カテゴリ:龍( 7 )


2012年 01月 14日

『龍コレクション/2012.01.08 』

今年は辰年。
龍のコレクションを趣味としている者にとって、嬉しい年です。
元旦から数多くの龍を見ました。
そのうちのひとつが、これです。
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心がこもっています。

フォト:2012年1月8日、アビスタ本館にて
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by kazusanokami | 2012-01-14 21:16 | | Comments(2)
2012年 01月 10日

『小泉淳作画伯』

小泉淳作画伯が9日、亡くなられた。

昨年4月、鎌倉・建長寺にて、小泉画伯の描く、法堂の天井画「雲龍図」を拝見した。
昨年末のブログ「ゆく年くる年」で、建長寺法堂で撮った天井画「雲龍図」を掲載したばかりであった。
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代表作には、建長寺法堂の天井画「雲竜図」の外、京都・建仁寺法堂の天井画「双竜図」や奈良・東大寺本坊の襖絵40面がある。
先程、建仁寺のホームページ/ギャラリーで「双龍図」を、YouTubeで東大寺の襖絵の奉納風景を見た。
建長寺法堂の天井画「雲竜図」とは、趣きを異にする絵であった。

京都や奈良へ行く機会を作り、建仁寺で「双龍図」を、東大寺で襖絵を、是非、見てみたいものだ。

告別式は18日、画伯の描いた天井画のある、建長寺法堂で、とのことだ。

画伯は、建長寺法堂の天井画「雲龍図」の龍の指(爪と申すべきか)を、四本でもなく、普通、日本で見られる三本でもなく、何故、五本指で描いたのか、これが私の謎である。

ご冥福をお祈りする。

合掌。

フォト:2011年4月24日、建長寺にて
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by kazusanokami | 2012-01-10 23:58 | | Comments(0)
2011年 12月 29日

『龍コレクション/上野公園にて』

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「上野動物園のお正月」。
龍が NEW YEAR と申しております。

「博物館に初もうで」。
上手いこと、言うていますね。
動物園には申し訳なくも、綺麗な女優さんと龍の、博物館の方をアップで。
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更にアップで。
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龍は、少々、照れているようにも見えます。

正月には、上野動物園と上野国立博物館に足を運んでみよう。
さすれば、動物園では、龍に遭遇するでありましょう。
そして、博物館では、中谷美紀さんに遭遇するでありましょう。
楽しみ、楽しみ...。

フォト:2011年12月24日、上野公園管理事務所前にて
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by kazusanokami | 2011-12-29 21:27 | | Comments(2)
2011年 08月 31日

『私の履歴書/小泉淳作画伯』

今日で8月も終わりだ。
今月の日経朝刊『私の履歴書』は日本画家の小泉淳作画伯であった。

鎌倉・建長寺の法堂天井画「雲龍図」を描くに至った経緯が綴られていた。
今年4月の「古寺巡礼ポタ」で鎌倉を巡った際に撮った、建長寺の雲龍画がこれだ。
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日本の龍にしては珍しく、五本指の龍である。

建長寺の「雲龍図」が縁となって、京都・建仁寺の「双龍図」に繋がった経緯も綴られていた。
建仁寺の「双龍図」は未だ観たことがない。
楽しみがまた増えた。

フォト:2011年4月24日
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by kazusanokami | 2011-08-31 19:22 | | Comments(4)
2011年 02月 13日

『龍野ポタ/野見宿禰と鳥見』 tp-4

野見宿禰(のみのすくね)。
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野見宿禰神社に行ってみることにした。
石段と坂道を上る。
途中、こんな碑も。
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途中、背中が青く輝く野鳥を"鳥見"。
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下山後、鳥博士の六々守殿から「ルリビタキ」であると教えて貰った。
名前は知っているものの、姿を見るのは初めてのことであった。
野見宿禰神社はかなり高台にあるようなので、途中で引き返えしたが、ルリビタキを見ることが出来たのは野見宿禰のお陰かと、感謝!

龍野神社に参拝。
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龍野神社は、龍野藩第9代藩主脇坂安宅が、賤ヶ岳の七本槍に数えられる脇坂家初代当主の脇坂甚内安治を祭神とする脇坂家の廟として脇坂家上屋敷(現・聚遠亭)の東隣に建立した神社である。

境内で見掛けた石像。
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「今日の jitensha」を撮る摂津守殿を撮る。
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冒頭の案内板の説明や神社に向かう参道などで、相撲の歴史を垣間見た。
千代の山、吉葉山、若乃花、栃錦、大鵬、柏戸...、幼き頃から少年期に掛けての名横綱の名も。
昨今の、大相撲の不祥事については、ここでは触れない。

フォト:2011年1月21日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-02-13 01:34 | | Comments(2)
2011年 02月 12日

『龍野ポタ/揖保の糸』 tp-2

某所で見た「二麺流宮本武蔵」。
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武蔵はこの地で修行を積んだこともああり、龍野は武蔵ゆかりの地だ。

「すくね茶屋」で昼餉。
食したのは、勿論、「揖保の糸」のにゅうめん。
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食した、にゅうめんは「揖保の糸」の上級品、「三神」。
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「播州素麺『揖保の糸』、小豆島の『島の光』、奈良の三輪素麺、これが日本三大素麺だ」。
「徳島の半田素麺、島原の素麺、岡山の鴨方素麺も美味いぞ」。
「稲庭うどんの親戚で、油を使わない、稲庭素麺もある」。
素麺談義に花が咲いたのであった。

フォト:2011年1月29日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-02-12 18:52 | | Comments(2)
2011年 02月 11日

『龍と出遭った旅/龍野にて、そして、京都にて』

1月29日、ハリポタ藩の走り初めで、龍野をポタリング。
翌30日は、ハリポタ藩の面々と共に、京都をポタリング。
両日のポタリングで多くの名所旧跡を巡ったが、上総の趣味のひとつである「龍」との出遭いの旅でもあった。

<出遭った龍、其の一>
龍野の「龍」。
地名の龍野の由来は、「立野」が「龍野」に変じたとのことで、「龍」ではないが、、龍を趣味とする上総として「龍」の付く町を訪れることが出来、誠に嬉しきことであった。
市の名が「龍野」から平仮名の「たつの」になったことは、ちょっと、寂しいことながら...。

参考までに龍野の由来をここに転記する。

龍野の由来/播磨国風土記によれば、相撲の元祖といわれる野見宿禰が 出雲へ帰る途中にこの地で亡くなり、人々が揖保川の石で墓を建てるために野に立ち並んだという故事から「立野」と呼ばれるようになり、それがいつしか「龍野」になった。

<出遭った龍、其の二>
龍野城本丸御殿/襖絵「龍煌々志」/出口龍憲作。
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案内の人から懇切丁寧な説明を頂戴した。
上総の永遠のテーマである「日本の龍の指は三本」につき、こちら側から触れることなく、話し出されたことに、何故か、ほっとした気分になった。

ここで、何故、「日本の龍の指は三本」が永遠のテーマであるかについて、触れておこう。

或る時、契約調印の場で、お客さんにガラス製の龍の置物を贈呈した。
同席していた仲介商社の某重役がこの龍を見て、「三本指じゃないか」と何やら侮蔑したようなニュアンスの発言があった。
それ以来、意地となって、ことあるごとに、日本の龍の指の本数を数えるのが常となった。
更に、中国、台湾、韓国、琉球などの龍も、現地へ赴く機会のある都度、調べてみた。
その結果、五本指は中国の皇帝のみ、台湾・韓国は市井の人々も含めて四本、琉球も四本、日本は三本ということが明らかとなった。
台湾の親しい知人に「日本の龍は三本指。これはおかしい。龍は使わせてやるが、三本指ということで、属国扱いや」と申したところ、「まあ、そう言わずに。パワフルな龍であっても、遠く、日本まで飛んでいく間に疲れが出て、四本指の一本が落ちてしまい、三本指になったと思えば如何でしょうか」と。
大人の発言、なかなか上手いことを言うなあと感心すること、しきりであった。

龍野城本丸御殿の案内の人から「五本の指の龍が使えるのは中国の皇帝だけながら、元の時代以前の皇帝が使った龍は四本指であった」との説明があった。
「元の時代以前は...」については初耳であり、「龍」好きにとって、これは誠に有難いご高説であった。

加えて、「龍の図は寺院に多く、城や武家屋敷で使われることは稀」との話もあり、思えば、成程、その通りであり、これも誠に有難いご高説であった。

<出遭った龍、其の三>
龍野/旧脇坂屋敷/袋戸棚引戸の「龍」。
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京の止事無きところから頂戴した織物が袋戸棚の引戸に張られている(との説明であったと記憶する)。
「日本の龍の指は三本」との思い込みがあり、その場では仔細に見なかった。
しかし、ブログにアップロードしながら、フォトを仔細に見てみると、指の部分に四つの点がある。
見ようによっては、五つの点にも見える。
四本指、或いは、五本指のようにも思える。
であれば、新発見である。

<出遭った龍、其の四>
龍野醤油資料館別館二階ギャラリー/「龍」/山下摩起作。
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斯様な画家の存在すら知らなかったが、その技法、その作品の素晴らしさに驚いた。
龍の図もさることながら、観音図はより一層素晴らしく、誠に興味深い画家であった。
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<出遭った龍、其の五>
京都花園/妙心寺法堂/天井画「雲龍図」/狩野探幽作。

案内の人から数多くの説明があったが、その中で「口は鰐、髭は鯰、目は牛、角は鹿、胴は蛇、鱗は鯉、足は鷹を手本に描かれた」と「目は八方睨み」、そして、「壁に立て掛けて描き、吊り上げたことにより、法堂は吊り天井となっている」との説明が、殊の外、興味深きことであった。

狩野探幽作「雲龍図」をゆるりと鑑賞した後、外を歩きながらの、呑々守殿との会話。
「おい、あの時代に鰐、おったか?」。
「織田信長の時代に南蛮渡来のものが数多く入って来ているので、その頃の資料を探幽さんは見たのかもしれないね」。
「その昔、鰐は鮫のことやった」。
「因幡の白兎やね」。

妙心寺を訪れる前に「天井画の龍は撮影禁止であろうから、せめて、絵葉書など」と思っていたが、予想通り、やはり、撮影禁止。
観覧券売り場で、絵葉書につき、問うたところ、「南総門近くの花園会館に置いてあります」とのこと。
ハリポタ藩の面々に花園会館までお付き合い願い、不繊布にプリントした「雲龍図」を手に入れることが叶った。

前置きが長くなった。
狩野探幽作「雲龍図」、登場。
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これらのフォトは、妙心寺法堂内では撮影禁止であったので、観覧券売り場で貰ったパンフレットを法堂前の床机に置き、撮ったものだ。
方向を変えての四葉は「八方睨み」のつもりである(四方であるが...)。

<出遭った龍、其の六>
京都嵐山/天龍寺。
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天龍寺の前に立ち、ふと、思ったこと。それは、いつぞや、或る画家の描いた雲龍図が天龍寺に納められる前に東京の某所で御披露目されるとの新聞記事を目にし、「龍」好きの上総はそれを見てみたかったということであった。

さて、それは何時頃のことだったろうか?何という画家であったろうか?と思いつつ、ポタリングの帰路、JR嵯峨嵐山駅に向った。
電車に乗る前に、駅前の案内板の「天龍寺」に関する説明を読んでみた。
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「平成9年、夢窓国師650年遠諱を記念して法堂天井に加山又造画伯により八方睨みの龍として『雲龍図』が描かれている」とあった。

今回の京都ポタでは、天龍寺法堂に立ち寄る時間はなかったが、次の機会に、是非、この「雲龍図」を眺めてみたいものだ。
更に、京の寺々の龍の天井画を調べ上げ、「京の寺/龍の天井画めぐり」なるものもやってみたいものだ。

フォト:2011年1月29日、30日
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by kazusanokami | 2011-02-11 07:07 | | Comments(0)