『上総守が行く!』

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2014年 05月 31日

『利根川・手賀沼大周回路ポタリング』

マイ・ブログ『上総守が行く!』の画像容量がそろそろいっぱいになりつつある。
エキサイトブログ・アドバンスに入会し、会費を払えば、無制限に使用できるようになるが、ここは、気分一新、新たに『上総守が行く!(二代目)』(仮称)を立ち上げる思いに至った。
そんなことを思う中、初代『上総守が行く!』のアップロード第1号は如何なる記事であったろうかとマイ・ブログを紐解いてみた。
2007年8月19日付で「布施弁天参拝」と題し、布施弁天の近くの池の結実し漏斗状になった睡蓮に止まるトンボの写真をアップロードしていた。
今日は5月30日、睡蓮が咲き始めているかもしれないと思い、愛馬”還暦創輪号”を駆って布施弁天とその近くの池へと向った。

布施弁天。
初代『上総守が行く!』を綴る中、数多くの神社仏閣を訪れている。
その中で、ここ、紅龍山東海寺、通称布施弁天は最も多く参拝している寺のひとつであり、何度もブログで触れた寺でもある。
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季節の記録、モクレンの若い実。
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睡蓮池。
朝9時半、睡蓮の花を愛でるには丁度よい時刻だ。
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あけぼの山農業公園。
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初代『上総守が行く!』のロゴ画像(画面右上)は、この公園の風車を背景にした愛馬"ベデワン・ホワイト"である。
あけぼの山農業公園は愛すべき公園なのである。

利根川左岸サイクリングロード。
布施弁天の近くまで来れば、利根川サイクリングロードを走ってみようということになる。
直近では右岸を上流方面へ走ったので、今回は左岸を下流方面へ走ることにし、新大利根橋を渡る。
利根川左岸CRは出来上がっているにも拘らず、長い間、新大利根橋東詰のゲートが閉じられていた時期があり、下流方面から走って来たときに出口がなく、愛馬を担ぎ上げ、ゲートの上から道路側に下ろしたことがある。
そんなことを初代『上総守が行く!』で綴ったことがある。
そんなことを思い出しながら、利根川左岸CRを走る。
河川敷に白く点々と見えるものがある。
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刈り取った草を巻き、白いビニールで覆った家畜用の牧草である。
これを我が家では<コロン>という。
20数年前、英国に滞在していた頃、こうした光景をしばしば目にすることがあり、子供たちは江崎グリコの菓子<コロン>に似ていることから、そう呼んでいたのである。
白い<コロン>は無造作に置かれているが、ひとつの「絵」になっている。
いい風景に遭遇した。

大利根橋(国道6号、水戸街道)と常磐線利根川橋梁をくぐると「海から85km」地点となる。
この「海から85km」地点から小貝川河口近くに至る間に<利根川シュガーロード>がある。
2010年1月、八重山諸島を旅した際、小浜島でシュガーロードを走った。
道の両脇がサトウキビ畑の道だ。
利根川左岸のこの道は両脇にススキが背高く生えており、サトウキビ畑によく似ている。
で、小生が勝手に<利根川シュガーロード>と名付けたのである。
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愛馬”還暦創輪号”と共に。
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まだ、5月下旬、サトウキビ、いや、ススキはまだ背高くはなっておらず、<シュガーロード>の風景となるのはこれからである。
<利根川シュガーロード>に彩を添える若い野草。
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ひとつ、余談を。
初代『上総守が行く!』では連載が結構多かった。
中でも2010年の「八重山諸島ポタ」は全88話の連載で、我が連載史上、最長のものとなった。
シュガーロードの話題を綴った第70話「八重山諸島ポタ/小浜島を巡る」は旅行口コミサイトのトリップアドバイザーから掲載したいとの要請があり、快諾し、そのサイトに掲載されたこともあった。

<利根川シュガーロード>を走り、「海から79km」地点で大きく左折し、小貝川の最下流に架かる戸田井橋(茨城県道11号取手東線)を渡る。
橋の上から小貝川の河口方面を眺める。
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小貝川河口。
栃木県那須烏山市を源流とし、100km超を流れて来た小貝川はここで利根川と合流するのである。
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小貝川沿いのサイクリングロードは幾度も走った大好きなコースで、幾度かブログで綴ったことがある。
このコースの途中には、間宮林蔵の生家や林蔵が出世の糸口を掴んだ岡堰があり、これに触発されて「伊能忠敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて」と題し、これらを巡り、2009年に全24話の連載を綴ったことが思い出される。

「海から77km」の標識を過ぎると利根町役場(茨城県北相馬郡)が見えて来る。
利根町役場前の大きな立て看板「民俗学の父 柳田國男 第二のふるさと 利根町」。
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「柳田國男ゆかりの地を訪ねて」と題し、2012年に「利根町編」全11話を、2013年に「福崎町編」全14話をブログに綴ったことが思い出される。

栄橋を渡り、再び、利根川右岸へ。
布佐の町を通り抜け、手賀川サイクリングロードに至る。
オオヨシキリの声や揚げヒバリの声で賑やか。
季節の記録、麦秋。
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手賀沼南岸を走る。
手賀沼サイクリングロードは我がホームコース。
手賀沼はブログの中で最も多く話題にした場所かもしれない。
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ハス群生地。
季節の記録、ハスの若葉が出揃い始めている。
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若葉とその影。
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手賀大橋から手賀沼を眺める。
兄弟ブログ『龍人鳥の徒然フォト日記』のロゴ画像にこの手賀大橋から眺望を採用しており、大好きな風景である。
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河童の像。
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2011年の「京都・伏見ポタ」の際、伏見の黄桜ギャラリーの展示物の中に、河童が登場する「いなざき獅子舞 千葉・印西市 和泉鳥見神社」なるものがあった。
調べてみたところ、千葉県印西市には幾つかの鳥見神社があり、全てを巡った。
勿論、和泉鳥見神社の「いなざき獅子舞」もその時期を調べ、"取材"に行った。
獅子舞いの踊り、河童の踊りを堪能した。
殊に河童の舞いは奇祭ともいうべきものであった。
「鳥見神社」シリーズとして、ブログに綴ろうと思いながら、膨大な資料と写真を整理しきれず、お蔵に入ったままとなっている。
このほかにも、アップロードのタイミングを失したりして、お蔵入りになってしまったものが幾つかある。
二代目『上総守が行く!』がこれらを受け継ぎ、いずれ、アップロードする機会もあろうかと思う。

利根川と手賀沼を組み合わせた「利根川・手賀沼大周回路ポタリング」、これまでの思い出ばなしも織り混ぜての40km超の走りであった。

フォト:2014年5月30日
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by kazusanokami | 2014-05-31 23:58 | ポタリング | Comments(2)
2014年 05月 30日

『潮来笠第三番 ♪♪♪ここは関宿♪♪♪ ポタリング』(下)

利根川右岸CRを遡り、関宿に到着。
帰路は江戸川CRを走って帰館することに。
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関宿を出発した途端、強い向かい風。
江戸川CRではよくあるパターン。
走りながら、<向かい風ものともせずコース>と<向い風途中ギブアップ軟弱コース>のふたつが頭を過ぎる。
向い風ものともせずコースから順に列挙すると;
コースその1:新葛飾橋(国道6号、水戸街道)まで走り、JR金町駅から輪行
コースその2:樋野口まで走り、JR松戸駅から輪行
コースその3:利根運河合流地点まで走り、利根運河CR経由、利根川右岸CR、全行程自走
コースその4:利根運河合流地点まで走り、利根運河CR経由、東武野田線運河駅から輪行
コースその5:東武野田線江戸川橋梁まで走り、東武野田線川間駅から輪行

走りながら、あの辺りが往路走った利根川右岸や、と分かる目印が目に入った。
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往路、利根川の河川敷でネットをぐるぐる巻きにされた鉄塔を目にした。
塗装工事をやっているのであった。
江戸川CRを走りながら、このネットを巻いた鉄塔が見えたのであった。
アップで。
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ネットを巻いていなかったら、タダの鉄塔で目印にはならなかったであろう。
利根川と江戸川を繋ぐ利根運河CRを走ったことは幾度もあるので、江戸川と利根川の間の距離がおおよそどれ位かは分かっているが、こうして江戸川の土手から眺めるとその距離が実感できる。

江戸川から利根川方向に並ぶ鉄塔。
四本目のネットを巻いた鉄塔の辺りが利根川河川敷である。
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映画「鉄塔 武蔵野線」(銀林みのる原作、1997年公開)は名作だったなあと思いながら、鉄塔を眺める。
「鉄塔 武蔵野線」は小学生の少年が送電線の鉄塔を探訪しながらその源流を辿っていく物語。
主人公の少年を演じているのは子役時代の伊藤淳史。
名演である。

「白一点」を眺める。
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最近、川沿いのサイクリングロードで、このような幅広の舗装路をしばしば見掛ける。
東日本大震災後の修復あるいは震災対策の改修なのであろう。
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広~い視界。
こういう風景が好きだ。
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関宿滑空場。
(手前の舗装路は一般道で、滑走路ではありません。滑走路は反対側の河川敷です)
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往路、利根川の河川敷では模型飛行機の「ヒコちゃん」を見た。
こちらはホンモノの「ヒコちゃん」。
利根川河川敷も江戸川河川敷も「ヒコちゃん」のメッカである。

東武野田線江戸川橋梁。
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相変わらず、向かい風で、ジュディ・オング状態。
鉄橋を見て、即、軟弱コースに傾く。
江戸川左岸CRから外れ、東武野田線川間駅から輪行にて帰館。

利根川コースでの関宿へのアプローチが叶ったことで、橋幸夫が唄う「潮来笠」の三番が成立。
♪♪♪
旅空夜空で いまさら知った
女の胸の 底の底
ここは関宿 大利根川へ
人にかくして 流す花
だってヨー あの娘川下潮来笠
♪♪♪

このポタリングで、三橋美智也や橋幸夫が登場した。
若い頃、歌謡曲には全く興味はなく、もっぱら、洋楽(当時は「洋楽」と言っていた)であった。
しかし、齢を重ね、場面、場面で頭に浮かぶ歌は、やっぱり、歌謡曲なのである。
そんなことで、『潮来笠第三番 ♪♪♪ここは関宿♪♪♪ ポタリング』と題して綴った次第である。
因みに、橋幸夫のデビュー曲「潮来笠」は、昭和35年(1960年)の大ヒット曲。
小生、12歳のときである。

今回の話題は利根川と江戸川の分岐点である関宿なので、最初、『利根川東遷ポタシング』と題して綴ってみようと思ったが、お堅いものより柔らかいものの方がよりと思い、「潮来笠」に因んだ標題とした。
ということではあるが、利根川東遷も捨て難いので、最後に駄句を一句。

大利根や 東遷の跡 走り抜け  霹靂火/江戸時代の土木技術は大したものです。

フォト:2014年5月24日

(完)
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by kazusanokami | 2014-05-30 06:17 | 坂東太郎下流の旅 | Comments(0)
2014年 05月 29日

『潮来笠第三番 ♪♪♪ここは関宿♪♪♪ ポタリング』(中)

「海から120.0kmです」地点に至る。
右手に境大橋、左手に関宿城博物館が見えて来た。
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この「海から120.0kmです」の標識は貴重である。
何故なら、「海から〇〇km」の標識で[「です」調の標識を見たのはこれが二度目だったからである。
初めて「です」調の標識を見たのは、先月末、見沼代用水ポタの際、利根大堰(武蔵大橋)近くの標識「海から154.0kmです」であった。
そのときのことを5月24日付ブログで次の通り綴っている。
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小生は利根川右岸(一部、時々、左岸)サイクリングロードを利根大橋や新利根大橋を起点に下流方面や上流方面を走っている。
下流は銚子まで、上流は下総利根大橋南詰(千葉県野田市木間ヶ瀬)まで走ったことがあるが、このサイクリングロードで「です」調の標識を見たのは、記憶の限りでは、これが初めてだ。
この「海から154.0kmです」の標識は、サイクリングロード部門の珍百景かもしれない。
-------------------------

"関宿城"をズーム・アップ。
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境大橋西詰、県道17号線を横切り、関宿城博物館方面へと向う。
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関宿城博物館が近くに見えて来る。
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関宿といえば、江戸川サイクリングロードのイメージが強い。
何故なら、関宿は江戸川サイクリングロードの起点だからである。
江戸川CRは幾度か走っているが、利根川右岸CRから関宿へのアプローチは今回が初めて。
ということで、利根川右岸から関宿城博物館を眺めるのも今回が初めて。
なかなか結構な眺めである。

右手奥に橋が見える。
ズームアップしてみる。
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建設中の圏央道の架橋である。
先月末の見沼代用水ポタの際、建設中の圏央道の高架を見た。
先々月末の坂東太郎下流の旅/佐原ポタの際、建設中の圏央道の橋を見た。
圏央道は開通済み区間もあれば、建設中区間もあるが、工事は着々と進んでいるようである。
で、圏央道とは何ぞや?分かっているようで分かっていなかったので、圏央道のHPを紐解いてみた。
--------------------------
圏央道(首都圏中央連絡自動車道)は、都心から半径およそ40km~60kmの位置に計画された、延長約300kmの高規格幹線道路です。
圏央道は、横浜、厚木、八王子、川越、つくば、成田、木更津などの都市を連絡し、東京湾アクアライン、東京外かく環状道路などと一体となって首都圏の広域的な幹線道路網を形成する首都圏3環状道路の、一番外側に位置する環状道路です。
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更に進む。
「です」調標識、三つ目を発見!
「海から121.0kmです」と木立の間に見える「関宿城」のツーショット。
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「城」とのツーショットだから、「海から三十里に御座りまする」という標識の方がよいかも、などと余計なことを考えたりして...。

"城下"で昼餉を摂りながら、利根大堰へ向うか、それとも、今日はここまでとするか思案。
思案の結果、久しぶりに江戸川を下って帰館することにした。
江戸川CRスタート地点、「海から59.5km」標識。
利根川方面を眺める。
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江戸川方面を眺める。
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関宿を出発する。

フォト:2014年5月24日

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-05-29 07:08 | 坂東太郎下流の旅 | Comments(0)
2014年 05月 28日

『潮来笠第三番 ♪♪♪ここは関宿♪♪♪ ポタリング』(上)

5月24日(土曜)、晴れ。
ここ暫らく手賀沼での鳥見が続いたので、利根運河へ鳥見に行ってみようとぶらりと出掛けた。
新大利根橋南詰から利根川右岸CRに入る。
田植の終わった水田、緑の麦畑を眺めながら走る。
ヒバリの声、オオヨシキリの声、ウグイスの声、そして、カッコウの声を聞きながら走る。
利根川右岸CRと利根運河CRの分岐点に至る。
ふと、先月末の見沼代用水ポタリングの際、利根大堰(武蔵大橋)で見た「海から154.0kmです」の「です調」標識のことが頭に浮かんだ。
利根運河での鳥見は止めて、このまま利根川右岸CRを走り、関宿まで、出来れば、利根大堰まで行ってみることにした。

利根運河を渡る。
ゴルフ場脇の利根川右岸CRを走る。
クラブハウスのところで利根川右岸CRは途切れる。
県道7号線を走る。
福田郵便局交差点で右折する。
時々、芽吹橋、或いは、その先の下総利根大橋までは走ることがあるので、サイクリングロードから外れたこの辺りの道も迷わずに走れるのだ。

福田第一小学校前を通過する。
運動会をやっている。
ちょいと jitensha を止めて、運動会を眺める。
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ちょうど、低学年の玉入れが終わったところだ。
少子化の現れか、子供の数が随分と少ない。
と思った瞬間、「玉入れの続きをします。おじいさん、おばあさんも加わってください」とのアナウンスが流れる。
「おとうさん、おかあさん」ではなく、「おじいさん、おばあさん」と言うところが面白い。
「おじいさん、おばあさん」のあとに「おとうさん、おかあさん」もあるのかもしれない。
子供が少ない分、競技は早く終わってしまうので、両親、祖父母を加えての”時間稼ぎ”なのかもしれない。
そんなことを思いつつ、再び、走り始める。

野田市スポーツ公園に至る。
ここから、再び、利根川右岸CRとなる。
「海から100km」の標識を眺めながら走る。
因みに、この日、利根川右岸CRをスタートした地点、新大利根橋南詰は「海から91km」である。

「海から104km」の芽吹橋に至る。
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県道3号線、芽吹橋南詰を横切り、更に走る。
jitensha を止めて、暫し、「ヒコちゃんグループ」を眺める。
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利根川河川敷では、模型飛行機に興じる大人たちをよく見掛ける。
パラソルを等間隔に立てているのが何とも面白い。
手前の舗装路は滑走路ではなく、時折、ダンプカーが走る河川管理用の道。
ヒコちゃんたちの飛行場は奥の草地である。

上空を猛禽類が舞っている。
翼の様子からしてトビのようだ。
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♪夕焼け空がまっかっか とんびがくるりと輪をかいた ホーイのホイ♪と口ずさみながらペダルを漕ぐ。
「夕焼けとんび」は、三橋美智也、昭和33年(1958年)の大ヒット曲。
小生、10歳のときである。

「海から111km」。
ぞろ目も好きだが、同じ数字が三つ並んでいるのも好きだ。
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下総利根大橋が見えて来た。
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下総利根大橋をくぐる。
下総利根大橋は「海から112km」地点である。
利根川は、下流方面は河口の銚子まで、上流はこの下総利根大橋まで走ったことがある。
ここからが未踏の地(大袈裟か!?)なのである。
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未踏の地をどんどん進む。
進行方向へ向け、頭上近くを二羽の鳥が通り過ぎ、前方の路面に舞い降りた。
スズメのようでスズメでない。
jitensha を止めて、背嚢からカメラを取り出す。
前方から自転車が近づいて来る。
急いで撮らなければ、その自転車に驚いて鳥は飛び去ってしまうだろう。
急ぎ、レンズのキャップを外し、構え、シャッターを切る。
左手の一羽をパチリ、パチリ。
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右のもう一羽をパチリ。
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二羽を一緒にパチリ。
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もうひとつ、パチリ。
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二羽の鳥は前方から来た自転車に驚いて飛び去った。
自転車に乗った若者は、自分の走る姿を撮ってくれたんだと勘違いしたのか、こちらを向いてニコッとして通り過ぎて行った(キモチ、ワルゥー)。
二羽の鳥はヒバリであった。
上空でピピピ、ピピピとさえずる揚げヒバリにはよく出遭う。
上空から急降下して舞い降りるヒバリにも時々出遭う。
しかし、サイクリングロードの路面で、しかも、二羽一緒というのは初めてのことである。
慌てて撮ったので写りはイマイチながら、ヒバリちゃんたち、有難う、と礼を言っておこう。

フォト:2014年5月24日

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-05-28 05:27 | 坂東太郎下流の旅 | Comments(0)
2014年 05月 25日

『手賀沼&印旛沼ツイン・レイク・ポタリング』

5月7日(火曜)、晴れ。
ゴールデン・ウィーク明け。
といっても、隠居の身には毎日がゴールデン・ウィークのようなものだ(シルバー・ウィークかな?)。
手賀沼&印旛沼ツイン・レイク(ス)・ポタリングに出掛けた。
手賀沼から印旛沼へと、ふたつの湖沼をめぐるポタリングを「ツイン・レイク(ス)・ポタリング(Twin Lakes Pottering)」と名付けたのはいつの頃であったろうか。
走りなれたコースなので、カメラは封印。
ひたすら、薫風を味わいながらの走りに専念。
手賀沼北岸CR、手賀川左/右岸CR、利根川右岸CRと各CRを走りつないで行く。
このコースは殆ど一般道を走ることはなく、ストレスはゼロに近い。
道中、田植えが終わったばかりの水田の水の反射が清々しさを増す。
印旛水門で利根川右岸CRを離れ、北印旛沼CRへと向う。

北印旛沼。
封印していたカメラを取り出し、"記念写真"を一枚。
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北印旛沼と西印旛沼をつなぐ印旛捷水路を走り抜ける。
ここはちょっとした渓谷。
ウグイスの声が響く。
捷水路南端に架かる双子橋から西印旛沼を眺める。
双子橋東詰のラーメン店で昼餉を摂る。
店主殿が窓から我が愛馬ベデワン・ホワイトを見たのか、「可愛い自転車ですね」と。
思わず、スズキの軽四輪"ラパン ショコラ(Lapin Chocolat)"のCMのフレーズ、「可愛いでしょ。ショコラっていうんです」といいそうになった。
駐輪の横木は鉄パイプ製が多いが、このラーメン店の店先の駐輪用横木は木製で、西部劇でよく見られる酒場の前で馬を繋ぐ横木のイメージ。
我が愛馬は小径なので、横木にぶら提げるよりは馬の手綱と同様にチェーン・ケーブルを横木に巻いて。
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印旛沼公園の風車はパスして、走って来た道を戻ることに。
双子橋を渡り、捷水路を経由して、西印旛沼CRを走る。
吉高の揚排水機場近くにに差し掛かる。
往路、姿が見えなかったペリカンのかん太くんがいた。
健在で何より!
安食駅から輪行しようかなと思いつつ、結局、利根川右岸CRまで走ってしまった。
引き続き、薫風微風である。
このまま、自走で帰ることにした。

往路、利根川とその河川敷の清々しい風景を眺めたが、カメラは封印していたので、何も撮らず。
帰路、やっぱり、と思い、数枚を撮る。
河川敷に広がる緑の牧草地。
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河川敷に広がる水田。
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走って来た利根川右岸CR、満々と水が張られた水田、満々と水を湛え、ゆったりと流れる利根川、そして、西に傾く太陽を背に我が影。
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木下(きおろし)で利根川右岸CRから外れ、手賀川左岸CR、手賀沼北岸/南岸CRを経由して、帰館。
走行距離84.61kmの手賀沼&印旛沼ツイン・レイク(ス)・ポタリングであった。
80km超えの一人ポタは久しぶりのことであった。

フォト:2014年5月7日
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by kazusanokami | 2014-05-25 05:23 | ポタリング | Comments(0)
2014年 05月 24日

『彩の国/緑のヘルシーロード/利根自転車道』 ts-12

利根大堰をあとにして利根川自転車道を走り、東武伊勢崎線羽生駅へと向う。
県道20号線/武蔵大橋南詰を過ぎ、下流側から武蔵大橋と利根川の流れを眺める。
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武蔵大橋南詰の少し下流に「海から154.0kmです」の標識。
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小生は利根川右岸(一部、時々、左岸)サイクリングロードを利根大橋や新利根大橋を起点に下流方面や上流方面を走っている。
下流は銚子まで、上流は下総利根大橋南詰(千葉県野田市木間ヶ瀬)まで走ったことがあるが、このサイクリングロードで「です」調の標識を見たのは、記憶の限りでは、これが初めてだ。
この「海から154.0kmです」の標識は、サイクリングロード部門の珍百景かもしれない。
余談はさておき、この「海から154km」の標識を見て嬉しかったのは、利根大橋や新利根大橋が「海から86km」、「海から92km」なので、利根大堰(武蔵大橋)までの距離をこの目で実感でき、今後のポタリング企画の参考になったことである。

利根川自転車道を走る。
午後4時35分、西に傾いた太陽が路面に影を作る。
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あれこれ、写真を撮っている間に武衛さんと南国さんの姿は遥か彼方へ。
急ぎ、走ると、二人が jitensha を止めて待ってくれている姿が見えた。
片手ハンドル、片手カメラで一枚!
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この写真は、ここで土手のサイクリングロードが未舗装になっている記録でもある。

未舗装を回避して土手の坂を下りると、土手の中腹に舗装されたサイクリングロードがあった。
よかった!
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標識「151.0km」。
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この標識には「海から」も「です」も書かれていない。
先ほどの「海から154.0kmです」とこの「151.0km」はセットで珍百景ではないだろうか...。

昭和橋南詰を右折して、自転車道から外れ、羽生市街へと向う。
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東武伊勢崎線羽生駅前で"反省会"。
羽生駅から輪行にて帰館。
走行距離79km超。
内訳は、緑のヘルシーロード:約50km+deviation:約29km。
Deviation で結構走ったのであった。
見沼代用水、さきたま古墳群、忍城と盛りだくさんのポタリングであった。

フォト:2014年4月26日

=備忘録=
次回、なすべきことを書き残しておくこととする。
1.見沼代用水関連:
・瓦葺吹越、芝山吹越、八間堰、十六間堰を更に仔細に見ること。
・芝山吹越近くの常福寺にて、見沼干拓や見沼代用水開削の功績者、井沢弥惣兵衛為永の墓参をすること。
・見沼代用水と星川の合流地点を更に仔細に見ること。
・見沼元圦公園で見沼代用水の歴史に関わる石碑を見ること。
・利根大堰の取水口、沈砂池、大分水工を更に仔細に見ること。
・利根大堰の魚の遡上用水路を見ること、遡上観察室から魚の様子を観察すること。
※利根大堰から下流に向け、巡ること。
2.さきたま古墳群関連:
・稲荷山古墳、丸墓山古墳のほか、二子山古墳、軍山古墳、愛宕山古墳、瓦塚古墳、奥の山古墳、鉄砲山古墳、中の山古墳、すべてを巡ること。
・埼玉県立さきたま史跡の博物館にて「稲荷山古墳出土鉄剣(銘)」を見ること。
3.忍城関連
・映画「のぼうの城」は、既に映画館、飛行機内、テレビ放映にて三度観ているが、今一度、観ること。


(完)
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by kazusanokami | 2014-05-24 06:16 | 彩の国ポタリング | Comments(0)
2014年 05月 23日

『彩の国/緑のヘルシーロード/利根大堰』 ts-11

見沼代用水沿いの「緑のヘルシーロード」、ゴールの利根大堰に至る。
利根川の土手に上がる。
利根大堰を眺める。
今日の jitensha @利根大堰。
右から、南国守殿、武衛殿、上総。
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12の水門による堰と幅広の口から扇状になった取水口。
(この写真では、右岸に最も近い水門は入っておらず、水門の数は11となっていますが、「今日の jitensha」には全て写っています。)
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利根川から取り込まれた水は右岸の土手に埋められた水路を通り、沈砂池へと流れ込む。
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勢いよく沈砂池へ流れ込む水。
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立ち位置を変えて、沈砂池への流れ込みを眺める。
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沈砂池をアップで。
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沈砂地の先端に何やら文字が見える。
目を凝らして見てみる。
右から「見沼代用水」、「武蔵水路」、「埼玉用水路」と掲示されている。
それぞれの水路への流れ込み口が示されているのであった。
更に、その両端にも何やら文字が見える。
右端は「行田市浄水場取水口」とある。
左端は一部隠れてよくは見えないが、「邑(楽)(用)(水)路」とある。
(注)括弧内の文字は後付けベンキョーで判明。詳しくは後述をご参照。

ブログを綴りながら、利根大堰について後付けベンキョーしたことを掻い摘んで記しておこう。
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高度経済成長期において、東京都の水需要の急激な増大は深刻な問題となっていった。
更に、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを控え、益々、水需要は深刻な問題となった。
そうした中、利根川から水道用水を取水するため、見沼代用水元入(注1)がある地点に利根大堰を建設し、首都圏の水需要に応えようとの計画が具体化し、1963年(38年)に着工、1968年(昭和43年)に竣工。
利根大堰から取水した水は、沈砂後、大分水工(注2)で行田浄水場、武蔵水路、見沼代用水路、埼玉用水路、邑楽(おうら)用水路に上水あるいは灌漑用として分水される。
邑楽(おうら)用水路は対岸の群馬県の農業用水路だが、埼玉県側で取水してから利根大堰上流の河床下に敷設されたパイプで送水されている。
サイフォン式なのかどうかは不明ながら、「伏越」のひとつと言えるであろう。
利根大堰には魚の遡上用の水路が設けられており、遡上観察室の窓から、4月乃至6月には鮎、10月乃至12月には鮭の遡上が見られるという(次回、必見)。
利根大堰には武蔵大橋が通っており、栃木県道・群馬県道・埼玉県道20号足利・邑楽(おうら)・行田線を結ぶ橋となっている。
(注1)「元入」とは、第10話に登場した「見沼元圦公園」でベンキョーした通り、用水の取り入れ口のことである。
(注2)「分水工」とは、第5話に登場した路面敷設プレートの「瓦葺分水工」でベンキョーした通り、、水路の流水を必要な所へ分流させる施設のことである。
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利根大堰をあとにして利根川自転車道を走り、東武伊勢崎線羽生駅へと向う。

フォト:2014年4月26日

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-05-23 06:15 | 彩の国ポタリング | Comments(0)
2014年 05月 22日

『彩の国/緑のヘルシーロード/利根大堰へと向う』 ts-10

忍城址をあとにして、利根大堰へと向う。
行田市内、県道125号線を東へ走る。
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「栗橋まで23kmなんだ」。
今後の、輪行の際の参考としてカメラに収める。
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星川橋西詰に至る。
再び、見沼代用水(兼)星川沿いのサイクリングロードに入る。
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左右入れ替わって、更に走る。
前方に、ふたつの流れ込みらしきものが見えて来る。
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ふたつの流れ込みがしっかりと見える。
ここが見沼代用水(向って右)と星川(向って左)の合流地点なのだ。
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左右入れ替わって、更に走る。
「利根大堰まで2km」。
利根大堰まであと少し、<秒読み>段階だ。
星川との合流区間が終わり、見沼代用水<専用>となったので、水路の幅は狭くなっている。
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「利根大堰まで1km」。
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先ほど、星川との合流地点を見たが、ここでもふたつの流れ込みがある。
これは見沼代用水(向って右)と周辺の農業用水路(向って左)のようだ。
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この写真について、後付けベンキョーで分かったことを掻い摘んで綴っておこう。
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これは「見沼元圦公園」の展望台で、公園の南端にあたる。
左の水路は「北河原用水」。
北河原用水の幹線は羽生市まで続いていて、見沼元圦公園の北端では利根導水路の下を伏越で横断している。
見沼元圦公園は、見沼代用水の元圦跡(もといり、用水の取り入れ口)を公園として整備されたものである。
公園内には、見沼代用水の歴史を語る石碑などがあるという(次回、必見)。
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県道59号線、行田警察署須賀駐在所前に至る。
「緑のヘルシーロード」と「利根自転車道」の標識。
「緑のヘルシーロード」の終点(=起点)に至ったのである。
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利根川の土手に上がる。
利根大堰を眺める。

フォト:2014年4月26日

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-05-22 18:43 | 彩の国ポタリング | Comments(0)
2014年 05月 21日

『彩の国/緑のヘルシーロード/忍城址』 ts-9

さきたま古墳群から忍城址へと向う。
途中、大きな公園を抜ける。
「水城公園」である。
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水城公園は、忍城の外堀跡を利用した公園とのことである。
行田市街はよく整備された町だという印象を持つ。
なかでも、さきたま古墳公園と水城公園はよく整えられており、斯様な大きな公園を有する行田市は立派なものである。

忍城址に到着。
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幟旗が迎えてくれる。
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忍城御三階櫓を見上げる。
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忍城は明治6年(1873年)に解体されたが、昭和63年(1988年)に忍城御三階櫓が再建され、行田市郷土博物館となっている。

城門をくぐる。
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内側から城門を眺める。
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城門内から櫓を見上げる。
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「忍城の由来」に目を通す。
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忍城の由来
忍城は、文明10年(1478年)頃、成田顕泰(あきやす)により築城された「守り易く攻めにくい」難攻不落の名城であったと伝えられている。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた石田三成による忍城水攻めにも耐え、この城は水に浮くのかと恐れられ、「忍の浮城(おしのうきしろ)」とも称されたという。
寛永16年(1639年)、時の老中 阿部忠秋が入場し、忍城大改築に着手、孫の正武の代にいたり、忍城御三階櫓の建設、城門土塀の修築などが完成し、面目を一新したという。
文政6年(1823年)、伊勢の桑名から松平忠堯(ただあき)が移封し、忠誠(ただざね)のとき、明治維新を迎えた。
市では、維新後とりこわされていた城郭の面影を再建し、永く後世に伝えることとなった。
平成3年3月 
行田市
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このポタリングと同じ頃、「太田道灌ゆかりの地/岩槻の巻」のブログを執筆中で、岩槻城のことが頭の中に残っており、忍城と岩槻城はその築城で重なるところがあるなと思った。
但し、岩槻城については太田氏築城説(長禄元年(1457年)築城)と成田氏築城説(文明10年(1478年)築城)があり、後者の成田氏築城説が正しいとせば、忍城も岩槻城も同じ年、即ち、文明10年(1478年)に、同じ成田氏が築城したということになるのである。
また、この地の豪族であった成田氏は、文明10年(1478年)頃、この地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、忍城を築城したが、翌年、これに反発する扇谷上杉家に忍城を攻められ、同家の家宰太田道灌の仲介によって和解し、以後、成田氏が領有したとのことで、太田道灌が関わった地でもあるのであった。

忍城御三階櫓は行田市郷土博物館となっている。
館内に入り、展示物を見たり、上階の展望台に上ったりした。
展示物のコーナーは撮影禁止。
数多の展示物があり、ここに全部は書けないが、ひとつだけ記しておこう。
行田市は「足袋」の生産量が日本一とのことである。
足袋の展示の中に、力士の足袋がある。
力士の足袋の殆どは行田市で作られているという。
展示された足袋の中で最も大きいのは横綱曙の34cm、最も小さいのは舞の海の25.5cmであった。
深川・富岡八幡宮の力士の手形と共に相撲好きには誠に興味深い展示物である。

廊下に四つの家紋が掲げられている。
家紋を見ると血が騒ぐ。
廊下は撮影禁止外、四つの家紋をカメラに収める。
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どれが誰の家紋か調べねばと思った途端、「歴代忍城主の家紋」が目に入った。
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鉄砲狭間と矢狭間。
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三角形や丸形が鉄砲狭間、縦長の四角形が矢狭間。

鐘楼を眺める。
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鐘楼に提げられた鐘は、松平忠堯が伊勢国桑名から忍へ移封となった際に桑名から持ってきた鐘を模したもの。
本物の鐘は郷土博物館に展示されている。
毎年大晦日には年越しの鐘が撞かれるという。

城門を出る。
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今一度、忍城御三階櫓を見上げる。
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外堀。
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堀の角から鐘楼を眺める。
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「のぼうの城」。
忍城と言えば、「のぼうの城」。
これについて触れておかねば、片落ちとなろう。
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領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれ、親しまれた領主、成田氏一門の成田長親と天下統一目前の豊臣秀吉との戦いを描いた、和田竜原作、脚本の「のぼうの城」。
映画は2011年4月公開の予定であったが、その直前の3月11日に東日本大震災が起こり、石田三成による忍城水攻めのシーンが時節柄相応しくないとの配慮により、公開は延期され、翌2012年11月の公開となった。
(ポスター三種は行田市郷土博物館の入り口付近にて撮影)

午後3時40分。
利根大堰へと向う。

フォト:2014年4月26日

(つづく)
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by kazusanokami | 2014-05-21 07:13 | 彩の国ポタリング | Comments(0)
2014年 05月 15日

『彩の国/緑のヘルシーロード/さきたま古墳群(下)』 ts-8

さきたま古墳群。
第7話では、数ある古墳の中で巡った二つの古墳、丸墓山古墳と稲荷山古墳について綴った。
時間の都合上、他の古墳を巡ることは出来なかったが、それらは次回の楽しみに置いておきたい。
このページでは、資料的に残しておきたいことを綴っておくこととしたい。

県道125号線、306号線を経由して、77号線に入ると「さきたま古墳群」の標識が見えて来る。
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入り口近くに、こんなにデッカイ看板が。
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世界遺産になれば喜ばしいことではあろう。
世界遺産となれば、客寄せの宣伝文句としても、丁度、よいだろう。
しかし、そうなると人が大勢集まることになり、古墳群の環境保全のために如何なものかとも思う。
この日だって、人が然程多くないから心穏やかに過ごせるのだ。
最近のニュースを見ていると、富岡製糸場には朝から行列が出来るとのこと。
どっと人が繰り出した中で文化遺産を見学する、サイアクである。

看板の上段に小さく「埼玉県名発祥の地 行田」と書かれている。
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埼玉県県名の由来
藩制の頃、今の埼玉県、東京都、神奈川県の一部を合わせた地域を武蔵国(むさしのくに)と呼んでいました。
今の埼玉県は北武蔵地方にあたります。
埼玉(さいたま)という地名は古くは前玉(さきたま)と呼ばれ、文献上で初めて出て来る『正倉院文書』神亀3(726)年の戸籍帳にも前玉郡(さきたまのこおり)と 記されて居ます。
この「前玉」の更に元を辿れば「人に幸福を与える神の霊魂」を表す言葉「幸魂・幸御魂(さきみたま)」に行き着き、幸は古代では「幸(さきは)ふ」などと訓じました。
幸御魂(さきみたま)→幸魂(さきたま) → 前玉(さきたま)→ 埼玉(さきたま) → 埼玉(さいたま)と変化して来た地名なのです。
「さきたま」の「さき」は先端とか前方を表し、「たま」は水辺とか湿地とか宝玉を表す語で、「さきたま」で水辺の前方とか多摩郡(現東京都)の前方の土地とも解釈され、更に幸御魂(さきみたま)に通じて居るのです。
事実この土地からは勾玉が多く出土して居ます。
(出典:某サイトからのコピペ)
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埼玉県を「ダサイタマ」なんていう人がいるが、県名の由来を知っていれば、そのようなことを言ったりはしないだろう。
読みを「サイタマ県」から「サキタマ県」に変えるというのも一つの案であろう。

入り口の掲示板、三点。
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稲荷山古墳 ---金錯銘鉄剣が出土。
丸墓山古墳 ---日本最大の円墳。
二子山古墳 ---武蔵国最大の前方後円墳。
将軍山古墳 ---後円部に横穴式石室の内部が見学できる展示館が設置されている。
愛宕山古墳
瓦塚古墳 ------形象埴輪が多数出土。
奥の山古墳
鉄砲山古墳 --- 数少ない三重の周濠を持つ前方後円墳。
中の山古墳

金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)。
1968年、稲荷山古墳から出土した鉄剣。
1978年、鉄剣の両面に115文字の銘文が金象嵌で表されていることが判明。
1981年、重要文化財に指定。
1983年、国宝に指定。
「金錯銘鉄剣」は一般名詞なので、研究者は「稲荷山古墳出土鉄剣(銘)」と呼称することが多い。
この鉄剣は、さきたま古墳群の直ぐ近くにある「埼玉県立さきたま史跡の博物館」で保管、展示されている。
これを見るのも次回の楽しみである。

古墳の道先案内板。
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数ある古墳の中で小生の<お気に入り>は、見事な円を描いている丸墓山古墳である。
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さきたま古墳群をあとにして、忍城址へと向う。

フォト:2014年4月26日
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by kazusanokami | 2014-05-15 07:58 | 彩の国ポタリング | Comments(0)