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2012年 05月 31日

『蓮群生地の道化者』

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5月もそろそろ終わりだ。
テーガ・ヌーマ湖の蓮群生地に、若い葉が現れ始めた。
中には、戯けてみせる若い葉も...。

フォト:2012年5月30日
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by kazusanokami | 2012-05-31 23:58 | 風景 | Comments(0)
2012年 05月 30日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/鎌倉山』 kp-10

銭洗弁財天から更に坂を上る。
源氏山の源頼朝像を目指す。
僅かな距離ながら、激坂の「押し」で息が上がる。

源氏山/源頼朝像。
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鶴岡八幡宮の東にある墓所は質素だが、この銅像は随分と立派である。
「頼朝は、何故、鎌倉の地に幕府を開いたのでありませうか。地形的に要害の地であることは分かりますが、別の理由もあるのではないかと」。
「武衛殿にケータイ電子飛脚便で問い合わせてみませう」。
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武衛殿
質問が御座りまする。
頼朝は、なぜ、鎌倉の地に幕府をひらいたのでせうか、ご教示下され度。
大給@源氏山
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武衛殿は『吾妻鏡』を愛読書とする盟友。
ハンドリング・ネーム「武衛」は源頼朝の別名のひとつでもある。
彼、この日、所用あり、ポタリングに出馬出来なかった。
直ぐに、武衛殿より返信が遣わされた。
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大給守殿
頼朝は八月に韮山で旗揚げしてから、石橋山、千葉、江戸を経て十月になってから、鎌倉に入っておりまする。
初めに鶴岡八幡宮に詣り、次に、左典厩(義朝)の旧跡をたずねたそうに御座りまする。
したがって、父祖の地ということに相成りまするが、如何でせうか。
勿論、自然の要害であることや武具の調達が容易な場所でもあったようでも御座りまする。
武衛
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なるほど、「解」は「父祖伝来の地」。
帰館後、武衛殿のケータイ電子飛脚便の内容を参照しながら、上総なりに更に説き起こしてみた。

源義朝。
別名 上総曹司、左典厩(さてんきゅう)、下野守、頭殿、大僕卿。
河内源氏の主要基盤が東国となったのは義朝の代であり、高祖父の源頼義以来ゆかりのある鎌倉の亀ヶ谷に館(亀谷殿)を構え、相模国一帯に強い基盤を持った。

「亀ヶ谷」について、調べてみた。
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現在の町名は、扇ガ谷。
扇ガ谷はJR横須賀線の鎌倉駅から北鎌倉駅間の線路沿いの山際一帯の地名である。
東を雪ノ下、西を佐助、南を御成町・小町、北を山ノ内と接し、飯盛山、源氏山(初名は武庫山、亀谷山とも呼ぶ)などの丘陵が周辺を囲み、中心部谷戸にある亀ヶ谷坂を経て北鎌倉方面とつながる。
地域内を扇川と呼ばれる小さな小川が横須賀線に沿って流れる。
地名の由来は、鎌倉十井の一つ「扇の井」(現在の扇ガ谷3丁目)に因んだもので、扇ヶ谷は関東管領上杉定正の旧邸で英勝寺の地で、亀ヶ谷(かめがやつ)の地内の一地名とある(新編相模国風土記、新編鎌倉誌)。
元々、この地は亀谷と呼ばれ、鎌倉幕府の記録書である『吾妻鏡』には亀谷(亀ヶ谷)の地名のみ登場し、扇ヶ谷は出てこない。
亀ヶ谷は鶴ヶ岡に対する対語、もしくは、谷戸の中心部にある亀ヶ谷坂(「亀がひっくり返るほど急な坂」の「亀返り坂」の転訛という説)に由来すると云われ、この地は源家父祖伝来の地であった。
後に、ここに、北条政子が亀谷山寿福寺を建立した。
扇ヶ谷の地名は室町時代にこの地に住んだ管領上杉定正が『扇谷殿』と称されてから扇ガ谷の地名が一般的になり、亀ヶ谷の呼び名は廃れた。
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地名、地形、地名の由来など、いろんなことがよく分かった。
地図とも重ね合わせてみた。
近くを走っているので、イメージがよく湧く。
第二話で綴った、鎌倉五山第三位の寿福寺のことも、ここで改めてよく分かった。
第四話で綴った、鎌倉独特の地形、谷戸(やと)のことも、ここで改めてよく分かった。
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次回の鎌倉は「いざ、亀ヶ谷」としよう。

フォト:2012年5月19日

(完)
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by kazusanokami | 2012-05-30 23:58 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 05月 29日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/銭洗弁天』 kp-9

材木座海岸から源氏山に向かう。
市役所前、法務局前を経て、「源氏山公園、銭洗弁天」の標識を右折する。
住宅街の道を進む。
徒歩で向かう観光客が多い。
jitensha でスイスイと彼らを追い越して行く。
激坂に至る。
これまでの走行距離は大したことはないが、寺の階段を上ったり、境内を散策したりで、歩き疲れはある。
激坂の切通しを「押し」で上る。
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銭洗弁財天宇賀福神社。
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銭洗弁財天が登録商標であるとは知らなかった。
そう言えば、昔、生命保険のおばちゃんから五円玉の入った小さな袋を貰ったことが時々あるが、確か、その袋の表に銭洗弁財天の文字があったように思う。

因みに、由来は次の通りある。
源頼朝が世の救済を祈願したところである。
巳の年の文治元年(1185年)の巳の月、巳の日の巳の刻、宇賀福神から「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ、そうすれば天下泰平の世が訪れる」と源頼朝の夢にお告げがあり、そこで源頼朝はこの地に社を建てて宇賀福神を祀った。
その後、世の中の混乱は収まったと伝えられている。この話が発展して、いつの頃からか、その霊水でお金を洗うと倍になると言う信仰が生まれた。
鎌倉五名水の一つである。
巳の日の縁日には参拝者で賑わう。
洞窟の口もとに社があり、社は宇賀福神で洞窟の中の社は銭洗弁財天である。
巳の年、巳の月、巳の日の巳の刻は、宇賀神の化身が蛇であることによるものである。

商標登録は兎も角も、銭洗弁財天の集客力は抜群!である。

フォト:2012年5月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-05-29 23:16 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 05月 28日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/材木座海岸』 kp-8

逗子・小坪漁港「ゆうき食堂」で昼餉を楽しみ、再び、鎌倉方面へ。
材木座海岸を走る。
逗子方面を眺める。
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「さっき、走り抜けたマンション群があんな遠くに」。
「これまでずっと、ホテルかと思っていましたが、リゾートマンションだったんですなあ」。
「やっぱり、jitensha は機動力がありますなあ」。
「随分とトビが飛んでおりますなあ」。
「人の集まるところ、トビもあつまる、それが湘南海岸ですなあ」。

何やら、賑やかな音が聞こえる。
鎌倉ビーチフェスタ2012。
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ビーチフェスタをズーム・アップ!
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次は私たちの番ですよ、と練習に余念がない。
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ヒトの集まるところ、トビも集まる、それが湘南海岸。
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「さて、如何しませう」。
「源氏山へ行ってみませう」。
「源頼朝像ですな」。
「銭洗弁財天も」。

フォト:2012年5月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-05-28 06:08 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 27日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/逗子・小坪漁港』 kp-7

「腹が減りましたなあ。昼餉にしませうか」。
「小坪漁港で、旨い魚を食べませう」。
光明寺から逗子の小坪漁港に向かう。
湘南道路(国道134号線)の更に西側にある、海沿いの道を行く。
材木座海岸を臨む。
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リゾートマンション群の中を走る。
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このマンション群は、リビエラ逗子マリーナと称するのだそうな。

「ゆうき食堂」に到着!
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路地に駐輪する。
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満員。
外のテーブルで食べている人もいる。
しばらく、待つ。
刺身二点盛りにしようかな、サヨリのフライと刺身1点盛りというのもよさそうだなと、外に掲げられたメニューを眺めながら、そして、外のテーブルで食べている人たちのご馳走を眺めながら、あれこれ考える。
で、こうなった!
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大給殿も上総もフライの魅力に負けて、サヨリのフライと刺身一点盛りを選択。
大給殿はワラサの刺身(写真、奥)、上総はアジの刺身(写真、手前)。
刺身は何種類かの魚の中から選べるのである。
「大給殿、この店は以前からご存知で?」。
「いえ、今回、電脳でチェックしたところ、現れた店です。居酒屋放浪記に負けず劣らずの店でしょ」。
満腹!

大給殿、店の人にインタビュー。
「シラス丼は、メニューにありませんでしたね」。
「ここ何日か、シラスの水揚げがないんです。群れが何処かへ行ってしまったんです」。
江ノ島方面を指差して、「あっちの方では、シラス丼はいつでも出しているようですが」。
「あれは冷凍でしょう。ウチはこだわりがありますもんで」と。
そのあと、「冷凍か、群れを探しに探し回ってようやく獲れたものです」と同業者弁護の言葉も。

「いやー、旨かったですね」。
「シラスは8月頃までとのことだったので、次はシラス丼狙いでもう一度、鎌倉ポタを」。
「次回はタコの刺身もよいかも。タコの足、数本。鋏で切りながら食す。骨付きカルビの如し」。
「フライは止めて、刺身二点盛りで」。

再び、リゾートマンション群を走り、往路とは別ルートの「小坪海岸トンネル」を抜け、材木座海岸へ。

トンネルと言えば、4年前、逗子から江ノ島をポタリングした際、湘南道路(国道134号線)を走り、材木座海岸に出た。
材木座海岸の手前に「小坪隧道」なるトンネルがあった。
国道とは言え、狭いトンネル。
jitenshaに乗って通り抜けるには、ちょっと、怖そう。
車道脇の、幅の狭い歩行者路を、jitenshaを押しながら通り抜けたことがあった。
そのときには知らなかった、海沿いの道や「小坪海岸トンネル」を、今回、知った。
やはり、指南書というものは随分と助けになる書物なんだ!と改めて認識した。

フォト:2012年5月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-05-27 08:21 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 05月 26日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/本覚寺ほか数寺を巡る』 kp-6

鶴岡八幡宮から若宮大路/鎌倉警察署角を左折して、指南書のコースを走る。

本覚寺/1436年に創建された日蓮宗の寺院。
妙本寺/鎌倉最大級の木造建築といわれる妙本寺は日蓮宗最古の寺院。
安養院/北条政子が亡き夫、源頼朝の冥福を祈って建てた寺。
妙法寺/1253年、布教のため鎌倉に来た日蓮が初めて草庵を結んだ「松葉ケ谷」の跡地といわれる。
安国論寺/妙法寺と同様、日蓮が草庵を結んだ場所とされる寺。境内の岩窟は日蓮が「立正安国論」を執筆した場所として知られる。
長勝寺/この地の領主、石井長勝が日蓮に帰依し、法華堂を建てたことがはじまり。帝釈天が出現する霊場としても有名。本堂前の日蓮大聖人辻説法像は高村光雲の作。
光明寺/四代執権北条経時が開基したとされる浄土宗の大本山。山門の高さは20メートルあり、鎌倉随一といわれる。

この指南書のコースだけで、七つの寺を巡った。
そのうち、五つまでが日蓮に纏わる寺であった。

ここで、少々、九州の話を。
3月半ば、九州に所用があった。
博多で、狛犬に関わる考察の一環として、「筥崎宮 」と「十日恵比須神社」を訪れた。
ここでは、狛犬の話題はさて置き、元寇と日蓮のことについて、少々、触れてみたい。

筥崎宮。
蒙古軍船碇石。
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元寇防塁。
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「西南学院高校々内にあったものを此の度縁深い当宮に移設したものである」と刻まれている。

句碑。
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元寇の際、蒙古軍を撃退したとされる神風は、筥崎宮の神徳であると言われている。

筥崎宮の次に、十日恵比須神社に向かった。
地下鉄馬出九大病院前駅から十日恵比須神社に向かう途中、巨大な日蓮像が眼前に現れた。
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「日蓮聖人像護持教会」とある。
中に入ってみた。
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この日蓮像に関わる説明書きは次の通りであった。
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もう少し、調べてみたところ、次の通りであった。
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明治21(1888)年、湯地丈雄が主唱した元寇記念碑建設運動に、佐野前勵が共鳴したことに端を発して建立が進められたものである。
明治25(1892)年4月東公園で起工式が行われ、明治37(1904)年完成、同年11月8日除幕式が行われた。
製作を引き受けたのは東京美術学校(現東京芸術大学)校長であった岡倉天心、その図案懸賞には明治27年に同校を卒業する下村観山のデザインが一等賞を受け(その図案が採用されたか否かは不明)、原型(木型)製作を木彫科初代教授竹内久一、鋳造を同校鋳金科教授岡崎雪声が行った。鋳造は困難を極め、結局、東京での鋳造は頭部と両手首のみで、本体部の鋳造は佐賀藩の御用鋳物師の伝統をもつ佐賀市の谷口鉄工所で行れた。
奈良の大仏(14.98m)、鎌倉の大仏(11.312m)に次ぐ、国内第三位の巨大青銅像である。
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高さ比べのことがちょっと気になるので、牛久大仏(茨城県)について調べてみた。
牛久大仏は、1993年に完成、高さは100mとのこと。
奈良、鎌倉の大仏との高さ比べの記述は、この日蓮像が建立された1904年時点でのことと理解す。

九州博多から鎌倉に話しを戻そう。
鎌倉で出遭った日蓮像をアップロードしておこう。
妙本寺/日蓮像。
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長勝寺/日蓮像(高村光雲作)。
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斯様なことを綴っていると、ポタリングで訪れた、安房小湊の誕生寺や下総中山の法華経寺などのことを思い出す。
そして、幼き頃に見た映画「日蓮と蒙古大襲来」(1958年、大映作品)を思い出す。
映画では、日蓮が斬首されそうになったとき、処刑人の振りかざした刀に閃光と共に雷が落ち、刀が折れるシーンが印象的であった。
これ、1272年(文永8年)、龍口刑場でのこと。
日蓮宗ではこれを「龍ノ口法難(たつのくちほうなん)」と呼ぶ事件である。
次回、江ノ島方面をポタリングする際には、龍口刑場跡に建つ、日蓮宗の本山、龍口寺(りゅうこうじ)を訪ねてみたいと思う。

フォト:2012年3月17日、5月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-05-26 11:58 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 25日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/鶴岡八幡宮』 kp-5

「鎌倉のウグイスは瑞泉寺に限りまするなあ」。
「然様、然様、昨年同様、見事な声。次は、指南書のコースへ」。
「地図によれば、若宮大路、鎌倉警察署を左へ」。
若宮大路へ向かう。

「鶴岡八幡宮は如何致しまするか」。
「パスしても罰はあたらんでせう」。
「イチョウが気になりまする。やはり、寄ってみませう」。
「では、イチョウの様子を。そして、狛犬に関わる考察も」。

鶴岡八幡宮。
賑やか!
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子銀杏。
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順調に育っている。

狛犬。
先ず、阿形の狛犬。
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阿形については、これといって特徴はない。
強いて申せば、口の開き方と前足の形がカワユイ感じだ。
一方、吽形の狛犬は、相当に個性的だ。
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「ゴジラ系」と考察しておこう。

上総、狛犬考察之図/大給殿撮影。
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このフォト、「大給殿、上総考察之図」でもある。

舞殿での結婚式。
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観光客、みんなに見られちゃう訳だが、みんなから祝福を受けるということでもある。

「鶴岡八幡宮、石段下の狛犬は、社殿の大きさに比べると相当に小ぶりである」などと考察しながら、若宮大路二の鳥居に差し掛かる。
「ちょっと、お待ちを。鶴岡八幡宮の狛犬に関わる考察、第二弾を」。
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フォト:2012年5月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-05-25 08:21 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 24日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/瑞泉寺』 kp-4

瑞泉寺。
閑かである。
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ウグイスの声が聞こえる。
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境内を散策する。
本堂裏の庭園を眺める。
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夢窓疎石の作庭によるものである。
新緑と岩肌の色の対比が目を愉しませてくれる。

ウグイスの声が聞こえる。
瑞泉寺に至るまでにも、ウグイス声は聞こえていたが、昨年と同様に、瑞泉寺で聞くウグイスの声は、また、格別である。
瑞泉寺は、紅葉ヶ谷(もみじがやつ)と呼ばれる谷戸(やと)に位置している。
「谷戸(やと)」とは、丘陵地が浸食されて形成された谷状の地形である。
谷戸(やと)、谷(や、やと)、谷津(やつ)、谷地(やち)、谷那(やな)など地方によって呼び方は異なる。
鎌倉付近では「やつ」と呼ばれているようだ。
「梅に鴬」という言葉がある。
取り合わせのよいことの例えだ。
「紅葉に鶯」はおかしいが、「紅葉ヶ谷に鴬」ならよいのではないだろうか。
谷戸(やと)と称される紅葉ヶ谷の地形がウグイスの鳴き声をよく響かせているように思われるからだ。
声は聞こえど姿は見えずで、ウグイスの姿を撮ることは叶わず。
その姿に代え、うぐいす色をひとつ、カメラに収めた。
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フォト:2012年5月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-05-24 18:01 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 23日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/荏柄天神社』 kp-3

今回の「古寺巡礼/鎌倉ポタ」のコースは、指南書「湘南鎌倉自転車散歩」(山と渓谷社)P.28~32の「漁師町路地裏探検」を参考に、我らのオリジナル・コースをプラスするというのが大給殿の企画であった。
上総は、テレビ東京「空から日本を見てみよう/鎌倉編」の録画を引っ張り出し、空からヴァーチャル・ポタをしてみた。
その中で、くもじいが「あれはなんじゃ?」と空から舞い降りて、大きく映し出されたのが、日本三大天神のひとつ、荏柄天神社の「絵筆塚」であった。

荏柄天神社。
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社殿脇の高台に「絵筆塚」を発見!
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これ、これ、これじゃ(くもじい風)。
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説明書きには「かっぱ筆塚・絵筆塚」とある。
「手前に佇むにが、かっぱ筆塚」とあるが、場所がよくわからない。
植木の手入れをしていた職人さんに「かっぱ筆塚」の場所を問うた。
「あの石です」と。
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石に刻まれた河童を見るのは、小川芋銭が描いた、牛久沼の河童の碑以来かもしれない。
河童コレクションに、「かっぱ筆塚」と「絵筆塚」が新たに加わった。

荏柄天神社の説明書きによれば、「関東を中心に各地に分社をもち、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と共に三天神社と称される古来の名社です」とある。
一方、別の資料を参照すると、「日本三大天神とは、大宰府天満宮、北野天満宮、防府天満宮の3ヶ所をもって日本三天神と称する。 異説として、防府天満宮を外して、大阪天満宮、小平潟天満宮等を入れる場合もある」とあり、荏柄天神社の名はない。
日本三大何某というものはなかなか難しいものである。
いずれにせよ、湯島天満宮や亀戸天神社は日本三大天神には含まれないのである。
いっそ、日本五大天神とか七大天神にした方が菅公さんに喜ばれるかもしれない。

午前10時の祝詞を終えた宮司さんが社殿から現れた。
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石段を下り、次は、瑞泉寺に向うことにした。
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フォト:2012年5月19日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-05-23 23:32 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)
2012年 05月 22日

『古寺巡礼/鎌倉ポタ/浄智寺』 kp-2

「浄智寺に寄ってみましょうか」。
「初めて訪ねる寺ですね」。

東慶寺の直ぐ南隣り、浄智寺を訪れた。
境内を散策する。
「曇華殿」の額を掲げた建物がある。
仏殿である。
屋根を見上げたところ、この通り。
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「曇華殿」というよりも「晴草殿」であった(罰当たりなことをいうて、すみません)。

子安観音。
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隧道を抜ける。
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奥の洞窟に鎮座する布袋さん。
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鎌倉江ノ島七福神のひとつとのこと。
布袋さんって、指をさした、こんな姿だったかなあ...。
因みに、浄智寺の本尊は、阿弥陀如来、釈迦如来、弥勒如来の三世仏。

境内はやたらと標識が多い。
こんな標識も。
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「逆でもよろしければどうぞ」というのが、何ともおかしい。

浄智寺から建長寺の前を通り、鎌倉に向かう。
建長寺の山門を眺めながら、「鎌倉五山って、何処何処でしたっけ」。
「去年、建長寺や円覚寺を訪れた際に覚えたんですけど、忘れましたね」。
帰館後、復習。
鎌倉五山とは、建長寺(第一位)、円覚寺(第二位)、寿福寺(第三位)、浄智寺(第四位)、浄妙寺(第五位)。
寿福寺と浄妙寺はまだ訪れたことがない。
訪れないと覚えない。

フォト:2012年5月19日
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by kazusanokami | 2012-05-22 23:45 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(4)