2014年 05月 14日
八幡山古墳からさきたま古墳群へと向かう。 ちょいと道を間違え、畑を挟んで古墳群の向い側に出た。 道を間違えたお陰で、さきたま古墳群を遠望することができた。 さきたま古墳群、遠望の図。 前方の林の一帯に古墳群がある。 中央の、頂上に木の生えた小高いところが「丸墓山古墳 」である。 畑の緑は麦である。 -------------------------- 丸墓山古墳(まるはかやまこふん) 直径105mあり、円墳では日本最大です。 墳丘は埼玉古墳群の中で一番高く、約19mあります。 墳丘に使われた土の量は二子山古墳より多かったという試算もあります。 出土した埴輪から、6世紀後半ころに築かれたと推定されています。 埋葬施設の内容は、現在のところ、確認されていません。 南側から古墳に至る道は、1590年の石田三成が忍城を水攻めにした時に築いた堤防の跡といわれている「石田堤」です。 水攻めの際には、古墳の頂上に陣が張られました。 平成19年(2007年) 埼玉県教育委員会 -------------------------- 丸墓山古墳下の碑/「埼玉村古墳群」。 「石田堤」がしっかりと認識出来る。 罰当たりめ!と思うも、小生自身も頂上に上っているのだから同罪か!? 頂上から「稲荷山古墳」を眺める。 ---------------------------- 稲荷山古墳(いなりやまこふん) 全長120mの前方後円墳です。 周囲には長方形の堀が中堤(ちゅうてい)をはさんで二重に巡り、墳丘くびれ部と中堤には造出し(つくりだし)と呼ばれる張り出しがあります。 古墳が造られた時期は、5世紀後半ころと考えられ、埼玉古墳群の中で最初に造られた古墳です。 前方部は、1937年に土取り工事で失われましたが、2004年に復元されました。 1968年の発掘調査では、後円部から二つの埋葬施設が発見されました。 そのうち、礫槨(れきかく)はよく残っており、多くの副葬品が発見されました。 その一つである鉄剣からは、1978年に115文字の銘文が見出され、他の服装品とともに1983年に国宝に指定されています。 平成19年(2007年) 埼玉県教育委員会 --------------------------- この図で、墳丘くびれ部と中堤の造出し(つくりだし)の様子がよく分かる。 また、この図と左下の小さな写真で、前方部の復元前と復元後の様子がよく分かる。 フォト:2014年4月26日 (つづく) #
by kazusanokami
| 2014-05-14 07:07
| 彩の国ポタリング
2014年 05月 13日
昼餉を済ませ、行田市内めぐりに。 八幡山古墳、さきたま古墳公園、忍城址の順にめぐる。 八幡山古墳(はちまんやまこふん)。 飛鳥の石舞台に似ていることから、考古学者の大場磐雄はこの古墳を「関東の石舞台」と形容したという。 ------------------------- 埼玉県指定史跡 八幡山古墳石室 昭和19年3月31日指定 八幡山古墳は、この周辺に広がる若小玉(わかこだま)古墳群の中心となる古墳のひとつで、7世紀前半につくられた直径約80mの大型の円墳と推定されています。 昭和9年に約2km東にあった小針沼埋め立てのために古墳を崩した際に石室が現れ、翌年には発掘調査が行われて、前・中・後室の3室からなる全長16.7mの巨大な石室であることが明らかになりました。 その後、昭和52~54年に発掘調査と復元整備が行われて現在の姿になっています。 発掘調査では最高級の棺である漆塗木棺の破片や銅鋺など豪華な遺物が発見されており、この古墳に葬られていた人物がかなりの権力者であったと考えられることから、この古墳を「聖徳太子伝暦」に登場する武蔵国造物部連兄麿(むさしのくにのみやつこもののべのむらじえまろ)の墓と推測する説もあります。 なお、この石室は奈良の石舞台に匹敵する巨大な石室であることから「関東の石舞台」とも呼ばれています。 平成21年3月 行田市教育委員会 ------------------------- 因みに、この八幡山古墳は工業団地の中にあり、歴史の息吹を感じるという環境的にはないが、石室に籠っておれば、古代の音が聞こえて来る。 埼玉県指定史跡 八幡山古墳石室復元記念之碑 昭和54年3月 埼玉県知事 畑 和 書 ------------------------- 「瓦葺吹越」の石碑につづき、またまた、埼玉県知事 畑 和(はたやわら)さんが登場。 1972年から1992年、第8代~12代の長期に亘る知事であったことでもあり、宜なるかな、である。 古代の権力者は古墳を残し、近代・現代の政治家は碑と書を残す。 少々、下世話な話になってしまった。 さきたま古墳公園を目指す。 フォト:2014年4月26日 (つづく) #
by kazusanokami
| 2014-05-13 07:47
| 彩の国ポタリング
2014年 05月 12日
元荒川に架かる高虫橋を渡る。 見沼代用水は「伏越」で元荒川の下をくぐっている。 見沼代用水上流側の伏越入り口は白岡市柴山、見沼代用水下流側の伏越出口は蓮田市高虫。 上流、入り口側の地名をとって、「芝山伏越」と名付けられている。 この写真は高虫橋から元荒川の下流方面を見ている。 写真左側に見える白い建物は「芝山伏越」の施設の一部である。 見沼代用水は、この白い建物の辺り(芝山)から元荒川をくぐり、対岸(高虫)に出ているのである。 帰宅後の後付けベンキョーも含めて、「芝山伏越」について掻い摘んで綴っておこう。 見沼代用水の開削当初(1727年、享保12年)は、伏越(木製の樋を埋め込み))と懸樋(木製の樋の水路橋)であった。 その後、懸樋は洪水で破壊されたり、元荒川の舟運の邪魔になるということで、宝暦10年(1760年)に撤去され、新たに伏越が設けられ、以前からの伏越と合わせ、2連の伏越になった。 その後、老朽化の激しい木製の伏越は修理や伏せ換えを続けながら維持された。 明治20年(1887年)、当時の最先端の建材であった煉瓦を使って大改修が行われ、200年以上も続いた木製の2連から煉瓦造りの1連となったのであった。 第3話で登場した「瓦葺伏越」が懸樋から伏越に改修されたのは昭和の終わりの頃のことである。 一方、「芝山伏越」は江戸時代から伏越であった。 江戸時代から200余年、修理や伏せ換えを重ねながら、木製のまま明治に至り、漸く、煉瓦造りとなった。 江戸時代から伏越であったことに加え、埋設した樋が木製であったことからしても、江戸時代の伏越の土木技術は大したものであったことが十分に窺える。 Yahoo!マップで「埼玉県白岡市 常福寺」で検索すると芝山吹越の付近が現れる。 元荒川に架かる高虫橋の辺りを拡大すると、見沼代用水が元荒川の下をくぐっていることがよく分かる。 柴山伏越の近くに「常福寺」という寺がある。 この寺には、見沼溜井の干拓や見沼代用水の開削に携わった幕臣、井沢弥惣兵衛為永の墓がある。 時間の都合上、「芝山伏越」の辺りをゆるりと見ることもなく、墓参りは次回の愉しみとして、先へと進む。 「また、東北新幹線?」、「いや、高速道路のよう」、「まだ、建設中やね」。 建設中の圏央道なのかもしれない。 「利根大堰まで22km」。 モットーとは、川沿いのサイクリングロードは上流から下流に向けて走るということである。 見沼代用水は川ではなく水路ではあるが、利根大堰から取水した水路なので、利根川の支流のようなもの。「川」と同じ扱いである。 ということで、八間堰と十六間堰の説明は上流から下流へと走ったつもりで綴ることとしたい。 これも電脳網を駆使し、後付けベンキョーしたことも含めてのことである。 見沼代用水路の上流部は開削当初から自然河川の星川を水路として利用している。 即ち、見沼代用水と星川は行田市見沼公園の辺りで合流し、久喜市菖蒲町上大崎の辺りで分流する。 分流する手前に八間堰と十六間堰がある。 八間堰を流れ出た水は見沼代用水に、十六間堰を流れ出た水は星川となる。 写真の「八間堰」は南側から見ている。 我々は見沼代用水右岸を北上して来て、この八間堰を正面に見て、左折し、八間堰(=見崎橋)を渡り、右折して、見沼代用水(=星川)左岸を北上。 すると、右手に十六間堰が見えて来たのである。 Yahoo!マップで「埼玉県久喜市 菖蒲図書館」で検索するとこの辺りが現れる。 南北に見沼代用水が流れ、東へ星川が流れ、分流していることがよく分かる。 キリのいい数字。 「利根大堰まで20km」。 もう一ヶ所、スッゴク、狭いところがあったような気も。 見沼代用水と星川が合流しているので、水路というよりも川のようである。 そんな中、キンクロハジロの群れが遊んでいる。 「ほんと、そうですね。生活排水が流れ込んでいるようなところも見ませんね」。 緑の牧草畑と「コロン」。 閘門と、キリのいい数字、「利根大堰まで15km」。 見沼代用水の下流で溢れそうなところが一ヶ所あり、あれこれ議論があったが、やっぱり、水量はこうした閘門で調整しているのであろう。 県道38号線、榎戸橋の西詰を横断する。 見沼代用水・星川合流区間はまだまだ続く。 「利根大堰まで10km」は、ブヨがいっぱい飛び交っており、それに気を取られて、撮り損ねた。 利根大堰まで一桁になった。 前方に新たな閘門が見える。 ↑上尾市 瓦葺分水工へ23.8km ここは 行田市小針 ↓行田市 利根大堰へ9.8km ----------------------- 各地のサイクリングロードでは路面にペンキで距離が大書されているのが多い。 それは読み易いのが、この路面埋め込みプレートは走りながらではよく読めない。 見易いようにと、新たに標識が立てられたのであろう。 因みに、「瓦葺分水工」は「瓦葺伏越」のあった場所で、「分水工(ぶんすいこう)」とは水路の流水を必要な所へ分流させる施設のことである。 利根大堰まで残すところ、5kmくらいのところで、県道125号線に入り、行田市街へと向う。 フォト:2014年4月26日 (つづく) #
by kazusanokami
| 2014-05-12 08:46
| 彩の国ポタリング
2014年 05月 11日
綾瀬川を渡り、上尾市から蓮田市に入る。 見沼代用水沿いをどんどん走る。 水位が道とほぼ同じレベルの水路。 コンクリート壁を道のレベルより立ち上げているのは、全線の中でこの辺りだけの特徴。 「ここら辺りの水位は道と同じくらいですねぇ」、「雨が降ったら浸水ですねぇ」、「何処か上流に堰や遊水地があって調整するんじゃないですか」などと話ながら走る。 住宅地を流れる水路。 蓮田市に入ってから、梨畑をよく見掛けるようになる。 「25」は、ぞろ目ではないが、「5」の付くキリのよい数字なので、カメラに収める(片手ハンドル片手カメラで)。 「何でやろねぇ」、「青梅の梅林はウィルス発生で切り倒したというから、梨の病気でも発生したのかねぇ」、「梨の木にも寿命があるんじゃないの」などと勝手なことを言いながら走る。 切り株だけの梨畑で jitensha を止めて記録写真(?)を撮る。 梨畑の持主が高齢で後継者もおらず、世話をしないと虫や病気が発生するので、切り倒したとのこと。 後継者問題は深刻である。 フォト:2014年4月26日 (つづく) #
by kazusanokami
| 2014-05-11 05:08
| 彩の国ポタリング
2014年 05月 09日
”緑のヘルシーロード”を更に走る。 埼玉県のマスコットの「コバトン」と1ヶ月ぶりの再会だ。 前回、この由緒を知ったとき、次回、機会があれば、武衛さんを案内せねばならない神社だと思った。 何故なら、武衛さんは源頼朝の別名「武衛」を由来とするハンドルネームとしており、源氏ゆかりの御方であるからである。 (鷲神社の詳細については、3月29日付『芝川CR&見沼代用水CRポタリング/帰路も向い風』をご覧ください) 更に走り、見沼自然公園を抜ける。 見沼代用水の水路はコンクリートで固められてしまっているが、見沼自然公園沿いの水路だけは素掘りの面影を残している。 前回はここで折り返したが、今回、ここから未踏の地(ちょいと、大袈裟か!?)に入るのである。 見沼弁財天。 「この赤い建物は緑のヘルシーロードのサイトに必ず出て来ます」と、彩の国の領主、南国守さん。 「であれば、記録写真(???)を」と上総。 弁柄色風になるにはまだまだ月日が掛かるであろうが、真に結構な風情である。 走る。 「利根大堰まで〇〇km」の標識はほぼ1km毎に立てられているが、<33>のぞろ目なので、記念に1枚! 並んでいるものは何でも好きだ。 ということで、ぞろ目も好きだ。 サイクルコンピュータの走行距離の全桁が一瞬同じ数字で並ぶことがある。 これを見るのもポタリングの楽しみのひとつだ。 昔、結構、熱中したパチンコの<777>フィーバー!がDNAに刻み込まれてしまっているのかもしれない。 大きな石碑が見えて来た。 ここは jitensha を止めてじっくりとと思い、ベルをチン、チン、チンと鳴らすも、先頭を行く南国守さんは気づかず。 おーい、おーい、と声を掛けるも気づかず。 碑とこの場所のことにについてのベンキョーはあとでするとしても、そのヒントとなる写真だけは撮っておかねばならない。 jitensha を止め、武衛さんと二人で石碑を眺める。 石碑は三つある。 向って右から、明治43年(1909年)建立の「改修懸樋碑記」、大正5年(1916年)建立の「懸樋改修碑記」、平成元年(1989年)建立の「埼玉合口二期工事 見沼代用水東西縁竣工記念碑」である。 右/明治の「改修懸樋碑記」と左/大正の「懸樋改修碑記」。 この違いは後ほどの後付けベンキョーで分かることとなる。 平成の「埼玉合口二期工事 見沼代用水東西縁竣工記念碑」。 石碑の背後にある閘門。 見沼代用水の「懸樋」のことは事前ベンキョーで承知していたので、直ぐに理解出来た。 また、上尾市瓦葺地区に見沼代用水の東縁と西縁の分岐点があるということも事前ベンキョーで知っていたので、それが此処であることをこの目で確認出来た。 石碑のみならず、閘門も含め、この周辺をしっかりと見ておけば、この場所の水路の構造などもこの目で見られたはずなのだが、時間の都合上、碑を眺め、何かのヒントになるだろうとと閘門をカメラに収めただけで、先行する南国さんを追い掛けたのであった。 帰宅後、電脳網で「改修懸樋碑記」と「埼玉合口二期工事 見沼代用水東西縁竣工記念碑」で検索したところ、わんさかと情報が出て来た。 軽めの事前ベンキョーで知ったこと、深めの後付けベンキョーで知ったことを掻い摘んで綴っておきたい。 見沼代用水の東縁(ひがしへり)と西縁(にしへり)に分かれる場所は「上尾市瓦葺」、上尾市立瓦葺中学校の近くである。 Yahoo!マップで「瓦葺中」で検索するとこの場所が現れる。 この場所は「瓦葺伏越」と呼ばれている。 ここで、利根大堰から流れて来た見沼代用水と綾瀬川が交差しており、代用水の水路を川の下にくぐらせ、サイフォンの原理で代用水を通しているのである。 こうした構造を「伏越(ふせごし)」というのだそうだ。 当初は「伏越」ではなく、「懸樋(かけとい)」であった。 「懸樋」とは水路橋のことである。 「懸樋」は、最初は木製であったが、レンガ造りに改修された。 その竣工を記念して建立されたのが明治43年(1909年)の「改修懸樋碑記」なのである。 このレンガ造りの懸樋が洪水で損傷し、それを修復した際、その修復を記念して建立されたのが大正5年(1916年)の「懸樋修繕碑記」なのである。 その後、昭和43年(1968年)に完了した利根川導水路合口第1期事業および昭和63年年度(1988年年度)に完了した合口第2期事業の一環として、懸樋から伏越に改修され、現在の形になったのである。 因みに、この事業の「合口(ごうぐち)」とは、河川に設置された何系統もの取水口を1か所に集約し、新しい水利系統に統合し、取水量の確保と配分や施設の維持管理を効率化する手法のことである。 これらの事業の竣工を記念して建立されたのが平成元年(1989年)の「埼玉合口二期工事 見沼代用水東西縁竣工記念碑」なのである。 Yahoo!マップで「瓦葺中」(上尾市立瓦葺中学校)の付近を最大で拡大すると、綾瀬川の下を見沼用水路がくぐっているのが地図上できちっと読み取れる。 以上が電脳網を駆使してベンキョーしたことである。 電脳網でヒットした資料のコピペも一部、含まれていることを付記しておきたい。 で、折角の機会でもあるので、平成元年(1989年)建立の碑文の全文をここに書き残しておきたい。 ---------------------------------- 埼玉合口2期事業 見沼代用水路東西竣功記念碑 埼玉県知事 畑和 書 碑文 見沼代用水路は、徳川8代将軍吉宗の新田開発の命により、享保12年(1727年)見沼溜井を干拓しこれに代わるものとして水源を利根川に求め、行田市大字須加地先に取水口を設け長大な水路が開削され、爾来260有余年に亘り、埼玉県行田市他18市6町2村及び東京都足立区の沃野に潤沢な農業用水を灌いできた。 然るに、昭和30年前後より日本経済のめまぐるしい進展が首都圏に都市用水需要の増大をもたらし、これと相俟って東京オリンピックの開催により水資源の開発が急務となった。これに対応するため、埼玉合口1期事業として昭和43年利根大堰が建設され、農業用水取水口を統合し、埼玉県及び東京都への都市用水の供給を可能ならしめた。 その後も経済発展は持続し県南地域の都市化は農地の潰廃を早め、農業用水を都市用水に転用する機運が急速に高まった。 一方これに係る施設及び用水路は、老朽化と機能低下が著しく営農上支障を来たし、これを踏まえ組合員27000余名の深い理解と同意を得、水利用の合理化と、安定供給を目的とし埼玉合口2期事業計画が樹立され、昭和53年度より着工の運びとなった。 なお、利根大堰より大宮市東宮下地内大宮第2調節堰及び浦和市上木崎地内正樹院橋上流地点までは、水資源開発公団が施工し、同地点より東西縁下流川口市地内に至る区間は、埼玉県直轄工事として、県営及び団体営かんがい排水事業、県単見沼下流農業用水合理化事業にて実施した。この間幾多の艱難辛苦を克服し、先人が築いた偉業とその意を体し、近代技術の粋を集め昭和63年度をもって歴史と伝統を誇る用水路の竣功の喜びを見るに至った。 本事業実施に際し、国・県・東京都・関係市町村の御指導御援助と、組合員各位の深い理解と御協力に対し深甚より感謝の意を表し、本事業の使命達成はもとより沿線住民の安らぎと憩いの場として活用されんことを祈念し茲に概要の一端を刻す。 平成元年3月吉日 撰文 見沼土地改良区理事長 渡辺一郎 事業概要 水資源開発公団営事業 総事業費:524億円、基幹線水路31.7km、東縁用水路6.2km、西縁用水路10.6km 県営かんがい排水事業 総事業費:16億5500万円、東縁用水路3.2km、西縁用水路6.0km 団体営かんがい排水事業 総事業費:21億100万円、東縁用水路7.0km、西縁用水路3.5km 見沼下流農業用水合理化事業 総事業費:37億500万円、東縁用水路9.7km、西縁用水路1.3km ---------------------------------- =備考= 原文通りながら、縦書きを横書きに、漢数字をアラビア数字に置き直す等、一部、筆者にて手を加えた。 土木技術、土木機械は異なれど、江戸時代の大工事、明治以降昭和にかけての大工事に敬意を表するばかりである。 そして、碑文末尾に「沿線住民の安らぎと憩いの場として活用されんことを祈念し」とある。 沿線住民ではないが、こうして見沼代用水沿いのポタリングを愉しませて貰っており、安らぎと憩いの場とさせて貰っている。 ただ、「見沼代用水」という歴史ある立派な名を持っている水路沿いのサイクリングロードなので、「緑のヘルシーロード」などという訳の分からない名前ではなく、「見沼代用水サイクリングロード」とすべきではないかと思うのは小生だけであろうか。 しかし、それは些細なこと。 江戸時代から昭和の間、尽力された人たちに感謝!だ。 フォト:2014年4月26日 (つづく) #
by kazusanokami
| 2014-05-09 08:57
| 彩の国ポタリング
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