カテゴリ:秋の"野点"ポタ2011( 14 )


2011年 12月 24日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-14

さあ、"野点"だ。
テーブルに、野点道具や食材を並べる。

先ず、西印旛沼の白藤養魚で二尾、購った「鰻の白焼き」の登場だ。
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素敵な包み紙を愛でる。
包み紙を外すと、白焼きの調理方法の栞が現れる。
栞を詠むだけで、生唾が出て来る。
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白焼きを一口サイズに切る。
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先ず、皮の側を炙る。
次に、身の側を炙る。
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武衛殿が、国許、伊豆から持ち帰った、山葵で味わう。
食い気が先走って、残念ながら、山葵をカメラに収め損ねた。

次に、登場するは、定番の、ドラポタ流「きのこと角切りベーコン炒め」だ。
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調味料は一切不要。
ベーコンの持つ塩味で、文字通り、塩梅がよい。

愈々、ドラポタ藩の御料理番、大給守殿、渾身の「けんちん汁」の登場だ。
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水煮の野菜に、豚肉を放り込み、灰汁を掬いながら、ダシ入り液体味噌の味付けで、煮込んで来た。
身体が温まる。
〆に、うどんを放り込む。
けんちん汁と、うどんの相性もよい。
旨い!の、ひとことである。
そして、何にも増して、有難いことは、大鍋持参の貝波守殿の貢献である。

料理に加え、この日のメンバーを登場させよう(フォト提供/大給守殿)。
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大鍋のケアに余念のない、貝波守殿と武衛殿。
久方ぶりの再会で、歓談する、印旛歩駄守殿と上総。
印旛歩駄守殿はドラポタ藩の盟友。
彼は、この日、栄町方面を単独ポタの後、我らの"野点"に参加なされた、歓迎すべき"闖入者"であった。

印旛歩駄守殿、差し入れの、「パン焼き小屋ピッパラの森」製パン。
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これも、食い気が先走って、辛うじて、数切れをカメラに収めるのに成功(???)した。
因みに、「パン焼き小屋ピッパラの森」は、安食にある、パンの名店である。

みんな、"野点"を楽しんだ。
〆の、うどん入りけんちん汁も、鱈腹、食べた。
「けんちん汁が、少し、残りましたなあ」と大給殿。
「捨てる訳にも参りませぬなあ」と上総。
「あちらで遊んでいる少年たちを呼びませうか」。
「それは名案」。
「おーい、僕たちぃ~っ、こっちへ来ませんかぁ~っ」。
少年たちがこちらに走って来た。
「うどん入りの、けんちん汁、食べますか」。
「僕は要らない」、「僕も要らない」と、少年たち。
「僕、いただきます。昼ごはん、食べていないんです。腹、減ってるんです」と、一人の少年。
「では、おっちゃんの、おおきなコッヘルに入れてあげましょう」。
「あっちへ行って、食べてもいいですか」と、けんちん汁の入った、器と箸を持った少年。
「いいですよ。でも、コッヘルは返してね」。
少年たちは、先程まで遊んでいた場所に戻って行った。

暫らくすると、少年たちが、こちらへ戻って来た。
「あのぉー、お代わり、ありますか」。
その声は、先程、ただ一人、食べたいと言った、少年Aくんであった。
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「お代わりは、まだまだ、ありますよ」。
「僕もください」、「僕もください」と、ほかの少年たちも口々に。
「では、紙コップに入れてあげましょう」。
「お箸、ください」、「僕にも」と、先程とは打って変わって、"前向き"、"前向き"の大騒ぎ。
子供の心理を垣間見た思いがする。
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「さっき、昼ごはんを食べていないと言っていたけど、何故?」。
「塾に行ってて、昼ごはんが食べられなかったんです」。
「今日は祝日。学校は休みだけれど、塾はあるんだ。大変だね」。
「よく学び、よく遊べ、だね。そして、よく食べろ、だね」。
「この焼き鳥、食べて、いいですか」。
「いいですよ。タコぶつもありますよ」。
すっかり、食べ物は売り切れとなった。
「今、丁度、3時半。おなかがいっぱいでも、家で、夕食はちゃんと食べるんだよ」。
「一ヵ月後に、おっちゃんたちに、けんちん汁を食べさせて貰ったことを言うんだよ」。
ご馳走さまの声を残して、少年たちは去って行った。
少年たちのよき思い出となったであろう。
勿論、おっちゃんたちにも。
それを潮時として、片付けに入り、2011年秋の"野点"の閉宴とした。
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今年も、残すところ、あと僅かとなりました。
今年は、災害の多い年でありました。
そうした中、このように、jienshaで、"野点"で、ブログで、と、遊んでいてよいものだろうか(ここのところ、ちょいと、仕事でも頑張っているが)と思いつつ、この連載を綴って来ました。
被災地で頑張っている人たちがいます。
闘病生活を送っている先輩もいます。
年老いた親御さんの世話をしている朋輩もいます。
人それぞれの境遇、立場、思いで頑張っているのであります。
マイ・ブログを楽しみとされている方もいます。
それにお応えするのも小生の務めとも思っています。
「継続は力なり」、連載をするには、それなりの根性も必要とするのであります。
一見、ちんたらしているようで、実はそうではないとも思っています。
今年も幾つかの連載を綴って来ましたが、今般、『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』の連載も完結に至ったことを喜びとする次第であります。

フォト:2011年11月23日

(完)
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by kazusanokami | 2011-12-24 23:58 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(6)
2011年 12月 23日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-13

愈々、この日のメイン・イベント、"野点"である。
"野点"の品書きは、事前評定で、「鰻の白焼き」と「けんちん汁」については決定済み、あとは、食材をみながら決めようということであった。
鰻の白焼きは昨秋の"野点"品書きを踏襲。
けんちん汁は、今年4月の「古寺巡礼/鎌倉ポタリング」の際、けんちん汁の元祖と云われる、建長寺を訪れたことによるものだ。
けんちん汁の由来を紐解くと諸説ある。
そのうちの建長寺に纏わる由来は、次の通りだ。
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建長寺の開山であった蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が崩れてしまった豆腐を野菜と煮込んで作った汁物に由来する。この汁物が、「建長寺汁」、「建長汁」と呼ばれるようになり、訛って「けんちん汁」になったというものである。
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坂道を下り、酒々井駅前の超級市場"SENDO"に到着。
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左/念入りに施錠中の大給守殿、中程左/貝波殿が愛馬、mc-nrt 号、右/焼きたて富良野メロンパン号。

酒々井の近く、tmst郷を領地となさる貝波守殿が、既に、超級市場"SENDO"を下見済みで、けんちん汁の、パック入り水煮野菜があることは掌握済み。

店内に入る。
先ず、パック入り水煮野菜をゲット。
〆は、矢張り、うどんですねぇと、うどんもゲット。

「昨秋同様、きのこと角切りベーコン炒めを食べとう御座りまするなあ」と、しめじとベーコンのブロックをゲット。

「醤油を買わねば」と、けんちん汁の提案者、大給殿。
「味噌味じゃないんですか」と貝波殿。
「おお、貝波殿も、矢張り、味噌味ですか。事前評定のとき、某は味噌味と申したので御座りまするが、大鍋奉行殿は醤油味と申されたので、そのように、と相成り居りまする」と上総。「では、醤油味から味噌味に変更しませう」と大鍋奉行殿。
「パック入りの味噌だと、残った味噌の処分が面倒に成りまするな」と上総。
「おっ、こちらにペットボトルの、出し入り味噌が御座りまするぞ」と武衛殿。
「おお、これは好都合」。
「お味噌なーら、ハナマルキ。おかあさーんの、ハナマルキの品に御座りまするな」。
味噌ひとつで、ええ歳したおっさん4人、否、武家風(???)の四人、大騒ぎ。
ペットボトル入り味噌をゲット。

「そうそう、けんちん汁には豆腐に御座りまする」と大給殿。
「大鍋奉行殿には申し訳なきことながら、某、豆腐の入った汁ものは、何やら、水臭くて、すかんので御座りまする。代わりに、薄揚げで如何でせうか。ちゃんこ鍋に入った薄揚げは、オイチーので御座るよ」と上総。
けんちん汁は大鍋奉行殿にお任せ致すと言いながら、あれこれと注文をつける上総であった。
薄揚げをゲット。

「焼き鳥は如何でせうか」。
「即、食べるには、宜しゅう御座りまするなあ」。
焼き鳥を数本、ゲット。

「タコぶつが食べとうござりまする」と大給殿。
「タコぶつ?居酒屋やねえ」と上総。
「あっ、ごめん、ごめん。鰻の白焼きとけんちん汁以外は、食材を見ながらやったね」と上総、余計なことを言ってしまったと、慌てて、前言訂正。
タコぶつをゲット。

「"野点"に水道があることは確認ずみなるも、ミネラル・ウォーター2リッター入りを1本、購っておきませう」。
「飲み物は、各自、お好みのものを」。
水系、飲料系もゲット。

「乾きものを少々」と、乾き物好きの上総。
乾き物もゲット。

随分な量の買い物となった。
大給殿と上総の背嚢は"野点"道具で満杯。
貝波殿と武衛殿にて、分け分けで。
貝波殿にはご負担、大なるも、貝波殿の愛馬、mc-nrt 号は、斯様なときに大活躍である。
超級市場"SENDO"を後にして、"野点"場所に向かう。

途中、佐倉の、あの「越後貫(おこぬき)歯科」の名には負けるだろうが、ちょいと、面白い、歯科医院を見つけた。
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これの何処が面白いかって?
「ひら歯科」、「ヒラシカ」、「ヘラシカ」、あの、大きな、箆のように平たい角を持つ「ヘラジカ(箆鹿)」のようで、ちょいと、面白いのである。
そして、「シカ」なのに、何故か、「カンガルー」の絵が添えられているのが、これまた、ちょいと、面白いのであった。

往路、酒々井駅前まで坂道を下って来た。
"野点"場所まで、再び、坂道を上る。
しんどい。
我ら以上にしんどいのは、貝波守殿である。
何せ、どっさり、食材が愛馬に積まれているのであるから。
心で感謝しながら、坂道を上り、"野点"へ向かう。

フォト:2011年11月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-12-23 23:53 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(0)
2011年 12月 21日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-12

"酒々井ばるびぞん村"の、大根畑での農作業風景や、落花生を干す風景などを眺めながら、"酒々井まがり家"に到着。
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暖簾をくぐり、店内へ。
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ドラポタ三人衆 +1 (+1 はこちら側)。
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店内観察用(???)ミラー。
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前垂れ。
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4日後には、酒々井新酒祭。
生唾、ごくり。
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店内にて、紅葉狩り。
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ずらりと並ぶ「三水偏に酉」。
奥には、もっと、ずらりと。
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「さんま」と「野に遊ぶ、鳥や蝶」の絵葉書を月斗する。

暖簾をくぐり、店を出る。
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最近、暖簾や旗印の裏側からの写真に凝っているのだ。

蔵元/株式会社飯沼本家を眺める。
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"三色" +1 を愛でる。
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"酒々井まがり家"の前では、テーブルの水洗い。
4日後に控えた、新酒祭りの準備に余念がない。
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こうして、遠くから眺めると、確かに「曲がり家」(L字型)である。
「曲がり家」と言えば、岩手県の遠野が有名だが、この建物は新潟県の「旧清野邸」を移築したものとのこと。

"酒々井まがり家"を後にして、愈々、この日のメイン・イベント、"野点"である。

フォト:2011年11月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-12-21 00:36 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(2)
2011年 12月 13日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-11

愈々、今回のポタリングのメイン・イベント、酒々井での"野点"だ。
佐倉から、R51、R76を走り、酒々井に向かう。
アップダウンあり。
アップ、アップばかりだったかもしれない。
この辺りも、北総台地らしい道だ。
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「酒々井まがり家」の標識に従い、R76を左折する。
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"野点"の前に「酒々井まがり家」へ立ち寄るのだ。
これは、成田在の御領主、貝波守殿の企画、案内によるものである。

しばらく走ると、右手に大根畑が見えて来た。
「酒々井 ばるびぞん村」と称するに相応しい風景だ。
「酒々井 ばるびぞん村/三景」。
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近くに、シルバーセンターの名の書かれた車が止まっていた。
農作業に励んでいる人たちは、シルバーセンターから派遣された人たちのようだ。
明るく、楽しげに、働く姿は、絵になる。

更に走ると、畑の中にブルーシートが被せられたものが点在する光景が現れた。
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「牧草が雨に濡れぬようにして居るので御座ろうか」と上総。
「いや、あれは、落花生に御座る」と貝波守殿。
「成程。落花生に御座りまするか。10月初旬、印西市の鳥見神社めぐりをしたとき、平岡の鳥見神社近くで、掘り起こした落花生を畑の土の上に並べ、乾燥させていた風景を見たことが御座りました。それを積み上げたものが、このブルーシートの姿に御座りまするな」と上総。
平岡の鳥見神社近くで見た、落花生畑が、これ。
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酒々井のブルーシート被せの落花生をアップで。
小粒の、落花生である。
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落花生の収穫と同様に、「おぎゅうさん らっかせいと たわむれて」の図が撮れたことも収穫であった。
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落花生、南京豆、ピーナッツ、我々は、いろんな呼び方をする。
ズベテ、意味は同じなのだが、使い分けをしているように思える。
落花生/殻つき、南京豆/皮つき、ピーナッツ/皮なし、というように。
斯様な仕分けをしているのは、筆者だけであろうか。

「酒々井 まがり家」まで、なかなか、辿り着かない。
寄り道が多いのは、毎度のことだ...。

フォト#1:大給守殿提供
フォト  :2011年11月23日
フォト#7:2011年10月 8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-12-13 23:58 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(4)
2011年 12月 13日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-10

佐倉城址から、左手に「歴博」を眺めながら、堀田家の菩提寺である、甚大寺へ向かう。
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新町の通りに入る。
通りの両脇には、歴代城主の名がはためいている。
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初代城主 土井正勝、十九代城主 堀田正睦、二十代城主 堀田正倫をカメラに収める。
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甚大寺とは。
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堀田家とは。
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堀田家墓所案内図。
ここを訪れるのは、2009年冬以来のことである。
そのときは、気付かなかった、右側、上から三つ目の「幾千子(松平)/茶祖松平不昧公ノ女(むすめ)」の文字に目を惹かれた。
それは、同じ年の秋、松江を訪れ、江戸時代の代表的茶人の一人で、不昧(ふまい)の号を持つ、出雲松江藩第七代藩主松平治郷(はるさと)に触れたからかもしれない。
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その墓所案内図をアップで。
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出雲松江藩主松平不昧の一人娘である、幾千子は、佐倉藩主第四代藩主にして、正俊系堀田家八代の、堀田正愛(まさちか)の側室となる。
堀田正愛は26歳で夭逝。そのとき、幾千子(謙映院)、21歳であったとのこと。
堀田正愛の墓は何処かと、堀田家墓所案内図を見たが、正愛の墓はここにはない。
調べてみると、日輪寺なる寺にあるとのこと。
日輪寺を調べてみると、東京都台東区西浅草にある、時宗の寺で、山号は神田山。
「堀田家の菩提寺であった」とある(過去形である)。
しからば、堀田正愛の正室は?と調べてみると、豊前小倉藩小笠原忠固の娘、鈴姫とある。
その墓は、甚大寺にはなく、日輪寺かと思いきや、「財政改革で行なった質素倹約は特に厳しいもので、自らもかなり質素にしていたという。そのため、譜代の名門から嫁いできた最初の正室鈴姫はあまりの質素さに驚いて離縁し、実家に戻った」とある。
といういうことは、松平不昧公の娘、幾千子は、側室ではなく、正室ということになる。
では、何故、幾千子の墓は、日輪寺ではなく、甚大寺にあるのだろうか。
墓を見ることは好きだ。
墓だけ見ていても、いろんなことが分かって来る、そして、更に、いろんな疑問が湧いてくる。
何れ、もう少し、詳しく調べ、疑問を解いてみたい。

先ず、右奥の、堀田正睦の墓所へ。
「あれれれっ」と思わず、声を発してしまった。
何と、墓所の前の灯篭が倒壊しているではないか。
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その近くに立てられた「地震の時は...」の文字が空しく見えた。
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正睦の墓石は倒壊を免れたか、のちに復旧されたのか、無事であった。
だが、墓所の門扉は斯くの如し。
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家紋が割れなかったのが、せめてもの救いだ。
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3月11日の大地震の凄さを、再び、ここで思い知らされた。
「龍角寺の石柱や灯篭も倒壊し、黄色いテープで立入禁止となっていましたが、ここはそれより酷いかもしれません」と上総、ドラポタ藩諸侯に語り掛ける。
「龍角寺は、復旧していましたよ。それと、ここも、一時に比べれば、随分と復旧したのですよ」と、夫婦連れの人が。
「そうですか。それはよかった。私が龍角寺へ行ったのは6月のことでしたから」と上総。
堀田家墓所も、早く、元の姿に戻ることを、唯々、祈るばかりであった。

狛犬。
狛犬は無事だったようだ。
入口近くの、上総、お気に入りの、狛犬をカメラに収める。
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墓所を出て、愈々、酒々井に向かうこととなった。
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この巻の前半は、説明書きのフォトが多く、つまらぬと言われる向きもあるかもしれないが、筆者にとっては、この説明書きは相当に面白く、資料の意味も兼ねて、掲載した次第。
関が原の戦い以降、激動の幕末、日清日露戦争、そして、3月11日の大震災まで、一気に、歴史を垣間見た、佐倉城下めぐりであった。

フォト:2011年11月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-12-13 01:07 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(2)
2011年 12月 11日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-9

麻賀多神社から佐倉城址へ向かう。
右手に「歴博」を見ながら、佐倉城址の入口に到着する。
地図と説明書きを詠む。
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説明書きの最後に「明治6年(1873年)第一軍管第二師営の衛所が築かれ、城の施設はことごとく壊された。その後、歩兵第二連隊、歩兵第五十七連隊などの兵営となった」とある。
これは、明治維新の「廃城令」によるものである。

「廃城令」とは、「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」のこと。
1873年(明治6年)、明治政府から大蔵省に発せられた、全国の城郭陣屋の財産所管方針の太政官達書。
陸軍が軍用として使用する城郭陣屋と、大蔵省に引渡し売却用財産として処分する城郭陣屋に区分された。
単に「廃城令」または「存城廃城令」と略されて使用されている場合が多い。
(出典:ウィキペディア)

先程、麻賀多神社から佐倉城址に向かう途中、市立佐倉中学校校門前で「大手門跡」の説明書きと写真を見た。
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写真には「明治5年ごろ阿部忠忱撮影」と添え書きされている。
阿部忠忱なる人物のことを調べてみた。
詳しいことは分からなかったが、「旧佐倉藩士、阿部忠忱」とあった。
佐倉藩士であった人物が、廃城になる直前に撮影したこととなる。
撮影するとき、旧佐倉藩士として、如何なる気持ちであったろうか...。

佐倉城址内に入る。
堀田 正睦(ほった まさよし)像。
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堀田正睦は、下総佐倉藩の第五代藩主、正俊系堀田家九代。
江戸時代末期の老中首座。
幕末において、攘夷鎖国は時代錯誤、一刻も早く諸外国と通商すべきという開国派であった。
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家紋は「堀田木瓜」。
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孤高の、紅葉。
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更に進む。
この辺りには、「銅櫓(あかがねやぐら)」と称される、櫓があったそうだ。
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佐倉城址は桜の木々が数多くある。
桜の季節には、随分な人出となるのであろう。
今回の「野点ポタ」は不出馬であった、佐倉在の御領主、印旛守殿をお誘いし、ここで、花見を遣ろうと皆で話した。
火気厳禁なので、野点は止め、豪華、幕の内弁当持参にて...。

フォト:2011年11月23日

(つづく)

       
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by kazusanokami | 2011-12-11 21:07 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(2)
2011年 12月 11日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-8

麻賀多神社から佐倉城址へ向かう。
その途中、佐倉城下を巡る際に絶対に見ておかねばならないものに出遭えた。
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2009年の冬、佐倉在の御領主、印旛守殿の案内で佐倉城下を巡った際、電柱に巻かれた看板で、この歯科の名を知った。
「あご抜き」にも見え、えらく、痛そうな、歯科の名前だなあと思った。
そんなことで、今回のドラポタ藩内への案内状には、佐倉城下めぐりとして、「武家屋敷」や「佐倉城址」、「堀田家菩提寺/甚大寺」に加え、「ちょっと、怖そうな看板/越後貫(おごぬき)歯科」も加えていたのであった。

斯様なことを申しては、「越後貫」さんに失礼になる。
ブログ上の、シャレとして、ご容赦願いたい。

で、冗談はさて置き、由来好きの上総、以前、「越後貫」姓について、調べたことがあった。
それは、盟友 imba_potter殿のブログ「印旛沼ポタリング日記」/2010年10月18日付「痛っ!」のコメント欄に書き込んだことがあり、それをそのまま、ここに引用する。
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Commented by kazusanokami at 2010-10-18 23:19
期せずして、一致!
実は、只今、連載中の第4話で「周年うなぎ」を綴っていたところなんです。
もうひとつは、「越後貫歯科」。
「宮小路町35」と地番の書かれた電柱の看板「越後貫歯科」をアップロードしたことがあるんです。
アップの日付を見たところ、2009年1月16日でした。
この歯医者さんの名、絶対に面白いですよね。
「荒井歯科」や「荒井皮膚科」(どちらも本当にある)より優しそうですね。
御徒町に「尾仲内科」というのもありますね。
医学は尊いもの、笑っちゃいけませんね。
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Commented by kazusanokami at 2010-10-19 05:35
=追伸=
小生の愛読書「歴史読本 日本の苗字 難読・珍姓苗字都道府県別ベスト10」を参照するも「越後貫」姓は挙げられていませんでした。
「珍名 越後貫」でネット検索したところ、「日本姓氏語源辞典」なるものが現れました。
これには「オゴヌキ/越後貫/千葉県。尾後貫と通用」と記されていました。
小生の愛読書によれば、苗字は地名に由来するとのことですので、「越後貫」で地図検索しましたが、地名では現れず、「越後貫歯科医院 千葉県佐倉市宮小路町13-5」が現れました。
「尾後貫」で地図検索しましたが、これも地名としては現れませんでした。
一方、weblio辞書に「尾後貫淳(おごぬきあつし)、サッカー選手、千葉市出身」とありました。
「越後貫」、「尾後貫」の地名は見付かりませんでしたが、「越後貫」、「尾後貫」姓の方に、「千葉県出身ですよね」と言えば、ほぼ"当たり!"ではないかと...。
《語源好き、苗字好き、調べ事好きの上総》
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寄り道が多過ぎる。
なかなか、佐倉城址に辿り着かない。
次回のアップロードは、必ず、佐倉城址を...。

フォト:2011年11月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-12-11 11:54 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(4)
2011年 12月 10日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-7

「次は、佐倉城址へ参りませう」と大給守殿。
武家屋敷から住宅街を抜け、大通りへ。
正面に神社が見える。
「麻賀多神社」である。
時間の都合もあるので、ここはパスしようとしたが、どんな神社なんだろうと、石段を数段、上がってみた。
何と、「社殿屋根公孫樹落葉之図」の如き風景が目に飛び込んで来た。
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神社を素通りしては、罰当たりとなる。
懇ろに、参拝する。
そして、境内の、紅葉や黄葉を愛でる。
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ミッキーと くまのプーさん、菊人形仕立て。
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七五三の季節である。
神社もディズニーに力を借りて、集客(???)、否、子供さんに喜んで貰おうと、涙ぐましき演出。
七五三に加え、初宮参りの家族も。
じいちゃん、ばあちゃん、パパ、ママ、あかちゃん。
大給カメラマンが「家族の肖像」撮影のサービスも。
小生も、数年前、赤坂日枝神社の石段で、同様に、家族の肖像を撮ってあげたことなど、何度か、家族の肖像カメラマンを務めたことがある。
そのとき、いつも、思うことがある。
それは、初詣、七五三などの季節に、神社に出掛け、終日、写真掛かりのボランタリーもよいのでは?ということである。
家族の誰かが写真を撮るということは、誰かが写真に欠けるということ。
それじゃ、今や、商魂に乗せられて(???)、家族の大イベントとなった、七五三の記念写真には成り得ない。
だが、家族の大イベントだから、写真館で家族の肖像を撮っているのかもしれないが...。

麻賀多神社は、佐倉藩総鎮守なんだ!
[#佐倉藩総鎮守、いい響きだ。
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手紙を綴るとき、その日付に「辛卯」を使って来た。
それも今年は、あと、僅かとなった。
来年は「壬辰」である。
龍もコレクションのひとつである上総、来年、この看板が如何なる龍の絵になるのか、楽しみである。

「甲子」。
次の訪問地、酒々井の酒だ。
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明治天皇御製。
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明治天皇は、どのような気持ちで、どのようなシチュエーションで、この歌を詠まれたのか、筆者はそれを知らない。
「復興に祈りを」の言葉が添えられており、素直に、明治天皇御製を理解したい。
この歌を頭の中で繰り返し、佳き歌だと思いながら、鳥居をくぐり、石段を下った。

フォト:2011年11月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-12-10 02:23 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(0)
2011年 12月 09日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-6

くらやみ坂を上り切ったところで、「古地図」で、しばし、遊んだ。
次は、武家屋敷だ。
ここを訪れるのは、2009年の冬以来だ。
旧但馬家住宅、旧武居家住宅、旧河原家住宅と、三つの武家住宅が並んでいる。
向こうの方から「武家屋敷の中を見学されたい方は、受付、こちらですよー」と、おばちゃんの、大きな声が聞こえる。
それに続いて、「土塁に上がっている方、土塁が崩れますので、降りてくださーい」と、おばちゃんの声が。
先程、風車のところで柵内に入り、「子供さんが真似しますので」と注意を受けたが、これで、この日、二回目のイエローカード。
二回目は上総ではない、某殿さま。
旧但馬家の門扉が閉まっていたので、土塁に上がり、生垣越しに中を覗こうとしたようだ。
「門扉と生垣の隙間から中が見えるように御座りまするぞ」と上総。

旧河原家住宅の前で「今日の jitensha」を撮ろうと、愛馬を並べ始めた。
そこへ、件のおばちゃんが飛んで来て、「通行の邪魔になりますので、自転車はあちらにお止めください」と。
「屋敷前で、今日の愛馬を写真に撮るだけです」。
「はい、それなら結構です」。
仕事熱心な、おばちゃんは、この方(写真、右)。
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「今日の jiensha」。
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「あちらに、児玉源太郎さんが住んでいました。今は、もう、家はありませんが」、続けて、「もう直ぐ、NHKで『坂の上の雲』の第三部は放送されますので、訪れる人が増えると思います」、更に続けて、「旧堀田邸は、今、イベント開催中です。是非、そちらにも、どうぞ」と、やはり、仕事熱心な、おばちゃんであった。
「我らは、自称、殿さま、jitensha は愛馬と称して、遊んで居りまする。今から、酒々井方面に参らねばなりませぬ故、旧堀田邸は次回に楽しみとさせて戴きまする」。
因みに、旧堀田邸は、明治時代に建てられたもので、最後の佐倉藩主、堀田正倫が江戸から佐倉に移り住んだ邸宅。

武家屋敷通りの、旧河原家住宅を、ちょっと、覗いてみる。
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武家屋敷通りの角に、一輪、大きな椿が咲いていた。
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映画「椿三十郎」の、三船敏郎 vs 仲代達矢の殺陣を思い出しながら、愛馬に鞭をひと打ちし、武家屋敷を後にするのであった。

フォト:2011年11月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-12-09 01:22 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(2)
2011年 12月 08日

『ドラポタ藩/酒々井"野点"ポタ』 sn-5

「くらやみ坂」を上り切る。
古地図が掲示されている。
古地図を見ると血が騒ぐ。
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「先ほど、走った、外堀と土塁はこの辺りで御座ろうか」、「何故、道沿いに土塁があったので御座ろうか」、「土塁の向こうは住宅地になっていたから、侍長屋でもあったので御座ろうか」、「川が溢れたときの備えとしての、土塁であったので御座ろうか」などと、古地図を眺めながら、あれこれと、想像し...。

古地図の上段に、少しだけ足が写っているが、それは、このお侍。
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JR佐倉駅で見た、ゆるキャラ武将とは、また、異なった趣きが、いと、よろし。

古地図の最下段の文字を見て、またまた、血が騒ぐ。
その文字をアップしませう。
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普段から、撮った写真を「〇〇之図」などと称して遊んでいることから、「この図は『総州佐倉御城府内之図』より引用」の文字を眺めながら、「総州佐倉御城府内之図」、やっぱり、カッコいい、などと、大はしゃぎであった。
「武家屋敷」は、直ぐ、目と鼻の先ながら、「古地図」で、彼是、15分くらい遊ばせて貰った。

武家屋敷に到着。
武家屋敷の角の標識の上にも、先程、見た、きりっとした、お侍の姿が。
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お侍が、少し、ちょん切れており、更に、電線が写っていたので、角度を変えて撮っていた、もう一枚を。
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フォト:2011年11月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-12-08 01:35 | 秋の"野点"ポタ2011 | Comments(0)