『上総守が行く!』

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2011年 08月 31日

『私の履歴書/小泉淳作画伯』

今日で8月も終わりだ。
今月の日経朝刊『私の履歴書』は日本画家の小泉淳作画伯であった。

鎌倉・建長寺の法堂天井画「雲龍図」を描くに至った経緯が綴られていた。
今年4月の「古寺巡礼ポタ」で鎌倉を巡った際に撮った、建長寺の雲龍画がこれだ。
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日本の龍にしては珍しく、五本指の龍である。

建長寺の「雲龍図」が縁となって、京都・建仁寺の「双龍図」に繋がった経緯も綴られていた。
建仁寺の「双龍図」は未だ観たことがない。
楽しみがまた増えた。

フォト:2011年4月24日
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by kazusanokami | 2011-08-31 19:22 |
2011年 08月 30日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-2

六本木交差点を過ぎると、東京電波塔が見えて来る。
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3.11の巨大地震で曲がってしまったアンテナは、今も曲がったまま。
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例え、アンテナが曲がろうとも、東京天空塔の兄貴分、東京電波塔は いつ見ても堂々としている。
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東京タワー下でよく見掛ける光景、それはカラフト犬の記念像前で東京タワーと一緒に子供の写真を撮ろうと、一生懸命のパパやママ。
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タワー下の「カラフト犬の記念像」。
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碑文
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南極観ではたらいたカラフト犬の記念碑
1959年
財団法人 日本動物愛護協会
1956年11月 
南極観測隊のそり犬として同伴してその功績はおおきかった
1958年2月
観測隊の引きあげのとき15頭は鎖につながれたまま残された
1959年1月
第三次観測隊が奇跡的に生存したいたタロー、ジローの2頭を発見収容したが他の13頭は餓死したものと思われる
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先月は「南極条約五十周年」であった。
義兄、讃岐守殿からその記念切手のシートが送られて来た。
記念切手にはペンギンが描かれており、ペンギン・コレクションも趣味のひとつである小生のために送ってくれたものだ。
御礼の手紙には、幼き頃の記憶である、タロー、ジローの話や南極観測船「宗谷」が氷に閉ざされ、ソ連の「オビ号」に救出された話を綴った。
そして、何故、東京タワーの下に、カラフト犬の像があるのかも綴った。
そうしたこともあり、今回、東京電波塔・東京天空塔の兄弟塔を眺めることもさることながら、カラフト犬の記念像を今一度、しっかりと見た次第である。

フォト:2011年8月27日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-30 23:59 | 大江戸大周遊
2011年 08月 29日

『大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ』 et-1

8月27日、曇り。
大江戸大周遊ポタに出掛ける。
メンバーは、大給守殿、伊豆守殿、武衛殿、そして、上総の四名。

くそ暑い7月に企画したので、暑さを凌ぎ易い江戸府内ポタとしたが、「赤穂浪士討入凱旋の旅」、「浪士お預け四家の旅」、「瑤泉院ゆかりの地を訪ねて」、「江戸府内ビル日陰ポタ」、「日本近代建築の父 ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」、「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」、「本郷田端文学の旅」、ハリポタ藩関東遠征時の「お上りさんポタ」など、既に都内のあちらこちらを巡っており、ネタ不足。

2006年と2007年に参加した「東京シティサイクリング」を思い出し、「東京シティサイクリング2011」のHPを参照したところ、2006年、2007年とはコースが少し異なり、豊洲折り返しが東京ビッグサイト折り返しとなっており、即、都心に戻らず、隅田川東岸を北上し、東京スカイツリーを巡って、都心に戻るコースとなってた。
自転車で東京を眺めようというのが「東京シティサイクリング」の趣旨なので、634mに到達した東京スカイツリーをコースに含めるのは妥当なこと。
これをヒントに、「東京シティサイクリング2011」のコース(但し、同HPでは航空写真だけでのコースガイドなので、それを参考に上総なりにコース設定)をなぞって走ることにした次第。

弟分の「東京天空塔」に加え、勿論、兄貴分の「東京電波塔」もルートに入れて。
我らは、東京電波塔世代なので。

題して、「大江戸大周遊/東京電波塔&東京天空塔巡察ポタ」。

集合場所の新宿へ向け、輪行。
途中、松戸から江戸川を渡る辺りで、東京天空塔が車窓から見えて来る。
第一展望台の辺りから上は雲に隠れている。

南千住を過ぎる辺りからの方角から見ると、展望台の辺りに雲がなびき、その雲上に尖塔が見える。

東京都庁第一庁舎/都民広場に集合。
「今日の jitensha」。
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「今日の jitrensha」の撮影よりもっと大事なこと、それは、エアー・チェックとエア充填。
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東京都庁/都民広場を出発。
目指すは、東京ビッグサイト折り返し、ゴールの神宮外苑絵画館前。
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代々木公園西側の周回路から表参道に向かう。
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表参道を走る。
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まだ、朝早いので、人通りは少ない。

表参道から青山通り交差点に至る。
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青山通りから青山墓地を抜ける。
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新国立美術館前で一服。
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まだ、朝早いので、開館前。
それでも、開館を待つ人が何人かいた。
絵画鑑賞は空いている時間帯が一番だ。

六本木交差点で、「奏でる乙女の像」を眺める。
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六本木らしい警告板も眺める。
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フォト:2011年8月27日
フォト#3、4&6:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-08-29 21:13 | 大江戸大周遊
2011年 08月 28日

『夜明けの訪問者』

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フォト:2011年8月28日
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by kazusanokami | 2011-08-28 23:27 |
2011年 08月 26日

『上総の昼餉散歩/ト音記号』

神田錦町から神田小川町にかけて昼餉散歩をしているとき、或る建物で、いつも気になるものがある。
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それは、或る建物の入口の、こんな形をした扉の把手である。
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ト音記号は、何故、こんな形をしているのか。
それは、ト音はソの音、アルファベットではGであり、Gを変形させ、この形になっている。
因みに、ヘ音記号は、となると、ヘ音はファの音、アルファベットではFであり、Fを変形させ、ヘ音記号の形となっている。
ト音記号やヘ音記号からGやFを想像するのはなかなか難しいことだが、GやFを変形させ、このような音部記号を編み出した音楽家は誰なのであろうかと、そして、その人物の想像力と創造力に思いを馳せるのも楽しいことだ。
そして、また、扉の把手にト音記号を採り入れた、このビルのオーナー、或いは、デザイナーのセンスに思いを馳せるのも楽しいことだ。
この扉の内側の把手が「ヘ音記号」であれば、もっと面白いかもしれない。

余談ながら、小生は、封書をしたためたとき、「〆」の代わりに「ト音記号」で封印している。
ここしばらくは、銀座の伊東屋でゲットした「封」というシールを使っているが、これを機会に「ト音記号」の封印に戻すことにしよう

フォト:2011年8月26日
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by kazusanokami | 2011-08-26 20:21 | 上総の昼餉散歩
2011年 08月 24日

『上総の昼餉散歩/高校ジャズ・バンド』

昨夕、我が盟友のブログ「摂津守参上!」で、8月23日付アップロードの"2011 Japan Jazz Student Festival in Kobe" を拝見した。
学校名とバンドの写真をひとつずつ眺めていたところ、何と、我が仕官先江戸屋敷近くのS学園高等学校のジャズバンドが出場してしているではありませんか。

S学園高等学校の前を通る都度、校舎の表に吊るされた「〇〇部〇〇大会出場」などの垂れ幕を見ることがあるが、仔細に眺めたことはなかった。
ジャズバンド部の垂れ幕はあったかな?と思いながら、早速、本日、同地へ昼餉散歩に出掛けた。
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残念ながら、ジャズバンド部の垂れ幕はなかったが、校舎の外にある掲示板に目を遣ると、青地のポスターが貼ってあった。
"KOBE JAPAN STUDENT JAZZ FESTIVAL 2011" のポスターであった。
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今、学校は夏休みだが、"夏練"の音色は聴こえて来ない。
夏休みが明ければ、放課後、彼らのジャス・サウンドが聴こえて来るかもしれない。
「上総の夕方散歩」が楽しみだ。夕方、仕官先江戸屋敷から抜け出さねばならないが...。

得意(???)の余談を少々。
昨日、マイ・ブログに「上総の昼餉散歩/一ツ橋」をアップロードした。
一ツ橋の学士会館の向かいは共立講堂。
共立講堂の建物には工事用のシートが施されており、絵にならないので、写真は撮らなかったが、共立講堂には思い出がある。
学生時代、共立講堂では、しばしば、イベントが催されていた。
或る時、FM東京(まだ、その前身のFM東海であったかもしれない)主催のジャズ・コンサートがあった。
夕方6時から始まり、最初は大学のアマチュア・バンド、その後、プロのバンドの演奏であった。
アドリブ、アドリブが続き、ひとつのバンドの演奏がなかなか終わらない。
コンサートは延々と続き、最終電車で帰った記憶がある。
後日、FM東京でオン・エアされたが、2時間くらいの番組に見事に編集されていた。
出演したバンドの名前は記憶の彼方であるが、北村英治のクラリネットだけは何故か鮮明に記憶に残っている。
北村英治は1929年の生まれ、80歳を越えた今も現役である。
彼のホームページを開いたところ、クラリネットを持った姿がトップ・ページに現れた。
あの、きちっと七三に分けた白髪(昔から白髪であった)、そして、あの、にこやかな笑顔で。

"Japan Student Jazz Festival" に出場した若者たちの幾人かは、何れ、北村英治のように、日本のジャズ界を支えていくのであろう。

フォト:2011年8月24日
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by kazusanokami | 2011-08-24 21:10 | 上総の昼餉散歩
2011年 08月 23日

『上総の昼餉散歩/一ツ橋』

ここ暫らく、鬱陶しい天気が続いたが、気温は30度以下で凌ぎ易かった。
今日は久し振りに夏の太陽が。
気温は上昇し、暑くなったが、久し振りに昼餉散歩に出掛けた。

一ツ橋界隈。
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さて、「一ツ橋」の地名の由来は?と、いつもの通り、由来調べの癖が湧き上がる。
早速、調べてみた。
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「一ツ橋」の地名は、中心部よりやや南を南東から北西へ縦断する日本橋川に架かる一ツ橋(一橋)に由来している、。
一ツ橋付近は、元々、日本橋川と小石川(現在の白山通り)の合流地点であり、合流点をあらわす「ひとつ」がこの地点に架かる橋の名称、更に、この付近の地名になった。
町名の由来となった一ツ橋は、「一橋御門」の築造以前から存在していたと考えられている。
江戸時代初期に、この橋の前に江戸城の外郭門が築造され、「一橋御門」と命名された。
8代将軍徳川吉宗は、子の宗尹(むねただ)に一橋門内に屋敷を与えて一橋家を創設、後に御三卿の一つに数えられた。
地名が「一ツ橋」と表記されるのに対し、御三卿の家名は一般に「一橋」と表記される。
江戸幕府終焉後の1873年(明治6年)になって一橋門は撤去された。
(出展:ほぼ、wikipediaを丸写し)
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学士会館。
一ツ橋は「大学発祥の地」。
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一ツ橋および隣接の神田錦町に、東京大学、一橋大学、東京外国語大学、学習院の前身校が設置されたことで、この一帯は明治時代の一時期には文教地区の観を呈し、各大学の校史において「発祥の地」として位置づけられている。

学士会館脇の、二つの碑。
そのひとつは、学士会館南角の「新島襄生誕の地」碑。
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この地に上野国安中藩江戸屋敷があった。
新島襄は上野国安中藩藩士の子として、ここで生まれた。
新島襄が同志社英学校(のちの同志社大学)を創立し、明治六大教育家の一人と称されるようになったが、新島襄の生まれたこの地一帯が、明治時代の一時期、文教地区となったのは奇遇である。

もうひとつは、学士会館北角の「日本野球発祥の地」記念碑。
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碑 文
この地には、もと東京大学およびその前身の開成学校があった。
一八七二(明治五)年学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれた同校でアメリカ人教師ホーレス・ウィルソン氏(一八四三~一九二七)が学課の傍ら生徒達に野球を教えた。
この野球は翌七三年に新校舎とともに立派な運動場が整備されると、本格的な試合ができるまでに成長した。これが 「日本の野球の始まり」といわれている。
七六年初夏に京浜在住のアメリカ人チームと国際試合をした記録も残っている。
ウィルソン氏はアメリカ合衆国メイン州 ゴーラム出身、志願して南北戦争に従軍した後、七一年九月にサンフランシスコで日本政府と契約し、来日。
七七年七月東京大学が発足した後に満期解約、帰国した。
同氏が教えた野球は、開成学校から同校の予科だった東京英語学校(後に大学予備門、第一高等学校)その他の学校へ伝わり、やがて全国的に広まっていった。
二〇〇三年、同氏は野球伝来の功労者として野球殿堂入りした。
まさに、この地は 「日本野球発祥の地」である。
二〇〇三年十二月 財団法人 野球体育博物館
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暑い最中ながら、よい汗(ホンマかな?)をかきながらの、軽く歴史を辿っての昼餉散歩であった。

フォト:2011年8月23日
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by kazusanokami | 2011-08-23 20:16 | 上総の昼餉散歩
2011年 08月 20日

『夏休み』

夏休みも終盤。
ここ数日、天気予報士の言葉を借りれば、前線が南下、北から冷たい空気が流れ込み...ということで、天気はいまひとつ。
唯、気温が30度以下というのは有難い。
今日は朝から雨が降りそうで降らない。
夕方、"還暦創輪号"に跨り、軽く、手賀沼へ、夕暮れポタに出掛けた。

夕暮れポタと言えば、夕陽が定番だが、ドンヨリとした空...。
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明日21日は「第6回手賀沼トライアスロン大会」。
会場設営は準備万端。
明日の天気は、北の風、雨、最高気温26度との予報。
小生が出場する訳ではないが、天気は気になる。
トライアスロンのコンディションとしては如何なものなのであろうかと...。
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フォト:2011年8月20日
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by kazusanokami | 2011-08-20 19:15 | ポタリング
2011年 08月 19日

『風景/夏の朝』

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フォト:2011年8月15日
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by kazusanokami | 2011-08-19 06:31 | 風景
2011年 08月 18日

『夏休み』

布施弁天、早朝参拝。
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睡蓮を見るとモネを思い出す。
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久しぶりに"利根川シュガーロード"を走る。
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蒸し暑い、早朝、45.1kmのポタであった。

フォト:2011年8月16日
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by kazusanokami | 2011-08-18 05:48 | ポタリング