下り、波浮港に至る。

小さな港町である。
蔦の緑と魚網の赤が眩しい。
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嘗ては、風待ちの港、遠洋漁業の中継地として栄えたとのこと。
嘗ての面影を残す町並み。
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古い家並みの小さな通りを走る。
左手に川端康成の小説「伊豆の踊り子」ゆかりの「港屋旅館」が見えて来た。

「港屋旅館」をゆるりと見学。
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川端康成の小説「伊豆の踊り子」は、1933年 田中絹代、大日方博主演(松竹)、1954年 美空ひばり、石濱朗主演(松竹)、1960年 鰐淵晴子、津川雅彦主演(松竹)、1963年 吉永小百合、高橋英樹主演(日活)、1964年 内藤洋子、黒沢年男主演(東宝)、1974年 山口百恵、三浦友和主演(東宝)など、幾度も映画化されている。
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今も大活躍している吉永小百合と高橋英樹は、当時、18歳と19歳であった。
その映画を観た上総は、当時、15歳であった。

門柱に描かれた紋様が、賑やかであっただろう往時を偲ばせる。
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フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-06-01 23:24 | 伊豆大島ポタ | Comments(4)