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2011年 10月 29日

『 Intermission 』

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アビー・ロードを訪れたのは、20年も前のことでした。
もう一度、訪れてみたいものです。
ビートルズのアルバム「アビー・ロード」のジャケットの、右手、遠くに写っている老人は、幼き頃の学校の先生だったと、Mr.マックグラスから聞いたのは、15年前くらいだったでしょうか。

再び、英国を訪れる、その前に、国内で、まだ、訪れていないところを訪ねるべきとも思います。
しばらく、行脚に出掛けてきます。
勿論、日本国内です。

フォト:2010年12月14日
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by kazusanokami | 2011-10-29 00:01 | エピソード | Comments(2)
2011年 10月 28日

『ハリポタ藩秋の大遠征2010/神島』 aik-17

前夜は、民宿「山海荘」自慢の、数々の海の幸を頂戴した。
御酒は酔うほども飲んでいないのに、一晩中、♪ サカナ、サカナ、サカナー、サカナを食べーると ♪を歌い続けていた。

朝餉前に、何気なく、壁に掛かっている写真を見たところ、何と、前夜、お会いした「誰がおこぜやんねん」さんと、山海荘ファミリーの記念写真であった。
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さあ、朝餉だ。
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あら煮。
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「あら煮、ええなあ。これを、せせって、食べるの、大好きや」。
「せせって、言うのは、方言やろ」。
「方言やろな。そやけど、やっぱり、せせって、やな」。

「あれ?刺身があるワ」。
「もう、刺身は、写真、撮らへんで」。
(刺身は、フォトの、あら煮の皿の向こうで、ちょっと、隠れるように、あります)
「昨日、おつゆにして上げる、言うてあなあ」。
「まあ、ええやん。わし、刺身、食べよっと」。
「うん、食べて。わたしゃ、最近、刺身より、熱の入ったもんが好きやから、あら煮、もらうワ」。

焼き魚。
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「こんな、身の厚い、焼き魚が朝食やで」。
「これも熱の入ってるから、旨い!」。

前夜、元気いっぱいだった、伊勢海老くんは、こんな姿に。
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伊勢海老くん、今回も、愉快な「海老騒動(=epidode)」を提供してくれて、有難う。

フォト:2011年11月8日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-10-28 21:56 | 渥美半島、伊勢参り&神島ポタ | Comments(4)
2011年 10月 28日

『ハリポタ藩秋の大遠征2010/神島』 aik-16

2010年夏、渥美半島CRポタリング、伊良湖から伊勢湾フェリーにて、伊勢参りの計画が浮上、決定。
その際、大枚の路銀をJRに支払っての行脚、折角の機会なので、プラス・アルファで、何処かを訪れたいと思った。
軍師六々守殿に、その旨を伝えた。
「伊勢湾に浮かぶ島に行ってみたいね。九鬼水軍ゆかりの地、答志島は訪れたことがあるも」。
「ほんなら、神島へ行きましょか」。
「神島?おおっ、三島由紀夫やね。決定!」。
「ほんなら、宿屋、調べて、予約しときます」。
ハリポタ藩の面々は、皆、還暦を過ぎ、ペンション生活に入ったひと、まだ、惰性(???)で勤めている人など、様々。
上総は、ペンション生活でもないし、さりとて、第一線でバリバリやっている訳でもないし、あなたは獣ですか、鳥ですかの、コウモリ状態(変な例えで、蝙蝠さん、ゴメン)で、或る程度の自由は利く。
土曜、日曜のメイン・イベントに続き、月曜は有給休暇、否、遊興休暇をとれば、いいところへ行けるという算段だ。
で、御典医殿、六々守殿、そして、上総の、我がまま三人組は、神島へと相成ったのであった。

神島/民宿「山海荘」二階の座敷に設えられた夕食の場に、海の幸が並べられ始めた。
刺身の盛り合わせが登場した。
何が変なか分からなかったが、ちょっと、何か、変だった。
しばらくすると、仲居さんが現れ、ちょっと、下げさせて貰います、と。
しばらくすると、再び、刺身の盛り合わせが登場した。
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「伊勢海老が逃げていたんです」と。
「そんなに元気な、伊勢海老くんは、いったい、どんな顔をしているのか、ちょっと、見てみよう」。
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「確かに元気そうや」。
「こうやって、眺めてみると、龍の顔にそっくりやな」。
「結婚祝いで貰った反物で、羽織をつくったとき、裏地は伊勢海老やったなあ」。
「違うアングルで、もう一度」。
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「見る角度によって、違うなあ。かわゆい顔してるんやん。目もかわゆい」。

この、伊勢海老くんの、一時、逃亡事件は、2007年秋の「しまなみ海道」伯方島/「光藤旅館」での、「こんな面倒くさい、海老なんか、食えるか」との某殿様の言に対し、「そんなこと、いう、あんたは食べんでも、ええ!」との旅館のおばちゃんの叱責があった、某殿さま失言事件以来の、海老騒動(episode)となったのであった。

大あさり、生しらす、うまづら煮付け、...。
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大あさりをアップで。
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「休暇村 伊良湖」でも、大あさりは出て来たが、この山海荘の大あさりは、随分と身が厚かった。
因みに、二枚貝は、身が片方によるのが普通だが、この大アサリは、真ん中から包丁を入れ、貝殻の中で、身をふたつに割るように料理されている。

生しらすをアップで。
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「生しらす、大好き!ずるっ!」。

くるまえび(?)。
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うまづらの煮付けをアップで。
<びふぉあ>
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<あふたー>
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「瀬戸内海で育った子やから、もちょっと、きれいに食べな、あかんのやけど、これで堪忍してもらおっと」。
「この大きさやったら、一匹でええんやけど、流石、ミンシュク!や」。
「刺身は、もう、食えん」。
「伊勢の、おかげ横丁の昼餉、てこね寿司を食べたんは失敗やった」。
「おいらは、ひつまぶしを食べたんで、それは正解やったけど、もう、これ以上、刺身は食えん」。

「すんません。折角の刺身ですけど、残します」。
「はい、結構ですよ。明日の、朝食のときに、おつゆにして」。

廊下に出ると、片岡鶴太郎画伯の絵が。
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ふぐの「ふく来たれ」は、まあ、普通だが、おこぜを見て、吹き出してしまった。
「誰がおこぜやんねん」、「あんたや」。

「女将さん、鶴太郎さんは、ここへ泊まったようですね」。
「この絵は、私が好きで、買ったんですよ。その後、サスペンス・ドラマの撮影で、島に来られて、ここに泊まられたんですよ」。
「女将さんは、先見の明がおありなんですね」。

勿体無い話ながら、もう、魚はええわ、と言いたいくらいに、堪能した。
鶴太郎さんの描く絵も含めて...。
フォト:2010年11月7日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-10-28 01:57 | 渥美半島、伊勢参り&神島ポタ | Comments(8)
2011年 10月 27日

『ハリポタ藩秋の大遠征2010/神島』 aik-15

(なかがき)
この「ハリポタ藩秋の大遠征2010」は、今年の「秋の大遠征」の前哨戦として、連載を開始した。
<伊勢参りの巻>のあと、今年の「秋の大遠征」に突入し、最早、続編は、前哨戦には成り得なくなったが、連載を再開したい。

(前回、10月14日付掲載までのあらすじ)
昨年11月6日、豊橋鉄道三河田原町から伊良湖岬まで、走り、「休暇村 伊良湖」に投宿。
翌7日、伊良湖から、伊勢湾フェリーで輪行、鳥羽に上陸し、仲之郷駅から、近鉄で輪行、五十鈴川駅で下車し、お伊勢さん参りをした。
毎度(いや、時々かな?)、「わし、用事があるから、先に帰るわ」の、播磨守殿は、伊勢参りもそこそこに、先に帰館。
御典医殿・六々守殿・上総の"我が儘"三人組は、近鉄五十鈴川駅にて、呑々守殿・按針殿組と別れ、伊勢湾に浮かぶ"潮騒"の島、神島へ渡るべく、五十鈴川駅を出発し、鳥羽港へ向かうのであった。
<五十鈴川駅デノ、別レ之図>
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五十鈴川駅前で、客待ちのタクシーの運転手さんに、鳥羽までの道を尋ねた。
左側、そして、右側を指差しながら、「こっちの道は遠回りやから、こっちの、旧街道を走った方がええでしょう」と。
「アップ・ダウン、坂道はありますか」。
「坂道?大丈夫です。ありません」。

「多分、遠回りの道筋に、二見ケ浦があるんやろな」。
「渡船の出発時刻もあるから、近い道、旧街道で行きましょ」。
「アップ・ダウンはない、言うとったから、旧街道にしょう」。
三人評定、相整い、教えられた通りの道を辿り、旧街道に入る。
しばらく走ると、動物の名の入った地名が三つ、並んでいる標識に出遭った。
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「鳥羽まで12km、アップ・ダウンは無しやし、楽勝や」。
「これやったら、朝、鳥羽から伊勢神宮まで、自走しとってもよかったかも」。

暫らく走ると、上り坂に。
「おい、ちょっと、話が違うなあ」。
「まあ、坂道、一個だけやったら、許したろ」。
坂道を下る。
暫らくすると、またまた、上り坂。
「おい、おい、こら、あかんで」。
「やっぱり、四輪の人の感覚は、こんなもんやね」。
「朝、鳥羽から五十鈴川駅までの電車の中から、景色、見とったけど、結構、山間も走っとたから、峠はあっても、、おかしないな」
「教訓。四輪の人に、アップダウンを聞くときは注意しましょう」。

健脚、六々守殿は、いつもの通り、先へ、先へ。
次に上総、そして、御典医殿。

上総、御典医殿を待つ。
待ちながら、紅葉を愛でる。
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御典医殿、現る。
「ホンマ、しんどいわ」と、笑顔で。
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上総、六々守殿に追いつく。
先々、六々守殿、「あみん」の図。
♪ わたし、待ーつーわ、いつまでも、待ーつーわ ♪ を唄いながら、待っていてくれた。
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六々&上総のデュオで、「あみん」をしながら、御典医殿を待ったのであった。
しばらくして、このフォトの後方から、御典医殿が現れた。
このフォトを見て分かる通り、確かに、向こうの方が坂になっているでしょ。

しばらく、走ると、「鳥羽市」の標識があった。
「あっ、鳥羽市や」。
この標識を過ぎると、数キロに亘っての、ほぼ、真っ直ぐな、下り坂。
下り坂は有難い!
鳥羽市過ぎ、いや、飛ばし過ぎに注意しながら、下り坂を楽しんだ。
市街地に入った。
「朝、やっぱり、輪行しといて、よかったな」。
「ホンマ。自走で伊勢神宮まで行ってたら、呑々殿に、何、言われとったか」。
「どない、なっとんねん!やな」。
朝、輪行でもよかったと言ってみたり、やっぱり、輪行しなくてよかったと言ってみたり。
朝令暮改、夕礼朝改、言うとることが、ころころ、変わるのであった。

鳥羽市営航路待合所。
御典医殿、足取り、軽やか!
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待合所で、海女さんが気分を盛り上げてくれる。
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初江は、どの娘さんだろうと、探す。

鳥羽市営のりば。
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夕空を眺めながら、渡船の到着を待つ。
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渡船が着桟。
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神島に到着。
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日はとっぷりと暮れている。
近鉄五鈴川駅を出発したのが15:06、鳥羽市営航路待合所に到着したのが16:13、旧街道に入って、しばらくして見た標識は、鳥羽まで12kmと示していた。
アップダウンありで、10数キロを約1時間、まあまあの出来であった。
渡船の鳥羽港着桟は17:03、神島到着は17:46、鳥羽から神島の所要時間は約40分であった。
時刻は、何れも、カメラの記録から。

神島の民宿「山海荘」へ向かった。

フォト:2010年11月7日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-10-27 06:55 | 渥美半島、伊勢参り&神島ポタ | Comments(4)
2011年 10月 26日

『ミラー湖畔にて出遭った野鳥/私は誰でしょう』

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今年2月の、ニュージーランド紀行の中で、初めて、カメラに収めた野鳥です。

先日、「ジャパン・バード・フェスティバル2011」を楽しみ、そのあと、完全に野鳥モードに。
で、野鳥をアップロードしたくなったんです。

10月22日付「或る町aks/ミラー文字のある風景」、10月25日付「NZ/ミラー文字のある風景」、そして、この「ミラ湖畔にて出遭った野鳥/私は誰でしょう」で、連歌風(???)三部作が出来上がりました。

フォト:2011年2月18日
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by kazusanokami | 2011-10-26 01:15 | NZ 紀行 | Comments(0)
2011年 10月 25日

『NZ/ミラー文字のある風景』

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10月22日付『或る町aks/ミラー文字のある風景』で、ミラー文字を話題としました。
それは、今年2月に訪れた、ニュージーランド/ミラー湖で見た風景を思い出してのことでありました。
無風、あるいは、無風に近いときしか、"Mirror Lake" の文字はくっきりと見ることが出来ず、誠に、ラッキーな日でした。
日頃の行いをピタリと当てる、風景でもありました。

フォト:2011年2月18日
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by kazusanokami | 2011-10-25 05:50 | NZ 紀行 | Comments(2)
2011年 10月 24日

『秋の大遠征2011/しまなみ海道を行く/本因坊秀策の巻』<下>

<上>では、本因坊秀策囲碁記念館内の説明文ならびにホームページの記述と、上総が撮影した館内展示物ならびにDVD動画の一部の写真を織り交ぜて、本因坊秀策の生涯を綴ってみた。
また、<中>では、囲碁を嗜まぬ上総には「猫に小判」である、棋譜を中心に綴ってみた。

この<下>では、再び、本因坊秀策囲碁記念館内の説明文ならびにホームページの記述と、上総が撮影した館内展示物の写真を織り交ぜて、本因坊秀策の人となりについて、綴ってみたい。

秀策が受けた教育は、碁の修行を通して、人としての品格も身につける人間形成の学びであり、碁に秀でていただけでなく、書家の竹雪道人について書を学び、師の筆蹟と判別できないほどの上手であったといわれます。
書の多くは後世に伝えられていないものの、石谷広策に与えた囲碁十訣や愛用の碁盤に記した「慎始克終 視明無惑」の銘、父母に送った手紙等が残っています。
<両親宛の手紙>
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秀策の布石は秀策流と称され、今日の対局においても見ることができます。
秀策の残した棋譜は450局以上、秀策の棋譜を並べると段が上がるといわれるほどで、プロ棋士の多くもその手筋に学び、一度は並べたことがあるといわれています。
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秀策はその棋力と人格により碁聖と呼ばれていますが、これまでの多くの棋士の中で、碁聖と崇められるのは第4世本因坊の道策と秀策の二人だけで、その偉大さがわかります。

秀策は2004年(平成16年)、徳川家康、第1世本因坊算砂、第4世本因坊道策とともに、日本棋院の「囲碁の殿堂」入りをしました。
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左から、本因坊秀策、本因坊道策、徳川家康、本因坊算砂。

館内の展示物で、本因坊秀策の生涯や人となりを知った後、更に館内を巡った。

高橋りく画「九頭竜の砂絵」。
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この砂絵は、第一話で触れた、井上幻庵因碩との対局での本因坊秀策の一手、世にいう「耳赤の妙手」の棋譜からイメージして、描かれた作品である。
「耳赤の妙手」とは、井上幻庵因碩が有利に進めていた対局において、本因坊秀策の一手から形勢が逆転。
井上幻庵因碩の耳が、みるみるうちに、赤くなったことから、秀策の、この一手を「耳赤の妙手」と称するようになったとのことである。
龍コレクションも趣味のひとつである上総、この砂絵に見入ったことは申すまでもないことである。

棋譜。
囲碁好きの方へ、ズーム・アップ。
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砂絵。
龍好きの方へ、ズーム・アップ(「龍好きの方」って、上総自身のことなんですけど...)。
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「幽玄の間」。
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市ヶ谷にある日本棋院に、「幽玄」と呼ばれる特別な対局室があるとのこと。
その「幽玄の間」を再現した、この場所で、我が盟友、武衛殿が本因坊秀策に挑んでの対局するシーンを思い浮かべてみるのであった。

左の棚に、斯様な置物が。
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市井の人たちが碁に興じている姿であろうか。

記帳。
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上総 守(かずさ まもる)と記帳。
併せて、上総による代筆にて、武 衛(たけ まもる)殿の名も記帳。
秀策の書に触れ、悪筆での記帳には、ちょっと躊躇したが、これも記念だと、筆をとった次第。

館長さんに、本因坊秀策の墓がある寺について、尋ねてみた。
「地蔵院というお寺です。ここから、直ぐのところにあります。自転車であれば、そんなに掛かりません」と、道順を教えて貰った。

地蔵院。
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武衛殿に成り代わり、墓参したいと思ったが、皆さんを余り待たせる訳にもいかず、石段の前に立つ仁王像に合掌し、その場を離れた。
寺のある方を振り返ると、小高い山の中腹に墓地が見えた。
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そちらに向って、心の中で合掌し、皆と合流した。

フォト:2011年10月15日

『秋の大遠征2011/しまなみ海道を行く』<本因坊秀策の巻>/完
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by kazusanokami | 2011-10-24 20:41 | しまなみ海道2011 | Comments(7)
2011年 10月 24日

『秋の大遠征2011/しまなみ海道を行く/本因坊秀策の巻』<中>

第一話では、本因坊秀策の生涯を追ってみた。
ここ、第二話では、棋譜を中心にアップロードしてみたい。

館内には、本因坊秀策の棋譜が、何点か、展示されていた。
上総は囲碁を嗜まないので、棋譜は、謂わば、「猫に小判」。
一方、囲碁を嗜まれ、本因坊秀策誕生の地を訪れることを楽しみにされるも、この jitensha の旅への参加が叶わなかった、武衛殿にとっては、棋譜は大いに興味のあるところであろう。

本因坊秀策全集。
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御城碁譜。
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扇。
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秀策がは「書」にも長けている。
それについては、第三話で綴ってみたい。

河北種房著「囲碁小学」。
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河北種房と「囲碁小学」について調べてみたが、今のところ、全く不明。
武衛殿が、何か、ご存知かもしれない。
旅のあとの、こうした"宿題"、"判じ物"が、また、楽しいのである。

フォト:2011年10月15日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-10-24 00:02 | しまなみ海道2011 | Comments(0)
2011年 10月 23日

『ジャパン・バード・フェスティバル2011/ハイライト』

10月22日、午前、「ジャパン・バード・フェスティバル2011」に足を運びました。

「もしもし、鳥六ちゃん?上総です。日本野鳥の会のブースで、長靴、見てるんですけど、4,980円なんだって。どない、思う?」。
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「AIGLEの三分の一ですねぇ。折り畳めるんですか?」。
「うん、折り畳めるでぇ。収納袋付きや。長靴には、WBSJ のエンブレム付きや。えーっと、WBSJは、Wild Bird Society of Japan や」。
「御典医さんは、AIGLE、買ったし、浜松のfurimukebaさんも新しい長靴、買ったし、いっぺん、御典医さんのAIGLE、履かせて貰いましょか」。
スタッフさんから、ビラを貰いました。
定番のグリーン、ブラウン、カモフラージュ柄に加え、ネイビー、グレー、レッドが11月発売予定とのこと。
問い合わせや注文は、日本野鳥の会 通信販売係か、インターネットショップ「Wild Bird」まで、と。

夕方5時過ぎ、鳥六ちゃんに、ケータイ電話にて、本日の様子をご披露。
後刻、鳥六ちゃんから「本日は雨模様が幸い(?)し、野鳥の講義と質問を楽しまれたご様子、何よりです。また、長靴、ライカをご覧になり、楽しみが増えたこと、誠に喜ばしきことです。まぁ、エーグルも一考ではありますが。さらに、ロイヤルファミリーファンの上総守殿にとって、絵画集も発見されたとのこと。よき機会でありました。明日は天気回復。また、フィールドに出ようかとおもっているところ」との電子飛脚便が到来。

この鳥六ちゃんのケータイ電子飛脚便に準じて、「ジャパン・バード・フェスティバル2011」のハイライトをお伝えしましょう。

山階鳥類研究所/ミニ講座。
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9:30、10:00、12:00、14:00、15:00と、この日、開催された、五講座、全てを聴講しました。
詳しくは、追って、ブログにアップロードしたく思っています。

玉川大学出版部のブースで、ジョン・グールドの描いた、野鳥の絵葉書を購いました。
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スタッフさんから、これを奨められました。
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「このブースでのお買い上げ、或いは、この注文書で注文して戴くと、定価20,000円が特別価格14,000円になります」と、注文用紙をくれました。
因みに、黒田慶樹さんと結婚された、清子さんは、紀宮内親王の時代に、山階鳥類研究所で研究員を務められていました。

SONY のブースの人だかりに釣られて、立ち寄ってみました。
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SONY/デジタル録画双眼鏡 DEV-3、11月に新発売!
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スタッフさんの奨めに応じ、SONY/デジタル録画双眼鏡の"お試し"をしてみました。
これは相当に優れもの!です。

「以前から、ブースを出されていましたっけ」。
「はい、数年前から」。
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ジャッキー・チェンは、香港政府観光局の観光大使。
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中国、四季の野鳥。
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やっぱり、気になります。
長靴が...。
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ライカのブースで、お洒落な双眼鏡を眺める。
双眼鏡は、今、持ってるのでいいや、やっぱり、カメラだなあ...。
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LEICA V-LUX 2 を手に取り、スタッフさんにあれこれと聞きました。
カタログも貰っちゃいました。
当分、熱っぽいでしょう。

誰の仕業でしょうか、こんなところに...。
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「鳥の博物館」脇で見た、百舌の「はやにえ」もどき。

フィールド・スコープも欲しいなあ、と思って以来、数年が経ちます。
思うだけでも楽しくなっちまうのです。
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フェスティバルです、陽気です。
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上総も登場しておきましょう。
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雨の天気予報はハズレ!
午前中は降りそうで降らないという空模様でしたが、午後は晴れ間も。
で、15:00からのミニ講座を受講したあと、手賀沼をぐるっと、一回り。
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実は、この日、ドラポタ藩武衛殿と共に、「ジャパン・バード・フェスティバル&手賀沼・印旛沼 Twin Lake ポタ」の予定でした。
しかし、前日の予報では、雨。
如何しましょうか?バード・フェスティバルだけでも如何ですか?と武衛殿にお伺いをたてたところ、全て中止と。
予報は雨、のお陰(?)で、ミニ講座は全て聴けたし、上総は雨男ではないことを、またまた、証明できたし、武衛殿には申し訳なきことながら、全てが、いい一日でした。
ちょいと、ころんだことを除けば...。

フォト:2011年10月22日
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by kazusanokami | 2011-10-23 07:33 | | Comments(7)
2011年 10月 23日

『秋の大遠征2011/しまなみ海道を行く/本因坊秀策の巻』<上>

8月中旬、猛暑の頃、毎年恒例の「ハリポタ藩/秋の大遠征」につき、軍師六々守殿と江戸家老上総の間で謀議を開始。
幾つか、候補が挙げられる中、2007年、2008年に続き、今年も「しまなみ海道」を、との軍師殿の提案に江戸家老も賛同。
更に、軍師殿より「上総殿が世話役を務め居る、ドラポタ藩も合同で如何で御座ろうや」との提案も。
ドラポタ藩大給守殿、伊豆守殿、武衛殿、そして、ハリポタ藩ならびにドラポタ藩の盟友、印旛歩駄守殿に声を掛けたところ、諸般の事情により、参加は伊豆守殿のみ。
しかしながら、武衛殿より「因島と申せば、本因坊秀策の生誕地。是非、参加したきところながら、所用あり、参加叶わず、残念!」との報あり。
上総は囲碁を嗜むことはなきことながら、因島に本因坊秀策囲碁記念館があることは承知しており、以前から、機会があれば、訪れてみたいと思っていたことでもあり、軍師殿にこれを立ち寄り先に加えようと提案。
軍師殿より「しまなみ海道は幾度も走っており、新機軸として、本因坊秀策囲碁記念館も」との賛同を得、ここを訪れることとなった次第。

10月15日朝、関西勢として、六々守殿、御典医殿、本町浮心殿、按針殿、人麻呂殿、hitomaroyome殿、摂津守殿の7名、関東勢として、伊豆守殿、上総の2名が、jitensha を携え、尾道に参集し、ハリポタ藩・ドラポタ藩連合軍9名にて、向島を経て、因島に上陸。
本因坊秀策囲碁記念館を訪れた。

本因坊秀策囲碁記念館。
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揮毫は、第二十四世本因坊石田秋芳。
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武衛殿への報告は勿論のこと、ブログ・ネタも兼ねて、棋聖につき、精力的に"取材"。
併せて、上総も自分自身のために大いにベンキョー。

歴史好きの上総、囲碁の起源や歴史について事前ベンキョーしたが、それは、紙面の都合上、割愛したい。

本因坊について、物心がついたときから言葉としては知ってはいるが、しからば、具体的にはどのようなことかと問われれば、さて?ということになってしまう。
で、先ず、「本因坊」とは何ぞやということから綴ってみたい。

江戸時代、本因坊家と井上家、安井家、林家の四家が碁の家元と呼ばれるようになり、優秀な棋士を育て、互いに切磋琢磨しあうこととなった。
四家はそれぞれ幕府から扶持を受けており、それぞれの宗家は血筋ではなく、実力により決められる事となった。
その技術の発揮の場が、年に一回、江戸城内、将軍御前にて行われる「御城碁」であった。
この勝負は四家がそれぞれ代表を数人選んでの対局で、負けることは家の不名誉であり、弟子の集まり方にも影響があった。
(出典/ウィキペディアでの事前ベンキョーと本因坊秀策囲碁記念館での説明より)

次に、本因坊秀策とは、どのような人物であったか。
本因坊秀策囲碁記念館内の説明文ならびにホームページに分かり易く綴られていることでもあり、それを転記(省力化です)し、一部、僭越ながら、上総流にて加筆させて戴くこととしたい。
併せ、上総が撮影した、館内展示物ならびにDVD動画説明の写真も織り交ぜてのこととしたい。

幕末に活躍し、囲碁における、近代の布石の基礎を築き、今なお碁聖と仰がれる天才棋士「本因坊秀策」は、父桑原輪三と母カメの次男として、文政12年(1829年)、備後国因島(現在の尾道市因島外浦町)に生まれました。
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幼名を虎次郎といい、3、4歳のときには、碁石を与えればすぐに泣き止み、黒白を並べて遊んだといわれています。
母に囲碁を学んだ虎次郎は、5歳の時、尾道の豪商橋本吉兵衛(橋本竹下)に、その才能をいち早く見出されました。
6歳の時には近郷に敵がなく、その技の巧妙さに人々は驚き、神童と称しました。
7歳の時には、吉兵衛を介し、三原城主・浅野甲斐守忠敬と対局し、棋力を認められた秀策は、竹原の宝泉寺住職葆真和尚に師事しました。
<三原城主との対局>
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秀策は、9歳の冬に浅野公の薦めにより江戸へ赴き、本因坊家に入り、本因坊丈和の弟子になりました。
<江戸への出立/母との別れ>
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11歳で初段の免許を得て翌年帰国、浅野公より五人扶持を賜り、15歳で4段の免許を得、名を秀策と改めました。
17歳の時には12人扶持ちに増録され、18歳のとき大阪で井上幻庵因碩と対局しました。
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世にいう「耳赤の妙手」は、このときの一手を指し、有名です。
20歳で第14世本因坊跡目になり、丈和の娘、花と結婚しました。
21歳で将軍の御前対局である御城碁に初出仕しましたが、このときから12年間御城碁において19連勝で負けることがありませんでした。
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しかし、34歳という若さで他界しました。
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フォト:2011年10月15日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-10-23 02:58 | しまなみ海道2011 | Comments(7)