『上総守が行く!』

kazusanokm.exblog.jp
ブログトップ

<   2011年 09月 ( 48 )   > この月の画像一覧


2011年 09月 30日

『或る町kb/白い街燈のある風景』

a0104495_20503477.jpg


フォト:2011年9月28日
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-30 23:38 | 或る町kb | Comments(0)
2011年 09月 30日

『木道のある風景』

木道を降り、草むらに這い蹲ると、昆虫写真家、或いは、爬虫類写真家になれるのかもしれない。
長靴を履いて...。
a0104495_547472.jpg


フォト:2011年9月17日、手賀沼ポタリングにて
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-30 20:57 | 風景 | Comments(0)
2011年 09月 29日

『上総の昼餉散歩/竹橋を渡って~国立公文書館~』 bb-8

織田信長朱印状。
a0104495_5303533.jpg
先程の「浅井長久・長政連署起請文」でも出て来た、朽木元綱への朱印状である。
a0104495_5305484.jpg
朱印は馬蹄形、印文は「天下布武」、との説明書きを読んで、今一度、朱印をじっくりと。
a0104495_5311268.jpg
豊臣秀吉朱印状。
a0104495_9135611.jpg
a0104495_914957.jpg
徳川家康判物。
a0104495_9142980.jpg
a0104495_9144187.jpg
花押は、大いに興味のあるもののひとつ。
a0104495_917460.jpg

帰りがけに、受付の警備員さんと会話。
「こんにちは。先日はどうも」。
先日はどうも、とは、9月9日の"下見"の際に、展示物の写真撮影のことについて問うたところ、フラッシュを焚かなければ、大丈夫ですよ、との会話をしたからであった。
先方さんが覚えておられるかどうかは別として。
続けて、「2階の閲覧室は、大勢、来られますか」。
「1日に15人くらいです。殆ど、専門の方です」。
「といいますと、学者さんとかですか」。
「学生さんが多いですね。学生さんの休みの時期は大勢、来られます」。
「閲覧室には、どれくらい席があるのですか」。
「30席くらいです」。
「今日の展示物は、大変、興味のあるものばかりでした。閲覧室で、手に取って、原本を見ることが出来るとなると、嬉しいことです。今日は時間がないので、1階の展示室だけですが。退職したら、2階の閲覧室にも、是非、行きたいですね」。
「退職したらと言われず、是非、何度もお越しください。年に二度、この1階で特別展をやります。4月と10月です。10月初めから20日間、開催します。土日、祝日もやります。そのときは大勢、来られます」。
「そうですか。4月は、あちらのパンフレットの棚に小冊子がありましたが、『徳川御家人 幕臣たちの実像』だったんですね」。
「10月の特別展はどういうものかは自分は知りませんが、特別展のときは、小冊子が作られます」。
「いろいろとお聞かせ戴き、有難うございました」。

公文書館の外へ出る。
太陽がまぶしい。
パレスサイドビル/毎日新聞社方面を見遣る。
a0104495_931612.jpg
竹橋越しに、パレスサイドビル/毎日新聞社を望む。
a0104495_9333673.jpg
残暑の中での、竹橋、東京国立近代美術館、そして、国立公文書館の昼餉散歩、汗だくで、仕官先江戸屋敷に戻る。
汗だくだが、いいものを見たという満足感でいっぱいであった。

ここで、9月15日の「上総の昼餉散歩」の結びとしようと思っていたところ、本29日、仕官先からの下城時、地下鉄竹橋駅で、ふと、ホームの広告掲示板をみたところ、国立公文書館の掲示がこれまでのものとは変わっていることに気付いた。
a0104495_2024083.jpg
国立公文書館の警備員さんが言っていた、10月1日からの「秋の特別展」の案内であった。
残暑から、涼やかな初秋に。
そうした中、再び、竹橋を渡り、国立公文書館まで「上総の昼餉散歩」をしてみよう。

フォト:2011年9月15日、9月29日

(完)
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-29 20:08 | 上総の昼餉散歩 | Comments(0)
2011年 09月 28日

『或る町kb/希望の船出』

a0104495_0165823.jpg

神戸港移民船乗船記念碑。
台座には、「希望の船出」の言葉と共に、"De Kobe para o mundo"、「神戸から世界へ」の言葉も刻まれている。
移民は希望に溢れるものであったであろうが、と同時に、その言葉には、何か、物悲しいニュアンスも感じる。
この像の前で、そんなことを思った。

フォト:2011年9月28日 07:35 a.m.
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-28 23:58 | 或る町kb | Comments(4)
2011年 09月 28日

『或る町kb /マーブリング・キッズ像』

a0104495_0344721.jpg

ビー玉遊びに興じる、ふたりの子供。
朝日が映し出す、ふたつの影も楽しげだ。

フォト:2011年9月28日 07:30 a.m.
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-28 23:58 | 或る町kb | Comments(0)
2011年 09月 28日

『或る町kb/朝日のあたる街角』

a0104495_074285.jpg

"或る町kb"へ藩命行脚。
"或る町kb"を早朝散歩するのも楽しみのひとつだ。
初秋の朝、空気は澄み、朝日がまぶしい。

フォト:2011年9月28日 07:04 a.m.
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-28 23:46 | 或る町kb | Comments(0)
2011年 09月 28日

『上総の昼餉散歩/竹橋を渡って~国立公文書館~』 bb-7

浅井長久・長政連署起請文。
a0104495_4181283.jpg
a0104495_4182321.jpg
朽木氏は近江国高島郡朽木谷(琵琶湖の北西部)の豪族。
1570年(元亀元年)、織田信長の朝倉攻めで浅井長政が裏切ったとき、信長は浅井の領地である湖東を避けて朽木村経由で帰郷しようとした。
このとき、朽木元綱は信長を助け、後に家臣に取り立てられた。
関が原の戦いでは、東軍に寝返り、江戸時代も大名、旗本として朽木氏は続いた。
浅井家が信長に滅ぼされたのは1573年(天正元年)のこと。
この、浅井長久・長政連署起請文は1568年(永禄11年)となっており、浅井家の滅亡は、僅か、その5年後のことである。
2009年9月に、琵琶湖の周辺を描いた、ドキュメンタリー映画「映像詩 里山」を見た。
そして、その年の11月、ハリポタ藩の面々と共に「琵琶湖周遊ポタリング」をした。
湖西を走っている途中、いつか、朽木村(現・高島市朽木)を訪れてみようと、ハリポタ藩軍師殿と話した。
この起請文を見ながら、そんなことも蘇って来た。

「諺草」のあとは、一気に、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と思ったが、「朽木」の文字に誘われてしまった。
次は、間違いなく、信長、秀吉、家康の揃い踏みである。

フォト:2011年9月15日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-28 06:35 | 上総の昼餉散歩 | Comments(2)
2011年 09月 26日

『上総の昼餉散歩/竹橋を渡って~国立公文書館~』 bb-6

「連続企画展」に続いて、次は「今月のアーカイブ ピックアップ」だ。
事前に、国立公文書館のホームページを参照し、「国立公文書館は、昭和46年(1971)7月1日に開館し、本年で40周年を迎えます。これを記念して、従来の常設展に変えて、今年度は、月替わりで所蔵資料による連続企画展を行います。また、『今月のアーカイブ ピックアップ』として、当館ホームページ『今月のアーカイブ』でご紹介した資料の原本を月替わりで展示します」と承知していたので、この展示を見るのも楽しみにしていたひとつである。
a0104495_2561237.jpg
諺草。
「今月の展示資料は、千月と同じく、貝原好古(かいばらよしふる)が元禄12年(1699)に著した『諺草(ことわざぐさ)』。イロハ順に諺や俗語を挙げ、その意味を解説しています」との説明を読み、『諺草』なるものに目を通す。
a0104495_2563490.jpg
このページでは、右から「槿花一日の栄」、「狂人走れば不狂人も走る」、「麒麟も老いれば駑馬の劣る」、「九牛の一毛」、「狐、虎の威をかる」などの諺が挙げられており、その意味は漢文で書かれている。

もとの木阿弥。
原文では、ここから始まるよと、赤い矢印が置かれている。
a0104495_2565329.jpg
a0104495_257956.jpg
a0104495_2573077.jpg
原文書き下しと意訳は学生時代によくやった(やらされた、が正しいか)。
この日は、原文書き下し、意訳に加え、原文そのものも見ながらである。
これは楽しい。
原文、原文書き下し、意訳の三つを見比べながらだど、原文を読み下すことが出来たような気がするから不思議だ。

顔のあつきもの。
a0104495_2574369.jpg
「おまけにもう一つ」の書き出しで始まる解説。
この展示を担当しているスタッフさんは、「顔のあつきもの」とは全く無縁の、なかなか、ウィットに富んだ人のようである。

さて、次は、愈々、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康だ。

フォト:2011年9月15日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-26 21:10 | 上総の昼餉散歩 | Comments(0)
2011年 09月 25日

『ポタリング/彼岸花の咲く風景』

秋分の日、和泉鳥見神社の「いなざき獅子舞い」を愉しんだ。
舞いが始まるまで、少し時間があったので、神社近くの路傍に咲く彼岸花と戯れた。
a0104495_18134446.jpg
今朝、彼岸花と言えば、利根運河CRの運河水辺公園近くに、赤い彼岸花と黄色の彼岸花が群生していることを思い出し、これを見物しようと、利根川右岸CRを抜け、利根運河CRへ向かった。

利根運河CRの中程に、古墳を思わせるような小高い丘がある。
丘の上から、利根運河を眺めるのが、いつも、利根運河CRを走るときの楽しみのひとつだ。
今日も、小高い丘に上ってみた。
a0104495_1827777.jpg
a0104495_18281954.jpg
小高い丘の上にある藤棚で、ツクツクボウシが鳴いている。
藤棚の下に、何やら楽しげにしている女の子が二人。
a0104495_18284557.jpg
声を掛けてみた。
「絵を描いているんですね。ちょっと、見せて貰ってもいいですか」。
「どうぞ」。
「まだ、描き始めたばかりなんだ」。
運河と橋の風景がうっすらと描かれていた。
「私は作文です」と、小さい方の女の子。
「何年生ですか」。
「四年生と一年生です。姉妹です」。
「作文を見せて貰っていいですか」。
「どうぞ」。
「なるほど。上手く書けていますね」。
「ツクツクボウシが直ぐ近くで鳴いているんです。何処で鳴いているか、分からないんです」。
「ちょっと、探してみましょう」。
「藤棚の棚のところで鳴いていますよ」。
a0104495_1829820.jpg
「作文は上手く書けているし、字も上手ですね。写真に撮っていいですか」。
「どうぞ」。
a0104495_182929100.jpg
花は、先程、眺めた黄色い花(注1)のことだろう。
そして、確かに、黄色い花に、黄色に黒い斑点のある蝶(注2)が群がっていた。
----------------------------------------------
注1)後刻、花の名を調べたところ、キバナコスモスのようだ。
注2)後刻、昆虫写真家松柏木殿に蝶の名を問い合わせたところ、ツマグロヒョウモンだろう、と。
   図鑑で確認したところ、合致。
----------------------------------------------
「私が話し掛けたので、ツクツクボウシのところが途中になってしまいましたね」。
鉛筆を握り、「つくつくぼうしもないて」の後ろに「いました」の文字が丁寧に書き加えられた。
「お絵かきと作文が終わったら、熱帯魚のお店に行くんです」。
「熱帯魚、それはいいですね。では、素敵な絵と素敵な作文を。お邪魔しました」。
「さようなら」。

マス目の入った小学生用作文ノートは"随筆活動"に丁度いいな、と思いながら、彼岸花の群生地に向かった。

彼岸花の季節は既に終わってしまったのか、今年は咲き乱れることがなかったのか、花は数えるほどしかなかった。
黄色い、大輪の彼岸花を撮ろうとカメラを向けたところ、何やら、黒いものが飛び込んで来た。
a0104495_18305097.jpg
クロアゲハだ。
蝶の苦手な上総、その大きさは手の平サイズかと思う程であった。
オドロキとキョーフを感じながらも、昆虫写真家松柏木殿を真似て、蝶に挑戦!
「蝶」と「挑」を掛け、駄洒落を言うてる場合やない!
やっぱり、キョーフで、手ぇ、震えます。
a0104495_183182.jpg
クロアゲハがいなくなったところで、もう一枚、彼岸花のフォトをと思ったところ、向こうの方の黄色い大輪に、また一羽、クロアゲハが。
a0104495_18312118.jpg
やっぱり、キョーフで、手ぇ、震えます。

江戸川との合流地点/運河河口公園で折り返す。
利根川右岸CRを抜け、柏あけぼの山農業公園に立ち寄る。
春はチューリップ、秋はコスモス、その向こうは、いつもと変わりなく、メタセコイヤと風車の風景。
a0104495_18314422.jpg
a0104495_18315837.jpg
帰路、創輪塾へ立ち寄り、塾長に"還暦創輪号"のメンテを施してもらい、更に、市川市の煉瓦造りの建物の情報を頂戴した。

"現場主義"をモットーとする上総、写生は元々、現場主義なるものと思うも、作文を現場で綴っている小学一年生に遭遇し、現場で綴る作文、これはいいな!と思った。
但し、この小学一年生、現場で綴っているが、現在形ではなく、過去形になっていた。
しかし、ここで難しい話をするつもりはない。
"随筆活動"をするに当たって、子供に教えられる思いであった。

フォト:2011年9月23日、25日
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-25 21:02 | ポタリング | Comments(4)
2011年 09月 25日

『上総の昼餉散歩/竹橋を渡って~国立公文書館~』 bb-5

国立公文書館創立40周年記念/連続企画展/第4回「公文書資料群の形成」。

大日本帝国憲法、日本国憲法、国立公文書館法など、興味深く、見た。
続いて、興味深く、見たものは...

『華族家記 浅野長勲』/第二巻/自慶応三年十月至明治三年十一月。
「華族家記」の文字よりも「浅野長勲」の文字に惹かれた。
そして、この家記に目を通すと「藝州藩」が文字が目に入る。
芸州浅野家は赤穂浅野家の本家筋。
赤穂浪士、忠臣蔵を趣味とする小生は、こうした文字を見ると血が騒ぐのである。
a0104495_21335812.jpg
「藝州藩 其藩蒸気御用有之候間品川沖滞舩候様御沙汰候事 六月十五日 大総督府下参謀」と記されている。
赤い矢印の置かれているところには「浅野中納言 廣島藩知事被 仰付候事 明治二年己巳六月」と記されている。
明治二年己巳(つちのとみ、きし)は、1869年のことである。
a0104495_4571719.jpg
浅野家のことを語りだすと長くなるが、簡単に綴ってみたい。
浅野家は豊臣秀吉の正室・北政所の実家で、浅野長政(養子)は豊臣政権の五大奉行筆頭。
関が原の戦いの後も、浅野家は存続。
浅野家本家、芸州浅野家の祖は浅野長晟(ながあきら)。
紀伊和歌山から安芸国広島に移封された1619年(元和5年)以降、浅野長勲(ながこと)が第12代藩主を務めた幕末まで存続した。
分家は、赤穂浅野家(断絶、後に、旗本として復活)、三次浅野家(断絶)など。
浅野長勲は、幕末には大政奉還の建白書を土佐藩、長州藩と共に幕府に提出するなどで尽力、明治となってからも要職を務めた「最後の大名」のひとりである。

工部省第一回年報/第二巻/自明治八年七月至同九年六月。
「工部省」の文字に惹かれた。
a0104495_457583.jpg
一昨年の夏、「日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」と題し、都内の、ジョサイア・コンドル設計による建物や墓所をポタリングで巡った。
また、2009年8月5日から同月13日付で「ジョサイア・コンドルゆかりの地を訪ねて」全16話をブログで綴った。
英国人建築技師、ジョサイア・コンドルを日本へ招いたのが、当時の「工部省」であった。
そうしたことから、この「工部省第一回年報」に惹かれたのであった。

絵葉書。
a0104495_458161.jpg
所蔵物を絵葉書にしている。
家康の花押、吾妻鏡などがある。
こういうものを見ると、直ぐに買いたくなる。
が、今回は、ぐっと我慢した。

「被災した資料を救う」。
a0104495_458429.jpg
「平成16年8月末、台風16号が四国地方を襲い、香川県観音寺市郷土資料館は高潮により水没する被害を受けた。...」とあり、資料の復旧作業について、縷々、述べられている。
これを見ながら、東日本大震災の被災地、台風12号・15号の被災地に思いをするのであった。

フォト:2011年9月15日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2011-09-25 00:32 | 上総の昼餉散歩 | Comments(2)