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2011年 04月 26日

『上総生誕記念(?)ポタ』 bm-5

旧街道を走り、「寺田園茶舗」に立ち寄る。
この建物は1889年(明治22年)の築。
先程、立ち寄った呉服店「新川屋」より、更に1年古い建物である。
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"万華鏡ギャラリー 寺田園茶舗 見せ蔵"と名付けられている通り、万華鏡が並べられている。
「上総殿、この大きな万華鏡、こんな感じで撮ってみました」と大給守殿。
「おお、それはいいですね。では、某も」。
万華鏡の筒の中に写る、変幻自在の文様をカメラに収める。
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この万華鏡の外見はこんな感じ。
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旧街道から細道に入る。
「近藤勇 陣屋跡」に立ち寄る。
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「赤城神社」に立ち寄る。
「流山の地名の由来は幾つか御座りまするが、赤城山から御札がこの地に流れ着いたことによるという説も御座りまする」と上総、能書きを述べる。
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手水鉢の「龍」。
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これまで、あちらこちらで、幾つもの手水鉢の龍を見て来たが、この神社の手水鉢の「龍」は珍しい形をしており、龍の蒐集の趣味を持つ上総、大いに喜ぶ。

「流山は味醂ゆかりの地でも御座りまする。先程、通った流山キッコーマンはマンジョウ本みりんを作っておりまする。味醂で財をなした秋元三左衛門は俳号を双樹と称し、小林一茶と親交があったとの由に御座りまする」と、上総、能書きを垂れながら、「一茶双樹記念館」に立ち寄る。
「一茶双樹記念館」の玄関先で、モミジの若葉が芽吹いていた。
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「これにて流山巡りは終わりました」。
「昼餉を摂らねばなりませぬな」。
「然り。何処で」。
「松戸大勝軒は如何でせうや」。
「つけ麺に御座りまするな。参りませう」。
江戸川左岸CRを走る。
向かい風が強い。
齢、六十三、これに堪える(堪えようと努力している、が正しいか!?)。

遠目に見えていた松戸伊勢丹の建物が徐々に近づいて来る。
嬉しい!

松戸大勝軒にて、人心地つく。

「本日は有難う御座いました。某は馬橋まで走り、輪行致しまする」。
「では、某は江戸川CRを下りまする」。
「向かい風、ご苦労さまに御座りまする」。

大給守殿91.74km、上総49.03kmの、久方ぶりのポタ。
花、花、花を満喫したポタ、ちょこっと歴史を愉しんだポタでもあった。
そして、何にも増して嬉しきことは、「上総生誕記念(?)ポタ」が一人ポタではなく、二人ポタであったことである。

フォト#1、#2:2010年10月2日
(2010年10月16日付「利根運河CR、江戸川CRポタ/六々殿からの贈り物」より抜粋)
フォト#3~#11:2011年4月16日

(完)
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by kazusanokami | 2011-04-26 00:01 | ポタリング | Comments(4)
2011年 04月 25日

『上総生誕記念(?)ポタ』 bm-4

菜の花を満喫し、再び、土手の上のサイクリング・ロードを走り、流山へ。
サイクリング・ロードを外れ、流山の旧街道を走る。

呉服店「新川屋」。
1890年(明治23年)築の土蔵造り。
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写真を撮っていたところ、店主殿が「中へお入りなさい」と手招き。

「あそこの壁に掲げている絵は、オオノ ロクさんに描いて貰った、街道から見た店です」。
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「なかなか、よく描けていますね。オオノ ロクさんのロクは、どんな漢字でしょうか」。
「絵では"ROKU"とサインされています。大きい野原に、みどりのようなロクです」。
「記録の録ですね」。
帰宅後、調べてみた。大野 録(おおのろく)。1929年、東京生まれ。
親しみを込めて、"ペン画のROKU"さんと呼ばれているようだ。

「ROKUさんの描いた店のペン画を絵葉書にしてみました。当店の土蔵造りの恵比寿様や大黒様の鬼瓦も絵葉書にしてみました。絵葉書と手拭のセットでお土産も作ってみました」。
「手拭はいろんな図柄があるのですね。この濃い緑色の手拭と絵葉書のセットを頂戴しましょう」。
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次に、店主殿は2枚の写真を示し、「この2枚の写真で違うところがあるのですが、分かりますでしょうか」と。
「1枚は灯篭が倒れ掛かっており、もう1枚の灯篭はしゃきっと立っていますね」。
「仰る通りです。倒れ掛かっている灯篭は、年々、傾いて来て、モミジの木に寄り掛かっていましたが、先月11日の地震で元通りに立ち上がったのですよ。不思議でしょう」。
「地震で倒れ掛かったのではなく、その逆なんですね。確かに、倒れ掛かっている右手のモミジは紅葉しているので、秋の写真ですね。この2枚を並べて、写真を撮らせて貰ってもいいでしょうか」。
「どうぞ、どうぞ。ここで撮ると天井灯の光が反射しますので、外の光で撮れるよう、入り口のところに白い紙を置いて、2枚を並べましょう」。
「それは有難いことです」。
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「土蔵造りのペン画の絵葉書も撮られるとよいでしょう」。
「絵葉書は手拭とセットで買わせて戴きましたが、折角ですから、それも撮らせて戴きしょう」。
「では、その白い紙の上に置いて」。
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次に、店主殿はモノクロの写真が幾葉も載せたアルバムを見せて下さった。
「先先代は、写真好きでした。ネガが残っており、流山市がアルバムにしてくれました。ネガから起こした写真ですので、きれいです」。
「ネガが残っているとは、凄いですね」。
「和紙に挟んで保管されていました」。
「恵比寿の東京都写真美術館で写真展が出来そうな写真ばかりですね」。

「レンズはテッサーです」。
「ちょっと待ってくださいね。先程のペン画家は大野 録さん。レンズはテッサー。ケーターにメモっておきます」。

「ご婦人が数人、並んで写っているのは、当時の服装がよく分かり、研究家の資料になりそうですね」。
「この店先の写真もいいですね。大勢の店の人が並んでいるのは当たり前として、右端に犬が写っているというのが、これまた、いいですね」。

「もう一つ、店先の写真がありますね。左端に自転車が整然と並んでいますね。これは、多分、カメラマンの先先代さんが、その自転車2台はもう少しこちらにとか、声を掛けて、画面を整えたように見えますね」。

「おっ、こちらの写真は田植えの風景ですね。当時は、写真といえば、家族の肖像とか、記念写真が多かったと思うのですが、こうした風景も撮られたということは、相当に写真がお好きだったことが窺えますね」。
「農作業といえば、さっきのページに面白い写真がありましたよ」。
「どれどれ」。
「これです、これです」。
「屎尿の肥え遣りの風景。これは、田植えの風景以上に素晴らしいですね」。

「これは葬式の風景です」
「これは流山電鉄の工事風景。そして、これがその電車」。

「奉祝という写真が幾つかありますね」。
「それは大正天皇の(即位?)の奉祝の写真ですね」。

「一枚、一枚、仔細に見ていると、いろんなものが見えて来ますね。これはいいものを見せて戴きました」。

アルバムのモノクロ写真を見ながら、店主殿、大給守殿、上総にて大いに盛り上がった。
用がなければ呉服店の店内に入ることはないし、そうそう、呉服店に用はないことながら、店主殿の手招きのお陰で大いに楽しめた。
店主殿に御礼を伝え、店を後にした。

フォト:2011年4月16日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-04-25 22:45 | ポタリング | Comments(8)
2011年 04月 24日

『上総生誕記念(?)ポタ』 bm-3

東屋を後にして、江戸川左岸CRを走る。
土手の両側は、菜の花、菜の花、菜の花...。
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もっと、菜の花を満喫しようと、土手の上のサイクリング・ロードからコースを変え、土手中腹の遊歩道を走る。
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遊歩道の両側も、菜の花、菜の花、菜の花。
そして、その向こうに青空。
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再び、土手の上のサイクリングロードを走る。
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フォト:2011年4月16日
フォト#8/大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-04-24 17:43 | ポタリング | Comments(5)
2011年 04月 24日

『上総生誕記念(?)ポタ』 bm-2

上総、ベデワンにて、利根川CR、利根運河CRを走り、11時過ぎ、合流地点の東屋に到着。
大給守殿は、大口径と追い風を利して、江戸川CRを疾駆なされ、既に到着なさっていた。

3月12日の『NOVOLTA大作戦/箱根越え』に先立ち、3月8日、大給守殿、伊豆守殿、歩衛殿、上総の四人、参集しての"五反田評定"以来の顔合わせであった。

東屋の外のベンチに座り、暫し、休憩しながら歓談。

歓談の最中、ドンと突き上げるような感じの後、地面が揺れる。
東屋の屋根のトンガリ帽子が大きく揺れる。
午前11時20分頃、栃木県を震源とする地震であった。
大給守殿はogyuyome殿に、上総はkazusayomeに安否確認のケータイ糸電話を。
「地上で揺れを体験したのはこれが初めて。記録として、東屋を撮っておきませう」と上総、東屋をカメラに収める。
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大給守殿ご提供/「上総、kazusayomeに安否確認の最中、背後からばっさり激写されちゃいました之図」。
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「さて、ここから如何致しませうや。江戸川CRの終点/関宿まで。或いは、少し、上流に向け走り、野田を巡る。或いは、下流に向け走り、流山を巡るなど」。
「来るとき、何キロにも亘って、菜の花が満開。壮観に御座りました。よって、流山に致しませう」。
「承知。昨秋、流山を巡りました。観光地図は持ち居りませぬが、土蔵造りの新川屋、流山の地名の由来となった赤城神社、近藤勇の陣屋跡など、名所旧跡をご案内致しませう」。

フォト:2011年4月16日
フォト#2/大給守殿提供

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-04-24 00:37 | ポタリング | Comments(2)
2011年 04月 23日

『上総生誕記念(?)ポタ』 bm-1

4月16日(土)08:50、上総のケータイが鳴る。
大給守殿からのケータイ糸電話であった。
「おはよう御座りまする。本日は如何なされますか」。
「おはよう御座りまする。"上総生誕記念(???)一人ポタ"と思い居りました。コースは未定ながら」。
「某も一緒出来まする」。
「では、是非、ご一緒しませう。江戸川CRポタで如何でせうや。江戸川CRと利根運河CRの合流地点でお会いすることで」。
「では、9時半頃の屋敷スタートで」。
「であれば、合流地点着は11時頃となりませう」。
「合流地点近くの東屋にて」。
「では、11時頃、東屋にて」。

「何やら、楽しそうな会話ですね」とkazusayome。
「うん、そやろ。彼女とデートの約束が出来たみたいやろ」と上総。

「生誕記念」なので、大口径車/還暦創輪号を駆ってと、ふと、思うも、天気予報では南風が強いとあったので、帰路、電車輪行もありかと思い、小径車/ベデワンを駆って出立。

先ず、定番の「柏あけぼの山農業公園」に立ち寄る。
一週間前の「不機嫌な空」とは打って変わって、「ご機嫌な空」。
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布施弁天。
前の週は本堂でお参り。
この日は先を急ぐので、不謹慎ながら、坂下からお参りする。
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利根川CRを走る。
菜の花が満開だ。
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結果的に、江戸川の土手に完全に負けていたが...。

利根運河CRを走る。
校庭脇の面白い造形の木も若葉が芽吹く。
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柿の木にも若葉が芽吹く。
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桜はそろそろ終わりながら...。
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"桜の花道"を走る。
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利根運河公園。
ここも桜の名所。
一週間前は満開であったろう、名残の桜を愉しむ。
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利根運河と江戸川の合流地点はもう直ぐだ。

フォト:2011年4月16日

(つづく)
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by kazusanokami | 2011-04-23 07:50 | ポタリング | Comments(6)
2010年 10月 16日

『利根運河CR、江戸川CR/六々殿からの贈り物』 rp-7

流山の神社や町家をめぐり、また、「流山」の地名の由来をベンキョーしたりして、さて、次は、愈々、新選組ゆかりの地めぐりだ。

六々守殿提供のコースガイドでは、次の通り、綴られている。
「千葉県流山市は、幕末、幕府の京都治安部隊として、勤皇の志士らと戦った新選組の局長 近藤勇と副長 土方歳三が離別した地である。徳川慶喜の大政奉還の後、京都から江戸に戻った彼らは再起をかけ、慶応4(1868)年4月、この流山に集まったのであるが、間もなく、その情報を得た新政府軍に包囲され、近藤は独り出頭するのである。土方ら約200人の隊士は無傷で脱出する。近藤が本営を置いたのは、醸造家長岡屋である...」。

先ず、新選組流山本陣・近藤勇陣屋跡を訪れることとした。

新選組流山本陣・近藤勇陣屋跡。
新選組の本陣が置かれたのは、六々守殿提供のコースガイドでは、上述の通り、「醸造家長岡屋」とあるが、観光マップでは「醸造家鴻池(永岡三郎兵衛)」とある。
何れにせよ、現在は、酒屋問屋「秋元」の敷地内の一画にある。
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近藤勇と土方歳三の離別につき、市内で貰った観光マップでは、次のように綴られている。
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幕末、京都で「新選組」を結成した近藤勇と土方歳三らは、京都焼き討ち計画を未然に防いだ「池田屋事件」で名声を馳せましたが、王政復古のクーデターで立場が逆転し、賊軍となり、鳥羽伏見の敗戦で江戸へ還りました。甲州勝沼での敗戦後、五兵衛新田(現・足立区綾瀬)で隊士増強をした近藤らは、慶応四年(一八六八)四月一日深夜に流山を拠点とするため、光明院などに分宿しました。ところが、三日の午後、隊士たちが訓練に出かけている間に、新政府軍の急襲で本陣は包囲されました。この時、近藤は「大久保大和」と改名し、鎮撫隊(一揆などの反乱軍を鎮めるための部隊)を率いていました。切腹しようとした近藤に対し、土方は「徳川家公認の鎮撫隊」として事情説明するよう勧め、近藤は出頭しました。しかし、大久保の正体が近藤であると知った新政府軍は、坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺は新選組の仕業と考えていたため、近藤は板橋近くの滝野川村で斬首されました。副長の土方は、旧幕府軍と合流し、鴻之台(現・市川市国府台)から小金宿(現・松戸市北小金)などを経て、宇都宮や会津で戦い、遂に函館戦争で戦死しました。流山は、新選組を共に支えた近藤勇と土方歳三の「永遠の離別の地」となったのです。
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この"観光用"旗印は「新撰組」となっている。
多くは「新選組」と「選」が使われるが、PCの文字変換でも「新撰組」となる。
調べてみたところ、「選」、「撰」のとちらも使われていたそうだ。
因みに、新選組の羽織の袖口などに見られる山形を連ねた「だんだら模様」は、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」の装束に由来するということはよく言われることだ。

ハリポタ藩では、今、「顔抜き看板」に顔を入れたフォトのコレクションが流行の兆しを見せている。
これは「ハリポタ藩コレクション」への上総提供のひとつ。
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ハリポタ藩関東遠征の際には、ここで「顔入り」フォトを撮ることにしよう。

「こども110番」。
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当地、流山の新選組への思い、近藤勇への思いがこれでよく分かる。

浅間神社。
江戸時代初期の創建。
新選組を包囲した新政府軍が、この神社の境内裏に仮本陣を敷いたと言われている。
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再び、江戸川CRに戻り、江戸川沿いの土手を走る。

矢河原(やっから)の渡し跡。
1868年(慶応4年)4月3日、近藤勇が流山を後にして越谷宿へ向った渡し場と言われている。
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丹後の渡し跡。
この渡しは、矢河原(やっから)の渡しから少し下流にあり、流山村など幕府領の御用河岸でもあった。
1868年(慶応4年)4月1日、新選組が流山に入るときの渡し場と言われている。
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流山は、四輪では、しばしば通過する町だ。
新選組ゆかりの地を訪れてみたいと思いながらも、唯、思うだけであったが、この日、その念願が果せた。
因みに、新選組ゆかりの地や、神社、町家などは、街道沿いのほか、路地にもあるので、四輪よりもjitenshaや徒歩で巡るのがお奨めだ。
六々守殿はよきコースガイドを送って下さった。

フォト:2010年10月2日

(完)
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by kazusanokami | 2010-10-16 01:07 | ポタリング | Comments(4)
2010年 10月 15日

『利根運河CR、江戸川CR/六々殿からの贈り物』 rp-6

一茶双樹記念館に程近い、赤城神社に向かった。

赤城神社。
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入り口の鳥居に掛けられた、大しめ縄。
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"記録"として、これを掲載しておこう。
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大しめ縄の行事に加え、「上州(群馬県)の赤城山の土あるいはお札が流れ着いた...」と流山の地名の由来も記されている。
罰が当たるかもしれないが、大しめ縄のことよりも、地名の由来に大いに興味を引かれた。
市内で貰った観光マップでは、「上州(群馬県)の赤城山が崩れて流れ着き、高さ10mの赤城山が出来たという流山の地名伝説の地」と書かれており、「土」説となっている。
由来好きの上総としては、この目で地形を見たことでもあり、「お札」説よりも「土」説を採りたい。
由来好きの上総、流山の地名の由来を知ることが出来、大満足であった。

フォト:2010年10月2日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-10-15 00:36 | ポタリング | Comments(2)
2010年 10月 13日

『利根運河CR、江戸川CR/六々殿からの贈り物』 rp-5

一茶双樹記念館。
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「みりん醸造で財をなした「秋元」本家跡。
「秋元」五代目、秋元三佐衛門(俳号「双樹」)は俳人小林一茶と親交があり、二人の交友を記念し、安政年間の家屋を解体修理し、往時を偲ばせる主庭と商家を再現したものである。

"記録"として、これを掲載しておこう。
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「小林一茶は、流山を含む、下総地方は最もよく訪れており...」と記されている。
そう言えば、時折、訪ねる「柏あけぼの山公園」に一茶の碑がある。
一茶は、「秋元」五代目、双樹と親交があったことから、東葛飾、現在の柏市の辺りも吟行したのであろう。

と綴りながら、柏あけぼの山の碑に刻まれた一茶の句は、確か、鳥に纏わる句であったと記憶するが、如何なる句であったかが思い出せない。

10月10日(日)午後、前日来、降り続いていた雨が幸いにも止んだ。
柏あけぼの山の"取材"がてら、還暦創輪号に跨り、ポタに出掛けた。

柏あけぼの山。
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柏あけぼの山は、桜の頃は大いに賑わうが、今は秋。
僅かに、散歩の人が一人、二人。閑かだ。
奥まった一画に一茶の碑がある。
時折、柏あけぼの山公園を訪れるが、碑を見るのは数年振りのことだ。

碑。
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碑に刻まれた俳文と句をアップで(句がちょいと欠けちゃいましたが)。
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説明書き(全文)。
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文字が小さく、読み辛いでしょうから、拡大版で、前段から...
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中段。
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成程!これでよく分かる。

後段。
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説明書きにある「東海寺(布施の弁財天)」は、上総もしばしば訪れる、地元では布施弁天の名で親しまれている「紅龍山 東海寺」である。

説明書きに「流山の秋元双樹と連れ立って」と記されている。
以前も、この説明書きを読んだのであろうが、今回、流山の一茶双樹記念館で「双樹」の名を初めて知ったような次第で、以前は、何の意識もなく、さらっと説明書きを読んだだけだったのであろう。
俳諧の世界では、双樹は有名なのであろうが、何の予備知識もなく、この説明書きを読んでも、「流山の秋元双樹」だけでは何のことかは分からないだろう。
そういう意味で、この「流山の秋元双樹」という書き方は不親切とも言えるだろう。

説明書きの「雨に濡れて流山の双樹の家に帰っている」は興味深い記述である。
東海寺(布施弁天)に詣で、吟行し、雨の中、何処の道を辿って流山に戻ったのであろうか。
ポタリングを趣味とする者にとって、これは大いに興味のあるところである。
いつぞや、「赤穂浪士討入凱旋の旅」の<番外編>で、大石内蔵助が山科から伏見撞木町に通った道を推測し、それを辿ったこともあった。
一茶と双樹が辿ったと思われる、東海寺(布施弁天)から流山までの道を推測し、その道を jitensha で辿り、再び、流山を訪れてみたいものだ。

柏あけぼの山での"取材"を終え、布施弁天を見遣りながら、新大利根橋を渡り、利根川左岸CR~小貝川・豊田堰~栄橋~利根川右岸CR~古利根~手賀川~手賀沼と、ホームコースを走った。
夕暮れ時の手賀沼では、墨絵にほんのりと彩色したような風景に見入ってしまった。
一茶なら、この風景を見て、どんな句を詠んだことであろうか。
走行距離45.6kmであった。

おっと、これは別のポタリングの話。
柏あけぼの山での"取材"のことだけに止めておかねばならない。
『利根運河CR、江戸川CR/六々殿からの贈り物』に話を戻そう。

フォト:2010年10月2日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-10-13 23:58 | ポタリング | Comments(4)
2010年 10月 12日

『利根運河CR、江戸川CR/六々殿からの贈り物』 rp-4

呉服新川屋店舗から街道沿いを走っていると、古い町家が目に入った。

寺田園茶舗。
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六々守殿提供のガイドブックにも、中央公民館提供の観光マップにも出ていない町家であった。
「明治22年(1889年)建築」と記された札が掲げられている。
先程、見た呉服新川屋店舗より、更に、1年早く建てられた町家だ。
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中に入るのは次回の楽しみに残し、一茶双樹記念館を目指して、走った。

フォト:2010年10月2日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-10-12 19:48 | ポタリング | Comments(2)
2010年 10月 12日

『利根運河CR、江戸川CR/六々殿からの贈り物』 rp-3

「東深井古墳の森」から、再び、利根運河CRに戻り、江戸川合流地点を目指し、走る。

いつもの立ち寄りスポット、諸味の香る、窪田味噌醤油株式会社。
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この日は、対岸から、向かいの土手の上に顔を出している醸造場の屋根を眺める。

利根運河/江戸川合流地点に至る。
いつもはここで一服だが、この日は、既に、頭の中は"新選組モード"、休憩することなく、江戸川CRを下流方面に向け走る。

途中、江戸川CRから外れ、流山の市街地へ向う。

六々守殿から貰ったコースガイドには、新選組ゆかりの地や町家など、立ち寄りスポットがいろいろと書かれていた。
場所がよく分からないので、インフォメーション・センターなどがあれば、そこで観光マップを貰うのが一番、手っ取り早いと思い、幹線道路を走る。

市役所、そして、市民文化会館の標識がある。
市民文化会館に立ち寄ってみたところ、閉館していたが、隣に中央公民館なるものがあり、そこを訪ねた。
受付の女性が引き出しから観光マップ、グルメ・マップ、お土産案内などを取り出し、「これを参考になさって下さい」と全部、下さった。
そんなに沢山は、と思うも、有難く頂戴した。

六々守殿提供のコースガイドに綴られている立ち寄りスポットと観光マップを見比べながら、マップ上にボールペンでマークをした。

先ず、神社や町家を巡り、そのあと、新選組ゆかりの地を巡ってみることとした。

呉服新川屋店舗。
1846年(弘化3年)創業の商家。
1890年(明治23年)築の、土蔵造りの店舗は国の登録有形文化財となっている。
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北側の板張り壁。
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北側の鬼瓦は、恵比寿。
隣家が迫っており、かなり遠くからでないと見えないよう。

南側は土蔵造りをしっかりと見ることが出来る。
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南側の鬼瓦は、大黒天。
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"記録"として、これを掲載しておこう。
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フォト:2010年10月2日

(つづく)
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by kazusanokami | 2010-10-12 00:30 | ポタリング | Comments(2)