『上総守が行く!』

kazusanokm.exblog.jp
ブログトップ

<   2014年 02月 ( 13 )   > この月の画像一覧


2014年 02月 28日

『お上りさんポタ/赤穂浪士討入凱旋の旅&お預け四家の旅』(3)

両国橋東詰から隅田川東岸を南下。
永代橋東詰にて、堀部安兵衛に倣い、永代通りを走り、富岡八幡宮へと向う。

富岡八幡宮。
参道の入り口に、はとバスが止まっている。
大鳥居の下には、荷台に神輿を載せたトラックが止まっている。
神輿の担ぎ手もいる。
神事の設えもなされている。
a0104495_121396.jpg
近くにいた神主さんに尋ねてみた。
「今日は何があるんですか?」
「東京マラソンの応援に行くところなんです」。
嘗て、東京都心部で行われていたマラソン大会は、エリートランナー向けフルマラソンの「東京国際マラソン」(男子)と「東京国際女子マラソン」、市民ランナー・障害者向け10kmロードレースの「東京シティロードレース」があったが、それらを統合して2007年から「東京マラソン」となり、今年は第8回目となる。
築地から東銀座の辺りと第一京浜で我らの討入り凱旋の旅とコースが重なるところがあり、迂回せねばと思っているが、今のところ、まだ、重なってはいない。

伊能忠敬像。
「伊能忠敬は幕府に仕えるようになってから、この界隈に住むようになりました。測量の旅の都度、出立前に富岡八幡宮に旅の安全を祈願したとのことでありまーす。詳しくは、マイ・ブログの『伊能忠敬間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて』をご覧ください」。

大関力士碑。
「碑の台座に刻まれた寄進者の名をご覧ください。山田隆夫、山田太一の名があるでしょう。山田太一たって、脚本家の山田太一じゃ御座いませんよ。笑点の山田隆夫親子です。深川の生まれです。この説明、いつぞや、地元のおっちゃんの案内で知った受け売りでーす」。

骨董市。
a0104495_148442.jpg
「以前、骨董市で刀の鍔がいっぱい並んでいたので、それを撮っていたところ、写真、撮るな!と店のおっさんに叱られたことがあります。意匠のことで写真を撮られたくないんやということかと。深川不動前の象牙店のショーウィンドウにも写真お断りの貼り紙あり」。

日本最大の神輿と言われている高さ4.4メートル重さ4.5トン、随所に純金・宝石が散りばめられた絢爛豪華な一宮神輿が平成3年(1991年)に奉納されました。神輿の最上部の鳳凰や中段の狛犬のダイヤモンドの目は光り輝いており、非常に豪華な作りになっております。

西参道の空き地/几号水準点。
「これは鳥居の柱や笠木、島木、貫などで御座います。東日本大震災で西参道の鳥居に被害があったとのことで撤去され、野積みされているものです。柱に几号水準点の『不』の刻印がありまーす」。

狛犬。
「この狛犬の頭を上から覗いてみてくださーい。穴が開いていますでしょう。ここに角があったものと思われまーす。角のある狛犬は、午後、訪ねる予定の愛宕神社や芝神明でご覧いただけまーす」。

本殿で参拝。

横綱力士碑。
「こちらは歴代の横綱の名が刻まれた碑で御座いまーす」。
「曙、貴乃花、若乃花で終わっていますねぇ」。
「その後の横綱は裏面へと続きまーす」。
「武蔵丸 ハワイ、朝青龍 モンゴル、白鵬 モンゴル、日馬富士 モンゴル。こうやって、外国人横綱が四代続いていることを目の当たりにすると、ちょっと、寂しいものがありますねぇ」。

八幡橋(旧弾正橋)。
「元は現在の中央区宝町の楓川に架橋されていた弾正橋がここに移設されたもので御座いまーす。鉄橋としては日本最古のものと言われておりまーす。菊の御紋が鋳込まれておりまーす」。

三十三間堂跡。
「この先に、京都の三十三間堂を模した建物があったとの碑がありますが、今日はカットいたしまーす」。

再び、正面参道の大鳥居に戻る。
丁度、東京マラソンへの出陣(?)の神事が執り行なわれていた。
a0104495_1224279.jpg


フォト:2014年2月23日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-28 23:58 | 赤穂浪士討入凱旋の旅
2014年 02月 27日

『お上りさんポタ/赤穂浪士討入凱旋の旅&お預け四家の旅』(2)

両国橋東詰から隅田川東岸を南下する。

芭蕉記念館。
「こちらが芭蕉記念館で御座いまーす。芭蕉がこの辺りに住んでいたとの記録はあったようですが、長らく芭蕉庵の場所は特定できなかったとのこと。大正時代に、津波がこの辺りを襲い、芭蕉が好んでいたと言われる石の蛙が出て来たことにより庵の場所が特定できたとのことです。奥の細道に出掛ける前に、ここ、芭蕉庵から少し南にある採荼庵(さいとあん)に移り住んだとのことであります。芭蕉が奥の細道に出掛けたのは元禄2年(1689年)、没したのは元禄7年(1694年)。浪士たちの討入りは元禄15年(1702年)で、既に芭蕉は没していましたが、庵は残っていたと思われ、浪士たちは庵を見ながら泉岳寺への道を歩いたと思われまーす」。

芭蕉庵史跡展望庭園、芭蕉稲荷神社を経て、萬年橋北詰から清洲橋を眺める。
「清洲橋はドイツのケルン市にあっった大吊り橋をモデルにしているとのことで御座いまーす。」
「ええ眺めや!」。

更に南下する。
「こちらの、”平賀源内電気実験地”と刻まれた石碑をご覧くださーい。平賀源内はここら辺りに住まいし、自宅で電気実験を行ったとのことで御座いまーす。平賀源内は讃岐国志度の生まれでありますが、平賀氏は、元々、信濃国佐久郡の豪族であったとのこと。今も佐久市には平賀という地名があるそうで、これ、佐久を国許とするドラポタ藩大給守殿より仕入れた情報で御座いまーす」。

永代橋東詰/乳熊(ちくま)ビル。
「こちらは赤穂浪士と所縁のある乳熊屋味噌店で御座いまーす。討入りの後、浪士たちがこの店の前に差し掛かかったとき、味噌屋の主人は浪士たちに甘酒や粥を振舞ったとのことで御座いまーす。詳しくは石碑をご覧くださーい」。
---------------
赤穂義士休息の地
赤穂四十七士の一人大高源吾子葉は俳人として有名でありますが、ちくま味噌初代竹口作兵衛木浄とは其角の門下として俳諧の友でありました
元禄十五年十二月十四日、討入本懐を遂げた義士達が永代橋へ差し掛かるや、あたかも、當所乳熊屋味噌店の上棟の日に當り、作兵衛は一同を店に招き入れ、甘酒粥を振舞ひ、勞を犒らったのであります
大高源吾は棟木に由来を認め又看板を書き残し、泉岳寺へ引き上げて行ったのであります
昭和三十八年十二月
ちくま味噌十六代
竹口作兵衛識
---------------
「今はここには店はありませんが、毎年12月14日には仮の店が設えられ、味噌や甘酒が売られています。勿論、甘酒が無料で振舞われます。先ほど、両国橋の袂で大高源吾の句をご覧いただきましたが、ここでも大高源吾の名が出て来ます。やっぱり、彼は文人でもあったのであります」。

「一説には、堀部安兵衛はここで一行と別れ、討入本懐成就の御礼のため、門前仲町の富岡八幡宮に詣で、再び、泉岳寺へ向かっている一行に合流したとも言われています。高田馬場の助太刀のときも走りに走って間に合ったということもあり、彼は韋駄天だったのでありましょう。ということで、これから富岡八幡宮へ向います」。

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-27 23:58 | 赤穂浪士討入凱旋の旅
2014年 02月 25日

『お上りさんポタ/赤穂浪士討入凱旋の旅&お預け四家の旅』(1)

2月半ばに江戸へ下向したハリポタ藩気毒屋噴耐衛門殿は、2月16日に「お上りさんポタ/江戸市中雪景色」を一緒したあと、相模国、安房・上総・下総国を行脚し、再び、武蔵国へ戻って来た。
2月23日、噴耐衛門殿を上総の超得意のコースである「赤穂浪士討入凱旋の旅」に案内した。

朝9時、JR両国駅に集結。
今日の jitensha。
a0104495_1294693.jpg
いざ、出陣!
京葉道路を少し東へ走る。
「左手、元禄二八そば玉屋さんで御座いまーす。討入り定食、義士御膳なども揃えておりまーす」。
京葉道路を渡る。

本所松坂町。
「この辺りは、今は両国三丁目と称するも、昔は本所松坂町と称していたところで御座いまーす」。
「こちらが芥川龍之介文学碑で御座いまーす。後ほど、芥川龍之介生誕地も訪ねますが、龍之介は幼き頃に母方の実家に預けられ、伯父の養子となり、この辺り(東京市本所区小泉町)で幼少年期を過ごしたのでありまーす」。
「こちらが吉良邸跡で御座いまーす。今は猫の額ほどながら、この一帯が吉良の屋敷となっておりました。何坪くらいあったかは説明書きをご覧くださーい」。
a0104495_11364972.jpg
「こちらが吉良まんじゅうの大川屋さんで御座いまーす。後ほど、切腹最中で有名な新橋の新正堂さんへもご案内しまーす」。
「12月14日の討入りの頃には、この一帯に店が出て、元禄市吉良祭が催されまーす。ちゃんこも食することが出来まーす」。

回向院。
「討入りのあと、浪士の一団は、一先ず、この回向院に入ろうとするも、寺側は関わり合いになりたくなく、拒否したのでありまーす」。
「念仏堂の天蓋の念珠と外の回廊の念珠はスワロフスキー製のクリスタルで御座いまーす」。
a0104495_12321536.jpg
「鼠小僧次郎吉の墓で御座いまーす。墓石のかけらを持っていると博打に勝つとのことで、墓石が削られていまーす。墓石を削る代わりに手前の石を削るようになっておりまーす。競馬好きの噴耐衛門殿には御利益あるかと思いまーす」。
a0104495_12354257.jpg
両国橋東詰。
「両国橋の名の由来はご存知やと思いまーす」。
「?」。
「今は隅田川の東側も東京都ながら、昔は下総国でありました。武蔵国と下総国に架かる橋、即ち、両国なのでありまーす。因みに、隅田川に架かった最初の橋は千住大橋でありまーす。最初であったから、単に”大橋"と呼んでいたそうでありまーす」。
「先日、江戸東京博物館で”大浮世絵展”を拝見。隅田川の、ええ風景がいっぱいありました」。
「先日、テレビ東京"開運!なんでも鑑定団"で安藤広重の”江戸名所百景”の画帖が登場。寺の蔵を整理していたら出て来たと。ホンモノ!鑑定額は、何と、27百万円!幾つかの作品につき、興味深い解説あり。日本では『深川十万坪』と『王子の狐火』が人気で横綱と呼ばれていたけれども、ゴッホが『亀戸梅屋敷』と『大はしあたけの夕立』を模写したことが日本に伝わると、この二点が大横綱になってしまったとのこと」。

句碑「日の恩や たちまち砕く 厚氷」。
「浪士の一人、大高源吾の句で御座いまーす。多くの人たちの協力、助けを得て、本懐を遂げることが出来ましたとの意に御座いまーす。大高源吾は文人でもあり、浪士の中でも出色の人でありまーす」。
「浪士たちは両国橋を渡らず、隅田川東岸を進んでいったとのことでありまーす。両国橋を渡ると江戸市中の真っ只中に入ることとなり、幕府の役人との衝突が懸念されたため、渡らなかったのでありまーす。我らも東岸を進むことにしまーす」。

「こちらが春日野部屋で御座いまーす。塀越しに見える梅は白梅で御座いまーす。白星を意味しているのだと思いまーす」。

「左手、江島杉山神社で御座いまーす。盲目の鍼灸師杉山検校が元禄6年(1693年)当地に屋敷地を拝領、彼が修業した江の島の弁天岩窟を模して屋敷内に創建したとのことで御座いまーす。討ち入りとは何の関係もありませんが、時代的にほぼ合致しているのでありまーす」。

フォト:2014年2月23日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-25 13:25 | 赤穂浪士討入凱旋の旅
2014年 02月 20日

『お上りさんポタ/江戸市中雪景色』(下)

「お上りさんポタ/江戸市中雪景色」。
青山通りで突風に煽られたあと、青山墓地方面へと向う。

「こちらが青山墓地で御座いまーす」。
「ごっつい、広いなあ」。
「都内には、青山霊園、谷中霊園、染井霊園、多摩霊園などが御座いますが、墓地不足となりおるようで御座いまーす」。

青山墓地を抜けると変則五叉路。
国立新美術館への道がいつもはっきりしない。
犬を連れたご婦人に尋ねる。
「向かいの道を道なりに真っ直ぐ。坂道を上ると左手に」と。
毎度のことながら、青山墓地中央の交差点を左折してトンネルの入り口近くに向う道と混同していたようだ。

「国立新美術館で御座いまーす」。
a0104495_1202019.jpg
「あっ、電池、切れてしもた」。
a0104495_1214339.jpg
電池交換して、出発。

「こちら、元防衛庁跡に建てられた、東京ミッドタウンで御座いまーす」。
「こちら、六本木交差点で御座いまーす」。
交差点を渡り、芋洗坂を下り、六本木ヒルズ方面へと向う。

六本木ヒルズ。
「正面は六本木ヒルズ森タワー、その手前は毛利庭園、右手はテレビ朝日で御座いまーす」。
「毛利庭園は長州藩毛利家の江戸屋敷跡。来週の日曜に予定している”赤穂浪士討入凱旋の旅”の中で、細川、毛利、松平、水野の"お預け四家"も御案内するつもりですが、ここ、毛利家では浪士十人が切腹と相成りました」。
「あの意味不明の、丸い石の像と一緒に、"今日の jitensha"を撮りましょか」。
a0104495_9483676.jpg
肉眼ではよく見えなかったが、デジカメの液晶ビューと通して、路面の雪解けの水に見事なリフレクションが見えた。
今一度、リフレクションの全景をカメラに収めた。
a0104495_1075670.jpg
この日、JPタワーのリフレクション、山王下のビルのリフレクション、そして、六本木ヒルズの路面リフレクションと三つものリフレクションに遭遇した。
中でも六本木ヒルズの路面リフレクションは雪であったればこそのリフレクションなので貴重なものとなった。

六本木通りに出て、再び、六本木交差点方面へと向う。
メトロハットで、高梨沙羅ちゃんと出遭う。
a0104495_10144310.jpg
ソチ五輪では4位であったが、まだ、若い!
葛西選手の年齢を思えば、なーんも心配することはない。
葛西選手の伝説に続き、沙羅ちゃんにも伝説が生まれることを期待したい。

六本木交差点を右折し、外苑東通りを走る。
「正面に東京タワーが見えて参りまーす」。
飯倉片町交差点を通り過ぎる。
「右手、ロシア大使館で御座いまーす。今は麻布台2丁目などという無粋な住所ながら、昔は狸穴(まみあな)と申しておりました」。
ソチ五輪の記念(?)として、ロシア国旗をカメラに収めた。
a0104495_1027250.jpg
飯倉交差点を過ぎる。
「右手、東京タワーで御座いまーす」。
「真下から見ると、結構、迫力あるなあ」。
「我々の世代は、東京スカイツリーより、矢張り、東京タワーで御座いまーす」。

「増上寺で御座いまーす」。
a0104495_1031146.jpg
少し、西へ走る。
「こちらが芝東照宮で御座いまーす。鳥居の右側に几号水準点の"不"のマークが刻まれておりまーす」。
この日、走ったコースには靖国神社やロシア大使館前にも几号水準点がそれは案内なしで通過したので、せめて、ひとつだけでもと思い、芝東照宮に案内した次第だ。

浜松町を抜け、竹芝桟橋へ。
「対岸、右にお台場が見えまーす」。
「右手、レインボーブリッジで御座いまーす。jitensha で渡りたいところながら、走行は禁止。手持ちで渡れということに御座いまーす。ゆりかめもでの輪行は可能でありまーす」。
「フジテレビは何処?」。
「メカっぽい色の、丸い玉のあるビルがフジテレビで御座いまーす。TBSは今朝ほど走った赤坂、テレ朝は先ほどの六本木、日テレはこれから参る汐留、NHKは代々木、そして、大好きなテレビ東京は虎ノ門となっておりまーす」。

海岸通りを走り、汐留方面へと走る。
環状2号線にぶち当たる。
山の手線の内側はまだ工事中だが、汐先橋交差点のあたりはほぼ完成している。
a0104495_10591637.jpg
「昔、マッカサー道路と言われたこの道路は未だ工事中ながら、この先、左手に、切腹最中の新正堂が御座いまーす」。
「正面のビルは?」。
「都内ポタのとき、そばをよく通るのでありますが、名前は不詳でありまーす。後で調べておきまーす。新しい道路、環状2号線はあのビルの下の地下を通ることになっているようで御座いまーす」。
ビルの名前を調べてみた。
-------------------------
虎ノ門ヒルズ。
虎ノ門から新橋を結ぶ「幻のマッカーサー道路」と呼ばれる「環状2号線」の再開発計画。
森ビルは東京都より「特定建築者」に認定された。
「立体道路制度」の活用により建築物の中を環状2号線が貫通する計画で、特定建築者は、東京都建設局の委託により、地下トンネルの整備も行う。
メインとなる超高層棟は、都内で2番目の高さを誇り、上層部から、ホテル、住宅、事務所、カンファレンス、商業施設を整備する計画となる。
着工 2011年4月、完工 2014年(予定)。
(森ビルHPより)
-------------------
汐留の某所で、遅い昼餉とと反省会。
噴耐衛門殿の「僕の細道/関東行脚」はな2週間の長丁場。
体力温存にて、早めに切り上げ。
新橋駅SL広場に案内し、解散。
2月23日(日曜)、"赤穂浪士討入凱旋の旅"で、再び、噴耐衛門殿と走ることとなっている。

フォト:2014年2月16日

(完)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-20 23:58 | 都内ポタリング
2014年 02月 19日

『お上りさんポタ/江戸市中雪景色』(中)

「お上りさんポタ/江戸市中雪景色」。
国会議事堂から内堀通り、千鳥ケ淵沿いを走り、靖国神社へと向う。

靖国神社/石鳥居をくぐる。
「前に見えますのが、大村益次郎の像で御座いまーす」。
参道を進み、第二鳥居へと向う。
「第二鳥居で御座いまーす。ここからは"下乗"で御座いまーす。拝殿まで参りますなら、ここで駐輪で御座いまーす」。
「ちょっとだけ」と先に進む赤い帽子に赤いダウンジャケットのおにいさん。
a0104495_14164669.jpg
第一鳥居から第二鳥居までの参道は雪の踏み分け道を参拝者が一列になって。
a0104495_14192815.jpg
来た道を戻る。
千鳥ケ淵沿いの植え込みに目を惹かれる。
明るい日の光に映えた、明るい色の小鳥がいる。
ジョウビタキのオスだ。
この辺りでジョウビタキを鳥見出来るとは!
この日のポタの収穫であった。

半蔵門前から桜田濠を眺める。
a0104495_14273736.jpg
この雪景色は桜田門外の変を思い起こさせる。
安政7年3月3日(1860年3月24日)、季節はずれの大雪の中、井伊大老の登城行列の一行は彦根藩上屋敷を出て、内堀通り沿いに桜田門へと進んでいた折に水戸浪士の襲撃を受けた。
彦根藩上屋敷は現在の憲政会館の辺り(国会議事堂の左向かい)にあり、写真で言えば右端奥の辺りである。

先ほど訪ねた国会議事堂の前を通り過ぎ、議事堂角を右折。
「こちらが首相官邸で御座いまーす。左側の古い建物が旧官邸で御座いまーす。曳家工法により現在の場所に移動、改修され、首相公邸となっておりまーす。先日の首相の国会答弁のことなど言いたいことはいろいろありますが、ガイド役からの政治的発言は控えさせて戴きまーす」。

坂を下り、溜池から外堀通りを走る。
「右、山王日枝神社で御座いまーす。確か、ハリポタ藩稍々山城守呑々殿はここで結婚式をなされたやに記憶致しまーす」。
日枝神社は山王鳥居をくぐると参道にエスカレーターがある。
野外に設えられたエスカレーターである。
雪が降ったことでもあり、エスカレーターは止まっているであろうと思っていたが、何と、動いているのである。
カバーでもしていたのであろうか...。
凄い!

山王鳥居前交差点角のビルのリフレクション。
晴れた日はこのリフレクションを眺めるのが楽しみなのである。
a0104495_1545735.jpg
「こちら、赤坂見附で御座いまーす」。
「只今、渡っている橋は弁慶橋で御座いまーす」。
「右手奥の石垣は赤坂見附の名残りで御座いまーす」。
「40階建ての赤坂プリンスホテルは、昨年、解体が終わり、再開発中で御座いまーす。奥に見える古い建物は赤プリ旧館、元・李王家邸で御座いまーす。この旧館は、地下駐車場工事のため、曳家工法により移動されておりまーす。地下工事が終わると、再び、曳家工法により元の場所に移動させるそうで御座いまーす」。
「左手はホテルニューオータニで御座いまーす」。
「只今、上っている坂は紀尾井坂で御座いまーす」。
「右手、新日鉄が運営する紀尾井ホールで御座いまーす。何度かコンサートに参りましたが、室内楽などに丁度よいホールで御座いまーす」。
「只今、走っている道はソフィア通りで御座いまーす。右手、上智大学と聖イグナチオ教会で御座いまーす」。
「こちら、四谷見附で御座いまーす。左手、四ッ谷駅で御座いまーす」。

迎賓館。
a0104495_15261631.jpg
a0104495_15263827.jpg
「赤坂迎賓館は、元は大正天皇の親王時代の東宮御所で、その後、赤坂離宮となったもので御座いまーす」。
「建築様式は?」。
「調べておきまーす」。
--------------------
調べの結果、ネオ・バロック方式。
設計は、日本近代建築の父、ジョサイア・コンドルの弟子にあたる片山東熊。
片山東熊は、東京国立博物館表慶館、京都国立博物館特別展示館、奈良国立博物館本館などの設計も手掛けている。
--------------------
「右手、愛子内親王が通われる学習院初等科で御座いまーす」。
坂道を下り、上る。
「左手、東宮御所で御座いまーす」。

神宮外苑に至る。
「国立競技場で御座いまーす。2020年の東京オリンピックに向け、建て替えられることとなりまーす。競技場西側の壁に刻まれた"第十八回オリンピック競技会"や五輪のマーク、"TOKYO 1964"の文字をしっかりとご覧くださーい」。

聖徳記念絵画館。
a0104495_15521061.jpg
公孫樹並木を走り、青山通りに出て、右折し、歩道を走る。
伊藤忠ビルの手前で、右手からの突風に煽られた。
慌てて jitensha から降り、身を屈める。
右手のシーアイプラザは一段下がっており、風の通りがよく、高層の伊藤忠ビルと相まって、ビル風が増幅されたのかもしれない。
強風との予報なれど、都内は然程でもなかったが、ポタの際の突風は要注意だ。

青山通りから青山墓地へと向う。

フォト:2014年2月16日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-19 16:19
2014年 02月 17日

『お上りさんポタ/江戸市中雪景色』(上)

1月某日、ハリポタ藩本町普請奉行改メ気毒屋噴耐衛門(きのどくやふんたえもん)殿より「昨年から始めた『僕の細道』で、今回は関東へ参ります。宿は手配済み。1、2日、付き合ってください」との電子飛脚便が遣わされた。
ハリポタ藩の箱根越え江戸下向は2009年12月の六々守殿、御典医殿以来のことである。
2月15日(土)に「お上りさんポタ」を一緒することとした。
コースは、2009年12月と同様に、東京駅丸の内駅舎~皇居~大手門、平川門、北桔橋門~武道館~靖国神社~千鳥ケ淵~半蔵門~国会議事堂~首相官邸~赤坂見附~迎賓館~学習院 初等科~東宮御所~神宮外苑/国立競技場、公孫樹並木~青山墓地~新国立美術館~(六本木ヒルズ)~東京タワー~増上寺~日比谷公園~(丸の内 ブリック・スクエア)~東京駅とすることとした。

2月14日(金)、1週間前の大雪に続いて、またまた、大雪。
2月15日(土)、雨。「お上りさんポタ」は中止。
2月16日(日)、晴れ。
車道や歩道の積雪が気にはなるが、「お上りさんポタ/江戸市中雪景色」と銘打って、挙行。

朝9時前、集合場所の東京駅丸の内北口に到着。
集合時間は9時。
噴耐衛門殿を待ちながら、JPタワーの外壁リフレクションを愉しむ。
a0104495_1104646.jpg
9時になったが、噴耐衛門殿はまだ現れず、ケータイ糸電話。
「いま、どちらに御座るかな?」。
「すまん、すまん。早く着いたんで、皇居を一周。道に迷って、今、宝塚劇場の近くに」。
「了解。そのまま居って頂戴」。

皇居を逆時計回りで一周したとの由にて、大手門、平川門、北桔橋門~武道館はカット。
日比谷交差点から国会議事堂へと向う。
車道の脇には雪が残っている。
歩道は除雪されていな。
雪の残る車道を走るも、前々日の積雪に前日の雨が混じり、走る車が泥水を跳ねながら走り過ぎる。
その泥水の飛沫に往生する。

「右、桜田門、左、警視庁で御座いまーす」。
「国会議事堂交差点で御座いまーす。正面、国会議事堂でございまーす」。
国会議事堂前交差点の辺りは全く除雪されて居らず、車道は車の通行で雪が溶けたという状態。
a0104495_1223184.jpg
「国会議事堂で御座いまーす」。
a0104495_1264984.jpg
信号が青になったので、自転車横断帯を通り、交差点を渡る。
雪はそのままなので、冬季オリンピックのモーグルさながらである。

機材投入で除雪作業をやっている。
流石、国会議事堂である。
a0104495_1313854.jpg
国会前庭洋式庭園内の、佐立七次郎の設計による日本水準原点標庫に案内しようと思うも、雪深く、ここはパスすることにした。

国会議事堂から千鳥ケ淵へと向う。
「左、最高裁判所で御座いまーす」。
「左、国立劇場で御座いまーす」。
「右、半蔵門で御座いまーす。天皇皇后両陛下をはじめ皇室の方々はこの門をお通りになられまーす」。
a0104495_1494183.jpg
職員の人たちが雪掻きをしている。
流石、半蔵門である。

「左、英国大使館で御座いまーす」。
a0104495_211276.jpg
「英国大使館は一等地にあるんやなあ」。
「明治維新で接収された何処かの大名屋敷跡で御座いませう。大名屋敷跡は大使館や大学になっていることが多いように御座いまーす」。
「何処の大名やったんでせうな」。
「あとで調べておきまーす」。
--------------
調べてみたところ、盛岡新田藩南部丹波守上屋敷、大和新庄藩(後に大和櫛羅(くじら)藩)永井信濃守上屋敷、旗本水野兵部屋敷、上野七日市藩前田丹後守上屋敷の屋敷跡を合わせたものであった。
--------------
千鳥ケ淵戦没者墓苑の交差点に至る。
千鳥ケ淵戦没者墓苑沿いの石畳の道は雪で走れないかもしれないなと思いながら見てみると、四輪の轍が残っている。
これなら入れそうと思い、千鳥ケ淵沿いを走る。
「左、千鳥ケ淵戦没者墓苑で御座いまーす」。
「右、千鳥ケ淵で御座いまーす」。
jitensha を止めて、千鳥ケ淵を眺める。
a0104495_2125541.jpg
「千鳥ケ淵は桜の名所に御座いまーす。茣蓙を敷いての花見は禁じられておりまーす。そぞろ歩きでの花見と相成りまーす。お濠に浮かぶ桜の花びらを掻き分けながらボート遊びが楽しめまーす。ボートに乗るには行列覚悟と相成りまーす」。

フォト:2014年2月16日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-17 23:58 | 都内ポタリング
2014年 02月 13日

『江戸城如月雪景色』(下)

二の丸庭園/菖蒲池。
a0104495_1071485.jpg
二の丸庭園/竹林。
a0104495_1084076.jpg
二の丸雑木林で見掛けた、雪掻きおじさん。
a0104495_1093619.jpg
「おっ、あの色は JOHN DEERE に御座りまするな」。
二の丸雑木林で見掛けた、雪掻き JOHN DEERE 君。
a0104495_1013133.jpg
松に石垣、雪化粧。
a0104495_1016918.jpg
再びの、大手門。
a0104495_10183042.jpg
a0104495_1018578.jpg
a0104495_10191210.jpg
大手門から竹橋方面を眺める。
鉄塔の立つビル/東京消防庁、その向こう/気象庁。
a0104495_10223752.jpg
気象庁、大雪予報は大当たり。
いつも予報を有難う。

巽櫓。
a0104495_10243318.jpg
典型的絵葉書風景。
a0104495_10253345.jpg
和田倉噴水公園から巽櫓を眺める。
大好きな風景だ。
a0104495_10272672.jpg
2月1日は雪景色を期待して高野山に赴いたが、山頂は気温9.8℃と暖かで、雪は殆ど解けていた。
2月8日はドラポタ/如月鎌倉観梅ポタリングを予定していたが、大雪で中止。
翌9日、徒歩で鎌倉観梅と思うも、横須賀線は大船~久里浜間で運休となっており、これも取り止め。
あれやこれやであったが、9日の午前、江戸城如月雪景色を愉しみ、観梅も叶ったのであった。
帰路、同行の大給さんと八重洲地下街で"雪見酒"をちょこっと愉しんだ。
都内に住まいする武衛さんは、当初、江戸城へ馳せ参じる御積りでありたが、、余りの雪の多さに自宅前の雪掻きに専念で、江戸城へは参られず。
「雪中行軍での喉の渇きを麦酒で癒した後、只今、般若湯四合目に御座りまする。雪見酒ニュートーキョーで四合目 霹靂火」と武衛殿にケータイ電子飛脚便を遣わしたところ、「雪掻きで顔を合わせたご近所の人に誘われて、雪見酒」との返信あり。

雪掻きや駄賃は嬉しい雪見酒 霹靂火
雪掻きの赤鬼烏鷺を学んでる 武衛
雪見酒五合目まではあと一歩 武衛
五合目を尻目に目指せ八合目 武衛

雪見酒は四合目までに留め、東京ラーメン・ストリートへ横移動。
美味しいラーメンを食し、帰途に就いたのであった。


フォト:2014年2月9日

(完)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-13 00:16 | 都内ポタリング
2014年 02月 12日

『江戸城如月雪景色』(中)

雪に白梅。
雪に紅梅。
梅の花を愛でる。
a0104495_0305421.jpg
a0104495_9255466.jpg
a0104495_9274358.jpg
a0104495_92825.jpg
a0104495_9283463.jpg
a0104495_9285265.jpg
a0104495_946045.jpg


フォト:2014年2月9日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-12 11:20 | 都内ポタリング
2014年 02月 11日

『江戸城如月雪景色』(上)

2月8日、関東は記録的な大雪。
翌9日、朝から晴れ。
江戸城の雪景色を愉しんだ。

大手門。
a0104495_065010.jpg
大手門の石垣に刻まれた几号水準点を眺める。
昨年1月26日の「几号水準点探索の旅」以来のことである。
雪と「不」の刻印、珍しい眺めを記録としてカメラに収める。
a0104495_0111831.jpg
a0104495_013253.jpg
「棟瓦の端に葵の紋が」。
「どれどれ。なるほど。同心番屋でも葵の紋に御座りまするなあ。丸瓦は巴紋。 巴紋は防火のまじない。巴紋は水がほとばしるように見えるので」。
a0104495_0153829.jpg
百人番所の風景を愉しむ人たち。
a0104495_0195728.jpg
a0104495_0202187.jpg
汐見坂方面に向う。
右の後ろ姿は同行の大給さん。
a0104495_0222766.jpg
蝋梅を愉しむ。
a0104495_0232668.jpg
除雪が始まっている。
a0104495_0242675.jpg
汐見坂、通行止め。
a0104495_0251721.jpg
巡回中の宮内庁職員さん。
a0104495_0255585.jpg
a0104495_0263294.jpg
宮内庁職員さんに声を掛け、尋ねてみた。
「汐見坂は通行止めになっていますが、どんな様子でしょうか。本丸跡、天守台跡へも行ってみたいのですが」。
「汐見坂も梅林坂も閉鎖中です。昨日、坂で滑って転んだ人がいますので。平川門も北桔橋門も閉鎖となっています」。

宮内庁職員さんの言う通り、梅林坂も通行止め。
a0104495_0305421.jpg
梅林の梅の花は続編にて。

フォト:2014年2月9日

(つづく)
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-11 23:58 | 都内ポタリング
2014年 02月 09日

『日光連山』

2月9日朝。
"天守"から外の様子を眺める。
前日から降りつづいた雪は止んでいた。
"天守"から北の方角を眺める。
遠く、北の彼方に、朝日を浴びて白く輝く山々が見える。
日光連山だ。
a0104495_1221687.jpg


フォト:2014年2月9日
[PR]

by kazusanokami | 2014-02-09 23:59 | 風景