『上総守が行く!』

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カテゴリ:はにわ街道を行く( 6 )


2011年 08月 11日

『はにわ街道を行く』 hk-6

「ああ、腹へった!」。
途中、大給守殿より「この大きさだったら、一粒で500mは走れるでしょう」と大粒のミルクキャラメルを頂戴した。
そして、愈々、たまご掛け御飯にありつけることになった。
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「たまご掛け御飯定食とプリンのセットを」、「同じく、たまご掛け御飯定食とプリンのセットを」、「プリンなし。たまご掛け御飯定食を」。
たまご掛け用醤油、普通の醤油、濃いダシ、薄いダシ、七味、青海苔、刻み海苔などがテーブルに並べられている。
お好みでどうぞ!ということなのであろう。
たまご掛け御飯定食とプリンのセット二人分とたまご掛けご飯定食一人分がテーブルに並ぶ。
カメラに収める。
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「グルメ・フォトは撮らない上総殿には珍しいこと」。
「とよまるのたまご掛け御飯は6月に企画したときからの念願のもの。先般、印旛歩駄守殿が"すいかライド"でたまご掛け御飯をアップなされていましたが、卵を溶いてしまった後、と綴られていたので、卵を溶く前に写真、写真と念じていました」。
たまご掛け御飯を一気に掻き込む。
「追加御代りは100円となっておりますよ」。
「どれどれ」。
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「もう一杯、食べましょう」。
「御代り三人前、お願いします」。
御代り、卵の殻、二つの図。
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「たまごや とよまる」を出発する。
「先程、はにわ街道沿いで西瓜を売っている店がありました。ちょっと立ち寄りを」と伊豆殿。
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「この西瓜は何処の産でしょうか」。
「富里です」。
伊豆殿、御領主 貝波守殿の領地特産の西瓜を親戚へ宅配便にて。

このまま、南へ走れば、蓮沼海岸。
九十九里浜で海が楽しめる。
しかし、天気はイマイチ。
猛暑ではないので、或る意味、ポタにはもって来いの天気とも言えるが、小雨模様では...。
成田へ戻ることとした。

はにわ街道を成田に向って走る。
向かい風である。
朝からずっと北風のようだ。
途中、三里塚交差点左に御料牧場記念館がある。
その近くに、戦時中に造られた皇室用の防空壕があり、公開されているとも聞く。
これらを訪れたかったが、帰路は幸いにも途中から雨が止んでおり、このまま走るのが得策と、御料牧場記念館と防空壕跡は次回の楽しみとし、パス。

成田国際空港と芝山古墳群、現代と古代をワープする旅であった。

フォト:2011年7月23日
フォト#10:大給守殿提供

(完)
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by kazusanokami | 2011-08-11 22:33 | はにわ街道を行く | Comments(7)
2011年 08月 10日

『はにわ街道を行く』 hk-5

芝山仁王尊から坂道を登り、はにわ街道沿いの芝山古墳群へ向う。

芝山古墳群。
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芝山古墳群は、2基の前方後円墳を中心として13基の円墳が群在する古墳群である。
2基の前方後円墳は、「殿塚」、「姫塚」と呼ばれている。
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姫塚。
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殿塚。
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殿塚を登る。
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殿塚/前方後円墳の頂を歩く。
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ここは宮内庁の管轄ではない。
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「埴輪は、何故、『埴輪』と言うのしょうかね」。
「何故でしょうかね」。
「調べて、ブログに綴ることにしましょう」。
「埴輪は英語で何というのでしょうかね」。
「説明書きは和英併記。英語の説明書きをよーく読んでみましょう」。
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「埴輪は英語でも"Haniwa"と書かれていますね」。

"Tsunami"の如く、日本語がそのまま英語になっているかと、英和辞典、英英辞典で"Haniwa"を紐解いてみたが、この言葉はない。
和英辞典を紐解いてみると"(ancient) clay image [figure]"とある。
やっぱり、"Haniwa"の方が「埴輪」らしい表現だ。

何故、「埴輪」というかにつき、広辞苑を紐解いてみた。
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〔埴輪〕
古墳の上や周囲の立てならべた土製品。
円筒埴輪と形象(けいしょう)埴輪とがあり、後者は人物・動物・器具・家屋などをかたどったもの。
前者は筒形のもので、弥生土器の祭祀用の器台から発展したとされる。
垂仁紀「其の土物(はに)を始めて日葉酢媛命の墓に立つ。仍りて是の土物を号(なず)けて―と謂ふ」
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「埴輪」の語源は、「垂仁紀」、即ち、「日本書紀」垂仁天皇巻に拠るものであることが分かった。
因みに、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)は垂仁天皇の皇后である。

更に調べていると、堺市のホームページに次のようなことが書かれていた。
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埴輪の起源として、垂仁天皇(すいにんてんのう)32年に人を墓に生き埋めにする殉死(じゅんし)を禁じ、そのかわりに人物埴輪を立てるようになったという物語が『日本書記』に伝えられています。
しかし、実際には人物埴輪の出現より円筒埴輪の出現の方が古いということがわかっていることから、この物語はあくまでも神話としてとらえなければならないものです。
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フォト:2011年7月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-10 23:59 | はにわ街道を行く | Comments(0)
2011年 08月 09日

『はにわ街道を行く』 hk-4

小雨ながら、まだ、パラパラと降り続いている。
航空科学博物館から三里塚交差点を経て、芝山仁王尊に向け、はにわ街道を走る。

はにわ街道沿いに設えられた「埴輪」が気分を盛り上げてくれる。
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はにわ街道から外れ、坂道を下り、芝山仁王尊(観音教寺)に至る。
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天應山観音教寺福聚院。
本尊 十一面観世音大菩薩。
脇士 芝山仁王尊。
創建 天應元年(781年)。
比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺院。
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3月11日の巨大地震で、仁王門下の石垣や燈篭が崩れ落ちていた。

仁王門をくぐる。
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龍コレ/その1。
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龍コレ/その2。
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仁王門の貼り紙。
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こういう案内札を何処かの寺で見た記憶がある。
そうだ!知恩院の「左甚五郎の忘れ傘」であった。
案内札の矢印に従い、目を遣ると...
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本堂。
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梵字。
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5月下旬、「下野国ポタ」で訪れた足利の鑁阿寺の「鑁阿」はサンスクリット語のvanaであるということに端を発し、ハリポタ藩松柏木殿と暫らくサンスクリット語で盛り上がった。

松柏木殿より「ええ文章だと思います。この描写、いかがでしょうか」との添書きと共に『秘境ブータン』の一節が送られて来た。
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モンスーン直前のインド平野にたちこめたおもくるしい熱気は濃い煙霧となって低くよどみ、ひたひたとインド平原の上をおおいかくしている、北の方、その大海原のような煙霧の尽きるところと、真青な上空、太陽のギラギラ輝く空との間に、飛行機の向かう正面に一条の山波が、東西に目の届く限り連なっている。青い山波、その奥に白く輝く氷河のいくつか。ヒマラヤの峰々だ。目の下の熱気にひたされ、煙霧の下にうごめく三億のインド人、その北に並ぶ澄みきった冷たい空気のヒマラヤの山々に住む人々、その生活はお互いに全くかけはなれたものだ。私はいまやカルカッタを離れ、まっしぐらにそのヒマラヤの生活へと向かって進んでいく。
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この文章を読みながら、その昔、ゴンドワナ大陸が分裂し、インド亜大陸がユーラシア大陸に向け北上し、ヒマラヤ山脈を形成する光景が目に浮かんだ。
ゴンドワナ大陸の名の由来はインド中央北部の地域名で、サンスクリット語で「ゴンド族の森」を意味し、ゴンド族を調べてみると「ゴンド族はデカン高原中部から北部に居住する原住民。人口は300万人から400万人で、原住民ではインド最大の民族である」とのことであった。

更に話題は展開し、盆が話題となった。
盂蘭盆会もサンスクリット語から来ている言葉だなと思っていたところ、松柏木殿より「最近の新説/盂蘭盆の原語はイラン語系の...」が到来。
サンスクリット語のウランバナ(ullambana)の語源がイラン語系のウルバン(urvan)であるとが分かり、またまた、賢くなった。

然様なことから「梵字」をカメラに収めたのであった。

あちらこちらの寺院を訪れた際、いつも思うこと、それは、この地に寺院を建立しようと決める拠りどころは何であろうかと。

坂道を登り、はにわ街道沿いの芝山古墳群へ向う。

フォト:2011年7月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-09 23:43 | はにわ街道を行く | Comments(2)
2011年 08月 07日

『はにわ街道を行く』 hk-3

YS-11で大いに遊んだ。
次はヘリコプターだ。
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「上総さん、良きところに目を付けましたね」。
「芸術品の如き紋様かと」。
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「鋲接」は芸術的と言える程に美しい。
漢字好きの上総、「鋲接」と書いたが、「リベット」の方が分かり易いかもしれない。
造船では「鋲接」から「溶接」に変わったが、航空機製造においては、いまなお、「鋲接」である。

大給守殿、神妙な面持ちでヘリを操縦...。
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ヘリ/シンメトリー三景+ワン。
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ヘリコプターは、余り、乗り心地のよいものではないというのが上総の印象である。
ヘリコプターに初めて乗ったのは、モンテカルロからニース空港間であった。
或るとき、モナコに出張があった。
ニース空港からモンテカルロに鉄道で入った。
数日、滞在し、最終日、仕事を終え、荷物を取りにホテルへ戻った。
ホテルマン曰く、「電車はストライキで動いていません。タクシーか、ヘリコプターとなります」と。
時間的に早いヘリコプターをチョイス。
「ヘリコプターにします。予約をお願いします」。
「予約は不要です。シャトル・サービスです。行けば、直ぐに乗れます」。
教えられて場所へ行くと、はい、どうぞ、と、即、機上の人に。
海の上を飛んでニース空港に到着。
ヘリコプターはベル型。
足元は透き通っている。
透き通った足元の向こうは碧い海。
飛行中、全く、落ち着かなかったのであった。
今、思えば、「モンテカルロからニースまで地中海の青い海を眺めながらのフライトを愉しんだ」ということなのだろうが...。

航空科学博物館の館内の見学はパス、ショップで「ヒコちゃん遊び」。
この法被を見て思い出すのは、1966年(昭和41年)に来日した、あのグループだ。
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スペース・シャトルは、先日、最後の飛行を終え、30年の歴史に幕を下ろした。
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数年前、NASA ヒューストン宇宙センターを訪れた際、これと同じ宇宙食を買ったなあ...。
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航空科学博物館の横に設えられた埴輪が気分を盛り上げてくれる。
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小雨ながら、まだ、パラパラと降り続いている。
航空科学博物館から三里塚交差点を経て、芝山仁王尊に向け、はにわ街道を走る。

フォト:2011年7月23日
フォト#1、#14:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-07 23:43 | はにわ街道を行く | Comments(4)
2011年 08月 07日

『はにわ街道を行く』 hk-2

航空科学博物館。
今日のjitensha/博物館下にて。
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博物館前の広場に展示された、歴代の飛行機やヘリコプターの数々を眺めながら「ヒコちゃん遊び」。
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YS-11。
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「上総さん、YS-11に乗った経験は?」。
「1970年、80年代、東京・高松間でよく乗りました。着陸するときなど、マニュアル操縦の感、ありでした」。
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「旧仕官先のフライト・シミュレーターで操縦したことがあります。手だけじゃなく、足も使うんです」と上総、自慢げに話ながらコックピットを眺める。
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大事な、大事な隔壁。
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懐かしの灰皿。
いつの頃からか、機内は全面禁煙となった。
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「私のシートも灰皿付きです。オークションで購入。ソファに代え、愛用しています」と伊豆守殿。
伊豆守殿も大給守殿も飛行機に造詣が深いが、伊豆殿のヒコちゃんぶりにビックリ!
因みに、伊豆守殿は煙草は吸わない。
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上空に爆音が。
雲間から現れたアリタリア航空。
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アリタリア航空の機内で買った婦人物の腕時計はオシャレであった。
黒に花柄の文字盤であった。

YS-11からヘリコプターへ移動する。

フォト:2011年7月23日
フォト#9:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-07 02:36 | はにわ街道を行く | Comments(4)
2011年 08月 03日

『はにわ街道を行く』 hk-1

7月23日、JR成田駅に集合。
「今日のjitensha」。
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「はにわ街道を行く」は、6月に挙行予定であったが、雨天順延した企画である。
6月の際には出陣予定であった御領主貝波守殿は都合により出陣見合わせ。
また、武衛殿も鬼の霍乱(???)で出陣見合わせ。
御領主に代わり、大給守殿、伊豆守殿、上総の3名にて御領地巡察を行うこととなった。

御領主貝波守殿のコース設定に従い、走ることとする。

先ず、成田国際空港で「ヒコちゃん遊び」。
県道51号線から三里塚街道(県道44号線)、芝山はにわ街道(県道62号線)を走り、三里塚交差点から「さくらの丘」へ向う。
「さくらの丘」は、御領主殿のアドバイスによる、飛行機の離着陸が一望出来るスポットである。

さくらの丘。
曇天である。
カメラを携えた「ヒコちゃん」、家族連れの「ヒコちゃん」など飛行機好きと思しき人たちが飛行機の離着陸を眺めている。
晴れた日であれば、もっと大勢の人がいるに違いない。
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jitensha ヒコちゃん/その1。
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jitensha ヒコちゃん/その2.
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親子連れ ヒコちゃん。
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青年 ヒコちゃん。
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この青年は無線機も持っていた。
管制の遣り取りを傍受し、その情報でカメラを構えるのであった。
無線機から流れる管制の遣り取りを聴きながら、大給守殿曰く、「"ジェット・ストリーム"を聴いている気分ですね」と。
後刻、立ち寄った航空科学博物館で聞いたところ、管制の遣り取りを傍受することは許されるとのことであった。

離陸順番待ちのルフトハンザ A380(のはず)。
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着陸する日本貨物航空。
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この日は北の風。
風向きによって離着陸の方向が変わると聞いていたが、確かに、この日は南から北に向って離着陸していた。

雨がパラパラし始めた。
予報では曇り。雨の予報ではなかったのに!
航空科学博物館に向うこととした。

航空科学博物館に向かう道路沿いで、絶景ポイントを"発見"。
「鶴丸」。
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フォト:2011年7月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-03 23:55 | はにわ街道を行く | Comments(4)