<   2009年 10月 ( 27 )   > この月の画像一覧


2009年 10月 31日

『北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて』 iok-1

10月31日、「北総の旅/北印旛沼、龍角寺、房総のむらを訪ねて」と題し、ポタリング。
当初のメンバーは、印旛守殿、日向守殿、上総。
日向守殿、藩命による関西行脚より帰還叶わず、ドタキャン。
しかし、大給守(おぎゅうのかみ)殿の、急遽、ご出馬にて、三人ポタと相成り候。

印旛守殿とのポタは、二度目。
大給守殿とは、初ポタにて、本日のポタは記念すべきものかと...。

上総、諸般の事情により、集合刻限に間に合わず。
日本標準時、東経135度の町で育った上総、ポタでの遅刻は初めてのことにて、初苦(ショック)!
お待ち戴いた、印旛守殿ならびに大給守殿に、改めてお詫び申し上げ候。

なお、ブログの開始に先立ち、大事なことを。
本日のポタは、諸般の事情により、"反省会"は追っての事と相成り候。
追って催される"反省会"は、ドタキャンの日向守殿の差配にてというのが、"欠席裁判"ながら、本日の評定の結果に候。

今日の jitensha。
a0104495_2091210.jpg

上総のベデワンを眺めながら、「はやり、小径車を購おうかな...」と大給守殿。
a0104495_2092473.jpg

印旛捷水路(しょうすいろ)を走る!
a0104495_209441.jpg
a0104495_2010049.jpg
a0104495_20103632.jpg
印旛捷水路は、西印旛沼と北印旛沼の間にある水路。
渓谷の如き景観にて、いつ、走っても、ポタの喜びを感じるコースに候。
「捷水路」の「捷」は、我等の走りにぴったりの文字。

北印旛沼の舟溜まり。
奥には、葱の相棒、鴨の群れが...。
a0104495_20111988.jpg

道すがら、こんな jitensha も...。
a0104495_20112915.jpg


フォト:2009年10月31日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-31 20:31 | 北総の旅 | Comments(7)
2009年 10月 31日

『SHOJI UEDA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY』 Part IV

植田正治の作品に興味を持つようになったのは、次のようなことからでした。

2008年5月、小豆島を訪れたました。
「二十四の瞳映画村」で撮った数枚を、「二十四の瞳」と題し、同年7月25日付にてブログに掲載しました。

我が友、六々守殿より、有難くも、「上総守殿 3枚目、窓からの海の眺め、いいです。ちょっと植田正治風の写真の感じです。瀬戸内の、窓や露地からの海の眺めを撮ってみたいな」との書き込みを頂戴しました。

これを受けて、次のような遣り取りがありました。

「六々守殿 植田正治風ですって!? 穴があったら入りとう御座りまする」。

「上総守殿 植田正治の砂丘での写真こんなポーズをとった写真がたくさんあります。まさに、写ってる人たちが、それぞれポーズをとってるようでおもしろいです」。

「六々守殿 砂丘での写真、『植田正治写真美術館』のサイトで鑑賞しました。独特の感覚ですね」。

植田正治先生の手前、誠に僭越なことながら、2008年ライブラリーからその写真を取り出し、再び、ここに、掲載させて戴きます。

当時はカラーでしたが、これも僭越なことながら、今回は植田正治先生風にモノクロ化してみました。
オリジナルを弄ることは邪道であることを省みず...。

なお、撮影当時、植田正治先生の作品は全く頭の中にはなく、六々守殿の書き込みで、初めて、先生風だなと知った次第であることを申し添えます。

a0104495_77769.jpg


六々守殿、mauyome殿ならびに御典医殿のお誘いのお陰で、植田正治の作品に、直に、この目で触れることが出来ました。
本当に良きところへお連れ下さいました。
ここに、改めて感謝申し上げます。

フォト:2008年5月4日

<完>
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-31 07:38 | カメラ | Comments(2)
2009年 10月 30日

『SHOJI UEDA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY』 Part III

「植田正治写真美術館」を訪れて、印象深い風景を、先ず、Part I と Part II で掲載しました。

ここで、「植田正治写真美術館」について、少し触れてみたく思います。

「植田正治写真美術館/Shoji Ueda Museum of Photography」、シンプルにして、内容の濃い美術館。
館内の大きなガラス窓を通して、伯耆富士と親しみを持って呼ばれる、大山の姿が一望出来る。
この風景も美術館に展示された作品のひとつの如し。
コンクリートの打ちっ放しからして、安藤忠雄の設計かと思いきや、調べてみると、島根県出身の建築家、高松神の設計。
伯耆富士の姿までをも取り込む造りに、この建築家の拘りが伺われます。
a0104495_22153254.jpg
a0104495_22154493.jpg

流石、美術館です!入場券がお洒落です。
美術館の外観は、入場券に描かれた絵で分かる通り、四つのブロックが並んだような形。
これは、植田正治の作品、「少女四態」(1935年)をモチーフにしているとのことです。
a0104495_22155785.jpg

山陰らしさを思わせる曇り空ながら、夕暮れ時、西の空は明るくなって来ました。
a0104495_22163884.jpg

館内のショップで購った、二冊の本。
a0104495_2223661.jpg

館内のショップには、数多の写真集や書籍がありましたが、一冊目、帯に書かれた「アマチュア写真家諸君!この人を見よ」の言葉に惹かれ、先ず、これを購入。
a0104495_22232092.jpg

次に、今年5月に白河の関を訪れ、また、つい、先日、「みちのく行脚」で、紅葉、温泉、奥の細道三昧をしたことでもあり、同じく、帯に書かれた「芭蕉が300年待っていた写真家植田正治と歩きつつ詠む俳人黒田杏子の『おくのほそ道』」の言葉に惹かれ、これも購入。
a0104495_22233340.jpg

植田正治の作品に興味を持った、その理由などについては、Part IVで語りたく思っています。

フォト:2009年10月24日、10月30日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-30 23:11 | カメラ | Comments(2)
2009年 10月 28日

『SHOJI UEDA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY』 Part II

Museum being accompanied by Mt. Daisen
a0104495_21574150.jpg
a0104495_21575297.jpg
a0104495_2158439.jpg
a0104495_21582199.jpg
a0104495_21583073.jpg
a0104495_21584365.jpg


Photographs taken on 24th October, 2009
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-28 22:07 | カメラ | Comments(2)
2009年 10月 27日

『SHOJI UEDA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY』 Part I

Shoji Ueda
a0104495_2111679.jpg

An art of window
a0104495_21112354.jpg


The above pieces taken on 24th October, 2009 are expressed for collaborating with rokurokunokami-dono's master pieces on his weblog named "モノクロとロクロクの日々"
dated 25th October, 2009.
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-27 21:34 | カメラ | Comments(2)
2009年 10月 26日

『伊能忠敬敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/番外編』 im-24

先日、平泉、中尊寺を訪れた際、博物館のショップで観光客向けの土産物のひとつとして根付けの家紋が売られていました。
偶然、伊能忠敬の家紋と間宮林蔵の家紋が並んでいました。
師弟の上下が逆でしたが...。
a0104495_22353244.jpg
(フォト:2009年10月12日、平泉、中尊寺にて)

9月27日から連載を開始した「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」は、江戸編、常陸国上平柳村編、下総国岡村編、下総国佐原編、番外編と、24話に亘り、jitenshaでの旅を綴ってみました。

江戸時代後期の偉人である、伊能忠敬、間宮林蔵は勿論のこと、幕府天文方の高橋至時・景保親子にも出遭い、また、江戸時代初期の偉人である、関東郡代、伊奈半十郎忠治にも出遭い、小生のビョーキ、"歴史徘徊病"に相応しい旅でした。

伊能忠敬、間宮林蔵ゆかりの地に加え、その際、あちらこちらに立ち寄っており、純粋に「ゆかりの地を訪ねて」での走行距離ではありませんが、今回の走行距離は、9月19日/江戸編:36.30km、9月22日/常陸国上平柳村編&下総国岡村編:65.53km、9月23日/下総国佐原村編:62.23km、再訪問の10月17日/下総国岡村編:53.20kmの計217.26kmでした。

忠敬さん、林蔵さんの歩いた距離とは比べようもありませんが、忠敬さん、林蔵さんの歩きをこれからのポタの励みとしたく...。

伊能忠敬/1745年(延享2年)~1818年(文化15年)
a0104495_23571524.jpg


間宮林蔵/1780年(安永9年)~1844年(天保15年)
a0104495_23573259.jpg













<完>
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-26 23:06 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(4)
2009年 10月 26日

『伊能忠敬敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/番外編』 im-23

”嗚呼懐歩 (Archive))"より。

大崎下島/御手洗地区/菊本家。
伊能忠敬は、1806年3月30日から三日間、瀬戸内海/大崎島一帯を調査した際、同家に宿泊したとのことです。
a0104495_22211769.jpg

大崎下島の商家。
大崎下島は、「風待ち」、「汐待ち」の町として栄えました。
a0104495_2223762.jpg
a0104495_22213712.jpg
a0104495_2221557.jpg


フォト:2008年11月/「竹原、大崎上島、大崎下島、しまなみ海道ポタ」にて。

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-26 23:05 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(2)
2009年 10月 26日

『伊能忠敬敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/番外編』 im-22

”嗚呼懐歩 (Archive))"より。
a0104495_21591282.jpg

宗谷岬/間宮林蔵立像。
a0104495_21592784.jpg
今回の調べで、宗谷岬から車で5分のところに、石碑「間宮林蔵渡樺の地」があることが判りましたが、2006年に訪れたときには、その石碑は見ていません。
いつか、次の機会に見てみたく。

利尻島/稚内から礼文島へ向かう船上からの眺め。
a0104495_2201163.jpg
間宮林蔵も、樺太へ向かう途中、"利尻富士"を眺めたことでありましょう。

利尻島、沓形岬の標識。
a0104495_2202468.jpg
間宮林蔵が探検した樺太まで108kmとの表示があります。

フォト:2006年5月

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-26 23:04 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(2)
2009年 10月 22日

『伊能忠敬敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/下総国佐原村編』 im-21

伊能忠敬旧邸から数キロ離れた、伊能家菩提寺である観福寺へ。

観福寺山門。
a0104495_2154998.jpg

石段を上り、境内へ。
a0104495_21541765.jpg
a0104495_21542551.jpg
a0104495_21544179.jpg

本堂の向かいの石段を上り、観音堂へ。
a0104495_21545892.jpg

観音堂前の蓮。
蓮を見るとカメラを向けたくなるんです。
a0104495_21551141.jpg

観音堂。
a0104495_21552533.jpg

観音堂の右手に毘沙門堂。
その奥の杉木立の中に、伊能家の墓所があります。
a0104495_21553832.jpg
a0104495_21554938.jpg

伊能忠敬の墓。
墓石に刻まれた戒名は、「有功院成裕種徳居士」。
a0104495_2202996.jpg
伊能忠敬は、上野源空寺に埋葬するようにとの遺言を遺し、ここ、観福寺のお墓は遺髪と爪が埋められた"参り墓"。
第3話で綴った上野源空寺での墓参に続き、ここ、観福寺の墓前にても合掌。

伊能家の家紋、「丸に違い鷹の羽」。
a0104495_21572070.jpg
家紋を調べたのは、つい、最近では、間宮林蔵の家紋を、それも、10年前に、趣味の忠臣蔵で、浅野家と大石家の家紋を調べて以来のことです。
余談ながら、浅野家も「丸に違い鷹の羽」ですが、羽の中が渦巻紋様で、且つ、右の羽を上に置いている「右重ね」となっており、鷹の羽の紋様は多々ある中でも、独特の紋で、「浅野鷹の羽」と称されています。

墓所脇の説明書き。
a0104495_21581624.jpg
伊能忠敬生誕の地、上総国山辺郡小関村(現・千葉県山武郡九十九里町)には、生家跡に、銅像と碑、そして、生誕250年を記念してつくられた公園があるとのことです。
また、折を見て、訪れてみたいものです。

モミジの多い、お寺。
秋が深まれば、美しい紅葉を見ることが出来るお寺かと。
a0104495_21583784.jpg

紅葉の頃に、再訪を思いながら、観福寺を後にしました。
a0104495_21585053.jpg

既に、夕方4時。
JR佐原駅へ向かう途中、昨年1月に鰻を食した「長谷川」へ。
前日、亀戸で鰻を食したので、この日は店には入らず、蒲焼の良き香りだけを嗅がせて戴き、JR佐原駅へ。

JR佐原駅から輪行にて帰館。

フォト:2009年9月23日

(「佐原村編」/完、「番外編」に続く)
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-22 06:30 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(4)
2009年 10月 21日

『伊能忠敬敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/下総国佐原村編』 im-20

佐原公園/伊能忠敬立像をあとにして、小野川に至る。

小野川に架かる、忠敬橋(ちゅうけいばし)。
中象限儀(と思われる)を模した欄干。
忠敬橋からの小野川の眺め、大好きな風景です。
a0104495_19411966.jpg

伊能忠敬旧宅。
a0104495_19413191.jpg
a0104495_19414490.jpg
a0104495_1942652.jpg
a0104495_19422017.jpg

伊能忠敬記念館。
a0104495_19423365.jpg
約50kmを走り、佐原へ来たことでもあり、少々、お疲れモード。
展示物をゆっくりと見る気力はなく、忠敬さんには御無礼ながら、今回は入館を見送り。。
以前、入館した際に見たことがある展示物は、そのとき以上に為になることが多々あると思われ、次回は必ず入館しますので、と心に誓い...。
因みに、同館は1998年(平成10年)の開館。
それ以前の記念館は、旧宅の中庭にありましたが、測量器具などがばらばらっと並べられた、お世辞にも立派とは言えない記念館でした。
今の記念館は、以前に入館した際の記憶が正しければ、パネル化された、大きな伊能図などが展示され、それはそれは立派な記念館です。

町の中の標識。
忠敬さんの歩幅で距離を表示した標識が、ところどころで見られます。
a0104495_19424937.jpg
第7話の門前仲町/富岡八幡宮内の伊能忠敬像を綴った際、忠敬さんの歩幅は幾らであったか、それは「下総国佐原村編」をお楽しみに、と申しましたが、それがこの標識です。

造り酒屋の「東薫酒造」や「馬場本店酒造」を訪れたり、蕎麦の「小堀屋本店」、書店の「正文堂」(何時の頃からか廃業/建屋のみ)、胡麻油の「油茂」、町家を改造したフランス料理店「夢」、、和紙や薫香の「並木仲之助商店」などの店々を眺めながら、佐原の町を散策。
(「佐原散策」は、追って、別途のブログにて...)

旧宅から数キロ離れた、伊能家菩提寺である観福寺へ。

フォト:2009年9月23日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2009-10-21 20:51 | 伊能忠敬、間宮林蔵ポタリング | Comments(2)