『上総守が行く!』

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2010年 05月 31日

『伊豆大島ポタ』 io-7

筆島から、緩やかな坂道を上り、波浮港方面に向かう。
途中、大島一周道路から外れ、生活道に。

龍王崎灯台を眺める。
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「波浮港見晴し台はどの道を行けばよいでしょうか」と道を歩いていた婦人に尋ねた。
「この道を真っ直ぐに行くと『トドウ』に出ます。それを左へ行くと見晴し台です」と。

『トドウ』とは?地名?いや、そうではなさそう...。『都道』であった。

我々は県道と言うが、都内の道を都道とは言わない。
島の人たちは「都道」と言うようだ。

「大島一周道路」の標識はあちらこちらで見掛けたが、「都道〇〇号線」の標識は見掛けなかった。
調べてみたところ、「大島一周道路」は通称であり、正式名称は「東京都道208号大島循環線」であった。

因みに、伊豆大島にはもうひとつ都道がある。それは、大島公園~あの激坂の途中から分岐する「あじさいレインボーライン」~三原山山頂~三原山登山道路を辿る「東京都道207号大島公園線」である。

婦人に教えられた通りの道を辿り、『都道』に出る。
学校が見える。波浮小学校だ。
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「島の小学校の生徒は何人くらいいるんでしょうかね」、「さあ、どれくらいでしょう。因みに、島の人口は八千数百人とのこと」。

大島一周道路を暫く走る。
10:50、大島一周道路沿いの「波浮港見晴し台」に至る。

見晴し台から波浮港を臨む。
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嘗ては、火口湖であったが、1703年(元禄16年)の小田原地震の大津波で海と繋がり、江戸末期の1800年(寛政12年)、秋廣平六の尽力により、崖を切り崩し、浅瀬を掘るなど、開削工事がなされ、現在の形の港になったとのこと。

波浮港築港に携わった秋廣平六の像。
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「アンコ椿は恋の花」碑。
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星野哲郎作詞、市川昭介作曲、都はるみの唸りが印象深い、1964年(昭和39年)の大ヒット曲。
「アンコは伊豆大島の方言で娘さん、ご婦人のこと。姉御から変化して、アンコになったよう」と、由来、語源好きの上総、蘊蓄を垂れる。

bd-1と波浮港。
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見晴し台前の食堂から店主らしきおじさんが顔を出し、「三人一緒に撮ってあげよう」と。
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丁度、昼餉の頃。食堂のおじさんは”客引きフォト・サービス作戦”であったかもしれない。
しかし、当初の計画では昼餉は地魚の握り寿司を食することであったので、食堂のおじさんには申し訳なくも、フォト・サービスだけを頂戴する。

この食堂のおじさんに寿司屋の場所を聞こうかなと思うも、それは仁義に反するので、見晴し台から電話をする。
「西川寿司さんですか。今、見晴し台にいるんですが、店はどの辺りでしょうか」、「左手下に港を見て、真っ直ぐ行くと信号があります。それを左折し、次の角をまた左折すると港に出ます。港のところで分からなければ、また、お電話下さい」。

フォト:2010年5月22日
フォト#7:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-05-31 23:26 | 伊豆大島ポタ | Comments(8)
2010年 05月 30日

『伊豆大島ポタ』 io-6

筆島まで2.6kmの表示あり。
波浮港は後程立ち寄るとして、筆島に向かう。

緩やかな下り坂が続く。

先程来、消防のサイレンが聞こえる。
暫く走ると、道端に消防用のホースが。
この先の別荘でボヤ騒ぎがあったとのことで、島の消防団が出動していた。
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「あの山の上の鉄塔、さっき、見ました。あの鉄塔の間近を走ったんですね」と大給殿。
「そうですか。鉄塔は見ませんでした。坂道を上るのに必死だったもんで」と上総。
「私も鉄塔は見ていませんね」と伊豆殿。
(鉄塔は、山の上、真ん中あたりからちょっと右にうっすらと...)
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筆島と岬を臨む。
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今日の jitensha @筆島。
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「筆島」。
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碧い海岸線。
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右手の景色を臨む。
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「あれはイルカではありますまいか」と指差す風の大給殿と伊豆殿。
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先程、家族連れが「イルカが二頭泳いでいるとのことで見に来ました。水面に飛び上がるほどではありませんが、二頭、見ました。是非、探されるといいでしょう」とコンパクト・カメラで撮った二つの黒い点の写ったシーンを見せてくれたのであった。

上総も目を凝らして海面を見た。
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暫くするとそれらしきものが何度か見えた。
コンパクト・カメラでは、動きの早い姿を捕らえることは難しい。
何度か適当にシャッターを切った。
一頭だけだが、黒い点となって写っていた(真ん中から少し右下の黒い三角状)。
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岩に砕ける波を見ると、東映映画を思い出す。
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bd-1と波。
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溶岩で形作られた風景。
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自然の造形。
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自然の造形を撮る姿。
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フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-05-30 19:47 | 伊豆大島ポタ | Comments(6)
2010年 05月 30日

『伊豆大島ポタ』 io-5

激坂をクリアし終え、心穏やか。
得意(???)の片手ハンドル、片手カメラ、"頭三脚"にて後方を撮る。

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あれ?大給守殿だけ?

角度を変えて、もう一枚。
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伊豆守殿も入っていた。上出来!

アップダウンを繰り返しながら走る。

緩やかな下り坂の左手にコンクリート製の構造物が見えた。
噴火時のシェルターのようだ(片手ハンドル、片手カメラ)。
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右手には、黒々とした土が流れるような風景(片手ハンドル、片手カメラ)。
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これを通り過ぎたところ、「バス停の名は『大砂漠』となっていましたよ」と大給殿の声。
Uターンして、今一度、シェルターと黒々とした土の風景を眺める。
バス停「大島大砂漠」。
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ここを登っていくと山頂近くの奇景「大砂漠」に至るのであろう。
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シェルターの中を覗いてみた。
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「大砂漠」を出発し、更にアップダウンを繰り返す。

上総、走る。
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「伊豆さん、先程、キジが道を横切りました」、「そうですか。こちらはリスを見ました」、「島のリス、シマリスですね」とダジャレを飛ばしながら、走る。
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上り切ったダラダラ坂を振り返る。
稜線が美しい。
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長い、長い下り坂を快調に走り、「迂回路」の表示に行き当たる。
景勝地「筆島」へ抜ける「大島一周道路」は、崖崩れのため、迂回となっていた。
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迂回路の坂道を上ると、再び、長い、長い下り坂。
これを一気に下ると「波浮港」の標識が。
時計を見ると9時50分。
岡田港から、観光・休憩も含め、3時間10分で、島の南端、波浮港に到着。
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筆島まで2.6kmの表示あり。
波浮港は後程立ち寄るとして、筆島に向かう。

フォト:2010年5月22日
フォト#8、#9:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-05-30 01:20 | 伊豆大島ポタ | Comments(4)
2010年 05月 29日

『伊豆大島ポタ』 io-4

07:30、大島公園に至る。
暫し、一服。

ハリポタ藩軍師六々守殿からケータイ電子飛脚便「おはようございます。今日は伊豆大島、楽しまれたく」が着信。
「おはようございます。6時40分、岡田港をスタート。只今、大島公園にて休憩中。今から、噂の(???)の、標高差300m、長さ5.5kmの激坂が始まります」と返信。

「今、7時45分です。1時間後には坂の上に到着するでしょう」。
大島公園を出発。
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坂の入り口に「ゆるい上り坂」と嬉しい表示。
だが、看板に偽りありじゃないの?
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上る!
激坂だ!
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この劇坂の途中に、波浮港方面と三原山山頂方面「あじさいレインボーライン」への分岐点がある。
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坂の途中にある「桜株」に立ち寄ってみる。
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「特別天然記念物 大島のサクラ株」。
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説明書きには「サクラ株は、地元では『サクラッカブ』と呼ばれ親しまれていますが、我が国に生息するオオシマザクラの中では最も古い樹齢800年と言われ...。その昔は房総半島から来航する目印にしたとも言われる程の巨木でした。いつしか幹から分岐した太枝が倒れ、これが根付いて3本の子株となって生育しています...」とある。
昭和初期、当時は一本の巨木であった写真も、この説明書きに添えられている(説明書き下段左)。

「激坂は、残り3.5kmです」、サクラッカブを出発。
残り3.5kmは、これまで以上に激坂。

前方を走る大給守殿と伊豆守殿の姿はもう見えない。
交通量は少ない。"ハリポタ藩小浜島流走法"(註)にて、マイペースで坂を上る。

ウグイスの声が疲れを癒す。
気温はまだそれ程上がっていない。早朝発のお陰だ。
坂の両脇に迫る木々の木陰も有難い。

漸く平坦な道に。
激坂を快調(???)に上って来た上総。
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上総を待つ、大給守殿と伊豆守殿。
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「お待たせしました。"押し"も覚悟かと思っていましたが、"ハリポタ藩小浜島流走法"(註)にて"押し"は無しで上り切れました」。

時計は8時51分を指している。
「特別天然記念物/大島のサクラ株」での休憩も含め、約1時間。当初の予定通り!

(註)"ハリポタ藩小浜島流走法"とは、ジグザグ走法をいう。今冬のハリポタ藩八重山諸島ポタの際、小浜島のだらだら坂を皆がジグザグ走法で上ったことに由来するハリポタ藩造語。この走法は交通量を見極めることが肝要。

フォト:2010年5月22日
フォト#10:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-05-29 20:47 | 伊豆大島ポタ | Comments(4)
2010年 05月 28日

『伊豆大島ポタ』 io-3

06:40、岡田港をスタート。

早速、急坂の手荒い出迎え。
急坂を上り、「大島一周道路」に入る。
「海沿いは時計回り」の原則に従い、時計回りで。

トンネルを三つ抜け、先程、船から見た白い橋を渡り、暫くすると、島の東側の風景が目に飛び込んでくる。
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長い坂を下り、その後、アップダウンを繰り返しながら、「泉津(せんづ)の椿トンネルと大木」に至る。
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このような椿の大木を見たのは初めてだ!根っ子のあたりは象の足のようだ!樹齢も凄い!驚きだ!

「こちらに椿の花が残っております」と大給殿。
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数輪の椿。
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残菊(ざんぎく)の言葉もあることからして、差し詰め、これは「残椿(ざんちん)」というところであろうか...。

緑濃い、椿の葉も撮っておこう。
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ツツジの季節、咲き誇るヤマツツジ。
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フォト:2010年5月22日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-05-28 23:43 | 伊豆大島ポタ | Comments(6)
2010年 05月 28日

『伊豆大島ポタ』 io-2

前夜、夜明け頃に起きて海に上る日の出を撮ろうかなと思うも、日の出は4時半頃。
"高齢性early morning 症"ながら、体力温存のため、早起きは止め、日の出フォトは見送り。

5月22日05:15の朝日。
日の出フォトの代わりに...。
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島影。
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あの白い橋を走るんだ。
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下船準備。
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下船。
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今日の jitensha。
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同好の士たち。
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彼等は島を一周し、この日14:30発の東京行き客船に乗船して帰るとのこと。
8時間強あるので、彼等の若さなら、先ず、大丈夫だろう。

この後、島内で大勢の同好の士と遭遇するも、皆、大口径車。
遭遇した限りにおいては、小径車は我等3名のみであった。

竹芝のターミナルでパックしていた同好の士、サイクル・コンピュータをセットして...。
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この同好の士と元町港近くのサンセット・パーム・ラインで再び出遭う、縁のある人。

大給殿、港の光景を撮る。
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その光景がこのフォト。
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漁船の船溜まりで、岡田港を眺めながら、前夜、調達したコンビニ握り飯と燦鳥伊右衛門緑茶で朝餉を摂る。
大給殿持参の自家製奈良漬を頂戴する。美味!
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06:40、岡田港をスタート。

フォト:2010年5月22日
フォト#17:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-05-28 00:57 | 伊豆大島ポタ | Comments(6)
2010年 05月 26日

『伊豆大島ポタ』 io-1

5月21日夕、JR浜松町駅から竹芝桟橋に向かう。

浜松町のオフィスに長らく勤めていた上総、その昔、夏ともなれば、ボードを抱え、竹芝桟橋に向かうサーファー・ボーイズ&ガールズを浜松町駅界隈でよく見掛けたものである。
今、還暦を過ぎたオッチャンがjitenshaを携え、浜松町駅から竹芝桟橋へ向かう姿を第三者的に眺めると、昔、見たサーファー・ボーイズ&ガールズの姿と重なり合うのであった。

22:00竹芝桟橋発の東海汽船「かめりあ丸」にて伊豆大島に向かう。
メンバーは、ドラポタ藩有志、大給守殿、伊豆守殿、上総の3名。
企画は、ハリポタ藩の面々との、瀬戸内海/しまなみ海道や大崎上島・下島、更に、八重山諸島での島ポタの楽しさに味をしめた上総の「島シリーズ」でもある。

朝、竹芝桟橋を発ち、2時間弱で伊豆大島に着く高速ジェット船もあり、これは便利な便ではあるが、評定の結果、"高齢性early morning 症"を活用(???)し、朝早くから走り始めようということとなり、前夜発の客船としたのであった。

竹芝旅客船ターミナル。
観光客、釣り人、サーファー・ボーイ、同好の士などでごった返す。
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夜景を眺めながら、デッキにて前夜祭。
エンジンの振動で微妙に夜景がぶれる。
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宴の場は、納涼船の際の、ゆかたガールズ盆踊り用の赤い毛氈の舞台で。
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デッキで寝袋に入って寝るという若者が撮ってくれた。
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レインボー・ブリッジをくぐる。
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ベイ・ブリッジをくぐる。
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夜景の撮影を楽しむカップル。
カメラは、フォーサーズの一眼レフ/オリンパス・ペン。オシャレ!
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横浜港に寄港。
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輪行袋を抱えて乗船する同好の士。
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最近、流行の(???)「"写真を撮る姿を撮る"遊び」をしてみた。
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「そろそろ、客室で休みましょう」。
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客室にて微睡む。

フォト:2010年5月21日
フォト#8:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-05-26 21:41 | 伊豆大島ポタ | Comments(4)
2010年 05月 21日

『 Intermission 』

本夕から暫く旅に出ます。
週明けにブログでまたお目に掛かりましょう。
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フォト:2010年5月5日、スーパーマリオ風パンジー。
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by kazusanokami | 2010-05-21 06:33 | エピソード | Comments(0)
2010年 05月 20日

『讃岐路ぶらりポタ』

黄金週間は連日、晴天に恵まれるも、5月7日は朝から雨。
幸いにも、午後から晴れ、讃岐路をぶらりと走る。

「日本最古の古代瓦の里 宗吉」に立ち寄る。
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宗吉瓦窯(むねよしがよう)史跡公園。
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第16号窯跡。
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5月1日、「平城遷都1300年祭」で訪ねた平城京に先立つ都、藤原京(694年~710年)において、藤原宮はこの宗吉瓦窯で焼かれた瓦で葺かれたそうだ。因みに、藤原宮は日本初の瓦葺宮殿である。
都の造営には大量の瓦を必要とすることから、その供給を可能にした宗吉瓦窯は藤原京時代以前から瓦の生産が盛んであったことを示すものであり、宗吉瓦が「日本最古の古代瓦」と言われる所以である。
発掘された24基の瓦窯のうち、第17号瓦窯跡は、窯の全長13m、最大幅2m、最大高1.4mで、瓦専用の登窯としては国内最大級の規模とのこと。
第16号瓦窯跡(写真)は実物大(長さ約6・2メートル、最大幅1・5メートル)で復元されたもの。
藤原京の造営には宗吉瓦が使われたが、その後、近畿各地で瓦の生産が盛んとなり、平城京の造営では宗吉瓦は使われず、宗吉の瓦作りは衰退の途を辿ったとのことである。
「平城遷都1300年祭」で見た平城京の俯瞰図の南に藤原京も図示されていたことでもあり、この宗吉瓦窯跡は、殊の外、興味深いものであった。
史跡公園の落成式には、「平城遷都1300年祭」のマスコットキャラクター「せんとくん」も参列したとのこと。

宗吉瓦は瀬戸内海を渡り、都の造営現場に運ばれていったのであろう。
瀬戸の海が見たくなり、海を目指して走る。
庄内半島の東の、とある漁港に至る。
須田漁港とある。
塩飽諸島のひとつ、粟島への渡船場でもあった。
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高瀬川が瀬戸内海に流れ込む河口近くまで走る。
浦島太郎に出遭う。
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詫間大橋の欄干に鎮座する浦島太郎である。
詫間の西、庄内半島は浦島伝説の地である。

雨のあと、ぶらっと出掛けた、文字通りのポタリングで、歴史、風景、そして、伝説に出遭った、推定走行距離約30kmの走りであった。

フォト:2010年5月7日
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by kazusanokami | 2010-05-20 00:35 | ポタリング | Comments(0)
2010年 05月 19日

『東京スカイツリー・ポタ』 st-5


亀戸天神から臨む東京スカイツリーの写真を何処かで見たことがあり、業平橋から亀戸に向かう。

亀戸天神と東京スカイツリー。
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亀戸天神そば、「文化2年の創業以来、くず餅ひとすじ205年」の老舗、船橋屋でくず餅を土産に購う。
200年後の東京スカイツリーはどのようになっているんだろうと、東京タワーの弟分の遠い、遠い将来を思いながら、一眼レフに加え、くず餅でずしりと重たくなった背嚢を背に担ぐ。

四ツ目通り、京島、東向島を抜け、水戸街道を走り、江戸川を越え、松戸を経由してJR馬橋駅から輪行にて帰館。
走行距離41.10km、三社祭のおまけ付き「東京スカイツリー・ポタ」であった。

フォト:2010年5月15日

(完)
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by kazusanokami | 2010-05-19 06:38 | 東京スカイツリー | Comments(0)