『上総守が行く!』

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カテゴリ:下野国ポタポタリング( 9 )


2011年 07月 21日

『下野国ポタ/蔵の町、栃木市の巻』 at-9

巴波川沿いを走る。
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幸来橋近くの蔵造り。
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幸来橋からの眺め。
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「蔵の町遊覧船」。
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マンホール図柄収集家の摂津守殿へのプレゼント。
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栃木県は日本の干瓢生産の8割を占めているとのことである。

当地は、利根川水系渡良瀬川の支流、巴波川の舟運により栄えた商都である。
巴波川は「うずまかわ」と読む。
なかなか興味深い名前である。
「渦巻き」の当て字かとも思い、意味を調べてみると「渦を巻き、波を立てて流れる」とのこと。
「二つ巴」や「三つ巴」など、「巴」の家紋がある。
中世の地方豪族、宇都宮氏、小山氏、結城氏などが「巴」を家紋としており、当地は小山氏の所領であったことから、「巴」の文字を使っているのかもしれない。
余談ながら、大石内蔵助の家紋も「巴」(「右二つ巴」)であり、大石家は小山氏の一族であることを忠臣蔵や赤穂浪士を趣味とする上総の補足として綴っておこう。

栃木駅から"蔵の街大通り"を走っていた際、街灯に「巴波の川風 蔵の瓦波」と染め抜かれた飾りが掲げられていた。
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巴波川沿いを走りながら、「巴波の川風 蔵の瓦波」の言葉を反芻してみた。

東武日光線栃木駅から輪行にて帰途に就く。
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東武鉄道はjitenshaに寛大である。
往路の「特急りょうもう」では、最後部座席の後ろはjitenshaを置くほどのスペースはなく、空席の足元に置かせて貰った。
検札の車掌さんからは何も言われなかった。
帰路の「特急きぬがわ」でも、空席の足元に置かせてもらった。
検札の車掌さん曰く、「自転車の置いてある席は押さえておきましたから」と。
これの意味するところは「この席は予約の受付をしないから、どうぞ」ということであったのだろう。

東武鉄道は、毎年、「東京・南会津サイクルトレイン」のイベントを行っている。
ご承知の通り、「サイクルトレイン」であるから、jitenshaを折り畳むことなく、そのままで乗せてくれるのである。
そうしたこともあって、東武鉄道はjitenshaに理解のある鉄道なのであろう。
東武鉄道はこれまで殆ど乗ったことがなかったが、今回のポタで東武鉄道ファンとなった。
これからのポタ企画では東武鉄道を大いに利用しようと思う次第である。

フォト:2011年5月21日

(完)
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by kazusanokami | 2011-07-21 23:57 | 下野国ポタポタリング | Comments(4)
2011年 07月 20日

『下野国ポタ/蔵の町、栃木市の巻』 at-8

"蔵の街大通り"を走る。
「巴波の川風 蔵の瓦波」。
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例幣使街道。
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例幣使街道につき、栃木市観光協会のHPとWikipediaを参照すると次の通りである。
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例幣使街道は京都から日光東照宮へ幣帛(へいはく)を奉納する勅使が通った道である。
元和3年(1617年)、徳川家康の霊柩が日光山に改葬されたが、その後、正保3年(1646年)からは、毎年、京都の朝廷から日光東照宮への幣帛(へいはく)を奉納する勅使(例幣使という)が遣わされ、その勅使が通る道を例幣使街道と呼んだ。
例幣使街道は、中山道の倉賀野宿(現在の高崎市)を起点として楡木宿(現在の鹿沼市)にて壬生通り(日光西街道)と合流して日光坊中へと至る道である。
日光例幣使にとって、当時、日光へ出向くことは大変な「田舎道中」であり、一刻も早く行って奉幣を済ませて帰りたいという心理があり、また、道中で江戸を経由することとなると幕府への挨拶など面倒も多かったため、例幣使は往路は東海道・江戸を経由せず、中山道~倉賀野宿~例幣使街道という内陸経由で日光に向かったとのことである。
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朝廷は物入りであったろう。
街道沿いの宿場は例幣使の一行で潤ったのであろうか、はたまた、物入りであったのでろうか...。

県立栃木高校。
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養正寮(記念図書館)。
大正時代の建物とのことだ。
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旧栃木町役場(現・栃木市役所別館)。
これも大正時代の建物とのことだ。
ビアンキ風のチェレステ・カラーだ。
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明治初期には県庁が置かれ、周囲は「県庁堀」なる堀が巡らされている。
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フォト:2011年5月21日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-07-20 23:48 | 下野国ポタポタリング | Comments(4)
2011年 07月 19日

『下野国ポタ/蔵の町、栃木市の巻』 at-7

JR足利駅から栃木駅に向う。
栃木市を訪れることにしたのは、「足利まで参りますなら、折角のことにて、蔵の町、栃木にも」との大給守殿の発案によるものである。
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JR栃木駅は「両毛線」である。
往路、北千住から乗った東武伊勢崎線の特急も「りょうもう」であった。
以前から、何故、この地方を「両毛」というのかとの疑問があった。
調べてみた。

古墳時代、毛野川(けぬのかわ=現在の鬼怒川)流域一帯に「毛野国(けぬのくに)」があった。
これを上下に分け、「上毛野国(かみつけぬのくに)」と「下毛野国(しもつけぬのくに)」となった。
のちに、「毛」が端折られ、「上野国(こうづけのくに)」、「下野国(しもつけのくに)」となった。
「上州」、「野州」とも呼ぶ。
「毛」は端折られるも、合わせて、「毛州」あるいは「両毛」と呼ばれている。
「毛野国」の名称の由来は、「嘗て、ヤマト王権から毛人(=蝦夷。えみし、えびす、えぞ)の住む地、二字表記にして毛野の字が当てられた」」、「毛は二毛作の毛。昔、この地域が穀物の産地であったことから毛野の名をなす」など諸説あるが、何れにせよ、古墳時代に生まれた「毛」は今も生きているのである。

因みに、東武伊勢崎線で足利市駅に向う途中、車窓から麦畑が多く見られた。
「麦のあとは米」と大給守殿。
「そうなると田植えは随分と遅くになりまするな」と上総。
「ちょっと聞いてみませう」と大給守殿。
「田植えは7月とのこと」。
毛野国の名の由来は、毛人説も面白いが、二毛作説も面白い。

JR栃木駅に降り立つ。
今日のjitensha/JR両毛線栃木駅にて。
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「えらく立派な駅舎に御座りまするな」。
「昼間、一時間に一本しかない路線にしては」。
「東武日光線もこの駅舎に御座る」。
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駅前の「武平作だんご」なる看板が掛かった店の前を通り過ぎる。
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「美味そうな串団子に御座りましたな」。
「食べませうか」。
「食べませう」。
Uターンする。
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店先の大きなポスターを眺め、「文豪の郷、栃木の味」、「山本有三は当地の出身」と語らいながら、店に入る。

「胡麻と海苔を一本ずつ」、「みたらしと粒餡を一本ずつ」、「胡麻を一本」。
足利ではポテト入りソース焼きそばを撮り損ね、またまた、団子も撮り損ねるも、途中で気付く。
大給守殿ご提供、「喰い止しの図」。
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「いやー、美味に御座った」。
「ハリポタ藩軍師六々守殿の甘党グルメ、踏襲に御座りまするな」。

フォト:2011年5月21日
フォト#4、5、7:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-07-19 23:41 | 下野国ポタポタリング | Comments(0)
2011年 07月 18日

『下野国ポタ/足利の巻』 at-6

足利織姫神社。
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足利織姫神社の祭神は、機織を司る天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)と天御鉾命(あめのみほこのみこと)。
産業振興と縁結びの神様として祭られている。

縁結びは七夕伝説から来るものであろう。
足利は、織物の町、染物の町として古くから有名であり、機織を司る神様を祭り、産業振興を祈るのに相応しい神社である。

足利織姫神社の社殿は1937年(昭和9年)に再建されたもの。
宇治平等院鳳凰堂をモデルにしていると言われている。
4月の終わりに宇治を訪れ、平等院鳳凰堂を眺めて来たばかりであるが、モデルにしていると言われれば、そのようにも...。

境内で"自転車"を発見!
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「車輪梅」はこんな感じの花。
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境内から渡良瀬川を臨む。
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石段の途中で「八木節の由来」をベンキョーした。
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片道二二九段の石段を往復し、再び、下界へ。
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「足利ポタリング」の企画が仕上がった5月14日の夜、偶々、テレビ東京「出没!アド街ック天国」にチャンネルを合わせたところ、奇遇にも「足利市」が採り上げられていた。

この番組によれば、縁結びの「足利織姫神社」と縁切りの「門田稲荷神社」は「対」になっていた。
更に事前ベンキョーしたところ、「日本三大縁切り神社」なるものがあり、それは榎木稲荷(東京)、伏見稲荷(京都)、そして、この門田稲荷神社とのことであった。
ということで、門田稲荷神社を訪れることにした。
門田稲荷神社は渡良瀬川の対岸にある。
渡良瀬橋を渡り、253号線を走り、門田稲荷神社に向った。

門田稲荷神社。
「日本三大縁切り神社」のひとつながら、こじんまりとした神社である。
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絵馬に目を通す。
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人には縁を切りたいものがいろいろあるようだ。
縁切りであるからして、絵馬に書かれていることは余り楽しいものはない。
テレビ東京「出没!アド街ック天国」では、「差し支えがあるので、絵馬に書かれていることは言わないでおきましょう」とのコメントがあったがその通りであった。
「足利織姫神社」と「対」になっているとのことで、張りきってここまで走って来たが、絵馬に書かれたことを読み、ちょっと気分は落ち込むのであった(同行の大給守殿、伊豆守殿、変なところへお連れしてスミマセン)。

「さて、昼餉時に御座りまするが」と伊豆守殿。
「当地は、A級グルメでは鰻、美ぃ級グルメではポテト入りソース焼きそば、肉なしシューマイなど」と"アド街ック天国"で得た情報をもとに、上総。
「昨日、藩命行脚にて遠江国と駿河国を行脚。鰻を食するのに45分待ちに御座りました」と大給守殿。
「ポテト入り焼きそばと致しませう」と全員、美ぃ級グルメで一致。

「おっ、あそこに焼きそばの旗印が!」。
「偵察に行って参りまする」。
食堂ではなく、製麺所であった。
「先ず、JR足利駅まで行きませう。栃木行きの電車の時間を調べてから昼餉と致しませう」。
JR足利駅近くの通りで、レストラン「冨士屋」を発見!
「この冨士屋は"アド街ック天国"で紹介していた店。売りは、レトロな雰囲気とデザートの小倉アイス」と能書きを垂れながら、JR足利駅に到着。

「この時間帯は1時間に一本。13:12発に御座りまするな」。
「かれこれ、1時間ばかり、御座りまするな」。
「先程の冨士屋の隣の店にポテト入りソース焼きそばの文字が御座りましたので、そこへ」。

冨士屋の隣の店に到着。
足利銘仙を着た女性が近寄って来た。
朝、鑁阿寺で足利銘仙を着た女性を見掛けたが、その女性であった。
「出没!アド街ック天国で紹介されたところの観光マップをお配りしています」と。
「アド街ック天国は見たので、観光スポットはよく承知をしているのですが、ポテト入り焼きそばの、おススメの店は何処でしょうか?」。
「はとやさんです。鑁阿寺の北側にあります」。

ここでちょっと余談を。
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これが第2話でも掲載した、朝、鑁阿寺で足利銘仙を着た女性を見掛けた際のフォトである。
右隣の男性はその連れで、一眼レフを携行していた。
着物姿を撮りたいと思った大給守殿曰く、「あの男性がちょっと目障りに御座りまするな」と。
昼時に、再び、この着物の女性と出遭って分かったこと、それはこのカップルは観光案内用の写真撮影をしていたようであったということである。
鑁阿寺で、勇気を出して(???)、一声掛けておれば、大給守殿は傑作写真が撮れたかも...。

"はとや"でポテト入りソース焼きそばを食す。
ソース好きには誠に結構な味。
「この店は長いのですか」と伊豆守殿の有難き"インタビュー"。
「かれこれ、40年です」。
「鑁阿寺裏門の直ぐ近く。一等地ですね」。
「太平記の頃は、土曜、日曜だけでなく、平日も多くの人が訪れたのですが、今は...」。
太平記とは、NHKの大河ドラマのことだが、筆者はこれを見た記憶がない。
調べてみると、真田広之が足利尊氏を演じた、1991年の作品であった。
彼の地にいた頃であったので、見た記憶がなかったのである。
NHKの大河ドラマは観光に大いに貢献するのであるが、その反動も。

ソース焼きそばにジャガイモが入る、その理由は聞き損ねた。
美ぃ級グルメ写真も撮り損ねた。

フォト:2011年5月21日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-07-18 23:18 | 下野国ポタポタリング | Comments(2)
2011年 07月 17日

『下野国ポタ/足利の巻』 at-5

足利学校。
入徳門、学校門、杏壇門、孔子廟と進み、先程、外からの眺めで、白鷺のとまっていた茅葺屋根の方丈へ向う。

方丈。
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屋根裏の造りはこんな感じ。
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広い!
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奥の、机に向って学習中の御仁は伊豆守殿。
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フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介された。
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日欧親善。
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フランシスコ・ザビエルがヨーロッパに紹介した、日本が誇る大学であるとお話なさったであろう。

釋奠(せきてん)。
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毎年、足利学校では市民が集まって釋奠の儀式が行われている。
釋奠とは、儒学の祖である孔子とその弟子を祀る儀式である。
東京の湯島聖堂、岡山県備前市の閑谷学校、佐賀県多久市の聖廟などでも行われている。

功績者、田崎草雲。
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「方丈」内の展示物の中に、元足利藩士で南画画家の田崎草雲(1815-1898)なる人物の解説があった。
田崎草雲は、足利学校が明治5年に学校の役割を終え、建物や蔵書が散逸の危機に瀕した際、それを救った人物とのことこと。
何れの時代にも斯様な人物がいるものである。

因みに、田崎草雲は国定忠治の肖像画を描いるとのことで、ネットで検索してみると、栃木県指定文化財/紙本墨画 国定忠治像/「赤城録」所収(和綴紙本)個人所有とある。
右腕を捲り、立て膝姿の国定忠治が描かれている。

司馬遼太郎が「喧嘩草雲」なる短編小説を著しているとのことである。
一度、読んでみたいものだ。

「方丈の、あの広々として座敷にてゆったりと勉学に励んでおったんですなあ」と上総。
「いや、いつもは衆寮で勉学に励んでいたようで」と大給守殿。
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裏門と芍薬。
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このフォトは大給守殿提供によるもの。
入徳門、学校門、杏壇門と順にカメラに収めたが、裏門にまでは思いが及ばなかった。
有難く、掲載させて戴く。

学校門まで戻ると、大勢の中学生の見学者が。
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足利学校の歴史を知れば、これからの勉学の励みとなるだろう。

フォト:2011年5月21日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-07-17 23:57 | 下野国ポタポタリング | Comments(2)
2011年 07月 16日

『下野国ポタ/足利の巻』 at-4

鑁阿寺から足利学校に向う。
堀を挟んで茅葺屋根の建物が見えてくる。
白鷺が一羽、とまっている。
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堀にはカルガモの親子が泳ぐ。
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足利学校。
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参観料を支払うとこんな入場券が貰えた。
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ちょっと俗っぽく。
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入徳門。
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孔子像。
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学校門。
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杏壇門。
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孔子廟。
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孔子坐像。
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小野篁坐像。
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足利学校で貰った小冊子の抜粋をここに転記しておこう。
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足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁(おののたかむら)説、鎌倉時代の足利吉兼説などがありますが、歴史が明らかになるのは上杉憲実(うえすぎのりざね)(室町時代)が現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(しょうしゅ)(学長)制度を設けるなどして学校を再興したころからです。
 鎌倉建長寺住持の玉院永與(ぎょくいんえいよ)は長享元(1487)年の詩文のなかで「足利の学校には諸国から学徒が集まり学問に励み、それに感化されて野山に働く人々も漢詩を口ずさみつつ仕事にいそしみ、足利は誠に風雅の一都会である」と賛美しております。
 また天文18(1549)年にはフランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され、「学徒三千」といわれるほどになりました。
 江戸時代の末期には「坂東の大学」の役割を終え、明治5年幕をおろしましたが、足利学校の精神は現在に引き継がれています。
 昭和57年より「史跡足利学校跡保存整備事業」を実施し、平成2年江戸中期の姿に甦りました。
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先程、外からの眺めで、白鷺のとまっていた茅葺屋根の方丈に向う。
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フォト:2011年5月21日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-07-16 23:58 | 下野国ポタポタリング | Comments(2)
2011年 07月 15日

『下野国ポタ/足利の巻』 at-3

鑁阿寺の境内に「徒然草 二百十六段」が刻まれた碑があった。
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最明寺入道(さいみやうじのにふだう)、鶴岡(つるがをか)の社参(しやさん)の次(ついで)に、足利左馬入道(あしかがのさまのにふだう)の許(もと)へ、まづ使を遣はして、立ち入(い)られたりけるに、あるじまうけられたりける様(やう)、一献(いつこん)にうちあはび、二献にえび、三献にかいもちひにてやみぬ。その座には、亭主夫婦、隆弁僧正(りゆうべんそうじやう)、あるじ方(がた)の人にて座せられけり。
 
さて、「年ごとに給はる足利の染物、心もとなく候」と申されければ、「用意し候(さうらふ)」とて、色々の染物三十、前にて女房どもに小袖(こそで)に調(てう)ぜさせて、後につかはされけり。

その時見たる人の、近くまで侍(はべ)りしが、語り侍りしなり。
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《訳文》
最明寺入道(=鎌倉幕府第5代執権北条時頼)が、鶴岡八幡宮に参詣したついでに、足利左馬入道(=足利氏3代目棟梁足利義氏)の屋敷に、あらかじめ使者を遣わしたうえで、立ち寄られたことがある。そのとき左馬入道が接待なさったが、その献立は最初のお膳には干した鮑、二番のお膳には海老、三番には掻い餅を出して、それで終った。その座には、その屋敷の主人夫婦と、隆弁僧正とが主人側の人として座っておられた。

一段落して、最明寺入道が「毎年いただいている足利の染物が待ち遠しいことです」とおっしゃると、「用意してございます」と言って、さまざまの色に染めた反物(たんもの)三十疋(ぴき)を、その御前で女房どもに小袖に仕立てさせて、後でお届けなさったのであった。

そのときに一部始終を見ていたひとりで、最近まで存命だったある人が、私にその由を語ったのである。
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足利に纏わることが徒然草に綴られているとは知らなかった。
足利は古くから織物や染物で有名である。
徒然草に、鎌倉幕府第5代執権北条時頼と足利氏3代目棟梁足利義氏の関わりや足利の染物や織物のことが綴られていることを知り、大いに喜んだ次第である。

4月24日の「鎌倉ポタリング」をヒントに「足利ポタリング」を企画。
「徒然草 二百十六段」を"発見"し、鎌倉と足利が上手く繋がり、悦に入ったのであった。

フォト:2011年5月21日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-07-15 19:24 | 下野国ポタポタリング | Comments(2)
2011年 07月 14日

『下野国ポタ/足利の巻』 at-2

鑁阿寺。
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鑁阿寺は、元々は足利氏の館であった。
寺の周りに巡らされた土塁と堀が鎌倉時代前後の武士の館の面影を残している。
1922年(大正11年)に 「足利氏宅跡」として国の史跡に指定され、また、2006年(平成18年)、足利氏館として日本100名城に選定されている。

鑁阿寺(ばんなじ)は、難しい漢字、難しい読みである。
あれこれ紐解いていると次のような記述があった。
「同寺を創建した足利義兼の法号は鑁阿である」。
「鑁阿寺は正式にはvana寺で、バンナ寺でもよく、鑁や阿という漢字の発音を梵語(サンスクリット)に代って当てはめたに過ぎない。したがって、鑁や阿に漢字的乃至日本文的意味が含まれているのではない。単なる当て字である。すなわちバンナ寺とは大日如来の寺、大日寺のことである」。
大日如来を調べてみると「サンスクリット語では『マハー・ヴァイローチャナ』。『マハー』は大きい、『ヴァイローチャナ』は輝く、照らすという意味である」とある。
話がこんがらがって来たが、何れにせよ、サンスクリット語に「鑁阿」の漢字を当て嵌めたということのようだ。

フォト:2011年5月21日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-07-14 19:35 | 下野国ポタポタリング | Comments(4)
2011年 07月 13日

『下野国ポタ/足利の巻』 at-1

5月21日、「下野国ポタ」に出掛けた。
メンバーは、大給守殿、伊豆守殿、そして、上総の3名。

今日のjitensha/東武伊勢崎線足利市駅にて。
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足利を訪れるヒントとなったのは、4月24日の鎌倉ポタと5月3日の堺ポタ。
鎌倉を巡ったのであるから、次は清和源氏義家流・足利氏発祥の地、足利へ。
堺・大鳥神社の祭神は日本武尊。その子、足鏡別王(あしかがみわけのきみ)を地名の由来とする足利へ。
堺はフランシスコ・ザビエルゆかりの地にて、ザビエルが足利学校を「坂東の大学」と書き残した足利へ。

足利市駅から渡良瀬川に架かる中橋を渡り、市街地へ向う。
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中橋から渡良瀬橋を眺める。
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通りに「桐紋」と「二引両紋(ふたつびきりょうもん)」が掲げられている。
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「二引両紋」は足利氏の家紋。「足利二つ引」とも称される。
「桐紋」は足利氏が天皇から拝領した家紋。
余談ながら、足利氏の流れを汲む吉良氏の家紋も「二引両紋」であることを忠臣蔵や赤穂浪士を趣味とする上総の補足として綴っておこう。

「尊氏通り」を走る。
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尊氏通りを左折し、鑁阿寺に向う石畳の参道を行く。
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「この割烹の看板、相田みつをの書によるものに御座りまする」と上総、テレビ東京「出没!アド街ック天国」でベンキョーした能書きを垂れる。
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実は、「足利ポタリング」の企画が仕上がった5月14日の夜、偶々、テレビ東京「出没!アド街ック天国」にチャンネルを合わせたところ、奇遇にも「足利市」が採り上げられていたのであった。

「偉大な書家・相田みつをは生まれてから67年の生涯をとじるまで足利で過ごしました。有名になる前は地元の店や企業が様々な仕事を依頼し、支え、足利には今もその足跡が残ります。特に親交が深かった『めん割烹 なか川』では看板や箸袋、おしながきの表紙などを手掛け、相田みつをが描いた様々な品を見ることができます。」(出典:テレビ東京「出没!アド街ック天国」)

参道で見掛けた、レトロな写真館。
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征夷大将軍足利尊氏像。
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フォト:2011年5月21日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-07-13 23:48 | 下野国ポタポタリング | Comments(6)