『上総守が行く!』

kazusanokm.exblog.jp
ブログトップ

カテゴリ:deep sympathy( 8 )


2011年 03月 30日

『地震お見舞い/奇跡の一本』

「奇跡の一本」。
a0104495_047371.jpg
新聞やTVで、しばしば、伝えられている「奇跡の一本」です。
a0104495_0482016.jpg
数え切れないくらいにびっしりと生えていた、立派な松原の中で、唯、一本だけ残るとは。
a0104495_048349.jpg
被災地の人々にチカラを与える松です。
TVのインタビューで、地元の「高田松原を守る会」の人がそう語っていました。
被災、そして、復興と共に、これから何十年、何百年と長きに亘って語り継がれていく松となるのでしょう。

もうひとつの樹木。
自宅近くに生えている、このケヤキの木は普段から何時も見ている樹木です。
「帰宅困難者」、「帰宅難民」、「江戸篭城」を終えた、地震発生の翌日、いつも通り、このケヤキの横を通り過ぎました。
何か何時もと違うように感じました。
a0104495_0485383.jpg

そうです、樹皮が剥がれ落ちているのです。
幹の下には、剥がれ落ちた破片が幾つも散らばっているです。
幹を見上げると、樹皮がささくれだっています。
a0104495_049876.jpg
ケヤキは季節の変わり目に新陳代謝により脱皮するというような特性を持っているのであろうか、いや、これは地震で揺れたせいなのではないかと、直ぐに地震に関連づけてしまうのでありました。

地震のあった日を境にして、木々を見つめる目も変わって来たような気がします。

フォト#1~3:20011年3月25日付読売新聞朝刊
フォト#4、5:2011年3月27日(後日の取材フォト)
[PR]

by kazusanokami | 2011-03-30 01:27 | deep sympathy | Comments(0)
2011年 03月 23日

『地震お見舞い』 ds-6

3月18日(金)、「偶然の疎開先」から立ち戻るkazusayomeを東京駅へ迎えに行った。
迎えに行った理由は、第5話で綴った通りである。
新幹線改札口で「上り、12:33着のひかり10号は何番線に到着でしょうか」と尋ねる。
「17番線です」との答え。
17番線に向かう。

子供連れの姿が目立つ。
翌日から三連休だからだろうか、春休みだからだろうか。
関西に住まいする友人のD氏からは長女家族が疎開して来るとの報が、N氏からは孫二人が疎開して来るとの報もあった。
三連休だからでもなく、春休みだからでもなく、疎開のように思えた。
a0104495_7334097.jpg
a0104495_7341579.jpg
a0104495_7344081.jpg
ホームに上がる。
17番線には、12:30発、下り、のぞみ35号博多行きに乗車する人たちが並んでいた。
指定席の行列は、子供連れも含め、10人足らずと僅かである。
a0104495_7345696.jpg
a0104495_7351346.jpg
自由席近くなると、大勢、列をなしている光景となる。
a0104495_7471887.jpg
指定席の行列は僅かながら、自由席は随分な行列である。
子供連れなら指定席を求めるところであろう。
指定席の行列は僅かな人数ながら、品川、新横浜、それ以西の予約者も含め、満席であり、予約が取れず、止む無く、自由席に並んでいるのであろう。
子供連れで座れないとなると、なかなか辛いものがある。
a0104495_7473671.jpg
このおチビちゃん家族は列の順番からして、多分、座れるだろうと思い、他人事ながら変に安心したりして...。
a0104495_7481215.jpg
こちらの水色のお嬢ちゃんも大丈夫であろう。
a0104495_7482914.jpg
a0104495_7484592.jpg
下り、のぞみ35号博多行きは定刻通りに出発。
その後、上り、のぞみ10号も定刻通りに到着。
kasusayomeが降りて来る。
疎開先からの長の道中、途中、何事もなく、ほっとする。
「本当に疎開する人」、「偶然の疎開から戻った人」、これらを眺めながら、その思いはなかなか複雑なものがあるが...。

疎開先では、桃の花が満開。
メジロが数羽、桃の花と戯れていたと。
a0104495_234151.jpg
ミツマタの蕾もほころぶ。
a0104495_2345388.jpg
車窓からの富士の眺め。
a0104495_236597.jpg
桃、ミツマタ、富士の写真だけ眺めていると、何事もなかったかの如く、平和そのものなのだが...。

フォト:2011年3月18日

(完)
[PR]

by kazusanokami | 2011-03-23 23:28 | deep sympathy | Comments(4)
2011年 03月 21日

『地震お見舞い』 ds-5

3月14日(月)、JR常磐線不通(但し、上野/松戸間を除く)にて自宅待機。
この日の我が地区、第5グループの計画停電は15:20~19:00であった。
しかし、この日は朝から何処のグループも計画停電は実施されずに、夕方となった。
17:00頃であったろうか、TVを見ていたところ、第5グループの計画停電を19:00まで実施すると報じられた。
しかし、停電することなく、過ぎた。
その後、静岡と茨城の一部地域で実施されたと報じられた。
停電しなかったことは有難いことではあったが、何やら、段取りの悪さを感じた。

3月15日(火)、JR常磐線再開(但し、上野/取手間)にて登城。

同日午後、15:55着信で、東雲くんから「会社から帰宅指示が出ました。明日から自宅待機...」とのケータイ電子飛脚便が到来。
そうこうしているうちに、16:05着信で「福島原発などの影響による交通の混乱が想定されるため、16:00に退社せよ」との当仕官先内電子飛脚便が到来。
併せて、翌16日(水)については「報道発表等を正しく確認し、危険な状態であると判断される場合には、自宅にて待機してください」との指示も。
自宅待機を指示する藩と、個人の判断に委ねる藩、さて、どちらがよいかなどと考えながら、退社する。
大きな交通混乱に巻き込まれることなく、帰宅。

高層長屋の電梯乗り口に張られた「計画停電予定」に見入る。
計画停電の予定時間と生活行動を照らし合わせ、あれこれ、考える。
kazusayomeは、偶々、地震発生の前日から実家へ行っており、引き続き、実家で「疎開」中なので、自分自身のことだけ考えておけばよい。
これは大いに助かる。
a0104495_1413261.jpg
16日(水)は9:20から。通勤時間帯を外れているから大丈夫。
17日(木)は6:20から。早朝、出発するか、いつも通りの出発時間なら階段と腹をくくる。
18日(金)は18:20~22:00まで。
これは帰宅時であり、且つ、電気のないところで過ごさねばならない。
一考を要す。

3月16日(水)、TV報道で状況を判断。前日と同様、通勤電車は動いているので、登城。
前日と同様、16:00に退社せよとの指示により、即、帰宅。
念のため、市のホームページで計画停電を確認したところ、18日(金)までの停電は全て中止となっていた。
有難や。

3月17日(木)、登城。
以前から「戻りたい、戻りたい」と申すkazusayomeであったが、「アカン!そのまま『疎開』しておけ!」と伝えていました。
この日の朝も、再び、帰りたい、帰りたい、と。
ただ、戻るな!だけでは駄目なので、幾つかの判断基準、指針を伝えた。
これに対し、特段の応答はなかった。

午後、「16:00に退社せよ」との指示。
大規模停電で交通の混乱が予想されるため、と。
16:00に、即、退社。
東雲くんからも同様の電子飛脚便が到来。
早めに帰宅したので、交通混乱には巻き込まれなかったが、帰宅後に見たTVニュースでは、ターミナル駅をはじめとして、各駅で大混乱となったと報じられていた。
特段の所用がない限り、先んじての対応が大事と改めて思った。

3月18日(金)、登城。
登城の途上、kazusayomeより「今から帰宅します」とのケータイ電子飛躍便が到来。
前日、知らせて判断基準、指針に沿っての事前相談はなかったが、大人の判断であるから、許容した。
「乗車した新幹線の便名、発着時刻を知らせよ。途中、万々一の場合は、枚方郷上総実家、もしくは、名古屋城下尾張守を頼れ」と返信。

さて、ここで、どのくらい、電力が不足しているのか、東京電力の発表や新聞報道などの抜粋により把握してみたい。
----------------------------------------
東電管内では、現在、事故の起きた福島第1原発と、停止中の第2原発の約910万kwに加え、火力発電所も、広野(福島県広野町)、大井(東京都品川区)など5発電所の9基、約715万kw分が、停止に追い込まれている。
東電はこのうち、大井の2号機や東扇島1号機(川崎市川崎区)など、被害が軽微なものを再起動させ、早期復旧を目指す。
一方で、地震や津波被害による破損が激しい広野や、常陸那珂火力発電所(茨城県東海村)の復旧には相当時間がかかるとみられ、休眠中の火力発電の再開を検討している。
----------------------------------------
通常、冬場で5,000万kw、夏場で5,500万~6,000万kwの電力供給力が必要である。
その結果、東京電力は、政府中枢機関の多い千代田区、港区、中央区の3区を除く、都内20区においても、夏には、計画停電が必要となる可能性を示唆した。
東京電力は、現在、復帰や再稼働を目指している東扇島、鹿島、横須賀を含めると発電量は4,863万kwに達し、供給量は推定4,200万kw万までは回復できそうである。
そのため、今年の夏は大規模な節電が強いられることになる。
------------------------------------------
3月17日付日刊工業新聞に「応援受電の仕組み」が掲載されていた。
箇条書きにすると次の通り。
1)北海道電力から東電への応援:
北海道電力が供給可能なのは北海道と本州を結ぶ北本連系設備(津軽海峡)があるからとのこと。
周波数は50Hzなので問題はないが、上限は60万kwに限られるとのこと。
2)東北電力は東電以上の損害を受けており、東電への応援は不可能。
3)中部電力以西の電力会社の東電への応援:
東電以北の周波数は50Hz、中部電力以西の周波数は60Hzが問題となる。
西日本の電力会社が東電に電力を送る場合には、周波数変換所を通すことになるが、その要領は100万kw(※)までとのこと。
※新信濃変換所(長野県朝日村):60万kw+東清水変換所(静岡県清水市):10万kw+佐久間変換所(浜松市天竜区)30万kw。
------------------------------------------
西と東で周波数が異なる理由について、今一度、おさらいをする。
「日本国内での交流電源の周波数で東日本の50Hzと西日本の60Hzの周波数の相違がある。これは明治時代に関東では東京電燈が50Hz仕様のドイツ・AEG製発電機 (AC 3kV 265kVA) を、関西では東京よりわずかに遅れて大阪電燈が60Hz仕様のアメリカ・GE製発電機 (AC 2.3kV 150kW) を採用し、これらを中心として次第に東日本・西日本の周波数が集約されていった結果である。第二次世界大戦直後、復興にあわせて商用電源周波数を統一するという構想があったが、復興が急速に進んだことで実現がほぼ不可能になってしまったとされる。」(出典:WIKIPEIDIA)
------------------------------------------

この「応援受電」、量的には僅かとのことながら、いつから始まるのかは不明ながら、期待したい。

その後、17日の大規模停電、18日の朝刊報道「電力、総量規制も検討」と、「計画停電」どころか、刻々と電力事情も変わって来ている。
電気がなければ、何も出来ない世界で生きている、これも宿命である。

今は、唯唯、福島原発での、自衛隊員、機動隊員、東電社員、メーカーから派遣された応援者の皆さんの懸命な活動に敬意を表するばかりである。

話を戻す。
kazusayomeより「岡山発09:14発のぞみ10号に乗車」とのケータイ電子飛脚便が到来した。
「のぞみ10号は12:33東京着予定。東京駅新幹線ホームへ向かえに行く」と返信。
迎えに行く理由は、この1週間の様子はケータイ電話・電子飛脚便で伝えているが、今一度、face to faceで伝えておく必要があると思ったこと、18日夕は、kazusayomeが不在であった大地震発生当日の如くに、帰宅難民、江戸篭城で過ごす訳には行かないため、この日だけでも、一緒に自宅へ戻っておくのが得策と思ったからである。

フォト:2011年3月15日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2011-03-21 23:58 | deep sympathy | Comments(0)
2011年 03月 20日

『地震お見舞い』 ds-4

唐辛子。
大地震で、玄関先に飾ってあった、大振りの花瓶が落下。
この花瓶には、唐辛子がたわわについた株が挿されていた。

割れた花瓶の破片を拾って片付けた。
この花瓶は、昔、本町普請奉行殿の細君から頂戴したもの。
地中海風の、黄色と茶色の色合いと大振りのその姿が気に入っていた。
残念であると思うと共に、ブルータックで止めておけばよかっと反省するも、申し訳ないことをした。

枝から落ちて散乱した唐辛子は、掃き集める前に、部屋の中の被害が軽微であったことに感謝の意を込めて、カメラに収めた。
a0104495_148486.jpg
唐辛子をわらで編み込み、壁などにつるしておくと魔よけになると言われる。
唐辛子が乾燥することにより、ひとつずつ落ちるさまを「ひとつ落ちるごとに厄も落ちる」とも言う。
縁起を担ぐ性質(たち)ではないが、このような唐辛子の力を信じたい。

この唐辛子は、数年前、讃岐守夫妻と伊豆下田に遊んだとき、浜辺で開かれていた朝市で、sanukiyome殿が購ってくれたものだ。
sanukiyome殿にも感謝だ。

花瓶に代え、紙袋に挿し、今一度、玄関先に飾った。
厄除けの御利益を念じて...。
a0104495_115385.jpg


フォト:2011年3月13日、20日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2011-03-20 23:58 | deep sympathy | Comments(0)
2011年 03月 14日

『地震お見舞い』 ds-3

3月13日(日)朝、目が覚めました。
前夜、夜半からは建物が揺れるほどの余震はなかったのであろうか、夜中に目が覚めることもなく、よく眠れました。
被災地の人たちのことを思うと贅沢なことながら...。

今一度、台所の半転倒の食器棚の状況をチェック。
これを復旧せねば落ち着きません。
管理事務所に赴き、そこに居合わせたhsym警備員さんに事情を説明し、応援を仰ぎました。
快諾くださり、hsym警備員さんが、後程、部屋に来てくれることとなりました。
食器棚を起こす際、何らかの力が掛かり、ガラス戸が割れ、食器が飛び出すことも想定されます。
怪我は避けねばならないので、ガラス戸にガムテープを張り、hsym警備員さんの到着を待ちました。
暫らくして、hsym警備員さんが到着。
彼の助けを借りて、無事、食器棚を元に戻すことが出来ました。
hsym警備員さんに感謝です。

「復旧の図」。
a0104495_16195282.jpg
転倒を防いでくれた、天井灯のシェードくんに、再度の感謝の意を込めて、一枚。
a0104495_1620699.jpg
暫らくすると、台所でガタッと音が。
見に行くと、先程、写真を撮ったときは健全であったシェードくんが、数センチ、下がっていました。
a0104495_16202154.jpg
a0104495_16203292.jpg
a0104495_16204475.jpg
シェードを復旧せねばと、用心しながら脚立に乗り、固定部を見るも、さて、どのようにシェードが取り付けられていたのかのかが分かりません。
管理事務所に問い合わせたところ、「入居時に貰った機器類の取り扱い説明書を見てください」と。
さて、取り扱い説明書一式は何処にあったかな?
取り扱い説明書は未だ見付かりません。

東雲くんに「食器棚と天井の間隔は5cmくらい。倒れ掛けても、食器棚の角が天井に引っ掛かるはずと思っていたのだが」とケータイ・メールを送ったところ、食器棚の奥行きと高さ、食器棚と天井の高さによる"数学的解析"の数式が送られて来ました。
奥行きと高さのおおよその寸法を知らせたところ、5、6cmなら倒れるとの答えが送られて来ました。
今一度、食器棚と天井の間隔を測ったところ、おおよそ6cmとなり、倒れる数値でありました。
食器棚の上に、厚さ2cmばかりのお盆の入った箱が乗せられており、これが天井灯と食器棚の間に挟まっていました。
お盆の入った箱が、少しばかりであったとしても、地震対策の「突っ張り箱」の役目を果たしていたようにも思えました。

再び、大きな揺れのあったときの対策をせねばと、その対策を考えました。
対策は、食器棚の上段に収められている食器類を適当量、取り出し、トップ・ヘビーの状態を軽減させることと、地震対策用の「突っ張り箱」を食器棚と天井の間に詰めることでありましょう。

近所のショッピング・センターへ買出しに。
食パンやミネラル・ウォーターなどを購入。

kazusayomeは、引き続き、実家に「疎開」。
一人で家に居ると、今ひとつ、落ち着かない。
夕方、散髪に出掛ける。
髪を刈りながら、理容師さんとの会話は当然のことながら、地震の話。
人と話をするのは、話題は暗いが、心が安らぐ。
駅に立ち寄り、翌日の運行状況を確認する。
常磐線は、中距離快速と成田線接続便を除く、上野/取手間の便数のみ運行、千代田腺は100%運行とのこと。
卵を買って帰る。

kazusayomeは、当初の予定では14日(月)に帰宅することになっていました。
引き続き、実家に「疎開」してくれている方が安心なるも、当初の予定通りに戻れば、途中、何かあっても納得出来るとも思い、且つ、東京着のあとの電車も動く予定なので、帰宅を「許可」。

夜、TVで「計画停電」の報道を見る。
東雲くんから「そちらは第5グループ。15:20から19:00まで停電だからね。冷蔵庫に配慮、要」の旨の電話も貰った。

万一に備え、服を着たまま、ポケットに財布とケータイを入れ、眠る。
「服を着たまま」は、スポーツ・ジムでシャワーを浴びている途中、地震に遭った人がいるという話を聞いたことをヒントにしてのことである。

----------------------------------------------------------------------------

3月14日(月)、通勤日だ。
朝のテレビ報道で、常磐線は上野/松戸間のみ、千代田線は綾瀬/松戸間のみとのことであった。
前夜、発表された「計画停電」の結果だ。
前日の夕方、駅で確認した「明日は動く」の情報は、やはり、その時現在のこと、状況はどんどん変わっていくということだ。

TV報道では運休とのことではあったが、駅まで行ってみることにした。
通勤姿に着替え、出掛けた。
途中、駅の方から戻って来る人が多数、いた。
一様に、手にビニール袋を持って。
この様子で、やはり、電車は動いていないことが分かった。
帰路のついでに、買出しをしていることも分かった。

駅に到着。
駅前には多くの人がいた。
ケータイで電話している人も多数、いた。
駅のシャッターは降ろされていた。
運休の掲示が貼られていた。
駅員さんの「本日は終日運休」のアナウンスも聞こえて来た。
a0104495_14471548.jpg
a0104495_14472991.jpg
a0104495_14473858.jpg
kazusayomeに、ケータイで「本日、当地の電車は終日運休。新幹線は動いても、上野からは戻れない。引き続き、実家にて疎開を」と指示。
実家の最寄駅から電車に乗る直前であった。

勤務先にも、何度か電話を入れる。
08:46、出社したFさんが応答してくれた。
電車運休、自宅待機、家族の安否、自宅の様子などを伝えた。
地下鉄等は動いているとは言え、出勤している人たちにご苦労様と思いつつ、自宅に戻った。

10時過ぎ、大きく揺れた。
震源は鉾田市。
霞ヶ浦の北だ。
距離的に、そう遠くない場所だ。
何やら、落ち着かない。
電気ポットで湯を沸かし、珈琲を飲んだ。
暖かいものを飲むと落ち着く。
暖かいものすら飲めない、被災地の人たちのことを思うと複雑な気持ちだ。

身近では、jitensha仲間の大給守殿や伊豆守殿が住まいされている地域は大変なことになっている。
液状化や地割れが起こっており、自衛隊の災害派遣を受けているとのことだ。
また、電気を除くライフラインも停止しているとのことだ。
更に、計画停電が加わるとなれば、と思うと...。
頑張ってくださいと申し上げるしか言葉がありません。

こうして地震のことを綴っていますが、被災された人たちのことを思うと斯様なことを綴っていてよいのか、不謹慎ではないのかとの思いもあります。
しかし、軽重はあってもそれぞれに難儀をしているということでもあります。
どんなことであっても、書き綴っておくことが大事なこと、その中に、何か、役立つヒントもあるかと思っています。

こう綴っている最中にも、何度か、揺れを感じる...。

フォト:2011年3月14日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2011-03-14 15:22 | deep sympathy | Comments(0)
2011年 03月 13日

『地震お見舞い』 ds-2

「帰宅困難者」、「帰宅難民」、「江戸篭城」を終え、3月12日(土)、朝、仕官先江戸屋敷を出て、四時間後に漸く自宅の最寄り駅に到着。

自宅内がどのようになっていとしても、先ずは、一眠りしてからだ、と思いながら、玄関の鍵を開けました。

玄関からして、落ちて割れた花瓶の欠片が散乱、花瓶に挿してあったドライ・フラワーの赤唐辛子が散乱。
a0104495_948458.jpg
しかし、花瓶の横に飾ってあった Liadro の人形は倒れていたものの、無傷でした。
これは幸い!と思いながら、部屋部屋(そんなに沢山、部屋がある訳ではありませんが)を見回り。

書斎/パソコン台がずれて、ディスプレーが転倒しているものの、幸いにも落下はしておらず。
有難や!
積み上げていたものも散乱。
普段の整理の悪さも地震のせいにして。
a0104495_9534170.jpg
ディスプレーを立て掛けて、パソコンの電源をオンし、機能をチェック。
セーフ!だった。

リビング・ルームの液晶テレビ。
kazusayomeからのケータイ電子飛脚便情報によれば、ご近所ではテレビが倒れたとことで、覚悟はしていたが、斜めになっているだけで、一安心!
電源をオンし、機能をチェック。
セーフ!だった。
a0104495_115286.jpg
こんな角度になっていたということでアップで撮ろうとしたところ、テレビ・ボードの端っこに引っ掛かった小亀と無残にもテレビの重さに押し潰された小亀の破片が。
驚いたことは、鎌倉の大仏様(文鎮)が反対向きになっていたこと。
a0104495_1154468.jpg
それのアップ。
a0104495_116789.jpg
テレビの前の床絨毯の上には、テレビ・ボードの上や下の棚に飾ってあった小生の一部コレクションが吹っ飛び、散乱。
中でも、鎌倉の大仏様の隣りに置いてあった、木製の軽い、厳島神社の鳥居が一番遠いところへ飛んでいた。
a0104495_1184821.jpg
山寺を訪ねたときの記念、松尾芭蕉翁の木像は転倒。
青い、小さな座布団は八重山諸島を訪れたときの記念、シーサーくん、二頭のもの。
シーサーくんはテレビ・ボードの下へ落下していた。
a0104495_1191079.jpg
ラジオ、落下。
a0104495_11314645.jpg
幾つかの硝子コップ、破損。
a0104495_11324786.jpg
散乱するCD。
地球儀は無事。
ジグソー・パズルの地球儀も奇跡的に無事。
a0104495_11405061.jpg
尾張くんからの預かりもの、アイボくんも無事。
a0104495_1141103.jpg
リビングの食器棚や飾り棚は転倒せず、セーフ。
硝子扉も開かず、中のものは無事。
中のものの一部は、棚と硝子扉の間に挟まり、留まっているものもあったが、慎重に硝子扉を開き、取り出す。
リビングの食器棚や飾り棚が転倒しなかったのは、地震対策のお陰かとも。
地震対策その1/「突っ張り棒」。
a0104495_11463029.jpg
地震対策その2/「突っ張り箱」。
a0104495_1147413.jpg
「地震後、突っ張り棒は緩んでいるかもしれない」との東雲くんのアドバイスにより、チェック。
突っ張り棒2本のうち、1本が少し動いており、次に備えてリセットした。
突っ張り棒と突っ張り箱の働きを称え、これからは「突っ張り棒くん」、「突っ張り箱くん」と「くん」付けで呼ぶことにする。

部屋部屋は、この程度で済んでよかった!」と思えるような状態ながら、ひとつ、拙いことは、台所の食器棚が半転倒状態となっているということでした。
a0104495_1155511.jpg

途中で止まったのは、食器棚の一部が天井灯のシェードに引っ掛かったお陰である。
a0104495_1157591.jpg

幸いにも、食器棚の硝子戸は、ほんの少し、開いていただけで、食器が散乱することもなかった。
a0104495_11595356.jpg

拙い状態なるも、半転倒であったことは幸いというべきと思いました。
ただ、重くて、ひとりでは立てることは出来ません。
誰かのサポートを得ることとし、引き出しの中など取り出せるものは取り出して、翌日のこととしました。

倒れたもの、落ちたものなどをカメラに収め、また、倒れても、落ちてもおかしくなかったものが幸いにも健全であった姿もカメラに収めました。
kazusayomeが自宅在であったなら、パニックになっていたことだろうが、鯰の地震予知能力により、実家へ疎開し、自宅不在であったことは、即、連絡も取れず、且つ、自宅へは戻ることの出来なかった小生にとり、ひとつの大きな救いであったなあと思いながら...。

あれこれをカメラに収めた後、横になり、一眠りしました。
夜9時、お袋からの電話で起こされ、夕餉を摂り、テレビ報道を見るも、新たな福島原子力火力発電所の事故の詳細などに触れ、懸命に作業をしている人のことを思いながら、誰もが無事であることを祈るばかりでありました。

フォト:2011年3月12日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2011-03-13 11:12 | deep sympathy | Comments(2)
2011年 03月 12日

『地震お見舞い』 ds-1

3月11日(金)午後、これまでに経験したことのないような揺れを感じました。
この揺れに遭遇したのは、仕官先江戸屋敷においてでありました。
14:46分に発生した、東北・三陸沖を震源とする巨大地震であったことが、その直後に分かりました。

ニュージーランドの旅を終えた直後に、クライスト・チャーチの地震お見舞いを綴りました。
日本も地震国ながら、その後、一ヶ月もしないうちに斯様な事態になるとは...。
先ずもって、お見舞いを申し上げます。

都心で地震に遭遇したとき、どうするか、或る程度のシミュレーションは頭の中で考えていました。
そのうちのひとつとして、例えば次のようなことである。
駿河台下、靖国通りの"Y's Road"か"VICTORIA"で自転車を調達する。
自宅まで、隅田川、荒川、中川、江戸川と四つの川を渡河せねばならない。
橋が陥没しているかもしれない。
土手沿いに走り、健全な橋を探すことも考えねばならない。
東京湾から江戸川あるいは利根川を遡り、然るべき場所で下船させて貰うという方法もあろう。
しかし、津波もあろうから、船を使うのはよくないかもしれない。

今回は仕官先江戸屋敷にての「帰宅困難者」(TBSなどの言い方)、「帰宅難民」(テレビ朝日などの言い方)、「江戸篭城」(或る友人からの電子飛脚便での言葉を借用)を選択しました。

何故なら、電車は止まっていることと、kazusayomeは、鰻の如く、地震予知能力があるのか、偶々(本当は以前から予定していた所用のため)、前日から実家へ行っており、小生は強いて自宅に戻る必要はなかったからです。

仕官先江戸屋敷での篭城では全く眠れず、一晩中、テレビ報道に見入っていました。
次々と明らかになる、悲惨な状況に心が痛むばかり。
一方、余震の揺れも感じ、不安さが増す。
朝4時前からは長野、茨城沖、新潟、栃木を震源とする地震も頻発。
更に、神奈川県を震源とする速報も出たが、これは小規模なものであったようで、予知機能がマヒして来たのかと思わせるような事態も。
小松左京の「日本沈没」を思わせる状況に。

地下鉄は、当日11日(金)夜に順次再開。
JRは、翌12日(土)の朝から徐々に再開。

朝9時半、仕官先江戸屋敷から自宅に戻ることとしました。

仕官先江戸屋敷から地下鉄東西線竹橋駅に向かう。
地震観測も担う気象庁。
a0104495_1564219.jpg
何事もなかったが如きの、気象庁前の朝。
a0104495_1574246.jpg
建設途上のビル上階の「トンボ」4基も無事のよう。
a0104495_158889.jpg
地下鉄東西線は再開していたが、再び、ストップしていたため、神田に向かう。

JR神田駅。
皆、整然としている。
a0104495_1593763.jpg
上野駅に到着。
コンコースで大行列。
a0104495_20370.jpg
コンコースでの大行列は、危険防止のため、ホームへ下りる人数を制限しているからだ。
大行列に加わり、相当の時間、並んだ末、ホームへ下りることが出来た。
a0104495_205218.jpg
a0104495_23276.jpg
地下鉄もJRも再開したとは言え、本数は少なく、ノロノロ運転で、何処の駅も大混雑、大行列。
仕官先江戸屋敷で出て、四時間後に漸く自宅の最寄り駅に到着。
自宅内がどのようになっていようとも、先ずは、一眠りしてからだと思いながら、玄関の鍵を開けました。

フォト:2011年3月12日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2011-03-12 23:58 | deep sympathy | Comments(0)
2011年 02月 22日

『地震御見舞い』

ニュージーランドを旅し、昨21日の夕刻、帰国しました。
日本時間の今朝、ニュージーランド/クライストチャーチ近郊においてマグニチュード6.3の地震が発生したとの報に接しました。
クライストチャーチは、今回の旅で最初に訪れた町でした。
クライストチャーチは、南島の最も大きな都市で、Garden City とも呼ばれる美しい町。
朝から夜に掛けての報道で、被災状況に接し、何とも申し様のない気持ちとなりました。
被災された方々に御見舞い申し上げますと共に、早期に、町の人たちの生活が元に戻り、また、Garden City が復活することを祈念して、被災前の町の様子を幾葉か掲載します。
a0104495_2204215.jpg
a0104495_2213716.jpg
a0104495_2214879.jpg
a0104495_222886.jpg
a0104495_2223520.jpg
a0104495_2225421.jpg
a0104495_223931.jpg
a0104495_2232480.jpg


フォト:2011年2月16日
[PR]

by kazusanokami | 2011-02-22 23:58 | deep sympathy | Comments(2)