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2013年 04月 29日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/御霊神社』 au-11

光則寺から、江ノ電の線路沿いを走り、御霊神社へと向う。

御霊神社。
昨年6月、一人ポタで御霊神社を訪れた。
昨年6月30日付のブログで、そのときのことを綴った。
そのブログに対し、武衛殿より「吾妻鏡」を愛読書とする武衛殿らしい、嬉しい書き込みを頂戴した。
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予て注目していた『暫』の鎌倉権五郎大庭景政を見つけ、感動!
義家の家来として、後三年の役の秋田・金沢柵における剛毅な活躍、絵巻物が目に浮かびました。
記憶では、確か、常陸・上総辺りで亡くなった。
今も地名の残る相模大庭氏の祖で、子孫の大庭景親は石橋山で頼朝を危うく討取る迄追詰めました。
その大庭もその後御家人に!
草生期の武士団は離合集散を繰返していた代表選手の感じ。
余談ですが、歌舞伎の鎌倉権五郎と並んで、狂言では閻魔大王を従え地獄から天国に向った『朝比奈』三郎義秀がいます。
和田合戦で滅ぼされた筈が生き延びて朝比奈切通し同様各地に怪力伝説があり、こちらも面白い。
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斯様な書き込みを頂戴したこともあり、武衛殿と、今一度、御霊神社を訪れたいと思っていたので、今回、訪ねることにした次第だ。

御霊神社に到着。
御霊神社のことは、昨年6月30日付ブログで縷々綴っているので、神社に纏わるあれこれは割愛するが、この神社の独特なこととして、神社の目の前を江ノ電が走っており、鳥居のすぐそばに踏切があることだ。
それもあって、観光客が大勢訪れる。
昨年の6月は、踏切に警備員さんが出る程に人出が多かったが、今回は然程の人出ではなかった。
「自転車はここに止めるといいですよ」と声を掛けて来たおじさんがいた。
このおじさん、子供の頃から御霊神社前の踏切近くに住むという。
踏切を通過する江ノ電の写真の撮り方について、講釈を拝聴する。
その講釈はひとことで言うなら「電車の頭が鳥居の真ん中に来たとき、一番美しい通過写真を撮ることが出来る」ということであった。
自分なりに解釈すると、鳥居は笠木、島木、額束、貫、柱で構成されており、先頭車両の頭が額束に掛かる直前ということである。
鎌倉発藤沢行き、藤沢発鎌倉行き、鎌倉発藤沢行きの、三本の電車の通過する風景を連写で撮った。
三本とも先頭車両の頭が鳥居の真ん中辺りに掛かっている写真は撮れたのが、最初の二本は先頭車両の頭が額束に被ってしまった。
三本目の、鎌倉発藤沢行きは、先頭車両の頭と最後尾の何れも、額束に被ることなく、通過するシーンが上手く撮れた。
三本目の通過シーン連写28枚の中から6枚をピックアップしてアップロードしておこう。
1)鎌倉発藤沢行きが近づいて来る。
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2)先頭車両が現れる。
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"踏切写真おじさん"の助言通り、先頭車両の頭が鳥居の真ん中を通り過ぎるシーンが上手く撮れた。
しかも、額束のちょっと手前の理想的なところで。

3)一両目と二両目の連結部分が通り過ぎる。
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4)二両目と三両目の連結部分が通り過ぎる。
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5)三両目と四両目の連結部分が通り過ぎる。
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6)四両目、最後尾の車両が通り過ぎる。
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先頭車両と同様、額束に被ることなく、撮れた。
しかも、白いシャツの車掌さんの後ろ姿も上手く入っている。

「上手く撮れましたか?」と"踏切写真おじさん"。
液晶ビューで撮れ加減をチェック。
「これ、これ、鳥居の真ん中を通り過ぎるところ。これがベストです。私が言う通りに上手く撮れましたね」とお褒めの言葉(???)を頂戴した。
自分自身としては、オールド・ファッションなボディ・カラーの、緑色の車両が先頭となり、且つ、藤沢発鎌倉行き(即ち、左から現れ、右へ去って行く)シーンを撮りたかったのだが、その車両編成が来るまでずっと待たなければならないので、次回の楽しみとした。
"踏切写真おじさん"のお陰で、御霊神社の新たな楽しみ方が増えた。

今回の鎌倉ポタリングは、紅葉ガ谷瑞泉寺のウグイスの鳴き声を聴くことを必須として、あとは、何も決めずに出掛けたのだが、誠に楽しい鎌倉ポタリングが仕上がった。
5月が過ぎ、6月ともなれば、ウグイスの啼き方は絶好調となるはず。
その頃の鎌倉が、また、楽しみだ。

フォト:2013年4月13日

(完)
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by kazusanokami | 2013-04-29 12:41 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2013年 04月 29日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/光則寺』 au-10

逗子・小坪漁港の「ゆうき食堂」で昼餉を摂ったあと、材木座海岸、由比ガ浜沿いを海を見ながら走る。
湘南海岸を走るとき、何時も頭に浮かぶもの、それはアストロノウツの「太陽の彼方に」。
オリジナルはインストルメンタル・ミュージックでありながら、何故か、日本語の歌詞がつけられている。
♪のってけ のってけ のってけ サーフィン♪
♪波に 波に 波に 乗れ 乗れ♪
♪踊れ 踊れ 踊れ サーフィン 太陽の彼方に♪
調子のよい、見事な歌詞である。
サーフィン系では、ビーチビーイズが実験的音楽も含め数々のヒット曲を出し、一世を風靡したが、アストロノウツは「太陽の彼方に」(原題/Movin')だけである。
話が脱線した。
坂ノ下に至る。
北上して、長谷観音前交差点のひとつ北側の筋を入る。

海棠の寺、光則寺。
海棠。
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満開の時期は過ぎていたが、僅かに残った花を愉しんだ。

海棠の全景。
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ここ、光則寺の海棠は樹齢約200年。
妙本寺の海棠、安国論寺の海棠と共に、鎌倉三大海棠と言われているそうだ。

よく整えられた境内を散策する。
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蓮の水鉢。
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牡丹の赤と山門の屋根の緑青色がいいコントラストを醸し出している。
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黒蝋梅。
朝、瑞泉寺で"花談義おじさん"に教えて貰った花を、早速、発見!
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帰り際に、山門の龍を眺める。
建長寺、光明寺につづいて、この日、三つ目の龍コレクション。
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この龍は「二つ爪」に見えるが、「二つ爪」の龍はいないので、一つの爪は隠れている「三つ爪」である。
この龍の面白いところは、目がくっきり。
「画龍点睛を欠いていない」ことである。

江ノ電の線路沿いを走り、御霊神社へと向う。

フォト:2013年4月13日

(つづく)

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-29 06:50 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(0)
2013年 04月 28日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/逗子・小坪漁港』 au-9

光明寺の見学を終えたところで、丁度、昼餉時となる。
材木座海岸からトンネルを抜け、鎌倉ポタリングの際の昼餉の定番となりつつある逗子/小坪漁港の「ゆうき食堂」へ向う。

ゆうき食堂。
サイクリストや観光客で、相変わらず、盛況である。
品書き。
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品書き、満載。
いつもと同じように、「刺身二点盛り定食 1000円」を注文する。
刺身二点盛りは、品書きの中から刺身を二点、選ぶシステムだ。
大給殿は鰤と生しらす、武衛殿は鯵と生しらす、上総は平目と生しらすを注文する。
刺身二点盛り定食、鰤と生しらす。
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定食には、大盛りのご飯と味噌汁、香の物、そして、何故か、温泉玉子と納豆が付く。
江ノ島の悪口をいう訳ではないが、江ノ島の生しらす丼は、ちょこっと、しらすが乗っかっているだけである。
その点、ゆうき食堂の生しらすは、両手いっぱいと言えば言い過ぎだが、片手では溢れてしまうであろうほどの量である。
「これで、どうだ!」という店の思いがひしひしと伝わって来る、満足度100%の定食である。

いつもは小坪漁港を眺めて鎌倉方面に戻るのだが、この日は漁港南端まで走り、小坪マリーナから海を眺める。
南東の眺め。
磯遊びに興じる人たちがいる。
愉しそうだ。
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南西の眺め。
逗子マリーナ、そして、その向こうに江ノ島が見える。
遠く霞んで伊豆半島(???)も見える。
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春うららの海である。

フォト:2013年4月13日
フォト#1、#2:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-28 23:58 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(0)
2013年 04月 27日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/光明寺』 au-8

瑞泉寺から永福寺跡に立ち寄りのち、材木座海岸近くの、光明寺に向う。
昨年12月の鎌倉ポタリングの際、ここに武衛殿を案内できなかったので、鎌倉の寺院の門の中で最大といわれる山門を案内かたがた今回立ち寄ったもの。
光明寺に近づくと、潮風と潮の香り(というか、ワカメの香り?)が心地好い。

光明寺。
いつもは総門、山門、本堂を眺めるだけであったが、今回は本堂へ上がってみた。
本堂回廊の西川に立派な庭園が設えられている。
記主庭園と大聖閣。
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小堀遠州作の「記主庭園」と呼ばれる浄土宗の庭園。
庭園の向こうには、大聖閣(たいしょうかく)。
宗祖法然上人800年大御忌を期して建てられたとのこと。
庭園の蓮池には、夏ともなれば蓮の花が咲くとのこと。
蓮は大好きな花のひとつだ。
その頃にまた来よう。

本堂回廊。
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本堂の東側には、昭和の石庭「三尊五祖石庭」が設えられている。
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躑躅の季節ともなれば、見事な景色となるのであろうが、今はまだ少し早い。

本堂(大殿)に入る。
現存する木造の古建築では鎌倉一の大堂とのこと。
龍の緞帳が目に飛び込んで来る。
飛び込んで来るというか、龍の蒐集を趣味とする者にとってはどうしてもそういう目線でものを見てしまうのである。
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何と、この龍は「五本爪」ではないか!
新発見であった!
何故、「五本爪」に感激したか、その訳は、第二話の建長寺「雲龍図」のところで触れたので、ここではその感激の気持ちだけを綴っておきたい。

本堂脇から、善導大師像と鐘楼、そして、木立の向こうに見える山門を眺める。
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善導大師は中国唐代の人で、『観経疏』等五部九巻の書物を著し、法然上人はこれに偏依し、浄土宗を開いた。
1175年(承安5年)、法然、43歳の時であった。

本堂正面から、鎌倉で最大といわれる山門を眺める。
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間口約16m、奥行約7m、高さ約20mの、五間三戸二階二重門である。
鎌倉の寺院の門では最大の格式を備えた山門となっている。

「では、昼餉としましょう」。
材木座海岸からトンネルを抜け、逗子/小坪漁港の「ゆうき食堂」へ向う。
「ゆうき食堂」での昼餉は、鎌倉ポタリングの際の定番になりつつある。

フォト:2013年4月13日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-27 23:58 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2013年 04月 26日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/永福寺跡』 au-7

瑞泉寺から市街地へ戻る途中、武衛殿曰く「瑞泉寺の近くに、ようふくじ、という寺の跡があったはずなんです」。
「ようふくじ?」。
「永福寺と書きます。頼朝が建立した寺と言われています」。
「そう言えば、瑞泉寺へ向う途中、大きな空き地の前に、町の角々でよく見る鎌倉町青年會の石碑がありましたね」。

「永福寺舊蹟」/鎌倉町青年會。
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永福寺舊蹟永福寺 世ニ二階堂ト稱ス 今ニ二階堂ナル地名アルハ是ガタメナリ
文治五年賴朝奥州ヨリ凱旋スルヤ彼ノ地大長壽院ノ二階堂ニ擬シテ之ヲ建立ス
輪奐荘厳洵ニ無雙ノ大伽藍タリキト云フ
享徳年間関東管領ノ没落セル頃ヨリ後全ク頽廃ス
大正九年三月建之  鎌倉町青年會
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「二階堂の地名の由来は、永福寺のことやったんですね」と由来好きの上総、納得。
瑞泉寺を訪れる際は、いつも、鶴岡八幡宮から東へ向かい、荏柄天神社、鎌倉宮を抜けていくのだが、鶴岡八幡宮の東から瑞泉寺にかけての住所は「鎌倉市二階堂」なのである。
今回も同じ道を走り、瑞泉寺へ向う道すがら、「二階堂という地名はこの辺りに二階建ての寺があったからとのことのよう。寺の名は思い出せませんが」と話していたところであったので、瑞泉寺の帰りに、即、答えが出てスッキリ!
流石、「吾妻鏡」を愛読書とし、源頼朝の別名である「武衛」をハンドルネームとする武衛殿、よくぞ、永福寺跡のことに気付いてくれた。
感謝、感謝!

「国指定史跡 永福寺跡」/鎌倉市教育委員会。
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国指定跡 永福寺跡(昭和42年6月19日指定)
永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なきさまに感激した平泉の二階堂大長寿院を模して建久3年(1192年)、工事に着手しました。
鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を配した庭園の跡を確認しました。
堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られました。
市では昭和42年度から土地の買収を行っており、今後は史跡公園としての整備事業を進めていく予定です。
平成13年10月  鎌倉市教育委員会
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「昔の人は祟りを恐れて、こうした寺院を建立し、鎮魂したということですね」と武衛殿。
菅原道真然り、平将門然り、崇徳上皇然り。

説明板近くのテニスコートに沿って高台へ行ける道があるという。
里山の未舗装といった感じの道を走る。
高台へ上る道に至る。
jitensha を止め、徒歩で上る。

高台から永福寺跡を眺める。
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丸柱の礎石建ての礎盤が見事に復元されている。
我々は南西の位置に居る。
写真手前から、阿弥陀堂、二階堂、薬師堂となる。
大きな池は写真右手に広がる空き地にあったということになる。

空き地の道沿いに加え、高台にも説明書きがある。
説明書きに添えられた復元図と復元工事中の光景を見比べる大給殿と武衛殿。
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「国指定史跡 永福寺跡」/鎌倉市教育委員会。  
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国指定跡 永福寺跡(昭和41年6月14日指定)
永福寺は源頼朝が建立した三大寺院の一つです。
奥州平定(文治5年(1189年))で犠牲となった源義経や藤原泰衡らの霊を供養するため、奥州の地で検分した中尊寺大長寿院二階大堂や毛越寺などを模した壮大な寺で、建久5年(1194年)に中心伽藍が完成したと伝えられています。
中心伽藍は二階堂・阿弥陀堂・薬師堂の三堂で、それぞれに各三人の有力御家人を奉行として置き、京都から招いた庭師に造らせた庭園は広い苑地に自然石を配した見事なもので、往時には鎌倉きっての名勝地とうたわれていました。
13世紀の中頃、大規模な改修が行われ、鎌倉時代の後半に何度か焼失したものの再建されましたが、鎌倉幕府滅亡後も鎌倉公方の足利氏によっで保護されました。
しかし、応永12年(1405年)の火災による焼失以後は再建が行われず、江戸時代の初め頃には廃寺となってしまいました。
発掘調査により、前面に池を配し、阿弥陀堂・二階堂・薬師堂が一直線で廊でつながり、翼廊というL字形の廊を配した南北130mに及ぶ中心伽藍が発見されました。
堂の配置は独特のもので、池に配された庭石の規模も非常に大きく、鎌倉幕府の独創性と権威を表す寺として注目されています。
永福寺跡は、今後、史跡公園として整備し、公開していく予定です。
鎌倉市教育委員会
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説明書きに添えられた復元図(画像作成:湘南工科大学 長澤研究室)をアップで。
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我々は復元図左手の山の中腹あたりに居る。
瑞泉寺は復元図の右手のずっと奥の紅葉ケ谷に位置している。
因みに、電脳網で「永福寺 復元図」で検索してみたところ、鎌倉市と湘南工科大学との協働による「『国指定史跡永福寺跡』のコンピュータグラフィクによる復元」なるサイトが現れた。
カラーによる復元図である。
往時の様子が十分に偲ばれる、立派な復元図である。

「説明書きが三つもあり、よくベンキョー出来ました」。
「大正時代の、鎌倉町青年會の石碑は簡潔な記述。各所でこの石碑を見ます。当時の鎌倉町青年會はいい仕事をしていますね」。
「鎌倉市は永福寺跡に随分と力を入れていますね」。
「土地の買収は大変のよう。空き地にはまだ一軒、家が残っているようだし」。
「史跡公園が出来ると人が集まる。人が集まるのはいいのですが、混み合うのは嫌ですね。この辺りは観光客は少なく、静かなので」。
「永福寺は源頼朝が建立した三大寺院の一つとありますが、残り二つは何処なんでしょうね」。
「調べておきましょう」。

こうやってブログを綴りながら気になったことが一つある。
それは鎌倉市教育委員会の説明板にある「国指定」の年月日だ。
道沿いの説明板では「昭和42年6月19日指定」、高台の説明板では「昭和41年6月14日指定」となっており、1年食い違っており、月は6月で同じだが、日は数日異なっている。
調べてみたところ、鎌倉市のHPでは、国指定のことに触れられているが、その年月日は書かれておらず、「市では昭和42年(1967年)からこの土地の公有地化を進めており」との記述がある。
国の指定がなされ、公有地化が始まったと考えるのが妥当であろうから、国指定は「昭和41年6月14日」と考えておこう。
些細なことと思う一方、斯様なことが気になる性質なので仕方がない。
年月日を間違えるということは、説明書きの内容にも間違いがあるのではないかとの疑いも出て来ようから、教育委員会さん、しっかり、よろしく、と申しておきたい。

高台から「今日の jitensha」。
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この写真は大給守殿提供のものである。
集合場所で『今日の jitensha』を撮ることが恒例となっているのだが、北鎌倉駅で撮り忘れた。
そのことを大給殿に伝えたところ、高台から撮った写真がちゃんとありますよ、とのことで頂戴した写真である。
抜かりのない大給殿に感謝!

何も知らずにいつも素通りしていた永福寺跡に立ち寄ることが出来たのは、武衛殿のお陰。
「吾妻鏡」を愛読書とする武衛殿は、鎌倉ポタリングに欠かせない存在なのだ。
武衛殿に感謝!

後日、武衛殿から「源頼朝が建立した三大寺院は、鶴岡八幡宮、永福寺、勝長寿院。勝長寿院は大御堂の名前で記憶されていて、永福寺跡から至近に遺跡あり」との電子飛脚便が遣わされた。
鶴岡八幡宮は現在は神社であるが、元々は神宮寺として創建され、明治時代初めの廃仏毀釈により神社になったものだ。
また、鎌倉には勝長寿院を偲ばせる「大御堂」の地名もある。
次回は大正時代に鎌倉町青年會が設けた「大御堂」の石碑を探しにいきたいと思っている。

フォト:2013年4月13日
フォト#7:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-26 23:58 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2013年 04月 25日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/瑞泉寺(2)』 au-6

瑞泉寺の境内を巡り、再び、石段を下る。
出入り口である拝観券売所の近くに梅林がある。
そこに紫色の花が所狭しと咲いている。
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「この紫の花は何という名前なんでしょうかね」。
「さて?以前、聞いたような、聞かなかったような。券売所のおじさんに訊ねてみましょう」。

瑞泉寺を訪れた際の楽しみのひとつに、拝観券売所のおじさんとの会話がある。
以前、居たおじさんは「お客さんが来られるとよく訊ねられるんです。今、聞こえたウグイスの声は録音テープを流しているんですかと」というのが口癖であった。
このおじさんの台詞が録音テープじゃないかと思うくらい何度もこの台詞を聞いたのであった。
昨年12月に訪れたときは、雪が話題となり、この"ウグイスおじさん"が撮影した瑞泉寺の雪景色の写真をいろいろと見せて貰ったこともあった。
我がドラポタ藩では、鎌倉のことが話題になったときやウグイスの季節が近づくと、この"ウグイスおじさん"のことも話にのぼり、結構、人気者なのであった。
今回、訪れたときは、別のおじさんであった。
ウグイスの話題に軽く触れ、花談義に。
「あの紫の花は何という名前なんでしょうか」。
「ショカツサイ。別名、ムラサキダイコンとも言います」。
「ショカツサイ?どんな字を書くのでしょうか」。
「諸葛孔明の諸葛に野菜の菜です。直ぐそこにあるのがハナイカダです」。
「どれですか?」
「その、葉っぱの大きいのです。葉っぱの上に小さな花が咲いています」。
「分かりました、分かりました」。
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「ハナイカダ。花に筏。上手いこと名付けた名前ですね」。
「その奥には、黒蝋梅があります」。
「黒蝋梅。初めて見る花です」。
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「普通の蝋梅は2月か3月に咲きますが、これはまだ蕾のようですね」。
「これから5月にかけて咲く花です」。
「諸葛菜、花筏、黒蝋梅。三つも花の名を覚えました。有難うございます」。

帰宅後、諸葛菜の名の由来を調べてみた。
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オオアラセイトウ (大紫羅欄花)。
アブラナ科オオアラセイトウ属の越年草。
別名ショカツサイ(諸葛菜)、ムラサキハナナ(紫花菜)、ハナダイコン(花大根)。
「諸葛菜」は諸葛孔明が広めたとの伝説から。
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"花談義おじさん"の言では、別名ムラサキダイコンとのことであった。
「諸葛菜」の調べでは、ムラサキダイコンは出て来ていない。
ムラサキダイコンを調べたところ、ムラサキダイコン(紫大根)はアカダイコン(赤大根)の別名となっており、諸葛菜と紫大根を並べた記述はない。
諸葛菜と紫大根は別物と思われるが、"花談義おじさん"のいうムラサキダイコンの方が分かり易い。
ドラポタ藩内では「諸葛菜」で統一しておこう。

なお、上述で「拝観券売所」と記したが、ああいうところは正式に何というのであろうか。
「受付」じゃ、趣きがないし...。
因みに、瑞泉寺では「拝観料」と言わず「拝観志納料」となっている。
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鶯啼拝聴料は拝観志納料に込みである。
券売所の外でウグイスの声を聴く分には、勿論、無料だが、ウグイスに対する志は納めねばならないだろう。

ウグイスの声を愉しみ、加えて、花についても大いにベンキョーした、紅葉ケ谷瑞泉寺であった。

フォト:2013年4月13日
フォト#1、#2:大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-25 18:46 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2013年 04月 25日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/瑞泉寺(1)』 au-5

建長寺から、鶴岡八幡宮を抜け、瑞泉寺へ。
道すがら、ウグイスの声が聞こえる。
紅葉ケ谷に向う序奏でもある。

瑞泉寺。
ウグイスの声を聴きながら、石段を上る。
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「おとこ、二人じゃ、色気がありませんが、それでもいい感じの写真が撮れました」と大給殿。
大給殿撮影/「武衛&上総 紅葉ケ谷鶯啼傾聴図」。
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朝10時を少々過ぎた頃。
拝観者は我らだけ。
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境内に、そして、紅葉ケ谷にウグイスの声を響き渡る。
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フォト:2013年4月13日(フォト#3/大給守殿提供)

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-25 09:15 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2013年 04月 24日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/建長寺(4)』 au-4

建長寺法堂。
鎌倉では、4月12日から21日まで、美術展「観〇光 KAN HIKARI ART EXPO 2013 京都・鎌倉展~日本の美とこころ~」が開催されており、ここ建長寺もその会場となっていた。
法堂で展示されていた作品の中で、心引かれるものがふたつあった。

「阿修羅 -asura-」/加藤魏山。
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修羅道に住まい、永遠に戦いを繰り返していた阿修羅もこれまでの罪を懺悔して釈迦に帰依し仏法を守護する神となる。
光と影、正と邪、静と狂・・・
この世界は相反するものが共存しながら危ういバランスの上に立っている。
阿修羅もその危うさの中で正義にもなれば悪鬼にもなる。
その危うさの中にある阿修羅の姿に自分自身を投影する。
仏教に取り入れられた天部などの神々は、元来インドの神でありながらも
その伝播の過程で唐様の装束や甲冑を身に着けているという発想から
"加藤魏山の阿修羅"として、日本の中世の甲冑を身に付けた阿修羅像を制作した。
(gizan KATOH Diary...<月鏡>, gizankatoh.exblog.jp より)
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一見したとき、随分とイメージと異なる阿修羅像だなあと思ったが、これを読み、納得できた。
展示場所が、釈迦苦行像の脇であるというのがこれまた心憎い演出でもあった。

「ムーンダンス」/瓜南直子。
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「ムーンダンス・Moon dance」
四曲一隻屏風
顔や手でなく、足が語る言葉を聞きたい。
足が奏でる音楽を聴きたい。
まだ見たことのない風景を描きたい。
「足」は、昔から好きなモチーフで、何度となく描いているけれど、群舞を描いたのは初めて。
一隻四曲の屏風に仕立てようと思ったとたんに、この構図とシャンバラからの通信が届いた。
そして今後、描いて行きたいテーマの一つとなった。
いつもは、生のキャンバスをパネルに張って描いているが、今回は画面も大きいので寒冷紗を張って下地を作った。
絵具は岩絵具を使っている。
古代の大きな月に誘われて、ひたひたの水の上を、すべるように踊る足。
踊っているうちに、やがて月界へとたどり着くだろうか。
画面から、足が奏でる音楽が聞こえてくるでしょうか。
瓜南直子
Naoko KANAN
(作品脇の添え書きより)
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添え書きの中に「一隻四曲の屏風に仕立てようと思ったとたんに、この構図とシャンバラからの通信が届いた。そして今後、描いて行きたいテーマの一つとなった」と綴られている。
シャンバラとは何ぞや?
「チベットに伝わる伝説上の秘密の仏教王国」とのこと、また、「アスラの王。神々との戦争でアスラの指導者として戦ったが、最後はシヴァの手で倒される結末となった」とも。
作者の言葉「シャンバラからの通信が届いた」の意味するところはよく分からないが、理屈はどちらでもよいことだ。
先の阿修羅の彫刻以上に、この絵に感銘を受けた。
寺院で観ているせいか、仏足跡をも思い起させる。
淡い画調で描かれた足、そして、作者の言葉通り、その足が奏でる音楽が聴こえて来る。
既に故人となった作者に、そう、伝えたいくらいだ。
最近、絵を描くことに目覚め、しかもチベットに造詣の深い松柏木さんにこんな絵があるんだと伝えたく、このブログを綴る次第だ。

美術展「観〇光 KAN HIKARI ART EXPO 2013 京都・鎌倉展~日本の美とこころ~」、早朝の鎌倉でいいものを見せて貰った。

フォト:2014年4月13日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-24 11:44 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(0)
2013年 04月 24日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/建長寺(3)』 au-3

建長寺法堂。
天井画「五爪の雲龍図」に続いて、千手観音像の前に安置された「釈迦苦行像」に見入る。
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像の脇に添えられた説明書きによれば、この釈迦苦行像は、パキスタンの北西部地方のガンダーラ文明の遺産で、ラホール中央博物館に安置されているお像をもとに制作され、2005年愛知万博に陳列された後、パキスタン国より建長寺に寄贈されたとのことである。
柔和なお顔の釈迦像と斯様なお姿の釈迦像、その対比において考えさせられるものがある。

狛犬蒐集を趣味とする小生にとって、釈迦苦行像の前に置かれた香炉にも惹かれる。
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ここで、マイ・コレクションから香炉の狛犬をひとつご紹介しておこう。
成田山新勝寺釈迦堂前の香炉。
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苦行中の釈迦を健気にお守りしている狛犬に続いて目を惹かれたもの、それは続編にて。

フォト:2013年4月13日(フォト#4:2013年1月2日)

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-24 10:13 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(0)
2013年 04月 23日

『卯月、鎌倉に遊ぶ/建長寺(2)』 au-2

建長寺。
塔頭を巡ったあと、久し振りに、小泉淳作画伯が描いた「雲龍図」が見たいと思い、法堂へと向う。

小泉淳作画伯の筆による「雲龍図」。
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いつもは雲龍図だけを撮ることが多いが、この日は法堂に鎮座する釈迦苦行像と千手観音坐像も入れて、贅沢に(???)撮ってみた。

「雲龍図」に関わる説明書き。
この説明書きは、いつ読んでも、子気味よく、気持ちがいい。
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小泉画伯は、建長寺の縁で、京都・建仁寺の開創800年を記念した法堂天井画「双龍図」を平成15年10月に完成させました。
平成16年4月に開眼法要を執り行い、現在、この壮大な二匹龍の天井画には、遠方から多くの拝観者が訪れています。
今回、建長寺・雲龍図と建仁寺・双龍図には「五爪の龍」が採用されています。
日本の龍は普通三本指ですが、本来、龍の指は五本あります。
中国では、皇帝の顔を「龍顔」、皇帝の正装を「龍袍」というように、「五龍の爪」は天子の象徴とされていたため、属国であった朝鮮半島代々の王朝は「四爪の龍」しか用いる事が許されませんでした。
朝鮮半島から我が国へは、更に一本少ない「三爪の龍」として、伝えられたといわれています。
(説明書き、右の図は建仁寺「双龍図」)
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余談ながら、「この説明書きは、いつ読んでも、子気味よく、気持ちがいい。」というその訳について、ちょいと触れておきたい。
十数年前、契約調印式で契約の記念にお客さんに龍のクリスタル製置物をプレゼントした。
その際、このビジネスの仲介をした某商社の重役さんが「この龍は三本爪だなあ」と少々、侮蔑したようなニュアンスでの発言があった。
「おめでたい席でそれはないでしょ」と内心、そう思い、以来、龍の爪は何本かに拘って来た。
日本国内の龍は勿論のこと、中国、台湾、韓国などに出張の都度、龍を目にする度に龍の爪の数を数えた。
日本は、中華料理店などの看板を除いて、寺院などで見られる彫刻などは三本爪。
中国は、玉座などに見られる通り、中国の皇帝だけが五本爪。
中国の庶民、台湾、韓国は四本爪。
これが小生の調べた結果である。
台湾に出張した際、取引先の人にそうした話をしたところ、「龍は精力絶倫。しかし、大陸から台湾や朝鮮半島へ飛んでいくときに一本、指が落ち、更に遠い日本まで飛んでいく途中、疲れ切って、もう一本、指が落ち、日本の龍は三本指になった。そう思えばいいでしょう」と、納得のいく、よき意見を貰った。
そうしたことが昂じて龍の蒐集が趣味となったのであった。
小泉画伯が五本爪の龍を描いた理由はよく分からないが、画伯の描いた「雲龍図」が五本爪であるというのは新発見で、誠に嬉しいことであった。
更に嬉しいことに、このあと訪れる光明寺の本堂の緞帳(緞帳というのかどうかは定かでないが)が、やはり、五本爪であった。
光明寺/本堂の緞帳。
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中華料理店の五本爪はあてにならないが、寺院は言わばオフィシャルな建物、その建物に五本爪が用いられているということは、中国皇帝以外にも用いてよいという、何か、特例があるのかもしれない。

法堂では、更に興味深いものが鎮座していた。
それは建長寺の続編にて。

フォト:2013年4月13日

(つづく)
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by kazusanokami | 2013-04-23 16:12 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(0)