カテゴリ:大江戸大周遊( 9 )


2011年 09月 09日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-9

フィニッシュした神宮外苑絵画館前から東京駅方面に向う。
今回のポタは、道は出来るだけ重複しないように心掛けていたので、来た道、青山通りを戻るのではなく、安鎮坂を抜けて行くこととした。
右手に東宮御所を見ながら、安鎮坂を走る。
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学習院初等科前を通る。
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赤坂迎賓館を眺める。
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JR四谷駅を通り過ぎる。
隅田川の花火大会に行くのであろうか、浴衣姿を"片手ハンドル・片手カメラ"でパチリ。
「浴衣婦人二人之図」、動きの順に、先ず、「其の一」/上総撮影、次に、「其の二」/大給守殿撮影のものを。
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ソフィア通りを抜ける。
東雲守くんの領地では"WARE HOUSE"の巨木を撮ったことでもあり、尾張守くん所縁の地もカメラに収める。
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紀尾井町坂を下り、弁天橋、赤坂見附、虎ノ門を抜け、丸の内へ。

大給守殿の「女性専科」シリーズは、第五話で「八重洲麒麟交差点和服婦人殺気ヲ感ジテ横顔ノ図」、この第九話で「浴衣婦人二人之図」と続いたが、この日の「女性専科」シリーズ最後のフォトがこれだ。
「赤坂見附弁慶橋南詰め/イチゴミルク色の自転車に乗る婦人」。
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最近、競技用自転車「ピスト」のブレーキ付きを町乗りするのが流行っている。
ブレーキを外したピストを町乗りする、危なっかしい輩もいると聞く。
このイチゴミルク色もピストのようだ。
このイチゴミルク色は、勿論、ブレーキ付きのようだ。
このイチゴミルク色を撮った大給守殿、これからは「東京自転車事情」もテーマのひとつにすると。
よきことだ。

丸の内で"反省会"。
「大江戸大周遊」で巡った、あちらこちらを話題に、そして、「秋の大遠征」企画を話題に、"反省会"は大いに盛り上がった。

隅田川花火大会の花火の音を合図に"反省会"はお開きにするつもりであったが、花火の音が聞こえる訳もなく、そんなことはすっかり忘れて、〇時にお開きと相成った(お開きの時間は敢えて書かない。〇時としておきたい)。

総走行距離63.36km、良き「大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ」であった。

最後に、「東京を走って、集めました」を。
これは、道中、都営バス停で見た、都内の有名スポットを蝶で表した、東京都交通局の大判のポスター。
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硝子が反射して、ちょいと、見難いので、"解説"を。
ポスター左上から右へ順に、「東京タワー」、「上野公園」、「東京都庁」、「銀座」、「秋葉原」、「表参道」、「浅草寺」、「レインボーブリッジ」、「月島」、「渋谷」、「東京ドーム」、「六本木」、「神宮外苑」、「歌舞伎町」の都合14羽の蝶々たち。
「東京スカイツリー」は、羽化しつつあるところなので、ここには含まれておらぬよう。
我々も、この日、14羽のうち、半分くらいの蝶を採集できたよう。

昆虫写真家で、且つ、2年前のハリポタ藩関東遠征で「お上りさんポタ」や「赤穂浪士討入凱旋の旅」など江戸府内を巡ったことのある、ハリポタ藩六々守殿に、この「蝶のコレクション」を謹呈し、ブログ「大江戸大周遊ポタ」の完結としたい。

フォト:2011年8月27日
フォト#5、#7:大給守殿提供

(完)
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by kazusanokami | 2011-09-09 20:55 | 大江戸大周遊 | Comments(10)
2011年 09月 08日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-8

日本橋に至る。
日本橋と言えば、三越を外す訳には行かない。
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「ちょっと、三越の向かいの路地へ」。
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「昼餉に桜鍋を食したので、鰻は、今日のところは、把手だけです。実は、昨日、"上総の昼餉散歩"でト音記号の把手をアップロードしたので、この鰻の把手も見たくなった次第。この店の鰻は絶品。タレはさらっとしていて、品がいいです。タレはご自由にということで、テーブルにも置いてあります。次回のA級グルメにて」と、"伊勢定"の鰻の把手と蒲焼の紹介。

"伊勢定"の店先に立ち、路地からの眺め。
角の乾物屋も趣きのある店だ。
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日本橋。
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日本橋は、今年で100周年を迎えた。
地下鉄銀座線三越前駅のコンコースで「熈代勝覧(きだいしょうらん)」の複製画を観ることが出来る。
「熈代勝覧」は、文化2年(1805年)の日本橋界隈を描いた絵図である。
縦が約43cm、横が約12mの長大な絵図で、日本橋通に連なる店々や通りを行き交う人々が克明に描かれている。
いつも、このコンコースを通る度に、武士、町人、物売り、旅人、馬や犬などの様子をひとつずつ、観るのが楽しみである。

永代通りから皇居前に至る。
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「さて、如何しますか。東京駅から輪行するなら、丸の内界隈で"反省会"。であれば、ここでフィニッシュということも」。
「この後の走行順路は?」。
「国会議事堂、首相官邸に立ち寄り、赤坂見附から青山通りを走り、神宮外苑絵画館前でフィニッシュとなります」。
「神宮外苑まで走り、完走としましょう」。
「では、出発!」。
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桜田門を抜け、国会議事堂へ。

先頭を走っていた大給殿、国会前庭洋式庭園の入り口近くで止まり、「入りますか」と指差す姿。
「入りますか」とは、2年前のハリポタ藩関東遠征時の「お上りさんポタ」で立ち寄った「日本水準原点標庫」を見ようということだと直ぐに分かった。
「入りましょう」と合図した。
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日本水準原点標庫は、日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルの弟子、佐位七次郎の設計による、ローマ風神殿建築様式に倣った、小さな石造建築物で、中に設けられた日本水準原点標を保護している。
標高は、東京湾平均海面+24.4140mである。

国会議事堂。
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内閣総理大臣官邸。
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ポタの前日、26日に、再生可能エネルギー固定価格買い取り法案が参院本会議で全会一致で可決、成立。
既に成立している2011年度第二次補正予算と特例公債法案と合わせ、菅首相退陣条件の三法が整った。
首相退陣条件が三法の法案通過とは、全く奇異なものであるが、これで菅首相は退陣へ。

ポタで訪れたときは、次は誰が官邸の主になるのだろうかということであったが、このブログを綴る時点では、既に民主党の新代表が決まり、国会での内閣総理大臣指名選挙も終わり、野田佳彦氏が弟95代内閣総理大臣に就任した。
政治向きの話はここでは控えたいが、懸案事項は山積。足の引っ張り合いは止め、何とか良い仕事をして貰わねばと思うのだが、さて?

山王神社下を過ぎ、赤坂見附に至る。
グランドプリンスホテル赤坂、通称「赤プリ」を眺める。
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「赤プリ」は、本年3月末で営業終了。
6月末まで東日本大震災の被災者の避難所として提供されていた。
某大手ゼネコンが開発した「粉塵を飛ばさず、騒音を出さない工法」で解体されると聞く。
地上40階、高さ138・9メートル、解体工事は大工事となるのであろう。

「赤プリ」を見上げながら、「これ、解体されるんですよね」と上総。
「何故なんでしょうね」と伊豆殿。
「老朽化?」、「隣のホテルニューオータニに比べれば、ずっと若いですよ」、「やっぱり、採算の問題ですかね」。
因みに、ホテルニューオータニは、東京オリンピックを控えた2年前の1962年に着工し、1964年にオープンしている。

赤坂を代表する建物のひとつである「赤プリ」は、築、僅か30年足らずで消える。
丹下健三設計の建物としては短命である。

青山通りから、銀杏並木を走り、神宮外苑絵画館に向かう。
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神宮外苑絵画館前でゴール!
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サイクルコンピュータで走行距離を確認し損ねたが、50km超であったはず。
「お疲れさまでした」。
「さて、どうしますか」。
「輪行のし易い東京駅へ行きましょう」。
「では、反省会も東京駅近くで」。

フォト:2011年8月27日
フォト#10:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-09-08 22:36 | 大江戸大周遊 | Comments(4)
2011年 09月 05日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-7

東京天空塔から言問橋方面に向う。
この日は隅田川の花火大会。
清澄通りを走っているときから、浴衣姿の花火見物客や通り沿いに屋台を設営する風景も。

言問橋を渡る。
花火見物、陣取り合戦の図。
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言問橋から吾妻橋を眺める。
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言問橋の真ん中で、実行委員会の腕章をした若者に尋ねる。
「花火は何処から上げんですか」。
「言問橋の北側の台船と、吾妻橋南側の台船からです」。
「成程。言問橋の北側に台船がありますね」。
「近くからの見物は無理ですよ」。
「おっちゃんたちは、花火大会の準備の様子だけ見させて貰ったら十分なんです。ご苦労様!」。

「各々方、言問橋西詰めからの東京天空塔の眺めもなかなかのものですよ」。
皆で眺める。
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「さっきから思うんですが、曇っているので、上手く写真が撮れませんね」。
「東京天空塔の色が灰色系なので、曇りの日にはマッチしていないということかもしれませんね」。

晴れた日、言問橋西詰めから、こんな眺めもあった。
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(2010年5月15日撮影。当時のタワーの高さ368m)

吾妻橋方面に向う。
吾妻橋西詰めを通り過ぎる。
「吾妻橋の向こうの、觔斗雲と東京天空塔の姿、見ました?」。
「いや、見ませんでした」。
「では、バックして」。
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「あれは觔斗雲じゃなくって、麦酒の泡じゃないの?」。
「朝日麦酒の金色のビルは、琥珀色の麦酒に入ったジョッキ、屋上のキザギザは泡を表現。觔斗雲は炎のオブジェとか言って、朝日麦酒は頑張るぞ!の強い意思を表現しているとか。実は、炎のオブジェは旧仕官先の製作。曲げ溶接が結構、難しいんですよ」。

浅草駅界隈。
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まだ、3時前。花火大会が始まるのはまだまだ先だが、大勢の花火客が集まりつつある。

江戸橋通りを南下。
移動車で、数多くの、警官が集まりつつある。
通りの両脇には、道路を封鎖する設備であろうか、数多くの、アルミ製の蛇腹状のものが置いてある。
隅田川の花火大会の警備の準備が着々と整いつつある。

浅草橋から、神田川に浮かぶ屋形船と柳橋を眺める。
柳橋の直ぐ向こうは隅田川だ。
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花火見物客が乗船中。花火は7時過ぎから。今、まだ、3時過ぎながら。
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屋形船の乗船客はライフジャケットを着用するのだろうか、上空に上がる花火は屋形船の窓から見えるのだろうか、屋形船の屋根は開閉するのだろうかと、余計なことを考えながら、日本橋方面、4号線/日光街道に入る。

「合羽橋方面は?」との武衛殿の声。
「合羽橋方面は次回としましょう」と上総。

当初の予定では、吾妻橋から、合羽橋商店街方面に向かい、その近くの曹源寺と源空寺に立ち寄ることにしていたが、そろそろ疲れ気味だし、隅田川の花火大会で混み合うだろうから、この界隈を早く走り抜けようと、これらは端折った。

因みに、曹源寺は、5月初めの伏見/黄桜で河童をベンキョーした際、この寺に河童大明神が祀られているとのことで、上総の趣味のひとつである"河童"を取材するつもりであった。
また、源空寺は、大日本沿海輿地全図組三人頭、高橋至時、高橋景保、伊能忠敬の墓所となっており、2年前の「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」で立ち寄ったことがあり、ドラポタ藩諸侯をお連れしたいと思った寺であった。
これら二つの寺は、次回、「弥生式土器発掘ゆかりの地を訪ねて/同地近くで新潟産研磨米水給水ポタ」の際に訪ねることとしたい。

フォト:2011年8月27日
フォト#6:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-09-05 19:19 | 大江戸大周遊 | Comments(5)
2011年 09月 04日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-6

森下の「みの家」でA級の昼餉を頂戴し、再び、清澄通りを北上する。
東京天空塔の姿が見えて来る。
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業平橋からの姿。
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東京天空塔の建設着工は、3年前、2008年7月14日であった。
着工直後の頃の、業平橋からの眺めはこんな感じであった(2008年7月19日撮影)。
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「上を向いてがんばろう日本」。
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東日本大震災のあと、「がんばろう日本」はよく見掛けるが、ここでは「上を向いて」の修飾語付き。

或る店先に備えられた、ミラーでの眺め。
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このミラーだと楽に眺められるが、「上を向いて がんばろう 日本」にはならない。

押上駅側からの眺め。
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「現在のタワーの高さ634m」の掲示が誇らしげだ。
以前は、業平橋側の工事現場に掲げられていたのだが、今は押上駅側の高層ビルの中に掲示されている。
最高点の「武蔵=634m」に到達したのは、東日本大震災から1週間後の、3月18日のことであった。
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北十間川も、随分、きれいに整備されつつある。
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「さっきから思うんですけど、第二展望台が歪んで見えますね」。
「よーく見ると、回廊を傾斜させているようですね」。

ぐるっと、一回りして、再び、業平橋駅側へ。
「業平橋駅の名はなくなり、"とうきょうスカイツリー駅"となるそうな」。
「在原業平は1000年以上もの間、名を残す歌人。その名を無くして何とする!」。

東京スカイツリーを訪れた人は、必ず、向島に立ち寄り、言問団子を味わいながら、「名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」の歌と共に在原業平のことに思いを馳せて欲しいものだ。

フォト:2011年8月27日
フォト#3:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-09-04 20:12 | 大江戸大周遊 | Comments(2)
2011年 09月 03日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-5

東京ビッグサイトから、昼餉の桜鍋「みの家」を目指し、東雲、豊洲、越中島、門前仲町を抜け、清澄通りを北上。
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途中、東雲で巨木を発見!
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「ホンモノ?」、「まさか、ここは埋立地だし」、「WARE HOUSE と書いていますね」、「中はゲームセンターのようですね」。
jitensha を止めて、巨木に近づき、検分。
コンクリート製なるも、見事な造りであった。

この界隈は東雲守の"領地"。
翌日、我が家を訪れた東雲くんに聞いてみた。
「あれは WARE HOUSE っていうゲームセンター。あちらこちらに店があるんだけど、どの店も、あんな風な巨大なデコレーションになってるんだ」と。
早速、"WARE HOUSE" で電脳検索してみたところ、派手派手のデコレーションのフォトが現れた。
ミニ・ラスベガス宛らであった。ラスベガスには行ったことはないけれど...。

森下までの道中、頭の中は「みの家」の桜鍋のことばかり。
途中、「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」で訪れたことのある、間宮林蔵の墓所があり、立ち寄ってみようかな、と思うも、それも、ふと、一瞬のこと。
ひたすら、「みの家」に向けて走るのであった。
"片手ハンドル・片手カメラ手法"でのフォトも、全く、撮らずに。

新大橋通りとの交差点に近づく。
「もう直ぐです」と武衛殿。
「おっ、交差点の角に『みの家 この先 50m先』の看板あり!」。
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「みの家」。
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「桜鍋4人前、生卵4個、焼き豆腐一丁、ご飯でお願いします」。
「ビール、一杯だけ飲みましょか?」。
「止めときましょ。例え、一杯でも走る気がしなくなりますから」。
「では、冷たーい水をお願いします」。
鍋が運ばれて来た。
コンロに火が点けられた。
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「味噌を溶いてください。小さい入れ物のものが濃い割り下、大きい入れ物のものが薄い割り下となっています。七味唐辛子はお好みで」と仲居さん。
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「信州では、馬肉は美ぃ級かもしれないけれど、お江戸ではA級」。
「信州では、普通に食べますからね。馬刺しで食べることが多いですね。こんな風な、鍋にして食べることはないですね」。
「上田駅前で食った、馬刺しと馬肉皿はウマかった」。
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満腹!満腹!大満足!であった。

フォト:2011年8月27日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-09-03 21:05 | 大江戸大周遊 | Comments(6)
2011年 09月 02日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-4

愛宕通りを経て、日比谷公園内を走る。
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日比谷公会堂の向こうのアンテナのあるビルが、今、何かと話題になる東京電力本店である。
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ソーラー時計。脱原発、減原発。自然エネルギーの利用拡大が図られるのであろう。
筆者の意見はここでは差し控えるが...。

日比谷交差点。
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ジョサイア・コンドル設計の三菱一号館。
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ブリック・スクエア。
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東京フォーラム脇を通り抜け、八重洲に至る。

「八重洲ブックセンター前の二宮金次郎像は金色。"しまなみ海道"では、瀬戸田の廃校の正門で陶器で出来た二宮金次郎像を見ることも出来ます。何れ、『しまなみ海道』でご案内します」と、暫し、二宮金次郎談義。

八重洲通りを走る。
「八重洲の地名の由来となった、ヤン・ヨーステンの記念碑があるので、ご案内します」。
日蘭修好380年記念ヤン・ヨーステン記念碑。
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「八重洲の由来は、ヤン・ヨーステンでしたか」、「えっ、ご存知なかったですかぁ?みんな、知ってることだと思ってましたが...」との会話も。

ヤン・ヨーステン記念碑の目印は、交差点の角に立つ、このキリン。
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上総は、このキリンの如く、「動物専科」。
大給殿は「女性専科」も。
今回のポタのあと、大給殿から送られて来た数々のフォトの中には、女性ライダー、浴衣姿、そして、キリン交差点での和服姿もあり。
大給殿より「八重洲の和服の女性は、後姿を撮ろうとしていたところ、殺気を感じたのか、横顔となってしまいました」との添え書きもあり。

この和服姿をアップ・ロードするかどうかで、悩む(ちょいと、大袈裟か?)。
モザイクを施すのは、オリジナル尊重に反する。
そのまま、アップ・ロードしようとの答えに至る。
しかし、やはり、殺気を感じるので、モザイクを施す。
その「八重洲麒麟交差点和服婦人殺気ヲ感ジテ横顔ノ図」がこれ。
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暫らく走ると「西洋居酒屋ヤン・ヨーステン」なる看板が掲げられた店もあった。
「やっぱり、この界隈はヤン・ヨーステン=八重洲でしょ」との会話も。
愛宕通りの松蓮社と愛宕神社に続き、八重洲でも江戸時代の歴史のベンキョーとなった。

「亀島橋」なる橋を渡る。
「向こうに、東京天空塔が見えますよ」。
「頭は、雲の中ですね」。
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「上総殿、橋の袂に堀部安兵衛の碑がありましたよ」と大給殿。
「何故、こんなところに。ちょっと、赤穂浪士の"取材"をして来ます」と上総。
堀部安兵衛武庸之碑。
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碑文は次の通り刻まれている。
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越前新発田五万石、溝口藩中山弥次右衛門の子、寛文十一年(一六七一)生まれ。
元禄元年(一六八八)江戸之念流堀内道場入門、元禄四年(一六九一)玉木一刀斎道場師範、元禄七年(一六九四)二月高田の馬場において叔父菅野六郎左右門之仇討。
その後も京橋水谷町儒学者細井次郎大夫家に居住、浅野家臣堀部家の妙と結婚、堀部安兵衛武庸となる。禄高二百石。
元禄十四年(一七〇一)十月本所林町において長江長左衛門の名で剣道指南。
元禄十五年(一七〇二)十二月十四日赤穂浪士の一人として吉良邸に乱入、仇討ちする。
元禄十六年(一七〇三)二月四日歿、三十四歳。法名、刀雲輝剣信士。
-----------------------------
「堀部安兵衛の碑がここにある理由、わかりましたか?」と伊豆殿。
「よくは分かりませんが、京橋水谷町儒学者細井次郎大夫家に居住とあるので、この辺り住んでいたとも思われます。しかし、この辺りは京橋ではなく、八丁堀のはずなんですが。今年12月の赤穂浪士討入凱旋の旅では、番外編として、高田馬場助太刀の場へご案内しましょう。大きな漢文の碑があります」と上総。

しばらく走ると、中央大橋と佃 リバーシティが見えて来た。
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中央大橋からの隅田川を眺める。
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永代橋、そして、その向こうに東京天空塔。
昨年12月の赤穂浪士討入凱旋の旅のときにも、眺めた風景だ。
あの日は晴れだった。

「さて、如何しますか。ここから東京ビッグサイトまで走るか、それは端折って、東京天空塔方面へ行くかです」。
「予定通り、東京ビッグサイトまで走りましょう」。
「では、当初の予定通りにて」。

月島、豊洲、有明を抜け、東京ビッグサイトへ。
ゆりかもめ/市場駅辺りからの都心の眺め。
右手に、先程、極々、近くを通った、東京電波塔が見える。
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「築地市場の移転はどうなったんでしたっけ?」。
「土壌改良して、やはり、移転するんでしょう」。
「駅の名は市場駅。築地市場がここに移転できなかったら、どうしていたんでしょうね」。

折り返し点/東京ビッグサイトに到着。
都庁からここまで、約25km。
記念(???)の一枚、「今日の jitensha」。
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「では、昼餉と参りましょう」。
「森下は、ここからどれくらい、掛りましょうか」。
「30分もあれば、着くでしょう」。
「いざ、武衛殿から提案のあった、桜鍋の『みの家』へ!」。

フォト:2011年8月27日
フォト#8:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-09-02 22:52 | 大江戸大周遊 | Comments(8)
2011年 09月 01日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-3

東京電波塔から東京プリンスホテル脇を過ぎ、愛宕通りに入る。
日比谷通りを走る予定であったが、ふと、愛宕神社に立ち寄るのもいいなと思い、愛宕通りに入ったのだ。

後方で、チーンチーンと何かを知らせる、jitensha のベルが鳴る。
先頭を走っていた上総、「何か起こりましたか」と振り返る。
「武衛殿が洞窟の弁天様にご案内するとのこと」との大給殿の声。

門柱には「松蓮社」とある。
武衛殿が何処からか(敢えて、「何処からか」としておきます)懐中電灯を借りて来て、洞窟に入る。
入り口はこんな感じである。
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洞内は真っ暗。
懐中電灯の明かりを頼りに、手掘りの洞窟を十数メートル、腰を屈めながら進む。
奥に行き着く。
弁財天が鎮座。
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懐中電灯の明かりの中で手を合わせる。
再び、懐中電灯の明かりを頼りに、戻る。
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「武衛殿はいろんなところをご存知なのですな!感謝!」と上総。
「都心の洞窟探検を体験できるとは!感謝!」と伊豆殿。
「愛宕通りを通るとは思っていなかったので」と武衛殿。
日比谷通りに出ず、愛宕通りで左折したことが幸いした!いい勘をしていた!と、先導役の上総、自画自賛(???)。

愛宕神社に立ち寄る。
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「将軍梅 平九郎手折りの梅樹」。
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顔抜き人物像コレクション/其の一。
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顔抜き人物像コレクション/其の二。
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愛宕山について、上総守編纂「赤穂浪士討入凱旋の旅/コース・ガイド」から、一部、引用してみたい。

愛宕山について。
愛宕山は、「愛宕神社」の外、「出世の石段」、「桜田門外の変/水戸浪士集結の場」、「勝海舟、西郷隆盛会談の場」など逸話や数々の歴史を残すの外、玉音盤など放送関係図書を所蔵、ラジオ受信機、テレビ受信機の動態保存などの「NHK放送博物館(旧NHK愛宕山放送局)」、更に、「チーズの店/フェルミエ」、「田崎真也ワインサロン」など現代の彩りも。
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「出世の石段」
三代将軍家光公が将軍家菩提寺である芝・増上寺参詣の帰途、愛宕神社下を通り掛かった。
折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っていた。
それを目にした家光公が「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命じた。
愛宕山の石段は急勾配、誰も馬で石段を上り、梅を取って来ようという者はいなかった。
そうしたとき、この急な石段を上り、山上の梅を手折り、再び、急な石段を降り、家光公に梅を献上した者がいた。
丸亀藩家臣、曲垣平九郎(まがきへいくろう)であった。
「この泰平の世の中、馬術の稽古怠りなく、誠にあっぱれ!」。
平九郎は家光公より「馬術の日本一の名人」と讃えられたのであった。
この故事に因み、愛宕山正面の坂(男坂)を「出世の石段」と呼ばれるようになり、毎日、多くの人がこの石段を上り、神社にお参りに行ったとのことである。
因みに、新橋・新正堂では、忠臣蔵に因んだ「切腹最中」に加え、「出世の石段」なる和菓子もある。
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「桜田門外の変/水戸浪士集結の場」
安政7年(1860年)、浪士たちは神社内の絵馬堂に終結し、神前に祈願したのち、歩いて桜田門外に向ったのであった。家康公創建の愛宕神社に祈願したのであったから、浪士たちにとって井伊大老を討つことは幕府のためという信念があったのであろう。
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「勝海舟、西郷隆盛会談の場」
江戸城明け渡しについて、行き詰まり状態にあった勝海舟と西郷隆盛の二人は家康公ゆかりの地、愛宕山に上り、江戸の町を見渡した。どちらが言い出すでもなく、江戸の町を戦火で焼失させるは忍びない、とし、山を下り、その後、三田の薩摩屋敷にて両人、会見し、江戸城無血開城に至ったのであった。
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武衛殿の案内で訪れた「松蓮社」について、帰宅後、再度、調べたところ、弁天洞に加え、徳川家光の長女、千代姫の位牌所の寺でもあったとのことである。
愛宕通りで、江戸時代初期の二つの歴史の旅が出来た。
そして、幕末の歴史も。

通称、マッカーサー道路(正式名/環状第二号線新橋・虎ノ門地区)の工事現場を通り過ぎる。
「新正堂はあちらです。例の『切腹最中』に加え、『出世の石段』なる銘菓もあります」との声を発するも、誰も所望されなかった。
皆さん、甘党、辛党、どちらかと言えば、辛党であった。

フォト:2011年8月27日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-09-01 22:52 | 大江戸大周遊 | Comments(4)
2011年 08月 30日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-2

六本木交差点を過ぎると、東京電波塔が見えて来る。
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3.11の巨大地震で曲がってしまったアンテナは、今も曲がったまま。
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例え、アンテナが曲がろうとも、東京天空塔の兄貴分、東京電波塔は いつ見ても堂々としている。
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東京タワー下でよく見掛ける光景、それはカラフト犬の記念像前で東京タワーと一緒に子供の写真を撮ろうと、一生懸命のパパやママ。
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タワー下の「カラフト犬の記念像」。
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碑文
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南極観ではたらいたカラフト犬の記念碑
1959年
財団法人 日本動物愛護協会
1956年11月 
南極観測隊のそり犬として同伴してその功績はおおきかった
1958年2月
観測隊の引きあげのとき15頭は鎖につながれたまま残された
1959年1月
第三次観測隊が奇跡的に生存したいたタロー、ジローの2頭を発見収容したが他の13頭は餓死したものと思われる
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先月は「南極条約五十周年」であった。
義兄、讃岐守殿からその記念切手のシートが送られて来た。
記念切手にはペンギンが描かれており、ペンギン・コレクションも趣味のひとつである小生のために送ってくれたものだ。
御礼の手紙には、幼き頃の記憶である、タロー、ジローの話や南極観測船「宗谷」が氷に閉ざされ、ソ連の「オビ号」に救出された話を綴った。
そして、何故、東京タワーの下に、カラフト犬の像があるのかも綴った。
そうしたこともあり、今回、東京電波塔・東京天空塔の兄弟塔を眺めることもさることながら、カラフト犬の記念像を今一度、しっかりと見た次第である。

フォト:2011年8月27日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-30 23:59 | 大江戸大周遊 | Comments(4)
2011年 08月 29日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-1

8月27日、曇り。
大江戸大周遊ポタに出掛ける。
メンバーは、大給守殿、伊豆守殿、武衛殿、そして、上総の四名。

くそ暑い7月に企画したので、暑さを凌ぎ易い江戸府内ポタとしたが、「赤穂浪士討入凱旋の旅」、「浪士お預け四家の旅」、「瑤泉院ゆかりの地を訪ねて」、「江戸府内ビル日陰ポタ」、「日本近代建築の父 ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」、「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」、「本郷田端文学の旅」、ハリポタ藩関東遠征時の「お上りさんポタ」など、既に都内のあちらこちらを巡っており、ネタ不足。

2006年と2007年に参加した「東京シティサイクリング」を思い出し、「東京シティサイクリング2011」のHPを参照したところ、2006年、2007年とはコースが少し異なり、豊洲折り返しが東京ビッグサイト折り返しとなっており、即、都心に戻らず、隅田川東岸を北上し、東京スカイツリーを巡って、都心に戻るコースとなってた。
自転車で東京を眺めようというのが「東京シティサイクリング」の趣旨なので、634mに到達した東京スカイツリーをコースに含めるのは妥当なこと。
これをヒントに、「東京シティサイクリング2011」のコース(但し、同HPでは航空写真だけでのコースガイドなので、それを参考に上総なりにコース設定)をなぞって走ることにした次第。

弟分の「東京天空塔」に加え、勿論、兄貴分の「東京電波塔」もルートに入れて。
我らは、東京電波塔世代なので。

題して、「大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ」。

集合場所の新宿へ向け、輪行。
途中、松戸から江戸川を渡る辺りで、東京天空塔が車窓から見えて来る。
第一展望台の辺りから上は雲に隠れている。

南千住を過ぎる辺りからの方角から見ると、展望台の辺りに雲がなびき、その雲上に尖塔が見える。

東京都庁第一庁舎/都民広場に集合。
「今日の jitensha」。
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「今日の jitrensha」の撮影よりもっと大事なこと、それは、エアー・チェックとエア充填。
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東京都庁/都民広場を出発。
目指すは、東京ビッグサイト折り返し、ゴールの神宮外苑絵画館前。
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代々木公園西側の周回路から表参道に向かう。
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表参道を走る。
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まだ、朝早いので、人通りは少ない。

表参道から青山通り交差点に至る。
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青山通りから青山墓地を抜ける。
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新国立美術館前で一服。
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まだ、朝早いので、開館前。
それでも、開館を待つ人が何人かいた。
絵画鑑賞は空いている時間帯が一番だ。

六本木交差点で、「奏でる乙女の像」を眺める。
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六本木らしい警告板も眺める。
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フォト:2011年8月27日
フォト#3、4&6:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-29 21:13 | 大江戸大周遊 | Comments(4)