『上総守が行く!』

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カテゴリ:赤穂浪士討入凱旋の旅( 7 )


2012年 12月 12日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-4

越中島から月島を経由して勝鬨橋に至る。
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勝鬨橋からの眺めもなかなか結構なものだ。
左手の聖路加病院を眺める。
「越中島は番外編。浪士たちの歩いた道へ軌道修正し、聖路加病院の方へ行きませう」。

聖路加病院。
浅野家上屋敷跡の碑を眺める。
そして、芥川龍之介生誕地に関わる案内板を眺める。
芥川龍之介が短編小説「或る日の大石内蔵助」を著しているのも何かの縁か...。

築地本願寺。
浪士の一人、間新六の供養塔を拝す。
間新六は、父、喜兵衛、兄、間十次郎お供に吉良邸に討ち入った。
何故、ここに間新六の供養塔があるのか、それを綴ると長くなるので、ここでは割愛し、「泉岳寺」の項で述べてみたい。

料亭『つきじ田村』の前を通り過ぎる。
「昔、この店で五万円の昼飯を喰ったことがありますよ」。
「それじゃ、我らも五万円には及ばぬも、二千五百円のビーフ・シチューの昼餉と参りませう」。

久方ぶりの「銀之塔」。
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箸を付けてから、おっと!グルメ写真やった!と気付く。
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昼餉を終える。
「歌舞伎座の前を通って参りやせう。本日は中村勘三郎さんの追悼ポタでもありますんで」。
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『赤穂浪士討入凱旋の旅』での歌舞伎座前の能書きは「四十七士は、まさか、自ら関わった事件が『仮名手本忠臣蔵』、『元禄忠臣蔵』として歌舞伎になるとは思いもしなかったでしょう...」というものであるが、この日は中村勘三郎さんを偲んで静かに通り過ぎた。

中村勘三郎の舞台は残念ながら観たことはない。
しかし、「野田版 鼠小僧」、「野田版 研辰の討たれ」、「大江戸りびんぐでっど」など幾つかのシネマ歌舞伎で愉しませて貰っている。
来年も松竹系映画館で数々のシネマ歌舞伎の上映が予定されている。
今一度、中村勘三郎の軽妙な喋り口を愉しんでみたい。

歌舞伎座前を抜け、昭和通りを走る。
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昭和通りは、関東大震災の復興事業として造られた道路である。
その昔、船入堀(船を入れるための人造の港)だったそうで、道ではなかった。
浪士たちは木挽町あたりを通ったのかもしれない。
因みに、木挽町は浅野内匠頭舎弟大学の屋敷があった場所でもある。

昭和通りから第一京浜を走る。
寄り道したきところは多けれど、泉岳寺に向け、ひたすら走る。
泉岳寺に到着!
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フォト:2012年12月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-12-12 10:58 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(4)
2012年 12月 11日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-2

両国橋東詰から永代橋東詰に向う。
「今日は松尾芭蕉は素通りしませうな」、「そうしませう、そうしませう」。
この辺りは松尾芭蕉ゆかりの地、芭蕉記念館、芭蕉庵史跡展望庭園、芭蕉神社などがある。
例年、討入凱旋ポタの際に立ち寄ることにしているが、今年は9月に「深川・千住ポタ/"奥の細道"ゆかりの地を訪ねて」で立ち寄り済みなので、素通りすることにした。
と言いながら、芭蕉記念館の紅葉がちょっと気になり、前庭を覗いてみた。
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「いろづくやとうふにおちてうすもみじ」。
1677年(延宝5年)、芭蕉34歳の頃の作。
芭蕉は、この頃、宗匠となり、職業的な俳諧師となったと言われている。
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その3年後の1678年(延宝8年)、深川隅田川畔、現在の芭蕉記念館の辺りに草庵を結び、この庵が芭蕉庵と呼ばれるようになった。
芭蕉が、弟子の河合曾良を伴い、江戸から「奥の細道」に出立したのは、松の廊下事件の起こる12年前、1689年5月16日(元禄2年3月27日)のことであった。
討入本懐を遂げた浪士たちが吉良邸から泉岳寺に向う際、この辺りを通ったことであろうが、その頃、芭蕉庵が残っていたかどうかは定かではない。

永代橋東詰の乳熊ビルに立ち寄る。
乳熊ビルは、元・酒屋。
その昔、乳熊酒店の店主は泉岳寺に向かう浪士たちに湯茶を振舞ったとのことである。
毎年、この時期、甘酒や味噌がここで売られている。
勿論、甘酒が振舞われる。
金山寺味噌と山椒味噌を購う。

永代橋を渡る。
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朝の逆光に映える大川端リバーシティ21の眺めは、いつも楽しみな風景のひとつだ。

大川右岸を少し走り、中央大橋に至る。
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中央大橋から永代橋、そして、その向こうに聳える東京スカイツリーの風景を楽しむ。
そして、手が直ぐに届きそうな、手前のブロンズ像の《背中》も楽しむ。
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ブロンズ像は、オシップ・ザッキン作"Le Messager"。
"Le Messager "は1937年の「パリ万国博覧会」に出品された作品(木彫像)で、それを鋳造したのが、このブロンズ像である。
当時の万国博覧会の案内によると、「船を大切に抱き運ぶ姿は、海外に船を派遣するフランスの守護神を表したもの」とされている。
1992年にパリと東京の友好記念としてパリ市から東京都に寄贈されたものである。

中央大橋を渡り、大川端リバーシティ21をぐるっと回り、相生橋を経て、東京商船大学(現・東京海洋大学越中島キャンパス)に向う。

フォト:2012年12月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-12-11 11:48 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(2)
2012年 12月 10日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2012』 at-1

義士12月8日、毎年恒例の「赤穂浪士討入凱旋の旅」に出掛けた。
メンバーは、大給守殿、伊豆守殿、武衛殿、南国守殿、そして、上総の5名。
「赤穂浪士討入凱旋の旅」のコースには、数多の立ち寄り先があるが、年末恒例討入の初陣である南国守殿へのご案内として、コースA(上総の勝手な命名)+アルファを選んだ。
本ブログでは、更に、そのハイライトをアップロードすることとしたい。

今日の jitensha+1、JR両国駅前にて。
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右から、伊豆守殿、上総、大給守殿、南国守殿が愛馬。
本年の討入で特筆すべきことは;
一、伊豆守殿、新馬、BD-1 アルフィーネを駆っての出陣。後輪のハブの太さに注目!
二、本年、ドラポタ藩に仕官した南国守殿、年末恒例討ち入り初出陣!
三、この日、所用ある武衛殿、愛馬なしの徒にて、朝だけ、凱旋抜き、吉良邸討ち入りのみに出陣!(その訳は後ほど)
四、反省会に、武衛殿と共に美作守殿、伊勢守殿、信濃伊那守殿、乱入!(その訳は後ほど)

騎馬四騎、御徒一人の都合、五浪士、本所松坂町吉良邸に、否、吉良祭・元禄市に討ち入り!
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「吉良祭・元禄市」。
吉良邸跡で、吉良上野介と赤穂浪士達の供養祭が行われ、会場周辺では衣料品や瀬戸物の市、ちゃんこ屋台などが軒を連ねる、毎年恒例の行事。
我らの「赤穂浪士討入凱旋の旅」は、この「吉良祭・元禄市」、若しくは、12月14日の「泉岳寺・義士祭」に合わせて挙行している。

吉良邸跡。
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写真奥に、一昨年、設けられた、吉良さんの坐像が見られる。
吉良上野介義央(よしひさ)の領国、吉良郷(愛知県幡豆郡吉良町、現・西尾市)では、今も愛着を込めて「吉良さん」と呼んでいると聞き及んでいる。
吉良悪者論は芝居や映画の世界でのこと、今や、吉良郷のみならず、何処においても「吉良さん」と呼ぶようになればと、忠臣蔵、赤穂浪士ファンの小生はいつもそう念じている。
然様に申す小生、赤穂浪士ゆかりの地ばかりを訪問していては片落ち故、2006年の夏、吉良郷を半日掛けて、ゆっくりと巡らせて貰ったことをここに申し添えておこう。

四十七分の五士、整列!(フォト/大給守殿提供)
討ち入りは、火事装束であったとも云われており、胡桃兜の姿は正しいかも...。
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屋台の並ぶ通りを散策。
忠臣蔵、赤穂浪士関連の書籍を販売しているところで足を止めた。
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「この書籍は、ここにある限りで絶版になります」。
「そうですか。以前、中島先生の本を買わせて貰ったこともありました」。
「先生、居られますよ」。
「お久し振りです!中島先生!」。
「何処の何方でしたでせうか」。
「数年前、cg大学の秋季特別講座で先生の話を聴講させて戴いた者です」。
「そうですか、そうですか」。
「その後も、泉岳寺の境内でお会いし、ご挨拶したことも。毎年、この頃になると、こうやって、本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺を巡っています」。
「そうですか、そうですか。今日は本所松坂町ですが、14日には泉岳寺におります」。
「14日は泉岳寺の義士祭ですね。では、そのときにまたお会いしませう」。
折角の機会であり、写真を撮らせて戴き、店を離れた。
「先生と呼んでいた、あの方は何方ですか」と大給殿。
「あの方は財団法人中央義士会理事長で、元禄赤穂事件の研究をされている中島康夫さん。中島さんは資料重視で、資料にない史実は史実ではないという考えの人。フィクション、ノンフィクションを綯い交ぜにして、忠臣蔵、赤穂浪士で遊んでいる小生が声をお掛けするような御方ではないのですが、ついつい、声を掛けたくなってしまうんですよね。因みに、中央義士会の『忠臣蔵検定』の過去問をやったことがあるんですが、これこれは何の資料に出ているでしょうかというような設問で、これがなかなか難しいんですよね」と上総、ついつい、饒舌となる。

吉良まんじゅう/両国大川屋。
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新橋・新正堂の「切腹最中」に比べれば知名度は低いが、派手さのないのが奥床しいとも言える。
9月下旬の「深川・千住ポタ/"奥の細道"ゆかりの地を訪ねて」の際に、吉良饅頭を頂戴したことでもあり、今回は、まだ、朝で、"国技館謹製ちゃんこ"も頂戴せねばならないので、店先の写真のみに留め、饅頭はパスさせて貰った。

国技館謹製ちゃんこ。
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朝9時過ぎ、まだ、屋台の準備は出来ていなかった。
吉良邸跡や通りの店々を冷やかしながら、暫らく、様子を見ることにした。
というのは、昨年も同じ9時頃であったが、鍋は用意されており、鳥ちゃんこも煮えているように思え、屋台の親爺さんに声を掛けたところ、10時開店ながら、早朝時間外特別サービスでお椀によそってくれた。
今年もそれでと思いながら、再び、店を覗いたが、様子は変わっておらず、店の親爺さんに声を掛けたところ、昼をターゲットにしているので、鍋も何も準備出来ていないと。

この日、東芝対燦鳥闘球観戦の予定がある武衛殿は、この国技館謹製の鳥ちゃんこ食べたさに徒&電車で出陣したにも拘らず、これにあり付けぬこととなった。
「これじゃ、武衛殿が気の毒じゃのう」。
「通りの中程に、いつも素通りしている、ちゃんこがありましたのう。鳥じゃなく、カニちゃんこじゃが」。
「それを食らうとしませう」。
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吉良邸跡から回向院に向う。
回向院は、9月の「深川・千住ポタ/"奥の細道"ゆかりの地を訪ねて」の際に"オマケ"として立ち寄り済み。
その際、吉良邸討ち入りとの関わりや鼠小僧の墓などにつき、その能書きを述べているので、大人しく、回向院をあとにし、両国橋東詰に向う。

「日の恩や忽ち砕く厚氷」。
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この句は、四十七士の中で、一際、文武両道に秀でた浪士の一人である、大高源五によるものと云われている。
大高源五は、松尾芭蕉翁の一門、宝井其角と交遊があり、討ち入り前に、源五が煤払竹売りに身をやつし、吉良邸を探索していた最中、両国橋辺りで其角と遭遇し、其角の「年の瀬や水の流れも人の身も」の発句に対し、源五は「あした待たるるこの宝船」と返とのエピソードもある。
大高源五の句碑の向こうにある「表忠碑」は大山巌元帥の書によるものである。
この辺りは、一時期、工事中でごちゃごちゃしていたが、整備が終わり、由緒ある橋や碑に相応しい場所に変貌した。

「ももんじゃ」。
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ぼたん鍋の店である。
この店と回向院の鼠小僧の二枚組みで、来る年の還暦を自ら祝って、「行く年来る年」と題し、ブログにアップロードしたこともあった。
年明けの厳冬期、ハリフィル・メンバー集まっての越知谷ロッジ/ぼたん鍋パーティーの日程も決まった。
ハリフィル・メンバーやから「ぼたん鍋」より「しし鍋」と言った方がよいかもしれない(それは何故かは深く問わないこと)。

大川沿いを走り、永代橋東詰に向う。

フォト:2012年12月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-12-10 18:53 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(4)
2011年 12月 28日

『赤穂浪士討入凱旋の旅 2011』

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師走恒例の「赤穂浪士討入凱旋の旅」に出掛けた。
コースは、本所松坂町吉良邸跡から、目指すは、高輪泉岳寺。
討入は12月14日なれど、ウィーク・デイ。
勤め人である手前、それに先立つ休日の、12月10日の土曜日に挙行。
メンバーは、大給守殿、伊豆守殿、武衛殿、そして、上総の四名。
四十七士には、ちょいと、否、随分と足りないが...。

集合場所は、JR両国駅西口改札前。
JR両国駅ホームに降り立つ。
愛馬、ベデワン・ホワイトを携えて、階段を、とん、とん、とん、と、下り、改札口へ向かう、と申したきところながら、階段を、よっこらしょ、よっこらしょ、と、下り、改札口へ向かう。
階段を下り切ったところで、大きな掲示板に張られたポスターの出迎えを受けた。
大書された、「忠臣蔵」の文字。
「忠」の文字の中に浮かび上がる「松の大廊下事件」の模様。
「臣」の文字の中に浮かび上がる「堀部安兵衛武庸」の雄姿。
「蔵」の文字の中に浮かび上がる「大石内蔵助良雄」の雄姿。

テレビ東京、恒例の新春ワイド時代劇は、「忠臣蔵」なのだ!
1月2日、夕方4時から一挙7時間の大放映!。
配役は;
堀部安兵衛/内野聖陽
堀部ほり/常盤貴子
大石内蔵助/舘ひろし
ということは、堀部安兵衛夫婦を中心に展開していく物語のよう。

丁度、今、読み進んでいる小説がある。
加藤廣著「謎手本忠臣蔵」(新潮文庫)。
そろそろ、堀部安兵衛の登場である。
上巻245頁で、次のように綴られている。
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堀部安兵衛(馬廻、二百石、三十二歳)。
学識も教養も家中では抜きんでているが、問題は性格。
人呼んで「喧嘩安兵衛」といわれるくらいの直情な単純男である。
一度こう決めたらテコでも動かない、コチコチ頭の武辺者。
それだけに主君の最大のお気に入りであった。
逆に、内蔵助にとっては、家中一番の「御しがたい悍馬(あばれ馬)」であった。
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内野聖陽が堀部安兵衛を如何に演じるか、楽しみである。
常盤貴子は、大好きな女優さんの一人だ。これも楽しみである。
気障っぺ、舘ひろしは、余り、好きな役者はんやおまへんが、声はええ声してはる。
馬面の内蔵助がどんなんかも、楽しみ、楽しみ。
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「生きてこそ。死してなお。」。
泣けてくるやうなキャッチコピー!
正月が待ち遠しい、今日この頃に御座りまする。

フォト:2011年12月10日,JR両国駅構内にて
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by kazusanokami | 2011-12-28 21:39 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(2)
2011年 12月 12日

『風景/萬松山の紅葉』

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フォト:2011年12月10日
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by kazusanokami | 2011-12-12 00:43 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(2)
2011年 12月 12日

『風景/橋の見える散歩道』

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フォト:2011年12月10日
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by kazusanokami | 2011-12-12 00:32 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(0)
2011年 12月 10日

『師走の、或る風景』

師走です。
今日、毎年恒例の「赤穂浪士討入凱旋の旅」に出掛けました。
本所松坂町吉良邸跡から高輪泉岳寺に至る途中、芝増上寺で斯様な立て札を見ました。
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「除夜の鐘 法楽(大晦日)」、師走を感じさせます。
じゃが、「一般鐘つき整理券(二千円)若干枚」は、商魂逞しい感じもします。
増上寺さん、増長してはなりませんよ、増長寺などと呼ばれないように、と申しては罰が当たるでしょうか...。

フォト:2011年12月10日
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by kazusanokami | 2011-12-10 23:23 | 赤穂浪士討入凱旋の旅 | Comments(2)