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2011年 03月 31日

『上総の昼餉散歩/皇居前広場』

昨30日、天皇、皇后両陛下が東京都足立区の東京武道館を訪れ、同館内で避難生活を送る東日本大震災の被災者を慰問されたと報じられました。
また、両陛下は、東日本大震災の被災地に思いを馳せ、「国民と困難を分かち合いたい」との御心の下、お住まいの皇居・御所の電気を一定時間使わない「自主停電」を続けられているとも報じられています。

本31日、皇居近くの客先を訪問。
丁度、正午前に面談が終わりました。
皇居前広場に向い、「上総の昼餉散歩」を。

二重橋前にて、天皇、皇后両陛下の「国民と共に」の御心に対し、御礼の言葉を我が心の中で唱えました。
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二重橋前では、カメラマン氏がひとり、そして、"木曜画家"さんがひとり。
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絵を描くことも趣味としていた亡き親父の姿と重ね合わせ、"木曜画家"さんの後ろ姿を撮らせて貰いました。

大手門方面に歩を進めました。

桜田巽櫓。
定番のシーン、どうしてもカメラを向けてしまいます。
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お濠端を歩いていたところ、石垣の修復工事の様子が目に入りました。
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結構、大掛かりな工事です。
以前から行われた修復工事なのでしょうか。
それとも、皇居の石垣も地震の被害を受けたと報じられていたので、その修復工事なのでしょうか。

白鳥と枝垂れ桜、そして、大手門のスリー・ショットを撮ろうとしたところ、ここでも、地震の被害が見受けられました。
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大手門右側の白壁が剥がれ落ちています。
白鳥の白さで、心の中では、何とか補修を施しましたが...。

地震の被害が見受けられる中ながら、枝垂れ桜と白鳥が、ふたつの色の重なり合う風景を楽しませてくれました。
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大手門から皇居東御苑に入り、平川門から竹橋近くの仕官先江戸屋敷に戻ろうかと思いましたが、それには少し時間が足らないよう。
お濠端を歩き、午後1時前、仕官先江戸屋敷に到着し、この日の「上総の昼餉散歩」を終えました。
地震の被害も見受けられましたが、何やら、清々しい気分でもありました。

フォト:2011年3月31日
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by kazusanokami | 2011-03-31 23:59 | 上総の昼餉散歩 | Comments(2)
2011年 03月 31日

『手賀沼一周巡察ポタ』 vp-1

3月27日、「手賀沼一周巡察ポタ」に出掛けた。
3月5日の「NOVOLTA大作戦/事前自主鍛錬ポタ」以来となる。
地震が起こったのが3月11日午後3時46分、翌12日に予定していた「NOVOLTA大作戦/箱根越え」は、当然のことながら、無期延期とした。
今回の「手賀沼一周巡察ポタ」は、「歌舞音曲は控えよ」の気持ちを心の中に置きながら、徐々に、普段通りの生活に戻そうとの思いと、我が愛すべきホーム・コース、手賀沼サイクリング・ロードの地震の影響についての視察が目的であった。

自宅を出たところで、早、フォト・タイム。
ハクモクレンが満開。
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白い花を通して、青空を楽しむ。
白い花に囲まれて、気持ち良さそうに羽繕いをする鳥の姿も見える。
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ここは、平和そのものである。

フォト:2011年3月27日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-03-31 00:31 | ポタリング | Comments(2)
2011年 03月 30日

『地震お見舞い/奇跡の一本』

「奇跡の一本」。
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新聞やTVで、しばしば、伝えられている「奇跡の一本」です。
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数え切れないくらいにびっしりと生えていた、立派な松原の中で、唯、一本だけ残るとは。
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被災地の人々にチカラを与える松です。
TVのインタビューで、地元の「高田松原を守る会」の人がそう語っていました。
被災、そして、復興と共に、これから何十年、何百年と長きに亘って語り継がれていく松となるのでしょう。

もうひとつの樹木。
自宅近くに生えている、このケヤキの木は普段から何時も見ている樹木です。
「帰宅困難者」、「帰宅難民」、「江戸篭城」を終えた、地震発生の翌日、いつも通り、このケヤキの横を通り過ぎました。
何か何時もと違うように感じました。
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そうです、樹皮が剥がれ落ちているのです。
幹の下には、剥がれ落ちた破片が幾つも散らばっているです。
幹を見上げると、樹皮がささくれだっています。
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ケヤキは季節の変わり目に新陳代謝により脱皮するというような特性を持っているのであろうか、いや、これは地震で揺れたせいなのではないかと、直ぐに地震に関連づけてしまうのでありました。

地震のあった日を境にして、木々を見つめる目も変わって来たような気がします。

フォト#1~3:20011年3月25日付読売新聞朝刊
フォト#4、5:2011年3月27日(後日の取材フォト)
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by kazusanokami | 2011-03-30 01:27 | deep sympathy | Comments(0)
2011年 03月 28日

『四輪/電車/自転車/徒歩比較論』

3月19日(土)、気になりつつも参れなかった、地震お見舞いで、創輪塾を訪問。
塾長はご無事、創輪塾も無事で、一安心。
お客さんも交え、一頻り、地震談義。

帰りに、近所のショッピングセンターに立ち寄る。
流石に、自転車の買占めはなかったようだ。
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3月11日の地震発生後の帰宅の様子について、いろんな方からいろんな話をお聞きした。
それらを参考に、「四輪/電車/自転車/徒歩比較論」を少々綴ってみたい。

<四輪/О氏談>
地震の起こった11日、四輪にて、都内を夜7時に出発、翌朝4時に自宅着。
距離約30km、所要時間約9時間。

<自転車/I氏談>
地震の起こった11日、都内でママチャリを購入し、自宅まで。
距離約50km、所要時間約4時間。

<徒歩/S氏談>
地震の起こった11日、都内より徒歩で自宅まで。
距離不詳(推定距離約10km弱)、所要時間約2時間。
勤め先の26階分の階段を下る+レインボーブリッジの階段7階分を上る(下りはスロープ)+自宅の17階分の階段を上るとの階段に纏わる苦労話も。

<徒歩/B氏談>
地震の起こった11日、都内から徒歩で自宅まで。
距離約35km、所要時間約6時間(時速約6km。相当の健脚)

<自転車/K氏談>
東京郊外での話。
普段は、勤め先の最寄駅から置き自転車で通勤。
地震の起こった11日、その置き自転車で自宅まで。
距離不詳(推定距離約30km)、所要時間約3時間。

<電車&自転車乗り継ぎ/創輪塾長談>
「こんな人がいました」との前置きで、次の話あり(期日は不詳ながら、JRが一部再開後のことなので、地震の起こった翌日か翌々日であろう)。
横浜から柏までは電車で。
それ以降は常磐線が不通なので、柏のホームセンターで自転車を購入し、水戸街道を走り、創輪塾に立ち寄り。
この御仁、日立まで自転車で行く、と。
一瞬、耳を疑ったが、やはり、日立、と。
日立まで100kmあり。
ママチャリで100kmは相当にきつい。
無事に着かれたと思うのだが...。

<徒歩/N氏談>
都内から徒歩で自宅まで帰ろうとしたОLさん、歩き慣れぬため、途中でダウン。

<電車/上総談>
11日の夜は仕官先江戸屋敷で帰宅難民として過ごし、翌朝、JR再開で電車で帰宅。
運行本数は極僅か、長時間の行列待ちで、所要時間約4時間(通常の所要時間、1時間少々)。

<余談/N氏談>
11日の地震後、都内で自転車を購入する人が多く、売り切れ状態。
自転車の代用として、キック・ボードを購入し、それを蹴りながら街中を走るスーツ姿のサラリーマン氏がいたと、twitterへの書き込みあり。
その書き込みを見た、某社の若手社員曰く、「これって、うちの上司じゃないの」と。
なお、これはあくまで余談とし、本比較論では除外としたく。

これらの談話を踏まえると、距離と所要時間からして、断然、優位なのは、自転車であることは申すまでもなきことかと。
健脚の人なら徒歩も優位。
四輪と電車は相当に劣後。
四輪は渋滞したら進まない。
電車も運休再開後はなかなかスムーズに動かない/待たねばならなかった。
道さえ通じておれば、自転車と徒歩は、足さえ動かせば、四輪の渋滞を横目に見て、前に進んでいくのである。
体力の許す限りではあるが...。

幾ら、jitensha 好きとは言え、あくまで、客観的考察(???)による結論であり、自転車を贔屓した訳ではないことを、言い訳がましくも、ここに申し添えておこう。

フォト:2011年3月19日
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by kazusanokami | 2011-03-28 22:23 | jitensha | Comments(6)
2011年 03月 27日

『上総の昼餉散歩/人間入渠余話』

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先日、人間ドックをやった。
数ヶ月前に予約していたものだ。
その後、地震が起こった。
胃カメラを飲んでいる途中で、採血をしている途中で、あのような揺れの地震が起こったなら、どうするんだろうと、あれこれ、考えてしまうんでありました(心配性なんです)。

受付を終えて、各種検査を待つ間、待合室で、看護婦さんと雑談。
「11日の地震のときは、如何でしたか。胃カメラを飲んでいるときに、地震があったらどするんだろうと変な心配もしています。先生を信頼していますけどね」。
「胃カメラではなかったのですが、大腸検査を丁度終えた後に大きく揺れました。次の大腸検査の方から、この日の検査は取り止めとしました。一般外来の患者さんもおられました。ご希望の方は、皆さん、ここで一泊されました。勿論、医者と看護婦も」。

腹部超音波検査。
これはカメラを飲み込む訳ではないので、安心。
医療機器って、結構、儲かると聞いたことがあるなあ、などと思いながら、超音波検査装置のメーカー名を見たところ、Philips 製であった。

胸部X線検査。
装置のメーカー名を見るのを忘れた。
昔、彼の地、倫敦に駐在していた頃、腎臓結石となり、X線検査をしたことがあった。
このときのX線装置には、度肝を抜かれた。
ベッドに寝る。
例の大事なところに鉛板を置く。
天井に設えられたX線装置が寝転がった身体の上まで来る。
ガガガガッと凄い音を立てながら。
天井には2本のレールが設けられている。
そこに、大きなX線装置がぶら下げられている。
まるで、工場の天井クレーンだ。
寝転がっているので、上から圧迫されそうな恐怖を感じさせるような大きさに見えた。
英国人は物を大事にすると聞いたいたが、古色蒼然とした、この装置には驚かされた。
メーカー名は、見ようと思わなくても、自然に見えてしまうような大きさの名板が貼られていた。
Siemens 製であった。
「この装置って、何年製?」と聞いてみるべきだった。
しかし、そのとき、その余裕はなかった。

胃カメラ。
毎年1回、胃カメラは飲んでいるのだが、あの、時々、オエッとなる感じ、涙がぼろぼろ出る感じ、それを思い浮かべると、やはり、これを飲む前は或る種の覚悟が必要だ。
ハァッと溜め息をつく。
「大丈夫ですか」と看護婦さん。
「大丈夫です。先程、読んだ書き物に、溜め息をつくような感じにするとカメラが喉を通り易いと書かれていたものですから、その練習です」。

先生からは、万一、カメラが胃壁にあったりしての出血や、組織を採る場合があるなどの同意書の説明があった。
胃カメラを突っ込んでいる間に、地震があったら、どう対処されますか、と聞こうかと思ったが止めた。
同意書に署名し、「怖がりなもんで、どうぞ、よろしくお願いします。先生を信じています」とだけ告げた。

無事に終わった。
胃カメラの機器のメーカー名を見た。
Olympus 製であった。
ふと、吉村昭著「光る壁」を思い出した。

「口から入れる胃カメラのほかに、鼻から入れるものもあるそうですね」と先生に尋ねた。
「ええ、それもありますが、解像度が悪いので、やはり、口から入れるのをお奨めします」と。
Olympus に感謝、感謝であった。
カメラの愛機は同社製ではないが...。

フォト:2011年3月25日
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by kazusanokami | 2011-03-27 09:58 | 上総の昼餉散歩 | Comments(4)
2011年 03月 26日

『上総の昼餉散歩/芝・増上寺界隈』

3月25日、浜松町のSクリニックで半日人間ドックを受診した。
胃カメラは全くの不得意ながら、1年に1回のこと、今回も何とか耐え忍ぶことが出来た。
詳細結果は後日の郵送となるが、即日の所見では特段のことはなく、ほっとした。

このクリニックには、大振りの油絵が幾つか掲げられている。
即日の所見で特段のことはなく、ほっとした気持ちを表している絵が一枚あった。
それがこの絵である。
蝶は苦手ながら、この日は抵抗もなく...。
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この油絵はボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を思い起こさせる。
左に見える、樹木の葉っぱが蝶に変わりながら飛翔していく姿は、「ヴィーナスの誕生」の左手に描かれている「西風の神」の如きである。

昼餉を摂った。
浜松町WTCビル在の顧客との面談アポは午後1時。
それまで少し間があるので、増上寺界隈を散歩することにした。

東京タワーを眺める。
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弟分の東京スカイツリーは、地震の影響もなく、3月18日、完成時の高さ、634mに到達したと報じられていた。
愈々、「武蔵」に成長したということだ。
一方、兄貴分の東京タワーは、地震の影響で、タワー先端のアンテナ支柱が頂上部分で約5度曲がったが、これも3月18日に補強工事を完了したと報じられた。

そうしたことを思いながら、タワーの先端を眺めると、右手方向に少し傾いているように見える。
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アップで。
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大門を通り過ぎる。
ここにも地震の影響が。
但し、瓦が落ちた形跡はなく、注意喚起だけのようだ。
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増上寺三解脱門。
門の上段に「宗祖法然上人八百年御忌奉賛」の文字が読み取れる。
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大門と同様に、ここでも地震の影響が。
但し、瓦が落ちた形跡はなく、注意喚起だけのようだ。
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境内に入る。
鐘楼脇の枝垂れ桜の桜色が目に飛び込んで来た。
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明るく、暖かい日差しも相俟って、ここは平和そのものである。

大殿本堂でいろいろな思いを込めて合掌する。
本尊は阿弥陀如来である。

この掲示も平和そのものの光景である。
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三解脱門の上段に「宗祖法然上人八百年御忌奉賛」と掲げられていた。
境内では、4月2日から7日までの間、「御忌法会」が執り行われるという掲示もあった。
しかし、帰宅後、増上寺のホームページを開いたところ、3月16日付で「被災されました皆様へ心よりお見舞い申し上げます。今般の東日本大震災をうけ、当年予定されておりました法然上人800年御忌法要を延期致します」とある。
余震などを考慮し、人が集まることを避けるための延期だと思われる。

本堂回廊から、今一度、東京タワーを臨む。
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本堂から浜松町方面を眺める。
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右手後方の浜松町WTCビルに目を遣りながら、20数年間、このビル内のオフィスが勤務先であった頃、「帰宅難民になったときは、会社か増上寺にいるから」と家族に話していたことを思い出す。

節電であろう。
ライトアップ用の照明器具には覆いが掛けられていた。
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鐘楼とその脇に咲きほころぶ枝垂れ桜を、今一度、愛でながら、増上寺を後にし、午後からアポのある浜松町WTCビルに向かう。
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煉瓦造りの建物好きの上総、増上寺前の"The Crescent House"に立ち寄ってみた。
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外見上は、損傷はなさそうであった。
帰宅後、同ホームページを開いたところ、「震災お見舞い」、「幸いな事にクレッセントでの被害は少なく、グラスが2脚破損とエレベーターの安全装置が作動してストップした、という程度のものでした」、「3月23日に営業を再開しました」とある。
現在の館に改築されたのは、1968年。
強固な造りなのであろう。

WTCビルに向かう道すがら、ここで地震に遭ったなら、両脇のビルの窓ガラスが降り注ぐのではないかと、足早に歩を進める。

浜松町WTCビル内の顧客(といっても、旧仕官先。言わば、古巣)を訪問。
先ず、T氏と面談。
「11日の午後、お邪魔させて貰おうと思ったのですが、昼過ぎ、速報ということで電話で話をさせて貰いました。地震は午後2時46分。もし、お邪魔させて貰っていたら、その途上か、このビルで地震に遭っていたことでしょう」。
「よく揺れました。あの夜、何人かはここで一泊。建物の隅の部屋の壁が一部、壊れたり、非常階段の壁が剥がれたりがありました」。
T氏に加え、A氏も交え、ビジネスの話を。
その後、K氏と最近の状況につき、意見交換。
更に、О氏、another A氏と久し振りに懇談。
更に、N氏と久し振りに懇談。
そして、いつも元気一杯のMs.R-sanとも立ち話で盛り上がる。

古巣を後にし、地下鉄を乗り継いで、無事、帰社。

都内に勤務するようになって30有余年。
いつも思うことは、地震が起こったとき、何処で遭遇するかである。
通勤電車内、オフィス、客先オフィス、歩行中、アフター・ファイブの居酒屋、etc。
先のことは分からない。しかし、先読みでの心積もりも必要かと。
しかし、憂いてばかりでも仕方がない。
増上寺の平和な風景の如きことを思い描いて過ごすことも大事なことかと。
被災地のことを思うと然様な暢気なことを言っては不謹慎であろうとの思いも持ちながら...。

フォト:2011年3月25日
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by kazusanokami | 2011-03-26 09:48 | 上総の昼餉散歩 | Comments(5)
2011年 03月 25日

『地震お見舞い/獅子奮迅』 ds-7

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我が国は地震国。地震は我が国の「獅子、身中の虫」と言えるであろう。
しかし、今般の東北地方太平洋岸地震とそれに伴う大津波がもたらした東日本大震災を「獅子の子落とし」の諺に擬えるのは余りにも酷というものであろう。
震災や原発事故に関する「獅子吼」は結構なことであるが、極、一部を除いて、殆どの学者先生評論家の皆さんは、一般庶民に分かり易いよう、発言、説明、解説をすべきであろうう。
今は、只、被災地で捜索、復旧に携わっている人々の「獅子奮迅」の働きに敬意を表するばかりである。
本メッセージは、これもまた、目下、被災復旧で「獅子奮迅」の働きをしている、我が盟友、伊豆守殿へ送るものでもある。

フォト:2011年1月25日
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by kazusanokami | 2011-03-25 06:36 | Comments(2)
2011年 03月 23日

『地震お見舞い』 ds-6

3月18日(金)、「偶然の疎開先」から立ち戻るkazusayomeを東京駅へ迎えに行った。
迎えに行った理由は、第5話で綴った通りである。
新幹線改札口で「上り、12:33着のひかり10号は何番線に到着でしょうか」と尋ねる。
「17番線です」との答え。
17番線に向かう。

子供連れの姿が目立つ。
翌日から三連休だからだろうか、春休みだからだろうか。
関西に住まいする友人のD氏からは長女家族が疎開して来るとの報が、N氏からは孫二人が疎開して来るとの報もあった。
三連休だからでもなく、春休みだからでもなく、疎開のように思えた。
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ホームに上がる。
17番線には、12:30発、下り、のぞみ35号博多行きに乗車する人たちが並んでいた。
指定席の行列は、子供連れも含め、10人足らずと僅かである。
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自由席近くなると、大勢、列をなしている光景となる。
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指定席の行列は僅かながら、自由席は随分な行列である。
子供連れなら指定席を求めるところであろう。
指定席の行列は僅かな人数ながら、品川、新横浜、それ以西の予約者も含め、満席であり、予約が取れず、止む無く、自由席に並んでいるのであろう。
子供連れで座れないとなると、なかなか辛いものがある。
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このおチビちゃん家族は列の順番からして、多分、座れるだろうと思い、他人事ながら変に安心したりして...。
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こちらの水色のお嬢ちゃんも大丈夫であろう。
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下り、のぞみ35号博多行きは定刻通りに出発。
その後、上り、のぞみ10号も定刻通りに到着。
kasusayomeが降りて来る。
疎開先からの長の道中、途中、何事もなく、ほっとする。
「本当に疎開する人」、「偶然の疎開から戻った人」、これらを眺めながら、その思いはなかなか複雑なものがあるが...。

疎開先では、桃の花が満開。
メジロが数羽、桃の花と戯れていたと。
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ミツマタの蕾もほころぶ。
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車窓からの富士の眺め。
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桃、ミツマタ、富士の写真だけ眺めていると、何事もなかったかの如く、平和そのものなのだが...。

フォト:2011年3月18日

(完)
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by kazusanokami | 2011-03-23 23:28 | deep sympathy | Comments(4)
2011年 03月 21日

『地震お見舞い』 ds-5

3月14日(月)、JR常磐線不通(但し、上野/松戸間を除く)にて自宅待機。
この日の我が地区、第5グループの計画停電は15:20~19:00であった。
しかし、この日は朝から何処のグループも計画停電は実施されずに、夕方となった。
17:00頃であったろうか、TVを見ていたところ、第5グループの計画停電を19:00まで実施すると報じられた。
しかし、停電することなく、過ぎた。
その後、静岡と茨城の一部地域で実施されたと報じられた。
停電しなかったことは有難いことではあったが、何やら、段取りの悪さを感じた。

3月15日(火)、JR常磐線再開(但し、上野/取手間)にて登城。

同日午後、15:55着信で、東雲くんから「会社から帰宅指示が出ました。明日から自宅待機...」とのケータイ電子飛脚便が到来。
そうこうしているうちに、16:05着信で「福島原発などの影響による交通の混乱が想定されるため、16:00に退社せよ」との当仕官先内電子飛脚便が到来。
併せて、翌16日(水)については「報道発表等を正しく確認し、危険な状態であると判断される場合には、自宅にて待機してください」との指示も。
自宅待機を指示する藩と、個人の判断に委ねる藩、さて、どちらがよいかなどと考えながら、退社する。
大きな交通混乱に巻き込まれることなく、帰宅。

高層長屋の電梯乗り口に張られた「計画停電予定」に見入る。
計画停電の予定時間と生活行動を照らし合わせ、あれこれ、考える。
kazusayomeは、偶々、地震発生の前日から実家へ行っており、引き続き、実家で「疎開」中なので、自分自身のことだけ考えておけばよい。
これは大いに助かる。
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16日(水)は9:20から。通勤時間帯を外れているから大丈夫。
17日(木)は6:20から。早朝、出発するか、いつも通りの出発時間なら階段と腹をくくる。
18日(金)は18:20~22:00まで。
これは帰宅時であり、且つ、電気のないところで過ごさねばならない。
一考を要す。

3月16日(水)、TV報道で状況を判断。前日と同様、通勤電車は動いているので、登城。
前日と同様、16:00に退社せよとの指示により、即、帰宅。
念のため、市のホームページで計画停電を確認したところ、18日(金)までの停電は全て中止となっていた。
有難や。

3月17日(木)、登城。
以前から「戻りたい、戻りたい」と申すkazusayomeであったが、「アカン!そのまま『疎開』しておけ!」と伝えていました。
この日の朝も、再び、帰りたい、帰りたい、と。
ただ、戻るな!だけでは駄目なので、幾つかの判断基準、指針を伝えた。
これに対し、特段の応答はなかった。

午後、「16:00に退社せよ」との指示。
大規模停電で交通の混乱が予想されるため、と。
16:00に、即、退社。
東雲くんからも同様の電子飛脚便が到来。
早めに帰宅したので、交通混乱には巻き込まれなかったが、帰宅後に見たTVニュースでは、ターミナル駅をはじめとして、各駅で大混乱となったと報じられていた。
特段の所用がない限り、先んじての対応が大事と改めて思った。

3月18日(金)、登城。
登城の途上、kazusayomeより「今から帰宅します」とのケータイ電子飛躍便が到来。
前日、知らせて判断基準、指針に沿っての事前相談はなかったが、大人の判断であるから、許容した。
「乗車した新幹線の便名、発着時刻を知らせよ。途中、万々一の場合は、枚方郷上総実家、もしくは、名古屋城下尾張守を頼れ」と返信。

さて、ここで、どのくらい、電力が不足しているのか、東京電力の発表や新聞報道などの抜粋により把握してみたい。
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東電管内では、現在、事故の起きた福島第1原発と、停止中の第2原発の約910万kwに加え、火力発電所も、広野(福島県広野町)、大井(東京都品川区)など5発電所の9基、約715万kw分が、停止に追い込まれている。
東電はこのうち、大井の2号機や東扇島1号機(川崎市川崎区)など、被害が軽微なものを再起動させ、早期復旧を目指す。
一方で、地震や津波被害による破損が激しい広野や、常陸那珂火力発電所(茨城県東海村)の復旧には相当時間がかかるとみられ、休眠中の火力発電の再開を検討している。
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通常、冬場で5,000万kw、夏場で5,500万~6,000万kwの電力供給力が必要である。
その結果、東京電力は、政府中枢機関の多い千代田区、港区、中央区の3区を除く、都内20区においても、夏には、計画停電が必要となる可能性を示唆した。
東京電力は、現在、復帰や再稼働を目指している東扇島、鹿島、横須賀を含めると発電量は4,863万kwに達し、供給量は推定4,200万kw万までは回復できそうである。
そのため、今年の夏は大規模な節電が強いられることになる。
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3月17日付日刊工業新聞に「応援受電の仕組み」が掲載されていた。
箇条書きにすると次の通り。
1)北海道電力から東電への応援:
北海道電力が供給可能なのは北海道と本州を結ぶ北本連系設備(津軽海峡)があるからとのこと。
周波数は50Hzなので問題はないが、上限は60万kwに限られるとのこと。
2)東北電力は東電以上の損害を受けており、東電への応援は不可能。
3)中部電力以西の電力会社の東電への応援:
東電以北の周波数は50Hz、中部電力以西の周波数は60Hzが問題となる。
西日本の電力会社が東電に電力を送る場合には、周波数変換所を通すことになるが、その要領は100万kw(※)までとのこと。
※新信濃変換所(長野県朝日村):60万kw+東清水変換所(静岡県清水市):10万kw+佐久間変換所(浜松市天竜区)30万kw。
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西と東で周波数が異なる理由について、今一度、おさらいをする。
「日本国内での交流電源の周波数で東日本の50Hzと西日本の60Hzの周波数の相違がある。これは明治時代に関東では東京電燈が50Hz仕様のドイツ・AEG製発電機 (AC 3kV 265kVA) を、関西では東京よりわずかに遅れて大阪電燈が60Hz仕様のアメリカ・GE製発電機 (AC 2.3kV 150kW) を採用し、これらを中心として次第に東日本・西日本の周波数が集約されていった結果である。第二次世界大戦直後、復興にあわせて商用電源周波数を統一するという構想があったが、復興が急速に進んだことで実現がほぼ不可能になってしまったとされる。」(出典:WIKIPEIDIA)
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この「応援受電」、量的には僅かとのことながら、いつから始まるのかは不明ながら、期待したい。

その後、17日の大規模停電、18日の朝刊報道「電力、総量規制も検討」と、「計画停電」どころか、刻々と電力事情も変わって来ている。
電気がなければ、何も出来ない世界で生きている、これも宿命である。

今は、唯唯、福島原発での、自衛隊員、機動隊員、東電社員、メーカーから派遣された応援者の皆さんの懸命な活動に敬意を表するばかりである。

話を戻す。
kazusayomeより「岡山発09:14発のぞみ10号に乗車」とのケータイ電子飛脚便が到来した。
「のぞみ10号は12:33東京着予定。東京駅新幹線ホームへ向かえに行く」と返信。
迎えに行く理由は、この1週間の様子はケータイ電話・電子飛脚便で伝えているが、今一度、face to faceで伝えておく必要があると思ったこと、18日夕は、kazusayomeが不在であった大地震発生当日の如くに、帰宅難民、江戸篭城で過ごす訳には行かないため、この日だけでも、一緒に自宅へ戻っておくのが得策と思ったからである。

フォト:2011年3月15日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-03-21 23:58 | deep sympathy | Comments(0)
2011年 03月 20日

『地震お見舞い』 ds-4

唐辛子。
大地震で、玄関先に飾ってあった、大振りの花瓶が落下。
この花瓶には、唐辛子がたわわについた株が挿されていた。

割れた花瓶の破片を拾って片付けた。
この花瓶は、昔、本町普請奉行殿の細君から頂戴したもの。
地中海風の、黄色と茶色の色合いと大振りのその姿が気に入っていた。
残念であると思うと共に、ブルータックで止めておけばよかっと反省するも、申し訳ないことをした。

枝から落ちて散乱した唐辛子は、掃き集める前に、部屋の中の被害が軽微であったことに感謝の意を込めて、カメラに収めた。
a0104495_148486.jpg
唐辛子をわらで編み込み、壁などにつるしておくと魔よけになると言われる。
唐辛子が乾燥することにより、ひとつずつ落ちるさまを「ひとつ落ちるごとに厄も落ちる」とも言う。
縁起を担ぐ性質(たち)ではないが、このような唐辛子の力を信じたい。

この唐辛子は、数年前、讃岐守夫妻と伊豆下田に遊んだとき、浜辺で開かれていた朝市で、sanukiyome殿が購ってくれたものだ。
sanukiyome殿にも感謝だ。

花瓶に代え、紙袋に挿し、今一度、玄関先に飾った。
厄除けの御利益を念じて...。
a0104495_115385.jpg


フォト:2011年3月13日、20日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-03-20 23:58 | deep sympathy | Comments(0)