2014年 04月 22日

『鎌倉、春のポタリング/披露山公園からの眺望』 sk-7

新機軸!「披露山公園」。
昨年末、こんなことがあった。
盟友 信濃守殿から写真添付で「披露山からの眺めです」との電子飛脚便が遣わされた。
写真は江ノ島を遠望する風景であった。
馴染みのない名でである「披露山」をヤッホー!マップで調べてみた。
何と、いつも昼餉御用達の逗子・小坪漁港「ゆうき食堂」の直ぐ近くではないか!
更に、ヤッホー!マップを眺めていると、披露山公園の西の海に近いところに、「大崎公園」なるものもある。
鎌倉ポタリング(正確には鎌倉+逗子ポタリング)の新機軸として「披露山公園」と「大崎公園」を加えたのであった。

ゆうき食堂で昼餉を摂ったあと、披露山公園へと向った。
地図を見ると小坪漁港からの秘密の近道(???)があると思えたが、オーソドックスに地図にある「披露山公園入口」を目指した。
「披露山公園入口」からは上り坂だ。
「披露山」と山がつく限り、上り坂であることは予測はしていたが、結構、きつい上り坂だ。
はっきり言って、激坂だ。
自ら選んだ立ち寄り先だ。
諦める訳にはいかない。
途中から<押し>で頂上を目指す。
<押し>は昨年秋のしまなみ海道で村上水軍の居城、能島を眺望出来るカレイ山展望台以来、得意のパターンとなっている。

ようやく到着!
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案内板に目を通す。
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披露山は逗子市の西側に位置する高さ100mほどの台地です。
ここからは、東に逗子湾、北西には相模湾に浮かぶ江ノ島、背後に富士山や伊豆箱根連山、南には伊豆大島を望む素晴らしい景勝地となっています。
披露(ヒロ)の名は「ひらきあらわず」という、めでたいこと、良いことを公表する意味があり、鎌倉時代、将軍に献上物を披露した所、あるいは、献上の品物を披露する役人が住んでいた所ともいわれています。
披露山公園は昭和33年(1958年)6月7日に開園しました。
敷地面積5.8ha、公園の広場は第二次世界大戦時に海軍の高射砲陣地があったところで、三つの高射砲砲座(直径12m)と監視所の地下室が残されていました。
これらを利用して、砲座を展望台と円型花壇および猿舎に、監視所跡にはレストハウス等を設けていまs。
駐車場内には、終生、逗子で過ごした「憲政の神様」と言われた政治家、尾崎行雄の記念碑があり、「人生の本舞台は常に将来にあり」と刻まれています。
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高射砲砲座跡に建てられた展望台。
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「展望台の内側に砲座の跡が残っていますね」。
「映画『ナバロンの要塞』を思い出しますね。ナバロンの要塞は二門の巨砲だけど」。
どうしても頭は映画のことに向いてしまう。

展望台に上る。
入口に「標高約92.5m」の表示がある。
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「確か、ゆうき食堂の辺りは海抜3メートルくらいやったですねえ」。
「激坂であったことがよく分かりますねえ。一気に90メートル近く上った訳ですから」。

展望台からの眺め。
久しぶりに『遠・中・近三段手法』にて。
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眼下は別荘地である披露山庭園住宅、その向こうは逗子マリーナとリゾート・マンション群。
広がる海は相模湾。
中央に江ノ島、その右手奥に富士山。
霞んでいて富士の姿は見えないが、心眼で何となく富士の稜線が見える。
右手の波だっている辺りは手前から稲村ガ崎、七里ケ浜、腰越。
更に、片瀬、鵠沼、辻堂海岸とつづく。
大磯あたりも見えているんじゃないかと思うくらいだ。
見事な景色だ。
ポタリングしたことのある海岸線をこうやって遠くから眺めるのもなかなか愉しいことだ。

上から失礼しまーす/ 「ドラポタ三人衆之図」。
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上から失礼しまーす/ 「披露山観桜図」。
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上から失礼しまーす/ 「億萬邸之図」。
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展望台を下り、逗子湾の眺望を。
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右手、後ほど訪ねる、大崎公園。
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左手、葉山マリーナ。
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舟あそび。
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相模湾の風景、逗子湾の風景、いいものを見せて貰った。
激坂を上って来た甲斐があった。
いいところを教えてくれた信濃守殿に感謝だ。

フォト:2014年4月5日

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-22 17:26 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2014年 04月 22日

『鎌倉、春のポタリング/ゆうき食堂刺身二点盛り』 sk-6

昼餉は、恒例の逗子・小坪漁港「ゆうき食堂」。
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注文の品は恒例の「刺身の二点盛り定食」。
刺身はいろんな組み合わせで二点がチョイス出来る。
この日、チョイスしたのは鯵と炙り鮪。
刺身二点盛り定食は、刺身のほかに、納豆、温泉たまご、お椀、漬物、そして、どんぶり飯と盛りだくさん。
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大給さんチョイスの「生しらす」も捨て難い。
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刺身二点盛り定食は以前は1000円だったが、消費税増税のためか、1100円になっていた。
計算上は便乗値上げの感なきにしもあらずだが、細かいことは言うまい。
因みに、最近、嗜好が変わったのか、どうも生魚がいけない。
ゆうき食堂の軒下には「支那そば」の文字もあるし、品書きにもラーメンとあり、次回はそれを食すつもりだが、しらけるかな?

フォト:2014年4月5日

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-22 09:47 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2014年 04月 21日

『鎌倉、春のポタリング/永福寺跡』 sk-5

「12時を回っておりまする。小坪漁港『ゆうき食堂』へ参りませう」。
瑞泉寺から逗子・小坪漁港「ゆうき食堂」へ向う途中、「永福寺(ようふくじ)跡」をちらっと横目で見る。
何やら工事をしているようである。
昨年4月に訪ねた頃からどのように変わっているのか”視察”することにした。

昨年4月13日の様子(2013年4月26日付ブログ『卯月、鎌倉に遊ぶ/永福寺跡』より抜粋)。
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今回、2014年4月5日の様子。
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昨年と今回、どちらも南西の位置から眺めている。
写真手前から、阿弥陀堂、二階堂、薬師堂の礎盤となる。
昨年と今回の様子を見比べると;
丸柱の礎石建ての礎盤が見事に復元されている様子に変わりはない。
礎盤の周囲は昨年よりも更に整備されている。
阿弥陀堂の礎盤の脇から前方にかけて新たに整地がなされている。
これは阿弥陀堂から続く建屋の礎盤と思われる。
復元想像CG。
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伽藍そのものが復原されるのかどうかは不明ながら、少なくとも伽藍の礎盤と大きな池は整えられるのであろうと思われる。

永福寺跡について、詳しくは2013年4月26日付ブログ『卯月、鎌倉に遊ぶ/永福寺跡』をご覧いただくとして、今一度、ここで簡単に綴っておこう。
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国指定跡 永福寺跡(昭和42年6月19日指定)
永福寺は源頼朝が建立した寺院で、源義経や藤原泰衡をはじめ奥州合戦の戦没者の慰霊のため、荘厳なきさまに感激した平泉の二階堂大長寿院を模して建久3年(1192年)、工事に着手しました。
鎌倉市では、史跡の整備に向けて昭和56年(1981年)から発掘調査を行い、中心部の堂と大きな池を配した庭園の跡を確認しました。
堂は二階堂を中心に左右対称で、北側に薬師堂、南側に阿弥陀堂の両脇堂が配され、東を正面にした全長が南北130メートルに及ぶ伽藍で、前面には南北100メートル以上ある池が造られました。
市では昭和42年(1967年)度から土地の買収を行っており、今後は史跡公園としての整備事業を進めていく予定です。
平成24年(2012年)3月  
鎌倉市教育委員会
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彼方の紅葉ケ谷をアップで。
谷全体が桜色に染まっている。
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この日、上空に寒気が居り、天気は不安定との予報通り、晴天ながら上空の一部は暗くなっているという妙な天気の中、その分、桜が上手く彩ってくれている。

フォト:2014年4月5日(フォト#1:2013年4月13日)

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-21 18:03 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2014年 04月 21日

『鎌倉、春のポタリング/紅葉ケ谷鶯啼傾聴』 sk-4

瑞泉寺。
春先の鶯は「ホー、ホケキョ」の「ホー」が短い。
それでも、紅葉ケ谷(もみじがやつ)ではその声が谷に響き、これを聴くのが毎年の愉しみなのである。
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伊豆守殿の「石段」。
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上総の「石段」。
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大給守殿の「石段」。
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不覚にも気づかぬうちに正面上段からばっさりと斬られちまった!

芭蕉の句。
「野ざらし紀行/奈良に出る道のほど」での一句だ。
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「大給守殿、お覚悟の程を!」、「後ろからとは卑怯なり!」。

花々。
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「紅葉ケ谷越しに富士が見えるので御座るが...」。
「何処に?」。
「あのV字の辺りで御座るが、今日は霞んでおるので見えませぬな」。
「いや、いや、見えまするぞ。心眼にて...」。
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昨2013年4月25日付ブログ『卯月、鎌倉に遊ぶ/瑞泉寺』 を読み返してみると、「建長寺から、鶴岡八幡宮を抜け、瑞泉寺へ。道すがら、ウグイスの声が聞こえる。紅葉ケ谷に向う序奏でもある」、「瑞泉寺。ウグイスの声を聴きながら、石段を上る」というような書き出しで、「紅葉ケ谷鶯啼傾聴図」と題した写真も掲載されている。
昨年、瑞泉寺を訪れたのは4月13日で、今回より1週間ほど遅いだけであるが、昨年の写真を見ると木々の緑が随分と濃い。
4月の初旬から中旬にかけての変化がよく分かる。

フォト:2014年4月5日(フォト#1、#2:伊豆守殿提供、フォト#4:大給守殿提供)

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-21 09:17 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2014年 04月 20日

『鎌倉、春のポタリング/鶴岡八幡宮流鏑馬馬場』 sk-3

建長寺から巨福呂坂を上る、そして、下る。
いつもなら、下り坂は快調に下れるのだが、春の観光シーズンで車が列をなしており、その脇をゆるゆると通り過ぎる。
鶴岡八幡宮の流鏑馬馬場に入り、東へと抜ける。
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(この写真は大給守さんからの提供。具体的に何とは申しませんが、シャッター・チャンスを逃すまいという大給さんの思いがよく伝わっています)

参道を横切る。
参道を横切る際、本宮を見上げ、心の中で一礼。
「旗上弁財天社の白の幟旗がたなびいておりまするなあ」と右手を眺めながら参道の東側を通り過ぎる。
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参道の正面から入るとガードマンさんに自転車は禁止と咎められる。
東西に抜ける流鏑馬馬場も乗ったままではガードマンさんにジロリと睨まれたことがある。
東西に抜ける流鏑馬馬場では<押し>なら大丈夫。
事実、今回も2人のガードマンさんに出遭ったが、睨まれもせず、咎められもせずであった。

今日の jitensha @鶴岡八幡宮流鏑馬馬場東詰。
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源頼朝の墓や荏柄天神社、鎌倉宮を通り過ぎ、紅葉ケ谷の春の鶯の声を楽しみにしながら瑞泉寺へと向う。
あとで分かったことだが、伊豆守さんはドラポタでの鎌倉は今回が初めてとのことであった。
であれば、鶴岡八幡宮や源頼朝の墓、荏柄天神社、鎌倉宮に立ち寄ってもよかったのだが...。

フォト:2014年4月5日(フォト#1、#2:大給守殿提供、フォト#3:伊豆守殿提供)

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-20 18:12 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2014年 04月 20日

『鎌倉、春のポタリング/建長寺回春院墓参』 sk-2

建長寺。
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去年の4月、建長寺を訪れた際、こんなことがあった。
建長寺境内の一番奥にある塔頭、回春院を訪ね、唐門の辺りまで戻って来たとき、造園の職人さんとあれこれ会話を交わした。
その中で、「回春院の大島渚さんのお墓へ行って来ましたか?小山明子さんと回春院の住職さんが知り合いで、回春院にお墓をつくったようです」との話があった。
不覚にも大島渚監督の墓所が回春院であるとは知らなかった。
もう一度、回春院まで戻ろうかと思うも、結構、距離があるので、次の機会にとした。
ということで、大島渚監督の墓参は1年越しとなった次第だ。

三門をぬける伊豆守さんと武衛さん。
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大給守さんから送られて来た写真の中に、同じく、三門をぬける伊豆守さんと武衛さんの場面があった。
その写真がこれ。
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『期せずして一致!』と題し、二枚組みにしてもよさそうな写真である。
或いは、『不思議』と題してもよい写真である。
何故なら、大給守さんは小生の後ろから撮っているはずなので、写真には小生の後ろ姿が入っていてもおかしくないのだが、不思議なことに、その姿がないからだ。
角度が微妙に違うのかな?

方丈の裏手あたり。
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椿の花が一輪、野の道に落ちている風情は里山のようでもある。

回春院がみえてくる。
その手前の左側に墓地の入り口がある。
入り口に「大島渚墓所 NAGISA OSHIMA MEMORIAL STONE」の案内板が立っている。
監督の墓所はほかの墓とは設えを異にしている。
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墓石というよりも墓碑と呼ぶ方が相応しい設えである。
大きな石の台座には「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない 大島渚」と刻まれている。
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台座の下の銘板には「深海に生きる魚族のように、自らが燃えなければ何処にも光はない 歌 明石海人 書 大島渚」とある。
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台座の上に置かれた石には貝殻が残っている。
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海から引き上げられた石のようである。
歌とこの石が呼応するように設えられているのであろう。
台座の下を更に見ると「小山明子 2005年10月30日」と刻まれている。
監督が亡くなったのは2013年1月15日なので、これは生前に設えられたものということになる。
「大島渚って本名ですか?」。
「本名ですよ」。
「ペンネームのようなものかと思ったもんで」。
「スマホ、持ってますんで、名前の由来を検索してみましょう」。
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岡山県玉野市生まれ。
父方は長崎県対馬、先祖は対馬藩士。母親は広島県呉市の出身。
父親は農林省の水産学者。仕事の関係で瀬戸内海を転々としカニやエビの研究をしていた。
"渚"という名前もそこから付けられている。
6歳の時、農林省の水産試験場の場長をしていた父が死去し、母の実家のある京都市に移住。
(ウィキペディア)
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このブログを綴りながら、この歌を詠んだ明石海人のことやこの歌のことを調べていた中で、監督がこの歌を座右の銘にしていたことを知った。
この歌が監督の座右の銘であったことが何となく分かるような気がした。
合掌。

回春院への石段を上がる。
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桜の花に彩られた回春院。
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池を眺める。
(フォト:伊豆守殿提供)
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去年は気づかなかったが、池の奥に小さな棚田が見える。
里山の趣きに誘われて奥まで足を運んでみた。
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棚田から戻って来たところ、大給さん、伊豆さん、武衛さんと見知らぬ男性二人が談笑中であった。
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途中から加わったので、黙って会話に耳を傾ける。
昔、この辺りは湿地だったという。
田んぼも広がっていたという。
その名残りで、今も僅かではあるが米作りをしているという。
3年前に泥を浚い、池を整えたという。
山と樹木の維持は大変であるという。
池を含め、整備を続けているので、建長寺の参拝客や観光客が、ここ、回春院まで足をのばしてくれることを期待していると。
(池のことを調べてみたところ、池の名は「大覚池」。大亀が棲んでいたという伝説があるとのことだ。我々的には、人影が少なく、閑静な方がよいのだが...)
裏山には、やぐら群があるという。
(調べてみたところ、「朱垂木(しゅだるき)やぐら群」と呼ばれ、約50穴ほどのやぐらがあるとのことである)
寒さの厳しい幽谷ではあっても、春は必ず巡って来るというのが院号「回春院」の由来とのことである。
(回春院のことを調べてみたところ、山号は「幽谷山」。山号と院号が上手く呼応している)
で、会話の調子から、一人は回春院のご住職、もう一人は林業に携わる青年、車もこの青年のものであると分かった。

来た道を戻る。
観音像を桜に映える。
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三門の脇を通り抜ける。
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「人にはそれぞれに役割がある。この三門の柱のように」と説く声が聞こえてくる。

フォト:2014年4月5日(フォト3:大給守殿提供、フォト#12:伊豆守殿提供)

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-20 01:06 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2014年 04月 18日

『鎌倉、春のポタリング/円覚寺仏殿天井画』 sk-1

4月5日、鎌倉ポタリングに出掛けた。
ドラポタでは、年に2、3回の鎌倉ポタリングを行っている。
春は紅葉ケ谷(もみじがやつ)に響く鶯の啼き始めの声を聞く会、夏は本格的に啼く鶯の声を聞く会、秋は紅葉狩りである。
今回は、紅葉ケ谷に響く鶯の啼き始めの声と、多分に上総の趣味に偏った、円覚寺仏殿/「雲龍図」、建長寺回春院/大島渚墓参、いつも昼餉を摂る小坪漁港ゆうき食堂近くの披露山公園&大崎公園/相模湾の眺望を加えさせて貰った。

集合場所のJR北鎌倉駅に少し早く着いた。
円覚寺側の臨時改札口の外で桜の花を眺めながら皆の到着を待つ。
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大給守さん、伊豆守さん、到着に続いて、武衛さんも到着。
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円覚寺。
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桜を愛でる。
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本日の本命、仏殿天井画「雲龍図」。
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円覚寺は何度か訪れているが、仏殿は外から眺めるだけで、不覚にもその天井画を見損ねており、昨年暮れ、円覚寺通の大給守さんが教えてくれたのであった。
仏殿の天井画から床に目を落とすと、床に置かれた「雲龍図(天井画) 前田青邨画伯監修 守屋多々志画伯作」の札が目に入った。
「円覚寺の雲龍図は前田青邨の作かと思っていたんですけど、監修となっていますね」。
「監修って、どういう意味なんでしょうかね」。
「はて...?さて...?」。
「弟子を指導したということですかね」。
まあ、それはそれとして、鎌倉における天井画の<龍コレクション>は、建長寺法堂、東慶寺鐘楼、そして、この円覚寺仏殿と、三つ、揃った。
鎌倉には未だこの他に、常楽寺仏殿の天井画「雲龍図」(狩野雪信)があるという。
常楽寺は大船寄りにあり、我らのいつものコースから外れているが、次回の立ち寄り先に加えるつもりである。

円覚寺の若い緑を愛でる。
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「上総さんの趣味は映画。小津安二郎と木下恵介の墓にご案内しましょう」と円覚寺通の大給さん。
「墓参り、大好き!是非!」と上総。
小津安二郎の墓。
墓というよりに墓碑といった方がよいかもしれない。
刻まれた文字、「無」が印象的である。
お酒がいっぱい供えられている。
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木下恵介の墓。
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こちらのお供えは Volvic が一本だけ。
「小津安二郎は何と言っても『東京物語』。英国映画協会が発表した『映画監督が選ぶベスト映画』の第1位やしね」、「木下恵介は『二十四の瞳』」、「日本初の長編カラー映画『カルメン故郷に帰る』もあります」、「『喜びも悲しみも幾歳月』もあります」と賑やか。
後ほど、建長寺回春院での大島渚の墓参も控えており、この日は松竹の名監督三人(正確には大島渚は作風が合わず松竹を退社し、独立するのだが)の墓参と相成った次第である。
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フォト:2014年4月5日

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-18 23:57 | 湘南鎌倉ポタリング | Comments(2)
2014年 04月 10日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/津宮鳥居河岸』 swr-7

香取神宮の総門前から急坂を下り、別の参道を走り、津宮鳥居河岸へと向う。
香取神宮には二つの参道がある。
先ほど走って来た、佐原から東へ向う参道(現在の県道55号線)と、利根川の畔、津宮鳥居河岸から始まる道である。
後者の道を走って、津宮へと向ったのである。

津宮鳥居河岸に到着。
石段の上は利根川右岸の土手、左右(東西)がサイクリングロードとなっている。
鳥居の笠木と貫だけが見えるこの風景が好きだ。
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大鳥居と共に、今日の jitensha/その2。
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津宮鳥居河岸を初めて訪れたのは2008年の1月であった。
大鳥居をカメラに収めていたところ、散歩中の人が「利根川の舟運に携わる人は、舟からこの大鳥居の方角を拝めば、香取神宮に参拝したのと同じようにご利益があるということなんですよ」と教えてくれたのであった。
しかし、この場所で、式年神幸祭での御座船乗船などの儀式があるということは、先ほど、香取神宮の境内の掲示で知ったのであった。
今回、こうやって午の年に、香取神宮に参っていなければ、午年毎の式年神幸祭が催されるなんてことは一生、知らなかったかもしれず、カシコクなった。

津宮鳥居河岸から利根川右岸CRを遡り、「海から40km」地点からJR佐原駅へ。
JR佐原駅。
改築されて、小江戸風の、随分と立派な駅になった。
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佐原から輪行にて帰還。
南国さん、お気に入りの我孫子"コ・ビアン"で反省会。
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追い風を受けての、利根川、春のポタリング。
いい1日であった。

フォト:2014年3月29日

(完)
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# by kazusanokami | 2014-04-10 00:16 | Comments(0)
2014年 04月 09日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/香取神宮』 swr-6

伊能家菩提寺、観福寺から香取神宮へと向う。
県道55号線を東へ走る。
右手に県立佐原高校を眺めながらしばらく走り、石造りの大鳥居を抜ける。
県道55号線が表参道で、石造りの大鳥居は第一の鳥居である。
更に、走る。
「歓迎」の看板が見えて来る。
香取神宮に到着だ。
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両側に土産物屋が並ぶ参道を進むと、朱色の大鳥居(第二の鳥居)が見えて来る。
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「何処に愛馬を止めましょうか」。
「総門のところから反対側に出て津宮に行くので、総門のところまで押して行きましょう」。
朱色の、第二の鳥居をくぐり、参道を<押し>で進む。
第三の鳥居と総門。
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鳥居脇に愛馬を止める。
鳥居脇の狛犬をカメラに収める。
久しぶりの、狛犬コレクションだ。
阿形の狛犬。
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吽形の狛犬。
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総門に向う石段を上りかけたところ、「平成二十六年四月 香取神宮午歳式年大祭」と大書された立て札が目に入った。
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「式年大祭とは何ぞや?」と思いながら石段を上ると総門の柱に「平成二十六年 香取神宮式年神幸祭 御奉賛のお願い」なる看板が立て掛けられていた。
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香取神宮の式年神幸祭は、香取、鹿島の大神が邪神討伐、威武剣徳の古例による事といわれ、その規模は雄大にして行事は壮観なること比類無しと伝わる神事です。
古い祭礼図によれば、約八百年余り昔、土御門天皇の建仁年間にはこの祭礼が行われていたと伝えられております。
平成二十六年四月十四日は、勅使参向のもと、例祭が斎行され、翌十五日、十六日の二日間に亘り、式年神幸祭が斎行されます。
この大神幸には、香取神宮氏子約四千名がそれぞれの町内に伝わる陣羽織、甲冑などの装束に身を固め、お供します。
十五日、午前八時三十分に本宮を発輿され、正午過ぎに御神輿は津宮鳥居河岸より、御座船に御乗船になり、多くの供奉船を従えて利根川を遡り、途中、鹿嶋神宮の御迎祭を受けて、佐原に再上陸になります。
その後、小江戸佐原を御巡幸、佐原に御駐泊され、翌十六日、再び佐原を御巡幸の後に、本宮へ還御遊ばされ、二日間に亘る絢爛たる時代絵巻が繰り広げられます。
十二年に一度、牛年毎に斎行されますこの式年神幸祭は、香取の大神様の御神徳により、国家国民の安寧と繁栄をたれ賜る一大神事であり、併せて東日本大震災復興、国威の発揚を祈念するものであります。(以下略)
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なるほど!12年に一度の、午の年の式年行事なのである。
15日の正午過ぎに、こんな風景が見られるということである。
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2年前に佐原を訪れたときは、対岸から津宮の大鳥居を眺めた。
4月15日に御座船が多くの供奉船を従える風景を見に来るときには、超望遠レンズを携えて、対岸から眺めるというのがよいかもしれないななどと、既に心は津宮での御座船乗船の儀に。

総門、楼門をくぐり、拝殿へと進む。
参拝。
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「香取神宮はなかなか立派な神社ですなあ」、「ええとこでしょう。黒塗りの社が気に入ってます。昔、日の出汽船が香取丸とか鹿島丸という船名を付けていたこともあって、より馴染み深く感じる神社です」。

楼門の、木造の狛犬をカメラに収める。
阿形の狛犬。
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吽形の狛犬。
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今一度、総門下に掲げれられていた「式年大祭 神幸祭祭儀日程」を見る。
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「式年神幸祭に来るなら、やはり、15日の昼の、津宮河岸での御座船乗船だね」と南国さんと小生の意見、一致。

津宮の大鳥居へと向う。

フォト:2014年3月29日

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-09 17:56 | 坂東太郎下流の旅 | Comments(0)
2014年 04月 09日

『春の、利根川CR&小江戸佐原散策ポタ/観福寺墓参り』 swr-5

「伊能忠敬さんの墓参りに付き合って貰えますか」、「うん!「行きましょう」。
伊能忠敬旧宅から数キロ離れた、伊能家菩提寺である観福寺へと向う。

観福寺。
山門と桜。
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伊能忠敬墓と桜(観音堂の屋根の辺りにうっすらと)。
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「こちらの墓は遺髪と爪が埋葬されているそうです。本当の墓は東上野の源空寺にあります。伊能忠敬の遺言で、生涯、師と仰いだ高橋至時(よしとき)の隣に建てられています。高橋至時はシーボルト事件に関わった高橋景保のお父さん。高橋至時、伊能忠敬、高橋景保が『大日本沿海輿地全図三人頭』。東上野の源空寺へは、また次の機会に案内します」。

本堂。
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山門(内側)と桜。
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2009年9月23日、同地を訪ねたときのことを綴った同年10月22日付ブログ『伊能忠敬敬、間宮林蔵師弟ゆかりの地を訪ねて/下総国佐原村編』(第21話) を紐解いてみた。
「モミジの多い、お寺。秋が深まれば、美しい紅葉を見ることが出来るお寺かと。紅葉の頃に、再訪を思いながら、観福寺を後にした」とある。
以来、紅葉の季節には訪れていないが、今回、桜の頃に訪れることが出来た。
因みに、伊能忠敬さんの墓参りは、2010年1月に、盟友、大給守さんと佐原を訪ねたときの墓参も含め、これで三度目となった。

「さて、佐原はこれで終わりですが、香取神宮にお参りしましょうか」。
「うん!そうしましょう」。
「では、香取神宮に参拝し、そのあと、利根川の畔にある津宮の鳥居を訪ねましょう」。
更に続けて、「利根川の舟運に携わる人たちは舟から津宮の鳥居に向って拝めば、香取神宮に参拝したのと同じということだそうです」と講釈を垂れる。

フォト:2014年3月29日

(つづく)
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# by kazusanokami | 2014-04-09 01:28 | 坂東太郎下流の旅 | Comments(0)