『上総守が行く!』

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2012年 06月 30日

『六月の鎌倉ポタリング/御霊神社』 jk-8

由比ガ浜を西へ走り、坂ノ下を右折、御霊神社へ向かう。
御霊神社は、江ノ電の踏切と鳥居が目と鼻の先にあり、"テッチャン"の人気スポットであると聞く。
小生は"テッチャン"の趣味はないが、踏切の風景は好きだ。
俄かテッチャンになって、江ノ電を楽しんでみたい、そして、今、凝っている"狛犬コレクション"も、と思い、立ち寄ってみた。

随分な人出だ。
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人力車が停まっているということは観光スポットであることの証しであろう。
神社の人気?
それとも、神社と江ノ電踏切のツーショット人気?
何れであろうか...。

これだけの人出である。
安全のため、警備員さんの出動も必要だろう。
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鎌倉発藤沢行き江ノ電、通過(写真、右から左へ)。
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踏切の手前も向こう側もカメラを手にした人たちでいっぱいだ。

踏切から線路内に立ち入った輩に注意を促したあとの、警備員さんの後ろ姿。
警備員さんも大変だ。
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長谷駅方面(※線路内ではなく、踏切から撮影。これ、念のための注釈です)。
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極楽寺駅方面(※同上)。
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このトンネルの向こうは第9話で登場(※線路内を歩いたのではありません。これ、念のための注釈です)。

御霊神社の謂れ。
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読み下してみる。
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御霊神社〔鎌倉権五郎神社〕由緒
当社の創建は平安時代末期と推定され、当初は関東平氏の祖霊を奉祀していたが、後、鎌倉権五郎神社景政公一柱となる。
源頼朝公始め幕府の崇敬篤く「吾妻鏡」に御霊社鳴動して奉幣するなど所処に記事散見する奇瑞ある神社として有名である。
祭神景政公は桓武天皇の末裔、鎮守府将軍平忠道を祖父とし、父鎌倉権守景成の代より鎌倉に住し、鎌倉党武士団を率いる一方、現在の湘南地域一帯(戸塚、鎌倉、鵠沼、藤沢、茅ヶ崎)を開拓した開拓の領守でもある。
景政公16歳にて奥州後三年役(永保3年~応徳8年、1083年~1087年)初陣す。左眼に矢を射立てられしも屈せずして答の矢を射て相手を斃し陣中に帰り、其の矢を抜かんと面部に足を掛けし三浦平太の無礼を刀を構えて叱咤した公の剛気と高い志は歌舞伎にもなり武士の鑑と永く仰がれている。
神徳 祭神の志の高さ強固さを慕う青少年の参拝多し。又、江戸時代より右史実より眼病平癒、除災の神として祈祷多し。
例祭 9月18日、神奈川県指定無形文化財鎌倉神楽(湯立て神楽)の奉納あり。
末社 石上神社例祭7月25日に近い日曜日、御霊の前浜沖の海神に御供(赤飯)を献げ流す「御供流し」の神事あり。
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帰宅後、この謂れを参照しながら、いろいろベンキョーしてみた。
1)「当初は関東平氏の祖霊を奉祀していた」とある。
関東平氏とは、大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉の平家五家。
五家の祖を祀る神社として「五霊(ごりょう)神社」が建てられた。
これがいつの頃からか「御霊(ごりょう)神社」となったのであった。
2)「景政公16歳にて奥州後三年役、初陣す」とある。
これは、陸奥守を拝命した源義朝に従って出陣したのであった。
3)「左眼に矢を射立てられしも屈せずして」とある。
こうしたことから、御霊神社は眼病平癒にも効験があるとのことだ。
4)「歌舞伎にもなり」とある。
これは、歌舞伎の演目「暫(しばらく)」の鎌倉権五郎である。
九代目市川団十郎の「暫/鎌倉権五郎像」が浅草寺境内にあるとのことだ。
5)「例祭として、9月18日には鎌倉神楽の奉納あり」とある。
9月18日は鎌倉権五郎景政の命日で、「面掛行列」が催されるとのこと。
この行列を写真で見ると、奇祭である。
是非、見てみたいものである。

人混みを掻き分けながら、狛犬コレクションに精を出す。
神社の全景や社殿はカメラに収め損ねた。
狛犬コレクションの中からひとつだけアップしておこう。
ほんの一部だが、社殿と参拝客の列が写っているので...。
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江ノ電、通過(藤沢発鎌倉行き。写真、右から左へ)。
車外も車内も満員だ。
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神社の謂れ、それを通しての歴史や狛犬を楽しんだ。
そして、何にも増して楽しめたのは、鳥居と踏切を通過する江ノ電のツーショット、そして、それを眺める観光客の姿であった。

フォト:2012年6月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-06-30 17:52 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 06月 30日

『六月の鎌倉ポタリング/由比ガ浜』 jk-7

曇り空の、由比ガ浜。
海は晴れがよく似合うが、ポタリングには、曇りも悪くはない。

海開きは7月1日。
海の家、急ピッチで建設中!
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水辺近く、砂を掘り返しているのかと思いきや、ホンダワラなど海藻類が打ち上げられているのであった。

海辺の風景。
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散歩する人、水際に佇む人、軽四で浜を走る人、自転車で浜を走る少年、カタマラン・ヨットの準備に余念のない人、そして、湘南名物のラッコたち...。

水陸両用、ではありません。
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材木座海岸や由比ガ浜には漁港がないので、漁船を台車に載せて浜と海の間を移動させるのである。

由比ガ浜の名の由来を調べてみた。
由比ガ浜中央商店街のホームページになかなか面白いことが書かれていた。
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今は「由比ガ浜」と書くのが普通になっていますが、むかしは「由井ヶ浜」または「油井ヶ浜」と書いたものが多かったようです。
また、稀には「湯居」とか「湯井」などとしたのもありますがこれはどちらも誤りだとされています。
江戸時代には「由比」と「由井」が混用されていましたが、次第に「由比」が多くなり、明治になってからは殆ど「由比」に統一されるようになりました。
改めて申すまでもなく、この名称は海岸のもので、現在のように地域の名になったのは正確な年月は不明ですが、大正の頃からからだと思われます。
さて、この「由比」も「由井」も字そのものには特別な意味があるわけではなく、ただ「ゆい」という言葉を発音どおりに漢字で書いただけのものです。
ちょうど万葉集では鎌倉を「可麻久良」と書いているのと同じことです。
では「ゆい」というのは何かということになるわけですが、これは「結」(ゆい)のことだとされています。
結という言葉は、結合とか共同という本来の意味から転じて、労働力の交換を意味する言葉になっています。
元来は一族の間でのことだったのが、後には隣近所での手助け、手伝いにまで拡がっています。
つまり、むかしは村人がお互いに手伝い合って漁をする海岸というので「ゆい浜」と呼ばれていたのだと思われます。
共存共栄を念願とする町にとって誠にふさわしい名と申すべきでしょう。

「由比ガ浜」の地名は、有名な歌舞伎の演目の一つである『白波五人男』(正式には『青砥稿花紅彩画(あおとぞうし はなの にしきえ))』)の一人、弁天小僧菊之助のセリフの中に出てきます。
この作品は、1862年(文久3年)河竹黙阿弥の作で、市村座で初演が行われました。
「さて、その次は江ノ島の岩本院の稚児上がり、普段着慣れし振袖から髷も島田に由井ヶ浜、打ち込む浪にしっぽりと女に化けた美人局、油断のならぬ小娘も小袋坂に身の破れ、悪い浮名も竜の口土の牢へも二度三度、だんだん越える鳥居数、八幡様の氏子にて鎌倉無宿と肩書も、島に育ってその名さえ、弁天小僧菊之助。」
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「髷も島田に由井ヶ浜」、絶妙のセリフだ。
「小袋坂に身の破れ」の小袋坂は、鎌倉七口のひとつ、巨福呂坂(こぶくろさか)のことだ。
我々がいつも走っている北鎌倉から鶴岡八幡宮へ抜ける坂道(県道21号線、鎌倉街道)は新道の巨福路坂だ。
新道沿いの、建長寺の山号は「巨福山」だ。
新道沿いの、鎌倉学園高校の向かい辺りに「巨福呂堂」なるものがあるとのことだ。
次回、訪ねてみたい。
「悪い浮名も竜の口」は、今回のポタリングで立ち寄ることとしている片瀬の龍口(たつのくち)刑場跡に建つ日蓮宗の本山「龍口寺(りゅうこうじ)」の「竜の口」であろう。
弁天小僧菊之助のセリフだけでも、結構、面白い湘南観光が出来る。

フォト:2012年6月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-06-30 09:24 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 06月 29日

『六月の鎌倉ポタリング/寿福寺』 jk-6

「寿福寺」を綴るに際して、マイ・ブログの、5月30日付「古寺巡礼/鎌倉ポタ2012」第10話を読み返してみた。
これは、先月19日、鎌倉を訪れた際、源氏山の源頼朝像を眺めながら、「吾妻鑑」を愛読書とする武衛殿に、何故、源頼朝は鎌倉の地に幕府を開いたのかと問い合わせ、その答えを貰い、次回は、源家父祖伝来の地、亀ケ谷(かめがやつ)、頼朝の父、義朝が亀ケ谷に構えた館跡に建つ、鎌倉五山第三位の寿福寺を訪れたいとの思いを綴ったものである。

寿福寺に到着する。
外門に程近いところに駐輪する。
外門の手前で、「源氏山」と刻まれた碑が目に入る。
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碑文は次の通りである。
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源氏山ハ初メ武庫山ト云ヒ龜ケ谷ノ中央ニアル形勝ノ地ナルヲ以テ又亀谷山トモ稱セリ
源頼義義家父子奥州征伐ノ時此山ニ旗ヲ立テタルヨリ或ハ旗立山ト名付ク山ノ麓壽福寺境内附近ハ爾来源氏世々ノ邸宅タリシ地ナリト云フ
源氏山ノ名称ハ之ニ起因セルカ旗竿ヲ建テシト云フ故址ハ今尚ホアリ
昭和三年三月建之 鎌倉町青年團
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ふむ、前回、ベンキョーした通りである。

「壽福金剛禅寺」。
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外門の屋根に「笹竜胆」の紋が刻まれている。
勿論、源氏の家紋である。

扁額「龜谷山」。
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地名は「かめがやつ」だが、山号は「きこくさん」である。

外門をくぐる。
両脇に説明書きが。
神奈川県教育委員会の説明書き。
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次の通り記されている。
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国指定史跡
寿福寺境内
昭和41年3月22日 指定
亀谷山寿福金剛禅寺(臨済宗建長寺派)は、正治2年(1200年)に頼朝婦人政子が、明庵栄西禅師を開山として建てたもので、鎌倉五山第三位の寺であります。
この地は、もと源頼朝の父義朝の館があったといわれ、鎌倉入りした源頼朝はここに館を造ろうとしましたが、岡崎義実が義朝の菩提を弔うお堂を建てていたのでやめたといわれています。
墓地にあるやぐらには、源実朝、北条政子の墓と伝わる五輪塔が二基あります。
現在、伽藍は、外門、山門、仏殿、鐘楼、庫裡などですが、外門から山門に至る敷石道は静寂感が漂い、また、仏殿前に四株の柏槙があり、往時のおもかげを残しています。
平成8年3月30日
神奈川県教育委員会
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鎌倉市の説明書き。
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次の通り記されている。
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寿福寺
宗派 臨済宗建長寺派
山号寺号 亀谷山寿福金剛禅寺
建立 正治2年(1200年)
開山 明庵栄西
源頼朝が没した翌年、妻の北条政子が明庵栄西を開山に招いて建立した鎌倉五山第三位の寺です。
鎌倉幕府三代将軍の源実朝お、再三、参詣しました。
栄西は日本で初めて臨済宗を伝えた禅僧で、『喫茶養生記』を著すなど、お茶を飲む習慣を日本に伝えたことでも知られています。
裏山の「やぐら」(中世の横穴墳墓)には、源実朝、母・政子の墓といわれる五輪塔があります。
墓地には俳人・高浜虚子や作家・大佛次郎などが眠っています。
鎌倉市
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ふむ、ふむ、前回、ベンキョーした通りだ。
で、ここで、新たにベンキョーしたことは;
頼朝もここに館を構えようとしたが、父義朝を弔う御堂が建立されていたことにより止めたとのこと。
平治の乱で敗死した義朝を弔う御堂を建立した岡崎義実は源氏の家人で、源頼朝の挙兵に参じ、石橋山の戦いで嫡男の義忠を失うも、頼朝をよく助け、御家人に列した武将であるとのこと。
裏山の「やぐら」に、源実朝と北条政子の墓所があるとのこと。
裏山の墓所へ行ってみよう。

参道。
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参道脇の苔の緑を楽しむ。
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山門の扁額「壽福金剛禅寺」。
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仏殿と柏槙。
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苔むした大樹。
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山門から左手の小道を進む。
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今は扇ガ谷(おうぎがやつ)だが、その昔は亀ケ谷(かめがやつ)。
(何故、呼び名が変わったかは、5月30日付「古寺巡礼/鎌倉ポタ2012」第10話をご参照)

落石のため、迂回せよ、と。
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迂回して、石段を上る。
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墓地の中を進む。
大きな「やぐら」が目に入る。
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回り込んで覗いてみる。
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この大きな「やぐら」は、源実朝と北条政子のものではなかった。
左に目をやると、小さな「やぐら」が幾つか並んでいる。
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源実朝(1192年~1219年)のやぐら。
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ひとつ、置いて、北条政子(1157年~1225年)のやぐら。
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源頼朝の急死により嫡男頼家が18歳で家督を相続し、鎌倉幕府の第二代征夷大将軍となる。
頼家が重病に陥ると、頼家の後ろ盾である比企氏と、頼家の弟、実朝を担ぐ北条氏との対立が起こり、北条氏一派の攻撃により比企氏は滅亡し、頼家は将軍職を剥奪され、伊豆国修禅寺に幽閉されたのち、北条氏の手により暗殺された。
頼家が追放されたのち、実朝が12歳で第三代征夷大将軍に就くが、鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺され、これにより源氏将軍は断絶し、以後、北条執権が続くのである。
頼家、実朝兄弟の母が北条政子であることは申すまでもないことかと。

「鶯や源氏の往時を偲ぶ声」 霹靂火

石段を下り、脇道を山門方面へ歩いていたとき、御老体に呼び止められた。
「実朝と政子の墓所はこちらの方でしょうか」。
「この突き当たりに鉄扉があります。そこを上がっていくと直ぐなんですが、落石で迂回せよ、となっています。矢印に従っていくと石段があります。その上が墓地になっています。実朝と政子のやぐらは奥の崖下にあります」。
すっかり、鎌倉通である。

由比ガ浜へ向かう。

フォト:2012年6月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-06-29 12:34 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 06月 28日

『六月の鎌倉ポタリング/名月院から寿福寺へ』 jk-5

明月院の脇道から鎌倉街道(県道21号線)に出る。
坂道を上る(※写真の自転車青年は下り方向へ。これ、念のための注釈です)。
あじさい寺へ行かずとも、沿道でもアジサイが大いに楽しめる。
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いつも通り過ぎてしまっている寺も、石段脇に咲くアジサイで気になる寺に。
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何と言う名の寺なんだろう。
案内標識を見る。
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「ここは長寿寺」とある。
その下に「亀ケ谷坂切通」とある。
この辺りは、今は「扇ガ谷(おおぎがやつ)」と呼ばれているが、源義朝がこの地に館を構えた頃は、「鶴ケ岡に対し、「亀ケ谷(かめがやつ)」と呼ばれていた。
5月のブログ「古寺巡礼/鎌倉ポタ2012」で、この切通を走ってみたいと綴ったこともあった。
切通への道を眺めながら、こっちを走ってみるかと思案する。
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次回、ドラポタ藩諸侯共々の鎌倉攻めのときまで残しておくことにして、鎌倉街道を直進し、寿福寺へ向かう。

フォト:2012年6月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-06-28 21:36 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(0)
2012年 06月 27日

『六月の鎌倉ポタリング/名月院(4)』 jk-4

明月院。
歴史のベンキョーのあと、再び、境内を散策。
「瓶の井」。
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紫陽花を抱く地蔵。
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掲げられた札を見ると「花想い地蔵」とある。
この寺が女性に人気があるというのも頷ける。

喧騒状態の「方丈」前。
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しかし、方丈の脇は閑か。
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方丈の前に設えられた「枯山水」も静けさを漂わせている。
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庭師さんの仕事姿も絵になる。
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境内脇に停めてあった軽トラックのボディに「明月院 園芸部」とあった。
園芸部と称する部署がなければ、境内を埋める、2000株ともいわれるアジサイや庭園の管理は出来ないであろう。

紫陽花、竹林、歴史、方丈庭園、いろいろと、明月院を楽しんだ。
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「今日の jitensha/その2」。
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我が愛馬、ベデワン・ホワイト以外は入れ替わっていた。
明月院には、かれこれ、1時間滞在。
jitensha組では最長であったようだ。
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明月院をあとにして、次は寿福寺だ。

フォト:2012年6月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-06-27 21:23 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 06月 27日

『六月の鎌倉ポタリング/名月院(3)』 jk-3

名月院。
紫陽花三昧につづいて、竹林にて遊ぶ。
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見上げる。
山門で見た一輪挿しもそうだったが、竹と紫陽花は相性がよいようだ。
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竹、苔、そして、装飾瓦...。
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笛を吹く飛天。
竹林で竹笛の音、よき趣きだ。
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「福源山」。
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「福源山」は明月院の山号。
明月院は臨済宗建長寺派の寺院、本尊は聖観音、開基は上杉憲方(山ノ内上杉家の祖、関東管領)、開山は密室守厳である。

上杉憲方の名が出た。
「明月院やぐら(羅漢洞)」で、歴史のベンキョーをする。
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読み下してみる。
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名月院やぐら(羅漢洞)。
「やぐら」は中世鎌倉時代特有の洞窟墳墓である。
間口7メートル、奥行6メートル、高さ3メートルで、鎌倉市現存の最大級である。
壁面中央には釈迦如来、多宝如来の二仏と両側に十六羅漢を浮き彫りにし、中央に名月院中興開基、上杉憲方公をまつる宝篋印塔 、その前には禅宗様式を表した香炉が安置されている。
このやぐらは、もともと、永歴元年(1160年)平治の乱、京都で戦死したこの地の豪族、山ノ内俊道の菩提供養の為に子供である山ノ内経俊によって造られたと伝えられ、その約220年後に上杉憲方が生前に自ら墓塔を建立したと伝えられるが、凝灰岩質であるために風化が著しく、それらの彫成年代は明確ではなく、今後の解明が待たれる。
上杉憲方公は上杉重房公の四代目の曾孫で山ノ内上杉家の祖。
憲方公の子孫の憲政の時、北条氏康との戦いに敗れ、越後の長尾景虎を頼り、上杉の家名をゆずった。
長尾景虎は後の戦国時代の武勇、上杉謙信である。
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なるほど、この説明書きでいろんなことが分かる。
こういう洞窟を「やぐら」というのである。
確かに、鎌倉で「やぐら」をよく見掛ける。
「宝篋印塔」、「ほうきょういんとう」、読みが難しい。
宝篋印塔は、五輪塔などと共に、墓塔や供養塔などに使われる仏塔のひとつである。
平治の乱のことも登場。
NHKの大河ドラマ「平清盛」は著しく視聴率が低いとのことで、保元の乱に続き、平治の乱で視聴率アップを狙っているようだ。
しかし、源義家をあのように描くのは如何なものか、平清盛との対比であのように描かざるを得ないのであろうが、あれは脚本家の力不足、あれでは視聴率は上がらないと思うのである。
ドラマ評論家ではない。変なところで、力が入ってしまった。
長尾景虎が上杉の家名を譲り受ける件は、長い歴史、経緯を経てのことであり、紙面の都合上、それをここで述べるのは控えたい。

やぐらの脇でも、ガクアジサイが咲いていた。
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フォト:2012年6月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-06-27 06:41 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 06月 26日

『六月の鎌倉ポタリング/名月院(2)』 jk-2

名月院。
紫陽花三昧。

涼しげな、青。
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まだ、子供。
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青、白、紫...。
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同じ場所で咲いているが、色は多様。
土壌の酸性度によって花の色が変わり、一般に「酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」といわれているが、本当なのだろうか...。

ガクアジサイ。
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ガクアジサイの子供。
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最初から紫なのだろうか。
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ガクアジサイをボケにして。
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紫をボケにして。
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雪印のようだ。
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白いガクアジサイ。
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葉の形状からして、カシワバアジサイのようだ。
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ブドウの房のような花を咲かせる、カシワバアジサイ。
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白に紫の縁取り。
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夏には、百日紅の花が...。
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アジサイは色も形も七変化だ。
「ハイドレンジア 名月院で 七変化」 霹靂火
数年前の、6月の奈良ポタでの一句、「ハイドレンジア 朱雀大路で 七変化」(人麻呂殿添削済み)の焼き直しである。

フォト:2012年6月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-06-26 18:39 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 06月 25日

『六月の鎌倉ポタリング/明月院(1)』 jk-1

6月23日、鎌倉ポタリングに出掛けた。
5月19日に続いての、再びの、古寺巡礼だ。
午前7時38分、北鎌倉駅に降り立つ。
名月院に向かう。
8時前、名月院に到着。
開門は8時30分。
既に、列をなしている。
目で数えたところ、二十数名。
皆さん、お早いことである、自分も含め、であるが...。
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ガードマンも登場しての交通整理。
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名月院通り脇の疎水を眺めながら、時間潰し。
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"今日の jitensha"も増えていく。
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後ろを振り返ったら、ずっと向こうまで queueing...。
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開門。
拝観料500円也(普段は300円、紫陽花の季節のみ500円)を収め、境内へ。
境内中央路は大混雑。
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山門脇の一輪挿しが気に入った。
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「花の寺、名月院」。
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読み下してみる。
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当院のあじさいは九十五パーセントが「姫あじさい」です。
花の優美ということから名付けられたもので、小振りで可憐です。
淡い青から日ごとに青さを増し、最後は悠久の空の青、母なる海の青さに染まり、大地に還ります。
梅雨どき、美しく優雅な色は平安びとが心を寄せた色で、なぜか雨に映えます。
花菖蒲、つゆ草と共にこの季節の花の化粧色です。
名月院
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紫陽花三昧の始まりだ。
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フォト:2012年6月23日

(つづく)
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by kazusanokami | 2012-06-25 17:09 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2012年 06月 24日

『ムシ撮り/ハナムグリ』

花の寺、明月院にて、ムシ撮りに興じた。
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緑色の体に小さな白点を散りばめた甲虫。
和名/ハナムグリ(花潜)
英名/Flower chafer
和名も英名も、花の蜜が好きな昆虫に相応しい、そして、花の寺に相応しい、よき名だ。

フォト:2012年6月23日、鎌倉にて
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by kazusanokami | 2012-06-24 23:54 | | Comments(0)
2012年 06月 23日

『或る日の、テカポ湖』

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テカポ湖は、マウント・クックの裾野に開けた高原地帯にある湖で、かつては氷河の底にあったという、静寂に包まれた神秘の湖です。
氷河が流れることで、岩石が削られ、微粒子が混ざり込んで湖水と混じり合い、独特のトルコ石色に輝いています。
明るく輝くコバルト・ブルーの湖水と草原地帯、緑の林の向こうにそびえるサザン・アルプスの山々は、ニュージーランドの代表的な風景の一つです。
湖畔には石造りの小さな「善き羊飼いの教会」が建ち、祭壇の後ろの窓からは、湖とサザン・アルプスの神々しいほどの光景が望めます。
(kotobankより)

「テカポ」は、マオリ族の言葉なのであろう。
アオラキ/マウント・クックの「アオラキ」は、マオリ族の言葉で「雲を突き抜ける山」という意味である。
「テカポ」の意味を調べてみたが、分からない。
手賀沼を「テーガ・ヌーマ湖」と呼んだりして、遊んでいる。
この別名、「テーガ・ヌーマ湖」は、「テカポ湖」の名をヒントに思いついたものである。


フォト:2011年2月16日
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by kazusanokami | 2012-06-23 23:51 | NZ 紀行 | Comments(0)