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2009年 09月 30日

『伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/江戸編』 im-5

高橋景保の墓。
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高橋至時の子。
幕府天文方にして、伊能忠敬の死去の後、3年を要して、「大日本沿海輿地全図」を完成。
シーボルト事件に関与した罪で、幕府に捕らえられ、獄死。合掌。

高橋景保の墓の左隣りにある碑。
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碑の表に刻まれた文字。
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碑の裏に刻まれた、シーボルトの言葉。
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シーボルトの言葉の和訳。
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「余は(此)海路の詳細なる形(図)と多少水路学的観察をも報ずるを得たるは吾等に同行せる日本人の好意と下(関)の余の友人の援助 殊に余の忘れ得ざる援護者たる幕府天文方高橋作衛門に感謝せざるを得ず-シーボルト-」

筆者注)
括弧内の文字は筆者の推測。
文中の「作衛門」は高橋景保の通称。

フォト:2009年9月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-09-30 21:04 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(4)
2009年 09月 29日

『伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/江戸編』 im-4

上野/源空寺。

「大日本沿海輿地全図三人頭」の一人、高橋至時の墓。
高橋至時は、幕府天文方にして、伊能忠敬の師。
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「大日本沿海輿地全図三人頭」の一人、伊能忠敬の墓。
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下総国香取郡佐原村(現・千葉県香取市佐原)にて商いを営み、50歳のとき、家督を譲った後、江戸に出て、高橋至時に師事し、測量・天文観測を修める。
56歳のとき、第一次測量(蝦夷地)に着手し、72歳のとき、第十次測量(江戸府内)を行い、16年に亘る全国の測量を終える。
享年74歳。

高橋至時の墓に刻まれた「東岡」は、高橋至時の「号」。
伊能忠敬の墓に刻まれた「東河」は、伊能忠敬の「号」。

墓石の側面に刻まれた文字は、以前であれば、根気よく、ノートに書き写したものですが、残念ながら、今や、これほどの文字が並んだ漢文を書き写す、その根気はなくなりました。
今回は、側面に刻まれた漢文の最初の部分だけ、カメラに収めました。

高橋至時の墓の側面には、「君姓高橋氏諱至時...」と刻まれています。
伊能忠敬の墓の側面には、「東河伊能君...君諱忠敬字...」と刻まれています。

日本人男子名の構成要素を漢文表現と比較すると以下のようになります。

<日本の固有表現>→<漢文表現>
・家名(カメイ)・名字(ミョウジ) →氏(シ)
・通称・仮名(ケミョウ)・あざな→字
・氏(ウヂ) →姓(セイ)・本姓
・姓(カバネ)→対応なし
・諱(イミナ)→諱

高橋至時と伊能忠敬の墓石に刻まれた漢文には、これらの文字が見られます。

お墓を見ながら、いつも思うこと、それは、お墓にはいろんな情報が盛り込まれているということと、勉強せねばならないことがいっぱいあるなあということです。
いずれ、墓石に刻まれた漢文を全文を読み下してみよう(否、インターネットで、探してみよう)と思います。

続いて、「大日本沿海輿地全図三人頭」の最後の一人、高橋景保の墓前へ。

フォト:2009年9月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-09-29 22:22 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(4)
2009年 09月 28日

『伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/江戸編』 im-3

9月19日、「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」の第1回目として、江戸府内ゆかりの地を巡る、都内ポタリングに出掛けました。

丁度、秋の彼岸の頃。
伊能忠敬さん、間宮林蔵さんの墓参に相応しい時節です。

JR日暮里駅まで輪行。
千駄木の「ファーブル昆虫館」に立ち寄った後、上野へ。
(「ファーブル昆虫館」は、追って、別途のブログにて...)

上野/源空寺。
この寺が、「大日本沿海輿地全図三人頭」、高橋至時、伊能忠敬、高橋景保の墓所です。
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道を挟んで、寺の向いが墓地。
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墓地入り口の門柱には、「源空寺墓地」に加え、「史蹟墓地」、「史跡 高橋至時墓」、「史跡 伊能忠敬墓」と刻まれています。
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墓地に入ると、左側、手前から奥に向かって、シーボルトの言葉が刻まれた碑、高橋景保の墓、高橋至時の墓、伊能忠敬の墓が並んでいます。
補足ながら、高橋至時、景保親子の墓の間に、幡随院長兵衛夫妻の墓があります。
(「幡随院長兵衛夫妻の墓」は、追って、別途のブログにて...)
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高橋至時、伊能忠敬、高橋景保の墓前で合掌。

墓石に刻まれた文字、そして、碑に刻まれた文字を、ひとつずつ、見ていきました。

フォト:2009年9月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-09-28 21:07 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(2)
2009年 09月 28日

『伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/序』 im-2

ポタ企画に続き、昔、勉強した日本史を"復習"。
昔と異なり、今はインターネットでwikipediaその他を参照することにより、簡単に"ベンキョー"することが出来ます。
有難い時代です。

<伊能忠敬>
1745年(延享2年)、神保貞恒の次男として、上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町小関)で生まれる。

1762年、18歳のとき、下総国香取郡佐原村(現・千葉県香取市佐原)の伊能家に婿養子に入り、商人として、酒造、醤油醸造、貸し金業、水運などに携わる。

1794年、50歳のとき、家督を長男に譲り、隠居。

翌1795年、江戸に出て、江戸幕府の天文方、高橋至時に師事し、測量・天文観測などを修める。

1800年、56歳のとき、第一次測量(蝦夷地)を開始。1816年、72歳のとき、第十次測量(江戸府内)を行い、16年に亘る測量を終える。

その2年後、1818年(文化15年)、74歳で死去。

伊能忠敬の死去の後、3年を掛けて地図の作成作業が進められ、1821年、「大日本沿海輿地全図(ダイニホンエンカイヨチゼンズ)」、所謂、「伊能図」が完成する。
仕上げ作業に携わったのは、伊能忠敬の師である高橋至時の子、高橋景保であった。

1828年、この日本地図を国外に持ち出そうとしたことが発覚し、これに関与した蘭学者などが処罰された。
これが世に言う「シーボルト事件」である。

このとき、高橋景保もこの事件に関与したとして処罰され、獄死した。高橋景保の関与が発覚したのは、シーボルトが間宮林蔵に宛てた書簡を、間宮林蔵は開封せず、そのまま、幕府に差し出したことによるものと言われている。
シーボルトが間宮林蔵に宛てた書簡の内容は、間宮林蔵が蝦夷地で収集した押し葉の標本を譲って欲しいというものであったが、その他に、地図持ち出しについて、高橋景保が関わっていることも書かれていたとのことである。

当時、外国人と直接、書簡を交わすことは御法度で、間宮林蔵はそれに従い、受け取った書簡をそのまま幕府に差し出しただけのことであったが、高橋景保は伊能忠敬の師である高橋至時の子であり、伊能忠敬の弟子である間宮林蔵は、師の師の子を告発する結果となり、高橋景保の処罰、獄死という悲劇を生んでしまったのである。

不幸な出来事ではあったが、上野の源空寺には、「大日本沿海輿地全図三人頭」、伊能忠敬と、高橋至時、景保親子の墓が並んでいる。

<間宮林蔵>
1780年(安永9年)、常陸国筑波郡上平柳村(茨城県筑波郡伊奈町、現・つくばみらい市)の農民の子として生まれる。

当時、幕府は利根川東遷事業を進めており、間宮林蔵の生家の近くの堰、「岡堰」の普請を行っていた。この作業に加わっていた間宮林蔵は、幕府に地理や算術の才能を見込まれ、幕府の下役人となった。

1799年、19歳のとき、南千島に派遣され、測量で同地にいた伊能忠敬の下で測量技術を学び、西蝦夷地を測量した。

1808年、幕府の天文方、高橋景保の命により、松田伝十郎と共に樺太を探索し、樺太が半島ではなく、島であることを確認した(島であることは、既に、先住民の間では知られていることであったので、「発見した」ではなく、「確認した」という表現が正しいようである)。

日本では、樺太(サハリン島)と大陸の間の海峡を「間宮海峡」、或いは、「タタール海峡」と呼んでいるが、シーボルトは、その著書「日本」の中で、海峡を「Kanaal van Tataryen(タタール海峡)」、海峡の最狭部を「Str. Mamiya seto 1808(間宮の瀬戸)」と記しており、諸外国では、タタール海峡(英語:Tatar Strait、中国語:韃靼海峡など)と呼ばれている。

続いて、翌1809年、現地人の船で樺太から大陸に渡り、黒竜江(アムール川)の下流域を調査。

1811年、勘定奉行 遠山景晋の配下となり、幕府の隠密として全国各地で活動した。

1844年(天保15年)、64歳で死去。

間宮林蔵の「シーボルト事件」(1828年)への関わりは前述の通り。

ポタ企画/事前調べや"復習"など、随分、前置きが長くなりましたが、この事前ベンキョーで、「ゆかりの地ポタ」の楽しさは倍増。

では、「ゆかりの地ポタ」に出掛けることとします。

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-09-28 06:21 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(2)
2009年 09月 27日

『伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/序』 im-1

伊能忠敬/1745年(延享2年)~1818年(文化15年)
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間宮林蔵/1780年(安永9年)~1844年(天保15年)
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9月5日、「小貝川ポタ/利根川合流地点を目指して」と題し、小貝川沿いをポタ。
このポタは、”予習”をすることなく臨んだので、帰宅後、走ったコースをトレースしながら、橋の名や地名などを地図で確認していたところ、稲豊橋から新岡堰に至る間に「間宮林蔵生家/記念館」があることが判りました。

間宮林蔵の師、伊能忠敬ゆかりの地、佐原は古い町並みが残っており、時折、写真を撮りに行ったり、鰻を食しに行ったりで、いつも、親しみを感じている町。
勿論、伊能忠敬の旧宅や記念館を訪れたこともあり、伊能忠敬さんにも親しみを覚えているところでもありました。

「小貝川ポタ」で、偶然、間宮林蔵のゆかりの地を知ることとなり、これ、よき切っ掛けと思い、「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」と題し、ポタリングすることとしました。

ポタ企画/「ゆかりの地」事前調べ(2009/9/10)

<佐原>
①伊能忠敬銅像/佐原公園
②伊能忠敬旧邸(小野川を挟んで撮影のこと)
③忠敬橋(チュウケイバシ)※忠敬橋/旧邸/樋橋
④伊能忠敬記念館
⑤観福寺/遺髪を納めた”参り墓”(佐原市街から数キロ外れ)

<伊奈町>
①間宮林蔵生家
②間宮林蔵記念館 Tel:0297-58-7701 09:00-16:30、月曜休館
③専称寺
a)「間宮林蔵墓」(樺太探検前に自ら建立)
b)顕彰碑「間宮先生埋骨之地」(墓前)
④岡堰中の島
⑤水神岬

<都内>
①源空寺(台東区東上野6-19-2)
②源空寺墓地(道路を挟み、寺有地に墓)
a)伊能忠敬の墓
b)高橋至時の墓
c)高橋景保の墓
※播随院長兵衛の墓
③富岡八幡宮/伊能忠敬銅像
④本立院/間宮林蔵の碑(?)(江東区平野1-14-7) Tel:03-3641-6814
⑤本立院/間宮林蔵の墓(江東区平野2-7-8) ※本立院と墓地が離れている?

<宗谷岬>
①間宮林蔵銅像(モニュメント「日本最北端の地」手前)※2006年、同地訪問時の銀塩写真が残っている?
②石碑「間宮林蔵渡樺の地」(岬から車で5分) ※立ち寄っていない。

<大崎下島>
御手洗地区/菊本家住宅(伊能忠敬、1806年3月30日から三日間、瀬戸内海/大崎島一帯を調査した際に宿泊)
2008年11月、「しまなみ海道+プラスアルファ・ポタ」でのデジタル写真、あるはず。

<その他>
測量のために全国行脚。「ゆかりの地」は全国各地に亘るも、それらを訪ねることは、叶わず。

「ゆかりの地」事前調べに続いて、昔、勉強した日本史の"復習"も。

フォト:
伊能忠敬立像/2009年9月23日/佐原公園内
間宮林蔵立像/2009年9月22日/間宮林蔵記念館前

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-09-27 18:16 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(4)
2009年 09月 25日

『週刊ダイヤモンド 9/26』

連休初日の、9月19日付新聞広告。
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連休明けの、9月24日、kiosk の前を通ったとき、新聞広告を思い出し、購入。
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ビジネス誌で、jitensha がどのように語られているのか、目を通すのが楽しみです。

フォト:2009年9月25日
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by kazusanokami | 2009-09-25 06:47 | jitensha | Comments(0)
2009年 09月 25日

『東雲守のロンドン&パリ報告』

9月20日、東雲守夫妻来訪。
東雲くんより、過日、訪れたロンドン&パリの様子につき、レポートあり。

「ロンドンの自転車事情。歩道に設けられた駐輪バーに、駐輪しています」。
「ロンドンの町をjitenshaで走ってみたいなあ」。
「自転車は、いっぱい、走っているけど、手信号で片手運転、トラックなども走っているし、危なそう」。
「得意の裏道、細道を...」。
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最近、日本では、サドルをぶら下げる形の駐輪バーを設けたところがあるそうです。

「これは、何かな?」。
「ユーロスターの車内誌」。
「父は、こういう、時宜を得た写真がお好み。良き取材!」。
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「パリにも、近々、ユニクロがオープンします」。
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「パリの自転車事情です」。
「あの、巴里のレンタル・サイクル"Velib(ヴェリブ)だな」"。
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小生が取材した"Velib"は、2007年10月、香港に出張中、ホテルで見たテレビ放送からで、画像が粗く、レンタル・サイクルがお洒落な姿をしているらしいという程度で、具体的に、どのような姿をしているのか、今ひとつ、よく分かりませんでした。
今回の東雲くんの取材フォトでしっかりと分かりました。
最近、読んだ「自転車会議!」でも、Velibのことが語られており、東雲くんの取材は時宜を得たものでした。

「ところで、東雲くん、何故、斜めの写真が多いのかな?」との父の問いに対し、「広角の代わりです」、だとさ。
構図の取り方は教えたことがありますが、斜め撮りは東雲くんが多用する独自の手法です。

東雲くんは欧州自転車事情などブログ・ネタで、尾張くんは jitensha そのものでのサポーターです。

フォト:2009年9月6日~12日、東雲守撮影・提供
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by kazusanokami | 2009-09-25 00:30 | jitensha | Comments(2)
2009年 09月 23日

『上総の昆虫採集』

毎々、自然観察家 六々守殿の「昆虫採集」を楽しみにしています。
六々殿の影響か、時折、上総はお手軽な昆虫採集を。
今朝、天守閣の外に、こんな昆虫が...。
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昆虫図鑑で調べてみました。
ちっこいクワガタには、「チビクワガタ」と「マメクワガタ」の名がありました。

ちっこいハサミで、お釈迦さんの手を挟みよるんです。
かわゆいです。

フォト:2009年9月23日
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by kazusanokami | 2009-09-23 20:13 | | Comments(4)
2009年 09月 22日

『琵琶湖ヴァーチャル・ポタ/歴史徘徊』 (下)

「姉川の戦い」、「小谷城」、「賤ヶ岳の戦い」のバーチャル歴史徘徊の後、「安土城」も歴史徘徊。

9月12日、「火天の城」なる活動写真が封切りされ申し候。
此れ、山本兼一著の原作による安土城築城の物語。
原作を読むことなく、お手軽バーチャル歴史徘徊をすべく、活動写真館に足を運び候。
安土も琵琶湖一周ポタの行程には含まれねども、「安土城」もバーチャルにて歴史徘徊を楽しみ候。
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安土城址を訪れた記憶はあり申さぬも、安土と申せば、今を去ること、三十数年前、御袋様の西国三十三箇所の巡礼行のお供で、繖山(きぬかけやま)の山頂近くの「観音正寺」に参ったことを思い出し候。
この繖山に築かれた、近江源氏の流れを汲む名家佐々木氏の、後に、近江守護六角氏の居城「観音寺城」は、六角氏が織田信長に滅ぼされると共に、無血開城となった城。

活動写真「火天の城」に先立ち、9月4日、歴史徘徊には御座らぬも、活動写真「映像詩 里山」を見るべく、活動写真館に足を運び候。
此の活動写真、ハリポタ藩軍師にして自然観察家の六々守殿ご推奨によるもの。
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此の活動写真、琵琶湖北西部、高島郷あたりの里山を舞台にしたものにて、琵琶湖周辺の歴史のみならず、自然をも楽しみ候。

更に、六々守殿より、今森光彦写真集「湖辺(みずべ)」についてもご推奨あり、只今、図書館に取り寄せを依頼中に候。
amazon.co.jpによれば、「この写真集は琵琶湖をノスタルジックに見る写真ではなく、琵琶湖そして日本の湖沼の将来の姿だと想像して、見てください。きっと幸せな気分になれるでしょう 」とあり、此れも楽しみなことと相成り候。

冒頭に記した、御指南役丹羽隆志殿の著による「日本ベスト・サイクリング・コース10」に話を戻し候。

同書「琵琶湖之巻」において、近江国普請奉行所(=滋賀県土木交通局道路課)にてサイクリング・マップが準備され居るとの注記あり。

早速、インターネットにて此れを調べた処、「"ぐるっと琵琶湖サイクルライン"、只今、増刷中」とあり、同奉行所に糸電話にて、問い合わせ。曰く、「10月初旬、増刷完了の予定に御座る。返信用封筒(A5版、140円切手貼付)を同封の上、申し込みをなされて下され」との回答。

9月16日、同奉行所宛て、返信用封筒を同封し、マップの送付を頼み申し候。
此れが届くと、再び、ヴァーチャル・ポタが楽しめまする。

ハリポタ藩恒例遠征企画、11月21日、22日の「琵琶湖一周ポタ」が待ち遠しき、今日、この頃に候。

フォト:2009年9月4日、東劇にて/同9月12日、柏の葉MOVIXにて

(完)
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by kazusanokami | 2009-09-22 18:53 | 琵琶湖ヴァーチャル・ポタ | Comments(6)
2009年 09月 22日

『琵琶湖ヴァーチャル・ポタ/歴史徘徊』 (中)

御指南役丹羽隆志殿の著による「日本ベスト・サイクリング・コース10」では、"琵琶湖一周と戦国の町めぐり"と題して、12頁に亘り、琵琶湖周辺を御指南。
其の次の頁を繰ると、、"しまなみ海道 島々を結ぶ空の旅"と題して、此れも、12頁に亘り、しまなみ街道の御指南。

しまなみ海道は、我等、ハリポタ藩が二度に亘り遠征した、懐かしのコース。

懐かしの「ハリポタ藩遠征ポタ」を、"嗚呼懐歩"(archive)からのフラッシュ・バックで。

2007年11月/第一回ハリポタ藩遠征/「しまなみ海道ポタ」。
尾道~因島~生口島~大三島~伯方島~大島~今治。
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2008年11月/第二回ハリポタ藩遠征/「安芸の小京都/風待ちの港町/しまなみ海道ポタ」。
竹原~大崎上島~大崎下島~大三島~生口島~因島~尾道。
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"嗚呼懐歩"から、再び、「琵琶湖ヴァーチャル・ポタ」へ...。

(つづく)
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by kazusanokami | 2009-09-22 06:57 | 琵琶湖ヴァーチャル・ポタ | Comments(4)